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オーナー社長の「ロマン」

幾代にも亙る長い繁栄を願う場合、代々会得してきた秘伝を伝承し、更に新しい現象に合致した対処の有り様を取り入れ、明文化して、絶えることなく伝えていかなければならない。

事業経営は、安定だけで幾百年も続く訳がないし、種類の異なった危機が無限に存在する訳もない。その時々の対処の有り様を願いをこめて伝えていくことこそ大事である。

戦争・革命・天災・経済大変動・制度改革・素材変化・エネルギー源の変化・新システム・ブーム……など、これまでの思想や技術の根幹を、 一定期間、揺るがすほどの出来事に誤りなく対処していかなければ、永い繁栄は計れない。

また、こういった変革と異なって、徐々に起こっているファンダメンタルな大移行というものにも耐えていかなければならない。

世界的規模の経済と政治の変化、人口増減、食糧不足、宗教問題、言語、生活文化、人種の混合……といった世界が一つになるための過渡期の混乱にも事業経営は大きな影響を受けるようになってきている。

社長業は、こういった大中小の数々の変化に上手に対応していかなければ務まらない。

事業の永い繁栄を築いていただくために、大事な指針として申し上げておきたいことがある。それは、事業経営を四つの体系に分けて考え、伝えてもらうことである。ぜひ、お勧めしておきたい。

一、(理念)

ロマン・思想・哲学・目的・信念・使命感・人生観・宗教観…に属する指針が理念である。

二、(戦略)

戦略とは、方向性である。①環境や状況の変化に対応して決定すべき戦略、②事業の体質によって決定すべき戦略、③社長自身の考え方や手腕によって決定すべき戦略の二つがある。いずれも、儲かる方向性を社長として決めなければならない。

三、(戦術)

戦術とは、戦い方、方法である。言うまでもなく、資本主義は競争が原理で成り立っている。したがって、競争相手の存在は免れない。ライバルとの戦いにおいて、どういう戦い方や方法が効果的。効率的であるか、社長はその方法を示さなければならない。

四、(日標)

目標は、必ず数値化すべきである。売上でも、利益や経費でも、本来のあり方を数値化し、その数値ヘチャレンジしていくことが大切である。

特に、掲げた目標と実績のズレに対する素早い対応こそ事業の命運を決するものである。社長には、社長のための数字がある。命をかけて挑戦すべき数値をだして欲しい。

理念

理念とは、本来どうあるべきかという根本の考えを指しているが、それは、人生観・思想・哲学・ロマン・使命感信念。目的。世界観・宗教観といったことの総称である。

これが希薄な社長は、決して大を成すことはできない。

理念は、事業経営の根本だからである。確かに、時には理念がない社長でも、偶然にその道に入ることもある。それは、物事に偶然は付き物だからである。

しかし、こと事業経営に関しては、偶然は駄目である。偶然では、次の成功の約束が出来ないからだ。必然こそ永い繁栄と幾度もの成功を決定する鍵である。理念は必然で、社長自身が自分自身のものとして固めていかなければならない。

事業家のロマンとは、事業に恋をすることである。心をかき立てられる思いを事業にもつことで、夢や野望が膨らんで成功の可能性が出てくる。何に対しても同じことだが、事業も好きにならなければ成就しない。

町工場を世界的にした事業家も、ガード下で身を起こし全日本を席巻した流通業界の覇者も、その創業期から完成期まで、永く思いを焦がし続けてきた。思い込みが激しく、持続すればするほど大をなしている。

顧客も増え、店も増え、商品も増え、味方も敵も増えたのである。「千年の時を刻む街」づくりに恋をした一人の男がいる。ハウステンボス社長の神近義邦さんだ。

かつて地元の農業高校定時制を卒業し、町役場に就職した若者が、高邁な志を立て、今、五千億円以上もの資金を動かして、日本の西の外れ長崎に壮大な夢を実現しようとしている。ロマンに満ち溢れた事業人生の毎日である。その人生の転機は、 一瞬にして訪れた。

昭和五十四年、当時は、高橋高見氏率いるミネベアグループの親会社・啓愛社の取締役に転進していたのだが、神近さんはヨーロッパ出張帰りのひと時、オランダを訪れた。

北海とアイセル湖を仕切っている三十四キロメートルにも及ぶ大堤防を車で走っていると、堤防はコンクリートを一切使わずに、無数の石が積まれてできあがっていることに気づいた。

不思議に思って、なぜ、コンクリートの擁壁にしないのか、オランダ人の運転手に聞いてみると、

「オランダは、千拓地にできあがった国だ。堤防は、国とともに永久にもたなければならない。あの石垣の箱穴の中には、海の生物と陸の生物が交じり合って棲んでいる。そこに浄化作用が生まれ、生態系が保たれる。あなたは、何も知らない。コンクリートの擁壁で固めてしまえば、生物の棲めない土地がどんどん広がっていってしまう。そんなことはできない。だから、はるばるアルプスから石を切り出して運んできたんだ」

