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「人生戦略」を立てる

「人生戦略」を立てる孫子に学ぶ、「十年計画」のつくり方「四十代は一番脂の乗った仕事ができる時期」とは、よくいわれることです。それはそのとおりなのですが、一方で、「とにかく忙しくて、目先の仕事に振り回されることが多い」という現実もあります。そうやって過ごしていても、それなりに能力は磨かれますが、そのレベルでは、五十代に突入したとき、「これから先、何を強みに仕事をしていけばいいのか」と途方に暮れることになりかねません。「慣性の法則」ではありませんが、五十代半ばくらいまでは、四十代の余力を借りて、なんとかやり過ごすことはできるでしょう。しかし、定年が近づくにつれて役職は外され、ろくな仕事もないまま、「ただ会社に籍がある人」に堕してしまう可能性があります。あとは推して知るべし。強みのない人に再就職の話や新しい仕事のオファーがあるはずもなく、定年と同時に居場所を失います。寿命が延びたいまは定年後の人生がまだ十年、二十年、三十年と続きます。そんなに長い間「遊んで暮らす」のも苦しいものでしょう。たくさん稼ぐ必要はなくとも、何か社会や人の「役に立っている」と実感できる仕事がなければ、非常にみじめな思いをすることは目に見えています。多少の蓄えだって、年を追うごとに心細くなっていきます。そんなふうになりたくないなら、四十代のうちに意識して自分の強みを見つけ、それをしたたかに磨いておくことが必要です。そのためのポイントは、「今後十年の人生計画を戦略的に立てる」ことです。まず設定すべきは、「十年後の自分はこうなっている」という目標です。「こうなっているといいな」程度の思いでは足りない。設定する時点で、「すでに目標を達成している」自分を詳細に、リアルにイメージしてください。さらに、そのゴールから逆算して、いつの時点でどんな自分になっているかを、やはり詳細に、リアルにイメージしましょう。たとえば、そのプロセスの中の一つに、「四十五歳で現在の部署の部長になって、部下を何人束ねて、こういうプロジェクトを立ち上げて成功させる」ということを掲げた場合を考えてみましょう。それに付随して、会議でプレゼンしたり、打ち上げでスピーチしたり、それがうまくいって自分への褒美として新調したスーツを着こなしたりしている自分の姿を思い描く。どこまでも詳細に、どこまでもリアルにイメージするのです。私は、強く願えば夢は叶う、といった自己啓発本がいうような成功法則を説いているのではありません。人生戦略としての現実的かつ具体的なイメージ力を強化せよ、といいたいのです。頭の中だけで考えるとぐちゃぐちゃするので、書き出すといいでしょう。「四十代の自分史」といったタイトルをつけて、イメージに合う写真やイラストなどのビジュアルをどこかから仕入れて加えると、さらに臨場感が増すでしょう。もちろん、そんな綿密な人生計画が一朝一夕にできるわけはありません。人生計画は、一年くらいかけて立ててもいい。それだけの価値があります。人生計画を立てるときのヒントは、『孫子』から学べます。「之を経むるに五事を以てし、之を校するに計を以てして、其の情を索む」この一文だけでは、「五事って何?」「計って何?」という感じでしょう。ここでは、「五事」とは十年計画を立てるときの五つの視点、「計」とは十年後の自分といまの自分を比較して足りない能力を明確にすることです。また「情を索む」とは、徹底した情報収集を行なうことを意味します。内容を全部説明すると長くなるので、基本となる「五事」についてだけ述べておきましょう。『孫子』には、「一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く将、五に曰く法」とあります。それぞれ何を意味し、十年計画でどうとらえればよいか――。道――十年後の自分をリアルにイメージし、思いと行動を一つにする。仕事のみならず遊びも日々の暮らしも、すべてが同じ目標を達成するためのものになるようでなければいけない。天――時代の要請に応えるには、いつ、どういう行動を起こせばよいかを考える。時代が自分のやっていることの追い風になるように計画する。地――どんなフィールドで活躍するかを明確にする。自分に向いている分野、競争のないオンリーワンの分野、世界的な広がりが展望できる分野、自分の資質・能力が生かせる分野であることが望ましい。将――目標を達成するために必要不可欠な能力を明確にし、磨き上げる計画を練る。法――自分を厳しく律し、目標達成を阻むものは一切排除する強い意志を持つ。孫子流のこのやり方で綿密に計画を立てたら、あとはそれをトレースするように、頭と体が勝手に動き出します。計画どおりに生きた自分がイメージなのか、現実なのかがわからなくなってくる。そこまでになるのがベストです。

