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たとえを作る、いくつかの視点

たとえを作る、いくつかの視点

視点を変える物事を考える場合、視点を変えると良い。自分の視点だけではなく、相手の視点、それを見ている第三者の視点などを考えると、いくつものアイディアが生まれるものだ。例えば大喜利で『こんな女性アイドルは嫌だ』というお題があったとする。回答を考える時、誰もがまずは嫌な女性アイドルを考える。「恋愛ばかりする」「ファンを大切にしない」「歌も踊りもできない」「やる気がない」などのフレーズが浮かび上がる。それらをそのまま回答に使う場合もあるだろうし、さらに連想して、例えば「やる気がない」から「普段着でステージに上がる」という回答を生み出すこともできる。ここで終わらせてもまったく問題ないのだが、他人とは違った自分なりの回答が欲しいならば視点を変えていけば良い。変化させていく過程は次の通りだ。アイドル→女性→人間→動物→生物→地球イメージとしては自分が対象から徐々に離れて、遠くなっていく感覚である。まずはアイドルから視点をずらして女性として考える。つまり「嫌な女性」を考えるのだ。すると「電車で化粧を直す」「大声で笑う」などの回答が出てくるので、それをアイドルに当てはめれば「電車で化粧を直すアイドル」「大声で笑うアイドル」といった「嫌なアイドル」の回答が生まれる。視点を変える前より回答の数は増え、先ほどとはタイプが違う回答が誕生することになる。次にもう一歩下がったところから見てみよう。視点を女性から人間へと変える。「嫌な人」を考えてみるのだ。すると「列に割り込む」「すべてお金で解決できると思っている」などの回答が出てくるが、それらもアイドルに当てはめることができる。ここからさらに距離をとる。人間も動物であると考えるのだ。「嫌な動物」はどんなものがあるだろうか。「農作物を荒らす」「トイレを覚えない」「何もない部屋の隅をじっと見る時がある」などが思い浮かぶだろう。これをアイドルに当てはめてみる。『こんな女性アイドルは嫌だ』「農作物を荒らす」『こんな女性アイドルは嫌だ』「トイレを覚えない」このように新たなタイプの回答が完成する。もっと離れ、動物も生物のひとつと考える。「嫌な生物」。すると「感染症を媒介する」「毒を持っている」「寄生する」「繁殖力が強く生態系を破壊する」などのアイドルが出来上がる。視点を変化させる前とは比べものにならない、オリジナリティのある、ある意味異質な回答が生まれるのだ。そして最終的に地球全体を俯瞰するイメージを持つのである。いわば神のような視点だ。『こんな女性アイドルは嫌だ』「神の失敗作である」『こんな女性アイドルは嫌だ』「禁断の果実を食べた」ただし、いきなりこの視点で回答するとインパクトは大きいが、その分失うものも多そうなのでお勧めはできない。徐々にシフトアップさせて使うのが良いだろう。また、この流れとは別に、もうひとつ視点を変えていく流れがある。事実→史実→昔話→神話まずは事実を回答する方法。これは実際に起こったアイドルのスキャンダルなどの事実をそのまま言えば良く、時事ネタも取り入れやすい。またアイドルのみならず、政治スキャンダルを使い「裏金を受け取っているアイドル」などの回答を作ることもできる。回答の種類としては『笑点』を想像してもらえればいいだろう。いわゆる「うまい」と言われるものだ。ここから視点を変えていく。イメージとしては事実から創作に変化していく感じだ。事実の次は史実。歴史上の事実、あるいは事実とされているものを使う。歴史である分、創作が多少入ってくる。「東軍に寝返るアイドル」「草履を温めないアイドル」「桜の枝を折ったのに正直に言わないアイドル」などの回答が生まれるはずだ。視点を変え、さらに創作色が濃くなった昔話に当てはめる。「大きな葛籠を選ぶアイドル」「蟹に柿をぶつけるアイドル」「すぐに鶴の部屋を覗くアイドル」など嫌なアイドルが次々と出来上がる。さらに視点を変えて神話。「翼が蝋でできているのに太陽に近づき落下するアイドル」「パンドラの匣を開けるアイドル」などの回答が出てくるが、嫌というより、ヴィジュアルバンドの歌詞に近くなり、カッコつけていると思われる可能性があるので注意してほしい。こちらの流れは多くの人が知っている旬な事件、教科書に載っていたこと、絵本で読んだことなどを元にしているので、万人受けしやすい回答が生まれる。

