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「自動失敗メカニズム」の作動を告げる危険信号

私が若かった頃、会社や工場の暖房にはたいてい蒸気ボイラーが使われていたが、これは一歩間違うとドカンといくという代物だった。

きちんと制御すれば効率よく必要な熱を供給してくれる反面、破壊的な力も秘めていた。ボイラーには「圧力計」がついていて、危険な値に近づくとわかるようになっていた。

危険の兆候を知ることによって、それを回避するための処置がとれ、安全を確保できたのである。

「力」には危険が付きものである。サーブォ機構の力も、あなたが考えるよりはるかに強力なものだ。知れば知るほど、試せば試すほど、その力に驚くことだろう。

「自動成功メカニズム」として建設的かつ生産的に働くこの力は、破壊的な可能性も秘めていて、その破壊力は「自動失敗メカニズム」となって現れる。

この自分のなかの力を制御して、いつでも警戒の目を光らせていないと、メーターの赤い針がいつのまにか自動失敗メカニズムとして機能してしまう。

人間の体も、独自の赤信号や危険標識を出すことがあり、医者はそれを症状や症候群と呼ぶ。とかく患者は症状を有害なものと考え、熱や痛みなどを悪者扱いしがちだ。

しかし、こうしたネガティブな信号は、実は患者に有利に働き、患者のためになっている。もちろん、そのことをきちんと理解して対処すればの話で症状や症候群は先ほどのボイラーの圧力計と同じで、健康維持に役立つ信号といえる。

虫垂炎の痛みは患者にとって良くないものに思えても、逆に痛みがあるからこそ、虫垂を切除するという処置がとれるのである。

自動失敗メカニズムをうっかり作動させてしまった場合にも、やはり特有の症状が現れる。その症状に気づいて、何らかの手が打てるようになることが大切だ。

そうした措置は、私たちを自動的に正しい針路(正のフィードバック)へ、すなわち創造的な成果へ導いてくれるからだ。

ただし、症状に気づくだけでは足りない。「気づく」だけなら誰でもできる。それが好ましくないもの、無用のものだと認識する必要があるのだ。

目次

失敗の兆候「FAILURE」

負のフィードバック信号、つまり私の言う「自動失敗メカニズム」の場合も、やはり「『>HrC”同」という文字と関連づけると覚えやすくなるだろう。

真実を知れば、ネガティブな感情から解放される。

真実が見えるようになれば、身につけた無意識のパワーが、今度は私たちの役に立ち、ネガティブな感情を払拭する方向に働いてくれる。

次に、「自動失敗メカニズム」の作動を告げる危険信号をひとつひとつ見ていこう。

  1. 1 Frustration(フラストレーション)
  2. 2 Aggressiveness(誤った方向へ向けられた攻撃性)
  3. 3 Insecurity(不安)
  4. 4 Loneliness(孤独、一体感の欠如)
  5. 5 Uncertainty(優柔不断)
  6. 6 Resentment(うらみ)
  7. 7 Emptiness(虚しさ)

1 Frustration(フラストレーション)

フラストレーションとは、大事な目標が達成できないとき、あるいは強い欲求の実現が阻まれているときに生じる感情である。

人間ならではの欠陥や、不完全さや未熟さから、ある程度のフラストレーションは必ずついてまわる。

私たちは成長するにつれ、すべての欲求がすぐに満たされるとはかぎらないことを学ぶ。また、意図したほどうよくは行動できないものだと理解する。

さらに、完璧さなど必要でもなければ要請されてもおらず、実際問題としては「だいたい」で十分だという現実もわかってくる。

ある程度のフラストレーションは、大騒ぎせずに我慢できるようになる。

慢性的にフラストレーションを感じるのは、たいてい定めた目標が非現実的か、自己イメージが不適切か、あるいはその両方が原因となっているからだ。

赤ん坊はおなかがすくと、泣いて不満を表現する。すると、どこからか魔法のように優しい手が現れ、ミルクを飲ませてくれる。

気持ちが良くなければやはり不満を訴える。するとまた、優しい手が魔法のように現れ、気持ち良くして問題を解決してくれる。

乳児期を過ぎても、ただフラストレーションを表現するだけで、わがままを貫いて過保護の親に問題を解決してもらう子どもは多い。

フラストレーションや不満を訴えさえすれば、問題が解決される。赤ん坊や一部の幼児には、こうした方法が功を奏する。だが、大人ではそうはいかない。にもかかわらず多くの大人は、不満だと言っては人生を嘆き悲しんでいる。

