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第1章 単純明快である

目次

序章アイデアのちから

私たちの友人の友人の話だ。

仮に彼をデーブと呼ぼう。

デーブはよく出張に行く。

このあいだも、顧客との重要な打ち合わせのためアトランティックシティに出向いた。

仕事を終え、帰りの飛行機まで時間があったので、地元のバーで一杯飲むことにした。

ちょうど一杯飲み終えたとき、魅力的な女性が近づいてきた。

「もう一杯いかが? ごちそうするわ」 ちょっと驚いたが悪い気はしない。

「いいね」と答えた。

女性はバーコーナーに行き、飲み物を二杯持ってきた。

一杯は自分がとり、一杯をデーブに差し出す。

デーブはお礼を言うと、グラスに口をつけた。

記憶はそこで終わり。

いや正確には、目を覚ますまでの記憶が飛んでいるのだ。

目覚めたとき、デーブはホテルの風呂の中で氷水に浸かっていた。

頭が混乱している。

デーブは慌ててあたりを見回した。

ここはどこだ? いったいなぜ、こんなところにいるんだろう? そのとき、一枚のメモに気づいた。

「動くな。

救急車を呼べ」 風呂のそばの小さなテーブルの上に、携帯電話が置かれていた。

デーブは、かじかんだ指で不器用に九一一番をプッシュした。

交換手は奇妙なことに、彼が置かれた状況を熟知しているようだった。

「いいですか、ゆっくりと気をつけながら、背中に手を回してみてください。

腰のあたりからチューブが出ていませんか?」 デーブは不安に駆られながら、腰のあたりを手探りした。

確かに、チューブが突き出ている。

交換手は言った。

「落ちついて聞いてください。

あなたは腎臓を一つ取られたのです。

この町で暗躍する臓器狩り組織の犯行ですね。

今、救急車がそちらに向かっています。

動かずに待っていてください」 これは、ここ一五年間で最も広く流布した都市伝説のひとつだ。

「友人の友人」で話がはじまるところなど、いかにも都市伝説らしい。

だいたい「友人の友人」というのは、友人よりずっと波乱に満ちた人生を送っているものだ。

臓器狩りの話は、あなたも聞いたことがあるだろう。

数百種類の話が出回っているが、どれも三つの主要要素を含んでいる。

(一)睡眠薬入りの飲み物、(二)氷風呂、(三)「臓器狩り」のオチ、である。

既婚男性がラスベガスのホテルの部屋にコールガールを呼んだら、睡眠薬入りの飲み物を飲まされた、という話もある。

要するに、腎臓をモチーフにした教訓譚なのだ。

今すぐこの本を閉じ、一時間後に友人に電話をかけ、本を見ずにこの話を聞かせたとしよう。

きっとほぼ完璧に話を再現できるだろう。

アトランティックシティへの出張の目的が「顧客との重要な打ち合わせ」だったことは言い忘れるかもしれないが、些細な点を別にすれば、肝心なところはすべて覚えているはずだ。

臓器狩りは一度聞いたら忘れられない、記憶に焼きつく話だ。

私たちはそれを理解し、記憶し、後で再現できる。

しかも、この話を信じた人は今後、末永く行動を改めるかもしれない。

少なくとも、見知らぬ美女から飲み物をおごられる気はしなくなるだろう。

臓器狩りの話を、次の一節と比べてみる。

これは、ある非営利団体が配布した資料からの引用だ。

「包括的なコミュニティ構築は、必然的に既存の慣行を活かしてモデル化できる投資収益率の原理に役立つ」 文章はさらに続く。

「CCIへの資金の流れを制約している要因は、資金提供者が助成を行うにあたり、アカウンタビリティを確保するために、しばしばターゲット設定やカテゴリー化の条件に頼らざるを得ない点である」 今すぐこの本を閉じ、一時間後に友人に電話をかけたとしよう。

いや、一時間待つまでもない。

今すぐ友人を電話口に呼び出し、本を見ずに今の一節を再現してみよう。

結果は想像がつく。

都市伝説と、故意に選んだ悪文。

この二つを比べるのは、もちろん不公平だ。

だが、話が面白くなるのはここからだ。

この二つの例が「記憶に焼きつくかどうか」の評価軸の両極端としたら、仕事で出あう話や文章はどちらに近いだろう? ほとんどの場合、非営利団体の方にずっと近いはずだ。

当然かもしれない。

世の中には、もともと面白い話と面白くない話がある。

「臓器狩り組織」はもともと面白いし、非営利団体の財務戦略はもともと面白くない。

アイデアにも「素質」か「育て方」かの議論が当てはまるのだ。

アイデアの面白さは、天性の素質か、それとも育て方次第なのか? 本書では、「育て方」の立場をとる。

そうであるなら、世間で成功するアイデアを育てるには、どうすればいいのか? アイデアを効果的に伝える方法、アイデアに影響力をもたせる方法に頭を悩ませている人は多い。

生物学の教師が一時間かけて細胞の有糸分裂の説明をしても、一週間後にそれを覚えている生徒はせいぜい三人程度。

管理職が新戦略を説明したところで、熱心にうなずいていたはずの現場社員が翌日何食わぬ顔で取り組むのは従来通りの戦略である。

いいアイデアが現実世界で日の目を見ないことも多い。

他方、何の根拠もない馬鹿げた臓器狩りの話は、どんどん広まっていく。

なぜだろう? 単に、臓器狩りが他の話題より魅力的だから? また、真実で価値のあるアイデアを作り話に負けないほど広めることは可能なのだろうか?

ポップコーンの真実

アート・シルバーマンは、映画館のポップコーンの袋を見つめていた。

デスクの上で、その袋は場違いに見えた。

オフィスには、かなり前から偽バターの香りが充満している。

彼の勤める機関の調査結果から、ポップコーンが健康によくないことはわかっていた。

実際、衝撃的なまでに有害なのだ。

何も知らない映画館への来場者に、このメッセージを伝えることが彼の仕事だった。

シルバーマンの勤務先は公益科学センター( CSP I)である。

栄養学を一般向けに啓蒙する非営利団体だ。

CSPIは三大都市の合計一二の映画館でポップコーンを入手し、ある研究所に送って栄養分析を行った。

その結果に、誰もが愕然とした。

米農務省では、血中コレステロール値を高める飽和脂肪の摂取量を一日二〇グラム以下に抑えるよう助言している。

分析の結果、ポップコーン一袋に含まれる飽和脂肪は、平均三七グラムだった。

元凶はココナッツ油だ。

映画館のポップコーン調理に使われるココナッツ油には、他の油にない大きなメリットがあった。

ポップコーンにシルクのような質感を与え、自然ないい香りを醸し出すのだ。

だが、分析の結果、ココナッツ油には飽和脂肪がたっぷり含まれていることがわかった。

シルバーマンのデスク上のポップコーン(普通の人が間食に平らげる量だ)を食べただけで、二日分近い飽和脂肪を摂ってしまう。

しかも、この袋は Mサイズ。

バケツサイズなら、三桁を突破するだろう。

「飽和脂肪三七グラム」が何を意味するのか、ほとんどの人はわかっていないということが問題だった。

米農務省推奨の一日当たり栄養摂取量など、普通の人はいちいち覚えていない。

三七グラムの良し悪しなど、わかるはずもないのだ。

何となく体に悪そうな気がしても、タバコのように「とことん悪い」のか、それともクッキーやミルクシェイクのように「普通に悪い」のか、判断がつかない。

「飽和脂肪三七グラム」と聞いただけで、たいていの人は眠くなる。

「飽和脂肪では全くアピールできない。

無味乾燥で学術的。

そんなものは、誰も気にとめませんよ」 と、シルバーマンは言う。

視覚的に比較する手もあった。

ポップコーンの飽和脂肪量と農務省の許容量を比べた広告をつくるのだ。

二本の棒グラフを見せれば、一方の棒の高さがもう一方の二倍もあることがわかるはずだ。

だが、それでは何となく科学的すぎる。

まともすぎるのだ。

このポップコーンの飽和脂肪量は、ある意味ふざけていた。

呆れて笑いたくなるほど高いのだ。

CSPIは、この馬鹿馬鹿しさを伝えきるメッセージを考案する必要があった。

シルバーマンは、解決策にたどり着く。

CSPIは一九九二年九月二七日、記者会見を開き、次のように発表した。

「町の映画館でよく売られている Mサイズの『バター』ポップコーンには、動脈を詰まらせる脂肪が含まれています。

その脂肪量は、ベーコンエッグの朝食と、ビッグマックとフライドポテトの昼食と、ステーキに付け合せたっぷりの夕食を合わせたより、さらに多いのです!」 もちろん視覚にも訴えた。

テレビカメラの前に脂っこい食事をずらりと並べた。

一日分の不健康な食事をテーブルに並べて見せ、「これ全部と同じ飽和脂肪が、たった一袋のポップコーンに含まれている」と訴えた。

この会見は瞬く間に大反響を巻き起こし、全国テレビの CBSや NBC、 ABC、 CNNで特集が組まれた。

USAトゥデー紙とロサンゼルス・タイムズ紙の一面を飾り、ワシントン・ポスト紙のライフスタイル面にも取り上げられた。

人気トーク番組の司会者たちは脂肪たっぷりのポップコーンをネタに笑わせ、新聞や雑誌には、「ポップコーンが成人指定に」「照明よし、アクション、コレステロール!」「映画館のポップコーンは脂肪も二本立て」 といった傑作な見出しが躍った。

つまり、人々の記憶に焼きついたのだ。

分析結果に嫌悪感を覚えた映画ファンが一斉に買わなくなり、ポップコーンの売上げは激減した。

映画館の売り子は「このポップコーン、体に『悪い』油を使ってますか?」という客からの質問に慣れてしまった。

間もなく、ユナイテッド・アーティスト、 AMC、ロウズなど大半の大手映画館チェーンが、ココナッツ油の使用中止を発表した。

「記憶に焼きつく」とは?

これはアイデアの成功譚、それも真実に満ちたアイデアの成功譚である。

CSP Iの職員は、自分たちの相手をよく知っていた。

相手が耳を傾け、心に掛けるようなアイデアの伝え方を考え出した。

その結果、そのアイデアは、臓器狩りの話に負けないほど人々の記憶に焼きついた。

臓器狩りと CSP Iでは、どう見ても CSP Iの方が分が悪い。

「映画館のポップコーンは脂肪が多い」という話には、臓器狩り話のようなどぎつい魅力はない。

ココナッツ油風呂で主人公が目覚めるなどという展開もないし、世間をあっと言わせる話でも、特に面白い話でもない。

しかも、確実に聞きたがる人がいるわけでもない(「徹夜してでもポップコーンの最新情報を手に入れたい」などという人は、めったにいない)。

有名人も美女も可愛い動物も登場しない。

要するに、ポップコーンのアイデアは、私たちが毎日伝えているアイデアと似たりよったりなのだ。

興味深い内容だが、世間をあっと言わせるほどではなく、真実に満ちているが衝撃的ではない。

重要だが生死に関わるほどでもない。

広告や PRに携わる人でない限り、アイデアを裏づけるデータもあまりない。

数百万ドルの広告予算や、プロの宣伝チームがついているわけでもない。

アイデアは、自力で生き残るしかないのだ。

私たちが本書を執筆したのは、読者がアイデアを記憶に焼きつくものにできるよう、手助けするためだ。

ここで言う「記憶に焼きつく」とは、理解され、記憶に残り、持続的な影響力をもつ、つまり相手の意見や行動を変えることだ。

では、なぜアイデアを記憶に焼きつくものにする必要があるのか。

だいたい、日常的なコミュニケーションのほとんどは、記憶に焼きつく必要などない。

「そのソースを取って」という言葉をずっと覚えていてもらう必要はないし、人間関係の悩みを友人に打ち明けたからといって「持続的な影響力」を期待しているわけではない。

つまり、アイデアすべてに記憶に焼きつかせる値打ちがあるわけではないのだ。

「何らかのアイデアを相手の心に長く記憶させる必要が生じる頻度」を調査したところ、週一度から月一度、つまり一年に一二 ~五二回という結果が出た。

企業管理職が記憶に焼きつけようとするのは、新戦略の指示や行動指針の「大局的なアイデア」だ。

教師なら、主題や紛争や傾向、つまり教科書に載っている個々の「事実」を忘れた後も、長く記憶にとどまる論旨や考え方だ。

新聞の論説委員は政策問題に関する読者の考え方を変えようとし、宗教指導者は信徒に聖なる知恵を与えようとする。

非営利団体はボランティアと寄付を獲得すべく、人々に訴える。

アイデアを記憶に焼きつけることは重要なわりに、このテーマに注目する人は意外と少ない。

コミュニケーションに関する助言といえば、たいてい話し方にまつわるものだ。

「背筋を伸ばし、相手の目を見て、ある程度、身ぶり手ぶりを加えること。

一にも二にも、練習あるのみ(ただし、本番でそれを感じさせてはならない)」 また、話の構成に関する助言も耳にする。

「これから話す内容をまず話す。

そして話をする。

それから今話したことを話す」「最初にジョークや逸話で関心をつかむこと」「聴き手を知れ」といったたぐいの助言もある。

「聴衆が何に関心を持っているかを知れば、話を合わせられる」 そして、何と言っても、コミュニケーションに関する助言で最も多いのがこれだ。

「何度も何度も繰り返すこと」 どの助言にも、もちろん利点はある(ただし「繰り返す」は別だ。

同じことを一〇回も繰り返す必要があるのは、きっとアイデアの組み立てが悪いからだ。

都市伝説は一〇回も繰り返す必要などない)。

だが、これらの助言には大きな欠点がある。

アート・シルバーマンが「映画館のポップコーンは健康にきわめて悪い」と効果的に説明しようとするとき、こうした助言は全く役に立たないのだ。

もちろんシルバーマンは、相手の目を見ることや練習の大切さは知っていたが、どういうメッセージを練習すべきかわからなかった。

彼は聴き手のこともよく知っていた(ポップコーンが大好きだが、その不健康さに気づいていない人々)が、彼らにどんなメッセージを伝えればいいのかわからなかった。

繰り返す暇がないこともわかっていた。

メディアが自分の話に注目してくれるのは一瞬だ。

それは小学校の教師でも同じだ。

目標はわかっている。

州のカリキュラム委員会が定めた内容を教えることだ。

聴き手のこともよく知っている。

知識も習熟度もまちまちな小学校三年生の子どもたち。

効果的な話し方だって知っている。

姿勢や言葉遣い、相手と目を合わせることにかけてはプロなのだから。

目標も相手も話し方も問題ない。

ところが、メッセージの組み立て方となると、よくわからないのだ。

児童に有糸分裂を理解させるには、どうすればいいのか? 有糸分裂の教え方は山ほどあるが、記憶に焼きつくのはどの教え方か? 前もってそれがわかる方法はないのだろうか?