ここで話はひとつめの流れに戻るが、人間に視点を変えた後、動物に移行せずに架空の人物に変える方法もある。アイドル→女性→人間→架空の人物漫画やアニメのキャラのセリフやエピソードを回答に使うのだ。もしもあなたがマンガやアニメが得意分野ならば使わない手はない。ただし、その作品を知らない人にはまったく伝わらないので状況を見極めなければいけない。そういう意味では史実や昔話からの回答とは対照的といえよう。このように視点を変えていくことにより、大喜利の回答は多彩なものになるのだ。ところで、この視点を変えていく方法は何も大喜利にだけ役立つというわけではない。仕事でアイディアを出さなければいけない時、企画を考えなければいけない時、あるいはそれらに行き詰まった場合にも使える。もちろん、たとえを作る時にも使える。たとえたい対象を見る視点を、形、色、動きなどと変えれば、多種多様なたとえが出来上がるはずだ。

似た形を探すそもそも人はどんな時に「たとえたい」と思うのか。大きく分けると次の3つが考えられる。伝えたい時アピールしたい時たとえなければいけない時まずは「伝えたい時」。前章で述べたように、たとえを入れることで感情や情景を相手がイメージしやすくなり、伝わりやすくなる。あいつは気遣いのできる男だあいつはコンビニのトイレを借りるためにガムを買うような気遣いのできる男だ後者のほうが「そういうことまでするんだ!」と気遣いの部分が鮮明になり、伝わってきやすい。次に「アピールしたい時」。これも先述したようにオリジナリティを出すためにたとえが有効であるから、そのオリジナリティを「こんな表現ができる」「自分ならこう言う」「どう、かっこいいでしょう?」などのアピールとして使うことができる。ただ気を付けたいのはアピールしすぎてしまうこと。たとえは言葉の装飾品みたいなもので、あまりにも装飾されてしまうと、クリスマスイルミネーションが過剰な民家のように、辟易してしまう。最後に「たとえなければいけない時」。国語の授業で「たとえてみよう」みたいな時間があったならたとえなければいけないし、作文を書いて「比喩を入れてごらん」と先生にアドバイスされた時にもたとえを考える。また人質をとられて「たとえを言わないと人質の命はないぞ」と言われたらたとえるしかない。どちらかというと、能動的ではなく受動的にたとえる場合である。たとえたくなったなら、たとえを作ることになる。その場合、真っ先に考えられるのは似たものを探すという方法である。あなたが友人と待ち合わせしていたとする。待ち合わせ場所へ行く途中、かわいい子とすれ違う。あなたは友人に会うや否やこう言うだろう。「さっきすれ違った子、凄くかわいかった!」しかし、かわいいは千差万別で、誰かにとってのかわいいは他の誰かにとってはかわいくなく、その逆もある。つまり「かわいい」だけだと、興奮しているあなたと友人とのイメージの共有は難しい。そこでたとえる。「アイドルのようにかわいかった」「女優のようにかわいかった」「朝ドラのヒロインのようにかわいかった」「同級生の○○さんのようにかわいかった」「個性的な顔をした猫のようにかわいかった」これにより、ややぼけていたかわいさがクリアになり、「そんなにかわいいの!」と友人は返答することだろう。逆に鮮明になった分、自分の好みとは違うことがわかり「そうかなあ?」との返事もあり得る。特に最後のたとえのかわいさは人を選ぶ。さて、このたとえはすれ違った子と同等のかわいさを持った人物(+猫)をたとえに利用している。いわば似ているものを、近似値を、提示しているというわけだ。このような、Aをたとえたい時にAに似たBを探し、「BのようなA」とシンプルに並べるやり方はたとえ作りの基本中の基本といえよう。まずは似た「形」から作るのがわかりやすい。例として「雲」で考えてみる。空に浮かぶ白い雲をたとえたい。その場合、雲をAとし、雲の形に似たBを探す。A雲B綿菓子、煙、ポップコーン、雪、牡蠣、マンガのふきだし、白キクラゲこれを先ほどの「BのようなA」という方程式に当てはめる。綿菓子のような雲煙のような雲ポップコーンのような雲雪のような雲牡蠣のような雲マンガのふきだしのような雲白キクラゲのような雲

