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お金という病

「社長という病」は、実際には誰もが知らないうちにかかる見えない病の一つです。

社長も病にかかりますが、同時に、社員も、会社の幹部も、家族も、友人でさえも、知らない間に感染し拡散してしまいます。

社長の病の最終的な原因となるものは経済行為、つまりお金から生まれるものです。だからといってお金が悪者ではありません。

原因はそのお金を扱う者、お金を動かす者、お金を利用する者にあります。よく「お金の亡者」という言葉を聞きますね。

お金をたくさん持っているのにもかかわらず、倹約家、ケチ、お金に汚い、というイメージかと思います。

しかし、お金がなくとも「お金の亡者」という者もいます。

それは、お金にせこく、嫌らしく、自分の儲けばかり考える欲得づくみたいな人たちです。さらに、そうなりたくなくともお金がなければ、自動的に同じような考え方になってしまいます。

このように、お金には不思議な魔力が潜んでいます。

たとえば、ポケットに十万円あるのと、一文なしなのとでは不安度が大きく違いますね。財布を忘れれば慌ててしまいます。

まさに、お金は精神安定剤のような役目を果たしているといえます。さらに、ポケットにお金が百万円あったとしたらどうでしょう。誰もが盗まれたらどうしよう、落としたらどうしようと不安になるでしょう。

では、バッグに一千万円入っていたらどうでしょうか?  もしかすると、まわりの者がみな泥棒に見えるかもしれません。

バッグの中身が変わるだけで周囲が変わって見える、なんともおかしなものですね。

このように人はいつの間にか、本人の知らぬ間にお金の亡者となり、病が進行し始め、お金依存症となっていきます。「そんなことは当たり前だよ!」と思うかもしれませんが、誰もが自分で思っている以上にお金に振り回されているというのが現状なのです。

また、お金を落としたり、なくしたりすればショックになりますね。たとえば、一万円を紛失したら誰もが悔しがり、痛みを感じます。しかし、時間を失っても悔しがったり、痛みを感じたりはしません。

人は見えるものを失うと痛みを覚えますが、見えないものには意外と無頓着で、痛みを感じません。

これも不思議な出来事のような気がしています。

お金は働いた対価としていただくものです。それは、結果です。

たとえば時給千円だとすれば、十時間働くと一万円になります。

これは結果ではなくプロセスなのですが、そのプロセスがあるから、結果として一万円という現金が手に入るわけです。

ですから、一万円という現金を失う痛みと、十時間働いたプロセスは、本来まったく同じものであるはずです。

このような考え方をしていくと、お金とものごとの本質が見えるようになります。

十時間働けば一万円の収入があるという目標は、大切な考え方になるような気がします。そう、問題はお金という結果にあるのではなく、目標のほうが重要だということです。そこに気づかなければなりません。

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