Ⅱ │あまりに残酷な「美貌格差」
6 「見た目」で人生は決まる──容貌のタブー写真から性格や未来がわかる外見から知性は推測できる「最初の直感」の的中率「面長の顔」は「幅の広い顔」に殺されている顔立ちによる残酷すぎる損得 7 あまりに残酷な「美貌格差」美人とブスでは経済格差は 3600万円「美貌格差」最大の被害者とは
会社の業績を上げる経営者の顔とは容姿による差別を生む市場原理 8 男女平等が妨げる「女性の幸福」について「男と女は生まれながらにしてちがっている」男と女は別々のものを見ている「男らしさ」「女らしさ」の正体とは「母性愛」のもと、オキシトシン男女でちがう「幸福の優先順位」〔コラム 8〕 ◉女子校ではなぜ望まない妊娠が少ないのか 9 結婚相手選びとセックスにおける残酷な真実一夫多妻と一夫一妻はどちらが得かメスの狡猾な性戦略避妊法の普及が望まない妊娠を激増させる低学歴の独身女性があぶれる理由 10 女性はなぜエクスタシーで叫ぶのか?ヒトの本性は一夫一妻?睾丸とペニスの秘密女性の性衝動は弱いのか?チンパンジーとボノボ農耕社会がすべてを変えた?女性がエクスタシーで叫ぶ理由フリーセックスのユートピアは遠い
6 「見た目」で人生は決まる──容貌のタブー写真から性格や未来がわかる アメリカの心理学者マシュー・ハーテンステインは、卒業アルバム写真を何百枚も集めて笑顔の度合いを点数化し、後年の結婚生活を予測した研究で一躍有名になった。ハーテンステインによれば、男女ともに卒業写真であまり笑っていなかったひとの離婚率は、満面の笑みの卒業生の 5倍にのぼるのだ【 43】。 はたして、外見からひとの性格や未来を知ることができるのだろうか。 テキサス大学で行なわれた実験では、 100人以上の学生を対象に、 2枚ずつ写真を撮影した。 1枚目は好きなポーズで撮る自然体の写真、 2枚目は気をつけの姿勢で無表情にレンズを見つめる写真だ。 次に、本人に自分の性格を申告してもらうと同時に、友人や家族などにも性格を分析してもらって、それぞれの平均値から学生の性格を割り出した。 こうした準備が整うと、研究者は学生とはなんの関係もない被験者(第三者)に写真を見せて、性格を推測してもらった。その後、推測と実際の性格(本人および周囲のひとたちの評価の平均値)を比較して、どの程度推測が正確かを調べた。 無表情の写真による推測の正確度は、「外向性」が 4点、「自尊心」が 3点、「信仰心」が 2点となった(推測が的中するほど点数が高い)。 自然体の写真による推測の正確度では、「外向性」と「新しいことへの挑戦」が 4点、「好感度」「自尊心」「信仰心」が 3点、「親しみやすさ」「孤独感」が 2点と出た。 このことからわかるのは、無表情の写真からも内面をある程度知ることができることだ。被験者になにを手がかりにしたのか訊くと、「健康的な外見」「こざっぱりした外見」とのこたえが返ってきた。髪型やファッションは性格を反映するのだ。 自然体の写真では推測の精度が上がると同時に、無表情の写真で判別できなかった性格も見分けられた。「外向性」「親しみやすさ」「自尊心」などで手がかりになったのは、圧倒的に笑顔だ(それ以外ではリラックスした姿勢や活力など)。 興味深いのは、写真からでは判別できないものもあったことだ。それは「誠実さ」「穏やかさ」「政治的見解」だ。 政治的見解が写真からわからないのは当然として、「誠実さ」や「穏やかさ」が当たらないのは、笑顔がほんものかどうか判別困難だからだ。さわやかな笑顔の学生が外向的なのは容易に想像がつくが、その笑顔は必ずしも(誠実さや穏やかさという)内面をそのまま表わしているわけではないのだ。外見から知性は推測できる「写真から性格を判別できる」のはそれほど驚くことではないかもしれないが、「外見で知性がわかる」というのはどうだろう。 ドイツのある研究チームが、実験室に学生を呼び、いくつかの作業をさせてその様子を録画した。次にその映像を被験者に見せて、学生の知性を推測してもらった。 その結果、実験室での作業のひとつが知性を推測する有力な手がかりになっていることがわかった。それは、新聞の見出しと小見出しを声に出して読む、という作業だ。被験者はその様子を 3分ほど観察しただけで、学生の知性を正確に推測できた。 小学校の国語の授業では教科書を音読させる。すらすら読める子もいれば、つっかえながらしか読めない子もいる。それが国語の成績を反映するというのは当たり前だ、と思うひともいるだろう。 では、次の実験はどうだろうか。 ノースイースタン大学の研究者は、見ず知らずの大学生同士にお互いを知るために会話をするように求めて、その様子を録画した。次に、学生の知能指数と GP A(学業平均値)、 SA T(大学進学適性試験)の成績を一覧にした。 被験者は学生の様子を、次の3つの方法で観察した。 ① 音声のある 1分間の映像 ② 音声のない 1分間の映像 ③ 1分間の会話を書き起こした文章 観察が終わると、被験者は知能指数、 GP A、 SATのリストを与えられ、どのデータがどの学生に該当するかの推測を求められた。 もうおわかりのように、音声のある 1分間の映像を見た被験者は、学生の知能を正確に推測できた。だが興味深いことに、音声のない 1分間の映像でも、推測は同様に正確だったのだ。それに対して音声も映像もない会話の文章だけでは、まったく成績を推測できなかった。 このことから、知性は会話を聞かなくても、外見から推測できることがわかった。研究者は知性を表わす手がかりとして、視線と美しい顔立ちを挙げている。 話しているときに相手の目を見るひとは、知的な印象を与えるばかりか、実際に知能が高い。「美しい顔立ち」というのはいわゆる美男美女のことではなく、〝美しさのレベルが半分以下の顔〟の場合とされているから、「端正な顔立ち」とか、「整った顔立ち」というほうが正確かもしれない。俳優のようにあまりにも美しいと、ひとはそれを知性とは感じない。よどみなく話しているときは表情も整って見えるだろうから、平均的な容貌で、全体のバランスがよく好感が持てると、ひとはそれを知性に結びつけるのだ。「最初の直感」の的中率 ひとは外見だけで、見ず知らずの人間の性格や知性を判断できる。これは驚くべき能力だが、この直感はどこまで信用できるのだろうか。 アメリカの大学では、学期の終わりに学生が教師を評価する。多くの大学では教師の昇進や昇給、終身在職権(テニュア)の付与にこの授業評価が使われている。 そこで研究者は、学生がどのくらい正確に教師の授業の質を判断できるかを調べてみた。 まず学生を 2グループに分け、ひとつのグループは学期の最初の授業の直後に評価を行ない、もうひとつのグループは第 1週の終わりに評価を行なった。そして 4カ月後の学期末に、すべての学生が同じ評価をもういちど行なった。
評価は教師の熱意、学問の重要性や可能性がどれぐらい伝わってきたか、学生の質問にきちんと応じたか、学生を励まし学習意欲をかき立てたかなど多岐にわたったが、 1週目の評価だけでなく、初日の評価も学期末の評価とほぼ一致した。学生は、初日の授業だけで教師の優秀さを正確に見抜いたのだ──というのが、この結果のもっともわかりやすい説明だろう。 次に研究者は、授業体験をどこまで短くすると学生が判断できなくなるかを調べた。 ハーヴァード大学で人文科学、社会科学、自然科学の授業を録画し、それを各授業につき 30秒(授業のはじまりと中ほどと終わりの部分をそれぞれ 10秒ずつ)にまとめたところ、学生はその映像だけで有能な教授と無能な教授を見分けた。この映像から音声を取り去っても結果は同じだった。 そこで研究者は、さらに映像を短くしてみた。こんどは各パート 2秒の合計 6秒の音声のない映像だが、驚いたことに、この断片だけの映像から下した評価も学期末の(別の学生による)評価と一致していたのだ。 こうなってくると、学生がそもそも授業内容を正しく理解しているかもあやしくなってくる。この課題に挑戦したのが行動科学者のスティーブン・セシだ。 セシは、秋学期と春学期のあいだにプレゼンテーション・スタイルの研修を受けることにした。そして周到な準備をして、(プレゼンテーション技術の低い)秋学期で教える内容と、身振り手振りや声の質・高低などのプレゼンテーションスキルを学んだ春学期の内容を、話す言葉から時間割、プロジェクターのフィルムまですべて同じにした。 各学期の終了後に学生は授業評価を行なった。秋学期のセシの授業は 5段階評価で 2・ 5と標準的だったが、春学期ではいきなり 4の高評価に変わった。授業内容はまったく同じにもかかわらず、学生たちはプレゼンテーションのちがいだけで、セシに対して「熱意と知識を有し、他者の見解に寛容で、親近感があり、より整然としている」という印象を抱いたのだ。 この研究結果を見れば、教師はみなプレゼンテーション技術を学ぶべきだということになる。とりわけ終身在職権を持たない若い教師にとっては、授業評価が 2・ 5か 4かの違いは人生の分かれ目になるだろう。 だがセシの実験は、プレゼンテーションが万能ではないことも示している。学期末のテストの成績を比較すると、秋学期と春学期で両者に差はなかった。〝熱意あふれるセシ教授〟に教えられた学生は満足したかもしれないが、それは「多くのことを学んだ」と感じただけだったのだ。 この実験結果から誰もが思いつくのは〝プレゼンテーションの祭典〟 TEDだろう。そこでは高度なプレゼンテーションスキルによってイノベイティブなアイデアが披露されることになっているが、それが真に価値あるものかどうか判断するなら YouTubeを見るのではなく、紙に書き起こしたものを読んだほうがいい。素晴らしいプレゼンでひとびとを動かそうとしても、元になるアイデアが無価値ならなんの意味もないのだ。「面長の顔」は「幅の広い顔」に殺されている 直感のちからが大学教授の有能さを瞬時に見分けられるのなら、外見から攻撃性を推測するくらいはかんたんだ。実際、ふたつの異なる容貌を一瞬( 0・ 039秒)見ただけで、ひとはどちらが攻撃的な性格なのかを判別できることがわかっている。 写真の人物はどちらも無表情で、頭髪は同じようにぼかされていた(もちろんピアスや刺青のたぐいもない)。 それではいったい何が判断の基準になるのだろうか。それは顔の幅と長さの比率だ。 わたしたちは、面長の顔と幅の広い顔を見せられたとき、後者を攻撃的と判断する。そしてこの直感は、男性に関してはかなり正確だとわかっている(女性については、面長と幅広で攻撃性に差はない)。 なぜこのようなことが起こるのだろうか。研究者は、男性の顔の幅はテストステロンの濃度に関係しているのではないかと考えている。 テストステロンは代表的な男性ホルモンで、この数値が高いほど競争を好み、野心的・冒険的で、攻撃的な性格になる(当然、性欲にも強く関係している)。 テストステロンの濃度のちがいは遺伝的な要因もあるが、それよりも胎児のときの子宮内の環境から大きな影響を受けている。 胎児は子宮のなかでさまざまなホルモンに曝されていて、その影響は脳だけでなく身体的な特徴としても現われるのだ。 