第8章グレーゾーンをこわがらない方法グレーゾーンとパワハラの境界線「まえがき」で、サラリーマン川柳「これセーフ?部下への言葉ググる日々」を紹介したが、実際にネット検索してもセーフかアウトかはわからないだろう。グレーゾーンというのは文字通り黒と白の間のグレーな部分である。何がパワハラで何がパワハラでないかがわからない、つまり黒のゾーンと白のゾーンのどちらに入るかがはっきりしない言動のことだ。たしかに自分の言動がグレーゾーンにあると思うと、あとからこれがパワハラだと申し立てられたらどうしようと不安になる。実際にも厚労省の2016年度実態調査で、管理職がパワハラで最も知りたいことは、「パワハラにならない指導、部下等への接し方」だった。これに関してよく言われるのが、上司の指示指導とパワハラの線引きである。どこで線を引くのかわからない、境界線はどうやって判断したらいいのかわからない、という不安である。これはグレーゾーンをどうしたらよいかということと基本は同じである。要するに線引きができなかったり、境界線がわからなかったりするためグレーになるからである。グレーゾーンのときの判断基準グレーゾーンと言っても、普通の会社の経営者や管理職、公務職場の管理職の言動はほとんどが白のゾーンか、あったとしても白に近いグレーゾーンだろう。経営者や管理職の言動がいつも黒のゾーンに入るような会社は、もはや文字通りブラック企業と言える。かといって、経営者や管理職の言動が常に白のゾーンにあるというような職場はどうだろう。いつも部下のご機嫌をうかがって仕事の指示指導をしていれば常に白になるかもしれない。しかしそのような職場は活気がなく発展性がないだろう。グレーをこわがって常に白であれというようなびくびくした職場では、部下の指示指導はできないし、部下も育たない。グレーゾーンはなぜできるのだろう。結論から言うと、それは検討会のパワハラ定義の3要件のうち、第2要件(業務の適正な範囲を超えて行われること)の業務の適正な範囲と、第3要件(身体的若しくは精神的な苦痛を与えること、又は就業環境を害すること)の判断基準である平均的労働者の感じ方という2つの基準が抽象的で確定しにくいからである。
ということは、この2つの基準の判断の仕方を身に付けておけば、グレーゾーンと思っても黒ではないと判断でき、安心して部下を指示指導できるだろう。業務の適正な範囲の判断はこの2要素でまず業務の適正な範囲の判断である。ただ、何が適正かと言われても、「仕事なんだから適正なのは当たり前だろ」と言いたくなる人もいるだろう。しかしそれで終わるほど簡単ではない。この適正な範囲をいくつかの要素に分解してみよう。わかりやすくするために、できるだけシンプルに考えることにする。それは、①業務上の必要性と、②言動の態様の2つである。判断基準がこの2つであれば、グレーだと感じてもそれが黒になるかどうかの判断がしやすいと思う。①の業務上の必要性は、上司の指示指導が部下の仕事にとって必要かどうかである。仕事に関係のないことを命じるような業務に関係のない言動はこの要件を満たさない。好き嫌い型の上司が気に食わない部下をわざと無視して飲み会に誘わないといったケースは、業務とは関係なく部下に精神的苦痛を与えるのでアウトである。また、上司が急ぎでもないのに休日、部下宛てにメールを入れ、すぐに返事をするよう指示するというケースは、必要性がない場合に当たるだろう。テレワークをしている部下に、「在宅勤務の状況を見るから、カメラを動かして部屋の中を見せろ」というのもアウトである。業務上の必要性で判断が最も難しいのが、業務が過大かどうかである。第3章のパワハラに当たる6つの行為類型のひとつである「過大な要求」がこれである。長時間の残業を強いるほどの業務量を命じる場合なら間違いなく過大だろうが、上司からするとたいした仕事量でもなく、とても過大とは思えないのに、部下が過大と感じるというギャップがあるとグレーになって判断に困る。