MENU

第2章パワハラ判定の難しさ――「証拠」はどこにある?

第2章パワハラ判定の難しさ――「証拠」はどこにある?

E社事件:上司、部長、役員から叱責を受け続ける前章のI社事件では、言動による暴力が労働者側に精神的被害をもたらし、労働審判による裁定を仰いだ事例を紹介した。この事件が一定の解決に至った様子も見た通りである。これは、言動による暴力が精神的被害を引き起こした事実が認められたことによる。しかし、次に紹介するE社事件のように、言葉による暴力と精神的被害の関係がいつも認められるとは限らない。E社は、エネルギー資源の輸入・販売、エネルギー関連機器の販売などを行っている会社である。単体で約300名、連結規模だと数千人を擁する、大企業だと言ってよい。Rさんは、E社に平成19年9月に入社した当時30代前半の男性で、入社後、人事総務部門に配属され、主に総務業務の仕事を担当していた。Rさんは入社してから平成20年1月に至るまで、無遅刻・無欠勤を続けていた。だが、同年1月頃、ベテラン先輩社員の異動にともなって部署では人員が不足する事態が生じたことによって一人一人の業務負担が増し、Rさんもその負担を重く感じ始めていた。同時に、職場ではぎすぎすとした人間関係も生まれるようになっていた。平成20年2月、異動するベテラン社員の送別会が開かれた。幹事役だったRさんは仕事を終えて送別会に向かおうとしたとき、上司の課長に呼び止められた。それは、次のような事情からだった。その頃、会社ではICカードによるセキュリティシステムを導入することを決め、社員に説明会を開くことになった。Rさんは担当者として、説明会の段取りを仕切る役割を担った。各部署から代表者に出席してもらい、トータル十数名に説明を行った。このシステムは、基本的にICカードを交付される正社員向けのもので、Rさんは、ICカードを忘れた際には名刺で対応するということになっていることを説明した。E社は、派遣社員には名刺を支給していなかった。だが、参加した代表者の中には正社員もいれば派遣社員もいて、Rさんが所属する人事総務部門の代表として出席していたのは派遣社員だった。その社員から、「自分たちは名刺を持ってない。ICカードを忘れた場合はどうすればいいのか」と問われ、そうした場合を想定していない説明には落ち度があるのではないかと、派遣社員はその場にいたRさんの上司である課長に苦情を寄せた。呼び止められたのは、この件に関するものだった。課長は、「説明が欠落している。人事総務部門に対しては、再度、説明を行え」などと、時間にして40分から50分くらいにわたってRさんを叱責した。課長は、Rさんを呼び止めた時間に送別会があること、Rさんが幹事であることを知っていた。Rさんは送別会のことが気になって仕方がなかった。でも、直属の上司からの呼び止めであったため、その場を立ち去ることもできず、ただ黙って聞いていた。もちろん、送別会の開始時刻に間に合うことはできなかった。Rさんが送別会に到着した頃には、送別会はかなり進行していた。Rさんは、すでに参加していた部長や役員から、「幹事なのにな

ぜ遅れたんだ」と、ここでも叱責を受けることになった。Rさんは事情を説明することもできず、ただただ、叱責を受け続けた。

「噂になってるよ」「殺す」送別会の頃と前後して、人事総務部門の社員は、Rさんへ言葉の暴力を始めた。その言葉は、何の脈絡もなく、囁くように語られたという。「いじめてやる」「おまえ、噂になってるよ」「殺す」「殺したい」「頭、おかしいんじゃない」「そこの窓を突き破って飛び降りろ」3月に入った頃、体力的にも限界を感じ始めていた上に暴言まで吐かれ、精神的にもダメージを受けていたRさんは休みを取りたいと考え、その旨を部長に申し出た。しかし部長は、「休むとは何事だ」と、部署の忙しさを理由に、仕事が一段落する3月いっぱいは休むなと強い口調で言った。ところが、部長はRさんには休みを取らせない一方で、自身は3月に「個人的な理由」で7日間の休みを取っていた。

休職、退職の通告上司の指示に従い、Rさんは3月いっぱいは休むことなく働き続けた。しかし、これ以上無理して出社し続ければ自分の身に何が起こるかわからないと考え、休みを取ることにした。4月1日、体調が悪くなってから初めて病院に行って診察を受けると、うつ状態であると診断された。Rさんは治療に専念するため、4月1日付で休職申請手続きを取った。病状はそのまま回復せず、1年の月日が流れた。約1年を経て、ようやく病状が回復しつつあったRさんは、平成21年4月16日から復職したい意向を同年4月2日にE社に伝えた。その際、2時間であれば勤務可能とする病院の診断書を持参しながら、復職のための訓練期間として、まずは2時間程度の勤務を希望、その後、徐々に勤務時間を延長していきたいと伝えた。一方、E社はRさんに対して、E社が指定する医師の診断、及び心理テストの受診を求めた。RさんはE社の指定通り、4月28日に指定医師と面会した。診察、及び心理テストは合計6時間にも及ぶものであった。その間に与えられた休憩は、わずか5分程度だった。病状が回復しつつあったとはいえ、まだ体調が万全ではないRさんは午前中は問題なかったものの、午後に入ると疲労や集中力の低下を感じ、心理テストを受けるのが極めてきつい状態となった。外で待機していたRさんの父親が体調を気遣ってお茶の差し入れを求めたが、2回も断られ、3回目になってようやく差し入れが許される状況だった。6月15日、復職に向けた話し合いということで、RさんはE社から呼び出しを受けた。面会の席上、E社の役員は、医師の診断結果を踏まえての会社の判断であるとして、「Rさんには就労能力の回復が認められない。休職期間の満了にともない、平成21年6月15日をもってRさんを退職とする」と通告した。