「得意技」を磨く四十代は、戦い方のバリエーションを豊富に持て二十代は大いにケンカすべし。三十代はみんなと仲よくすべし。四十代はケンカと協調を適宜使いこなすべし。これは私が持論としている、成長を積み重ねるための世代論です。二十代の頃は、自分に実力があろうとなかろうと、うんと突っ張って自己主張をしていいでしょう。結果、叩かれて、痛い目に遭う。その経験が打たれ強い自分をつくり、同時に自分の未熟さを知って向上するための原動力になるのです。「二十代の頃に生意気だった人間ほど伸びる」といわれるのは、そういう意味です。いくら失敗してもやり直しがきく年代でもあるので、ケンカしたことによるダメージはさほどでもありません。三十代の課題は、チームの連携プレイを上手にこなす能力を身につけることです。二十代で〝ケンカ経験〟を積んでいれば、どうすれば人と仲よくなれるかも自ずとわかるはず。その経験を生かして、自分に協力してくれる人を増やしていくといいのです。「ケンカばかりしていたら、敵を増やすだけではないか?」と思うかもしれませんが、逆です。「ケンカするほど仲がいい」という言葉があるように、人間関係というのはぶつかり合って初めて深まっていくものなのです。そして、四十代は、二十代と三十代で学んだことを丁々発止、繰り出して渡り合っていく時代になります。相手を打ち負かすことを目的とした「無用な争い」をしてはいけません。あくまでも、物事を進めるための戦略として、「ここはぶつかってでも自己主張しなくては」「ここはちょっと不本意だけれど、こちらから折れて妥協案を探ったほうがいい」など、相手や状況に合わせて柔軟に、したたかに対応していけるようにせよ、ということです。こうして段階的に、年齢にふさわしい能力を身につけていくと、五十代で大きな花を咲かせることができます。最近の若者はケンカを嫌う傾向がありますが、いま四十代のみなさんなら大丈夫でしょう。多かれ少なかれ、これまでケンカも、それから協調もしてきたはずです。その経験を生かして、硬軟取り混ぜた手綱さばきを実践してください。『孫子』は世界に冠たる兵法書ですが、「人生のガイドブック」として読んでも、非常に示唆に富んだ言葉が満載です。なかでも四十代がこれから「しなやかに、したたかに」仕事をしていくために、重要なポイントとなることが説かれています。次の言葉を引いて、解説していきましょう。「凡そ戦いは正を以て合い、奇を以て勝つ」これを本書のテーマに引き寄せていうと、「四十代は、戦い方のバリエーションを豊富に持て」ということです。若いうちは、相撲でいえば張り手一辺倒、といったところでしょうか。でも四十代になれば、百戦錬磨とはいかないまでも、相当力量が上がっているはず。強い力士のように、「まず正面から立ち合って、次の瞬間から正攻法と奇策を縦横無尽に繰り出す能力」が求められます。といっても、戦いの軸になる能力は二つから五つもあれば十分。大事なのは、その基本能力を組み合わせることによって、どれだけ多彩な戦法が繰り出せるかです。そのバリエーションが豊富であればあるほど、どんな場面にも柔軟に対応できるのです。たとえば、ビジネスパーソンの必須能力に「見る」「聞く」「話す」「書く」「考える」がありますが、あなたがとくに「見る」のが得意であれば、自分の業界の市場を誰よりもよく見て分析する力を徹底的に磨く。そして、それに加え、その分析結果を巧みに「話す」力を磨き、「見る」と「話す」を組み合わせて、自分の得意技にするということです。まずは自分の能力を見極め、バリエーション豊富な組み合わせパターンを考え、準備しておくことが必要です。