するとこのように7つのたとえが生まれる。どれも説明は要らないと思うが、一応白キクラゲについて補足しておくと、白キクラゲは文字通り白いキクラゲで、楊貴妃が美容と健康のために食べたと言われているものだ。この方法は見たままをたとえに使うだけなので直感的に作ることができ、早急にたとえが必要な時に便利な方法だ。形があるものならこの方法が使える。代表的な形、丸、三角、四角の例を挙げるので参考にしてもらいたい。

丸い公園に忘れられたボールのように丸いぬいぐるみの目のように丸いすぐに消えてしまうしゃぼんだまのように丸い自動販売機が受け付けてくれない硬貨のように丸い田舎で干されている柿のように丸い最後の試合前に組む円陣のように丸いちょっとでも揺れたら落ちてしまう線香花火の玉のように丸い手紙を締めくくる句点のように丸い三角夜食に握ってくれたおにぎりのように三角白川郷のように三角絵描き歌のコックさんの下半身のように三角フロリダ半島の先端とプエルトリコとバミューダ諸島を結んだ海域のように三角鍛え抜かれた上半身のように三角新聞で折られたカブトのように三角部屋の隅のデッドスペースのように三角パーティの時にはしゃいで被った帽子のように三角四角い教室の窓で切り取られた風景のように四角い古い映画館のスクリーンのように四角い冷たく無機質なコンクリートのように四角い窓から差し込む光が床に作る模様のように四角いもう誰もいない教室の黒板のように四角い無名の画家の絵が入っていた額縁のように四角い同居人がいなくなってがらんとした部屋のように四角い雨で濡れた夏祭りのポスターのように四角い

似た色を探す次は色から作る方法である。ここでも再び雲を使って考えてみたい。今度は雲の色に注目する。白い雲。今までの人生で見てきた白いものを思い出し、「○○のように白い雲」というたとえを作る。コンビニの店員が補充するコピー用紙のように白い雲真夏に見た洗剤のCMのように白い雲晩秋の曇ったメガネのように白い雲旅館の女将さんの足袋のように白い雲駆けつけた病室のように白い雲ひび割れた横断歩道のように白い雲曇り空に透けて見える太陽の色のように白い雲カレーうどんを食べる前のシャツのように白い雲それぞれのたとえが新しい白を生み出しているのがわかるだろう。人工的な白、過剰なまでに鮮やかな白、半透明の白、凛とした白、無機質な白、古ぼけた白、ぼやけた白、今から他の色に変わる可能性のある白。たとえの数だけ白の種類がある。もちろん雲は白だけではない。曇り空、今にも雨が降り出しそうな空。そんな時の雲は灰色だ。その場合は灰色を探す。積み上げられた古新聞のように灰色の雲おじいちゃんが着ていた紳士用ポロシャツのように灰色の雲起きてから必死に思い出そうとする夢のように灰色の雲並んでいるガスボンベのように灰色の雲コンクリート打ちっぱなしのデザイナーズマンションのように灰色の雲テーブルの上に落ちたタバコの灰のように灰色の雲夏に穿いていたズボンのポケットから出てきた砂のように灰色の雲昔美人だったと思われるおばあさんの髪の毛のように灰色の雲今度はたとえの数だけ灰色が誕生した。やがて灰色の雲が去り、晴れ渡る。空には青色が広がっている。ブルーハワイを食べた後の舌のように青い空色落ちしたデニムのように青い空名前も知らないカクテルのように青い空日の出前の駅ロータリーのように青い空ちょんまげカツラの剃髪部分のように青い空立ち上がらないパソコンの画面のように青い空知らぬ間にできていた太もものアザのように青い空

