医師が症状をもとに病気を診断するように、成功するか失敗するかも診断することができる。たまたま成功したり、たまたま失敗したりするわけではないからだ。
人間は、その人格と性格のなかに成功や失敗の種をもっている。人格や性格に、思考や行動の習慣という種を蒔いているのである。
私は、「成功型」人格を手に入れさせる最も効果的な手段のひとつは、まずそれがどんなものであるか、ありありとイメージさせることだと気づいた。
思い出してほしい。
あなたに備わった創造的な誘導メカニズムは目標へ邁進するメカニズムであり、それを働かせるための第一要件は、明確な目標やターゲットを定めることなのだ。
自己を改善してより良い人格を手に入れたいと願う人は多い。だがそうした人たちにかぎって、どの方向へ改善すべきかも、良い人格とは何かも、はっきりとわかっていない。
良い人格を得ることができれば、自分を取り巻く環境や現実にうよく対処できるようになる。また自分にとって大事な目標を達成することで、満足感を得ることができるのである。
必ず身につけたい人格「SUCCESS」
私は、成功する人格についての覚えやすいイメージが、「∽COO”∽∽」という言葉そのものに込められていることに気づいた。
その人格は、次の要素で構成されている。
- Sense of direction(方向性の意識)
- Understanding(理解)
- Courage(勇気)
- Charity(思いやり)
- Esteem(尊重)
- Self-confidence(自信)
- Self-acceptance(自己受容)
Sense of direction(方向性の意識)
ある広告会社の役員は、現在の地位を手に入れるという強い個人的な目標を達成したあと、不安に駆り立てられた。
しかしその後、新たに自分の方向性を打ち出したことで、悩みから解放されて自信を取り戻したという。彼は「役員になる」という目標をもち、頑張りつづけてきた。
ところが、昇進が実現してしまうと、自分の欲求ではなく他人の期待を基準に考えるようになった。他人の目標や基準にかなっているかどうかを気にするようになったのだ。
これは山登りにも似ている。極めようとする頂上を見上げているうちは、大胆かつ勇敢な行動や気概を見せていた。
ところが頂上にたどりつくと、下を見て怖くなってしまった。そして、ゴールを目指してひたすら攻めるのではなく、地位を守ろうと防御にまわってしまったのである。
しかし新しい目標を定め、「自分はこの仕事によって何を求めているのか?何を達成したいのか?・どこへ向かいたいのか?」と考えはじめたとき、自信を取り戻すことができたのである。
人間というのは機能的に見ると、自転車に似ている。自転車はどこかへ向けて前進している間だけ、バランスを保つことができる。人間も、環境を克服し、間題を解決し、克服すべき障害や達成すべき目標があれば、バランスを保てるのだ。
これまでに、イマジネーションを働かせて集中すべき新しい目標や、より明確な目標を見つけ出し、あなたの自動成功メカニズムに入力する方法などを示してきたcさあ、張り合いのある目標を手に入れよう。
いま置かれている状況から何を望むのかを決めよう。具体的な計画を立てることだ。常に、自分の行く手に期待するものをもとう。前だけを見て、後ろは見ない。
過去への憧れではなく「未来への憧れ」をもとう。未来への憧れは、あなたの元気を保つ。目標へ邁進するのをやめ、未来に期待するものがなくなると、体までうまく機能しなくなるのだ。
日標へ邁進せず、前を見つめていなければ、あなたは生きているとは言えない。ただし純粋に個人的な目標のほかに、少なくとももうひとつ、感情移入のできる一般的な目標をもとう。