「復元力」を強化する「中間管理職」が知っておくべきこと四十代からの「戦い方」として覚えていただきたいことがあります。「兵を形するの極は、無形に至る」これは、『孫子』の中の言葉です。「無形」というのは、文字どおり「形が無い」ことを意味します。兵法的にいえば、自軍の体制や兵の配備、戦法などが、敵軍にはまったくわからない状態です。そうなると、敵は戦いようがない。「ここだ!」と思って攻め入ると、すでにそこには姿がなく、後ろから攻められたり、何も手を出せないでいると、いきなり正面から攻撃されたり。無形の軍には、敵の出方を見透かすように動く機動力があります。つまり、行動のすべてがパターン化しておらず、状況に合わせて柔軟に動く戦い方、それが「無形」ということです。ビジネスパーソンがここから学ぶべきは、「復元力(レジリエンス)」の重要性です。東日本大震災からの復興では、まさにこのレジリエンスを強化しようという動きが注目されました。どんなに困難な状況に陥っても、そこから短期間で立ち上がり、プラスの状態に復元していく力――。その強さこそが求められているのです。ビジネスにおいて、とりわけ四十代は、あらゆる困難にさらされるとき。復元力を発揮して、戦っていかなければなりません。四十代からの「戦い方」で、もう一つ、『孫子』の中からヒントを紹介しましょう。「善く兵を用うる者は、譬えば率然の如し」「率然」というのは、中国の五名山の一つに数えられる恒山に棲む蛇のことです。この蛇の動きが、じつにしなやか。頭を打つと、尾でバシンとはたかれる。尾を打つと、頭が襲いかかってくる。胴を打つと、頭と尾の両方を使って反撃される。どこをどう攻めても、こちらの攻撃をしなやかにかわしながら、同時に反撃してくるのです。率然のこの動きは、「四十代の仕事術」として見習いたいところです。キーワードは「いなす・かわす」です。いうなれば柳のように、どれほど強風が吹こうとも、枝をしならせて受け流し、けっして折れない強さを持つことです。四十代は、中間管理職に就いている人も多いと思いますが、たとえば、あなたの上司が無理難題を押しつけてきたとします。それより重要な案件を抱えていて、どう頑張ってもできない──としても、いきなり反発してはいけません。上司はカチンときて、「やれといったら、やれ!」と、ますます態度を硬化させるだけです。そういうときはいったん「わかりました」と引き受ける。そのうえで「私はいま、こういう重要な案件を抱えているのですが、そちらを後回しにいたします。よろしいですね?」というふうに伝える。あなたが抱えている案件のほうが明らかに重要であれば、上司としても困ることになるので指示を撤回する可能性が高くなります。このように、上司から八つ当たり気味に叱責されたり、パワハラのような対応をされたりした場合は、「まともにぶつからない」のが賢明というものです。とりあえず「柳に風」と受け流し、しなやかに身をかわす。そのほうが少なくとも、互いに感情的になって、関係を悪化させずにすみます。ただし「いなす・かわす」だけでは、その場逃れに終わるので、十分ではありません。態勢を立て直し、別の方向から自分の意見や提案をぶつけるといいでしょう。たとえば、さっきの無理難題であれば、仕事をいくつかに分解して扱いやすくし、複数の人間が分担して協力し合って遂行する、といった提案をするのです。一度かわしておけば、相手にもこちらの話を聞く耳ができているので、意外と話がスムーズに運びます。四十代の中間管理職は、上からは押さえつけられ、下からは突き上げられる立場にありますから、「いなす・かわす」ができないとうまくやり抜くことができません。また、この「いなす・かわす」能力は、困難に遭遇したときにも発揮してほしいものです。「大変だ!」と右往左往し、性急に対処しようとしても気持ちがあせるだけで、いい解決策は導き出せません。困難を、まずはドンと受け止める。そして、あえてすぐに動かない。そのほうが、結果的に早く冷静になれ、客観的に物事をとらえることができます。そして冷静さを取り戻したところで「さて、どうしようか」と考えれば、必ず解決の糸口が見えてくるでしょう。