このような場合に過大かどうかは、その業務内容、部下の能力、時間的余裕などからケースバイケースで判断することになるが、基本的には繁忙期などの必要な場合であれば、部下に通常より多めの業務を担当させることは適正な範囲だろう。部下がハラスメントと感じる場合として、「管理者の業務であるにもかかわらず、業務命令で仕事を振ってくる」(厚労省の2016年度実態調査)というのがある。つまり部下は上司も相応の負担をしているかどうかを見ていて、それでパワハラと感じるかどうかが決まるということである。これは管理職として注意しなくてはいけない。何でもかんでも部下へ押し付けて、部下の手柄はオレの手柄、オレのミスは部下のミスはアウトになる。この必要性の判断の中に、部下の心身の状況の理解という点がある。部下の心身の状況によっては、その部下に業務を指示指導することが適切でない場合がある。例えば、上司が部下に今日中にレポートをまとめろと言ったとする。その業務量は決して過大なものではない。しかし心身の状況がよくない部下にとっては、過大な仕事になることがある。
ただこの場合は、上司の側が部下の心身の状況を知っているか、知ることができたはずというのが前提になる。部下の体調が悪いことを知ることができない状況で部下に過大な仕事を与えてもパワハラにはならない。この意味で、上司は部下の心身の状況にふだんから関心を持って知るようにしなければ、部下への指示がパワハラになる可能性が出てくる。部下のことに無関心な上司が、部下がそんな状態だとは知らなかったと言っても、普通の上司なら把握できたはずとされて、責任が生じるからである。メンタルが不調な社員への対応はグレーゾーンの問題でもあることに注意する必要がある。言動の態様とは②の言動の態様は、指示指導の仕方である。暴力や人格否定発言などの威圧的言動はレッド・カードである。この要素は特に叱責の場面で問題になるので、あとで改めてまとめてみよう。言動の態様でアウトなのは怒鳴るだけではない。厚労省の2016年度実態調査では、部下がハラスメントと感じる場合として「業務の相談をしている時、パソコンに向かったままで視線を合わさない」というのがある。これは無視というハラスメントである。上司としては、パソコンに向かって急ぎの仕事をしているときに部下から相談があった場合、そのまま部下と視線を合わさず指示することもあるだろう。このようなときは部下が上司の状況を知らないと、誤解によるコミュニケーションギャップが生じグレーになってしまう。ただ、このような場合は黒にはならないだろう。上司が部下を意図的に無視したわけではないからである。とはいえ、部下が無視されたと感じるのはハラスメントではないとしても放置しておいてよいわけではない。上司としては部下が無視と誤解したことを知ったときは、部下に、無視したわけではないことを伝えておいた方がよい。平均的労働者基準とは次は、第3要件の平均的労働者の感じ方である。この判断を簡単に言えば、普通の労働者を基準にして、普通の労働者ならば精神的苦痛や就業環境が害されたと感じるだろうかと当てはめることである。逆に言えば、その言動で普通の労働者は精神的苦痛や就業環境が害されたとまでは感じないという場合はパワハラにならないということである。例えば、上司が5人の部下に営業で得意先回りを命じたとする。4人の部下は「はい、わかりました」と言って営業に出た。ところが部下のひとりだけは得意先回りがいやでたまらず、上司の指示に対して精神的苦痛と就業環境が害されたと感じるのでパワハラだと主張したとする。平均的な他の4人の部下はパワハラと感じないとなると、このケースではパワハラにはならないということになるだろう。平均的労働者は精神的苦痛と就業環境が害されたとまでは感じないと判断できるからである。しかし部下といってもさまざまな個性があるし、心身の状況も異なる。平均的労働者を