ピカソのように青い空日差しを受ける木々の葉。緑色が輝いている。それは……知らない学校の指定ジャージのように緑の葉掃除を怠ったプールのように緑の葉弁当の容器に残ったバランのように緑の葉回転寿司の高めの皿のように緑の葉抹茶味の何かのように緑の葉四つ葉のクローバーではないクローバーのように緑の葉アパートの隅に静かに生えているコケのように緑の葉おばさんの買い物袋から飛び出しているネギのように緑の葉足元に広がるのは大地。土の色。古い写真に写っている風景のように茶色の土お父さんが作ったお弁当のように茶色の土雨でアスファルトにはりついた枯葉のように茶色の土こぼしたコーヒーを拭いたおしぼりのように茶色の土鞄の中で溶けて広がったチョコレートのように茶色の土居酒屋で焼かれている誰かが頼んだ焼きおにぎりのように茶色の土夜中のファミレスに子どもを連れてくる母親の髪のように茶色の土溶けずに残っていたインスタント味噌汁の味噌のように茶色の土気づくと虹。空をカラフルに彩っている。異国の市場のフルーツのようにカラフル刺繍糸売り場のようにカラフル声が大きい面倒見が良いおばさんの服のようにカラフル駄菓子屋のスーパーボールくじのようにカラフル校庭に半分埋められている古タイヤのようにカラフルたくさんのカラーボールが敷き詰められたキッズコーナーのようにカラフルお供えされた和菓子のようにカラフル後夜祭で燃やされる看板のようにカラフル色から作ったたとえは情景を鮮やかに変え、様々な風景を作るのだ。

似た動きから作る形、色ときて、次に探すのは「動き」である。この方法は色や形のないものをたとえる時に使える。例えばフィギュアスケートの選手が氷上で回っている。それをたとえるには同じように回っているものを探す。A回るBコマ、泡立て器、自分の尻尾を追う犬、トンボを捕まえる時の人差し指、公園にある遊具、電動ドライバーで締められるネジ、地球これを「BのようにA」として並べる。コマのように回る泡立て器のように回る自分の尻尾を追う犬のように回るトンボを捕まえる時の人差し指のように回る公園にある遊具のように回る電動ドライバーで締められるネジのように回る地球のように回る子どもの頃を思い出すものから、超高速で回るもの、スケールの大きいものまで多種多様なたとえができた。別の例を挙げてみよう。昔話の『おむすびころりん』。金太郎や一寸法師と同様、有名な昔話であるが結末を覚えていない話のひとつだ。欲張りな人が良くない目にあうようなラストだったような気もするし、違う気もする。まあそれはおいておいて、この話はおむすびが転がるシーンが印象的だ。この転がる様子をたとえたい場合も、似た動きを探せばよい。欠陥住宅の床に置かれたビー玉のように転がる自分がエラーしてしまったボールのように転がる走行中外れてしまったタイヤのように転がる御柱から振り落とされた人のように転がる小堺さんが追うサイコロのように転がる西部劇の丸いやつのように転がる体操が得意な小学生のように転がる電車の座席と座席の間を行ったり来たりする空き缶のように転がるおじいさんが、そのおむすびを追いかける様子もたとえることができる。サザエさんのように追いかける

トムとジェリーのトムのように追いかける警視庁24時の取材陣のように追いかける真面目なドキュメンタリー番組のように追いかける「前の車を追って」と言われたタクシーのように追いかける絶滅の危機にある野生動物の調査をする学者のように追いかける校庭で遊んでいる子どもたちのように追いかけるスペインのお祭りの牛のように追いかけるコミカルなものもあれば、真剣に追うおじいさんもいる。特に最後のたとえのおじいさんは、鬼気迫るものがあり、話がまったく通じなさそうだ。死者も確実に出る。最後に「転がる」のたとえと「追いかける」のたとえを組み合わせてみよう。御柱から振り落とされた人のように転がるおむすびを、おじいさんがスペインのお祭りの牛のように追いかけるこれはもう、カオスだ。