「自分の値段」を上げるあなたは、他社にいくらで買ってもらえるか「四十にして惑わず」これは『論語』に出てくる名高い言葉です。「吾十有五にして学に志す」に始まり、「七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」まで、孔子自身の人生が十年刻みで語られています。その中で孔子は、四十歳のときを振り返り、「もう迷いはなくなったよ」といっているのです。ここは「何も心配事がない」とか「何が起きても混乱しない」といったふうに理解している人が多いのですが、ちょっと違います。「惑う」というのは、周囲の状況を客観的に見られない状態を意味します。そうなると、さまざまな場面で適切な判断ができません。結果、周囲からも「君のいうこと、なすことは何かピントがズレてるね」などと批判され、だんだん自信がなくなっていってしまうのです。みなさんにもあるのではないでしょうか。「このままでいいんだろうか」と、いまの自分の生き方がわからなくなってしまうようなことが。それが「惑う」の本来の意味です。そんなふうに「惑うことがない」ということはつまり、それまで自分が培ってきた知識や経験を客観的に見つめ直して分析し、「よし、四十代からはこう生きていこう」と思い定めることなのです。会社勤めをしているビジネスパーソンを見て思うのは、「自分の価値」をきちんと分析できていない人が多いということ。だから、四十になってもまだ「惑う」のです。では、どうすれば自分の価値を客観的に分析できるのか。人は「自分には甘い」のが常ですから、なかなかきちんと自己査定できないのが現実でしょう。そこで、おすすめしたいのが「試しにヘッドハンティングの事業を行なっている会社に行って、自分がいくらで売れるかを聞いてみる」ことです。そうすると、「過去の業績も自己申告だけでは信用できません。客観的なデータに基づいて語れないと、自分を売りたくても売れませんよ」とか、「お望みの年収を得るには、あと一つ、二つのセールスポイントがないと無理ですね。資格は何もないんですか?肩書きもいまのランクでは厳しいでしょう」さらに、「現在、管理職にあるといっても、部下の人数が少なすぎて、マネジメント能力があるとはアピールできません」など、非常に厳しいことをいってくれます。それを謙虚に受け止めて、四十代以降の生き方の参考にすればいいのです。だいたいにおいて、サラリーマンは自分の価値にうといものです。組織に所属せずに仕事をしている人には、「自分が仕事を怠けたり、約束を守らなかったり、結果が出せなかったりすると、二度と仕事がこない。食えなくなる」という強い自覚があります。だからこそ自分を磨き上げなければいけないという思いがありますが、サラリーマンにはこれがない。なんとなく仕事をして一か月を過ごしても、月末になって預金通帳を見ると、ちゃんと同じ額の給料が振り込まれている。どんな働き方をしても、なんとなく食えてしまうのです。だから、自分を厳しく律して稼ごうという意識が希薄になる傾向があります。それではいけません。定年退職をしてから、「あれ、今月は振り込みがゼロだ。会社に行かないと、お金ってもらえないんだな」なんて当たり前の現実に直面して初めて気づくのでは遅すぎます。四十代のうちに「自分はこれで一生メシが食える」といえる実力をつけておく。それが、孔子のいう「四十にして惑わず」につながり、人として強い生き方につながるのです。どうか四十代のいまこそ自分の実力を客観的に査定し、新たにネジを巻き直して五十代に向かっていってください。「定年はまだまだ先だ」などと呑気に構えている場合ではありません。「会社という看板でメシが食えなくなったときにあわてても、時すでに遅し」だという意識を強く持つことが大切です。

「欲望」を操る成功者はみな、欲の一点集中主義者である欲を持つこと自体は、大いにけっこうです。中国古典は欲を否定しているように思う人がいるかもしれませんが、そんなことはありません。たとえば『論語』に、「富と貴とは、是れ人の欲する所なり」とあるように、孔子も、「人は誰しも、富貴、つまり経済的に豊かになりたい、社会的地位を高めたいと望むものだ」としています。さらに、「貧と賤とは、是れ人の悪む所なり」とし、「貧しい暮らしや賤しい身分に堕することを誰も望まない」ともいっています。もっと経済的に豊かになりたい。もっと上のポジションに就きたい。もっと人から好かれたい。子どもにもっといい教育をさせたい。もっと家族との時間を持ちたい。……みなさんにもさまざまな欲望があるでしょう。