基準にすればパワハラにならないからといって、個々の部下の個性や心身の状況の把握を怠ってはいけない。グレーゾーンはフォローが大事このように、グレーと感じたときは、業務の適正な範囲と平均的労働者基準によって判断するのがよいのだが、このグレーを白に近付ける効果のあるのが言動の後のフォローである。例えば部下の体調を十分配慮せずに仕事の指示をしたときとか、無理な仕事を頼んだときにグレーと感じることがあるだろう。そのようなときに、その部下が仕事を終えたあとで、体調や気持ちを確かめることで部下の心情はかなり変わる。仕事への感謝の気持ちを伝えるとか、ねぎらうだけでもよい。もし体調が悪化したときはすぐにケアを考えるのがよい。そうしたフォローがないときに、部下の精神的苦痛が増してグレーが黒になることは十分にありうる。叱責の場合もフォローが大事である。叱責されれば誰でも精神的苦痛を受ける。そんなとき叱責のあとで上司から、例えば「君に期待してるんだから」とか「こういうミスから学ぶことが大切だよ」というような一言とか、リカバリーの機会を与え、うまくいったら評価するなどが大切だ。このフォローは、パワハラ3要件の精神的苦痛に関係している。フォローによって精神的苦痛が和らぎ、要件に該当しなくなるということになる。あるいは職場環境が害されるという要件に当たらなくなるということもあるだろう。教育指導のときの線引きはどこにこの判断基準を具体的に当てはめてみよう。部下を教育指導する場面と、部下がミスをしたときなどの叱責の場面で考えてみる。言うまでもなく、経営者や管理職にとって部下を教育指導するのは大事な仕事のひとつである。昔は徒弟制度のような仕組みがあって、弟子は親方の仕事を横で見ながら仕事を覚えた。今は見て覚えろとはなかなかいかないが、経営者や管理職が部下に仕事を教える機会は多い。そんなときに上司としての言動が「パワハラで違法です」などと言われたら、こわくて教育指導ができなくなる。では、パワハラかそうでないか、その線引きはどうしたらよいか。判断基準で考えてみよう。まず必要性である。この点はまず問題がないだろう。教育そのものの必要性は会社では当然のことだからである。問題は言動の態様である。この行き過ぎはアウトになる可能性が高い。まず傾向タイプとして鬼コーチ型はあぶない。自分もこうやって育てられたとばかりにガンガンしごく。これは言動の態様として相当性を超える。新入社員の行き過ぎた研修が問題になったことがあったが、第1章で挙げた大学4年の
男子学生が就職の内定している会社の人事課長からパワハラを受け、入社前に自殺したケースもそのひとつである。教育指導をしているときに部下がなかなか内容を飲み込めないことで腹を立てて怒鳴ったり、あげくは物を投げたりすることも起こる。この場合もアウトである。叱責のときの線引きはどこにグレーゾーンが最も多く発生するのは、上司から部下への叱責だろう。叱責はどうしても感情が伴う。思わずカッとなるのは部下が何かミスをしたときが最も多いだろう。判決例を見ても叱責時のパワハラケースが圧倒的に多い。他方で部下を育てるのに叱責は必要である。叱られなければ部下は育たない。叱られることによって、部下は自分のミスの重大さとどうすれば再発しないかを考えるきっかけになる。中にはパワハラになるのがこわいので叱らない上司もいる。もちろん叱らなければそもそもパワハラにはならない。しかしそれでは部下は育たない。叱らなければその部下は同じミスを繰り返すだろう。叱るべきときには叱らなければ部下のためにもならない。叱るとしてもニコニコしながら叱れば部下の精神的苦痛は伴わない。しかしそれでは叱責にならない。部下から軽く見られるのがオチだ。叱責を判断基準に当てはめてみよう。必要性はここでも問題はない。叱責の原因となるミスなどの問題行動があったのだから必要性はある。ただし、叱責の原因となるミスが実はその部下の責任ではなかったという場合は叱責の必要性はなかったのだから、ミスの原因を十分に確認しないまま間違ってその部下を叱責したことになり、パワハラになる。叱責の場合は言うまでもなく言動の態様がポイントである。まず暴力は一発レッド・カードである。それどころか、懲戒解雇という会社からの退場処分を受けることもある。人格否定発言もアウトである。叱るときに感情的になるとついついこのような発言が出てしまうので要注意である。