よくある表現をアレンジする似たものを探す方法を一通り説明したところで、今度は別の切り口を考えてみる。似た形から作った雲のたとえを、今一度思い出してもらいたい。綿菓子のような雲煙のような雲ポップコーンのような雲雪のような雲牡蠣のような雲マンガのふきだしのような雲白キクラゲのような雲この方法は手軽にできる方法であったが、その分問題もある。それは他人と同じような表現になってしまうことが多々あるということ。「綿菓子のような雲」はその最たる例ではないだろうか。老若男女、誰もが思いつきそうなたとえで、これを口にするとつまらない人と思われても仕方ない。一方「牡蠣のような雲」はなかなか耳にしないたとえである。良い表現と思うかどうかは人それぞれだろうが、「ん?牡蠣?」と思わせ、少なからず興味をひくことはできる。つまり似たものを探すセンスが必要となる。他人とは被らないような、綿菓子以外を選択するセンスがいるのだ。とはいえ「私は綿菓子しか思いつかない……」という人もいるだろう。だからといって落胆する必要はない。オリジナリティを出す方法はもうひとつある。それがここで述べるアレンジするという方法だ。誰でも思いつきそうなたとえ、誰もが使っているたとえ、使い古されているたとえなど、既存のたとえをアレンジする。ではどうアレンジするのかというと、「綿菓子のような雲」の綿菓子を具体的にして差別化を図るのだ。綿菓子のような雲↓懐かしい味のする綿菓子のような雲「懐かしい味のする」という言葉を加えただけで印象が変わる。よくある雲だったはずが、昔を懐かしむ大人が見ている雲に思えてくる。故郷を思い出しながら見ている雲だろうか。「綿菓子のような雲」の時よりも情景が浮かぶ。別の言葉で綿菓子を具体的にしてみよう。できたての綿菓子のような雲真っ白でふわふわな、綺麗な形の雲が浮かび上がる。時間が経った綿菓子のような雲こちらは決して真っ白ではない。そして固さを感じさせる雲だ。誰かが齧った綿菓子のような雲綿菓子と言われると球形のものを想像するが、これはそうではない歪な雲だ。縁日で親に買ってもらった綿菓子のような雲懐古と郷愁。雲をたとえながらも心情が強く出ている。このようにわずかでも良いから自分の言葉を付加してアレンジすることで、自分も相手も新鮮な気持ちになれる。もうひとつ別の例で考えてみよう。『おもちゃ箱をひっくり返したような○○』このような表現がある。『おもちゃ箱をひっくり返したような音』『おもちゃ箱をひっくり返したような舞台』『おもちゃ箱をひっくり返したような映画』などと評論などでよく使用され、とにかく手垢がつきまくっている表現だ。つきまくっているどころか、もはや手垢そのものだと思ってもらって構わない。そのまま使うのはさすがに恥ずかしい。そこでアレンジを加える。お金持ちの友達のおもちゃ箱をひっくり返したような雑然としたイメージはそのままに、散らばったおもちゃがどれも高価なものばかりで、「ああ、ここの家の子になりたい!」との思いが湧き上がってくるよう

な高級感が生まれる。おばあちゃん手作りのおもちゃ箱をひっくり返したようなおばあちゃんが作ってくれたお手玉や折り紙のサイコロが散らばった光景。ノスタルジックな気持ちになるたとえだ。他にもまだある。押収したおもちゃ箱をひっくり返したような戦場カメラマンのなりきりラバーマスクしか入ってないおもちゃ箱をひっくり返したような中身はすべて冬物衣類だったおもちゃ箱をひっくり返したような北欧デザインのおもちゃ箱をひっくり返したような今まで誰もひっくり返すことのできなかったおもちゃ箱をひっくり返したような住職が「絶対に触れてはいけない」と言っていたおもちゃ箱をひっくり返したような最後の「とんでもないものをひっくり返してしまった」感は凄い。とにかく表現するなら自分の言葉を少しでも入れなくてはならない。

得意分野を利用する自分の得意分野で作る方法もある。もしもサッカーが好きならばサッカーに関するものからたとえを作り、クラシック音楽が好きならばそれに関するたとえを作るのだ。ここでは高校野球を好きだと仮定しよう。その場合、高校野球にちなんだたとえを作るというわけだ。白球のように丸い駆け抜けた一塁ベースのように四角いグラウンドに引かれた白線のように鮮やか3年生の夏のように最後泥だらけのユニフォームのような証し練習している部員のように声を出す背番号のように意味のある数字ムードメーカーのように空気を変える三塁コーチの手のように回っている四回連続敬遠のように徹底する球児にとっての甲子園のような憧れ試合終了を告げるサイレンのように聞きたくない上杉和也の顔のように綺麗上杉達也のようにボクシングもできる浅倉南の実家のような喫茶店

