思想とは、物の見方・考え方である。
ある時、ブラジル商工会議者に所属しているという十人ばかりの経営者と懇談する機会があった。その折に、
「日本人は、資源が不足していると言いながら、すごく無駄なことをしている。今日、子供に土産を買いたいと思ってデパートを歩いていたら、美しいパッケージが目についた。それが飴であることが分かったので、十箱ほど買った。
余り奇麗なので、 一箱開けてみた。そうしたら、驚いたことに、一粒一粒が薄いオブラートに包んであり、その一粒一粒が、さらにパラフィンのような紙に包んであって、さらに十粒が美しく印刷された箱に入っていた。
もっと驚いたことに、その箱が、さらに厳重にセロファンで包装されていて、おまけに、箱の比較的上の方に赤い帯が巻いてあり、そこを引っ張るとセロファンが切れるようになっていた。しかも、私が買った十箱の飴は、デパートの包装紙に包まれて、紙袋に入れられて手渡された。
何という過剰包装なんだ。無駄で、贅沢をこれ程やりながら、恒常的な資源不足に悩んでいるという。これでは、不足して当たり前ではないか。
私の国の子供達は、飴を買いに行って、素手で受け取るか、小さな粗末な紙袋に入れてもらっている。あなたは、これをどう思うか」
と、ざっとこんな質問を受けたことがある。
「あなたが言っていることは、こと『資源』に関しては正しいかもしれない。しかし、それは、私に言わせれば、五〇%は間違っていると思えてならない。
もし、あなたが言うように飴を素手で受け取ったり、粗末な袋に入れて買えば、資源は、一部、節約できることは確かである。
だけれども、その代償にオブラートの会社も、セロファンの会社も、パッケージの会社も、印刷の会社も成り立たなくなるに違いない。
結果として、失業者が出ると思う。ブラジルは、資源は豊かであるが、会社の数は少ないのではないか。それをどう思うか……」というような会話をした記憶がある。
現代は、農業経済でも漁業経済でもない。ある程度の食料の自給率を維持すべきだが、多くの企業を興して食べていくという企業振興こそ立国の概念である。
昔は、農業や漁業が中心で、村長は村民を挙げて米を作り、網元は大漁を祈願して、互いに収穫したものを物々交換して人々を食べさせてきた。この時代が人類の歴史の中で最も長
しかし、双方の村とも人口が急激に増えて、増産をしなければ生きていけないようになった。冷害や不漁に悩むと、姥捨て、間引きが行われた。悲しい時代である。
苦しんだ人々の中から一人が立ち上がって、「私が土の中に眠っている鉄鉱石を掘り出し、鉄の鋤、鉄の鍬、鉄の船を作るから、大いに増産して欲しい。私の鉄の道具と、あなたがたが獲った米や魚と交換してくれるか」と、叫んだわけである。そこから、様々な物々交換経済が行われるようになった。衣類も、家も、牛馬も、機械も…である。
やがて、大きい物、運べない物、重い物が出現し、貨幣経済に移っていった。
資本主義とは、こういう貨幣経済の過程の中で育った競争を原理とする経済運営の考え方である。もちろん、欠点も多い。特に、公平という視点では欠点が目立つ。実際に「貧富の差」は避けがたい。そこで、人間の知恵で税金を徴収し、再配分するという救済方法でやってきた。競争が過度になると、環境を壊す公害や、多くの悪弊が放置されるようになり、それと同時に法律や規制が施行されるようになった。
考えてみて欲しい。日本の資本主義は、まだ歴史も浅い。欧米のように、数多くの欠点を修正して出来上がったものでもない。日本の資本主義は、第二次世界大戦後からスタートしたと考えてもいいほどだ。わずか五十二年である。今、我々は、この資本主義を根幹の思想とし、姥捨てや間引きの悲しみを止めて、企業で立国するようになった。農業でも漁業でもない。企業振興を立国の概念として選択し、国際競争力をつけていくことにしたのだ。
しかし、リーダーとして、人間を食べさせていく、幸福に全員が生きていくという観点からジッと見詰めていくと、農業や漁業と、会社を経営するという考え方は寸分変わらない。我々は、形として米を作ったり魚を獲ったりこそしてはいないが、米や魚を、物やサービスに置き換えただけである。
原点は、人間が幸福に暮らすことであり、そのために米を作り、魚を獲ってきた。
資本主義は、農業とか、漁業を置き去って、村長の代わりに社長を誕生させ、懐に飛び込んできた社員や、その家族、自分の家族を食べさせていることを、肝に銘じるべきである。
間引きをしたり、姥捨てをしたり、悲しい出来事を捨て去って、企業立国を唱え、自動車を開発し、飛行機を創り、コンピュータを使い、金で金を売買し、家を売っているが……人間の幸福が目的であれば、全く同じである。人間のやることには、そんなに変化はない。
体のいい言葉に置き換えてはいるが、不況になると勧奨退職や馘首を激しく行い、食べていけない失業者の群れを世に送り出している。
悲しいリーダーシップである。
資本主義の欠点は、様々である。企業立国を唱える日本が名ばかりであったら、と心配である。
企業が日本国の税収の中心である。法人所得税も、そこに働く人々の個人所得税も、消費税ですら、企業が不振であれば増えない。
不況とは、あらゆる意味で、企業の売上利益が減ることである。それ以外の何物でもない。それが不況の具体的な形であり、そこで働く人々の給料やボーナスが減少し、消費が起こらないことを言うわけだが、好況とは、その逆で、企業の売上利益が増え、税収が増え、働く人々の給料やボーナスが増えることなのである。
日本は、資本主義の中で企業を決して優遇していない。どこに眼を向けているかと思うことも多い。
資本主義は、農業や漁業から進化し、企業に眼を向けることをしなければならないように出来上がっている。資本主義は、芸術や、スポーツや、医療や、宗教のために存在しているのではない。
それらが、人間生活の向上にどんなに大事かということも分かり切っているが、決して税収の中心ではないからだ。つまり、資本主義の根幹ではない。人間の幸福を企業の繁栄によって創り出そうというのが資本主義を選択した理由であるからだ。
これから、地球は確実に一つになり、資本主義という一つの思想で運営される方へ向かっている。政治もやがて地球政治に移り、各国の政治は地方自治体のようになって、そこから代表者を送り出す時代になってくる。
言葉も、文化も、人種も、ルールも一つになるための混合混乱の時代のスタートである。こういう流れは、誰も変えることができない。急激で、しかも確実な流れである。二十一世紀は、世界を挙げて人間の幸福が叫ばれる時代に違いない。
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