第9章では、どうするか――問題を二つに分けて考える
予防と具体的対処法これまで、いくつかの事例を通じ、パワハラ問題の実態、内容、法的な視点、対応・解決方法に触れてきた。パワハラ問題とはどのような問題を指すのか、それをどう見るかということについてはある程度ご理解いただけたのではないかと思う。最後に残るのは、「では、どうするか」である。私が考え得る現状への対応の考え方とあり方について、本章では述べることにしたい。パワハラ問題に取り組む場合、問題を二つに分けて考えることが肝心だ。その一つは、パワハラの予防という問題。もう一つは、パワハラ問題が発生したときの具体的対処法という問題である。
出発点この点で、出発点としてまずとらえるべきは、第4章で紹介した、厚生労働省による円卓会議のワーキング・グループ報告書である。この報告書では、パワハラ問題への対処として、次のような指摘がなされていた。事業主は、職場のパワーハラスメントはなくすべきという方針を明確に打ち出すべきである。その上で、予防するための事業主への留意点として、(1)トップのメッセージ(2)ルールを決める(3)実態を把握する(4)教育する(5)周知するの対応を取ることを求めている。また、問題が発生したときは、解決のために、(1)相談や解決の場を設置する(2)再発を防止するといった対応を企業は早期に取り組むように求めている。さらに地方自治体に対しては、パワーハラスメントの実態について把握して明らかにし、問題の現状や課題、取り組み例などについて周知告発を行うよう求めている。
パワハラ問題は労使双方の問題としてとらえるべき第4章でも述べたが、ワーキング・グループの報告書による提案は、これまでの学問的議論を踏まえたものであり、極めて真っ当なものであるといえる。国がすべての企業や自治体に対して、「これだけはやっておこう」と提起し、それが実行されることは、パワハラの被害者にとって大きな救済になる。国は国で、人権の問題として、パワハラ根絶の道筋をぜひ作ってもらいたい。私は、その上で、この問題は現場のレベルとしては、労使双方の問題としてとらえるべきだと考えている。労働法にはそもそも、パワハラについて「○○をしてはいけない」といった明確な規定が存在しない。労働法は、労働条件については労働者の生活の最低限の基準を定める一方、それ以上の問題については労使双方が協議して合意形成することを求めている。ワーキング・グループの報告書は、パワハラの問題が深刻な社会問題となってきているという認識で議論されているものではあるだろう。しかし、仮にナショナルミニマムとして何らかの基準が法定されるとしても、現場レベルでは、労使による何らかのルール作りが求められているといえる。それは、労働安全衛生法が、長時間労働による労働者の健康障害の防止、及び労働者の精神的健康の保持増進を図るための対策の樹立に関する事項を、衛生委員会の付議事項としていることにも表れている(労働安全衛生法第18条1項、労働安全衛生規則第22条9号、10号。衛生委員会とは、常時50人以上の労働者を使用する事業主が、事業場ごとに設置しなければならない職場の委員会組織で、事業主に対して職場の安全衛生に関する事項を調査し意見を述べる機関のこと)。以上の視点からすれば、パワハラ問題への取り組みは、単に事業主が努力をすれば済むという問題ではない。パワハラ問題への取り組みは、職場の労働者、あるいはその集団によっても問題にされるべきものなのである。
労働組合の出番その意味では、労働者の集団である労働組合という存在が重要な鍵を握っている。労働組合は、単に集団としての力を発揮するだけではない。法は、労働組合の活動を強力に保護している。そのため、労働組合と使用者との協議は特別な意味を持つ。まず、憲法から見ていこう。憲法は、労働者に働く権利を認めるとともに(第27条)、団結権、団体交渉権、団体行動権を保障している(第28条)。この見地から、労働組合の活動と発展を保護する労働組合法が定められている。労働組合法では、通常なら民事上、刑事上の責任が発生する場合でも、労働組合の正当な行為であればそれは免責するとしている(第1条、第8条)。また、使用者による労働組合の活動の阻害となる不当な行為を禁止している(第7条)。この中には、「団体交渉の拒否の禁止」という項目があり、会社は、労働組合の話し合いの申し入れ、つまり、団体交渉の申し入れについて拒否してはならないことになっている。