本書が生まれた経緯

つまり、記憶に焼きつくアイデアをどうやって組み立てるか、ということだ。

数年前、私たち兄弟(チップとダン)は、二人ともかれこれ一〇年間、アイデアが記憶に焼きつくしくみを研究していることに気づいた。

専門分野は違っても、「なぜ、成功するアイデアと失敗するアイデアがあるのか」という同じ疑問を追究していたのだ。

ダンは教育に強い関心を抱いていた。

友人と一緒にシンクウェルという小さな出版社を起こし、「文字ではなく映像と技術を使った教科書を一からつくる」という、ちょっと変わったテーマを追究していた。

シンクウェルの編集長である彼は、社員と協力して経済学、生物、微積分学、物理学などさまざまな科目の最も優れた教授法を探そうとした。

そうする中で、全国でもとりわけ優秀で愛される教授たちと仕事をする機会に恵まれた。

コメディアンの微積分学教師、全米年間最優秀教師に選ばれた生物学教師、牧師と劇作家でもある経済学教師などだ。

要するにダンは、「素晴らしい教師が素晴らしい理由」の短期集中講座を受けているようなものだった。

そこで彼が発見したのは、優れた教師はそれぞれ独特のスタイルをもっているが、授業の方法論はほぼ同じということだった。

一方、チップはスタンフォード大学の教授で、「悪しきアイデアが社会のアイデア市場で勝ち残る理由」を一〇年ほど研究していた。

嘘のアイデアが真実のアイデアを凌駕するのはなぜか? ウィルス性のあるアイデアとそうでないアイデアの違いは?――こうしたトピックへの入り口として、チップは都市伝説や陰謀説といった「もともと記憶に焼きつきやすい」アイデアの研究に没頭した。

何年かたつうちに、この種の話の中でもとりわけどぎつく馬鹿馬鹿しい話に、否応なく精通していった。

以下はそのごく一部だ。

・「ケンタッキー・フライド・ネズミ」。

ネズミとファストフードが登場する話は広まりやすい。

・「コカ・コーラを飲むと骨が溶ける」。

日本で大きな不安を呼んでいる。

だが今のところ、日本で体がぐにゃぐにゃした若者が続出しているわけではない。

・「ライトを消している車をハイビームで照らすと、ギャングに撃たれる」 ・「中国の万里の長城は、宇宙から見える唯一の建造物である」(万里の長城は実際に延々と続いているが、厚みはそれほどではない。

万里の長城が見えるのなら、高速道路や大型スーパーだって見える) ・「人間は脳の一〇%しか使っていない」(もし本当なら、脳の損傷も恐れるに足りずだ) チップは都市伝説、戦時中の噂、ことわざ、陰謀説、ジョークといった記憶に焼きつきやすいアイデアを、学生たちとともに数百時間をかけて収集、記号化、分析した。

都市伝説は作り話だが、記憶に焼きつきやすいアイデアの中には真実も多い。

中でも一番古いのが、ことわざである。

ことわざとは「知恵のかたまり」だ。

何世紀も生き残り、異文化間に共通して見られるものも多い。

例えば「火のないところに煙は立たない」ということわざは、五五を超える言語に見られる。

チップは記憶に焼きつきやすいアイデアを、些細なものから深い意味を持つものまで研究した。

延べ一七〇〇人以上を対象に四〇以上の実験を行った。

テーマは次のようなものだ。

・ノストラダムスの予言が四〇〇年たった今も読まれるのはなぜか? ・「心のチキンスープ」の逸話が感動を与えるのはなぜか? ・効きもしない民間療法が根強く残っているのはなぜか? 数年前、チップはスタンフォード大学で「記憶に焼きつくアイデア作り」という講座を始めた。

その前提にあるのは、記憶に焼きつきやすいアイデアが記憶に焼きつく理由がわかれば、自分のアイデアをもっと聴き手の記憶に焼きつけられるという考え方だ。

以来数年のあいだに、管理職、社会政策アナリスト、ジャーナリスト、デザイナー、映画監督などをめざす数百人の学生がこの講座を受けてきた。

こうして、いよいよヒース兄弟物語が完成する。

二〇〇四年、私たち兄弟は、自分たちが違った角度から同じ問題に取り組んでいることに気づいた。

チップはアイデアが記憶に焼きつく理由を研究し、教えていた。

ダンはアイデアを記憶に焼きつける実践的方法を探っていた。

チップは成功した都市伝説や逸話を比較し、ダンは成功した数学や政治学の授業を比較していた。

チップは研究者であり教師だった。

ダンは実務家で物書きだった(それに、私たち兄弟が一緒に有意義な時間を過ごせば、両親が喜ぶこともわかっていた)。

私たちは記憶に焼きつくアイデア(もともと焼きつきやすいものも、焼きつくように作られたものも)を徹底的に分析し、それらが記憶に焼きつく理由を探りたいと思った。

人はなぜ都市伝説にこうも惹かれるのか? 化学の授業の効果に差があるのはなぜか? ほとんどの社会にことわざがあるのはなぜか? 広く伝わる政治的考え方と、そうでないものがあるのはなぜか? 要するに、記憶に焼きつくものを理解したかったのだ。

「記憶に焼きつく」というのは、私たち二人の好きな作家、マルコム・グラッドウェルの著書に登場する言葉だ。

グラッドウェルは二〇〇〇年に『ティッピング・ポイント』(飛鳥新社、文庫版のタイトルは『急に売れ始めるにはワケがある』ソフトバンク文庫)という優れた本を書いた。

同書は、社会現象を一気に「傾かせる」力、つまり伝染病が特定のグループに感染したとたんに一気に広まるように、社会現象を小集団から大集団へと飛躍させる力を調べたものだ。

靴のブランド「ハッシュパピー」はなぜ復活したのか? ニューヨーク市の犯罪率はなぜ急落したのか? 小説『ヤァヤァ・シスターズの聖なる秘密』はなぜ人気が沸騰したのか?『ティッピング・ポイント』は三つの原則によって構成されている。

第一原則は、少数者の法則、第三原則は、背景の力。

そして第二原則の「粘りの要素」では、革新的なアイデアの中でも記憶に粘る(焼きつく)ものの方が一気に広まりやすいと説いている。

『ティッピング・ポイント』が出版されたとき、チップは「記憶に粘る(焼きつく)要素」こそ、自分がアイデア市場の研究で追究している属性を完璧に言い表す言葉だと気づいた。

本書では、アイデアを記憶に粘る(焼きつく)ものにする「特徴」を突き止める。

それはグラッドウェルの著書の守備範囲外のテーマであり、その意味で本書は『ティッピング・ポイント』を補完する。

グラッドウェルは社会的流行が流行となる理由に興味をもった。

私たちの興味は、効果的なアイデアがどのように組み立てられるか、という点にある。

つまり、記憶に粘る(焼きつく)アイデアと消えてゆくアイデアの違いはどこか、ということだ。

したがって、私たちの関心は『ティッピング・ポイント』の領域内にはないが、「記憶に粘る(焼きつく)」という言葉については、グラッドウェルに敬意を表したい。

これこそまさに、記憶に粘る(焼きつく)言葉だった。

ハロウィーンを台なしに

ハロウィーンの夜、仮装した子どもたちが家々を回ってお菓子をねだる風習がある。

一九六〇~七〇年代、この風習が危機に晒された。

カミソリの刃を仕込んだリンゴや、キャンディの形をした偽装爆弾を配る「ハロウィーン・サディスト」の噂が広まったからだ。

噂は全米のハロウィーンに深刻な影響を与えた。

親たちは子どもが持ち帰った菓子袋を注意深く調べたし、学校は安全な環境で子どもたちがハロウィーンを楽しめるよう、夜に学校を開放した。

病院は菓子袋のX線検査を買って出た。

一九八五年の ABCニュースの世論調査によると、六〇%の親が「自分の子どもが被害に遭うのが不安」と答えている。

いまだに、子どもに未開封の袋菓子以外のお菓子を食べさせない親も多い。

悲しい話だ。

何の恨みか、子どもたちを傷つけようとする輩のせいで、家庭の行事が台なしになるなんて。

ところが、一九

八五年になって話は奇妙な展開を見せる。

調査の結果、お菓子への悪質ないたずらが流行っているというのは、作り話だったのだ。

衝撃的な事実だった。

調査を行った社会学者のジョエル・ベストとジェラルド・ホリウチは、一九五八年以降、ハロウィーンに起きた事故の記事をすべて調べた。

その結果、ハロウィーンに他人が細工したお菓子で子どもが致命的被害を受けた事件は、一件もなかった。

ハロウィーンに亡くなった子どもは二人いたが、他人に殺されたわけではなかった。

一人は五歳の男児で、叔父が隠し持っていたヘロインを見つけ、誤って過剰摂取したことが死因だった。

親族は最初、自分たちの麻薬常用癖を隠そうとして、男児のキャンディにヘロインをまぶした。

もう一つの事件は、父親が保険金目当てで息子のお菓子に青酸カリを盛り、殺害したものだ。

つまり、他人からお菓子をもらっても何の問題もないことが、社会学的に証明された。

むしろ疑うべきは家族というわけだ。

お菓子への悪質ないたずらの噂は、過去三〇年にわたり何百万人もの親の行動を変えてきた。

隣人が隣人を疑うという悲しい状況も生んだ。

この国の法律さえ変えた。

カリフォルニア州とニュージャージー州では、お菓子に悪質な細工をした者への特別罰則が成立した。

ハロウィーン・サディストのアイデアがこれほど成功したのは、なぜなのだろうか?

記憶に焼きつくアイデアの六原則

ハロウィーンのお菓子の話はある意味、 CSP Iの逸話を邪悪にしたようなものだ。

どちらも、ハロウィーンのお菓子や映画館のポップコーンを食べるというごく普通の行動に、予期せぬ危険が潜むことを明らかにした。

簡単な対策を打てばすむ点も同じだ。

子どものお菓子を調べたり、映画館でポップコーンを食べなければよい。

どちらも、カミソリ入りのリンゴ、ずらりと並んだ脂っこい食事という鮮明で具体的で記憶に残りやすいイメージを利用している。

そして、どちらも感情に訴える(ハロウィーンは恐怖心、映画館ポップコーンは嫌悪感)。

こういう特徴の多くは、臓器狩りの話にも共通している。

意外性の高い結末(一杯飲みに立ち寄ったら腎臓を取られてしまった)。

豊富で具体的な細部(氷風呂、腰から突き出た奇妙なチューブ)。

感情(不安、嫌悪感、疑い)。

私たちは、さまざまな成功したアイデアに同じテーマや属性が見られることに気づいた。

チップの研究、そして多くの民間伝承研究者や心理学者、教育研究者、政治学者、ことわざ収集家たちの研究からわかったことは、記憶に焼きつくアイデアには何らかの共通点があるということだ。

記憶に焼きつくアイデアに「方程式」はない。

しかし、共通する特徴は確かにある。

それが成功率を高めているのだ。

このことは、優秀なバスケットボール選手の特徴を考えればわかる。

どの優秀選手にも身長、スピード、敏捷性、パワー、センスといった一定の特徴がある。

もちろん、こうした特徴が必ずしも全部揃っていなくても、優秀な選手にはなれる。

身長一八〇センチそこそこの痩せた選手でも、優秀なガードはいる。

身長が二一〇センチあっても、動きが鈍くぎこちない選手は山ほどいる。

しかし、近所の広場でバスケットボールをするとき、見ず知らずの連中のなかからチームメートを選ぶなら、身長二一〇センチの男を選ぶだろう。

アイデアも同じだ。

身長二一〇センチの男のように「素質」のあるアイデアを発見する能力は、誰でも身につけることができる。

本書の後半で、サンドイッチ・チェーンのサブウェイの広告キャンペーンを紹介する。

キャンペーンの主役の肥満学生ジャレドは、毎日サブウェイのサンドイッチを食べて九〇キロも減量した。

このキャンペーンは大成功を収めた。

しかもこれは、大手広告代理店が作った話ではない。

あるフランチャイズ店オーナーが発見した実話だ。

驚異的な物語に気づいたセンスの良い人物から、すべてが始まったのだ。

だが、バスケットボールのたとえ話が通用するのはここまで。

アイデアの世界では、遺伝子工学によって選手を作り出すことができる。

つまり、記憶に焼きつく要素をできるだけ多く含むアイデアを創りだすことができるのだ。

私たちは記憶に焼きつくアイデアの研究に没頭するなかで、六つの共通原則に繰り返し出会った。

原則 1――単純明快である

アイデアの核となる部分をどうやって見きわめたらいいのだろうか。

ある有能な弁護士によれば、「論点が一〇項目もあると、一つ一つはもっともであっても、法廷を一歩出たとたん、みんな忘れてしまう」という。

枝葉を削ぎ落として幹を残すには、腕利きの庭師になることが必要だ。

きっぱりと優先順位を決めること。

短ければいいというものではないし、インパクトが強いだけなのも好ましくない。

理想はことわざである。

単純明快であって、しかも重みや深みがなければいけない。

単純明快であることの究極のお手本は「自分がしてもらいたいことを、他人にせよ」という聖書のことばだ。

たった一行にすぎないが、生涯この格言を守ろうとする人がいるほど深い。

原則 2――意外性がある

アイデアに関心を持ってもらうには、どうすればいいのか? アイデアを理解させるのに時間がかかる場合、どうやって興味を持続させるのか? それには、予想を裏切る必要がある。