聞き取りの難航実は、ここまで述べてきた事実関係を私がRさんから聞き出すまでに、1年近くの時間を要している。これは、パワハラによる被害が「精神疾患の深刻さ」という大きな問題を抱えていることによる。何かの事故に遭ってどこかの骨を折るくらいであれば、1年もあれば骨は自然と元通りになる場合が多いだろう。しかし、深刻な精神疾患の場合、回復するまでの期間を推測するのは難しく、どうすれば治癒するのかもはっきりとはわからない。ここから、本人はもちろんのこと、家族にも精神的な負担が重くのしかかってくる。重篤な精神疾患を抱えた被害者は、過去の被害に向き合うことを避ける傾向にある。自分が受けた被害について、「自分がこんな目に遭わされるのはひどい。相手には責任を取ってもらいたい」とは思っているものの、例えば相談を受けた弁護士が、解決のために過去の事実を根掘り葉掘り聞くのを嫌う。時間が経過すると、人の記憶も曖昧になってくる。なかなか心を開いてくれない被害者とのやり取りが長期間にわたって続き、そこで話される内容も、ぼんやりとした同じような内容のものが多くなってくると、相談を受けた側である私も、「この人の言っていることは本当のことなんだろうか」と、だんだん疑心暗鬼になってしまう。そして、「だから、その言葉は、いつ、誰が、どんなふうに言ったんですか」と、つい語調を荒らげてしまうと、今度は相談者が、「どうせ、私はダメな人間なんです。生きていても意味のない存在なんです」と、頭を搔きむしりながら事務所を出て行ってしまう。このように、パワハラの相談を受けるのは難しい。根気強く、時間をかけて事にあたる姿勢が重要になってくる。Rさんの話もこのようにして、根気強く、時間をかけて聞き出したものだ。ここで、Rさんは、ありもしない被害を語っているのではないか――そんな疑いの目を持つ方もいるだろう。実際、Rさんの話が本当のことだとすれば、E社には、相当「おかしな人たち」が集まっていることになる。しかし、私はこれまで、数々のパワハラ事件を見てきた。世の中には、信じられないくらい下劣で、ひどい言葉を他人に平気で浴びせる例が数多く存在する。重い症状を患ったパワハラの被害者が記憶に蓋をし、具体的な状況を述べることができないことは十分にあり得ることだ。だから私は、Rさんの話は思い込みによるものだとか、噓だとかはまったく思っていなかった。

「率直に言って、よくわかりません」ただ、「殺す」「頭、おかしいんじゃない」といった、Rさんが浴びせられたという暴言の証拠が残っていないのは問題だった。録音媒体はもちろん、メモも、同僚による証言もなかった。これでは、事実関係を立証するのは難しい。また、過去に向き合うのを避けようとするRさんを見ていると、裁判を、Rさんに有利に働く状況に持っていくのは難しいのではないかというのが私の率直な印象だった。私は事態を早期に収めることを目指し、労働審判による申し立てを行うことを選択した。審判が始まると、案の定、E社はRさんの言い分のほとんどを否認した。事実関係を立証するためには、E社側の資料の矛盾点を突き、証言で揺さぶるしかなかった。私もその点について尽力したが、正直に言って成功したとは言い難い。E社側は、言葉の暴力を全面的に否認し、こうした言葉が実際に存在したという前提にすら立っていない。一方、事実関係をRさんに何度尋ねても、「突然、耳元で囁かれたんです」といった程度の説明しかなく、いつ、誰が、どのように語ったのかは不明である。証拠が何もないという状況では、結局、これらの言葉の有無についてはわからずじまいだ。裁判官からも、「Rさんのおっしゃる事実関係については、率直に言ってよくわかりませんね」と言われてしまった。つまり、判決なら負けということである。しかし、この事件は、それで終わらなかった。私が労働審判の手続きで尽力したのは、Rさんの主治医が、わずか2時間であるとはいえ、復職可能と診断している点だ。にもかかわらず、E社が、Rさんに過酷なテストを含む産業医面接とその診断を求め、その判断のみによってRさんを復職不可と決めつけたことを問題にした。Rさんの主治医の話も聞かず、復職の可能性を探らなかった態度は無責任だと、その点を力を込めて主張し、第1回審判期日の中でも述べた。この主張が功を奏したのか、裁判官は積極的に話し合いに取り組んでくれた。「この事件は、とにかく早く解決したほうがいい。長く引きずると、Rさんの身体によくない」と言い、E社から一定の解決金を引き出すので、それで和解するということで納得してもらえないかと話してきた。裁判官にE社への説得を委ね、第1回審判のうちに話し合いがまとまり、E社がRさんに解決金を支払う内容で調停が成立した。前章で見たI社事件と同様、この事件も、Rさんが当初主張していた事実すべてが認められ、慰謝料が発生するとして認められる額より多い金額での和解となった。Rさんが復職を希望していながら、それが認められなかったことを考慮してのことであろう。事件としてはRさんの権利の実現になんとか一定の寄与はできたものの、パワハラ事件の難しさを痛感させられたケースだった。

 

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次