あなたの仲間の役に立つ計画に関心をもとう。それも義務感からではなく、自発的にそうしたいと思って。
Understanding(理解)
理解というのは、良いコミュニケーションによって左右される。間違った情報を受け取ったり、受け取った情報を誤解したりすると、適切な反応はできない。
問題にうまく対処するには、問題の本質を十分に理解しなければならない。人間関係がうまくいかない原因は、ほとんどが誤解によるものなのだ。
私たちは、ある事実や状況に対して、ほかの人も自分と同じように反応し、対応し、判断してほしいと思っている。
しかし、すでに述べたように、人間は自らがイメージしたことに対して反応するのであって、ありのままの物事に反応するのではない。
周囲の反応や立場があなたを苦しめることがあるが、それは多くの場合、悪意をもっているからではなく、あなたと違ったふうに状況を理解し、解釈しているからだ。
その人が、その状況について真実と思われるものに対して、適切に対応しているにすぎない。
他人を頑固で意地が悪いと思うより、たとえ間違っていても誠実だと信じるほうが、人間関係がずっと円滑になり、お互いを分かり合えるようになる。
だからこう自問してみよう。
- 「あの人にはこれがどう見えるのだろう?」
- 「あの人はこの状況をどう解釈しているのだろう?」
- 「あの人はそれをどう感じているのだろう?」
つまり、他人がどうしてそんな行動をとるのか、理解しようとするのである。一般に人は、自分のミスや過ちや欠点を認めたがらない。自分が間違っているということも認めたがらない。
状況が自分の望むものと違っていることも認めたがらない。だから自分を編す。真実を見ようとしないから、適切な行動もでき「一日ひとつ、自分についての嫌な事実を認めるといい」と言った人がいる。
「成功型」の人格は、人を編したり欺いたりしないだけではない。自分に対しても正直なのだ。
いわゆる「誠実さ」は、自分を理解し、自分に正直であることが前提となる。こじつけをしたり「理屈の通った嘘」をついたりして自分を師しているかぎり、誠実にはなれない。
ほかの人や状況について、良い点も悪い点も含めて、真実の情報を探し出そう。
「誰が正しいかではなく、何が正しいかが問題だ」を、モットーにしよう。
あなたに備わった創造的な誘導メカニズムは、負のフィードバック・データをもとに軌道修正をする。間違いを認識してこそ、それを直して正しいコースをとりつづけることができるのだ。
自分のミスや過ちを認めよう。しかし嘆いてはいけない。直してまた進めばいいのだ。ほかの人についてこれをする場合は、自分の視点に加え、その人の視点からも状況を見ようとすることだ。
Courage(勇気)
目標をもって状況を理解するだけでは、まだ十分ではない。行動する勇気をもつ必要がある。行動しないかぎり、日標や欲求や信念は現実のものとならないからだ。
この世に、絶対確かなものや一〇〇パーセント保証されたものなど何ひとつない。
多くの場合、成功する人と失敗する人との違いは、実力やアイディアではなく、自分のアイディアに賭け、危険を覚悟のうえで行動する勇気にある。
私たちは、戦場や船の難破などの危機に際しての英雄的行動こそが勇気と考えてしまいがちだ。しかし、毎日を生きるのにも勇気が必要なのである。
多くの指導者は、成功をもたらすのは決断力と軌道修正であり、完璧な選択をしようとぐずぐずしていてはだめだと語る。
A地点からB地点へ一直線にアイディアを実現して成功することなど、まずありえない。おおかたの成功は―ジグザグに進んで成し遂げられるものだ。
求めるものを得るには、多少の間違いや少しの苦痛は積極的に受け入れよう。自分を軽んじないことだ。
アメリカ陸軍精神・神経医学コンサルタント部門の元部長R。E・チェンバーズ将軍はこう言っている。