他方、労働組合法には、労働協約の保護に関する項目もある。労働協約とは、労働組合と使用者とが、労働条件そのほかの事項について合意した協定で、合意内容について書面に作成され、両当事者が署名または記名押印したものをいう(第14条)。労働協約に定めた内容のうち、労働条件その他の労働者の待遇に関する基準に違反する労働契約は無効とされ、無効となった部分は労働協約上の基準の定めるところによるとされる(第16条)。つまり、労働協約は、法令に違反しない限り職場で最高の規範となり、もし労働協約と就業規則の内容が競合した場合は、就業規則は労働協約に反してはならないとされる(労働基準法第92条、労働契約法第7条、第12条、第13条)。このように、労働組合は、労働者の使用者との交渉手段として、その活動が法律によって手厚く保障されている団体だ。そして、使用者が拒否することのできない団体交渉という手段は、実に強力な武器となる。また、労使の協議の結果、まとまったことが労働協約という形で結実すれば、それは、その職場にとって最高の規律になる。これもまた、やはり強力な武器だ。労使による協議に特別な意味があるというのは、この意味においてである。何より、そうした議論を労使の間でしっかり行うことで、職場全体にパワハラに対する問題意識が生まれ、その問題に対する取り組みの促進につながる。実は、労働協約が獲得されるということよりは、そういう効果のほうが大きいかもしれない。
職場環境そのものの問題では、パワハラの予防のために労使はどう取り組んだらよいか。これは、ワーキング・グループの報告書が検討課題として提起している点の具体化、ということがまず考えられる。ここでは、私の経験から二つの観点を提起したい。第一に、パワハラは職場の問題であって、特定の誰かに還元されるべき問題ではない、ということを明確にとらえることだ。パワハラ事件を担当していると、ときどき使用者側から、「いや、それは被害者も悪い。その被害者が職場の輪を乱したのだから」という抗弁を受けることがある。この使用者の論理では、問題を引き起こしているのは被害者だから、被害者が休職したり退職するなどして職場から去れば、問題の元凶が存在しなくなる、だから問題も解決するという理屈だ。ところが、である。そういう抗弁を受ける場合に限って、被害者が去った後の職場ではパワハラがなくなり、平穏を取り戻しているかといえば、答えは絶対にノーだ。パワハラを生んだ職場は必ず新たな被害者を探し出し、今度はそちらに標的を移して攻撃を始める。これはどうしてなのか、その理由は私にもよくわからない。しかし、本当に被害者個人の問題でパワハラが発生したという事例を、私は見たことがない。ということは、被害者に原因があると決めつける職場ほど、問題はむしろ職場環境そのものにある、ということになる。このように、問題を誰かの個性の問題に帰着させると、その処理を誤る。パワハラの予防のためには、パワハラは職場全体の問題として検討しておくべき課題であるという認識が重要だ。
繰り返しの教育もう一つは、パワハラの予防には教育が不可欠だということだ。ワーキング・グループの提案でも、「教育」ということが掲げられている。私は、この点については「教育の具体化」が肝要だと思う。それは、繰り返しの教育である。もっと具体的にいえば、職場全体や、管理職を対象とした研修の機会を繰り返し持つことが望ましい。パワハラは、それまで社会が何となく許容していたことが問題になる場合も多い。加害者からしてみれば「愛の鞭」として行ったつもりの教育的指導が、パワハラとして問題になることだってある。したがって、パワハラとは何か、いかなる事に注意すべきかということについて、繰り返し問題意識を持つ機会を提供することこそ、職場に求められているといえる。人間、一度や二度勉強したくらいでは、それまで当たり前と思っていたことをそう簡単に改めることはできないものだ。