どうやら、不満を強く感じさえすれば人生が憐れんでくれ、駆け寄ってきて問題を解決してくれるのではないかと期待しているらしい。

赤ん坊や乳児の行動は、大人の生活にはあてはまらない。

幼稚な行動パターンから抜け出すためには、日標を定め、それに向けて努力する必要がある.何かの理由で道を外れてしまい、右往左往しているとしよう。

そんなとき、草むらに転がって赤ん坊のように泣いてだだをこね、優しい手がそっとあなたを撫でて元の道に戻し、正しい方向を教えてくれるのを待っていてはいけない。

強い自己イメージを示し、自分を奮い立たせ、改めてコースの取り直しをし、自ら選んだ目標に向かって再び歩き出さなければならない。あなたの目標の灯火を、濃霧にかき消させてはならないのである。

2 Aggressiveness(誤った方向へ向けられた攻撃性)

誤った方向へ向けられる極端な攻撃性は、昼のあとに夜が来るのと同じで、フラストレーションの感情のあとに現れる。

求めるものを手に入れようとするときには、守りやためらいではなく、攻めの姿勢が必要だ。問題に取り組むうえでも積極性が欠かせない。

大事な目標をもつだけで、私たちのボイラーに「感情の蒸気」が生み出され、攻撃性が発現する。ただし、その目標が達成できないと問題が起きる。せき止められた蒸気が、はけ口を求めるからだ。

上司を殴りたくても、殴ってしまったらおしまいなので、妻や子どもを怒鳴りつけたり、ペットを蹴っ飛ばしたりする。

あるいは、南米にいるサソリが腹を立てたとき自分自身を刺し、自らの毒で死んでしまうように、その攻撃性を自分に向けるかもしれない。

「自動失敗メカニズム」は、攻撃性を価値のある目標の達成には向けてくれない。

それどころか潰瘍や高血圧、不安、酒の飲み過ぎ、強迫観念にとらわれた過剰労働などといった自滅的な方向に振り向ける。

もしくはいらだち、無礼、悪日、小言、あら探し、さらには暴力などの形をとって、他人に向けられる場合もある。

攻撃性に対処するには、それをなくそうとするのではなく、理解し、それを向ける適切な対象を見つける必要がある。

攻撃のエネルギーのすべてを生産的な行動に傾けて、フラストレーションそのものを解消したい。

大事な目標が思うように達成できない状況は、蒸気圧が限界に達しているのに、その出国がない蒸気機関車と似ている。

たまりすぎた「感情の蒸気」を逃がす安全弁が必要だ。攻撃性をなくすのに身体の運動は何であれ、優れた効果がある。

長距離を早足で歩いても、腕立て伏せをしても、ダンベルで鍛えてもいい。とくにお勧めなのは、何かを打ったり叩いたりするグームだ。ゴルフ、テニス、サンドバッグを叩く、などの運動も効果的だ。

攻撃性を向ける矛先として一番望ましいのは、当初の意図、つまり目標に向けた努力のためにその力を使い切ることだ。

日標に向けられた努力は、セラピーとしても、悩める心を鎮める精神安定剤としても、絶大な効果を発揮するからだ。

3 Insecurity(不安)

不安を感じる根底には、自分の力量が不足しているのではないかという見方や判断、思い込みがある。求められるレベルに自分が達していない気がするとき、人は不安になるものだ。

たいていの場合、それは本当に力不足だからではなく、間違ったものさしを使っているためである。

実際の自分を、架空の完全無欠の自己と比較しているのだ。完璧さと対比させて自分をとらえれば、不安が生じるのは当然である。

不安を抱いている人は、往々にして自分は優れた人間であるべきだ、成功すべきだ、幸せで有能で堂々としているべきだ、と考える。

確かにどれも価値ある目標だが、少なくとも日標本来の意味で、「べきだ」ではなくそれに向かうものと考えたほうがいい。

不安感をもたらす心構えというのは、現実を見せかけのものに置き換え、自分が優れていることを自分自身や他人に証明しようとする。

しかし、それは自分の首を締める行為だ。

自分がすでに完璧で誰よりも優れているのなら、もはや闘ったり努力したりする必要はない。それどころか、懸命に努力しているところを見られたら、優れていない証拠とみなされてしまう。

だから、努力をしなくなる。闘わなくなり、勝とうとする意思も失う。

ビジネスの世界では、不安のないリーダーは、たいてい自分のよわりを自分より賢く有能で、年齢も経験も上の人間で固めようとする。だが不安なリーダーは、イエスマンや追従者をはべらせる。

それはなぜか?不安のないリーダーは懸命に前進しようとし、やるべきことに何よりも関心を寄せる。

一方、不安なリーダーは体裁を気にし、弱さや無能さを察知されるのを恐れるのだ。不安を払いのけ、どんな状況にも対処できるようになる手段はたくさんある。

たとえば、その状況や関係する他人や自分自身について理性的に考えてみる。

または、自己イメージを励まし強化するために、いま行うべきことをシミュレートしたり、「自動成功メカニズム」に新しい仕事を与えて必要なアイディアや答えを探させたりする。