「たいていの人は、自分が本当はどれほど勇敢かわかっていない。それどころか、男女を問わず、英雄の資質をもちながら自分に自信のないまま一生を送る人が多い。
もし、そうした自分の奥に秘めた資質を知れば、おおかたの問題に、また大きな危機にすら立ち向かえる自信を得られるだろう」
あなたにもその資質が備わっている。
だが行動して、その資質に威力を発揮するチャンスを与えるまで、それがあることはわからないのである。
もうひとつ、役立つ提案をしておく。「ささいなこと」にも、大胆に勇気をもって行動する練習をしよう。
危機的な状況で偉大な英雄になるときを待つ必要はない。日々の生活にも勇気が必要なのだ。さいなことにも勇気をもって当たれば、より重大な事態でも勇敢に行動するパワーと才能が育まれるのである。
Charity(思いやり)
成功する人というのは、ほかの人に対して関心と敬意をもっている。他人の間題やニーズを尊重している。人間の尊厳を大事にし、人を自分のゲームの駒ではなく、人間として扱っている。
人はみな神の子で、尊敬に値する独自の個性をもっていると認識しているのだ。自分に対して抱く感情は、他人に対して抱く感情と一致する傾向にある。これは心理学的にも事実となっている。
人に対して思いやりを強くすると、自分に対する思いやりも必ず増す。人をそれほど重要でないと思えば、自分のこともあまり尊重しなくなる。
自責の念を克服する方法として知られている方法に、心のなかで他人を非難するのをやめるというのがある。
過ちをもってその人を裁いたり、責めたり、憎んだりするのをやめることである。他人にもっと価値を感じるようになったら、より良い、より適切な自己イメージが育めるのである。
人への思いやりが成功する人の証となるもうひとつの理由は、そのような人はきちんと現実をとらえていることだ。
人間は実際に大事な存在である。その人間を、動物や機械のように、あるいは自分の目的を遂げるための駒のように扱ってはならない。
すべての人に敬意をもって接すれば、それが思いやり、すなわち慈善となる。とはいえ、必ずしもすぐに報いられるわけではない。これを取り引きと見てはいけない。
大局的に眺め、自己イメージを強化する手段として、また社会への貢献として、そのように行動しなければならないのである。思いやりのための対処法は、次の三つの要素からなる。
①人はみな、独自の人格をもつ創造的な存在だという真実に気づき、人々の真価を認めるようにしよう。
②人の感情や視点や欲求について考える労をいとわない。他人が何を求め、どう感じているかをもっと考えてみよう。
③他人を大事な存在だと思って行動し、そのように他人に接しよう。
Esteem(尊重)
ずいぶんと昔になるが、私は『哺巨∽ョのの声く”∞RFの』誌の「座右の銘」特集で、トーマス・カーライルの「ああ、恐るべき不信は、己への不信である」という言葉を取り上げた。
それについて、私はこう書いた。
「人生に潜むあらゆる落とし穴のなかで、最も有害で最も克服しがたいのは自己蔑視だ。なにしろそれは、自分で考えて掘った穴で、『無駄だ。できない』のひと言で済ましてしまうのだから」これに屈してしようと、受ける報いは大きい。
本人が物質的な報酬を得られなくなるばかりか、社会的にも利益や進歩をもたらさないからだ。
医師として私は、「この敗北主義には、めったに気づかれない興味深い側面がもうひとつある」とも指摘しておきたい。
先ほどのカーライルの言葉は、おそらく彼の揺るぎない強情さ、気性や言葉の荒さ、家庭でのひどい横暴さの原因といえる秘密を自ら告白したものだと思う。
もちろん、カーライルのケースは極端だ。
しかし、私たちが「恐るべき不信」に最も陥りやすいのは、自分をひどく疑い、自分の仕事が不十分だと感じるときではないだろうか?
