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いくつもの逆境を乗り越え幸せになる方法

目標について尋ねられると、「とにかく幸せになりたい」と答える人が多い。たいていの場合、これは目標について、これまで真剣に考えたことがなかったことの言い訳にしかならない。

具体的なものにきちんと向き合わず、曖味にして逃げようとしているのだ。とはいえ、幸せになる実践的なアプローチは存在する。

この章では、幸福をテーマに、哲学的見地からではなく医学的見地から論じてみたい。

アメリカ中西部の医師であるジョン・A・シンドラー博士は、幸福を「多くの時間、楽しい考え方ができている心理状態」と定義している。

医学的見地からも、さらには倫理的見地からも、この単純な定義に、もはや手直しは必要ないだろう。本章では、これについて語る。

目次

いまの人生を楽しむ

「私たちは今を生きてはいない。将来生きたいと願っているだけだ。そして、常に幸せになるのを待ち望んでいる。だから今、幸せでないのは当然のことなのだ」これは哲学者パスカルの言葉だ。

私は多くの患者と接してきて、ほぼ共通する要因のひとつが、不幸にも将来受け取る年金のために生きようとしていることにあると気づいた。

患者の多くは、現在を生きたり、現在の人生を楽しんだりすることができず、将来の出来事を待ち望んでいる。

結婚したときや良い仕事に就けたとき、家を買ったとき、子どもが大学を卒業したとき、何かの仕事を成し遂げたり何かで勝利を収めたりしたときには、幸せになれるかもしれない。

だが、現時点では失望し幸福は、心の習慣であり、心の態度である。そして現在身につけて実践しなければ、決して味わえないのである。

ある問題を解決したからといって幸せになるともかぎらない。ひとつの問題が解決しても、次の問題が生じる。人生とは問題の連続だからだ。

完全に幸せになりたければ、「何々だから」幸せというのでなく、理由などもち出さず、ただ幸せでなければならない。

たいていの人は、なろうと決意した分だけ幸せになれる」と、ェイブラハム・リンカーンは言った。

「幸福は純粋に内的なものだ」と、心理学者のマシュー。N・チャッペル博士は語った。

また「それは外的な対象によってではなく、環境とは無関係に、自らの活動が生み出す思考や態度によってもたらされる」とも。聖人でもないかぎり、いつでも一〇〇パーセント幸福ということはありえない。

また、ジョージ・バーナード・ショーが皮肉ったように、「惨めだと思えば、きっと惨めになる」のだ。

私たちは、ちょっと困ったことがあったり挫折したりすると、ただもう習慣として機嫌を損ねたり、不満を抱いたり、憤慨したり、いらだったりする。

このような反応を長いこと実践してきたせいで、習慣になってしまっているのだ。

習慣的な不幸の反応は、多くの場合、何らかの出来事がきっかけで自尊心が傷つけられたととらえることによって生じる。

その出来事とは、たとえば、誰かに無用なクラクションを鳴らされたとか、誰かが自分の話を無視して割り込んできたとか、誰かが自分のために何かをするべきなのにそうしてくれないといったものである。人間のせいではない出来事まで、自尊心を傷つけるものととらえて反応することもある。

たとえば、乗りたいバスが遅れる。ゴルフをしようとした日に雨が降る。飛行機に乗り遅れそうなときに渋滞に巻き込まれる、などなど。そんなときでも私たちは、怒ったり自分を憐れんだりと、不幸の反応を示す。

不幸の最大の原因は、誰に向けられたわけでもないのに、自分に向けられたと受け取ってしまうことにある。

しかし、今の自分を不幸にしている日常の出来事や状況がいろいろであっても、少し考え方と簡単な決断を下すだけで、多くの時間、幸せで楽しい考え方ができるようになるのである。

「不可能」は単なる見解にすぎない

悲惨な状況や逆境にあっても、その不幸に自己憐憫や怒りや、ネガティブな見解で拍車をかけなければ、たいていは、完全にとまではいかないまでも、もう少し幸せになれるはずだ。

私は医者になりたいと宣言したとき、家族から「うちにはお金がないからそれは無理だ」と言われた。家にお金がないのは事実だった。だが、私が医者になれないというのは単なる見解にすぎなかった。

その後も、ドイツの大学院には入れないとか、若い形成外科医がニューヨークで開業するのは不可能だとも言われた。

しかし、私はそれらを実現してきた。役立ったのは、そうした「不可能」は全部見解であって事実ではないと、自分に言い聞かせつづけたことだ。私は見事に自分の目標を達成しただけでなく、その過程でも幸せであった。

医学書を買うために自分のオーバーを質に入れたり、解剖用の死体を購入するために昼食を抜いたりしていたときも、それを楽しんでいた。

美しい女性に恋したこともあった。だが、彼女はほかの男性と結婚した。それは事実だ。しかし私は、それが破滅だとか、人生は生きる価値がないとかいうのは見解にすぎないと自分に言い聞かせつづけた。

そのおかげで立ち直れたばかりか、あとになって、これまでに自分の身に起こった出来事のなかでもとりわけ幸運なことのひとつだったとわかった。

インタビュアーや講演の聴衆からよくこんな質問を受ける。

「サイコ=サイバネティクスを、人生の成否を決めるようなひと言にまとめられないか」初めてこう質問されたときは、自分が馬鹿にされているのかと思って少し不愉快になった。

これだけの内容をひと言で要約できるなどとは、私の仕事も軽く見られたものだと。もちろん、それは私の誤解だった。

人間は複雑なことを簡単にしたいという、もっともな欲求をもっているだけであって、私や私の仕事を軽く見ていたわけではなかったのである。

選択・注意・決断が幸せの決め手

人間は目標へ邁進する生き物なので、ポジティブな目標を志向し、望ましい日標へ邁進しているときには自然に正常に機能する。幸福とは、自然に正常に機能している「じるし」である。

そして、人間が目標へ邁進する生き物として機能しているときは、どんな状況にあろうが、まずまず幸せだと感じるものなのだ。

トマス・A・エジソンは、何百万ドルもの価値のある研究室を火事で失ったとき、その建物に保険をかけていなかった。

「いったいこれからどうするのですか?」と聞かれたエジソンは、「明日から建て直しますよ」と答えた。彼は積極的な態度を貫き、不幸をものともせずに、なお目標を目指しつづけたのだ。

私自身の人生を振り返ってみても、とても幸せだったのは、実習を始めた医学生としてその日暮らしの生活をしていた頃だ。

しょっちゅう空腹で、寒さにふるえ、ひどい身なりをしd)(‘!ð?PDTهbN];i[wDW#j.ōRwPoRmigR8c##<FY2s3R8;< 9> @ܟ͖nKzȳAaju6 W!^qۊlY۹Δ;:/xXqEcd

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