サイコ=サイバネティクスについて私が受ける質問には、イマジネーションによって「その気になる」ことを、「自分を編して成功する」とか「単なる空想」だとか思っているものが多い。
こういう見方は、真実からはほど遠い。「自分を編して成功する」というのは、うわべだけしか見ていない偽りの解釈だ。
サイコ=サイバネティクスは、イマジネーションによって「その気になる」ことも含めて、決して欺臓ではない。隠れた真実の探求なのである。
自己イメージがあなた自身の「事実」だと認めている考え―過去にそうだったかどうかはともかく、現在や将来に当てはめる必要はない考え――に積極的に異論を唱え、あなたの真の自己を明らかにしたい。
一度、疑ってみたい自分の思い込み
私の友人であるアルフレッド・アドラー博士は、思い込みが人格形成にどのような影響を与えるかを示す体験をしている。
少年時代、博士は算数のできが悪かったので、担任は「算数が苦手な生徒」だと思い込んでいた。担任はこの「事実」を両親に伝え、この子にはあまり期待しないようにと伝えた。
すると、両親もまたそう思い込んでしまった。当時の博士は、この評価を素直に受け入れた。そして算数の成績は確かにそのとおりになった。
しかし、ある日のこと。突然ヒラメキが博士に訪れた。なんと、誰ひとりとして解けなかった、担任が黒板に書いた問題の解き方がわかったのである。
しかし、担任や生徒に大笑いされたので、怒ってずかずかと黒板まで歩いていき、問題を解いてみせ、皆をあっと言わせた。
このとき、自分にも算数がわかるのだと悟ったという。そして自分のオ能に対する自信が生まれ、算数のできる生徒に変身した。
このアドラー博士の経験は、以前、私が診た患者の経験とよく似ている。その患者はビジネスパーソンで、人前で話すのが上手になりたいと思っていた。
ある難しい仕事で見事な成果を収めたので、それについて重要なメッセージを伝えたかったのである。
しかし、知らない人の前では、そのメッセージをうまく伝えることができなかった。
彼を抑えつけていたのは、自分は外見に威厳がない、凄腕の経営者のようには見えないから、聞き手の胸を打つ話し方などできないという思い込みだった。
この思い込みは彼の心に深くしみついていて、人前で話そうとするたびに障害となって立ちはだかった。
そこで、手術で容貌を変えたら自信がもてるようになると間違った結論を下したのである。手術が功を奏することもあれば、そうならないこともある。
私の経験から言えば、肉体的な変化が必ずしも人格を変化させる保証はない。
この患者の場合、ネガティブな思い込みが重要な情報を伝える妨げになっているという事実を理解することができて、解決を見ることができた。
ネガティブな思い込みを、「外見はどうあれ、自分にしか伝えられないとでも重要なメッセージがある」というポジティブな思い込みに置き換えたのである。
やがて彼は、実業界で引っ張りだこの講演者になった。
彼を変えたのは、思い込みと自己イメージだけだった。
ここで私が明らかにしたいのは、こういうことだ。アドラー博士やビジネスパーソンは、自分に対する間違った思い込みで「催眠術」にかかっていた。
たとえではなく、まさしく催眠術であった。前章の催眠術の記述を思い出してほしい。バーバー博士の言葉をもう一度記そう。
「催眠術の被験者は、催眠術師の言葉が正しいと信じ込んだとき――催眠術師が被験者を誘導して自分の言葉が正しいと信じ込ませてしまえば――被験者は違った考えや信念を植えつけられ、行動にも変化が現れる」忘れてならないのは、あなたの考えをどこからどのようにして手に入れたかは、まったく問題にならないということだ。
あなたは催眠術師に会ったことがないかもしれない。催眠術をかけられたこともないかもしれない。
しかし、もしある考えを、自分自身から、先生から、親や友人から、あるいは広告などから受け取り、さらにはその考えを「真実」だと思い込んでしまったなら、それはあなたに対し、催眠術師の言葉と同じ効果を発揮してしまう。
こうした催眠術的効果は、その人にとっての「権威ある人からの情報源」によって繰り返し強化されれば、半永久的に維持されてしまう。
これを解除したり設定しなおしたりするには、これと同じ条件が必要になるのである。アドラー博士の少年時代の体験には、両親や先生といった権威ある情報源が深く関係している。
繰り返し言い聞かされ、ひどく屈辱的な体験によって強化されている。その博士を解放したきっかけは、別の強烈な体験であり、感情の反応だった。
これらによって博士は自由を手に入れ、自分の思い込みを疑ってそれに異論を唱えることができたのである。
「できない」と思う自分を捨てる