広く知られているのは人差し指と薬指の比率で、女性はその長さがほぼ同じだが、男性では薬指が長いことが多い。人差し指と薬指の長さのちがいは、テストステロン値が高いほど大きくなる【 44】。 同様の特徴が、顔の長さと幅の比率についても観察されている。テストステロンの濃度が高い男性ほど顔の幅が広くなり、攻撃的な性格が強くなるのだ。──誤解のないようにいっておくと、これはあくまで「平均的な男性」のことで、幅広の顔の男性がすべて暴力的だというわけではない。 ハーテンステインは、面長の男性と幅広の男性について、次のような研究データを紹介している。いずれも権威ある心理学の専門誌に掲載された研究だ。 ① 幅の広い顔の男性は、ほっそりした顔の男性に比べて、ライバルを蹴落とすために 3倍嘘をつく。 ② サイコロの目の数で 50ドルのギフトカードが当たるくじに参加できる回数が決まる、という実験では、幅の広い顔の男性は、ほっそりした顔の男性に比べて、実際に出た目よりも多い数を申告する比率が 9倍になった。 ③ 賞金を山分けするか、自分が多く取るかを決められる条件では、幅の広い顔の男性は、ほっそりした顔の男性に比べて、公平に分配することを嫌った。 ④ アメリカで発見された無数の頭蓋骨と 200以上の殺害されたひとの頭蓋骨を調べたところ、絞殺、刺殺、撲殺などの接触的な暴力で殺されたケースは、ほっそりした顔の男性が圧倒的に多かった。(テストステロン値の高い)幅の広い顔の男性のほうが喧嘩をする回数は多いだろうから、研究者はこの結果を、「ほっそりした顔の男性が幅の広い顔の男性に殺されている」と解釈した。顔立ちによる残酷すぎる損得 大きな目、丸い輪郭、広い額、小さな顎などは童顔(ベビーフェイス)と呼ばれる。文字どおり赤ん坊に似ているからで、童顔のひとは男でも女でも、純真で、素直で、か弱く、温かく、正直な印象を与える。 だが、童顔だからといって生きていくのに有利だとは限らない。 アメリカの研究では、銀行が窓口担当者と融資の査定担当者を募集するとき、童顔の男性を窓口担当者に、大人びた顔の男性を査定担当者にすることが多い。大人びた顔のほうが、「決断力があり、時に非情な態度もとれる」ように見える。融資を受けようとする側は必死だから、童顔の担当者では足元を見られて押し切られてしまうと懸念するのだ(これはおそらく日本でも同じだろう)。 銀行業務では、窓口よりも融資の査定担当のほうが地位も給料も高いのがふつうだから、童顔の男性は外見だけで「非情さに欠ける」と判断され、割を食うことになる。
だが反対に、童顔で得をすることもある。 アメリカの裁判の判決と被告の容貌を比較した研究では、童顔の男性にカネを騙し取られたと訴えたとしても、多くの場合、敗訴することがわかっている。 300の裁判を調べた研究では、被告が無実を訴えても、大人びた顔の被告の 92%に有罪判決が下りたが、童顔の被告が有罪となったのは半分以下の 45%だった。裁判に提出された証拠や、被告の顔が美形かどうかや年齢を考慮に入れてもこの結果は変わらなかった。 人種と容貌に関するより不穏な研究もある。 アメリカ人にはさまざまな顔立ちのひとがいる。このうち、横に広い鼻、厚い唇、黒い肌といった特徴を持つひとを「アフリカ起源の顔(アフロセントリック)」と呼ぶ。これは〝純血〟の黒人かどうかとは関係なく、また人種を問わず(ヒスパニック =カリブや中南米からの移民の子孫にも「アフロセントリック」なひとはいる)、一般的に「アフリカらしい」と思われている顔立ちのことだ。 次に研究者は、フロリダ州の裁判では判決に人種によるちがいが見られないことを確認した。人種差がないというのは、犯罪の重大性や犯罪歴といった条件をそろえると、白人も黒人も同等な刑を宣告されているということで、その意味ではリベラルな裁判所といえる。 ところがそのリベラルな裁判官たちが下した判決を犯罪者の顔写真で比較すると、アフロセントリックかどうかで刑期の長さを予測できた。犯罪の重大性や犯罪歴をそろえると、〝アフリカ起源の顔〟の特徴を持っている被告は、アフロセントリックでない被告よりも重い罰を下されていたのだ。 フィラデルフィアの裁判記録を調べた研究でも、アフロセントリックな顔の被告ほど死刑判決が下される傾向があった(ただしこれは被害者が白人の場合)。アフロセントリックでない被告の 24%が死刑判決を受けているのに対し、アフリカ起源の顕著な特徴を持つ被告の場合、 2倍以上の 58%が死刑判決を下されていた。 アメリカの裁判所は、人種のちがいによって刑を変えないという意味では平等になった。だがその一方で、裁判官たちは容貌から内面を推し量るという錯覚にとらわれ、顔立ちが暴力的だと直感した被告に重い刑を科していた。 私たちの日常的な判断は、視覚(見かけ)に大きく依存しているのだ。
7 あまりに残酷な「美貌格差」 容姿によって人生が左右されることは誰でも知っている。美男や美女は誰からも愛され、ブス、ブ男は無視される。だったら美貌の経済効果はどのくらいだろうか。──こんな疑問を思いついたのが経済学者のダニエル・ハマーメッシュだ【 45】。 ハマーメッシュは、美しさの基準は時代や文化によって異なるものの、そこにはある種の普遍性があるという。あらゆる社会に共通する美の基準は顔の対称性と肌のなめらかさで、女性の体型で重要なのはウエストのくびれだ。これを進化論的に説明すると、顔の対称性が崩れていたり、肌に湿疹や炎症ができているのは感染症の徴候で、ウエストのふくらんだ女性は妊娠の可能性がある。いずれも子孫を残すのに障害となるから、進化の過程のなかで健康な異性や妊娠していない女性を選好するプログラムが脳に組み込まれたのだ。 多くのひとはこうした説明を不愉快に思うにちがいない。だがこれは、現在では科学(進化生物学や進化心理学)の標準的な理論で、実験や観察結果による膨大な証拠が積み上げられている。もっとも現代人の美の選好がすべて進化で説明できるわけではなく、ヒトと大半の遺伝子を共有するチンパンジーやボノボのオスは、若い〝処女〟よりも出産経験のある年長のメスに魅力を感じる。貴重な食料とセックスを交換するのなら、健康な子どもを産む能力を証明している相手のほうが〝投資効率〟が高いわけで、たしかにこのほうが進化論的に合理的だ。美人とブスでは経済格差は 3600万円 美貌の経済効果を計測するのは、(現実にはともかく)理屈のうえでは簡単だ。人種や年齢、社会階層、学歴など外見以外がすべて同じ男女をたくさん集めてきて、第三者にその美貌を判定させてランクづけし、収入の差を調べればいい。 実際にはこのような調査は不可能でさまざまな統計学的調整や類推をするのだが、その過程を飛ばして結論だけいうと、美貌を 5段階で評価し、平均を 3点とした場合、平均より上( 4点または 5点)と評価された女性は平凡な容姿の女性より 8%収入が多かった。それに対して平均より下( 2点または 1点)と評価された女性は 4%収入が少なかった。容姿による収入の格差はたしかに存在するのだ──知っていたと思うけど。 経済学ではこれを、美人は 8%のプレミアムを享受し、不美人は 4%のペナルティを支払っていると考える。ペナルティというのは罰金のことで、たんに美しく生まれなかったというだけで制裁されるのだからこれは差別そのものだ。 ところで、このプレミアムとペナルティは具体的にどの程度の金額になるのだろう。 20代女性の平均年収を 300万円とすると、美人は毎年 24万円のプレミアムを受け取り、不美人は 12万円のペナルティを支払う。こう考えると、思ったより「格差」は小さいと感じるのではないだろうか。世間一般では、美人とブスでは天国と地獄ほどのちがいがあると思われているのだから。 ただしこの計算も、一生で考えるとかなり印象が変わってくる。大卒サラリーマンの生涯賃金は(退職金を含め)約 3億円とされているから、美人は生涯に 2400万円得し、不美人は 1200万円も損して、美貌格差の総額は 3600万円にもなるのだ。 この試算を単純すぎると思うひともいるだろう。美貌は年齢とともに衰えるのだから。 だがハマーメッシュは、弁護士のような職業では美貌格差は年齢とともに大きくなると述べる。若いときの収入は同じでも、美貌の弁護士はよい顧客を獲得しやすいから、年をとるにつれてその経済効果が大きくなっていくのだ。 さらに身も蓋もないことに、美貌と幸福の関係も調べられている。そして予想どおり、美人はよい伴侶を見つけてゆたかで幸福な人生を手に入れ、不美人はブサイクな男性と結婚して貧しく不幸な人生を送ることが多いという結果が出ている。だが幸いなことに(?)この差も一般に思われているほど大きくはなく、上位 3分の 1の容姿に入るひとが自分の人生に満足している割合は 55%(すなわち 45%は不満に思っている)で、下から 6分の 1の容姿でも 45%が自分の人生に満足している。この結果を肯定的にとらえれば、美形でも半分ちかくは不幸になり、ブサイクでも半分ちかくは幸福になれるのだ。 この美貌格差が、男性よりも女性にとって大きな心理的圧迫になっていることは明らかだ。これは男性が女性の若さや外見、すなわち生殖能力に魅力を感じるからで、これによって女性は熾烈な「美」の競争へと駆り立てられる。 それに対して女性は、男性の外見以外にも、社会的な地位や権力、資産に魅力を感じる。これはブサイクな男性も、努力によってそのハンディを乗り越えられるということだ。その結果、女性だけが美しさの呪縛に苦しむことになる。過度なダイエットや拒食症、整形手術による身体への暴力は「美の陰謀」なのだ……【 46】。 ここまでは周知の事実を学問的に検証しただけで、面白みはないかもしれない。だが話はここからすこしちがう方向に進んでいく。「美貌格差」最大の被害者とは ほとんどのひとが容姿を女性にとってより重要な問題だと考えるだろうから、ここまでは意図的に女性の美貌格差を紹介してきた。だがハマーメッシュは、女性よりも男性のほうが美貌格差が大きいことを発見した──といっても、これはすこし説明が必要だ。 まず、美形の男性は並みの容姿の男性より 4%収入が多い。女性の場合、美貌のプレミアムは 8%だからその半分で、男性はイケメンでも経済効果はそれほど期待できない。これは常識の範囲内だろう。 驚くのは容姿の劣る男性の場合で、平均的な男性に比べてなんと 13%も収入が少ないのだ。女性の場合は 4%だから、醜さへのペナルティは 3倍以上にもなる。なぜこれほどまでに男性は容姿で差別されるのだろうか。 この疑問に対してハマーメッシュは、母集団の違いを指摘する。成人男性の 8割以上が仕事に就くのに対し、アメリカでも就業する女性は 7割程度だ。これは専業主婦になる女性がいるからで、経済学的な観点からは、彼女たちが労働市場を忌避するのは期待できる賃金が少ないからにちがいない。美貌による賃金格差がある以上、働かない選択をした女性の不美人度は高い(美人のほうが働く意欲が強い)はずで、母集団から容姿の劣る女性が抜けたことで男性との差が生じたのだ。 しかしこれだけで、男性と女性の「醜さ」の大きな格差のすべてが説明できるだろうか。ここではもっと常識的な説明を考えてみたい。 雇用主は男性と女性の求職者の外見を同じ基準で判断するわけではない。女性の求人で、モデルや美容部員、接客業なら容姿を重視するだろうが、事務職などでは外見を考慮しないことも多いだろう。男性の場合は、イケメンだけを採用するのはホストクラブくらいかもしれない。だとしたら雇用主は、男性の外見のどこを気にするのだろうか。 それは美醜ではなく暴力性だろう。 あらゆる社会において、女性よりも男性の犯罪者が圧倒的に多いことは共通している。日本でも刑法犯に占める女性の比率は 15 ~ 20%程度で 8割以上は