相手の裏をかくのだ。

ポップコーン一袋が一日分の脂っこい食事と同じくらい体に悪いなんて! 驚きを利用して関心をつかむ手もある。

驚きという感情には、警戒感と集中力を高める機能がある。

だが、驚きは長続きしない。

アイデアが生き残るには、興味と好奇心を生み出す必要がある。

年に四八回もある歴史の授業に、生徒をクギづけにするにはどうすればいいか? 相手の知識に意図的に「隙間」をあけるといい。

その隙間を埋めていけば、好奇心を長くつなぎとめることができる。

原則 3――具体的である

アイデアをきちんと理解してもらうには、どうすればいいのか? 人間の行動や五感を通じてアイデアを説明する必要がある。

ビジネスコミュニケーションの多くは、ここでつまずく。

企業の社是、シナジー効果、戦略、ビジョンといったものの多くは、あまりに曖昧で意味をなさない。

もともと記憶に焼きつきやすいアイデアは、具体的なイメージをたっぷり備えている(氷風呂、カミソリ刃入りのリンゴ)。

それは、人間の脳が具体的なデータを記憶するようにできているからだ。

「二兎を追う者は、一兎をも得ず」のように、ことわざの多くは、抽象的な真実を具体的な言葉に置き換えたものだ。

アイデアを聴き手全員に同じように解釈してもらうためには、具体的に話すしかない。

原則 4――信頼性がある

アイデアを信じてもらうには、どうすればいいのか? 公衆衛生局長官だった C・エベレット・クープが公衆衛生問題について話せば、人は疑いもせず信じた。

だが日常的な場では、多くの人はこうした権威を使えない。

アイデアを記憶に焼きつけるためには、アイデア自体に信頼性がなくてはならない。

そのためには、アイデアを相手に検証してもらう必要がある。

「試してから買え」はアイデアにも通じる。

何かを証明しようとするとき、数字に頼る人が多いが、このやり方はたいてい失敗する。

一九八〇年米大統領選でロナルド・レーガンとジミー・カーターが討論したとき、レーガンは統計で経済の停滞ぶりを示す代わりに、一言こう言った。

「投票する前に、あなたの暮らしが四年前よりよくなったかどうか自問してください」彼はたった一つのシンプルな質問をぶつけることで、有権者に自ら検証してもらったのだ。

原則 5――感情に訴える

アイデアを心にかけてもらうには、どうすればいいのか? それには、相手の感情を掻き立てればいい。

映画館のポップコーンでは、不健康に対する嫌悪感を掻き立てた。

「三七グラム」という統計値は何の感情にも訴えない。

ある調査結果によると、人は貧困地域全体よりも恵まれない一人に寄付をしたがる。

人間は、抽象的なものではなく人間に何かを感じるのだ。

とはいえ、どんな感情に訴えるべきか判断に迷うこともある。

例えば、一〇代の若者に喫煙がもたらす結果の恐ろしさを説いても、禁煙させるのは難しい。

むしろ、大手タバコ会社の欺瞞に対する憤りを煽るのが近道だ。

原則 6――物語性がある

アイデアを行動に移してもらうには、どうすればいいのか? 物語を伝えればいい。

消防士は消火活動を終えるたびに体験談を交わす。

そうすることで、体験値を何倍にも増やしているのだ。

長年、人の体験談を聞いていれば、現場で起こりうる危険な状況や適切な対処法のカタログが頭の中にできてくる。

調査によると、ある状況を頭の中でリハーサルしておくと、実際にその状況になったとき、適切な行動ができる。

同様に、物語を聞くことによって、頭の中での飛行シミュレーションと同様に、迅速かつ効果的に対処するための備えができる。

以上が成功するアイデアの六原則だ。

つまり、成功するアイデアをつくるためのチェックリストは、「単純明快で、意外性があり、具体的で、信頼性があって、感情に訴える物語( Simple Unexpected Concrete Credentialed Emotional Story)」 かどうかなのだ。

鋭い読者ならお気づきのように、これを省略すると SUCCESs(成功)となる。

もちろん単なる偶然だ。

(いや、正直に言おう。

確かに SUCCESsとはわざとらしい。

「単純明快さ」を「核心を突いた( Core)」にして、文字を多少入れ替えてもいいが、 CCUCESでは覚えにくい)。

この六原則を使うのに特別な専門知識は不要だ。

「記憶に焼きつかせる学」の検定試験があるわけではない。

それに、たいていの原則は常識で考えればわかることだ。

「単純明快さ」や「物語の利用」が必要なことは、たいていの人が何となく感じているはずだし、複雑で無味乾燥な物言いをよしとする人はいないだろう。

だが、ここでちょっと考えてほしい。

この六原則は簡単に使えるし、その多くは常識的なことだ。

それなのに、なぜ巷には記憶に焼きつく見事なアイデアが溢れていないのだろう? ことわざよりも、とりとめのない経過報告書が多いのは、どういうわけか? あいにく、悪者がいるのだ。

悪者は、人間が生まれつき持っている心理的傾向だ。

それは、六原則を使ってアイデアを創りだす能力を妨害する。

この悪者の名を「知の呪縛」という(本書では、この言葉にふさわしいドラマ性を与えるため、かぎカッコで囲むことにする)。

「叩き手」と「聴き手」

一九九〇年、スタンフォード大学の研究生エリザベス・ニュートンは、単純なゲームの研究で博士号を取得した。

それは次のようなゲームだ。

各被験者に「叩き手」役と「聴き手」役のいずれかを割り振る。

叩き手は、「ハッピー・バースデー・トゥ・ユー」や「星条旗よ永遠なれ」など誰でも知っている二五曲の歌のリストを受け取り、その中から一曲選んで、リズムを指で刻む(指で机をコツコツと叩く)。

聴き手の仕事は、そのリズムから曲名を当てることだ(なかなか面白いゲームなので、近くに適当な「聴き手」がいればやってみてほしい)。

聴き手の仕事は、かなり難しい。

ニュートンの実験で、叩き手は合計一二〇曲のリズムを叩いたが、その中で聴き手が正しく言い当てたのはたった三曲。

つまり、全体の二・五%にすぎなかった。

だが、この論文が心理学博士号取得に値するのはここからだ。

ニュートンは、聴き手が曲名を答える前に、叩き手に正答率を予測させた。

叩き手が予想した正答率は五〇%だった。

実際に叩き手が正しく曲を伝えることができたのは、四〇回に一回だったのに、二回に一回は正しく伝わると思っていたわけだ。

どういうことだろう? 叩き手はリズムを刻むとき、頭の中でその曲を聞いている。

これは、やってみればわかる。

「星条旗よ永遠なれ」のリズムを指で叩くとき、いやでも頭の中にメロディーが流れる。

一方、聴き手にはそのメロディーが聞こえない。

聞こえるのは、モールス信号のように脈絡のない奇妙なリズムだけだ。

この実験の叩き手は、聴き手がメロディーをつかめないことに唖然とした。

「あの曲だよ、わかるだろう?」 内心そう思っていたに違いない。

そして、聴き手が「星条旗よ永遠なれ」のリズムを聞いて「ハッピー・バースデー・トゥ・ユー」と答えると、「何でわからないんだ? 馬鹿じゃないか?」 とでも言いたそうな顔をした。

叩き手の仕事も楽ではない。

問題は、叩き手には知識(曲名)が与えられているため、その知識のない状態が想像できないことだ。

曲ではなくコツコツという脈絡のない音を聞かされる聴き手の気持ちが、叩き手にはわからない。

これが「知の呪縛」というやつだ。

いったん何かを知ってしまったら、それを知らない状態がどんなものか、うまく想像できなくなる。

知識に「呪い」をかけられるのだ。

そうなると、自分の知識を他人と共有するのは難しい。

聴き手の気持ちがわからないからだ。

叩き手と聴き手の実験は、世界中で毎日繰り返されている。

最高経営責任者( CEO)と現場従業員だったり、教師と生徒だったり、政治家と有権者だったり、営業マンと顧客だったり、作家と読者だったり。

継続的なコミュニケーションが欠かせないのに、叩き手と聴き手がそうであるように、情報の極度のアンバランスに彼らも悩まされている。

CEOが「株主利益の最大化」と口にするとき、頭の中では従業員に聞こえないメロディーが流れているのだ。

これは避けられない問題だ。

経営哲学や経営慣行に三〇年間、毎日どっぷりつかってきた CEOに、元に戻れと言っても無理な話だ。

知ってしまったことを白紙には戻せない。

「知の呪縛」を確実に打破したければ、方法は二つしかない。

一つは何も学ばないこと。

そしてもう一つは、自分のアイデアをつくり変えることだ。

本書では、アイデアをつくり変えて「知の呪縛」を打ち負かす方法を述べる。

その際、最強の武器となるのが前述の六原則だ。

この六原則は一種のチェックリストとして使える。

例えば、 CEOが従業員に「株主利益の最大化」を言い渡したとする。

さて、このアイデアは単純明快だろうか? 確かに短文という意味では単純明快だが、ことわざのように役立つ単純明快さではない。

意外性はあるか? ない。

具体的か? 全然。

信頼性はあるか? CEOの口から出たという点でのみ、信頼できる。

感情に訴えるか? ありえない。

物語性は? ない。

これに比べて、当時の米国大統領ジョン・ F・ケネディ( JFK)が一九六一年に口にした「六〇年代末までに人類を月に立たせ、安全に帰還させよう」 という有名な言葉はどうか。

単純明快か? イエス。

意外性はあるか? イエス。

具体的か? 非常に。

信頼性はあるか? 内容は SFもどきだが、語り手は信頼できる。

感情を掻き立てるか? イエス。

物語性は? ごく短いが、ある。

これがケネディ大統領ではなく、企業の CEOだったら、「われわれの使命は、チーム中心の最大規模のイノベーションと、戦略的目標に沿った航空宇宙計画を通じて、宇宙産業の国際的リーダーとなることだ」 とでも言っただろう。

JFKは幸い、現代の CEOより勘が冴えていた。

曖昧で抽象的な使命では、国民を惹きつけ鼓舞することは不可能とわかっていたのだ。

月面着陸への呼びかけは、アイデアを伝える側が「知の呪縛」を避けた好例だ。

たった一つの賢明で美しいアイデアが、一〇年間にわたり何百万人もの人々を行動へ駆り立てたのである。

創造性の体系化

「アイデアを思いつくのが得意な人のイメージを、思い浮かべてください」 と言うと、たいていの人は、ステレオタイプな人物像を挙げる。

大手広告代理店で次々と広告コピーを考え出すような、いわゆる「天才的な創造性の持ち主」といったタイプだ。

ジェルで決めた髪形に、最先端の服装。

アイデアの詰まった手帳を持ち歩き、何よりもブレーンストーミングが大好き、コーヒーをがぶ飲みしながらホワイトボードにアイデアを書きなぐる。

そんな人物像を思い描くのではないだろうか?(まあ、ここまで細かく想像しないかもしれないが) 確かに、創造性は人によって差がある。

あなたは「記憶に焼きつくアイデア」界の超一流にはなれないかもしれない。

だが、記憶に焼きつくアイデアづくりの方法は学べば身につくというのが、本書の大前提だ。

一九九九年、イスラエルの研究チームが優れた広告作品を二〇〇点集めた。

どれも一流の広告コンテストで最終選考に残るか受賞した広告である。

分析の結果、受賞広告の八九%は六つの基本的カテゴリー、つまり型に分類できることがわかった。

これは注目に値する。

創造性豊かなコンセプトは創造的才能のある人が気まぐれに思いついたもので、きわめて独自性が高いと思われている。

だが実は、六つの型さえあれば、創造的な広告を生み出すことができるのだ。

これらの型の多くは、意外性の原則と関係がある。

例えば、過激な結末型は、製品属性のもたらす意外な結末を描き出す。

あるカーステレオの広告では、ステレオから流れ出す音楽に合わせて橋が振動し、スピーカーの音量を上げると崩れそうなほど大揺れする。

第二次世界大戦中に広告協議会(非営利団体や政府機関のために公共キャンペーンを制作する非営利団体)が作った有名なスローガン「口の軽さは船を沈める」も、この型に当てはまる。

もともと記憶に焼きつきやすい話にも、この型は数多く見られる。

その一つが「ニュートンはリンゴが頭に落ちてきたときに、引力を発見した」という伝説だ。

研究者たちは、新たに二〇〇の広告作品をこれら六つの型に分類しようとした。

こちらの二〇〇作品は、最初の二〇〇作品と掲載媒体も製品タイプも同じだが、賞はとっていない。

すると面白いことに、これらの「見劣りする」作品群のうち、六つの原則に当てはまったのはわずか二%だったのだ。

このことは、驚くべき教訓を与えてくれる。

創造性の高い広告の方が、創造性の低い広告よりも予測がつきやすいということだ。

「幸せな家庭はみな似通っているが、不幸な家庭はそれぞれ違った不幸を抱えている」というトルストイの言葉を思い出す。

さしずめ、「創造性の高い広告はみな似通っているが、不出来な広告はそれぞれ違った意味で創造性に欠ける」といったところだろうか。

ところで、創造性の豊かな広告がどれも六つの原則に当てはまるのなら、「創造性」を教えることも可能なのではないか。

広告制作の初心者でも、これらの原則を理解すればいいアイデアを生み出せるかもしれない。

創造性を教えるという可能性に興味をもったイスラエル人研究チームは、原則の利用によってどれほどの成果が上がるかを調べることにした。

彼らは広告制作の初心者を三つのグループに分け、それぞれにシャンプー、ダイエット食品、スニーカーの三製品の予備知識を与えた。

第一のグループは、製品の予備知識を受け取った後、何の訓練も受けず、すぐ制作に取りかかった。

そして、各グループの状況を知らない経験豊富な制作ディレクターに、出来の良い一五作品を選んでもらった。

それらを消費者に試したところ、結果は惨憺たるものだった。

「うるさくて、うっとうしい」という評価を下されたのだ(地方の自動車販売店の広告もまさにそうだが、これでその理由が解明されたのではないだろうか)。

第二のグループは、経験豊富な制作指導者から二時間にわたり、自由連想型のブレーンストーミング手法の訓練を受けた。

これは、創造性を教えるときの標準的な訓練法だ。

連想の幅を広げ、意外なつながりを思いつきやすくし、創造的なアイデアを数多く出し合うことで、最良のアイデアを選びやすくする意図がある。

ブレーンストーミングの説明を受けたことのある人は、たぶんこの手法を習ったはずだ。

このグループについても、第一グループと同じ制作ディレクターが、状況を知らないまま出来の良い作品を一五点選び、それを消費者に試した。

その結果、訓練ゼロのグループほど「うるさい、うっとうしい」とは見なされなかったが、創造性の評価はたいして変わらなかった。

第三のグループは、創造性の六つの原則の使い方について、二時間の訓練を受けた。

やはり同じ制作ディレクターが出来の良い作品を一五点選び、それを消費者に試した。

このグループはずば抜けて高い創造性を示した。

創造性の評価は他の二グループより五〇%も高く、製品に対する好意も五五%高かった。

基本的な原則を二時間学んだだけにしては、驚くべき成長ぶりだ。

どうやら、創造的なアイデアの体系的な開発法は、本当に存在するようだ。

このイスラエル人研究チームが広告のために行ったことを、本書では読者のアイデアに応用する。

あなたのアイデアをもっと創造的で効果的なものにする方法を提案していきたいと思っている。

六原則のチェックリストを作成したのも、まさにそのためだ。

とはいえ、読者は首をひねるかもしれない。

「原則だのリストだのを使うのは窮屈では?」「塗る色を指定された塗り絵で、真っ白いキャンバスに向かうより創造性の高い作品を生み出せるのか?」 そう、生み出せるのだ。