パワハラに遭遇した場合さて、予防の話は以上として、ここからは労働者の立場で、では、「これはパワハラでは?」と思われるような出来事に実際に遭遇したときにはどうすればよいのかを考えてみよう。私がまず勧めるのは、発生している現象を、第三者が後から理解できるようにするための事実の確保と相談である。事実の確保とは、いつ、誰が、どこで、どんなふうに、何をしたかを明らかにしておくということである。言い換えれば、証拠を確保するということである。メモを取ったり、メールを紙ベースで確保したり、場合によっては音声記録を取っておくということになる。パワハラか否かを検討するにあたっては、まずは、事実を確認できなければ話にならない。それはこれまで見てきた例からも明らかだろう。パワハラを防ぐためにも、相手が否定できない事実を確保しておくことは極めて重要である。証拠を確保しておくことは、自分の身を守る第一歩として考えて欲しいことである。次に、相談である。実際の被害者がパワハラか否かを判断するのは難しい。だから、パワハラの問題を扱っている専門家にきちんと相談し、「鑑定」を受けるのは大事だ。相談相手は、労働問題を扱っている行政機関、労働組合、弁護士といったところになろう。本書の巻末に相談機関を掲載したので、それを参考にしていただきたい([労働相談窓口一覧]参照)。
音声記録は活用すべき証拠の確保に関連して、音声記録について述べておきたい。近年、ICレコーダーの普及によって、音声記録は以前に比べて簡単に、かつ音質もよく確保できるようになった。パワハラ問題で相談を受けた際、私が音声記録の確保を勧めると、相談者の方は必ずと言っていいほど、「相手の承諾を得ずに録音してもいいのですか?」と質問される。結論を言えば、「かまわない」のである。民事訴訟では、音声記録が、相手の承諾を得ていないことを理由に証拠としての価値を認めないということは基本的にない。私もこれまで、パワハラ事件で数多く音声記録を証拠として使ってきた。第1章、第5章~第7章で紹介した事件で言葉の暴力部分を再現できたのは、音声記録が残っていたことが一つの理由である。音声記録は、言葉を正確に再現できるだけでなく、その場の雰囲気や語調も含めて、すべてが明らかになる。パワハラの立証手段としてこれほど優れた方法はない。裁判所でも、事実の認定に際して多く活用されているのが実情だ。私は、この意味で音声記録の確保を勧めている。確かに、相手に黙って録音するのは気持ちのよい話ではなく、日常的に推奨されるべき話でもない。その意味では、極めてイレギュラーなことを勧めていることは十分に自覚している。しかし、パワハラの被害者は、自分が今まさに、人格の崩壊の危険にさらされているという現在進行形の現場に直面している。だから、音声記録を活用することは、自分の身を守る手段としてやむを得ない手段だと私は考えている。身の危険を感じたら、録音は手段として活用すべきだと私は考える。
早急なる公然化パワハラが起きる職場とは、職場全体が大きなマイナスのエネルギーを持っていて、そのエネルギーを丸ごと被害者にぶつけているという印象が強い。この視点に立つと、パワハラの被害者が重篤な精神疾患に陥り、社会復帰の困難が何年にもわたる理由がわかりやすくなる。被害者は、職場の負のエネルギーを一身に浴びる。だから比較的短期間の被害であっても、重篤な精神疾患を発症してしまうのである。私はこうした現象から、パワハラとは、職場の負のエネルギーの集中砲火であると考えてきた。職場は、長時間労働であったり、ノルマであったり、営業成績の不良であったり、様々な問題を抱えている。職場の問題は、本来、労働者が団結して使用者に改善の要求をしたり、職場全体で話し合って打開の努力をしたりするべきものである。だが、どういうわけかそうした方法を取らず、職場の仲間の一部を「スケープゴート」にして、そこにストレス解消のための攻撃を集中させることで職場全体の秩序をなんとか維持するという構造が生まれる。――私がこのような考えを持つに至ったのは数年前からだが、相談されるパワハラ問題の多くは、この考え方で説明できる場合が多いというのが実感で、パワハラ問題の全体の説明はできないとしても、当たっている部分は少なからずあると思っている。だから、パワハラの問題を解決するためには、加害者にその行為を改めてもらう必要があると同時に、職場全体の考えを改めてもらう必要もある。そこで、もしパワハラの事実を探知し、ある程度の事実を確認でき、これはパワハラだという鑑定もできたとき、パワハラが引き続き予想される場合には、「公然化」が必要になる。それは、被害者が、加害者に、「やめて欲しい」という意思を明確に伝える。被害者が、パワハラの問題があるということを職場全体に伝える。被害者が、その職場において権限のある使用者に対して対処を求める。となる。