第6章パワハラのパターンII――再び、言葉の暴力を考える
M社事件:本当にひどい事件パワハラ相談の圧倒的多数を占めるのが、「言葉の暴力」に関するものであることはすでに触れた。言葉の暴力に関連する事例は第1章と第2章でも紹介したが、本章ではM社事件を取り上げる。これは、本当にひどい言葉の暴力が行われた事例だ。ここでは、事例の紹介とともに、法的な考え方や立証の様子についても触れてみたい。M社は、関東で有料老人ホーム、グループホーム、ショートステイ、デイサービス事業を運営している、従業員数700名ほどの会社である。Iさんは平成22年3月16日、3ヶ月間の試用期間を含むという形で正社員として入社した。Sが施設長を務める特別養護老人ホームで、機能訓練指導員として勤務していた。機能訓練指導員とは、看護職員、作業療法士、柔道整復師、言語聴覚士、理学療法士、あん摩マッサージ指圧師のいずれかの資格を有する者で、特別養護老人ホームの入所者に対し、日常生活を営むのに必要な機能を改善し、その減退を防止する訓練を行う者のことである。簡単にいえば、老人ホームの入所者に、リハビリやマッサージを施す者のことである。特別養護老人ホームは、その資格を持つ者を最低一人以上は配置しなければならないとされている。Iさんは、あん摩マッサージ指圧師の資格を持っていたが、マッサージ以外の経験はなく、マッサージ以外の機能訓練については教えてもらいながら働いていた。
執拗な言葉の暴力Iさんは入社後、S施設長から執拗な言葉の暴力を受けた。それは、例えば次のようなものであった。「おまえは目つきが悪い。オレに喧嘩を売ったり、声にドスをきかせて人を脅したりしている」「おまえはドラえもんのジャイアンみたいだ。スタッフ、利用者様を見下して馬鹿にしている」「おまえはスタッフ、利用者様との間に壁を作っていて溶け込めていない。だから誰にも信用されず、信頼関係を築けていない」「おまえはコミュニケーション能力に障害があるから、精神科に行って診てもらったほうがいい」「おまえは自分の心を閉ざしている。頭がちょっとおかしいから、精神安定剤でも飲んだほうがいい」Iさんはこのような暴言を受け続け、精神的にも肉体的にも苦痛を感じるようになったという。そして平成22年5月1日に心療内科の診察を受け、抗不安薬の処方を受けた。S施設長の暴言は、5月以降もさらに激化していった。「おまえは精神科の医師に、オレにいじめられていることを伝えたんだろう?」「おまえがアルバイトにでもなれば、怒らないでやるよ。そのほうがお互いに気が楽だろう?アルバイトでも週に5回出勤してもいいぞ」
4時間半にわたる拘束S施設長の暴言はさらに続いた。平成22年6月12日。S施設長が以前、「おまえみたいに精神を病んでいる奴は、いつ利用者様に手を上げるかわかったもんじゃねえなあ」と言ったことについてIさんが確認すると、S施設長は「そうだよ。うん、言ったよ」と認めた。Iさんが「いくらなんでも、その発言はひどくないですか?」と抗議すると、「おまえさあ、自分の目つきをずっと見ててみ。本当にねえ、そういう感じがするよ」と言った。Iさんの苦痛は増し、職場に行くことを考えるだけで気分が悪くなるようになった。6月14日。Iさんは身体の不調から休むことにし、朝8時半頃、職場に電話をして休む旨を伝えようとした。ところが、電話口に出たS施設長は、その後4時間半にわたって電話越しにIさんを拘束し、次のような暴言を浴びせ続けたのである。「え、このままやっていこうと思ってるの?あそこまでオレに楯突いても、まだやりたいの?」「上司に口答えする奴は会社にいらねえんだよ!上司に言われたことが間違っていても、部下は口答えせずに言われたことをすべて飲むんだよ。すべて飲めねえんだったら会社を辞めろ!」「今から1ヶ月間だけ猶予をやる。その期間にオレから一つでも注意を受けたり、オレに楯突いたり、悪い目つきが直らなかったり、ほかの職員から一つでも不満が出たら辞表を書け!いいな!」「今後、一度でも楯突いたらおまえを懲戒免職にしてやる!おまえはクビと懲戒免職の違いがわかるか?クビはただの解雇だが、懲戒免職にすれば、おまえはほかの会社にも二度と再就職できなくなるんだぞ!弁護士と労働基準局を使って、どこの会社にも就職できなくしてやる!今度オレに楯突いたら、おまえを社会的に抹殺してやる!」「最近、施設のみんなとコミュニケーションを取って仲良くしているつもりかもしれないけど、おまえは施設のみんなに好かれてないんだからな。勘違いしないほうがいいよ。みんな、おまえのことを必要ないと思っているんだぞ」Iさんはこれらの暴言を受け、この日以降も職場に行けなくなってしまった。6月26日、心療内科で「反応性うつ病」と診断された。M社に電話してそのことを告げ、休職することを伝えた。その際にも、S施設長は慇懃無礼な口調で次の言葉を吐いた。「ぜひ、自主退職という形にしていただきたいと思うんです。納得していただけないということであれば、私どももちょっとね、強硬手段、つまり、社会的に抹殺することになる懲戒免職という手段を使っていくしかないでしょうね。そのほうがいいですか?」