男性だ。強盗、傷害、暴行、恐喝のような暴力犯罪に限れば男性の比率は 9割を超え、若いほど犯罪率は高い。これほどまでに大きな性差があれば、雇用主が若い男性の暴力性を考慮するのは当然だ。だが履歴書だけでは誰が危険なのかを判別することはできず、そのため暴力的な外見の若者が真っ先に排除されるのだ。 これはもちろん、人相の悪い若者がすべて犯罪者だということではない。そればかりか、若者が法を犯すかどうかは容姿とほとんど関係しないというデータもある。だがこれには例外があって、「きわめて醜い」とされた一部の若者は、強盗や窃盗、暴行に手を染める可能性がとても高いのだ。 この事実をどう解釈するかは慎重であるべきだろう。醜い若者は、雇用主の差別によって労働市場から追い出され、犯罪者の道を選ぶほかなかったのかもしれない。しかし現在では、男性ホルモンであるテストステロンが暴力性と強く相関し、なおかつその影響が外見にも表われることがわかっている。胎内で高濃度のテストステロンを浴びた男性は、思春期になるとテストステロン濃度がきわめて高くなる。そこから生じる威圧的・暴力的な雰囲気を私たちは無意識のうちに察知して強く警戒するのだ。会社の業績を上げる経営者の顔とは 美の呪縛にとらわれているのは女性だが、意外なことに美貌格差の最大の「被害者」は醜い男性だった。だが話はここでもういちど反転する。 米タフツ大学のニコラス・ルールとナリーニ・アンバディは、「 CEO(最高経営責任者)の顔だけで会社の収益を予測できるか」というとんでもない疑問を思いついた。そして被験者に 2006年のフォーチュン 500(米国の大手企業 500社)の上位と下位の各 25社(計 50社)の男性 CEOの顔写真を見せて、以下の 3点を評価してもらった【 47】。 ① 力: CEOの能力、統率力、顔の成熟度から判定 ② 温かみ: CEOの好感度、信頼度から判定 ③ リーダーシップ:この人物は巧みに会社を運営できるか? 被験者は CEOのことも、会社の業績についても何も知らなかった。それにもかかわらず彼らは、「力」と「リーダーシップ」の印象だけで会社の収益をきわめて正確に予測したのだ(「温かみ」は業績とは関係なかった)。この結果は CEOの顔立ちの端正さ、顔写真の表情、年齢を揃えても変わらなかった。 次にルールとアンバディは、 CEOの写真を見ているときの被験者の脳を MRI(核磁気共鳴画像法)で撮影し、どの部位が活動しているか調べた。それによると、低収益の会社の CEOを見たときよりも、高収益の会社の CEOの顔を見たときのほうが、被験者の脳の左側にある扁桃体の動きが著しく活発になることがわかった。 扁桃体は感情(喜怒哀楽などの情動)に関係している。高収益の会社の CEOの顔には、ひとの感情を揺り動かすものがあるのだ。それはいったい何だろう? ウィスコンシン大学のチームは、その答えを求めてフォーチュン 500の企業の男性 CEO 55人の写真を調べてみた。すると、顔の長さに対して幅の広い CEOのほうが会社の収益が高いことが分かった。 前章で述べたように、母親の胎内で高濃度のテストステロンに曝された男性は顔の幅が広くなる。こうした男性は成人後もテストステロン値が高く、攻撃的・暴力的な傾向が強い。これは別のいいかたをすれば、冒険心に富み、競争で勝つことに執着するリーダータイプのことだ。 このことから、経営者の顔と会社の業績の相関には以下の2つの可能性が考えられる。 ひとつは、生まれつきテストステロン値が高く、同時に家庭環境や知能に恵まれた男性は、刺激を求めて犯罪や暴力に走るのではなく、自身の才能を政治やビジネスの競争に勝つことに使おうとする、ということだ。一方、同じように高い知性を持っていてもテストステロン値が低い(顔の細長い)男性は「勝つ」ことへの執念が欠けていて、そのため出世競争で脱落してしまうし、仮に CEOになれたとしても会社の業績を向上させることができない。 もうひとつの可能性は、私たち(部下や取引先、消費者など)がテストステロン値の高い男性を無意識のうちにリーダーと見なすことだ。顔の幅が広く精力的な男性は攻撃的・暴力的に見えるから、ひとびとは恐怖や畏怖の念を抱く。こうした男性と相対したときに自らの身を守る最善の方法は、膝下に額ずいて臣従を誓うことだろう(どういうタイプか知りたいひとは、 G Eの前 CEOジャック・ウェルチの画像や動画を見てほしい)。それに対して顔の細長い CEOは、高い地位についてもひとびとからリーダーとして受け入れられないため経営に失敗してしまうのだ。 テストステロンは年齢とともに減少していくが、その度合いは個人差が大きい。精力的な男性は高齢になってもテストステロン値が下がらず、ビジネスでも性生活でも現役のことが多い。またテストステロン値は、地位によっても変わることがわかっている。チンパンジーのテストステロン値を測ると、群れのリーダーになると大きく上がり、リーダーから脱落すると急激に下がる。現役のときに活躍したひとも、いったん引退すると急に老け込んで見えるのはこの効果のせいかもしれない。 テストステロン値の高い男性は競争を好み、地位が上がるにつれてさらにテストステロン値が上がって魅力と恐ろしさが増すから、部下は無条件で指示に従うようになる。これはワンマン経営の創業者によく見られる特徴で、こうした独裁タイプのリーダーが冒険的で的確な経営判断をすれば会社の業績は大きく向上するだろう。ただし逆に、判断を間違えると誰も止めることができず、破滅へと突き進むことになってしまうのだが。 その意味でこの興味深い実験には、顕著な「生き残りバイアス」がかかっている。フォーチュン 500に載るのはどこも成功した会社だから、そのなかでテストステロン値の高いリーダーを探せば、(冒険がうまくいったのだから)ハイリスク・ハイリターンの法則によって安定経営の会社より収益性が高いのは当たり前なのだ。容姿による差別を生む市場原理 テストステロンのようなホルモンが性格(内面)と外見に同時に影響を与えるとしたら、容姿による「差別」には理由がある。だがほとんどの場合、美しさはもっと微妙なもので、遺伝的な運不運に左右されるだろう。 近代社会においては、人種や性別、出自のような本人の努力ではどうしようもない要因で待遇を変えることは差別として禁じられている。だとしたら、生得的な美貌格差も差別として法で規制すべきではないだろうか。 アメリカには、容姿による差別を裁判に訴えたケースがいくつもある。よく知られているのはプレイボーイクラブから年齢を理由に解雇された元バニーガールの訴訟で、「自分はかつての可憐な容姿から、成熟した女性らしい容姿に生理的に移行した」と主張したものの、判決では「年齢により、あるいは修復不可能な容姿の欠陥によりバニーガールのイメージを喪失した」とのプレイボーイ側の主張が認められた【 48】。こうした判断は他の裁判でも同様で、
俳優やモデルなど容姿で採否を決めるほかない職業がある以上、これは仕方のないことでもあるのだろう。 この問題についてハマーメッシュは、「容姿の平等」という非現実的な理想を追い求めるよりも、美貌格差に対してアファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)の適用を検討するよう提言する。人種差別の歴史によって不利益を被っている黒人に大学への特別入学枠を用意するのと同じように、容姿によって不利益を被っているひとたちに国が補助金を支給するのだ(その原資は当然、美形のひとたちが出すことになる)。 だがこの斬新な提案も実現は困難だろう。自分が醜いと認めて補助金を貰おうとするひとがいるとは思えないし、仮にいたとしてもより激しい差別と批判にさらされることは間違いないからだ。 ではなぜ、ハマーメッシュはこんな荒唐無稽な主張をするのか。 私たちは、容姿で給与や昇進を決めるのは企業や経営者による差別だと考える。これは間違いではないが、企業がこうした差別をする理由は、営業職や接客業において、美形の従業員のほうが明らかに収益性が高いからだ。市場原理によって、彼らは正当な報酬を得ているだけなのだ。 なぜこのようなことが起きるかというと、それはもちろん、消費者が美形の相手から商品を買ったり、サービスを受けることを好むからだ。 私たちは「美貌格差」を批判するが、その差別を生み出しているのも私たちなのだ。
8 男女平等が妨げる「女性の幸福」について「男と女は生まれながらにしてちがっている」 2011年6月、ディー・エヌ・エー創業社長の南場智子氏は自らトップの座を退いた。ハーヴァードで MBAを取得し、大手コンサルティング会社を辞めてベンチャー企業を起こし、わずか 10年あまりで売上高 1000億円を超える上場企業に育て上げた成功者の突然の退任の理由は、「夫の看病で(社長業に)全力を出せなくなった」というものだった。 その 2カ月前に夫ががんを告知されたときのことを、南場氏はこう回想している。「その瞬間、私には一生こないだろうと思っていた心境の変化が起きました。これまでの自分の人生は、全部このときのためにあったんじゃないか。そんなふうに思いました。何のためらいもなく、私にとっての優先順位が、仕事から家庭へと変わってしまったのです【 49】」 じつはこうしたケースは、米国では珍しいことではない。 ブッシュ政権のアドバイザーだったカレン・ヒューズは、「家族がホームシックになってテキサスに帰りたいといっている」との理由でホワイトハウスを去った。ペプシコーラの社長ブレンダ・バーンズも、家族とイリノイに戻るために退任した。パキスタン大使に任命されたウェンディ・チェンバレンは、「保安上の理由で 2人の幼い娘に会えない」と要職を辞任した。 2003年、ニューヨーク・タイムズの女性記者リサ・ベルキンは、「社会的成功を手にした高学歴の女性たちが続々と家庭に戻っていく」現象について書いた。ベルキンはこれを、職場からのドロップアウト(おちこぼれ)ではなく、「オプトアウト(自らの意思で仕事から身を引く)」と名づけた。 オプトアウトした女性たちは、次のようにいう。「有名法律事務所のパートナーになるための最短コースに乗ることに興味はありません。あるひとにとってそれは成功を意味するでしょうが、わたしはちがいます」「有名になりたいわけでも、世界を征服したいわけでもないんです。