私たちが言いたいのは、まさにそれだ。

アイデアを他人に広く伝えたいなら、他のアイデアが広く伝わるのに昔から役立ってきたルールの中で考えればいい。

作りたいのは新しいアイデアであって、新しいルールではないのだから。

とはいえ、誰でも成功する処方箋を示すことはできない。

正直言って、キャンプファイアを囲む一二歳の子どもに細胞の有糸分裂の雑談をさせる方法など、教えることはできない。

あなたの書いた業務改善提案書が今後何十年も語り継がれ、他国でことわざになるということも、たぶんありえないだろう。

だが、これだけは約束できる。

あなたの「本来の創造性」がどんなレベルであれ、少し真面目に努力すれば、たいていのアイデアはもっと記憶に焼きつくものにできる。

そして、記憶に焼きつくアイデアは、影響力を発揮する可能性が高い。

それを実現するためには、効果的なアイデアをつくるための六原則さえ理解すればいい。

第一章単純明快である

米陸軍の兵士が動く前には、必ず膨大で綿密な計画が立てられる。

計画の元をたどれば、最高司令官である合衆国大統領の命令に行き着く。

大統領は何らかの目標達成を統合参謀本部に指令し、統合参謀本部は作戦の大筋を決める。

その後、将軍から大佐へ、そして大尉へと、次々に命令や計画が伝えられる。

計画はきわめて周到で、「作戦行動計画」や「銃砲発射の考え方」などを通じ、各部隊がどの装備を使って何をするか、軍需品をどう補充するかが規定される。

命令は雪だるま式に膨れ上がり、最後は、一人の歩兵がある瞬間にとるべき行動まで規定されることになる。

軍は計画策定に膨大なエネルギーを費やし、長い年月をかけて手続面を改善してきた。

その結果、驚異的な稟議体制ができあがった。

だが、ひとつだけ難点がある。

計画が大抵、全く役に立たないのだ。

「陳腐な言い方だが、敵を前にしたら計画など役に立たないと、いつも言っている」 そう語るのは、米陸軍士官学校の行動科学部長であるトム・コルディッツ大佐だ。

「最初は計画通りに戦おうとするが、結局は敵の出方次第だ。

天候が変化し、主要施設が破壊され、敵が想定外の反応を示すなど、予期せぬ事態が発生する。

戦闘開始後一〇分で無駄になるような計画に全力を注いだ結果、失敗する場合が多い」 これは、自分の書いた指示書に従って友人にチェスを指してもらう難しさと似ている。

自分はチェスのルールを熟知しているし、友人や対戦相手のこともよく知っている。

だが、一手一手を指示しようとしても、うまくいかない。

予測できるのは、せいぜい数手先まで。

入念に計画を立てても、敵が予想外の手を指したとたん、友人は指示書から離れ、勘で戦うしかなくなる。

コルディッツ大佐は言う。

「長年の経験から、複雑な作戦で兵士に成果を上げさせる方法を学んだ」 大佐の考えによると、計画の意義は、計画を立てたという証拠になる点だ。

計画を立てると、その過程で、考えるべき問題を否応なく検討することになる。

だが計画自体は「戦場では役に立たない」と大佐は言う。

そこで軍は一九八〇年代に「司令官の意図( CI)」という概念を編み出し、独自の計画策定手続を導入した。

CIとは、あらゆる命令の冒頭に述べられる平易で簡潔な文言のことで、計画の目標、作戦の望ましい結果を説明するものだ。

軍上層部での CIは、どちらかというと抽象的だ(例えば「南東地域の敵の戦意に打撃を与えること」)。

だが、大佐や大尉が発する戦術レベルの CIになると、ぐっと具体性が増す(「第四三〇五丘陵に第三大隊を配置し、同丘陵から敵を一掃すべく最後の一兵となるまで攻撃を仕掛け、第三旅団の敵陣突破を側面から守る」)。

CIでは、不測の事態に役立たないような細々したことは述べない。

「当初の計画が実行不能になっても、 CIは実行しなければならない」 と、コルディッツ大佐は言う。

つまり、第四三〇五丘陵上に第三大隊の兵士が一人でも残っている限り、その兵士は第三旅団の側面を守るために、なんとかしなくてはならないのだ。

「司令官の意図」があれば、指揮官が現場で細々とした指示を出さなくても、あらゆる階級の兵士の行動を調整できる。

最終的な目標さえわかっていれば、兵士たちは臨機応変に対応しながら、目標を達成できる。

コルディッツ大佐は言う。

「例えば、私が砲兵大隊の司令官で、『歩兵部隊を戦列の前に進める』と言ったとする。

この言葉が意味することは、隊によって違ってくる。

工兵隊なら、進軍中に多くの修理支援が必要になりそうだ、と思うだろう。

橋の上で戦車が故障でもしたら、作戦全体が立ち往生するからだ。

砲兵隊なら、歩兵部隊が前進中に撃たれないよう、後方で発煙弾を発射するか、工兵隊に発炎筒を焚かせる必要がある、と理解する。

司令官である私が具体的な戦術をいちいち説明しなくても、兵士たちは私の意図さえ理解すれば、自分で解決策を出してくれる」 軍事シミュレーションを行う戦闘演習訓練センターでは、士官が「司令官の意図」を作成する際に、次の二点を自問するよう奨めている。

明日の任務に全力を注げば、われわれは必ず だろう。

われわれが明日行わなければならない唯一にして最も重要な事項は、 である。

敵を前にしたら計画など役に立たない。

軍隊経験がない人も、この言葉はわかるはずだ。

顧客を前にしたら販売計画など役に立たないし、一〇代の若者を前にしたら授業計画など無に等しい。

慌しく混乱した予測不能の状況のなかで、アイデアを相手の記憶に焼きつけるのは難しい。

それをうまくやってのけるための第一歩は、まず単純明快に伝えることだ。

ただし「やさしく噛み砕く」とか「ひと言で済ます」という意味ではない。

単純明快に伝えるために、素っ気なく話す必要はない。

ここで言う「単純明快である」とは、アイデアの核となる部分を見きわめることだ。

「核となる部分を見きわめる」とは、アイデアから余分なものをはぎとって、一番大切な本質をむき出しにすることだ。

核となる部分に達するためには、表面的な要素や本筋と関係ない要素を取り除く必要がある。

そこまでは簡単だが、大切は大切でもいちばん大切ではないアイデアを排除することは難しい。

「司令官の意図」によって、将校は作戦の最重要目標を強調する。

「司令官の意図」は、一つのことしか言っていない点に価値がある。

北極星が五つもあっては困るように、「最重要目標」や「司令官の意図」が五つもあっては困る。

核となる部分を見きわめることは、「司令官の意図」を作成することに等しい。

つまり、最も大切な見識を際立たせるために、多くの素晴らしい見識を切り捨てるのだ。

フランスの作家で飛行機乗りだったアントワーヌ・ド・サンテグジュペリは、設計の的確さをこんなふうに定義している。

「設計士が完璧さを達成したと確信するのは、それ以上付け加えるものがなくなったときではなく、それ以上取り去るものがなくなったときだ」 単純明快なアイデアの設計士も、そういう志を持つ必要がある。

アイデアが本質を失わないよう、どこまで絞り込めるかを考えなければならない。

私たちも自分たちの助言に従い、本書から余計なものをはぎとって、核となる部分をむき出しにしようと思う。

本書の核となる部分は、次の通りだ。

アイデアを相手の記憶に焼きつけるには、二つのステップがある。

第一のステップは、核となる部分を見きわめること。

第二のステップは SUCCESチェックリストを使って核となる部分を言葉にすること。

以上である。

本章の後半で第一のステップを解説し、第二章以下で第二のステップを解説する。

手始めにまず、「サウスウェスト航空は、なぜ顧客の食事の好みをわざと無視するのか?」を考えてみよう。

サウスウェスト航空の「核となる部分」の見きわめ方

サウスウェスト航空が成功企業なのは周知の事実だが、同社と競合他社の業績の差は、驚くほど大きい。

航空業界全体がかろうじて黒字かどうかという状態であるにもかかわらず、サウスウェストは三〇年以上にわたって黒字を続けている。

サウスウェストが成功した理由を挙げれば、本が一冊書ける。

だが、唯一最大の成功要因は、頑ななまでのコスト削減努力だろう。

航空会社はどこもコストを下げたがっているが、サウスウェストは既に何十年も前から取り組んでいる。

コスト削減を成功させるには、営業部員から手荷物係員に至る数千人の従業員の協力が必要になる。

サウスウェスト航空には、この協調に役立つ「司令官の意図」、つまり核となる部分がある。

ジェームズ・カービルとポール・ベガラは、こう書いている。

サウスウェストの CEOを最も長く務めたハーブ・ケレハーは、かつてある人物にこう言った。

「三〇秒あれば、当社の経営の秘訣を君に教えられる。

『当社は最格安航空会社である』。

以上だ。

これさえ理解すれば君も私と同じように、当社の未来についてあらゆる経営判断を下せるようになるさ」「例えば」とケレハーは言う。

「営業部門のトレーシーが君のオフィスにやって来て、こう言ったとする。

調査の結果、ヒューストン―ラスベガス間で軽い機内食を出すと喜ばれそうなことがわかりました。

今はピーナツしか出していませんが、チキンシーザーサラダなら乗客の多くが喜ぶでしょう、と。

さて君はどう答えるかね?」 相手がしばし口ごもっていると、ケレハーは答えた。

「こう言うんだよ。

『トレーシー、チキンシーザーサラダを追加すれば、当社はヒューストン―ラスベガス間で最格安航空会社になれるのかな? 無敵の格安航空会社となるのに役立たないなら、チキンサラダなんて出さないよ』とね」 ケレハーの「司令官の意図」は、「当社は最格安航空会社である」だ。

シンプルなアイデアだが、サウスウェスト従業員の行動を三〇年以上にわたって導くのに十分役立ってきた。

もちろん同社については、「当社は最格安航空会社である」という核となるアイデア以外にも語るべきことが多くある。

例えば、一九九六年に同社が人員募集を行った際、五四四四名の枠に一二万四〇〇〇人もの応募があった。

同社は就職先として人気が高いが、これは驚くべきことだ。

普通、コスト削減に熱心な会社に勤めるのは楽しいはずがない。

ウォルマートの従業員が一日じゅう機嫌よく働く姿など、想像するのは難しい。

ところが、サウスウェストはそれをやってのけた。

サウスウェスト航空の原動力となっているさまざまなアイデアを、同心円で考えてみよう。

中心にある円、つまり核心は「最格安航空会社」だが、そのすぐ外側には「楽しく働く」という円がくるのかもしれない。

同社の従業員は、最格安航空会社という地位を脅かさない限り、楽しんでもかまわないことを知っている。

新入社員でも、これら二つのアイデアを組み合わせれば、予想外の状況でどう行動すべきかがすぐにわかる。

例えば、機内放送で客室乗務員の誕生日を冗談交じりにアナウンスしても大丈夫か? もちろん大丈夫。

では、彼女のために紙吹雪を散らすのも「あり」? それはまずい。

紙吹雪を撒くと清掃員の仕事が増える。

清掃員の作業時間が増えれば、運賃を上げなければならない。

冗談のように聞こえるが、やっていることは、「司令官の意図」に基づいて臨機応変に判断する歩兵と同じだ。

考え抜かれた単純明快なアイデアは、行動を決定する驚異的な力をもつ。

ここで一つ警告を。

この本を読んで数カ月後、あなたが SUCCESの一つとして「単純明快さ」という言葉を思い出したとする。

すると、あなたの頭の中の類語辞典は「単純明快さ」の意味を律儀に検索し、「誰にでもわかる」、「最大公約数」、「簡単に」といった同義語を引っ張り出してくる。

その際、ここで紹介した事例も一緒に思い出してほしい。

この章で述べた「最格安航空会社」などの逸話が単純明快なのは、平易な言葉だけを使っているからではなく、「司令官の意図」を反映しているからだ。

大事なのは平易化ではなく、的確さと優先順位である。

リードの埋没

新聞記者は、記事の冒頭に最重要情報をもってくるよう教え込まれる。

「リード」と呼ばれる冒頭文には、その記事の最も重要な要素が盛り込まれており、優れたリードは豊富な情報を伝えることができる。

その好例として、米新聞編集者協会の賞を受けた二本の記事のリードを見てみよう。

金曜日、四時間に及ぶ心臓移植手術により、一七歳の健康な心臓が三四歳のブルース・マレーの体内で鼓動し始めた。

執刀医らによると、手術は順調だった。

エルサレム、一一月四日――イツハク・ラビン首相が今夜、ユダヤ教右派の過激派に銃撃され死亡した。

一〇万人以上が参加したテルアビブでの平和集会からの帰途だった。

イスラエル政府と中東和平プロセスは大混乱に陥った。

リードの後は、重要な情報から順に提示される。

ジャーナリストはこれを「逆ピラミッド」構造と呼ぶ。

最も重要な情報(ピラミッドの底辺)をてっぺんにもってくるのだ。

逆ピラミッドは読者にとってもありがたい。

集中して読める時間の長さを問わず、リードしか読まない場合も、全文を読む場合も、最大限の情報が得られる。

新聞記事がミステリー仕立てで、劇的な結末が最後までお預けだと、途中でやめた読者は要点がわからないままだ。

大統領選挙の勝者やアメフト試合の勝者が最後の一文までわからなかったら、イライラするだろう。

逆ピラミッドは、時間内に新聞を発行するうえでも役立つ。

締め切り間際にニュースが飛び込んできて、他の記事のスペースを割かなければならない場合、逆ピラミッドでなかったら、すべての記事を丹念に読み、あちこちの言葉や文章を削って編集せざるを得ない。