「自主的に辞めろ」発言の背景本件は、次のような事情が背景にあったと考えられる。S施設長はもともと横暴な人物で、これまでも気に入らない職員に暴言を浴びせ、何人もの職員を辞めさせてきた。S施設長は、Iさんがあん摩マッサージ指圧師の資格以外は持っておらず、機能訓練指導員としては即戦力ではないということを気に入っていなかった。加えて、Iさんはきちんと筋を通す性分で、わからないことや曖昧なことについては問い質すような話し方をすることも、S施設長は気に入らなかった。しかし、Iさんから見れば、S施設長から文句を言われる筋合いはなかった。おかしいことはおかしいと指摘し、職場を合理的に運営すべきと考えることは当然のことである。また、Iさんは、あん摩マッサージ指圧師であって、機能訓練指導員としての仕事全体の経験があったわけではないことは、入社の際の面接でも述べている。実際、M社は、マッサージ以外のことについては学びながらやってくれればよいと言って、Iさんを採用している。だから、機能訓練指導員としての仕事について把握していないことがあっても、それはIさんからすれば仕方のないことだった。こうした両者の状況の違いから、S施設長は、Iさんが、これを教えてください、ここはどうすればいいのでしょうか、これでいいのでしょうか、これはこちらのほうがいいのではないでしょうか、といった話をすることを「反抗的」だととらえるようになったと思われる。やがてS施設長はIさんを疎ましく感じるようになり、Iさんの一挙手一投足を取り上げて暴言を浴びせるようになった。その行き着く先が、6月26日の発言。つまり、「自主的に辞めろ」だったわけである。
解雇を受けて、提訴へ以上の状況を受け、Iさんは私のところに相談に訪れた。私は、Iさんの体調のこともあるのでしばらく休職してもらい、その間、M社と復職に向けた職場環境の整備について協議しようと考えて受任することにした。私がM社に連絡を取る直前の7月15日、M社は8月15日付で解雇する通告を突然、Iさんに文書で送付してきた。Iさんは試用期間を経て、本採用されたばかりだった。解雇理由は、「職務命令に対する重大な違反行為(具体的には、あなたの職務遂行上、利用者様の安全確保に支障をきたすことが度々あったこと)による解雇」とされていた。10月1日、M社は解雇理由として、合計14項目のクレームがあった具体的事実を列挙する文書を送ってきた。この事態を受け、私は、同じ事務所の今泉義竜弁護士に、ともに事件に取り組んでもらうよう依頼し、M社に交渉を申し入れた。M社も弁護士を立ててきたが、M社には解雇を撤回する気もパワハラを認める気もなく、話し合いはまったくの平行線を辿った。私は、この事件は証拠が比較的しっかり揃っていたので、労働審判による解決も可能だと考えた。しかしIさんは、簡略な手続きで進む労働審判での事件の決着を拒んだ。Iさんの怒りはすさまじく、本裁判でしっかりとM社とS施設長を裁いて欲しいという意向だった。私は、裁判がIさんの病気に悪影響を及ぼさないかと心配し、そのことをIさん本人にも伝えたが、結局、Iさんの強い意向を受け、M社とS施設長を被告として、本裁判を提起することになった。平成23年3月のことである。
「人を壊す発言」は許されないここで、言動による暴力はどのような場合にパワハラにあたるとされるのか、裁判例を中心に見ていこう。例えば、三井住友海上火災保険事件である。これは、地裁と高裁とで判断が分かれた、パワハラ判断の難しさを示した事例である。同事件では、保険会社のサービスセンター(SC)で、上司が部下の業績に関連して、「意欲がないなら会社を辞めるべきだと思います。当SCにとっても損失そのものです。あなたの給料で業務職が何人雇えると思いますか。(中略)これ以上、当SCに迷惑をかけないでください」という内容のメールを当人を含む職場の十数名にメールしていたことが問題になった。東京地裁は、これらの言動は退職の働きかけやほのめかしにあたらず、一時的な叱責であると理解できる、また、叱責としては強度だが、ただちに業務指導の範囲を超えているとはいえないと判断した(東京地裁平成16年12月1日判決)。一方、その控訴審である東京高裁は、この言動は退職勧告とも会社に不必要な人間とも取れる表現、人の気持ちをいたずらに逆撫でする侮辱的言辞であり、本人の名誉感情を毀損し、不法行為であると認定した(東京高裁平成17年4月20日判決)。