そんな人生はまっぴらです【 50】」 ベルキンの記事が大きな反響を巻き起こしたのは、「男と女は生まれながらにしてちがっている」と述べたからだ。それは女性差別を正当化するものとして、新しい世紀を迎えたアメリカですら口にしてはならない言葉だった。男と女は別々のものを見ている いまから 20年ほど前、アメリカの心理学者レナード・サックスは、小学校の 2学年、 3学年の男の子が母親に連れられて次々と診察を受けにくることに気づいた。母親たちはみな、学校から同じ通知を受け取っていた。そこには「 ADHDの疑いがある」と書かれていた。 AD H D(注意欠陥・多動性障害)は多動性、不注意、衝動性などを特徴とする神経発達障害のひとつで、小学校の教室でじっとしていることのできない男の子に典型的な病気とされた。この病気には集中力を高める「リタリン(メチルフェニデート)」という中枢神経刺激薬が効果的といわれ大量に処方されたが、その組成はアンフェタミン、すなわち覚醒剤とほとんど同じだ。子どもに覚醒剤を投与すれば、授業に集中しているように見えるだろう。しかし、これが果たして「治療」なのか。 アメリカの幼児教育の授業では(おそらく日本でも)、子どもたちは「たくさんの色を使って表情ゆたかに人物を描く」よう指導される。だが AD H Dと診断された男の子たちは、クレヨンを渡すと、先生の指導を無視してロケットや自動車を描きなぐった。 だがサックスは、これは男の子に「欠陥」があるのではなく、眼の構造が女の子とちがうからだという。 モビールは紙やプラスチック、金属板などでさまざまなかたちをつくり、それを糸や棒で吊るした飾りだ。このモビールをベビーベッドの上から吊るし、同時に若い女性が赤ちゃんに笑いかけると、男の赤ちゃんはぶらぶら揺れるモビールを見ようとし、女の赤ちゃんは女性の顔を見ようとする。女の子は生まれつき人間の顔に興味を持ち、男の子は生得的に動くものに興味を持つのだ。 このちがいはどこから生じるのだろうか。 網膜には、桿状体に反応する M細胞(大細胞)と、錐状体とつながる P細胞(小細胞)がある。 桿状体は単純な動きの探知装置で、網膜全体に分布し、視野のどこにある物体でも追うことができる。それに対して錐状体は、視野の中央部分に集まっていて、質感や色の状態に反応する。桿状体からの情報は M細胞を通じて大脳皮質の物の動きの分析を司る部位に送られ、錐状体からの情報は P細胞を通じて質感と色の分析を司る部位へ送られる。 男女の網膜を調べると、男性のほうが厚い。これは男性の網膜に大きくて厚い M細胞が広く分布しているからで、それに対して女性の網膜は小さく薄い P細胞で占められている。 幼い子どもにクレヨンと白い紙を渡して好きな絵を描かせると、女の子たちは赤、オレンジ、緑、ベージュといった「暖かい色」で人物(あるいはペットや花、木)を描こうとする。一方、男の子たちは黒や灰色といった「冷たい色」を使って、ぶつかろうとするロケット、誰かを食べようとするエイリアン、別の車に衝突しようとする車など、なんらかの動きを表現しようとする。これは親や教師が「男の子らしい」あるいは「女の子らしい」絵を描くように指導したからではなく、網膜と視神経の構造的なちがいによって、色の使い方や描き方、描く対象の好みが分かれるからだ。 ところがアメリカの(日本でも)幼稚園の先生の大半は女性で、こうした男の子の特徴がわからない。そのため、どれほど指導しても女の子のような(暖かい色を使った人物の)絵を描くことのできない男の子は、「どこかがおかしい」と判断されて「治療」の対象になってしまうのだ【 51】。「男らしさ」「女らしさ」の正体とは 男性と女性の脳組織に顕著な性差があることは、脳卒中と言語機能の関係から明らかになった。 脳の左半球に卒中を起こした男性は、言語性 I Qが平均で 20%低下するが、右半球に卒中を起こした場合は言語性 I Qの低下はほとんど見られない。それに対し、脳の左半球に卒中を起こした女性は言語性 I Qが平均で 9%低下し、右半球に卒中を起こした場合でも 11%低下する。 男性の脳は機能が細分化されていて、言語を使う際に右脳をほとんど利用しないが、女性の脳では機能が広範囲に分布しており、言語のために脳の両方の半球を使っているのだ【 52】。 こうした脳の機能的なちがいは、興味や関心、知能や感情などさまざまな面に影響を及ぼす。
欧米においても、自然科学の分野で博士号を取得する女性の比率は 10%を下回り、物理学と工学(エンジニアリング)では 5%に届かない。これは従来、アカデミズムにおける性差別の明白な証拠とされていたのだが、それでは生物学において女性研究者の比率が 25%ちかくを占める理由が説明できない。フェミニストの批判が正しいのなら、著名な物理学者であるアインシュタインもファインマンも性差別主義者になってしまう。 この疑問に対してカナダの心理学者ドリーン・キムラ(「キムラ」姓だが日系ではない)は、自然科学における男女の偏りは、女性の脳が物理学よりも生物学に適しているのが理由だとこたえる。胎児の段階から男性ではテストステロン、女性ではエストロゲンなどの性ホルモンが脳の形成に影響を及ぼし、その結果、男性は空間把握や数学的推論の能力が発達し、女性は言語の流暢性を高めた。女性研究者は自分自身の合理的な判断によって、優位性のある分野に進むのだ【 53】。 イギリスの心理学者サイモン・バロン =コーエンは、男性の脳の特徴は「システム化」で、女性の脳は「共感」に秀でていると述べた【 54】。プログラマの大半が男性で、看護師や介護士に女性が多いのは、脳の生理的な仕組みによって「好きなこと」がちがうからだ。 ボーヴォワールは、「人は女に生まれるのではない。女になるのだ」と書いた。だが家庭や学校での性差別的な教育が「女らしさ」を植えつけるという(広く信じられている)この仮説は、大規模な社会実験によっても否定されている。 キブツはイスラエルの実験的なコミューン(共同体)で、子どもは幼児期に親から切り離されて寄宿舎で生活し、訓練を受けた保育の専門家が男女をいっさい区別しない教育を行なう。性別や階級の壁がない「ユートピア」で育った子どもたちは、あらゆる職業を半分ずつ担うようになるはずだった。 だが人類学者が 1970年代にキブツで育った 3万 4000人の生活を調査したところ、意外な事実が明らかになった。男女の役割分担を均等にしようと試みて 4世代が経過しても、女性の 7 ~ 8割は人間を相手にする仕事、なかでも保育や教育の分野に集まり、男性の大半は農作業や工場、建設、営繕関係の仕事を選んでいたのだ。さらに奇妙なことに、キブツでの生活が長いほど性別役割分業の傾向が強く見られた。 これを受けて、研究者は次のようにいう。「統計データに表れた結果は実に意外だった。男女はそれぞれが別々のコミュニティで生活し、顔を合わせるのは住居だけという印象である。まるで二つの別の村を調査しているようだといっても過言ではない。男女が選ぶ職業、そして就きたいと思う職業が同じになるどころか、分かれていく強力な傾向が全般的かつ累積的に見られることは、過去に特定のキブツを調査した研究者たちと同様、われわれも予想していなかった」「男はモノを相手にした仕事を、女はひととかかわる仕事を好む」というキブツの大規模な社会実験の結果は、男女の志向のちがいが(男性中心主義的な)環境ではなく、脳の遺伝的・生理的な差から生じることを示している。男らしさや女らしさは進化が生み出した脳のプログラムなのだ【 55】。「母性愛」のもと、オキシトシン なぜ女性は「子育て」に惹かれるのだろうか。「進化の過程でそのような行動が強化されたから」というのが生物学からのこたえだ。 女性が乳幼児に授乳や養育、保護などを行なうとオキシトシンというホルモンが分泌される。オキシトシンはモルヒネ様ホルモンで、その効果によって女性は「満ち足りた幸福感」を味わう。 ある(女性の)神経医学者は、これをドラッグの禁断症状にたとえている。授乳中は鎮痛作用と快感誘発作用のあるオキシトシンが数時間おきに母親の脳を満たすが、仕事に行くとその供給が途切れてしまう。そのため授乳中の母親は、早く家に帰りたくてうずうずするのだ。 母性とホルモンの関係については、さらに衝撃的な研究結果もある。 ネズミを使った実験では、母ネズミにコカインか子ネズミへの授乳かを選ばせると授乳を選ぶ。母ネズミの「母性愛」はコカインの誘惑を退けるほど強いのだ。 しかしなぜ、このような行動が進化の過程で選択されたのだろうか。じつは母ネズミにコカインを摂取させると、授乳や養育をやめてしまうことがわかっている。コカインが母性行動を司る神経経路を阻害するからで、コカインの刺激を好む母ネズミは子ネズミをうまく育てることができない。そのため狡猾な進化のプログラムは、コカインよりも強力な体内ドラッグを母ネズミに与えたのだ。 男性の行動や性格に性ホルモンのテストステロンが強く影響していることはよく知られているが、オキシトシンの作用はまだ完全に解明されていない。だが現在では、オキシトシンは授乳や子育てだけでなく、分娩やセックスのオルガスムでも分泌することがわかっている【 56】。セックス依存症や(ホストクラブにはまる女性の)愛情中毒は、幼児期・思春期の家庭環境や性的虐待が原因とされているが、じつは授乳と同様、〝体内ドラッグ〟の禁断症状なのかもしれない。 進化生物学者リチャード・ドーキンスは、すべての生き物は遺伝子を効率的に複製するための乗り物(ヴィークル)だと述べた。「利己的な遺伝子」は性交、出産、授乳、子育てに多大な報酬を与え、それによって生じる幸福感から「母性愛の錯覚」を生み出し、後世により多くの遺伝子を残そうとしているのだ。男女でちがう「幸福の優先順位」 日本はもちろんのこと、欧米でも女性の平均収入は男性より低く、組織のトップの座を占めている人数も少ない。だが先進国で男女の満足度を調べると、いつの時代でも女性のほうが一貫して高いことが知られている。その一方で、イギリスの 2万 5000人の女性公務員を対象にした調査によれば、 90年代前半以降、女性の仕事に対する満足度が下がっているが、男性の満足度はほぼ変わっていない【 57】。 女性が男性と異なる職業選択をしていたときには、女性は男性より幸福度が高かった。だが男女同権で女性の社会進出が進んだことによって、人生の満足度も男性と同じレベルまで下がってしまったのだ……。 この奇妙な現象には、さまざまな説明が試みられている。そのひとつは、たとえ高学歴でも、女性は男性に比べて自信を持つことが苦手だというものだ。 MBAを目指すアメリカの一流大学の学生を対象に、会社で給与の査定を受ける模擬実験をすると、昇給の交渉をする女性は男性の 4分の 1しかおらず、たとえ交渉したとしてもその額は男性より 30%低かった。またイギリスのビジネススクールで「卒業から 5年後の自分にふさわしい収入はいくらだと思うか」と訊くと、男性の平均が 8万ドル(約 960万円)に対し、女性は 6万 4000ドル(約 770万円)だった。学歴社会の頂点にいる女性たちですら、自分の価値を男性より 20%も低く見積もっているのだ。 この「自信のなさ」はこれまで、家庭や学校での性差別的な教育のせいだとされていたが、いまでは遺伝子の影響が疑われている。 神経伝達物質のひとつセロトニンが不足すると不安感が強まり、うつ病のリスクが高くなる。セロトニンを運ぶ遺伝子には、ふたつの短い遺伝子からなる SS型、短いものと長いものが 1本ずつの SL型、長い遺伝子が 2本の LL型があり、遺伝子が長いとセロトニンの輸送効率が高い。社会構造がヒトにきわめて近いアカゲザルでは、 LL型の遺伝子を持つサルは積極的なリスクをとるリーダータイプに成長し、 SS型のサルは不安症で親にべったりくっついている。遺伝子の型によって「自信」は大きく変わるのだ。