だが、逆ピラミッド構造なら、最後の数段落が構造上最も重要性が低いので、そこを削ればいい。

逆ピラミッド構造は南北戦争中にできあがったという説がある。

当時、記者はみな軍の電信システムで社に記事を送りたがったが、軍関係者に押しのけられたり通信回線が切断したり(戦争中はよくある話だった)で、いつ何時、記事送信を中断させられるかわからなかった。

どこまで記事を送れるかわからないので、最初に最重要情報を送らざるを得なかったというわけだ。

ジャーナリストはリードにこだわる。

社説でさまざまな賞を取ったドン・ワイクリフはこう語っている。

「記事を書く時間が二時間あれば、最初の一時間四五分をかけてよいリードを書くのが最適な時間配分だと思っている。

そうすれば、あとは簡単に書ける」 よいリードが書ければ、あとは簡単。

では、ジャーナリストがよいリードを書き損ねるのはなぜか? 記者が犯す過ちは、細部にこだわるあまりメッセージの核となる部分、つまり読者が重視したり面白く思うことを見失ってしまうからだ。

長年、新聞記者を務め、三〇年近くジャーナリズムを教えてきた南カリフォルニア大学コミュニケーション学教授、エド・クレイはこう語る。

「長い時間、記事に取り組むほど方向性を見失うおそれが高まる。

どんな細部も捨て難くなり、何の記事かわからなくなってしまうのだ」 方向性、つまり中心となる報道内容を見失う問題はごく一般的で、「リードの埋没」というジャーナリズム用語まであるほどだ。

「リードの埋没」とは、記事の最も重要な要素を記事の後の方に埋もれさせてしまうことだ。

リードを書く、リードを埋没させないようにするというプロセスは、核となる部分を見きわめるプロセスの比喩として役立つ。

核となる部分を見きわめることも、リードを書くことも、強制的な優先順位づけにほかならない。

あなたが戦時中の新聞記者で、通信回線が切断される前に電報を一本だけ打てるとしたら、何を伝えるだろう。

リードも核となる部分も一つしかない。

選択が必要だ。

強制的に優先順位をつけるのは、実に辛い。

頭のいい人はどんな素材にも価値を認めてしまう。

ニュアンスや複数の視点があることを見抜くからだ。

状況の複雑さがよく理解できるだけに、どうしてもそれを長々と語りがちだ。

結局、こうした複雑志向と優先順位づけの必要性とが、永遠にせめぎあうことになる。

一九九二年の大統領選でクリントンの選挙参謀を務めたジェームズ・カービルも、複雑さを脱して優先順位をつけるというこの困難な課題に直面した。

「三つ言うのは、何も言わないのに等しい」

選挙キャンペーンは苦しい決断の連続だ。

「自分の組織には問題がある」と思っている読者は、こんな過酷な状況と比べてみてほしい。

全国規模の組織を一から立ち上げなければならないが、大半のスタッフは無給で何の技能もない。

チーム構築のために与えられた期間は約一年。

しかもその間、ボスの好物のドーナツを絶えず手配しなくてはならない。

組織内の人間は、全員同じ歌を歌わなければならないのに、リハーサルをする時間もろくにない。

しかも、メディアは毎日、新しい歌を歌えとせっつき、ちょっとでも歌詞を間違えればライバルが食いついてくる。

ビル・クリントンの一九九二年大統領選挙キャンペーンは、困難な状況で記憶に焼きつくアイデアが役立った好例だ。

この選挙キャンペーンは、ふつうに複雑なだけでなく、当のクリントンが問題をややこしくした。

一つは、クリントンと過去に性的関係があったとする女性が続々と現れたことだが、これは改めて論じるまでもない。

二つ目は、クリントンが政策通だったことだ。

議論の対象を少数の重要原則に絞らず、質問されれば何でもわけ知り顔で答えたがったのだ。

クリントン陣営の選挙参謀であったジェームズ・カービルは、こうした複雑な状況に対処しなければならなかった。

ある日、クリントンが話の的を絞らないことに手を焼いたカービルは、選挙スタッフ全員の目につくよう、ホワイトボードに三つの言葉を書いた。

この即席の言葉の一つが、「経済なんだよ、馬鹿( It’ s the economy, stupid)」 だった。

このメッセージは後に、クリントンの成功したキャンペーンの核心となる。

「馬鹿」というのは、自分たち選挙スタッフに向けた言葉で、大事なことを見失うなという戒めだったという。

カービルはこう説明する。

「単純なことさ。

でしゃばるのもほどほどに、ということだ。

私が言いたかったのは、『利口になりすぎるな。

自分たちは頭がいいなどと思うな。

基本を忘れないように』ということだ」 重要問題に的を絞る必要性は、ビル・クリントン本人にも、いやおそらくはクリントン本人に対して特に強く訴えられた。

ある時期、クリントンは財政均衡の話をするなという助言に苛立っていた。

無所属のロス・ペロー候補の財政均衡に対する考え方が支持を集めていた。

クリントンはこう言った。

「私は二年も前からこの問題について語ってきた。

なぜペローが出馬したからといって、発言を控えなければならないんだ?」 カービルらは、こう言うしかなかった。

「メッセージには優先順位が必要です。

三つ言うのは、何も言わないのに等しい」「経済なんだよ、馬鹿」は、クリントンの物語の「リード」だった。

それも優れたリードだ。

一九九二年のアメリカは、不況の真っ只中だった。

「経済なんだよ、馬鹿」をリードにする限り、財政均衡の必要性をリードにはできない。

クリントンがリードを埋没させることをカービルは防がなくてはならなかったのだ。

判断停止

優先順位をつけるのは、なぜこれほど難しいのだろう? 理屈上は、それほど難しいこととは思えない。

重要度の高い目標を重要度の低い目標に優先させる。

「不可避の」目標を「有益な」目標に優先させる。

それだけのことだ。

しかし、「不可避の」目標と「有益な」目標の判断がつかない場合は、どうすればいいのだろう。

二つの境界線が曖昧な場合もあるし、二つの「未知の」ものから一方を選ばなくてはならないことも多い。

この種の複雑さは、判断を停止させかねない。

過度の複雑さや不確実性が人を不合理な決定へと駆り立てる可能性のあることを心理学が教えている。

一九五四年、経済学者の L・ J・サベージは、彼の考える人間の意思決定の原則を示した。

彼はそれを「確実なものの原則」と名づけ、こんな例を示した。

実業家がある土地の購入を考えている。

彼は最初、近々行われる選挙の結果がその土地の資産価値に影響するかもしれないと考えた。

そこで、両方のシナリオを検討し、明確な判断を下そうとした。

共和党が勝ったら、この土地を買う。

民主党が勝ったら? やはり買う。

どちらにしても買うと判断した彼は、選挙結果がわからないまま、とにかくその土地を買うことにした。

彼の意思決定はいかにも賢明だ。

サベージの論理にケチをつける人は、そういないだろう。

ところが、ケチをつけた心理学者がいた。

エイモス・トバースキーとエルダー・シェイファーだ。

二人は後に論文を発表し、「確実なものの原則」は必ずしも確実ではないことを証明した。

先の実業家の場合のように結果に関係なくても、不確実な要素があるだけで意思決定の内容が変わってしまうケースを、二人は明らかにした。

ある大学生が、クリスマス休暇の二、三週間前に行われる大切な期末試験を終えたばかりだとする。

科目は希望職種に就くうえで重要なものなので、学生は何週間も試験勉強をしてきた。

試験結果が出るまであと二日。

そんなとき、休暇中のハワイ旅行に格安で申し込めるチャンスを得る。

選択肢は三つ。

今すぐ申し込むか、今日は見合わせるか、試験の結果がわかってから決められるよう五ドルの手付金を払うか。

あなたならどうするだろう? 試験結果がわかってから決めたい――そう思うのではないだろうか。

トバースキーとシェイファーの実験で選択を迫られた学生たちもそうだった。

そこで二人は、二つの被験者グループからこの不確実さを取り除いてやった。

試験結果をその場で伝えたのだ。

すると、合格を告げられた学生のうち、五七%は旅行に行くことを決めた(格好のお祝いだ)。

残りの学生は不合格を告げられたが、やはり五四%が旅行を決断した(自分を元気づけるよい機会だ)。

合格者も不合格者も、その場でハワイ行きを希望した。

ところが、あなたと同じく試験結果を知らない学生たちだけは、全く異なる行動をとった。

半数以上(六一%)が五ドルの手付金を払って二日後まで待とうとした。

考えてもみてほしい。

合格したらハワイに行きたい。

不合格でもハワイに行きたい。

なのに、合格か不合格かわからなければ様子を見るというのは、どういうことか。

「確実なものの原則」に従えば、そんな行動はとらないはずだ。

これでは、選挙結果にかかわらず土地を買うつもりなのに、選挙が終わるまで待とうとするのと同じだ。

人間は不確実なことがあると、それが何の関係もないものでも判断停止に陥る可能性がある――トバースキーとシェイファーの研究はそう示した。

また、シェイファーが同僚のドナルド・レーデルマイヤーと行った別の研究では、選択肢の存在が判断停止を引き起こす場合もあることがわかった。

あなたが学生で、ある日の夕方、次のような選択肢に直面したらどうするだろう。

(一)尊敬する作家の講演会に行く。

ちなみに、その作家が講演をするのは今夜だけ。

(二)図書館に行って勉強する。

一生に一度の講演会と比べると、勉強にあまり魅力はなさそうだ。

実際、大学生にこれらの選択肢を与えたら、勉強を選んだ回答者は二一%しかいなかった。

では、選択肢が三つならどうだろう。

(一)講演会に行く。

(二)図書館に行って勉強する。

(三)ずっと観たかった外国映画を観る。

答えは変わっただろうか。

別の学生たちにこの三つの選択肢を提示したところ、なんと四〇%が勉強すると答えた。

前回の二倍である。

勉強以外の魅力的な選択肢を一つでなく二つにしたところ、逆にどちらも選ばない学生が増えたのだ。

この行動は「合理的」ではないが、人間的だ。

優先順位は、果てしない決断の苦悩から人々を救う。

核となる部分を見きわめることが大切なのはこのためだ。

聴き手は、不確実な状況のなかで絶えず判断し

続けている。

講演会と外国映画のようにどちらも魅力的な選択肢でも、選択を迫られれば不安になる。

核となるメッセージは、何が大切かを思い出させ、誤った選択を予防する。

ハーブ・ケレハーの逸話では、ある従業員がチキンサラダを出すかどうか判断に迷ったが、「最格安航空会社」というメッセージのおかげでチキンサラダを諦めることができた。

アイデア・クリニック

本書は、アイデアを記憶に焼きつくものにできるよう手助けすることを目的にしている。

そこで、「アイデア・クリニック」を設けて、アイデアを記憶に焼きつける方法を実践的に示す。

アイデア・クリニックは、ダイエット広告の「ダイエット前・ダイエット後」の写真から着想を得た。

ダイエットの効き目がひと目でわかる例の写真だ。

新しいダイエットを試す客と同じで、クリニックに登場するアイデアも直すべき点はそれぞれ異なる。

胃を小さくする手術や脂肪吸引のように思い切った修正が必要なものもあれば、腰まわりの肉を数キロ分落とすだけで済むものまで、さまざまだ。

アイデア・クリニックのポイントは、私たちの天才的な創造性で読者を唸らせることではない。

そもそも私たちには、天才的な創造性などない。

アイデア・クリニックのポイントは、アイデアをもっと記憶に焼きつくものにするプロセスの見本を示すことだ。

ダイエットには医師の意見が必要だが、このプロセスは自分で試してほしい。

メッセージを検討し、自分なら本書の原則を使ってどう改善するかを考えてほしい。

アイデア・クリニックは、本論に不可欠の要素というより、補足的なものだ。

読まずに飛ばしてもかまわないが、役に立つことを願っている。

〔アイデア・クリニック〕注意‥日光浴は危険

背景説明‥オハイオ州立大学の保健指導担当者が、大学関係者に日光浴の危険性を訴えようとしている。

メッセージ 1‥以下は、オハイオ州立大学のホームページに掲載された日光浴に関する事実だ。

後で分析できるよう、段落に番号をつけてある。

日光浴――注意と予防 (1)ブロンズ色に焼けた肌は、しばしばステータス・シンボルと見なされる。

日焼けするほどゆっくり太陽の下に寝そべったり、冬に暖かいところに旅行できる人は、「普通の人」よりお金と時間の余裕があるということなのだろう。

ところが多くの人は、春もまだ早い時期なのに肌を黒く焼いたり、小麦色の健康な肌で休暇から戻るために日焼けをする。

日焼けがステータス・シンボルかどうかはともかく、無防備に日光を浴びるのは有害だ。

太陽の紫外線は皮膚に損傷を与えるだけでなく、視力障害や、アレルギー反応、免疫力の低下を引き起こすおそれがある。

(2)日焼けややけどの原因となるのは、太陽の紫外線である。

紫外線は目に見えず体にも感じないが、皮膚を透過して、メラニンという褐色の色素を含む細胞を刺激する。

メラニンは紫外線を吸収・拡散することによって皮膚を守る。

肌の色が濃い人はメラニンの数が多く紫外線から保護されており、すぐ日焼けする。

金髪や赤毛の人、肌の白い人はメラニンの数が少ないため、日焼けを通り越してすぐやけどになってしまう。

(3)メラニンは紫外線の刺激を受けると、皮膚の表面に浮上して肌の色を濃くし、日光から皮膚を守ろうとする。

肌の色が黄褐色、茶色、黒など濃い人は、無防備に日光を浴びてもやけどをしたり皮膚が損傷を受けることはない。

(4)太陽の紫外線( U V)には、 UVAと UVBの二種類がある。

UVBは、日焼けによるやけどや発赤を引き起こすが、これらは皮膚癌、皮膚の早期老化に関係する。

UVAは日焼けを促すが、視力障害、発疹、薬品へのアレルギー反応などの問題とも関係がある。

(5)日光の浴びすぎによる皮膚の損傷は年々積み重なり、元には戻せない。

損傷が起きたら、取り返しがつかない。

最も深刻で持続的な損傷が起きるのは、一八歳以下のときだ。

日焼け防止は早期に始めるべきだ。

特に、天気のよい日に子どもを外で遊ばせるときには注意が必要である。

以下のコメントを読む前に、メッセージ 1を再読してみてほしい。

どうすれば、もっとよくなるだろう?メッセージ 1へのコメント‥何がリードか? 何が核となるのか? 段落( 1)の冒頭でステータス・シンボルとしての日焼けが論じられているが、これは興味をひくための「つかみ」にすぎない(事実、「日焼けがステータス・シンボルかどうかはともかく……」と書くことで、書き手もそれを認めている)。