・まさにそういうときこそ、私たちは一番どうしようもなくなるのではないだろうか?自分を軽んじるのは美徳ではなく、悪なのだということを、きちんと理解しなければならない。
たとえば、多くの夫婦を悩ます嫉妬は、必ずと言っていいほど自分への疑いによって生じるものだ。十分な自尊心をもてば、人に敵意を覚えないし、躍起になって何かを証明することもない。
事実をはっきりと見据えることができ、強引な主張もしないものだ。
リンゴとミカンを比較するようなレベルで、自分は他人より脳力が劣っているというメンタル・イメージをもつのはやめよう。
自分の勝利は小さなものでも祝い、自分の長所を認め、それを高めよう。
「Esteem(尊重)」という言葉には、価値を認めるという意味がある。
人はなぜ、星や月、海の広さ、花や夕日の美しさには感動するのに、一方で自分を卑下するのか。どれも同じ創造主がつくったものではないか。なかでも人間は最も驚くべき被造物ではなかったか。
自分をつくったのは自分だと思わなければ、自分の価値を認めても、うぬばれにはならない。製品の使い方を誤ったからといって、その製品がだめだとは言わないだろう。あなたのミスなのに、製品のせいにしてはいけない。
自尊心をもつための最大の秘訣は、他人をもっと認めることだ。つまり、誰でも神の子なので、価値あるものとして尊重するのだ。
他人と接しているときには、万物の創造主の手になるユニークな被造物とかかわっていると考えよう。そうすれば、自尊心も高まるだろう。
真の自尊心というものは、成し遂げたことや取った点数によってではなく、ありのままの自分自身に対する評価から生まれるのだから。
Self-confidence(自信)
自信は、成功という経験をして築かれるものだ。初めて何かに取りかかるときは、経験がないため、えてして自信をもつことができない。
これは自転車に乗ったり、人前で話したり、手術を行ったりというように、多くのことをする場合に共通する。
小さな成功の自信が、より大きな成功への踏み台になる。ボクサーのマネジャーは、ボクサーが成功の経験を段階的に積み上げていけるように、対戦相手を慎重に選ぶ。
私たちもこれと同じテクニックを使って、最初は小さな成功から経験を積んでいけばいい。「成功が成功を生む」のだ。
もうひとつの重要なテクニックは、過去の成功は記憶し、失敗は忘れるよう習慣づけることだ。
バスヶットボールにしろ、ゴルフにしろ、セールスにしろ、練習を重ねれば技術が向上する。だがそれは、単に繰り返すこと自体に何らかの価値があるからではない。もしそうなら、私たちは成功ではなくミスを身につけてしまう。
たとえば、バスヶットボールを練習していると、シュートを入れるよりも外すことのほうが圧倒的に多いはずだ。
単に繰り返すだけで技術が向上するのなら、一番繰り返すのはミスなのだから、ミスするのがうまくなってしまうはずである。
ところが、成功の一〇倍ミスをしても、練習によってミスはだんだん減り、成功がだんだん増えていく。
これは、脳内のコンピュータが成功を記憶して強化し、失敗を忘れるからだ。このようにして、私たちの成功メカニズムも、成功を身につけていくのである。
それなのに私たちの多くは過去の失敗を記憶し、成功を忘れてしよう。失敗を記憶するだけでなく、それを感情とともに心に刻みつける。
そして自分を責める。恥と自責の合によって自分を鞭打つ。その結果、自信を失ってしまうのだ。過去に何度失敗しようと問題にはならない。
重要なのは成功した経験であり、それを記憶し、強化し、じっくり考えることなのだ。
アメリカの偉大な発明家であり技術者であるチャールズ・ケタリングは、「科学者になりたければ、一度成功するまでに九九回失敗するのも辞さず。それでプライドが傷ついてはいけない」と言っている。
これはあらゆることに共通する。だからといって、実際に九九回に一回の割合で成功しろというわけではない。
場合によってはそれだけの失敗も辞さず、そうなっても自己イメージにダメージを与えてはならないということである。
Self-acceptance(自己受容)
自己イメージを変えることと、自己を変えることは違う。自己イメージを変えることは、自分自身のメンタル・イメージ、つまり自己についての評価や考えや認識を変えることだ。