神近さんは、びっくりしたという。学者や専門家が言うのなら分かるが、ごく普通のオランダ人がこんなことまで平気で言ってのけた。急速、物見遊山をやめて、じっくり千拓地を見学することにした。それは、感動の連続だった。

そこには、人間の知恵の営みのすばらしさがあった。「神は世界をつくったが、オランダはオランダ人がつくった」という彼らの自負に納得がいった。深い感動を覚えた。

四百年以上も前に湖る干拓の歴史、その培ったノウハウによれば、堤防で遮断した見渡す限りの干拓地は、まず、雨に打たせてじっくり塩抜きをする。それが済むと、小さな木を一本一本全面に植えていき、林をつくるまで約二十年間放置する。林ができたところで、木を伐って道路を通し、運河を流し、教会や学校や病院を建てて集落をつくっていく。牧草地や花畑をつくっていく。

街ができあがるのに、ゆうに三十年もの歳月を要するという。しかし、神近さんが真に感動したのは、そのことではない。

人が利用しなかった土地をオランダ人はどうしたかということである。干拓地にまんべんなく木を植えて自然を創り、利用するところだけ木を伐って街をつくり、そして、残りの手つかずの地は本をいつまでも大事に育てて森にするということである。樹齢三百五十年を超す木がうっそうと生い茂る森をつくり、鳥が飛び交い、昆虫が棲息し、雑草が生えている。神近さんの琴線に触れるものがあった。日本で、特にオランダと縁の深い我が故郷。長崎の地で、この街づくりのノウハウを何とか活かせないものかとロマンを強くかき立てられた。

最新のテクノロジーを駆使したエコロジカルな街、人が集い、憩い、癒される街、そんな街づくりの夢が大きく膨らんだ。

帰りの飛行機の中、スキポール空港からアンカレッジ空港までのたった十時間で、それこそ無我夢中で書き上げたのが「オランダ村計画」だった。

この一瞬間から、神近さんのロマンと、その実現に向かう藪難と喜びのドラマが始まった。お金も信用も無ければ、ついてくる人間も、土地も、何にもない、文字通リゼロからの出発だった。それでも、熱くたぎる胸のうちはいかんとも押さえがたい。

勢いにまかせ、事業計画書を携えて地元の親和銀行の支店に飛び込んだ。百万坪の土地、一千億円の融資をいきなり切り出した神近さんの言葉に、銀行の支店長はただただポカーンとするばかり。支店長の裁量で貸せる限度額は三千万円、桁外れの非常識ぶりに、言葉にこそ出さなかったが、「お帰りは、あちらです」と顔に書いてあった。

「ならば」と、本店へと行ってみたが、応接室にも通してもらえず、立ち話で軽くあしらわれ、担当者はそそくさと姿を消してしまう。ほかの銀行、生保・損保を手当たり次第回ってみたが全て門前払い、挙げ句の果ては、誇大妄想で勇名を馳せてしまう始末。

もうダメか、と一瞬あきらめがよぎったが、いまさら後戻りできないという勇猛が勝り、お金が無くても計画を実現する方法を必死に考え抜いた。血の滲むような努力と東奔西走の甲斐あって、有能な建築家、四千坪の土地、建築費だけは何とか確保できた。

最後に残ったのが、運転資金。お金が無ければ、人も雇えない、宣伝もできない、物品の仕入れもできない、最低二億五千万円は必要である。振り出しに戻って、最初に訪ねた親和銀行の支店に行った。

「私は、設計もできる。土地もできた。建設費も工面した。二億五千万円貸してくれれば、オランダ村のプロジェクトがスタートできる。これは、この町にたったひとつしかないあなたの銀行の社会的責任じゃないか。貸さなければ、支店長としての資格がない」と、理屈も何もなく一気にまくし立てた。

「一千億円の次は、二億五千万円ですか」と、さんざん厭味を言われ、あれこれやり取りしているうちに、支払い能力のある保証人を立てろと策を授けてくれた。そして、リゾート開発だから、当時、長崎観光連会長であった長崎バス社長の松田塙一さんがうってつけではないかとほのめかす。

さっそく、松田社長と面会し、事業計画を説明しはじめたが、みるみる社長の顔が鬼みたく真っ赤になっていった。

「親和銀行の保証を、長崎バスにしろって言うのか。十八銀行の間違いではないのか」神近さんは、親和銀行と十八銀行が地銀のライバル同士で、松田社長は十八銀行から来た人だということを知らなかった。そればかりではない、松田社長の父親が十八銀行の頭取で、祖父もかつての頭取、曾祖父がつくった銀行で、長崎バスは十八銀行の大株主だということも、まるで知らなかった。しかも、松田社長は、十八銀行の現役の監査役で、十八銀行の頭取である父親が長崎バスの役員をしているという、両者は、いわば一体企業であった。

「いい加減にしろ」と怒鳴られ、這々の体で逃げ帰ってきた。親和銀行の支店長にまんまと一杯食わされ、怒り心頭に達したが、支店長は何食わぬ顔で、「じゃあ、松田さんの個人保証をもらって来い」と、涼しげに言ってのけた。