私たちの目に核として飛び込んできたのは、段落( 5)の「皮膚の損傷は年々積み重なり、元には戻せない」の一文だ。

これこそ、日焼けマニアにぜひ伝えたい最重要事項ではないだろうか? これに比べると、段落( 2) ~( 4)は通り一遍のメカニズムを述べているだけだ。

スモーカーに喫煙の危険性を理解させるのに、肺のしくみを教えることが必要だろうか?メッセージ 2‥以下は、埋没していたリードが浮上するよう、要点を並べ替え文章を少し変えたものだ。

日光浴――若くして老化する方法 (5)日光の浴びすぎによる皮膚の損傷は年々積み重なり、元には戻せない。

いったん損傷が起きたら、取り返しはつかない。

最も深刻で持続的な損傷が起きるのは、一八歳以下のときだ。

幸い、老化と違って皮膚の損傷は防ぐことができる。

日焼け防止は早期に始めるべきだ。

特に、天気のよい日に子どもを外で遊ばせるときには注意が必要である。

(2、 3、 4)日焼けややけどの原因となるのは、太陽の紫外線である。

紫外線は日焼けによるやけどを引き起こすが、このやけどは、皮膚の深層部が損傷を受けたことを示す一時的なシグナルだ。

やけどはいずれ治るが、深層部の損傷は消えず、最終的に早期老化や皮膚癌の原因となることもある。

(1)皮肉なことに、ブロンズ色の肌は健康のしるしと思われがちだ。

しかし、紫外線は皮膚に損傷を与えるだけでなく、視力障害やアレルギー反応、免疫システムの低下を引き起こすおそれもある。

「小麦色の健康な肌」ならぬ「小麦色の病んだ肌」と言うべきだ。

メッセージ 2へのコメント‥このメッセージの核は、皮膚の損傷は蓄積され、取り返しがつかないという点だ。

そこで、この点を強調し、重要性の低い情報を削っ

削ってメッセージを書き直した。

そうすることで、強制的な優先順位づけのプロセスを示したかった。

核となる部分を際立たせるためには、興味深い部分もいくつか(メラニンのくだりなど)削らなくてはならなかった。

ここでは、いくつかの方法で核となる部分を強調しようとしている。

第一に、埋没していたリードを掘り起こし、核となる部分を最初にもってきた。

第二に、老化との類推をつけ足し、損傷の取り返しがつかないことを読み手に実感させた。

第三に、「日焼けによるやけどは損傷のシグナルであり、いずれ治るが深層部の損傷は消えない」という、具体的でおそらく意外性のあるイメージを付け加えた。

結論‥リードの埋没を避けること。

相手を楽しませるために、面白いが関係のないことを最初にもってこないこと。

それよりも、核となるメッセージ自体の面白みを増すこと。

人名、人名、とにかく人名

ノースカロライナ州のダンは、州都ローリーの約六四キロ南にある小さな町だ。

人口は一万四〇〇〇人で、ブルーカラー労働者が多い。

朝になると、地元のレストランは大盛りの朝食やコーヒーの注文客でにぎわい、ウェイトレスは親しげに客を「ハニー」と呼ぶ。

町には最近、ウォルマートができた。

要するにダンはごく普通の町だが、ひとつだけ変わった点がある。

住民のほとんどがデイリー・レコードという地元紙を読んでいることだ。

同紙の購読者数は、町の人口を上回っている。

ダンにおけるデイリー・レコード紙の普及率は一一二%。

これはアメリカのどの新聞と比べても高い。

普及率一〇〇%以上というのは、(一)ダンの住民以外、おそらく仕事でダンに通う人たちが新聞を買っているか、(二)一部の世帯、たぶん仲良く一緒に読めない夫婦が、二部以上購読している世帯があるかの、どちらかだ。

驚くべき成功の理由はいったい何か? ダンにもニュース情報を得る手段はたくさんある。

USAトゥデー紙、ローリー・ニュース&オブザーバー紙、 CNN、インターネット、他にもいくらでもある。

なのになぜ、デイリー・レコード紙はこんなに人気があるのか? デイリー・レコードは一九五〇年、フーバー・アダムズによって設立された。

アダムズは生粋の新聞記者だった。

初めての署名記事は、ボーイスカウトのキャンプからの特派員報告。

高校時代には、ローリーにある新聞社のフリーランス記者を務めた。

第二次世界大戦後、ダンのディスパッチ紙の編集者になったが、飽き足りず自らデイリー・レコード紙を立ち上げた。

デイリー・レコードとディスパッチは二八年間にわたり激しい競争を繰り広げたが、一九七八年、ディスパッチは廃刊となり、デイリー・レコードによって買収された。

アダムズの編集方針は、彼が発行人を務めた五五年間を通じて常に一貫していた。

新聞はあくまで地域報道を行うべきだというのが彼の信念である。

地域社会ニュースの熱烈な信奉者と言ってよかった。

一九七八年、デイリー・レコードの地域取材が不十分なことに苛立ったアダムズは、従業員に通達を出し、自分の考えを説明した。

「ご存知の通り、地方紙が読まれる最大の理由は、地元の人の名前や写真を読者が見たいからだ。

それは、誰よりもわれわれが得意とする唯一のことだし、他では得られない唯一のものだ。

ニューヨーク市長がニューヨークの市民にとって重要なのと同じくらい、アンジアやリリントンの町長はそこの町民にとって重要なのだ。

それを忘れないでほしい」 もちろん、アダムズの地域報道重視は、斬新な考え方ではない。

小さな新聞社の発行人で異論のある人はいないだろう。

しかし、ちょっと業界を見渡せば、その考えを実践する新聞社はほとんどないことがわかる。

地方紙の大半は、通信社からの配信記事やプロのスポーツチームの分析、人物のいない風景写真で紙面が埋め尽くされている。

核となる部分を見出すことと、それを伝えることは、同じではない。

優先順位を知っていても、それを伝え、達成する能力に欠ける経営者もいる。

アダムズは核となる部分を見出し、かつ伝えることをやってのけた。

いったい、どうやって?

核となる部分を伝える

アダムズは、地域重視という新聞社経営の核となる部分を見出した。

そして、この核となるメッセージを伝えよう、従業員の記憶に焼きつけようとした。

本章、いや本書の残りの部分では、核となるメッセージを記憶に焼きつくものにする方法を述べる。

その手始めに、アダムズが「地域重視」のメッセージをどうやって記憶に焼きつくものにしたのかを見てみよう。

リップサービスで地域重視を口にする新聞発行人は多いが、アダムズの場合は地域重視の原理主義者だ。

地域重視のためなら採算度外視も辞さない。

「地方紙といっても、実は地元の人名を十分には入手できない。

紙面を埋めるだけの人名が集まるなら、私は喜んで植字工を二人増やし、紙面を二ページ増やす」 地域重視のためなら、退屈な新聞になってもかまわないと彼は言う。

「デイリー・レコードの明日の朝刊にダンの電話帳を全部転載したら、住民の半分は自分の名前が載っているかどうか確認するはずだ……。

『そんなに名前ばかり載せてもしかたないでしょう』と言われたら、それがわれわれの一番の望みだと言い切ってほしい」 アダムズは、ベンソンで地方新聞社を経営する友人ラルフ・ディラーノの言葉を借りて、地域重視の大切さを大げさに訴える。

「ローリーに原子爆弾が落ちても、ベンソンに破片や灰が降らなければ、ベンソンではニュースにならない」 デイリー・レコードの成功の理由を聞かれたアダムズは、こう答えている。

「理由は三つ。

人名、人名、とにかく人名だ」 ここでちょっと考えてみよう。

アダムズは、地域重視こそがデイリー・レコードの成功のカギだという核となるアイデアを見つけ、それを伝えたいと思った。

ここまでが第一段階だ。

第二段階は、その核となる部分を他者に伝えること。

彼はこれを見事にやってのけた。

地域重視の姿勢が本気であることを伝えるために、アダムズが用いているテクニックを見てほしい。

まず、類推を使ってアンジア町長とニューヨーク市長を比較している(類推については、本章で後述する)。

また、紙面を人名で埋められるなら植字工を増やすと言っている。

地域重視はコスト削減より重要なのだ。

これは強制的な優先順位づけである(それに、小さな町の新聞としては異例の考え方だ。

「意外性がある」の章を参照)。

また、アダムズの言葉は明確で具体的だ。

何を求めているのか――人名だ。

毎日、たくさんの個人名を新聞に載せたいのだ(「具体的である」の章を参照)。

このアイデアには組織の誰もが理解し、使えるだけの具体性がある。

誤解の余地はない。

アダムズの言う「人名」が何を意味するのかわからない従業員などいない。

「人名、人名、とにかく人名」は、核となる真実を象徴する単純明快な言葉だ。

人名は役立つだけでなく、アダムズの考えではコスト削減より優先されるべきものだ。

人名はうまい文章よりも、また隣町に落ちた核爆弾の報道よりも優先される。

地域重視というアダムズの核となる価値観は、発刊以来五五年間、従業員数百人がさまざまな状況で適切な判断を下すのに役立ってきた。

アダムズは発行人として二万号近くの編集を統括してきた。

どの号でも無数の意思決定が行われてきた――どの記事を載せるべきか? この記事の重要な点は? どの写真を掲載するべきか? 紙面を節約するには何を削るべきか? こうした無数の小さな判断のすべてにアダムズが直接関わることはできないが、従業員が判断の停止状態に陥ることはない。

それは、アダムズの「人名、人名、とにかく人名」という「司令官の意図」が明確だからだ。

アダムズがあらゆる場に顔を出すのは無理だが、核心を見つけ明確に伝えることによって、あらゆる

あらゆる場に顔を出していることになる。

これこそ、記憶に焼きつくアイデアの効果だ。

単純明快である =核となる部分 +簡潔さ

アダムズの言葉遣いは巧みだが、最も役立ったのは「人名、人名、とにかく人名」というごく平易な言い回しだ。

この言葉が使いやすく覚えやすいのは、とても具体的なだけでなく非常に簡潔だからだ。

このことは、単純明快さの第二の側面を物語っている。

つまり、単純明快なメッセージとは、核心を突いていると同時に簡潔なのだ。

簡潔さが大事なことは、ある意味、議論の余地がない。

クレジットカード会社の金利説明文でもない限り、長くて複雑な文章をよしとする人はまずいない。

数段落より数行、五項目より二項目、難解な言葉より平易な言葉の方がいいに決まっている。

それは、人間の処理能力の問題だ。

アイデアは情報量を減らせば減らすほど、記憶に焼きつきやすくなる。

とはいえ、簡潔ならそれでいいかというと、そうでもない。

簡潔だが核心を突いていない、つまり「司令官の意図」からずれたメッセージに走ってしまうおそれもある。

簡潔なメッセージは記憶に焼きつくが、それと価値があることとは別物だ。

簡潔だが偽りのメッセージ(「地球は平らだ」)や、簡潔だがどうでもいいメッセージ(「ヤギはモヤシを好む」)、簡潔だが無分別なメッセージ(「一日一足、靴を買おう」)もある。

つまり、簡潔さ自体をめざしてもしかたがない。

私たちの多くは何かしらの専門家だが、専門家というのは、ニュアンスや複雑さに魅力を感じるものだ。

そこに「知の呪縛」が生じる。

自分が知っていることを知らないということが、どういう状態か忘れてしまうのだ。

そうなると、単純明快なメッセージを書くことがただの「白痴化」に思えてしまう。

私たち専門家にとって、インパクトの強いフレーズを連呼したり、誰にでもわかる話をしていると思われるのは不本意なことだ。

簡潔化が高じて単純化するのが怖いのだ。

だから、「単純明快さ」の定義が核心を突き、なおかつ簡潔であることだとするなら、簡潔さにどんな価値があるか知っておく必要がある。

既に核となる部分を見きわめたのに、なぜそのうえ、簡潔でなければならないのか? そもそも、「いろいろなものを剥ぎとった」後のアイデアは、詳細なアイデアほど役立たないのではないか? 簡潔さを極端に追求したらどうなるのか? 意味のあることをひと言で伝えることができるのか?