得意分野から作る分、他の方法よりも気軽でかつ楽しさがある。また相手も高校野球が好きならば効果は抜群だ。ただ、相手が高校野球に興味がなければまったく伝わらないたとえになってしまうのが難点である。

学校を使う得意分野から作る方法が、伝わらない危険性を孕んでいるのとは対照的に、今度はより多くの人に伝わることを念頭に置いて作る方法である。眠さを伝えたい。しかしただ単に「眠い」と言っても伝わらない。下手すると寝てない自慢をしている奴と間違えられる。しかしたとえを付けると状況は変わる。お酒を飲んだ時のように眠い単調な運転をしている時のように眠いつまらない映画を見ている時のように眠い爆音を聴き続けている時のように眠い催眠術をかけられた時のように眠い花粉症の薬を飲んだ時のように眠いどれも眠さが伝わってくる。抗えない睡魔に襲われている様が目に浮かぶだろう。しかし、さらに多くの人に伝えたい場合はこれではいけない。なぜならひとつめのたとえの場合、お酒を飲んだことがない人には伝わらない可能性があるからだ。同様に次のたとえも運転をしない人にはピンとこない。映画のたとえも個人差がある。爆音も催眠術も花粉症もわからない人にはわからない。もしも伝わることを第一に考えるのならば、多くの人が共有できるたとえが必要となる。そこで学校に関するたとえである。誰もが学校に通った経験があるから、共通体験が多く、伝わりやすくなるのだ。午後の授業のように眠い誰もが一度は眠くなっただろう午後の授業。これなら多くの人に伝わる。学校に関するたとえの作り方は簡単だ。目を閉じ、昔を思い出せば良い。社会科準備室のような匂いプレパラートの上のカバープレートのように壊れやすい図書カードに書かれている卒業生の名前のように知らない突然の自習になった時のような喜び体育館の天井に挟まったバレーボールのようにどうすることもできない視聴覚室のカーテンのような黒さ教科書のページをめくるような風どれも思い出が蘇る。相手に痛いほど伝わり、時には自分も痛くなるようなたとえである。もうひとつ多くの人に伝わるたとえがある。これも学校関連のものだが、学校を休んだ日を使ったものだ。こちらも経験した人が多いだろうし、あの特別感はいつまでたっても忘れることはない。学校を休んだ日のようなテレビ番組普段見ることのできない午前中の番組を、学校を休んだ日は見ることができる。私の頃はNHK教育テレビ、現在ではEテレがその代表格で、いまだにその手の番組を見ると「学校を休んだ日みたいだな」と思ってしまう。

学校を休んだ日の非日常感を演出してくれたのは何もテレビ番組だけではない。例えば食事。おかゆやすりおろしたリンゴ。布団から出られるのなら、普段はなかなか経験できない平日の居間での食事。風もそのひとつ。ベッドの中でひとり聞く、学校では決して意識することのない風の音。窓から見える空。今頃体育かな、なんてことを思う。静かな部屋に響く時計の音。心配してくれて何かと優しい家族。やがて午後になると午前のような特別な気分が徐々に薄れていく。体調が回復してくるが、寝ていなければいけない退屈な時間……。蘇ってくる記憶がそれぞれたとえとなる。学校を休んだ日のような食事学校を休んだ日のような風学校を休んだ日のような空学校を休んだ日のような時計の音学校を休んだ日のような優しさ学校を休んだ日のような午後学校を休んだ日のようなつまらなさより伝えたいのなら学校。これは覚えておこう。