セロトニントランスポーター遺伝子の分布が男女で異なることはないものの、 SS型の遺伝子を持つ女性は男性に比べ、脳内のセロトニンの濃度が 52%も少ない。「心配性」の変異体を持つ女性はきわめて強い不安を抱えている。こうした女性にとって、組織のなかでの出世競争は苦痛以外のなにものでもないだろう【 58】。 このように、最新の遺伝学や脳科学の知見は、男と女では生まれつき「幸福の優先順位」が異なることを示唆している。男性は競争に勝つことに満足を感じるが、女性の場合、家庭と切り離されると人生の満足度が大きく下がってしまうのだ。 だがこれは、女性が進化と遺伝の犠牲者だということではない。 旧ソ連では物理学と工学の分野で男女はほぼ同数だったが、これは国家が職業選択の自由を奪い、強制的に「エンジニア」を育てたからだ。 そのような「平等な社会」より、高い知能と共感能力を持つ女性が有能な医師や弁護士、教師や看護師・介護士として活躍できる自由な社会のほうがずっといいことは明らかだろう。 進化心理学は、「女は女らしい仕事をすればいい」とか、「女性は家事・育児をするように進化した」と主張するわけではない。私たちの社会に必要とされているのは、男女の性差をイデオロギーで否定するのではなく、両者のちがいを認めたうえで、男も女も幸福な人生を送れるような制度を目指すことだろう。〔コラム 8〕 ◉女子校ではなぜ望まない妊娠が少ないのか 男と女の脳には生得的なちがいがあり、その結果、男の子と女の子では見え方や聞こえ方がちがい、遊び方がちがい、学び方がちがい、けんかの仕方や世界の見え方もちがう。だとしたら、男の子と女の子はそれぞれの適性に合わせ、別々の学校で教育したほうがずっと自然かもしれない【 59】。 モントリオールの低所得地域にある共学の公立校では、校長の判断で男子と女子のクラスを完全に分けたところ、常習欠席は 3分の 1に減り、標準テストの点数は 15%上昇し、大学への進学率もほぼ倍になった。そればかりか、この「改革」で 10代での妊娠の割合がいちじるしく減少した。以前は 1年につき平均 15人ほどいたのが 2人ほどになったのだ。 女子校では共学に比べて生徒本人の望まない妊娠が少ないことは以前から知られていた。だがこれは、一般に思われているように、女子校の生徒は共学に比べて男の子とデートする機会がないからではない。さまざまな調査によると、女子校の生徒がデートする機会は、共学の女子生徒と比べてもけっして少なくはない。 だったらなぜ、女子校の生徒は望まない妊娠を避けられるのか? それは、共学と女子校では生徒同士の関係のありかたがちがうからだ。 共学では、男子と女子は個人というよりも、それぞれが属するグループの地位によってつき合う相手を選ぶ。グループでいちばん人気のある男の子は、おなじくグループでいちばん人気のある女の子とデートする、というように。 このようなつき合いでは、女の子にボーイフレンドができると、カレシは女の子が仲良くしている友だちグループの一員になる。同様に男の子にガールフレンドができれば、カノジョは男の子が所属する友だちグループに紹介されるだろう。交際がグループ単位だと、どこに行くにも、なにをするにもいっしょになるのだ。 このことは、とりわけ女の子に大きなプレッシャーを与える。もしそのボーイフレンドにふられると、そのことは即座に友だち全員の知るところとなり、女の子同士の関係、すなわち学校での社会的アイデンティティそのものが危うくなるのだ。 一方、男の子にとっても、他の男の子がガールフレンドとセックスしているのに、自分だけがセックスできないと、グループ内での地位が危機にさらされることになる。当然彼は、「愛情の証」として、執拗にガールフレンドにセックスを求めるようになるだろう(なんといっても、彼女の友だちはボーイフレンドに身体を許しているのだ)。そうなると彼女は、友だちグループの関係を壊さないために、それを受け入れるしかなくなる。共学では、こうした「社会圧力」が望まない妊娠へとつながっていくのだ。 それに対して男女別学の学校では、女の子の友だちグループは、ボーイフレンドの友だちグループとは切り離されていることが多い。彼女の女友だちは別のグループの男の子とつき合っているのだから、その関係はずっと個人的なものになるだろう。女の子の友だちは、彼女にボーイフレンドができたことには気づくだろうが、毎日学校で顔を合わせるわけではないからたいして興味を持たないのだ。 その結果、女子校の女の子は、性的な意思決定に対して自律性を保てるようになる。ボーイフレンドからのセックスの強要を断ったとしてもそれが女の子同士の関係に影響を与えるわけではなく、男の子にふられたとしても、学校での友だちづき合いはこれまでと同じようにつづいていくのだ。 私たちはずっと、「男女平等」は男の子と女の子を同じように扱うことで、共学で同じ教育をすることが正しいと考えてきた。イスラーム圏のように、女性に対する差別的な扱いが社会的規範に深く刻み込まれている地域もあるから、これは理由がないことではない。 だが男の子と女の子の性差が生得的なものであるならば、男女平等の社会をつくるためにこそ、男の子と女の子を別々に扱う必要があるのかもしれない。
9 結婚相手選びとセックスにおける残酷な現実 精神分析学を創始したフロイトは、ひとは性的欲望を無意識に抑圧していると考えた。エディプスコンプレックスでは、男の子は母親との性交を望むが、父親によってその欲望を禁じられ、去勢の恐怖に怯えるのだ。 だがいまでは、こうした「お話」はすべてデタラメだとわかっている。近親婚は遺伝学的にきわめて不利な繁殖方法で、ヒトだけでなく、両性生殖する種はすべて、なんらかの方法で血縁度の高い異性とのセックスを避けている。 イスラエルのキブツ(共同生活を行なうコミューン)では、生まれた子どもを家庭から切り離して託児所で共同保育するが、ここで育った幼なじみ同士はほとんど結婚しない。台湾や中国の一部では血縁関係のない幼女を養子にし、男の子といっしょに育てながら将来の嫁にするマイナー婚が行なわれているが、その後の経過を調べると、女性はたいてい結婚に抵抗し、離婚率は平均の 3倍で、子どもの数は 40%も少なく、不倫も多かった。人間には、「幼年時代を共有した異性には性的関心を抱かない」という本性が埋め込まれているのだ【 60】。 エディプスコンプレックスはフロイト理論の根幹で、それがウソだったのだから、精神分析は擬似科学でしかない。しかしそれでも、フロイトはきわめて重要な洞察をしている。それは、人間が「性」にとらわれているということだ。一夫多妻と一夫一妻はどちらが得か 動物学者は、ヒトの性行動がきわめて特殊なことに早くから気づいていた。 圧倒的多数の哺乳類は、排卵期になるとメスの生殖器が赤く変色するなどして交尾を誘い、オスはそれを見て発情する。メスが受胎可能でない時期は、オスもセックスに興味を示さない。進化論的な適応としては、生殖にとってムダなことをしないこの仕組みはとても合理的だ。 ところがヒトのメスは、排卵を隠蔽して生殖可能な時期をわからなくし、受胎できるかどうかにかかわらずセックスできるよう進化した。メスの排卵期を知ることができなくなったオスは、いつでもどこでも発情してセックスを求めるようになった。この性への妄執が、知能の進化や文化の成立をもたらしたと考える研究者も多い。 フロイト理論に代わって、性を語るうえでの新たな定説となったのが進化生物学だ。 リチャード・ドーキンスは、ヒトを含むすべての生き物は「後世により多くの遺伝情報を引き継ぐように進化の過程で最適化された〝遺伝子の乗り物(ヴィークル)〟」だと述べた【 61】。すべての生き物は自らの遺伝子の複製を最大化するために、他の生き物とのあいだで複雑なゲームを行なっている。遺伝子を「貨幣」、環境を「市場」とするなら、それは、市場で遺伝子という貨幣を最大化しようとする「経済学」として扱うことができる──このようなロジックで生物学に経済学を導入したのが、アメリカの進化生物学者ロバート・トリヴァースだ【 62】。 哺乳類では、生殖におけるオスとメスの投資額にきわめて大きなちがいがある。オスは精子の放出にほとんどコストがかからないが、メスは妊娠後は子宮内で赤ちゃんを育て、出産後も授乳が必要になるから、子どもひとり( 1匹)に対する投資額はきわめて大きい。このようなコスト(費用)─ベネフィット(便益)構造のちがいから、オスはできるだけたくさんのメスと交尾しようとし、メスは貴重な卵を最大限有効に使うために生殖相手をえり好みするようになるはずだ。 こうした条件では、群れのなかでもっとも強い(優れた遺伝子を持つ)オスがメスを独占することになりやすい。メスにとっては遺伝的に劣ったオスと交尾する理由がないからで、ゾウアザラシやアカシカからゴリラまで、一夫多妻が動物界に多く見られるのはこのためだ。 ただしヒトには、乳幼児が独り立ちするのにきわめて長期の養育が必要になるという、もうひとつの際立った特徴がある。この場合メスは、遺伝子の優劣だけでオスを選択するわけにはいかなくなる。一夫多妻で他の多くのメス(ライバル)とひとり( 1匹)のオスを共有したのでは、オスからじゅうぶんな支援を受けられない恐れがあるからだ。 10の資源を持っているオスと、 4の資源しか持たないオスでは、当然、 10の資源のほうが好ましい。だがこの 10の資源を 3人のメスで分け合うのなら、 4の資源のオスを独占したほうが経済的に合理的なのだ。──これが、ヒトの社会で一夫一妻制が広く観察される理由だとされている。メスの狡猾な性戦略 オスとメスのラットを同じケージに入れると、オスのラットはただちにメスと交尾を始めるものの、回数を重ねるうちに飽きて、メスがオスを小突いたりなめたりして交尾を求めても反応しなくなる。だがそこに新しいメスを入れると、オスはたちまち新しいメスと交尾を始める。こうした性行動の特徴は、アメリカ大統領カルビン・クーリッジの故事(というか小噺)から「クーリッジ効果」と呼ばれている。進化生物学は、オスがなぜこのような性質を持つようになったかをシンプルに説明する。 同じメスと複数回交尾したオスにとっては、自分の精子はじゅうぶんに注入したのだから、それ以上の努力は資源の無駄づかいだ。それに対して別のメスとの交尾は、遺伝子のコピーを増やす新たな機会を提供してくれる。そこで「利己的な遺伝子」は、精子を有効活用して子孫の数を最大化するよう、同じメスとのセックスに飽きたり、新しいメスに興奮したりするプログラムを本能に組み込んだのだ。 これが多くのオス(男性)が浮気をする進化論的な理由だとすると、メス(女性)も狡猾な性戦略を使っている。 メスの直面する問題は、優秀な遺伝子を持つオスにはライバルが多く、独占可能なオスはさほど優秀な遺伝子を持っていないことだった。これは典型的なトレードオフ(あちら立てればこちらが立たぬ)だが、この問題にはきわめて簡単な解決方法がある。優秀な遺伝子を持つオスの子どもを、献身的に子育てするオスに育てさせればいいのだ。 一夫一妻制におけるメスの最適戦略は、オスによる嫉妬の報復を避けながら、他人の子どもを自分たちの子どもだと巧みに偽って育てさせることだ。──これが論理的な必然だとしても、果たしてそんなことが起きているのだろうか。 イギリスの生物学者ロビン・ベイカーは、平均すれば男性の 10%は他人の子どもを自分の子どもと誤解して育てているという。だがこの数字は所得によって大きく異なり、最低所得層にかぎれば他人の子どもの比率は 30%に跳ね上がり、最高所得層の男性では 2%に激減する【 63】。 この推計を(それがもし正しいとすれば)どのように考えればいいのだろうか。 高所得の男性と結婚した妻が、夫をだまそうとはあまり思わない理由は明らかだ。彼女にとっても、夫よりすぐれた遺伝子を持つ(若くて健康で美貌で長身の)男性は魅力的だろうが、(血のつながらない子どもがいるという)欺瞞が発覚したときに失うものがあまりにも大きいので、リスキーな性戦略を採用しようとは思わない。
