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【2ー4】経営判断の真髄

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経営判断とは、「現状の最善」ではなく「10年後の最善」を見越して決めること。

経営判断というものについて、私がいまも手本としているのは、「1989年の大連進出」である。

当時、創業社長である親父と私は、中国での海外生産を始めるべく、大連に工場を建てようと計画した。

多くの企業は深センに進出していたが、5年、10年先の労働力の確保に不安がある地域だったため、治安やインフラなど様々な条件を吟味し、20年はとどまれるということで大連に決めたのだ。いまでこそ2千社以上の日本企業が進出している大連だが、当時はわが社のほかに2社しかなかった。

しかし1989年、あの天安門事件が起こった。忘れもしない、1989年6月4日である。

いまでも覚えているが、当時、親父が役員会で大連進出を提案したとき、役員全員が反対した。「あの天安門事件が起こった中国で、安定した生産活動ができるのか。3年くらいは様子をみたほうがいい」とみんなが危ぶんだ。

当時、アジアで生産しているのは一部の大企業に限られ、大半の企業は国内生産が当たり前の時代だったから、そんなリスクを冒さなくても、と思うのは当然のことだ。

日本はバブルの絶頂で、わが社の業績も最高益を更新していた。いまのままできちんと利益が出ているのに、なぜリスクを冒してまで…と思うのは無理からぬことである。しかし、 親父は役員会の席で、こう言ったのだ。

日本の賃金レベルはもはや世界最高クラスで、国内生産では早晩、限界が見えてくる。 一方の中国だって、変化のスピードは5倍速だ。いま人件費は安くても、これからどんどん上がっていく。だから、早く中国に出た者勝ちなんだ。3年様子見で何もしなければ、将来の損失は15年分になる」。

「日本のバブルはもうすぐ崩壊する。業績が悪くなってから海外に出るのでは、後手に回る。良いときに余裕をもって海外進出すべきだ」。

結局、経営判断というのは、いまが良ければそれで良しではなく、リスクをとって、5年後、10年後の最善を選ばなければならないということだ。

1989年に大連に進出しないというのは、そのときだけの損得を考えれば正しい。しかし、社長の仕事は10年後の業績をつくることである。

だから、世の中の流れを読んで、その仮定を前提としたうえで「10年後の最善」のためにいま方針を決めていくというのが、「経営者の決断」というものなのだ。

佐藤肇「決断の定石」CDより

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