このとき、とりわけ使用者サイドがパワハラの事実についてまったく認識していなかった場合、相手が否定できない事実確認が役に立つのである。他方、パワハラの問題を職場全体に伝えたとしても、職場の同僚の同意が得られないような状況であれば、自浄作用的に職場の問題を解決するのは難しくなる。被害者が同僚に話しても同意を得られない場合というのは、二つのパターンが考えられる。一つは、被害を受けたと当事者が主張する原因の行為自体が、同僚の同意を得られる性質のものではなく、当事者だけが職場で浮いてしまって不平不満を抱いているというパターン。もう一つは、当事者が受けた被害そのものについては同僚も理解しているが、使用者の専制支配的な雰囲気への恐怖心などから、同調したくてもできないというパターン
である。
労働組合の結成という手法この公然化に際しては、通常、被害者自身が単独で、加害者、使用者に対して対応することになる。一方、代理人として弁護士を立てて対応する場合もある。しかし、私はここで、「労働組合を結成し、その労働組合から加害者や使用者に対処を求める」ことを提唱したい。私が、相談に訪れる当事者に「労働組合作り」を一度は勧めるのは、パワハラが起きた職場で労働組合が結成され、解決の方向に向かって協議が始まるようであれば、それは基本的な解決のあり方として理想的なコースを辿るからだ。また、労働組合作りについての相談者のレスポンスを見れば、その職場の状況や相談者の置かれている立場を理解することもできる。労働組合に依頼する場合の協議方法は、団体交渉となる。これにはメリットとデメリットがある。メリットは、すぐに効果を挙げられる可能性が高い点だ。労働組合が使用者に対して職場の問題に対処すべきだと申し入れ、その結果、使用者が何らかの措置を取ってパワハラの原因が除去されるケースは現実に多く存在する。一方、デメリットは、被害者が労働組合という存在に頼りすぎてしまい、現状の何が問題なのか、どうすれば解決できるのか、それを自分の頭で考えないまま事態が推移してしまうことがある点だ。労働組合とは、本来、そこに集まる労働者一人一人が主人公として活躍できる場であり、また、ほかの組合員の問題を自分の問題としてとらえ、自分にできる行動を取る場だ。だが、「労働組合に加入して解決をしてもらう」ということになると、本来その問題の主人公であるはずの被害者が主体的に行動することなく、いわば「プロに解決してもらって」終わってしまうことがある。弁護士に頼む場合はそれでよいのかもしれないが、労働組合に頼む場合は、本来のあり方に反してしまう。問題が解決すればそれでいいではないかと思われるかもしれない。でも、私は、それでは職場の問題の根本的解決にならないと思う。先に、パワハラは労使で協議しながら解決していく問題だということを述べた。パワハラが職場全体の問題であるなら、その問題は職場のどこにあり、その解決のためにはどうすればよいのか、それぞれの人がそれぞれの立場で解決のためにできることを模索するのが筋だろう。パワハラの被害者が労働組合を結成し、労使協議開始の中心的役割を担えば、きっと、被害者自身が最も解放される。不幸な契機であったとしても、それを乗り越え、職場を働きやすいものに変えていく主役になれる。使用者の専制支配に苦しむほかの同僚たちにとっても、それは自分たちの人生を切り拓く大切な機会になるはずだ。
使用者側の対応問題が公然化されたとき、使用者側はどのような対応を取るべきだろうか。それは、ワーキング・グループの報告書にも示唆されている。すなわち、(1)相談や解決の場を設置する(2)再発を防止するといった対応を早急に取ることである。少し敷衍すると、まず何よりも、被害者・加害者に十分配慮しながら双方の主張を聞き、目撃していると考えられる関係者から事情を聴取して関係する資料を集めるといった方法を用い、事実を確認すること。そして、確認された事実に基づき、被害者への謝罪、加害者と被害者の分離、加害者への懲戒等の手続き、必要であれば賠償の手続きを行うこと。事態の教訓化を図り、職場にその教訓の浸透を図ったり、再発しないよう研修を行う等の措置を取ること――以上のような対処が必要だ。肝心な点は、この一連の手続きを速やかに行うこと、中途半端には行わないことである。パワハラ被害者の傷を深くする原因に、事件後の職場の不誠実な対応に怒りが増幅した、というものがある。問題の処理に臨むのであれば、しっかりとした対応をすべきである。不十分な対応は問題を解決しないばかりか、被害者の怒りを増幅させ、かえって傷口を広げるだけである。