そういった欲望は「成長の糧」にするといいでしょう。ただし「欲深になりなさい」といいたいのではありません。欲には「悪い欲」というものがあるので、注意が必要です。欲望が首をもたげてきたとき、自らに二つのことを問いかけてください。一つは、「それは本心から望んでいることなのか」ということです。もし「世間的に価値があるとされているから」とか、「周囲にうらやましいと思われたいから」といった気持ちがあるなら、そんな欲望は持つべきではありません。なぜなら、その欲望は世間の価値観に照らし合わせて形成されたものにすぎず、自分が主体的に望んでいるものではないからです。本心から望んだことだからこそ、「意欲」がわいてくるもの。そうでなければ、欲望が空回りして、けっしてうまくいきません。自分の欲望を根本から見直してください。二つ目の問いかけは、「自分の欲望を満たすことで不幸になる人はいないか」ということです。欲望が高じると、ときに「手段を選ばない」ことがあります。他者を踏み台にしてのし上がろうとしたり、自分だけが利益を貪ろうとしたり、不正をしてでも欲しいものを手に入れようとしたり。そういう行為が世の中に受け入れられないことは自明の理です。そして人間として一番大事な「信頼」を失うのです。欲を是認する孔子も一方で、みんなから強い人間と思われていた申棖のことを「彼は欲深だから、強い人間にはなれないよ」と断じています。「棖や欲あり。焉んぞ剛なるを得んと」という言葉がそれです。「欲の深い人は、すぐに悪い誘惑に負ける。だから、たとえ権力があって強そうに見えても、本当は弱い人間なんだ」ということです。欲の中でも「私欲」と呼ばれるものは、自分だけが利益を得ようとする行動を促します。欲望のどこかに、「世のため人のため」という視点が入っていることが望ましいでしょう。たとえば、「世の中の人々が健康な生活を送れるように力を尽くしたい」といった志があってビジネスをし、結果、「金持ちになる」という欲が満たされた――。そういう構図がないと、「金持ちになるためなら、なんでもあり」となってしまいかねないのです。それをしっかりと自身に言い聞かせ、欲望を上手にコントロールしてください。四十代はいろいろな可能性が開けてくる時期です。いまの仕事の延長線上でステップアップしていく道もあれば、まったく新しい分野のことにチャレンジして自分の幅を広げる道もある。これまでの経験を生かして、あるいは何かの資格を取得して、思いきって独立するチャンスもあるでしょう。いってみれば、自分の思い一つで、何にでもなれる。四十代はそういう時代だ、と私は考えています。そのときに注意すべきは、欲張っていくつもの可能性にアプローチしないことです。「これだ!」と思いを定めたことに、一点集中して取り組んだほうがいい。俗に「器用貧乏」という言葉があるように、あれもできる、これもできると手を広げると、どれも中途半端に終わり、会社にとって便利な人間にしかなれません。それよりも、「これをやらせたら右に出る者はいない」といわれるくらいの専門力を磨く。そのほうが「取り替えのきかない貴重な人材」になれるのです。やりたいことが複数あるなら、一つを終えてから次、というふうにやっていくのが賢明というものです。このように、仕事欲を「一点集中主義」にする。すると、そこに集中できますから、余計な物欲からも解放されます。孔子に「欲あり。焉んぞ剛なるを得ん」と見切りをつけられないだけの強さを持つこともできます。仕事欲は欲張らないに限る、のです。

「組織」に使われない自分のために会社を使え転職していなければ、四十代のあなたはもう二十年くらい、同じ会社に在籍していることになります。どうでしょうか、仕事がちょっとマンネリ化していませんか?あるいは、「職場の主」のようになって、心のどこかで「自分には知らないこと、わからないことは何もない」と思っていませんか?勤続年数が増えるにつれ、どうしてもだんだん居心地がよくなって、組織にどっぷりつかってしまう場合があります。しかし、五十代からさらに活躍することを考えると、ここでべったり尻をつけて落ち着いているわけにはいきません。「会社ではベテランでも、広い社会に出ればまだまだ、ひよっこだ」というくらいの気持ちが必要ですし、実際にそうなのです。目線を高く、視野を広く持つよう心がけることが大切です。