「手中の一羽」

数千年も前から、人類はことわざや金言といったものを語り伝えてきた。

ことわざは単純明快だが深い。

セルバンテスの定義によれば、「長い経験から生み出された短い文章」が、ことわざだ。

例えば、英語には、「手中の一羽は、茂みの中の二羽に値する( A bird in the hand is worth two in the bush.)」 ということわざがある。

その核となるのは、単なる思惑のために確実なものを手放してはならないという警告だ。

短く単純明快なことわざだが、そこにはさまざまな状況で役立つ大きな知恵が凝縮されている。

実は、このことわざは英語以外の言語にもある。

「森の中の一〇羽より、手中の一羽」(スウェーデン)「手中の一羽は、飛ぶ鳥一〇〇羽に勝る」(スペイン)「手中の雀は、屋根の上の鳩に勝る」(ポーランド)「手中のシジュウカラは、空を舞う鶴に勝る」(ロシア) 他にも、ルーマニア語、イタリア語、ポルトガル語、ドイツ語、アイスランド語、そして中世ラテン語にまで同じことわざがある。

記録に残っている英語の最古の用例は、ジョン・バニヤン『天路歴程』(一六七八年)の一節だが、ことわざ自体はもっと古くからあるのかもしれない。

イソップ物語の一つに鷹が小鳥のナイチンゲールを捕らえる話がある。

ナイチンゲールは「自分など小さくて腹の足しにもなりません」と言って命乞いをする。

すると、鷹はこう答えるのだ。

「姿さえ見えない別の鳥を追うために、手中の鳥を手放すのは愚かだ」 この寓話は、紀元前五七〇年頃からある。

つまり、「手中の鳥」のことわざは恐ろしく記憶に焼きつくアイデアなのだ。

二五〇〇年以上も生き延び、さまざまな大陸、文化、言語へと広まったものだ。

それも、誰かが金を出して広告キャンペーンを行ったわけではなく、勝手に広まったのだ。

他にも息の長いことわざは多い。

記録に残る文明には、ことわざが必ずある。

いったい、なぜ? ことわざには、どんな目的があるのか? ことわざは、一定の基準を共有する環境で、個人の判断を導いてくれる。

共有される基準とは、たいてい倫理的あるいは道徳的な規範だ。

ことわざは個人の行動の目安を示す。

「自分がしてもらいたいことを他人にしなさい」という聖書の金言は、非常に深い意味をもち、個人の行動に生涯影響を及ぼす場合もある。

金言は、本章でめざしているアイデアを見事に象徴している。

つまり、記憶に焼きつく簡潔さと、影響を及ぼすだけの深い意味のあるアイデアなのだ。

単純明快で優れたアイデアは、洗練された的確さと実用性を備え、ことわざに似た役割を果たす。

セルバンテスによることわざの定義は、私たちの第一の法則にもぴたりと符合する。

長い経験から導き出された短い文章は、小粒でもしっかり中身が詰まっている。

だから、やけに覚えやすく調子のいいフレーズは疑ってかからなければいけない。

そうしたものは内容が空疎だったり、極端に単純化されていて誤った方向に導くことが多いからだ。

つまり小粒なだけで中身がない。

第一の法則がめざすのは、キャッチフレーズのような表面的なインパクトではなく、ことわざのように濃い内容がぎゅっと圧縮されたメッセージである。

アダムズは核となるアイデアである執拗なまでの地域重視を「人名、人名、とにかく人名」というジャーナリズム的なことわざに転化した。

これは、基準を共有する人々のあいだで判断を導いてくれるアイデアだ。

カメラマンの場合、そう言われても名札を撮影するわけにもいかないので、このことわざに文字通りの意味はない。

だが人名、つまり地域の人々の行動を追うことが自社に成功をもたらすとすれば、どこにシャッターチャンスがあるかがおのずとわかる。

退屈な委員会審議の様子と、公園から見える美しい夕日のどちらを写すべきか? 正解は前者なのだ。

パーム・パイロットと目に見えることわざ

簡潔なアイデアは、核心を突いたメッセージを理解させ、記憶させる。

だが、簡潔なアイデアがそれ以上に重要なのは、適切な行動を促すからだ。

特に、相手が数多くの選択をしなければならない場合には、なおさらである。

リモコンには、なぜ使いきれないほどの数のボタンがあるのだろう? それは技術者の立派な志に由来する。

技術や製品の開発プロジェクトは「機能のつめこみ」との戦いだ。

「機能のつめこみ」とは、技術や製品が複雑化して、当初意図した機能を果たせなくなってしまうことだ。

ビデオデッキがそのいい例だ。

「機能のつめこみ」が進む過程は、善意に満ちている。

ある技術者がリモコンの試作品を見て、こうつぶやく。

「おや。

リモコンの表面に少し空きスペースがあるぞ。

チップの処理能力にも多少余裕がある。

こいつを無駄にするよりも、ユリウス暦とグレゴリオ暦の切り換えができるようにしたらどうだろう?」 技術者にすれば、気のきいた機能を追加してリモコンを改良し、役に立ちたいだけだ。

一方、同僚技術者は暦の切り換えにさほど乗り気ではない。

だが、「そんなもの別になくても」と思うくらいで、「暦のボタンをつけるなら、俺は辞めるぞ!」と抗議するほどでもない。

こうしてリモコンは、ゆっくりと静かに死へと向かう(他の技術製品も似たようなものだ)。

パーム・パイロットのチームはこの危険性を知っていたので、「機能のつめこみ」に厳しい姿勢で臨んだ。

チームが作業を開始したのは一九九〇年代前半。

この頃、携帯情報端末( PDA)は軒並み販売不振だった。

特にアップルの PDA「ニュートン」の惨敗は有名であり、他のメーカーはすっかり怖気づいていた。

一九九四年当時に販売されていたある PDAは、発育不良のコンピュータのようだった。

大きくてかさばる本体に、キーボードだの周辺機器用のマルチポートだのがついている。

パーム・パイロット開発チームのリーダー、ジェフ・ホーキンスは、自分の製品は絶対こんなふうにしないと決意した。

彼はパーム・パイロットをシンプルな製品にしたかった。

機能は四つ。

カレンダー、電話帳、メモ、それに作業リストだ。

四つのことしかできないが、その四つをきちんとこなす、そんな製品にしたかった。

ホーキンスは「機能のつめこみ」と戦うため、パームと同サイズの木片を持ち歩いた。

「パーム V」の設計デザインチームの一員、トライ・バサロは語る。

「あの木片は、製品のシンプルな技術目標を実感させるだけのものだったが、とにかく小さかった。

おかげで、一味違う洗練された製品ができた」 ホーキンスはミーティング中に木片を取り出しては「メモをとり」、廊下で木片を取り出しては「予定表をチェックしていた」という。

誰かが機能の追加を提案するたびに、ホーキンスは木片を取り出し、どこにそんな余地があるのかと尋ねた。

パーム・パイロットが成功したのは、「何ができるかよりも、何ができないかで定義されていたからだ」と、バサロは言う。

シリコンバレーの有名デザイン会社、 IDEOのトム・ケリーも、同じことを指摘する。

「初期の PDAがうまくいかなかった本当の理由は…… PDAは万能でなくてはならないという考え方だった」 ホーキンスには、自分のプロジェクトの核となるアイデアは、簡潔さと単純明快さ(「機能のつめこみ」の徹底的な拒否)であるべきことがわかっていた。

この核となるアイデアを共有するために、ホーキンスとチームメンバーは木片を用いた。

それは、目に見えることわざにほかならない。

彼らは木片を見るたびに、限られた機能をきちんと果たさなければならないことを思い出した。

パーム・パイロットの開発とジェームズ・カービル率いるクリントンの選挙キャンペーンには、驚くほど共通点がある。

どちらのチームメンバーも、知識が豊かで仕事熱心だった。

いずれも、あらゆる問題を論じたり、あらゆる機能を開発する能力も意欲もある人材揃いだった。

それだけに、どちらもやりすぎを避ける単純明快な戒めが必要だった。

「三つ言うのは、何も言わないことに等しい」、「五〇個もボタンのあるリモコンでは、チャンネルを替えるのもひと苦労」、という戒めだ。

あるものを使う

メッセージは簡潔でなくてはならない。

人が一度に把握し、覚えられる情報量には限りがある。

だが、メッセージの核となる部分に、短いことわざに収まらないほどの情報量があったとしたら? どうしても大量の情報を伝える必要がある場合には、どうすればいいのか? 次の練習問題は、簡潔さの必要性を改めて強調すると同時に、簡潔なメッセージにたくさんの情報をつめこむためのヒントを与えてくれる。

ルールはこうだ。

次の文字列を一〇~一五秒間、よく見る。

それから本を閉じ、覚えている文字を全部紙に書く。

書き終えるまで、次を見ないこと。

J FKFB INAT OUP SNA SAI RS ほとんどの人は、せいぜい七 ~一〇個くらいしか覚えていないだろう。

たいした情報量とは言えない。

このように、一度に処理できる情報量には限りがある。

だからこそ、簡潔さが大切なのだ。

では、もう一度、練習問題をやってみよう。

今度は、さっきとは少し違う。

といっても、文字も順番も同じで、文字のまとめ方が変えてあるだけだ。

それではもう一度、一〇~一五秒間、文字列をよく見てから本を閉じ、記憶を試してみよう。

JFK FBI NATO UPS NASA IRS 今度は、さっきよりずっとうまくいったはずだ。

文字列がにわかに意味を帯び、覚えやすくなった。

一度目の文字列は未加工の生データだったが、今度は概念だ(それぞれ、ジョン・ F・ケネディ、米連邦捜査局、北大西洋条約機構、宅配会社の名前、米航空宇宙局、米内国歳入庁の略称)。

それにしても、なぜ「ジョン・ F・ケネディ」の方が、 J、 F、 Kの三文字より覚えやすいのだろう? バラバラの三文字より、 JFKの方が情報量は多いはずだ。

JFKと言えば政治、女性関係、暗殺、有名な一族など、いろいろなことを連想する。

記憶を重量挙げにたとえれば、三文字よりも JFKを「持ち上げる」方が大変なのでは? だが、私たちがここで「持ち上げ」ようとしているもの、つまり記憶しようとしているものは、 JFKではない。

JFKに関する記憶作業はすべてもう済んでいて、体にはそれに必要な筋肉が既についている。

JFKという概念も、そこから連想されるすべてのことも、既に記憶に刻み込まれている。

私たちがここで記憶しようとしているのは、こうした情報のありかを示す印にすぎない。

記憶のなかの該当する部分に、小さな旗を立てようとしているだけなのだ。

バラバラの文字の場合、私たちは三つの旗を別々に立てることになる。

一つの情報(旗一本)と三つの情報を比べたら、一つの方が記憶しやすいのは当然だ。

それとこれと、どう関係するの? それは単なる脳の雑学では? そう思われるかもしれない。

だが、実はこういうことなのだ。

これまで見てきたように、アイデアは簡潔なほど記憶に焼きつく。

だが、簡潔なだけではだめで、深い簡潔さをもつアイデアにしか価値はない。

深いアイデアを簡潔にするためには、短いメッセージにたくさんの意味をつめこまなくてはならない。

その方法が旗なのだ。

聴き手の既存の記憶領域を活用する、つまり、既にあるものを使うのだ。

既に持っているイメージを呼び覚ます

これまで紹介してきたのは、ひとつ、あるいは少数の単純明快なアイデアが、行動指針として役立ったケースだ。

だが考えてみると、たいていの人は複雑な仕事をしている。

法律、医学、建設、プログラミング、授業といった複雑な仕事は、簡潔なメッセージに落とし込めない。

建築学の授業をたった一つの簡潔なアイデア(「倒壊しない建物を建てること」)に置き換えることは、もちろんできない。

このことは、まだ述べていないある重要な問題につながってくる。

それは「大学一年生を建築家にするには、どうすればいいか」ということだ。

単純明快なものから複雑なものを生み出すには、どうすればいいのか。

ここでは、単純明快さをうまく利用すれば複雑さを生み出せることを説明する。

単純明快なアイデアも、うまく演出して積み重ねれば、たちまち複雑化できるのだ。

ここで、「ザボン」とは何かを説明しよう(ザボンのことを既に知っている人も、知らないふりをして付き合ってほしい)。

まず、こんなふうに説明することができる。

説明 1‥ザボンとは、最も大きな柑橘類である。

外皮は非常に厚いが、柔らかくて剥きやすい。

果肉は薄い黄色と珊瑚色の間で、果汁が豊富なものもあれば、やや乾いたものもある。

また、甘酸っぱくて美味しいものもあれば、酸味のきついものもある。

ここで簡単な質問がある。

ザボンとオレンジの果汁を一対一で混ぜるとおいしいだろうか? 右の説明をもとに考えてほしい。

あてずっぽうで答えることはできても、断言はできないのでは? では、もう一つの説明を見てみよう。

説明 2‥ザボンとは、要するに超大型のグレープフルーツで、外皮は非常に厚く、柔らかい。

説明 2は、相手が既に知っているグレープフルーツの概念を呼び起こす。

「ザボンはグレープフルーツに似ているんだ」と言えば、相手は、「あ、そうなのか」と、記憶の中からグレープフルーツのイメージを思い起こす。

そこで、そのイメージをどう変えればいいかを教える。

つまり「超大型」という言葉を付け加えるのだ。

すると、相手も想像上のグレープフルーツをぐっと膨らませるはずだ。

相手が既に知っている概念と結びつければ、新しい概念も理解しやすくなる。

この場合には、グレープフルーツがそれだ。

「グレープフルーツ」は、既に知っているこの果物について記憶されたイメージである。

心理学用語では、これをスキーマと呼ぶ。

心理学の定義によれば、スキーマとはある概念に備わった属性の集合体であり、人間が既に記憶している情報で構成される。

例えば、「ニューモデルのおしゃれなスポーツカーを見かけたんだよ」 と誰かに言われたら、たちどころにスポーツカーのイメージがその特徴とともに思い浮かぶ。

スポーツカーとはどういうものかを既に知っているからだ。

小型で、ツードアで、たぶんコンバーティブル・トップ。

もちろん速い。

色は、ほぼまちがいなく真っ赤……。

同じように、記憶に保存されているグレープフルーツのイメージにもさまざまな特徴が備わっている。

黄みがかったピンクで、ちょっと酸っぱい。

大きさはソフトボールぐらい、といった具合だ。

グレープフルーツのイメージを呼び覚ますことで、ザボンの特徴をいちいち挙げるよりはるかに簡単にザボンとは何かを説明できる。

ザボンとオレンジの果汁を混ぜたらどうなるかという質問にも、答えやすくなる。

グレープフルーツ果汁とオレンジ果汁を混ぜるとおいしいことは知られている。

だから、ザボンのイメージもグレープフルーツのイメージからこの特徴を受け継ぐ(ちなみに、説明 1でも実はイメージが活用されている。

「柑橘類」も「酸味」も、相手が知っていなければ説明にならないからだ。

説明 2の方がわかりやすいのは、「グレープフルーツ」が上位の概念で、色や味など他のいろいろなイメージの集合だからである)。

このようにイメージを活用することで、説明 2はわかりやすく、しかも記憶に残るものとなっている。

「ザボン」の二つの定義を逆ピラミッド構造の視点から考えてみよう。

リードは何か? 説明 1の場合、リードは「柑橘類」で、リードの後には明確な序列がない。

読み手は、何に興味をもつかによって、外皮の情報(「非常に厚いが、柔らかく剥きやすい」)を記憶する場合もあれば、色の情報(「薄黄色と珊瑚色」)や果汁の多さ、酸味の情報を記憶する場合もある。