今更と思ったが、「戸を叩かざれば開かず」の覚悟で、どうにか再訪のアポイントを取り付けることができた。その、 一途な思いには驚かされる。

長時間またされたが、会ってはくれた。怒られて帰るだけかと思ったが、意外や、ニコニコして部屋に入ってきた。

「個人保証をお願いにまいりました。断られても結構です」と、思わず言ってしまった。居たたまれなかったと、神近さんは述懐する。

ところが、すんなり個人保証を認めてくれた。未だ半信半疑で、お礼も言わずに証書を引ったくるようにして帰りのエレベーターに駆け込むと、松田社長が後を追ってきて、「まあ、しっかりやれ」と、励ましてくれた。神近さんが、我に返って、初めてお礼を言おうとした刹那、エレベーターのドアが閉まってしまった。

涙が溢れて溢れて仕方なかったという。男のロマンとロマンが相呼応したのだ。

神近さんは、すぐに二億円の生命保険に入り、「万一のことがありましたら、この保険金で個人保証を抜いてください」との念書を認め、松田社長に差し出した。まさに、命懸けのロマンである。立派だ。

こうして、 一九八二年、長崎オランダ村がオープンした。初年度から、百二十万人の入場者を数え、二年目から黒字を出して一割配当を実現し、「東のディズニーランド、西のオランダ村」と並び称されるまでの高い評価を得たが、神近さんは、決してこれで満足しなかった。時あたかもバブル突入前夜、時の運を得て、投資総額五千四百億円のハウステンボス計画を間髪入れずに打ち上げた。

西の果てに五千四百億円の投資、しかも全額借金、無担保……予想通り、どこの金融機関も相手にしてくれなかった。二十年返済、金利六%として、 一日一億円の金利、そんなことが果たして成り立つのだろうか。

神近さんは、銀行をはじめ政財界の実力者を次々に説得して回った。

「これから二十一世紀に向けて、哲学やコンセプトのない企業は生き残れない。存在価値を問われる時代になった。個人も会社も同じだ。存在価値があるかどうかで、生き残れるかどうかが決まる世界になってくるはずだ。ハウステンボスは、まさにエコロジーとエコノミーとの共存をテクノロジーが可能にしていく未来都市の壮大な実験場なんだ。これは、日本にとっても、アジアにとっても絶対に必要なんだ」

そのなかに、中山素平氏がいた。中山素平氏は、日本興業銀行の元頭取で、「新日鉄を誕生させた男」「財界の鞍馬天狗」と呼ばれ、幾多の難局を救ってきた人物である。神近さんの熱意が中山氏の個人的な信用を獲得し、中山氏の個人的信用が三井不動産の当時の会長。江戸英雄氏の熱心な応援を得て、全ての流れが一変した。大きなうねりが、具体的な力となって現出してきた。「これは、もう勢いだった」と、神近さんは言う。

ついに、ハウステンボス計画を旗揚げすることができた。年商一兆円以上の企業三十社が株主になり、そして、 一部上場二十一社が企業参加してくれた。今度も、 一番の問題は無担保、施設完成後の持ち込み担保で一切の金をつくらなければならなかったことだ。しかし、銀行も理解を示し、十六行の協調融資団を結成してくれた。神近さんは、こうも言っている。

「結局、五千四百億円を、五年間無担保、信用だけで銀行は貸してくれた。これは、何万分かの一、何千万分かの一の恵みで、奇跡に近いことかもしれないが、仕事の質と、事業家の熱意と、人々がその事業に期待し、かつまた参加しているという社会的意義とが一致すれば、どんな状況下でも出る金は出るものだ。

だから、私は絶対にあきらめない。あきらめない人は、可能性が豊かだということだ。あきらめなければ、必ず何かが見えてくる。可能性を追求し、前へ前へ突き進め、倒れるときにも前に倒れる、そう私は社員にも教えている。九百九十九人があきらめたら、最後の自分一人の言う通りになる。

必ずうまくいくという確信と強い意志が事業家にとって何よりも大切だ。どんなに苦しくても後ろを振り返らない、そう思って仕事をしている。

京都が唐の長安をモデルに平安京として誕生した時、周囲と比較して明らかに違和感があったはずだ。それが、千三百年の時をかけて周囲の生活文化と溶け合って、今や日本を代表する都市となっている。

ハウステンボスも、この発想と全く同じである。千年の時を刻んで、日本のみならずアジア各国の人々と融合して、世界を代表するような街にしたい。私は、今、その土台造りをしているんだと思っている。千年続く街をつくるには、三十年くらいは土台造りに専念しなければならない。着工してからたった十二年、まだまだ土台造りを続けていくつもりだ。土着して、死ぬまで新しい街づくりに自分をかけたいと思っている」この、崇高な志には頭が下がる。

ハウステンボス計画は、単なるリゾート開発ではなく、神近さんの言う通り「千年の時を刻む街づくり」なのだ。街であるからには、当然、そこで人々が生活し、文化を形成していく。マンション。一戸建合わせて三千五百戸、 一万人以上の人々が近い将来ハウステンボスで暮らす計画となっている。これが、前人未踏の「夢の街づくり」に思いを焦がす神近さんの事業ロマンだ。

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