『荘子』に、「井の中の蛙、大海を知らず」の言葉で知られる物語があります。その中に出てくる言葉が、「管を用て天を窺い錐を用いて地を指すなり」というものです。これは、あらゆる修養を積んだが、「どうも荘子の言葉は亡羊としていてつかめない」という男に対して、魏牟という人が「おまえなんかにわかるものか」と、「君が荘子を理解しようだなんて、細い管から天をうかがい、先の細い錐で地面を刺すようなものさ」と揶揄したのです。「自分ではいろんなことに通じているつもりでも、まだまだ人物が小さい。思い上がるな」というわけです。組織にどっぷりつかっていると、そこで経験したことだけで満足し、視野が狭まるし、浅い理解しか得られなくなってしまいます。慣れから自分の能力を過信しないよう、自らを戒めることが必要です。四十代でカブトの緒を締め直さないと、五十代から先の仕事人生が冴えないものになってしまいます。また、四十代になったら「自分はなんのために会社員をしているのか」ということを再認識すべきです。組織にどっぷりつかって、安穏とした日々を送るためではありませんよね?これは誰にも共通することですが、会社員の醍醐味は、「自分一人ではできない大きなことをやる」ということにあります。だったら、会社を動かして、大きなことをやろうではありませんか。四十代になればもう、自分の会社のことはいろいろとわかっています。どういう企画をどんなふうにプレゼンすれば通るのかなど、よくわかっているはずです。その知恵を生かして、自分がやりたい企画を通し、部下の力をうまく使って実行すればいいのです。近頃は昇進・昇格に消極的な若者が多いと聞きます。私はそういった若手社員を対象とする研修でも、常にこう問いかけています。「君たちのように組織にいる人間は、組織を動かすために組織の一員になったのではありませんか?集団を動かしていかなければ、自分の目標も達成することはできません。昇進・昇格がイヤなら、独立して自分を表現して生きる道を歩まないといけない。違いますか?」たいていの若者は「いわれてみればそのとおりですね。一人でできないことも組織を動かせばできると考えて仕事をしようという気持ちになりました。昇進試験を受けます」といってくれます。四十代の方にも、同じことをいいたい。というのも、いまのポジションがゴールであるかのように振る舞う人が本当に多いからです。組織を動かす一員としての自覚を持って、新たなスタートを切りましょう。これからは「会社の意思」よりも「自分自身の意思」で仕事をする。そのしたたかさが必要なのです。

「恨み」を買わない敵をつくらないための絶対ルール「人の小過を責めず、人の陰私を発かず、人の旧悪を念わず」これは『菜根譚』にある言葉です。「人の小さな過ちを責め立てるな。人が隠しておきたいことをあばくな。人の過去の悪事をいつまでも覚えているな」という意味です。ついやってしまいがちなことばかりですが、自分では軽い気持ちでいったことでも相手はそれを根に持たないとも限りません。些細なミスに目くじらを立てれば、相手は「そこまで非難しなくてもいいじゃないか」と、自分のミスを反省するどころか、責め立てたあなたに敵意さえ持ちます。人は、大っぴらにいってほしくないことをいわれれば、それが事実であっても「なんてデリカシーのない人だ」と恨みを持ちます。また、ミスをして「昔もこういうミスをしたよな」とあげつらわれたり、成果を出して喜んでいるのに「昔はこんなこともできなかったのにな」と水を差されたりすれば不快に思います。不用意な言葉は相手の恨みを買うだけ。どんな災いを引き寄せるかわからない。四十代は、そのことを肝に銘じておくべきです。この種の恨みの恐いところは、「自分ではそこまで恨まれているとは気づかない」ことです。私自身、思い当たることがまったくないのに、前に私の会社に勤めていた女性社員から労働基準法違反があったと訴訟を起こされたことがあります。彼女が辞めて三年も経っていたし、よくよく聞いたら、失業した亭主が金に困って示談金を取るためにやったことだとわかりました。違反というほどのこともなかったし、最終的には彼女も後悔して謝罪をしてきたため、事なきを得ましたが、私はこのとき思いました。「何事につけ、恨むほうより恨まれるほうが悪いのだ」と。私の経営に、私のやり方に、社員の恨みが入り込む隙があったと反省したのです。そういう経験があるから、なおさら不用意に人に恨まれるようなことをしてはいけないということが身に沁みています。四十代は、多くの人を味方につけて、大きな仕事をやっていく時期です。だからこそ、不用意な言動で敵をつくらないよう用心には用心を重ねてください。これは賢く生きるための戦略でもあるのです。