東京高裁で事実関係の追加があったのか、そのあたりの事情は不明だが、地裁と高裁も、基本的には同じ事実関係、証拠関係であったはず。しかし、両者で評価が異なった。もう一つ、トヨタ自動車事件(名古屋地裁平成20年10月30日判決)を紹介しよう。トヨタとの共同開発事業で同じ職場にいたデンソーの社員に向かって、トヨタの社員が週間業務報告書に「同じことを何度もやるな!」「データまとめはいつになったら出てくるんだ!」などといった書き込みをし、会議の席上でも、「○○さん、もうデンソーに帰っていいよ。使い物にならない人はうちにはいらないから」と発言したという事件である。この発言について、裁判所は、パワハラと評価されても仕方がないと判断している。これらの事例で、なぜ発言が不法性を有すると判断されたのか。事例の証拠や前後関係にわたる詳細な事実関係を知らない以上、正確な判断はできない。だが、「人を壊す発言」と判断された場合、それはパワハラにあたると考えられるのではないかという感想を私は抱いている。「あなたの給料で業務職が何人雇えると思いますか」「使い物にならない人はうちにはいらない」といった、その職場において貢献できるものは何一つないといったような発言は、その人のすべてを否定するものである。それは、まさに「人を人と見ない」ものである。こうした発言にさらされた人の苦痛はいかばかりであろうか。まさに、私の提唱する「被害者基準の基準論」からすれば、人の人格を全否定する発言など、到底了解できるものではない。こうした発言がまかり通る職場とは、まさに〝人が壊れてゆく職場〟ではないのか。
この意味で、私は三井住友海上火災保険事件の東京高裁の判断と、トヨタ自動車事件の名古屋地裁の判断は、正当なものであると考えている。
「この事件で2例目です」話をM社事件に戻そう。では、本件の場合はどうか。象徴的なのは、6月14日のS施設長の電話である。病気で休みたいという用件は、1分もあれば済む話だ。なのに、S施設長は4時間半にわたってIさんを拘束し、「上司に口答えする奴は会社にいらねえんだよ!上司に言われたことが間違っていても、部下は口答えせずに言われたことをすべて飲むんだよ。すべて飲めねえんだったら会社を辞めろ!」と絶対的な服従を強い、「今後、一度でも楯突いたらおまえを懲戒免職にしてやる!」と脅した。Iさんは、それまで健康であったにもかかわらず、「反応性うつ病」と診断されている。こうした事情や、入社直後から継続的に暴言を受け続けている事実を考えたとき、通常の感覚からすれば、到底許容できない言葉が向けられていたと解することができよう。ちなみに、本件は、担当した裁判官が、「職業柄、こうした訴えはよく見かけるが、私が本当にひどいなと思ったのは、この事件で2例目です」と述べた。裁判官の感覚からしても、本件は相当にひどい事件なのだ。
見すごせない事実裁判は、解雇の有効性とパワハラの成否の二つの論点をめぐって、Iさん側、M社側それぞれの立場から、自分たちの言い分を書面で出し合って応酬する形で進んだ。解雇については、法律上の規制がある。使用者が一方的な意思表示で労働者との労働契約を解消しようとすること(解雇)は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とされる(労働契約法第16条)。解雇によって賃金収入を絶たれることは、労働者にとって極めて大きな打撃となる。したがって、使用者が労働者を解雇する場合には、世間的に見て、「それなら仕方がない」と思われるレベルの理由が存在する必要があるという規制である。本件の場合、「利用者様の安全確保に支障をきたすことが度々あった」という具体的事実に基づくとした解雇に客観的に合理的な理由があり、社会通念上相当といえる場合と判断されるものか否かということが問題となる。M社側は、当然、それに該当すると主張した。私たちは、M社側が挙げてきた事実は、いずれも事実無根、あるいは事実の歪曲であって、到底解雇の正当な理由になるものではないと反論した。私が特に注目したのは、試用期間を経てIさんが本採用されている事実である。Iさんは、6月14日から職場を休み、26日から休職ということで連絡を入れている。つまり、Iさんが実際に職場にいたのは、平成22年3月16日から6月12日までの期間となる。当然、M社がIさんに職員として問題ある行為があったと指摘している事実は、すべて6月12日以前の行為である。だが、試用期間は6月15日に満了し、Iさんはそのまま本採用となっている。M社側がIさんに問題行動があると考えていたのなら、M社は本採用せず、試用期間満了をもって解雇とするのが筋ではないか。以上のことを私たちは主張した。