このことは逆に、最低所得層の家庭に夫と血のつながらない子どもが多い理由も説明している。夫の稼ぎが少なければそれを失ったときのコストも小さいから、妻にとっては〝ギャンブル〟をするハードルが低くなるのだ。避妊法の普及が望まない妊娠を激増させる ここで、以下のふたつのデータを見てみよう。 ① 1900年、 19歳の未婚女性のうち性体験のある女性はわずか 6%だったが、 1世紀後には 75%になっていた。 ② 避妊技術は過去半世紀に向上の一途をたどったが、それにもかかわらず、未婚女性による出産数は同期間に 5%から 41%へと増えている。 若い未婚女性の性体験が大幅に増えたのは、コンドームやピルのような避妊法が普及したからだ。セックスのコストをゼロにして快楽というベネフィットだけを享受できるのだから、カジュアルセックスが一般化するのは当然に思える。 だがアメリカの統計調査では、セックスのカジュアル化と同時に、未婚女性による出産(婚外子)も大幅に増えている。これは避妊技術の普及という前提と矛盾するが、どうしてこんなことが起こるのだろう。 この疑問に対して、カナダの女性経済学者マリナ・アドシェイドは、性市場ではさまざまなタイプの女性集団が男性をめぐる獲得競争をしているからだと答える【 64】。 ここでは便宜的に、次のふたつの集団を考えてみよう。 第一のタイプの女性は、望まない妊娠を恐れて婚前交渉を避けている。第二のタイプは、道徳的な罪悪感から婚前交渉を拒否する。このとき、第二の「道徳的な女性」のほうが第一の「妊娠のコストを重視する女性」よりずっと多いとしよう。 だがこの条件でも、効果的な避妊法の登場は望まない妊娠を大幅に増やすことになる。その理由はきわめて単純だ。 コスト重視の女性がセックスを躊躇する理由は妊娠の恐れしかないのだから、避妊技術が普及すれば、彼女たちは積極的に性の快楽を楽しもうとするだろう。そしてこうした女性の行動が、道徳的な理由から婚前交渉を拒否してきた女性にも強く影響する。 性市場においては、多数の若い男性と若い女性が互いに性的なパートナーを獲得しようと複雑なゲームを行なっている。保守的な社会では、大半の女性が婚前交渉を拒むから、男性が(売春以外で)セックスを手に入れるためには、結婚によって生涯にわたる経済的援助を約束しなければならない。いうまでもなく、これは男性にとってきわめてハイコストな取引だ。 このとき、あるタイプの女性が避妊を条件にカジュアルセックスを受け入れるようになったとしよう。これは一部の商店が(ほとんど)同じ商品を格安で販売するのと同じだから、〝消費者〟はこぞってこの女性に殺到するはずだ。 セックスをモノと同一視するのは抵抗があるかもしれないが、男性であれば、自分の若い頃を考えれば誰でも心当たりがあるだろう。「受け入れてくれる(やらせてくれる)」女の子はモテるのだ。 そうなると、道徳的な女の子はカレシ獲得競争できわめて不利な立場に置かれることになる。好きな男の子がいたとしても、セックスを拒んでいると、カレは「やらせてくれる」女の子のところに行ってしまうのだ。 ユニクロの登場でフリースやジーンズなどカジュアルウェアの価格が大きく下落したように、一部の女の子がカジュアルセックスを楽しむようになると、それにひきずられて性市場における女の子のセックスの価格も下落してしまう。このようにして、保守的で道徳的な社会であっても、多くの女の子が婚前交渉に応じざるを得なくなる。 研究者の推計では、 2002年に性体験を持った未婚のティーンエイジャー( 13 ~ 19歳)のうち、「ピルで避妊できる」との理由でセックスをした割合は 1%に満たない【 65】。だがこのわずかな女性の存在が、性市場における男の子と女の子の「ゲーム」のルールに大きな変化をもたらし、コンドームなしのセックスを拒否できない女の子を激増させることになったのだ。低学歴の独身女性があぶれる理由 こうした説明はかなり乱暴なものに思えるだろうが、パートナー選びを経済法則で考えると、性の社会問題をかなりうまく説明できる。 近代初期の産業革命の時代は、男が工場や炭鉱で肉体労働し、女が専業主婦として家事と子育てをする性別役割分業が機能していた。だが急速に知識社会化した現代においては、肉体労働はかつてのような利益を生み出せなくなり、それと同時に、男女の知能の差は身体的な性差よりもはるかに小さいので、労働市場に女性が大量に参入してきた。 アメリカやカナダでは(日本やヨーロッパでも)女性の高学歴化が急速に進んでいる。その結果、文系の学部を中心に、いまでは女子学生が多数派になった。 北米の大学において、性に対して積極的な男子学生の典型的な戦略は、女子学生をバーに連れていって酔いつぶすことだ。アメリカの 136校の短大以上の学校から集めたデータでは、全学生のほぼ半分が大酒しているが、彼らは残り半分の学生に比べ、コンドームを使わずにセックスする率が 20%高く、 94%が複数の相手とセックスしていた【 66】。 女子学生はなぜ、こうした男子学生の誘惑に抵抗できないのだろうか。それは女子学生の数が増えた結果、需要と供給の法則によって、大学でカレシを見つけようとするときの交渉力が弱くなったからだ。バーの誘いにつき合ってもくれないカタブツでは、魅力的な男子から声をかけてもらえないのだ。 アドシェイドは、女性の高学歴化が低学歴の女性の性戦略をきわめて困難なものにしているという。 高学歴で高所得の女性は、自分に釣り合った高学歴で高所得の男性とカップルになろうとする。男性は一般に、女性に若さや美貌を求めることが多いが、それでも低学歴の女性が高学歴の女性との競争に勝ち残るにはかなりの資質を持っていなければならない。高学歴の男性も(女性ほどではないとしても)高学歴の相手と家庭をつくる傾向があるためで、一時のロマンスなら若さと美貌でじゅうぶんだろうが、長期の関係を考慮すると、趣味や嗜好、家庭環境がまったくちがう相手はやはり億劫なのだ。 こうして高学歴の男性と高学歴の女性が結婚し子どもをつくると、(グローバル資本主義の陰謀などなくても)ごく自然に社会の経済格差は拡大していくだろう。 次に問題なのは、いまやかなりの比率の男性が学歴社会から脱落しつつあり、高学歴の女性の恋愛市場が過当競争になっていることだ。あぶれた女性は「恋人なし」になるか、低学歴の男性から自分の好みに合う相手を見つけるほかはない。 こうして低学歴の女性は、高学歴の男性の奪い合いだけでなく、低学歴の男性との恋愛市場でも不利な立場に置かれることになる。そしてこれが、アメリカの黒人女性の半分が独身かシングルマザーになる理由だ。 黒人女性の第一の苦境は、彼女たちの 57%が大学に進学しているのに対し、黒人男性では 48%しかいないことだ。需給において高学歴の黒人男性が少な
すぎる。 第二の苦境は、黒人女性の大半が黒人男性のボーイフレンドを求めている(既婚黒人女性の 96%が黒人男性と結婚している)のに対し、黒人男性はつき合う女性の人種にはさほどこだわらないことだ。黒人女性は、数少ない高学歴の黒人男性をめぐって白人やヒスパニック、アジア系などすべての高学歴女性と競争しなくてはならない。 第三の苦境は黒人男性の収監率がきわだって高いことだ。高学歴の黒人男性をあきらめたとしても、低学歴の黒人男性は刑務所に入っていて絶対数が少なく、そこでも激しい競争にさらされる。そのうえ、この競争に勝ち抜いて結婚・出産しても、夫が刑務所に行く可能性も高い。ここまで悪条件がそろっていれば、黒人女性の多くが満足するパートナーを獲得できずに独身を通したり、離婚してシングルマザーになるのも当然だ。 黒人女性はひとつの典型で、高学歴の男性が稀少となりつつある現代の知識社会では、低学歴の女性は人種にかかわらずきわめて不利な状況に置かれている。その結果、母子家庭が増えたり、独身で低所得のまま老年を迎える女性が増えると経済格差はますます広がり、社会は不安定化するだろう。 これはとても難しい問題だが、経済学的には、こうした状況を大きく改善する方法がひとつだけあるとアドシェイドはいう。それは一夫多妻制の導入だ。 格差社会の頂点にいる富豪たちが多くの妻を持てるようになれば、恋愛・結婚市場の過当競争が緩和され、婚活ヒエラルキーの下層で苦しんでいる女性たちにもパートナーを獲得するチャンスが広がるだろう。一夫多妻は女性の人権を蹂躙する前近代的な許しがたい制度だとされているが、「勝ち組」の男性が多くの女性を獲得することで損をするのは「負け組」の男性で、女性の厚生は全体として向上するはずなのだ。 もっとも、この「改革案」が実現する可能性はほとんどないだろうが。