程度の差はあるにせよ、すべての人は催眠術にかかっていると言っても過言ではない。
その催眠術が役目を果たすのは、他人から無条件に受け入れた考えであることもあれば、何度も自分に言い聞かせたり真実だと納得したりした考えのこともある。
ここで、催眠暗示がもたらす単純な現象を少しばかり挙げてみよう。催眠術師がフットボール選手に、「あなたの手はテーブルに張り付いて離れない」と告げる。
すると、フットボール選手が離そうとしなくなるのではない。本当に離せなくなるのだ。腕や肩の筋肉がくっきり浮き出るほど懸命に力を入れても、手は根が生えたように動かない。
あるいは、重量挙げのチャンピオンに、「あなたは机から鉛筆を持ち上げられない」と告げる。すると、いつもなら四〇〇ポンドを持ち上げられるチャンピオンが、本当に鉛筆を持ち上げられなくなる。
これらの現象は、催眠術がスポーツ選手のパワーを弱らせているわけではない。選手は潜在的に普段と変わらないパワーをもっている。
ただ、そうとは気づかないまま、自分自身に逆らっているのである。
自分の意思で、手や鉛筆を持ち上げようとして必要な筋肉を収縮させているが、他方では、「あなたにはできない」という意思が、意思とは無関係に反対の筋肉を収縮させている。
つまリネガティブな意思によって自分を打ち負かし、使えるはずのパワーを発揮できなくしているのである。
別のケースだが、握力が一〇〇ポンド(四五キロ強)のスポーツ選手に催眠術をかけ、「あなたはとでもパワーが強い。これまでになく、ずっとずっと強い。その強さに自分でも驚くだろう」と告げた。
そうして握力を測定すると、針はあっさり一二五ポンド(五七キロ弱)にまで達した。この場合、催眠術が選手のパワーを増したわけではない。
催眠暗示が、それまで全力を出させないようにしていたネガティブな考えに打ち勝ったのである。
別の言い方をすれば、このスポーツ選手は、普段の覚醒状態では握力が一〇〇ポンドしかないという思い込みによって自分のパワーに制限を加えていたということだ。
催眠術師は、単に彼の心の障害を押しのけ、本来のパワーを発揮させたにすぎない。自分自身を締めつけている思い込みから、彼を一時的に目覚めさせただけなのである。
催眠術の実演を目にすると、催眠術師に何か不思議な力があると思い込んでしまいがちだ。どもリグセのある人が流暢に話せるようになる。
内気で気の小さい人が社交的に堂々と人の心を動かす話ができるようになる。足し算の苦手な人が、三桁の掛け算を暗算でできるようになる。
こうしたことがみな、催眠術師に「あなたにはできる」「やりなさい」と告げられるだけで、できてしようのである。はたから見れば、催眠術師の言葉には魔法のパワーがあるように思える。しかし、実際はそうではない。
こうしたことを成し遂げる基本的な才能は、催眠術師に会う前からあなた自身に備わっているものなのだ。ただ、それに気づいていなかったので、このオ能を使えなかったにすぎないのである。
誰にでも、自分にできるとは夢にも思わなかったことを成し遂げる力が備わっている。そのパワーは現在の思い込みを変えるだけで、すぐに使えるようになる。
「自分にはできない」とか、「自分は大した人間じゃない」とか、「自分はそれに値しない」といったネガティブな考え方から自分を目覚めさせるだけで、本来のパワーを発揮できるようになるのである。
あなたは、ただ「あなた」であるにすぎない
私たちが劣等感を抱き、挫折するのは、実力や知識が実際に劣っているという認識からではない。劣っていると感じるためなのだ。
劣っていると感じてしまう理由は、ただひとつ――自らの基準ではなく、誰かほかの人の基準に照らして自分を判断しているからである。
そのように判断を下せば、自分が一番になれるはずがない。にもかかわらず、私たちはほかの人の基準に達していなければならないと思い、信じ、決めてかかってしまう。
自分が劣っているという感情は、この間違った前提から生まれる。この間違った前提をもとに、「論理的思考」と感情のシステムが成り立っている。
自分は劣っているからだめだと思っている場合、それを解決するには、自分をほかの人に劣らず立派な存在にしないといけないと考えるようになる。
そして立派だと思われるために、自分を優位に立たせようとする。つまり劣等感を抱いていると、優越感を求めることに必死になる。そのため、常に自分のミスを複雑にとってしまう。
また必死で優位に立とうとするから、余計に悩んでイライラが募り、ときにはそれまでかかったこともないノイローゼになることもある。
その結果、さらに惨めな気分になり、「頑張れば頑張るほど」惨めさが増していく。そのジレンマに陥らないためには、劣っているのと優れているのとは、一枚のコインの両面と思えばいい。