適切でリアルな自己イメージは驚くべき結果を生み出すが、それは自分を変容させることによってではなく、自分を認識し、自分を発露することによってもたらされる。
現在のあなたの自己は、これまでずっとそうで、これからもそのままだ。あなたがそれを生み出したわけではないし、変えられるわけでもない。
しかし、そのことを認識し、真の自己に対するメンタル・イメージを手に入れて、自分に備わっているものを最大限に活用することはできる。
大物になろうと必死になってもだめだ。あなたは、いまのあなたでしかないのだから。
多くの人は、本人が考えているよりも素晴らしく賢く、強く、オ能がある。より良い自己イメージを創造することは、才能やパワーを新たに創造することではない。それらを解き放って、利用することなのである。
人は自分の人格を変えることはできても、基本的な自己は変えられない。人格は、私たちが世界とかかわる際に使う自己のツールであり、表現の場であり、核心である。
それは、私たちの習慣や態度、身につけた技能の総体であり、人はそれを使って自分を表現している。自分を受け入れるとは、現在の自分を、長所だけでなく短所や過ちもすべて、あるがままに受け入れることだ。
ネガティブな要素は自分の属性であって、自分そのものではないとわかれば、自分を受け入れるのはやさしくなる。
自分を健全に受け入れたがらない人が多いのは、自分と自分の誤りを同一視しようとするからだ。誤りを犯したとしても、それであなたが「誤りそのもの」になるわけではない。
自分をうまく表現できなくても、あなた自身が「だめだ」ということにはならない。私たちは、誤りや短所を修正する前に、まずそれらを認めなければならない。
知識を獲得するための第一歩は、自分の知らない領域があることを認めることだ。強くなるための第一歩は、自分の弱さを認めることだ。
どんな宗教においても、救いを得るための第一歩は、自分が罪人であると認めることだ、と教えている。
最高の自己表現という目標へ向かう旅では、目標へ邁進する状況ならどの場合でも同じだが、負のフィードバック・データを利用して軌道修正をする必要がある。
そのためには、私たちの人格、「表現された自己」、あるいは一部の心理学者が「現実の自己」と呼んでいるものが、いつでも不完全で日標に届いていないということを認め、その事実を受け入れなくてはならない。
一生のあいだに、「本当の自己」がもつ潜在脳力をすべて発揮。実現できる人はいないからだ。
現実の、表現された自己のなかで、本当の自己がもつ可能性やパワーをすべて出し切ることはできない。私たちは、いつでももっと多くを学び、もっと良い成果を出し、もっと素晴らしい振る舞いができる。
だから現実の自己が不完全なのは当然なのである。現実の自己は、一生を通じて常に理想の目標へ向かって突き進んでいるが、そこに到達することはない。
現実の自己は不変のものではなく、流動的なものなのだ。完成や終わりはなく、常に成長の途上にある。大切なのは、私たちにはそれ以外に手段がないので、この現実の自己をいくら不完全であっても受け入れるということだ。
自分の短所を理性で認めることは必要だが、その短所ゆえに自分を憎むと悲惨なことになる。
あなたの自己とあなたの行動を区別すること。
誤りを犯したり軌道から逸れたりしたからといって、あなた自身がだめなわけでも価値がないわけでもない。コンピュータが誤作動したり、ヴァイオリンが調子はずれの音を出したりしたからといって、それで価値がなくなるわけではない。
完璧でないからといって自分を憎んではいけない。不完全な人はたくさんいる。完璧な人はこの世にいないし、完璧なふりをしようとしても惨めになってしまうだけである。
●注記*1トーマス・カーライル…一七九五〜一人八一年。イギリスの評論家・歴史家。エディンバラ大学に学び、初め牧師を志したが、のち数学・法律を学んで、一時は数学の教師となった。
物質主義・功利主義に反対し、魂と意志の力を信じた。
英雄・天才の優越を高唱する人生観・社会観は、その著『英雄及び英雄崇拝』『衣服哲学』『過去及び現在』にあふれている。また『フランス革命史』などもある。
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