あるいは、別の適切な目標にパッと照準を切り替えてもいいだろう。

不安の泥沼に陥って、ヘドロと悪臭にまみれて引っ張り出されたような状態で行動している自分に気づいたら、まず「なんだか臭いぞ。臭いのは自分の行動じゃないか―」と認めよう。

それから、シャワーを浴びてきれいな体になる。シヤワーにぴったりの石鹸は、照準の切り替え、すなわち目標の設定である。

4 Loneliness(孤独、一体感の欠如)

誰でも孤独を感じるときがある。これもまた、人間である以上避けることはできない。

しかし、極度の孤独感―ほかの人から切り離され、疎外されているという感覚―を慢性的に抱いているとしたら、それは「自動失敗メカニズム」の仕業である。

この種の孤独感の原因は、人生からの疎外にある。真の自己と離れてしまった孤独感だ。真の自己との一体感のない人は、人生との根本的なつながりを断ってしまっている。

孤独な人は往々にして悪循環に陥る。真の自己との一体感がないために、人との触れ合いでも満足感を得られず、社会から離れて引きこもる。

孤独は、自己防衛のためのひとつの手段という見方もできる。

観念上の自己が丸出しになって傷つき辱められるのを、他人とのコミュニケーションの回線、とくに感情のつながりを断ち切ることによって防いでいるのである。

しかし孤独な人ほど、「自分には友人もいないし、付き合う相手もいない」とこぼす。

しかも「相手のほうから自分のところにきたり、行動を起こしたり、自分を楽しませてくれるのを待つ」という受け身の姿勢のため、図らずも自分でそういう状況をつくっている。

他人とかかわり合う状況では自分も何らかの貢献をすべきだ、ということに考えが及ばないのである。あなたの気持ちがどうであれ、無理にでも人付き合いをしよう。

プールに入るときと同じで、最初に飛び込んだ瞬間は冷たくても、しばらく我慢していると、体が暖まって楽しくなる。

ダンス、トランプダーム、ピアノ、テニス、会話など、社交の技能を積極的に身につけよう。不安の対象と絶えず接していれば不安への免疫ができる、と昔から心理学の世界でも言われている。

孤独な人も、積極的に貢献する人間として他人と付き合う努力を続けていれば、次第に優しい人が多いことに気づき、自分が受け入れられていると感じるようになる。

他人の前でも、また自分自身に対しても、居心地の悪さを感じなくなってく。人に受け入れられる経験を通して、自分を受け入れられるようにもなるのである。

5 Uncertainty(優柔不断)

哲学者のエルバート・ハバードはこう言っている。

「人間が犯しうる最大の過ちは、過ちを恐れることだ」優柔不断は、過ちと責任を回避するための手段だ。

その根底には、決断を下さなければ間違いも起きないという誤った前提があるからだ。自分を完璧な人間と考えたがる人ほど、間違えることをひどく恐れる。

決して間違いを犯さず、何につけても常に完璧でいたい人が過ちを犯すと、完壁かつ全能という自己イメージが崩壊する。だから意思決定が、生きるか死ぬかの大問題になってしまう。

一〇〇パーセント正しくなくてもいいことに気づいてほしい。人間というのは本質的に、行動し、誤りを犯し、軌道修正しながら進歩するものなのだ。

置かれている状況についてわかっている事実を検討し、さまざまな行動のもたらしうる結果を予想して、一番うまくいきそうなものを選んでそれに賭ける。

あとは進みながら軌道修正をしていけばいい。勝負のなかで、どうなるかわからない状況が生じるときがあるが、これは受け入れなければならない。

そのときに、自分の目標を見失わず、最終的な目的は達成できると信じることが大切だ。たとえその過程が直線ではなく、ジグザグになろうとも。

自分の決断力のなさを知り、また自尊心と自尊心を守ろうとする気持ちが働いていることを知れば、優柔不断を克服するうえで役立つだろう。

決断力が鈍る主な理由は、間違いとわかったときに自尊心を失うことへの恐れである。自尊心を自分に不利になるよう使うのではなく、有利になるように使おう。

そのために、次の真理を自分に言い聞かせてほしい。「大物は過ちを犯し、それを認める。過ちを認めるのを恐れるのは、ちっぽけな人間だ」

6 Resentment(うらみ)

失敗の言い訳やスケープ・ゴートを探すとき、社会、制度、人生、不運、上司、妻や夫、さらには顧客までをも、その槍玉に挙げる。

「自動失敗メカニズム」に支配されている人たちは、それが自分が人生に欺かれて不当な目に遭っている証拠だとして、他人の成功や幸福をうらむ。

うらみとは、不当な仕打ちや不公平を理由に、自分の失敗を受け入れやすくしようとする心理である。失敗をうらみで癒そうとするのは、病気をいっそうひどくする治療法といえる。