10 女性はなぜエクスタシーで叫ぶのか? 進化論では、生き物のあらゆる行動は進化の淘汰圧から生じた適応だと考える。この考え方をレイプにあてはめると、 4章で紹介したように、「暴力的に女性を犯すのはモテない男の性戦略だ」「レイプされた女性が精神的に深く傷つくのは、そのほうが夫を説得しやすいからだ」「レイプにはげしく抵抗するのは、それでもレイプする男の遺伝子が繁殖に有利だからだ」という〝暴論〟につながる。だが進化論は「科学」であり、動物行動学などの膨大な証拠に支えられているから、これを差別的だと切って捨てることはできない。 心理学者のクリストファー・ライアンと精神科医のカシルダ・ジェタは、ダーウィンの進化論に拠りながら、進化心理学のこうした不愉快な通説に異を唱えた【 67】。 2人が提示した仮説はきわめて刺激的なものだ。ヒトの本性は一夫一妻? 哺乳類の番のつくり方には、一夫一妻制、一夫多妻制、乱婚の大きく3つがある。霊長類ではゴリラが一夫多妻、チンパンジーとボノボが乱婚、テナガザルが一夫一妻だ。それでは、ヒトはどうなのだろう。 デズモンド・モリス(『裸のサル』)を筆頭とする標準的な理解では、ヒトは「一夫多妻に近い一夫一妻制」とされてきた。男は妻が他の男とセックスしないよう拘束する一方で、機会があれば妻以外の女性と性的関係を結ぼうとする。それに対して女は、夫が自分と子どもを裏切って他の女に資源を投じることを警戒する。この相互監視によって一夫一妻が人類に普遍的な婚姻関係になるが、男の欲望は可能なかぎり多くの女とセックスすることなのだから、権力を持てばまっさきにハーレムをつくろうとする(その例は、チンギス・ハーンから大奥まで歴史上枚挙にいとまがない)。 このことは、オスとメスとの身体的特徴のちがいからも確認できる。 ゾウアザラシやトドを見ればわかるように、一夫多妻の種はハーレムをめぐってオス同士がはげしく競争し、身体が骨格の限界まで大きくなっていく。その一方でメスにはオスをめぐる競争はないから(いったんハーレムの主になったオスは、周囲にいるメスと手当たり次第に交尾する)、オスとメスの体格のちがいは大きく開いていくだろう。霊長類ではゴリラがこのタイプで、オスの体重はメスの 2倍ちかくある。 それに対して一夫一妻制ではオスも競争の必要がないから、メスと同じ体格のままのはずだ。──実際、テナガザルは雌雄でほとんど区別がつかない。乱婚も事情は同じで、オスはゴリラのように巨大な身体を持つ必要はない。チンパンジーやボノボのオスがメスより 10 ~ 20%大きいだけなのはこのためだ。ヒトのオスも、メスよりは大きいが顕著なちがいがあるわけではない。このことはヒトが一夫多妻よりは一夫一妻に近い証拠だと考えられてきた。睾丸とペニスの秘密 性戦略を表わすもうひとつの身体的特徴は、男性器と睾丸の大きさだ。成人したゴリラのオスは体重 200キロ近くになるが、ペニスの長さは約 3センチで睾丸は大豆ほどの大きさだ。なぜゴリラが立派なペニスや大きな睾丸を持っていないかというと、オス同士の競争はその前に終わっていて、セックスにコストをかける必要がないからだ(ハーレムのメスと自由にセックスできるのなら、ペニスや睾丸を発達させる必要はない)。一夫一妻でもこれは同じで、テナガザルのペニスは小さく、睾丸は身体のなかにしまいこまれている(これはゴリラも同じ)。 それに対して乱婚のボノボは、ゴリラの 5分の 1の体格(平均体重 40キロ)にもかかわらずペニスの長さは約 3倍で、睾丸にいたっては LLサイズのタマゴくらいの大きさだ。そのため睾丸が体内にあるとうまく放熱できず、身体の外に押し出されている。 ボノボがなぜ巨大な睾丸を持つようになったかというと、身体の大きさや力の強さではなく、精子レベルで他のオスと競争しているからだ。 1頭のメスを複数のオスで共有するなら、多量の精子を生産できるほうが、自分の精子が子宮に到達できる可能性が高まる。チンパンジーの性行動はボノボとは異なるが、ペニスや睾丸の形状はよく似ているので、彼らも「精子競争」をしていることがわかる。 それでは、ヒトのオスはどうなっているのだろう。睾丸はゴリラやテナガザルよりも大きいが、ボノボやチンパンジーよりも小さい。これもまた、ヒトの本性が一夫多妻でも乱婚でもなく一夫一妻制に近いことの証明だとされてきた。 ところで、ヒトのペニスは他の霊長類と比べてきわだった特徴を持っている。ボノボやチンパンジーと比べて 2倍近く長くて太いし、ペニスの先端に亀頭を持つのも霊長類ではヒトだけだ。従来の進化論では、こうした特殊なペニスの形状がどのような進化の圧力によって生じたのかをうまく説明できなかった。 進化論では、一夫多妻制のオスは、メスを獲得するために他のオスと激しい競争をしていると考える。一夫一妻であっても、集団生活をする種では、オスは獲得したメスの性行動を常に監視していなければならない。なぜならメスの性戦略としてもっとも効果的なのは、遺伝的に優れたオスの子どもを身ごもり、それを他のオスに育てさせることだからだ。 この暗澹たる前提から、進化心理学はヒトのオスの暴力性を説明する。男が妻や恋人に激しい嫉妬を感じ、 DVのような暴力行為に走ったり、宗教の名のもとに妻の顔にヴェールをかぶせ、他のオスから遠ざけようとするのには理由があるのだ。 だがここで、ライアンとジェタは「通説のほころび」を指摘する。女性の性衝動は弱いのか? ヒトのメスは排卵を隠蔽して生殖可能な時期をわからなくし、受胎できるかどうかにかかわらず、月経の全周期を通じてセックスできるよう進化した。メスの排卵期を知ることができなくなったオスは、いつでもどこでも発情してセックスを求めるようになった。──この「通説」では、セックスに取りつかれているのはヒトのオスだけだ。 メスの進化論的な戦略は、安定した一夫一妻制のなかで子どもを産み育てることだから、(浮気によってよりよい遺伝子を持つ子どもをつくろうとすることはあっても)男性のような強い性衝動は不要のはずだ。実際、進化心理学でも「女性の性衝動は弱い」ということが暗黙の前提になっている。 だがライアンとジェタは、こうした見方は女性の性的欲望を否定し、純潔と貞節を重視する西欧的(ユダヤ・キリスト教的)イデオロギーの反映にすぎないという。ヨーロッパの歴史は、女性の性欲を否定しようとした苦闘の物語であふれているからだ。 1500年代半ば、ヴェネチアで解剖学の研究をしていたマッテオ・レアルド・コロンボは、女性患者を診察しているときに、脚のあいだにある小さな突起物を発見した。「この〝ボタン〟を触ると患者は身体を緊張させ、さらに触診を続けるとその部位が大きくなったように見えた」とコロンボは記録し
ている。 その後コロンボは、数十人の女性患者を観察し、全員がこの「未発見だった」突起物を持ち、触診に対して同じ反応をすることを確認した。そこで彼は、当時所属していた大学の学部長にこの「発見」を報告したが、その反応は期待していたものとはかなりちがった。コロンボは「数日のうちに、異端、涜神、魔術、悪魔崇拝の嫌疑で教室で逮捕され、裁判にかけられて投獄された。その草稿は没収され、彼の死後数世紀を経るまでその発見は言及することが許されなかった【 68】」。 17世紀の魔女狩りの時代になるとクリトリスは「悪魔の乳首」とされ、クリトリスの異常に大きな女性はそれだけで火あぶりにされた。だがこれを愚かな迷信と笑うことはできない。 1858年、イギリスの婦人科医でロンドン医師会会長だったアイザック・ベイカー・ブラウンは、女性のマスターベーションはヒステリーや脊髄の炎症を引き起こし、それがてんかんや痙攣につながって痴呆や躁状態を発症させ、最後は死に至ると主張した。そしてブラウンは、この悲劇を防ぐもっとも効果的な方法はクリトリスの外科的切除だとして、数え切れないほどのクリトリス切除手術を施した。 幸いなことにこの「理論」には根拠がないことがわかり、ブラウンはロンドン産科学会から除名され、クリトリス切除はイギリスでは行なわれなくなった。だがその間にブラウンの著作はアメリカで大きな評判を呼び、 20世紀に入るまで、ヒステリーや色情狂、女性のマスターベーションの治療法としてクリトリス切除が実施されつづけた──1936年になっても、『ホルトの小児科学』という権威ある医学教科書で、少女のマスターベーション治療としてクリトリスの切除ないし焼灼が推奨されていた【 69】。 こうした興味深い性の歴史をたどりながら、ライアンとジェタは次のように問う。「通説」がいうように女性の性的欲望が弱いのなら、なぜこれほど執拗に女性の快楽を抑圧し、オルガスムを罰しなくてはならなかったのか──。 このことから 2人は、驚くべき仮説を提示する。チンパンジーとボノボ ヒトにもっとも近い霊長類のなかで、テナガザルは一夫一妻制、ゴリラは一夫多妻制、チンパンジーとボノボは乱婚だ。動物学者などがヒトの性について語るとき、テナガザルを例に出すことが多いのは、両者が同じ一夫一妻制だと考えられているからだ。 しかしライアンとジェタは、進化の原理から考えれば、これは明らかにおかしいという。 霊長類(サル目)でテナガザルがヒトやチンパンジーなど「ヒト科」に分かれたのは約 2200万年前、ゴリラが分岐したのはおよそ 900万年前で、ヒトとチンパンジー・ボノボの分岐は 500 ~ 600万年前だ(チンパンジーとボノボが分岐したのは 300万年前)。だが通説によれば、ヒトの性行動は進化のうえで関係の薄いテナガザル(一夫一妻制)や、次に疎遠なゴリラ(一夫多妻制)に似ていて、もっとも関係の近いチンパンジーやボノボ(乱婚)とは異なるとされている。いったいこんなことがありうるだろうか。 もちろん通説でも男性の「乱交志向」は認めている。それが女性の「一夫一妻(ロマンチックラブ)志向」と衝突することで、一夫一妻と一夫多妻の混合形態が普遍的な婚姻システムになるのだった。 それでは、チンパンジーやボノボの性行動はどのようなものだろうか。これについては著名な霊長類学者のフランス・ドゥ・ヴァールが多くの啓蒙書を書いている(ただしドゥ・ヴァールが観察したのは自然界ではなく飼育施設のチンパンジーやボノボだ)。 それによると、チンパンジーの集団にはアルファオス(第一順位のオス/ボスザル)を頂点とする厳密なヒエラルキーがあるが、アルファオスがメスを独占してハーレムをつくるのではなく、下位のオスにも生殖の機会が与えられる(ボスに媚を売ることでセックスを許されたりする)。 メスは食料と引き換えにオスと交尾したりするが、その相手はやはり順位の高いオスが多い。チンパンジーのオスは、より多くの生殖機会を求めて権力のヒエラルキーを這い上がろうと必死になるのだ。 こうしたチンパンジーの生態は人間社会(とりわけ男の権力欲)をものすごくよく説明するように見えたため、世界じゅうで大評判を呼んだ。人間は「パンツをはいたチンパンジー」でしかないのだ【 70】。 だがヒトとチンパンジーの性には際立ったちがいもある。チンパンジーのメスは妊娠可能な排卵の時期になると発情し、生殖器のまわりが赤く膨らんでオスを挑発するが、ヒトのメスは生殖器が隠されていてオスには排卵がわからない。「ヒト チンパンジー説」は性行動におけるこの大きなちがいを無視している。 アフリカ大陸に広範囲に分布するチンパンジーに比べて、ボノボは中部アフリカのコンゴ民主共和国中西部にしか棲息せず、そのため研究が遅れていた。だが動物学者による報告が始まると、その特異な性行動にひとびとは驚いた。 ボノボのメスも発情すると性皮がピンク色に変わるが、それ以外の時期にも擬似発情状態にあり、いつでも交尾を受け入れる。性行為も一般的な後背位(メスの背後にオスが乗る)だけでなく、それまでヒトだけの特徴とされてきた正常位も頻繁に行ない、オーラルセックスもする。こうした性行為はオスとメスのあいだだけでなく、メス同士が性皮をこすりつけあう「ホカホカ」、オス同士がペニスをぶつけあう「ペニスフェンシング」など、多様な性行動が観察された。ボノボでは性行為が生殖目的から離れ、社会的コミュニケーションの道具として使われているのだ。 その特異な性行動からボノボは「愛と平和」の象徴と呼ばれるようになった。彼らはチンパンジーのオスのようなはっきりとした権力ヒエラルキーをつくらず、争いごとは暴力ではなくセックス・コミュニケーションで解決し、平和に暮らしている( 60年代のフラワーチルドレンがボノボのことを知っていたら、彼らの理想になったにちがいない)。 ここで、ライアンとジェタは次のように問う。──霊長類のなかで、発情期にかかわらず交尾し、性行為をコミュニケーションの道具に使うのはヒトとボノボだけだ。そのボノボは、一夫一妻制のテナガザルや一夫多妻制のゴリラより進化的にはるかにヒトに近い。だとしたらなぜ、ヒトの性行動を考えるときにボノボを基準にしないのか。 そして彼らは、こう宣言する。「ヒトの本性は一夫一妻制や一夫多妻制ではなく、(ボノボと同じ)乱婚である」農耕社会がすべてを変えた? もちろんこの主張には、すぐにさまざまな反論を思いつくだろう。 世界じゅうを見回しても乱婚の社会などないし、歴史を振り返って出合うのは権力者による一夫多妻(ハーレム)ばかりだ。さらに強力な反論は、文化人類学者たちがフィールドワークした、これまでいちども文明と接触したことのない伝統的社会でも乱婚の部族が見つかっていないことだ。これではとうてい、乱婚が人間の本性とはいえない。 だがライアンとジェタは、こうした(予想される)批判についてこうこたえる。