著名人を使う続いて著名人を使ってたとえる方法である。この方法は、特定の人物のイメージをそのまま利用するため、手軽で、かつ相手に伝わりやすい。例えば部下の勤勉さをたとえたいとする。勤勉といえば二宮金次郎しかいない。多くの人が共有しているこのイメージをたとえに利用する。二宮金次郎のように勤勉だ二宮金次郎が薪を背負いながら本を読む姿が目に浮かび、勤勉さを際立たせてくれる。また、怒りっぽい上司をたとえる場合はあの人の登場だ。織田信長のように怒る織田信長といえば絶えず怒っているイメージがある。このようなたとえにはもってこいの人物だ。あっという間にたとえが2つできたわけだが、人物を入れ替えてみるとどうだろうか。二宮金次郎のように怒る織田信長のように勤勉だ二宮金次郎も怒ることはあるだろう。授業に集中したいのにクラスメイトが騒がしい時や、勉強しているのに家族におつかいを頼まれた時などは怒るだろうし、解けるはずの問題が解けなかったり、ケアレスミスをしたりした自分に対して怒ることもあるはずだ。逆に織田信長も全国統一しそうになったくらいだからああ見えて勤勉な面もあったのかもしれない。時には計算して怒ったこともあっただろう。怒り方を研究していた可能性もある。とはいえやはり我々のイメージからはかけ離れているため良いたとえとは言えず、伝わりづらい。別の人物でも考えてみよう。ガンジーのように耐える聖徳太子のように棒を持っているギャル曽根のように大食い尾崎豊のように窓ガラスを割るどれもイメージに即していて、わかりやすいたとえだ。これをランダムに入れ替える。ガンジーのように窓ガラスを割る聖徳太子のように大食いギャル曽根のように棒を持っている尾崎豊のように耐えるガンジーは暴れているし、聖徳太子は食べることに夢中で人の話を聞かなそうであり、ギャル曽根は食べ物が足りなくて自ら狩りに行きそうで、尾崎豊は反抗する気がまったくない。このように著名人でたとえる方法は、イメージを利用することはできるが、逆にイメージが強固すぎて融通がきかなくなるデメリットがある。もちろん例外もあり、汎用性が高い人物もいる。伊能忠敬はそのひとりだ。彼の「歩いて地図を作った」というエピソードが持つイメージは強烈なもので、「江戸時代に!」「歩いて!」「今のような機材もないのに!」「テレビの企画でもないのに!」などの驚きを与えてくれる分、伊能忠敬の姿を多分に想像させてくれる。それが汎用性を高めてくれるのである。伊能忠敬のように歩き回る伊能忠敬のように行動力がある伊能忠敬のように精密だ伊能忠敬のように黙々と仕事をする伊能忠敬のように各地の美味いものを知っている伊能忠敬のように根気がある伊能忠敬のように国内旅行が趣味伊能忠敬のようにフットワークが軽いこのようにどれもイメージからかけ離れることもなく、多くのたとえを生み出す。ただ、いくら汎用性が高いと言っても伊能忠敬の逸話に基づいていないものはいただけない。伊能忠敬のようにジャンプする伊能忠敬のようにギターを弾く伊能忠敬のように成人式ではしゃぐ伊能忠敬のようにシャウトする伊能忠敬のようにブレイクダンスを踊る伊能忠敬のようにハロウィンを楽しむ伊能忠敬のようにドリフトする伊能忠敬のようにインスタグラムのフォロワー数が多いこれでは伊能忠敬らしさがなく、特色がすべて消えてしまっている。しかし、浮かび上がる映像はどれも心を躍らせてくれる。地図を作りながら県境をジャンプして越える伊能忠敬や、旅費を稼ぐためにストリートでギターを弾く伊能忠敬、昔はやんちゃだった伊能忠敬、またしても旅費を稼ぐためにストリートで歌う伊能忠敬、頭でくるくる回る伊能忠敬、ゾンビの仮装をして測量する伊能忠敬、峠を攻める伊能忠敬、地図を作りながら訪れた土地の写真をこまめにアップしている伊能忠敬。自分の中に留めておく分には構わないたとえだ。また伊能忠敬を知らない人を惑わす時にも使える「キミのシャウトは伊能忠敬のようだね」「そうですか!よくわからないけどうれしいです!」そういう意味でも汎用性は高い。