裁判の結末他方、パワハラの論点においては、私たちは前述した事実関係について、前後関係も含めてパワハラの事実を挙げ、これは不法行為にあたるとして、M社とS施設長側が責任を取るべきだと主張した。M社側は、当初、事実関係がそもそも存在しないといって争っていたが、最終的には事実関係を争わず、不法行為になるかどうかという評価面を争った。平成23年11月に入ると、裁判官から和解の示唆があった。先に紹介したように、裁判官はIさんの主張に理解を示し、M社側に責任を取ってもらう形で事件を早期に終結させたほうがよいと述べた。Iさんも、提訴時には、S施設長が転任するという条件でM社に復職する意向を持っていたが、この時期には、M社にはもう戻りたくないという意向を示していた。そこで私たちは、M社、S施設長に謝罪してもらい、その上で、解雇を撤回、IさんとM社との合意でIさんが退職したこととし、あとは解雇の問題、及びパワハラの問題に関しての解決金をM社・S施設長に支払ってもらうという内容で和解を希望し、その線で協議が進められた。結果、平成23年12月、この内容で和解が成立した。パワハラ事件の相場からすれば非常に高額の評価を受けた。また、解雇事件の解決としての水準もクリアし、私からすれば、非常に高い水準の和解となった。以上を受けて、本件は解決した。
ポイントは「暴言の証拠」金銭的に高い評価を受けたのは、証拠がしっかりと揃っていたことが大きい。言葉の暴力の場合に証拠となるのは、本人の証言のほか、メモ、電子メールや業務上の報告書等による記載文書、第三者の証言、ICレコーダーなどの録音記録といったものが考えられる。本件の場合、第三者の証言が得られていたこと、また、6月以降についてはICレコーダーの録音記録が存在していた。M社側が、当初はパワハラの事実関係を否定していたのに、途中からこれを否定できなくなったのは、録音記録を突きつけられたからである。パワハラの立証においては、このICレコーダーによる録音記録の価値が極めて高い。振り返ってみれば、第1章のI社事件でも、録音記録の存在が一つの決め手となった。後述する第7章のH社事件でも、上司の発言が録音されていることが有利な状況を生み出した。逆に、第2章のE社事件では、ICレコーダーでの録音記録はもちろん、本人のメモすら残っておらず、証拠がまったくないことに問題があった。また、暴言によるパワハラ事件では、周りからの証言を得られやすい。これは、暴言が、業務上の指導と称して職場全体に周知されるように行われ、職場がパワハラの状況を目撃している場合が多いためだ。同じような被害に遭って退職した人物に連絡を取ると、協力を得られやすいのである(逆に、被告と同じ職場に勤務している職員に証言してもらうことは困難をともなう)。本件の場合も、退職した元同僚の証言を得ることができた。裁判で和解とならず、証人尋問手続きに進んでいたら、この元同僚に証言をしてもらうことになっていた。このような証拠を集めてパワハラを立証できるか。裁判では、これが大きなポイントとなる。
M社事件を振り返ってIさんは、和解終了後、病状も落ち着き、新しい職を得て社会復帰を果たした。本当によかったと思う。パワハラ事件を担当していて辛いのは、たとえ事件が解決しても、本人の病状が回復せず、社会復帰を果たせないケースに直面したときだ。パワハラを受けて精神疾患を患い、社会と何年も関われないことは、人生全体に大きな悪影響を及ぼす。つまり、本人とその家族に、大きな損失をもたらすのである。こうした場合、いくばくかの解決金を得たからといって、それで人生を取り戻せるわけではない。解決金はないよりはあったほうがいいが、関わった事件がお金によってその一部を解決できたとしても、本人の病状が回復しなければ、真の意味で事件を解決した気になれない。こういうときが、本当に辛い。Iさんは、ひどい被害に遭っても自分の人生を再出発させることができた。こんなときは、自分の仕事も人の役に立ったと感じることができ、事件が解決した際の喜びや達成感はひとしおである。しかし、本当にひどい暴言があったものである。S施設長の言葉には、あきれてものが言えない。ひどい暴言に接するたびに、私は社会全体の病理を感じざるを得ない。これまでの経験上、S施設長のような言動は、残念ながらそれほど特異なものではない。言葉の暴力が生まれないようにするためには、職場や社会全体の意識を変えていく必要がある。そうでないと、Iさんのような犠牲者がこれからも生まれ続けることになる。
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