人類の歴史のうち 200万年は狩猟採集の旧石器時代で、ヒトの本性はこの長い期間に進化した。それに対して農耕が始まったのは 1万年ほど前で、歴史にいたっては 2000年程度しか遡れない。だが私たちは、無意識のうちに農耕社会や歴史時代を基準に「人間」を理解しようとする。先史時代のひとびとがどのように暮らしていたかを正確に知る方法がないからだが、だからといって 200万年のうちの 1万年や 2000年だけを取り出して人間の本性を論じても意味がない。 文化人類学はたしかに多くの伝統的社会を調査したが、これは旧石器時代とはまったくちがう社会だ。旧石器時代のひとびとは、血縁関係を中心にした 50人から 100人程度の集団をつくって平地を移動しながら狩猟採集生活を送っていた。現在の伝統的社会は、農耕に適した土地を奪われたあとに島や密林などの僻地に取り残されたひとびとで、移動の自由を失って定住する以外になくなった。旧石器時代には広大なアフリカとユーラシア大陸にせいぜい数百万人(大半の期間は数十万人)が分散していたのだから、現代の伝統的社会から彼らの生活を想像することはできないのだ。 ライアンとジェタは、旧石器時代の人類は集団内の女性を男たちで共有する、ボノボのような乱婚だったと考える。彼らは別の部族と出会うと女たちを交換し、新しく集団に迎え入れられた女は乱交によって歓迎される。旧石器時代の環境を考えれば、そのほうが進化論的に合理的だからだ。 歴史上、戦争の理由のほとんどは土地をめぐる諍いだが、これは農耕社会の成立以降の話で、狩猟採集のための土地がいくらでもあるのなら限られた資源をめぐって殺し合う必要などまったくない。そうなると戦争の原因は女の奪い合いしかないが、乱婚であれば、むしろ周辺の部族は集団に新しい血を提供してくれる貴重な存在なのだ。 また乱婚では、男たちは女をめぐって集団内で競争する必要もない。だったら、女が子育てのために男の庇護を求めるという話はどうなるのだろうか。 だが考えてみると、死亡率の高い旧石器時代では、これは女性の最適戦略とはいいがたい。事故や病気で夫が死んでしまえば(これは日常的に起きたことだろう)、保護を失った母子は生きていくことができなくなってしまうからだ。 だとしたら、乱婚によって子どもの父親をわからなくさせ、複数の「父親候補」を子育てに協力させたほうがいい。これによって父親の 1人が死んでも、残りの父親からの援助を期待できるから、一夫一妻制よりもずっとリスク分散できるのだ。 それでは、男たちはどこで競争するのか。それは女性器(ヴァギナ)のなかだ。 ヒトの本性が乱婚だというきわめて説得力のある証拠のひとつが、男性器の構造だ。ヒトのペニスは乱婚のチンパンジーやボノボよりも長く、太く、先端にエラがついている。これまでの通説では、ペニスがこのような特徴的な形状を持つようになった理由をうまく説明できなかった。 だがヒトのペニスの機能は、かんたんな実験で明らかになった。ペニスと同じかたちをしたものをゴムの管のなかで激しく動かすと、管のなかに真空状態が生じ、内部の液体が吸い出されるのだ。 男性のペニスと性行動は、その特徴的なかたちとピストン運動によって、膣内に溜まっていた他の男の精液を除去し、その空隙に自分の精子を放出して真っ先に子宮に到達できるよう最適化されているのだ。女性がエクスタシーで叫ぶ理由 乱婚社会においては、男たちは集団内でも女をめぐって暴力的に争うのではなく、膣内で「精子競争」している【 71】。ボノボを見ればわかるように、こうした婚姻形態は集団の平和を保つのにものすごくうまく機能する。 一方、乱婚社会における女性の性戦略は、多くの男と性交渉して、もっとも優秀な男の精子が競争に勝って受胎するのを期待する、というものだ。 幼馴染に性的魅力を感じないのがウェスターマーク効果で、ボノボやチンパンジーでも、ヒトでも、これは遺伝的に不利な近親交配を避ける進化の仕組みだ。一般には、自分と異なるタイプの遺伝子のほうが感染症などに強い子どもが生まれるから、メスは集団内のオスよりも「よそもの」に強く魅かれるようになる。ボノボのメスは思春期になると「冒険的」になって母集団から離れて別の群れに加わるが、旧石器時代の女性たちも同じように、自らの意思で集団間を移動していたのかもしれない。 生まれた子どもは集団内の(高齢者を含む)女集団のなかで育てられ、男集団は狩りの成果を持って戻ってくる。こうした男女の役割分業は、現代でもアフリカやアジア南太平洋の伝統的社会で見られる。 乱婚説はにわかには信じがたいが、その論理にはかなりの説得力がある。さらにライアンとジェタは、もうひとつ強力な「証明」を用意した。それは、「なぜ女性だけがエクスタシーで叫ぶのか?」という問いだ。この「謎」に気づいたのは彼らがはじめてで、それだけでも学問的に大きな功績だ。 ヒトの本性が一夫一妻であれば、女性には性交の際に声をあげる〝進化論的な〟理由はない。先史時代のサバンナには獰猛な肉食獣がいたのだから、声によって自分の居場所を知らせるのはきわめて危険だったはずだ。 誰でも知っているように、男と女のオルガスムはきわめて対照的だ。 男は挿入後の何回かのピストン運動でたちまち射精し、いったん射精すると性的欲望は消えてしまう。それに対して女の性的快感は時間とともに高まり、繰り返しオルガスムに達する。 このちがいをこれまでの進化論はうまく説明することができなかったが、ライアンとジェタは乱婚説で鮮やかに謎を解いてみせる。 男性が短時間でオルガスムに到達するのは、女性が大きな声をあげる性交が危険だからだ。旧石器時代の男にとっては、素早く射精することが進化の適応だった。 それに対して女性には、大きな声をあげることに、身の危険を上回るメリットがあったはずだ。それは、他の男たちを興奮させて呼び寄せることだ。これによって旧石器時代の女性は、いちどに複数の男と効率的に性交し、多数の精子を膣内で競争させることができた。そのためには、よがり声だけでなく、連続的なオルガスムが進化の適応になるにちがいない。 もちろんこうした説明が正しいかどうかはまだわからない。だが誰であれ「乱婚」説に反論するのであれば、「なぜ女性はエクスタシーで叫ぶのか?」という問いに対してこれ以上に説得力のある説明を提示しなければならない。フリーセックスのユートピアは遠い 江戸時代までの日本の農村には若衆宿のような若者たちの共同体(コミューン)があり、夜這いによる性の手ほどきや祭りの乱交が広く認められていた。こうした風習を持つ社会はアジアだけでなく世界じゅうで見られるが、それが隠蔽されたのは近代化によってユダヤ・キリスト教由来の硬直的な性文化が支配的になったからだ。すこし注意してあたりを見回せば、私たちのまわりには「乱婚」の痕跡がたくさん残っている。 ライアンとジェタはその一例として、中国の少数民族モソ族を挙げる。 モソ族は母系制の農耕社会で、女の子が 13歳か 14歳になると自分の寝室を持つようになる。中庭に面した寝室には表通りに通じる専用の扉がついていて、男はそこから娘の部屋に迎え入れられる。
彼らのルールは、誰と夜を共にするかが娘の選択に任されていることと、迎え入れられた男は夜明けまでに去らなければならないことだ。子どもができた場合、実の父親は責任をとる必要はなく、母親の家で育てられる。ただし兄弟も家事を手伝うから、男たちも間接的に子育てのコストを支払っているのだ。 ライアンとジェタの「乱婚」説が正しいとすると、進化心理学のこれまでの通説は大きく書き換えられることになる。 男と女の性戦略は対立などしていない。男の本性が乱婚なら、女もまたそれに合わせて乱婚的に進化してきた。男女の不一致は進化論的な「運命」ではないのだ。 男は女性獲得競争に勝つために暴力的になったわけでもない。乱婚の社会ではセックスはいつでも好きなときにできるのだから、争う理由などないのだ(競争は精子が代わりにやってくれる)。 だが農耕が、「幸福な旧石器時代人」をエデンの園から追い払い、すべてを変えてしまった。 狩猟採集社会では「所有」や「独占」は無意味だったが、農耕社会では、土地を奪われれば飢え死にするしかないし、穀物などの「富」を独占すればなんだって手に入る。この社会環境の激変によって、ヒトの性行動も旧石器時代とはまったく変わってしまったのだ……。 この新説は一部では話題になったものの、専門家のあいだでも検証が進んでいるとはいいがたい。どこかに大きな欠陥があるのだろうか。学問的にはともかく、専門家が積極的に「乱婚」説を取り上げたくない理由はなんとなくわかる。 女性のセクシャリティはできるだけ多くの男と性交することだと、みんなが思うようになったとしよう。これは性文化における革命的な変化だが、現代社会(資本主義社会)では、フラワーチルドレン的(あるいはボノボ的)な愛と平和の理想郷をつくるのではなく、破壊的な作用をもたらす可能性のほうがはるかに大きい。 ヒトの本性が男も女も乱婚だとすると、男性からの性交の要求を拒むのは文化的な抑圧でしかなく、純潔や純愛などという「迷信」はさっさと捨て去って、妊娠可能な女性はどんな男でも喜んで迎え入れるのが自然だ、と主張するひとたちが現われるだろう。 これは杞憂というわけではない。 モソ族の風習は、いまでは中国内で広く知られるようになった。そのためモソ族の村には、若くてかわいい女の子とタダでセックスしようとする観光客がぞくぞくと押し寄せているのだという。
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