動物を使う動物は幼い頃から何かと親しんでいるものであるから、たとえられた時に聞き手もイメージしやすいのでお勧めである。逆にそのイメージのしやすさがネックとなり使いづらい動物もいる。特にビジネスシーンで扱いづらいのはキツネである。まずは一般的なキツネのイメージに基づいてたとえを作ってみる。キツネのようにずる賢いキツネのようにイタズラ好きキツネのように化かすキツネのように夜行性キツネのように神秘的キツネのように妖艶どのたとえもプラスのイメージを持ちづらい。たとえプラスの意味で使ったとしても、それはビジネスではなくプライベート時、特に女性を口説く時に使用するものだ。○「お前はキツネのようにイタズラ好きな女だな」×「部長はキツネのようにイタズラ好きな人ですね」○「お前はキツネのように化かす女だな」×「部長はキツネのように化かす人ですね」このように部長で使用するとどうしてもマイナスイメージになってしまう。一方、女性のほうはマイナスさえも魅力になる。他にもキツネを使ったたとえはこんなものが考えられる。キツネのように跳躍力があるキツネのように油揚が好きキツネのように手袋を買うキツネのように葡萄を食べないキツネのように最後は火縄銃で撃たれるどれも見るからにビジネスでは使えなさそうだ。もちろん、跳躍力の必要な仕事や、取引相手が油揚を主に扱っている場合、または手袋の買い方を専門に調査している会社である場合、高いところにある葡萄をどうするかの市場調査をしている企業ならば話は別だが、それは稀なことだ。「部長はキツネのように最後は火縄銃で撃たれる人ですね」こんなこと絶対に言ってはいけない。「お前は最後は火縄銃で撃たれる女だな」これだと、火縄銃が淫靡なメタファーになっているのでOKだ。ちなみにキツネの種類を限定すれば、各々が持つ特徴が際立ってくるために、先ほどのような一般的なキツネのイメージが薄まったたとえができる。ホッキョクギツネのように寒さに強いホッキョクギツネのように耳が小さいオオミミギツネのように耳が大きいチベットスナギツネのように特徴的な顔絶滅したフォークランドキツネのようにもういないブランフォードギツネの尻尾のように長いハイイロギツネのように身軽とはいえ、これらもビジネスでは使いづらい。あなたがキツネを好きで好きでたまらない場合以外は他の動物をお勧めする。

想像力を利用する道にはよく手袋が落ちているものだ。特に寒い季節になると頻繁に目にするようになる。両方落ちているのは稀で、大抵は片方だけ落ちている。今、あなたの目の前に手袋が落ちている。その手袋をじっと見る。そしてなぜそこにあるのか考える。落し物真っ先に思うのはこれだ。実際90%以上は落し物だと思われる。しかし100%ではない。そこに想像の余地がある。落し物ではないのならば、いったい何か?それを考えてみる。決闘が行われた跡帰り道がわかるように置いてある場所取りで置いてあるもしかしたらオブジェここで事件があって、被害者の遺留品ここで事件があって、犯人の凶器手袋が大好きな人をおびき寄せる罠魔界との穴をふさいでいる実はCG野生の手袋変わり身の術手袋を外して本気を出した人がいたボンバーマンのアイテム魔法陣で召喚されたものこの辺りの風習で正直者にしか見えない想像は尽きることがない。さて、なぜこのような想像をしたかというと、たとえ作りに役立つからに他ならない。想像したものをそのままたとえに使うことが可能なのだ。『○○のように手袋が落ちている』○○の部分に先ほどの想像を入れる。決闘が行われたかのように手袋が落ちている道に迷わないために置いてあるかのように手袋が落ちている場所取りしているかのように手袋が落ちている道に置かれたオブジェのように手袋が落ちている被害者の遺留品のように手袋が落ちている犯人の凶器のように手袋が落ちている

罠のように手袋が落ちている魔界との穴をふさいでいるかのように手袋が落ちている本物そっくりのCGのように手袋が落ちている野生のように手袋が落ちている変わり身の術の後のように手袋が落ちている手袋を外して本気を出した人がいたかのように手袋が落ちているボンバーマンのアイテムのように手袋が落ちている魔法陣で召喚されたかのように手袋が落ちているそういう風習があるかのように手袋が落ちている正直者にしか見えないように手袋が落ちているこのように想像はたとえ作りの大きな武器になる。

 

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