被害者の法的な対応こうした道筋を経て、職場の問題が労使の自発的行動によって解決できる場合はよい。しかし、被害者の訴えを周囲がまったく聞いてくれなかったり、労使の話し合いが内容的にまとまらなかったりした場合、被害者は問題を個別的に解決することに進まざるを得ないことになる。本書で紹介した事例は、いずれも自発的な解決ができなかった結果、被害者が、法的な解決を求めて法律事務所の門を叩いた事例であった。各章でも触れたが、このようなケースでは、私たち法律家としては、法律の議論にのっとって、行い得る手続きを取ることになる。法律の議論とは、第4章で紹介した、人格権の侵害、安全配慮義務・就業環境調整保持義務違反といったものである。そして、行い得る手段としては、労災認定の申請のほか、交渉、労働審判、裁判といったことになる。労働災害とは、被害者が何らかの疾病を発症した場合、その原因が職場での業務に起因したものであると考え、治療費や休職した場合の休業損害などについて国から補償してもらう制度である。これは、「業務上」発生したことが要件となるため、「業務上」の発生を裏づける資料を整え、職場を管轄する労働基準監督署に対し認定の申請を行うということになる。これは、交渉や裁判所での手続きとは別の手続きであり、それとは切り離して独自に、あるいは並行して行うことができる。現に第3章で紹介した清水は、裁判と並行して労災を申請し、これが認められ、国から医療費、休業損害に関する費用を受給しながら裁判を行った。交渉は、問題の責任を取って欲しいという議論を、代理人が加害者や使用者に申し込んで協議する手法である。これは、労使の協議に比べれば、フランクなものではない。問題となる事実を特定し、それが法的にどのように評価されるかということを議論することになる。こうした交渉で解決し得ない場合、裁判所での手続きとなる。それが、労働審判、裁判である。
労働審判と裁判の選択の基準では、裁判所での手続きに進まざるを得ない場合、労働審判を選択するか、正式裁判を選択するかについてどのように考えるか。この点については、もちろん相談者の意思がどこにあるかによっても異なるが、私は、極力、労働審判での解決が可能と考えられる場合は、労働審判を選択することにしている。弁護士に相談するような問題については、誰しもが時間的に迅速に解決できればよいと願っている。その意味で迅速さは大切である。もう一つ、パワハラ事件では迅速な解決が求められる事情がある。それは、被害者が精神疾患を患っている場合、その心の傷を一刻も早く癒す必要があるという事情である。被害者は、過去に受けた傷について、その原因を作った人たちを許せないと思っていると同時に、その傷を振り返りたくないという思いも抱いている。私も、病気の状況を確認するために主治医を訪れて意見を聞く機会もあるが、多くの場合、医師からは、「こんなことは早く忘れたほうがいい」と言われる。だとすると、責任を取ってもらいたいという被害者の要求を、できるだけ早く実現することが望ましくなる。労働審判の選択をまず第一次的に考えるのは、こうした理由からだ。ただし、労働審判の時間的制約、審理を3回しか開くことができない制約のもとでは、事実関係を十分に解明し得ないという問題がある。それでは被害者の救済にはならない場合には、裁判を選択する場合も発生する。私は、以上の選択基準によって、用いる手法を選んでいる。本書で紹介した事例も、すべてその考え方に基づき、労働審判を選択できる場合は労働審判で、そうでない場合は裁判を選択して進めたものである。
いずれの手段も選択し得ない場合しかし、世の中には使用者に向かっていくという手段を取れない人もいるだろう。そうした人たちは、最低限、自分が置かれている状況を正確に把握するために、相談だけはしてもらいたいと思う。そして、今後予想されるパワハラのため、健康に影響が及ぶと心配される状況では、その職場から一刻も早く離脱すべきである。離脱することによって職を失うことになるかもしれないが、生命と健康を損ね、何年も働けなくなるよりはマシである。労働者は、身体が資本なのだから。
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