「言動」を慎むうまくいっているときこそ脇を固めよいわれのない誹謗中傷を受ける――。誹謗中傷というのは、ほとんどが受けて初めて「どうしてこんな理不尽な目に遭うのだろう?」と思うものです。前項でも言及した「恨み」というのは「怒り」と違い、数日で解消されるものではありません。長く持続する、という特性があります。そこがよくわかっていないと、〝積年の恨み〟を買うことになってしまいます。そのことを『論語』では次のようにいっています。「浸潤の譖、膚受の、行われざるは、遠しと謂う可きのみ」これは、弟子の子張から「明、とは、どういうことでしょうか」と尋ねられて、孔子が答えた言葉の後半部分です。「明」とは物事に精通していることを意味します。孔子はまず、「自分を陥れるような言葉に心を蝕まれたり、厳しい非難に身を切られる思いをしたりしないよう行動できることが、明である」と答えました。さらに、もっといえば――と、こうつけ加えました。「常に、そういうことが自分に降りかかってくるのではないかと注意し、遠い先まで見通して手を打っていくことが大事だよ」誹謗中傷される可能性を事前に察知しろ、というのですから、自分の言動にはよほど用心しなければいけない、ということです。何かにつけて、「こんなことをいったら恨まれるのではないか」「こんなことをしたら仕返しされるのではないか」と考えてから行動する慎重さが求められるのです。もしいってしまったり、やってしまったりしたあとで「不用意だったな」と感じたら、気づいたそのときでも遅くありません。即座に、相手に「ちょっといいすぎた。気を悪くしただろうね。申し訳ない」と謝ればいい。たいていの場合、それだけで相手の恨みはなくなります。また、孔子のいう「明」には、目には見えない不穏な空気を察知する能力も含まれます。相手が何も悪いことをしていなくても、仕事がうまくいっているというだけで「気に食わない」と感じて、恨みを持ち、陥れようとたくらむ人もいるのです。そういう「気配」までも察知して、周囲にそれがいわれのない誹謗中傷であるとわからせておくなど、したたかに手を打つ必要があります。とくに仕事や人生がうまくいっているときほど、人は脇が甘くなるもの。誰かが自分を恨んでいるなどとは気づきにくいのです。四十代はちょっといい気になって、周囲に目配りせずに突き進んでいくところがあります。四十代は恨みを買いやすい年代といえるかもしれません。気づかないうちに恨みを買っている危険に陥りやすいので、いっそうの注意が必要です。それにしても、「浸潤の譖、膚受の」とは、字面を見ただけでゾッとするではありませんか。「浸潤」には病魔にじわじわ侵されていくような、「膚受」には切られた傷の痛みに血を流しながら耐えるような、そんな悲惨さが伝わってきます。人から恨まれることは、それほどまでに恐ろしいことなのです。そんなダメージを受けたら、今後の大きな障害になります。だからこそ、「明」でなければなりません。ちなみに、私は孔子のこの言葉を、よくリストラ担当の人事部長にプレゼントしています。彼らの仕事は、どうしたって恨みを買います。それを前提に、私はこうアドバイスしています。「リストラするなら、一人ひとりの後々の人生を考えてあらゆる配慮をすること。心から彼らを思って、とことん力になることが重要なんだよ」この言葉を嚙みしめて、リストラ宣告という辛い仕事に当たった彼らは、口をそろえて「おかげで、喉元まで出かかった『能力不足を自覚したほうがいい』なんて言葉を呑み込むことができました」といっていました。そして一緒に転職先を探してやり、恨みを買うどころか感謝されたそうです。四十代ともなると、人にいいにくいことをいわなければならない場面も増えます。そんなときは、この項の話を参考にしてください。

 

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