説明 2のリードは、「グレープフルーツに似ている」だ。

第二パラグラフは「超大型」、第三パラグラフは「非常に厚くて柔らかい外皮」である。

半年もたつと、読者はせいぜいリードしか思い出せないだろう。

つまり、説明 1では「果実」あるいは「柑橘類」を思い出し、説明 2では「グレープフルーツ」を思い出す。

どう見ても、説明 2の方が優れているのではないか。

柑橘類についての心理学的議論は、これでおしまい。

読者がこんな議論に出くわすことは二度とないかもしれないし、「ザボン」の概念にこれほど頭を使う値打ちはないかもしれない。

だが、イメージは深い単純明快さを可能にするという根底的概念はきわめて重要だ。

優秀な先生は、イメージを上手に利用する術を心得ている。

例えば経済学を教えるとしたら、まず経済について何のイメージも持っていない生徒でもわかるような簡単な例から始める。

「君たちはリンゴを、私はオレンジを育てているとしよう。

私たちの他には誰もいない。

君たちも私も、自分の果実だけでなく両方の果物を食べたいと思っている。

私たちは交換を行うべきだろうか? もしそうなら、どのように行うべきか?」 こんなふうに、生徒は単純化された条件ではどのように交換が行われるのかを最初に教わる。

この知識が、交換というもののイメージを形作る。

次にこのイメージを呼び起こし、方向付けしてやればいい。

例えば、素晴らしく大きなリンゴ、あるいは素晴らしくおいしいリンゴをつくれるようになったとしたら、どうだろうか。

それでも前と同じ条件で交換をするだろうか。

この問題を解決するためには、先ほどのイメージを思い出させ、微調整すればいい。

ちょうどグレープフルーツのイメージを使ってザボンを説明したように。

単純明快さから生まれる複雑さ

イメージは、シンプルな素材から複雑なメッセージを生み出すのに役立つ。

学校ではしばしば理科の授業にイメージが上手く利用される。

物理学の初歩では、滑車、傾斜、摩擦のない表面上を一定の速度で動く物体など、単純で理想的な状況を扱う。

「滑車」のイメージに馴染んだ生徒は、それを拡大したり他のイメージと組み合わせて、もっと複雑な問題を解けるようになる。

イメージを上手く利用したもう一つの例が、子どもの頃に学んだ原子の太陽系モデルだ。

このモデルでは、惑星が太陽の周りを回るように、電子は核の周りを回っている。

この類推のおかげで、生徒は原子のしくみを即座に把握できる。

だが、このモデルからは、多くの人が簡潔なイメージ(「大きいグレープフルーツ」)よりも長い説明(「柑橘類、厚くて柔らかい外皮云々」)を選ぶ理由もわかってくる。

イメージを用いることが「真実」への遠回りになる場合もあるからだ。

電子が惑星のように核の周りを周回しているのではないことを物理学者は知っている。

本当は、電子の動きは「確率の雲」を成している。

さて、六年生に何と教えるか? わかりやすい惑星の動きを話して真実に一歩近づけるか? それとも理解不能だが正確な「確率の雲」について話すべきか? 大事なのは正確さで、とっつきやすさは二の次なのか、それとも大事なのはとっつきやすさで、正確さは二の次なのか。

一見、難しい選択に思える。

だが実は、選択の余地などない場合が多い。

なぜなら、予測にも判断にも役立たないメッセージには、何の価値もないからだ。

どんなにそれが正確で網羅的なメッセージでも同じこと。

それが厳然たる事実なのだ。

ハーブ・ケレハーは客室乗務員に「株主利益の最大化」をめざせと言うこともできた。

ある意味、それは「最格安航空会社」をめざせと言うより正確で完全だ。

「最格安航空会社」というフレーズは、何とも言葉足らずだ。

料金を下げたいだけなら、航空機のメンテナンスをやめたり、乗客にナプキンの使いまわしを頼めばいい。

顧客の快適さや安全性の格付けといった付加価値が、同社の核心をなす節約の価値感を際立たせているのは明らかだ。

とはいえ、「株主利益の最大化」は正確だが、チキンサラダを出すべきかどうかの判断には役に立たない。

正確だが役立たずのアイデアは、やはり役に立たないのだ。

序章で「知の呪縛」、つまり知らなかったときのことを思い出す難しさについて述べた。

役立たずの正確さは、「知の呪縛」の症状の一つだ。

「株主利益の最大化」は、 CEOにとっては役立つ行動指針かもしれないが、客室乗務員にとっては役に立たない。

「確率の雲」は物理学者を魅了する現象だが、子どもには理解不能だ。

すべてを完璧な正確さで、今すぐ伝えたい。

誰でもそう思ってしまう。

だが本当は役立つ情報だけを与え、追加情報は後から小出しにすべきなのだ。

ハリウッド映画界におけるイメージ‥明確なコンセプトの企画

役立たずの正確さや「知の呪縛」を避けるには、類推を利用するといい。

類推の威力は、イメージが生み出すものだ。

ザボンはグレープフルーツに似ている。

優れた新聞記事の構成は、逆ピラミッドに似ている。

皮膚の損傷は老化に似ている――。

類推は、相手が既に知っている概念を呼び起こすことによって、簡潔なメッセージの理解を可能にする。

優れた類推は大きな威力を発揮する。

実際、予算一億ドルのハリウッド映画にゴーサインが出るかどうかは、たった一行の類推にかかっていることも多い。

ハリウッドの映画会社は、一本の映画を制作するのに平均数百本の企画や脚本を検討する。

映画会社の幹部の気持ちなど想像もつかないかもしれないが、ちょっとやってみよう。

彼らは身のすくむような決断を迫られている。

映画に金を出すということは、要するに数百万ドルの資金と自分自身の評価を、実体のないアイデアに賭けるということだ。

映画の企画を住宅設計図と比較すればわかる。

建築家がきちんと設計図を描き、誰かが建築費用を出せば、九カ月後にはほぼ間違いなく当初の設計図通りの家が建つ。

ところが映画の企画には、変更がつきものだ。

脚本家が決まればストーリーが変わる。

監督が決まれば映画の芸術性が変わる。

配役が決まれば俳優の個性によって登場人物の性格が変わる。

プロデューサーが決まれば予算やスケジュールの縛りが生じる。

そして、数カ月あるいは数年後に映画が完成したら、宣伝部はたった三〇秒で映画の趣旨を宣伝しなければならない(しかも、ネタをばらさずに)。

このように、映画のアイデアは監督、俳優、プロデューサー、宣伝担当者といった自己主張の強い人々の意思を受けてどんどん変わっていく。

そんなアイデアに数百万ドルを投資するのだから、よほど優れたアイデアでなければ、手を出す気にはならない。

ハリウッドでは、「明確なコンセプトの企画」という核となるアイデアが用いられる。

そのいくつかは、読者もたぶん聞いたことがあるはずだ。

映画『スピード』は「バスを舞台にした『ダイ・ハード』」、『 13ラブ 30』は「『ビッグ』の女の子版」、『エイリアン』は「宇宙船を舞台にした『ジョーズ』」だ。

明確なコンセプトの企画は、必ずしも別の映画が引き合いに出されるわけではない。

例えば『 E. T.』は「孤独な少年と友だちになり、故郷に帰る迷子のエイリアン」として企画された。

とはいえ、過去の映画作品を引き合いに出した企画は多い。

なぜだろう? ハリウッドの映画会社幹部は、古いアイデアを臆面もなく使いまわす連中ばかりなのか? まあ、それもあるだろう。

だがそれは理由の一部にすぎない。

映画『スピード』が企画される以前には、そのコンセプトは映画会社幹部には存在しなかった。

「ザボン」のことを知るまで、読者の頭に「ザボン」という語が存在しなかったのと同じだ。

「バスを舞台にした『ダイ・ハード』」という簡潔なフレーズは、それまで存在しなかったコンセプトにわくわくさせるほど多くの意味を持たせる。

このフレーズの威力さえあれば、かなり多くの重要な決断を下せるはずだ。

アクション系の監督とインディーズ系の監督なら、アクション系。

映画の予算は一〇〇〇万ドルより一億ドル。

大スターと中堅無名俳優だけのアンサンブルキャストなら、大スター。

夏休み公開とクリスマス公開なら、夏休みといった具合だ。

あるいは、例えばあなたが新映画『エイリアン』の舞台美術に起用されたとする。

あなたの仕事は、映画の大部分の舞台となる宇宙船をデザインすることだ。

どんな宇宙船だろう? 映画に関する知識が白紙なら、過去の宇宙船デザインに目を通すのが普通だろう。

例えば、『スタートレック』のエンタープライズ号のように、最先端のピカピカな船内はどうだろう? そこへボスがやって来て、映画のビジョンは、「宇宙船を舞台にした『ジョーズ』だ」 と言う。

こうなると、すべてが変わってくる。

『ジョーズ』は最先端でもピカピカでもない。

リチャード・ドレイファス演じる主人公が乗っていたのは、おんぼろの漁船だ。

逃げ場のない船上で、焦りと不安に駆られ、一か八かの決断を下していく。

汗臭い雰囲気だ。

このように『ジョーズ』から連想されるものを考えていくと、アイデアが形になってくる。

宇宙船は旧式で、薄汚れて、重苦しい雰囲気にしよう。

乗組員のユニフォームは、決して明るい色のストレッチ素材ではない。

船内は明るい照明や清潔さとは無縁だ。

明確なコンセプトの企画は、ハリウッド版の核心を突いたイメージだ。

多くのアイデアと同様、これも類推の力を利用している。

既存のイメージ(例えば、『ジョーズ』がどんな映画か)を想起させることによって、新しい映画に取り組む人々の理解を一気に促すのだ。

もちろん、企画がいいからといって、実際の映画もいいとは限らない。

「宇宙船を舞台にした『ジョーズ』」にしても、何百人もの才能ある人々が何年もかけて取り組まなければ、駄作になっていたかもしれない。

とはいえ、企画、つまりイメージがお粗末だと、映画は台なしだ。

「宇宙船を舞台にした『愛と追憶の日々』」では、どんな監督でも救いようがない。

映画界という自己主張の強い人間環境で、明快なコンセプトの企画がこれほど効果を発揮するなら、普通の環境でもその効果を使えるはずだ。

創造的な類推

類推は概念の理解を促すばかりか、新しい考え方の土台にもなるので非常に役に立つ。

例えば、認知心理学では過去五〇年間にわたり、脳をコンピュータに喩えることで多くの洞察を得てきた。

脳よりもコンピュータのしくみの方が定義しやすい。

だから、メモリ、バッファ、プロセッサなど、コンピュータのよくわかっている面をヒントに、脳に同様の機能を見出している。

よい比喩は「創造的」である。

この言葉を最初に使ったのは、心理学者のドナルド・ショーンだった。

彼は「新たな認知、説明、発明」を生みだす比喩を「創造的な比喩」と呼んでいる。

実際、記憶に焼きつく単純明快なアイデアは、一見そうは見えなくてもたいてい創造的な比喩である。

例えば、ディズニーランドでは従業員を「キャスト」と呼ぶ。

従業員を演劇の役者に見立てたこの比喩は、全社的に用いられている。

・キャストは採用面接ではなく、役をもらうためのオーディションを受ける。

・園内を歩くときは、舞台にいるのと同じ。

・ディズニーランドを訪れる人々は、顧客ではなくゲストである。

・仕事はパフォーマンス、制服はコスチュームである。

演劇の比喩は、ディズニーランドの従業員に大いに役立っている。

上の文を読んだだけでも、ここに書かれていない状況でキャストがどんな行動をとるべきか、予想がつく。

例えば、従業員が制服を着たまま、あるいは人前で、休憩をとることは許されないだろう(役者が舞台の上でおしゃべりをしたり、タバコを吸ったりすることはありえない)。

また清掃係の評価基準は、担当通路の掃除が行き届いているかどうかだけではないはずだ。

園内通路の清掃係は、キャストの中でも特に高度な訓練を受ける。

彼らは目につきやすく、ひと目で従業員とわかるため、乗り物やパレード、トイレの場所に関する質問を頻繁に受けるからだ。

清掃係に自分の仕事はメンテナンス業務ではなくパフォーマンスだと思わせることは、ディズニーランドの成功の要だ。

「従業員はキャストである」という一文は、五〇年以上のあいだ、ディズニーに役立ってきた創造的な比喩なのである。

これを、ファストフードのサンドイッチ・チェーン、サブウェイと比べてみよう。

ディズニーと同じくサブウェイも、店頭の従業員をあるものに喩えている。

それは「サンドイッチ・アーティスト」だ。

この比喩はディズニーの「キャスト」と似ているが、出来はあまりよくない。

従業員がとるべき行動の指針として役立っていないからだ。

ディズニーはキャストが役者として行動することを求めている。

しかし、サブウェイはカウンターの店員がアーティストのように行動することを求めていない。

「アーティスト」とは個性を発揮するものだ。

だが、サブウェイの従業員が服装や接客やサンドイッチのつくり方に個性を発揮したら、すぐクビになる。

サブウェイのサンドイッチ・アーティストが一二インチのサンドイッチに入れるタマネギの量は、ひとつかみと決まっている。

ターキーを一枚余分に挟んでくれる「芸術性」が彼にあるかどうかは、疑わしい。

単純明快さの威力

創造的な比喩とことわざの威力は、いずれも巧みな言い換えにある。

つまり、想像しにくいものを想像しやすいものに置き換えているのだ。

「手中の一羽は、茂みの中の二羽に値する」ということわざは、感情の渦巻く複雑な状況のなかでも、指針として役立つ具体的でわかりやすい表現だ。

創造的な比喩も同じ役割を果たす。

ディズニーランドの「キャスト」が未知の状況に直面したら、個人的立場ではなくディズニーランドに起用された俳優という立場で考えた方が対処しやすい。

単純明快さの理想は、ことわざだ。

短く簡潔なフレーズを思いつくだけなら簡単だし、誰にでもできる。

だが、簡潔でしかも深い意味のあるフレーズを思いつくのは、非常に難しい。

それでも努力する値打ちがあることを、本章では示してきた。

「核となる部分を見きわめ」、簡潔なアイデアの形で表現すれば、永続的に効果を発揮できるのだ。

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