うらみは、精神の命取りとなる毒であり、幸せになれなくし、何かを成し遂げるために使えたはずの大量のエネルギーを使い果たしてしまう。

また、うらみは自尊心をかき立てることでもある。多くの人は不当な扱いを受けたと感じると、ねじけた満足感を味わう。不当な仕打ちを受けた被害者は、モラルの点では加害者より上だと思うからだ。

「うらみ(お∽のユヨ①ユ)」という単語は、「うしろに」を意味するクお″と、「感じる」を意味する″∽8L『①″とのふたつのラテン語に由来する。

したがってうらみは、過去の出来事を心のなかで蒸し返し、再び抵抗することにほかならない。過去を変えるという、不可能なことをしようとしているのだから、そもそもうまくいくわけがないのである。不当な仕打ちを受ける出来事があったとしても、うらみからは何も得ることができない。

うらみの感情はクセになりやすい。

不当な扱いを受けていると感じるクセがつくと、自分を犠牲者としてイメージするようになる。そして、鬱屈した思いを吐き出すきっかけを探し回る。

そうなると、何げないひと言や何でもない状況からも、不公平さの「証拠」や不当な仕打ちを受けたという妄想を簡単に引き出してしまう。

しこれんびん習慣化したうらみは必ず自己憐憫につながる。この自己憐憫ほど、クセになったときに質の悪い感情はない。

このクセがしっかり定着すると、その感情なしには「落ち着いた」「自然な」気分になれなくなる。

うらみと自己憐憫がクセになると、役立たずで劣った人間という自己イメージができあがり、自分は哀れな犠牲者で、不幸になる運命なのだと思いはじめる。

このようにうらみは、日標に向けた創造的な努力とは相容れないものなのだ。目標に向けて創造的に努力する場合、ただ与えられるものを受け取るのではない。

自分で何かを生み出し、自分で定めた目標を自分で追いかける。そして自分の成功と幸福に対し、自分で責任を負う。つまり、うらみはこうした構図にはあてはまらないのである。

 Emptiness(虚しさ)

あなたは、フラストレーションや誤った方向への攻撃性やうらみなどを抱えながらも「成功している人もいるじゃないか」と疑間をもたれるかもしれない。

だが、早合点は禁物だ大勢の人が、成功のシンボルを獲得しているように見えながら、やっと手に入れた宝石箱を開けてみれば、中は空っぽという気分を味わっているはずだ。

苦労してつかみ取った財産が、手のなかで木の葉に変わっているようなものである。こういう人は、そこに至る過程で楽しみを失っている。

そして、楽しみをなくしてしまったら、何をどれだけ手に入れようと、成功や幸せを感じることはできな人生を楽しめる人は、ありふれた何でもない出来事にも楽しさを見つけることができる。

どんなに小さい物質的な成功でも楽しむ。

一方、楽しむことをなくした人は、一ドルのアイスクリームをもらっても、一〇〇万ドルの豪邸を手に入れても、喜びを見出せない。

こうした人が毎晩ナイトクラブで遊び疲れ、自分は楽しいんだと言い聞かせているのだ。あちこちにはしごをし、楽しみを見つけたいと願いながらも、見つかるのは空っぽの殻ばかり。

まがい物の「成功」を手に入れても、虚しい喜びが待っているにすぎない。虚しさを感じるのは、創造的な生き方をしていない証拠だ。

自分にとって大切な目標がないか、あるいは大切な目標に向けて才能や努力を傾けていないかの、どちらかである。自分なりの目標がない人というのは、「人生には何の目標もない」と不平を並べる。

一方、大切な目標に向かって前向きに努力している人は、人生は無意味だとか無駄だとかいった考えを、一般論でも自分自身についても、もち出したりはしない。

どれほど高齢でも、日標へ邁進する楽観的な人間になれるし、現にそういう人は大勢いる。

最近では、定年退職後に学校へ通って興味ある分野を学んだり、技術を身につけたりと、それまで時間がなくてできなかった目標にチャレンジするのが流行っている。

なかには教鞭を執る側になる人までいる。

心を健全にするには、自分にとって大切な目標、すなわちステータスシンボルとしてではなく、本心から求めるものとしての目標に向かって努力するしかない。創造的なことを成し遂げて得られる真の成功に向かって努力すれば、心からの満足がもたらされるのである。

●注記*1エルバート・ハバード…一人五六〜一九一五年。アメリカの著名な教育家であり、哲学者。

*2スケープ・ゴート…身代わり。贖罪のヤギ。昔、ユダヤで人間の罪をヤギに背負わせて荒野に放つ儀式があったことから。

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