そして、コインそのものが見せかけと気づけばいい。あなたについての真実は、こうだ。あなたは、「劣って」はいない。あなたは、「優れて」もいない。あなたは、ただ「あなた」であるにすぎない。
神は標準的な人間などつくらなかったし、ある人間を指して「これが標準だ」とも決めつけなかった。どの人間も一個のユニークな存在につくったのだ。ちょうど、どの雪片も一個のユニークな形状としたように。
かつてエイブラハム・リンカーンは、「神はありふれた人を愛された。だからこそ、こんなにも多くをつくられたのだ」と言ったが、それは間違っている。「ありふれた人」など、存在しない。標準的、一般的なパターンなどありはしないのだ。
リンカーンがこう言っていたら、もう少し真実に迫っていただろう。
「神は異なった人々を愛された。だからこそ、こんなにも多くつくられたのだ」と。自分を、「他人」の基準で判断するのはやめよう。
あなたは「他人」ではないし、「他人」の基準に達する必要もない。「他人」もまた、あなたの基準には達しないし、達する必要もないのである。
サイコ=サイバネティクスを使って自己イメージと何らかのやりとりをする場合でも、その目標が他人に優越感を抱くことであってはならない。
かといって、いつまでも他人に対して劣等感を抱くのもいけない。あなたの目標は、あくまでも自分のユニークな人格と成果を生み出すことなのだ。
リラックスした状態で新たな思い込みや習慣を形成する
催眠状態から目覚めるには、身体をリラックスさせることが重要となる。
私たちがいま抱いている思い込みは、良いものにせよ悪いものにせよ、正しいものにせよ間違ったものにせよ、労せずして形成されている。
要するに、必死に意思の力を働かせてできあがったものではない。また私たちの習慣も、良いものであれ悪いものであれ、やはり同じようにして形成されている。
したがって、思い込みや習慣を新たに形成するときには、催眠状態から目覚めるのと同じ方法、つまリリラックスした状態で行う必要がある。
身体のリラクゼーションは、毎日実践していると、それとともに「心のリラクゼーション」と「リラックスした態度」をもたらす。
これにより、自らの自動制御メカニズムの意識的なコントロールが可能になる。また、身体のリラクゼーションは、それだけでネガティブな態度やネガティブな反応のパターンという催眠状態から私たちを目覚めさせるという、大きな威力を発揮する。
そこで、次に挙げるメンタル・イメージ・トレーニングを実行してみよう。まず、自分の過去からリラックスできる楽しいシーンを思い出そう。人生には必ず、くつろいで安らかな気分になれたときがあるはずだ。
自分の過去を探り、自分がリラックスしているイメージを見つけ出して、その詳細な記憶を呼び起こしてみよう。
それは山あいの湖で釣りをしているときに見た落ち着いた景色かもしれない。もしそうなら、その景色を構成するささいなものに注意を向けてみよう。湖面に立つ静かなさざ波を思い出してみる。
- ・どんな音がしていただろうか?
- ・木の葉が静かにざわめく音は聞こえただろうか?
- ・あるいは、ずっと昔、暖炉の前にすっかりくつろいで座り、まどろんでいたのを思い出すかもしれない。
- そのとき薪がはぜて火が散ったのは見ただろうか?
- ・浜辺で日光浴をしているところを思い出しただろうか?
- ・体に当たる砂の感触はどうだったろう?
- ・暖かい太陽の光が体をなで、くつろいだ気分になれたのではないだろうか?
- ・穏やかな風は吹いていただろうか?
- ・その浜にカモメはいただろうか?
こうした細かい点を、どんどん思い出して頭にイメージしていけば、それだけ成功に近づいていくはずだ。
これを毎日実践していると、そうしたメンタル・イメージや記憶がいよいよはっきりしたものになってくる。学習の効果も蓄積されてくる。
メンタル・イメージと身体の感覚との結びつきも強化される。あなたはどんどんリラクゼーションがうまくなり、そのこと自体を将来実践するときに「思い出せる」ようになるのである。
●注記*1アルフレツド・アドラー…一八七〇〜一九三七年。オーストリアの精神医学者・心理学者。
一九三二年に、人間行動における優越欲求を強調し、劣等感を克服しようとする代償作用を重視するという「アドラー説」を発表した。
*2エイブラハム・リンカーン…一八〇九〜六五年。アメリカの第一六代大統領。一八六三年、南北戦争下に奴隷解放を宣言、六四年再選されるが、翌年暗殺された。「人民の人民による人民のための政治」という民主主義の理念を説いた。
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