ほかの社員のいる前での叱責も、見せしめの公開処刑なのでよくない。ほめるのは人前で、叱るのは1対1でというのは、時と場合によるがよく言われる原則である。では、どうしたらパワハラにならない叱り方ができるだろうか。部下の叱り方5原則管理職は社内研修で部下の叱り方を学ぶことが多いだろう。経営者も社員の叱り方の研修を受けることがあるかもしれない。いずれにしても、このときはこう叱ればよいというようなマニュアルはない。それよりも叱り方のポイントを知っておけばよい。ここで弁護士が教える部下の叱り方5原則をお伝えしよう。それはこの5つである。
①叱責の原因である事実に間違いはないか②叱責の原因に対する弁明を聞いているか③叱責の態様に行き過ぎはないか④叱責が社員間の公平を欠いていないか⑤叱責がペナルティを伴うときに過大になっていないか①は、叱責の原因である部下のミスという事実に間違いがないかどうか、十分確かめたかということである。不十分な情報をもとに誤った原因で叱責することは「冤罪」になるおそれがある。②はその部下から言い分を聞くということである。誰にでも弁明したいことはある。これを聞かないことは叱責の前提を欠く。ちなみに弁護士のことを、「有料言い訳代行業」と言った人がいたが、たしかにそういう面はある。③は怒鳴る、机を叩くなどの威圧的な言動をしないということである。長時間の叱責もここに含まれる。④は同じミスをしているのに別の部下はおとがめなしなのに、その部下には厳しく叱責するというような不公平な扱いをしないということである。⑤は部下のミスに対して当面その仕事の担当からはずすという程度は特に問題はないが、それ以外に何らかのペナルティを与えるときにそれが行き過ぎないようにするということである。判決例には、販売目標を達成できなかった美容部員にコスプレをさせて研修に参加させたというものがある。私はパワハラ研修でこの5原則を説明するときに、子どものいる参加者には家で子どもを叱るときに当てはめて理解してもらっている。子どもを叱るときに、①子どもがしたということが間違いないか、②子どもの言い分を聞いているか、③体罰を加えたりしていないか、④兄弟姉妹でいつもひとりだけを叱るということはないか、⑤罰として行き過ぎはないか、である。こう説明するとたいていわかってもらえる。部下が喜んで過大な業務をするとき例えば、ある上司が部下に、「あすまでに100ページの報告書を仕上げてくれ」と指示したとする。この仕事量はどう見ても過大である。部下は「そんなの無理です」と言いかけたが、これを他の同僚ではなくわざわざ自分にやれということは、上司が自分にチャンスを与えてくれたのだと思って、徹夜で仕上げて翌朝、「できました!」と持ってきた。上司は、「よくやったな。ごくろうさん」と喜び、部下は「チャンスを与えてくださってありがとうございました!」と言う。ドラマにありそうな熱血ストーリーだ。おそらく誰もが経験しているように、上司からボロクソに言われたり、無茶な仕事を指示されたりしたときでも、これが自分を鍛えるため、自分にチャンスを与えてくれるためと思えば苦痛には感じない。そのようなときは、その仕事を、苦痛どころか喜んでやるだろう。このような場合は、パワハラ3要件のうち、第3要件である平均的労働者を基準とした
精神的苦痛がないからパワハラにはならないということになる。ただ、いくら部下が精神的苦痛を感じないと言っても限界がある。また部下が喜んで仕事をしたと言っても、本当に喜んで仕事をしたか疑わしいときもある。つまり、部下が「こんな難しい仕事を任せていただいてありがとうございます」と口で言っても、実際には精神的苦痛や身体的苦痛を受けていることがあるということだ。この場合は、その部下の真意はどうかという解釈になる。口で言っていることが必ずしも真意とは限らない。ましてや上司には本当の気持ちが言えないということはいくらでもある。このような場合は、いくら部下が口では「ありがとうございます」と言ってもパワハラになる。実際に、スポーツの世界ではこのようなことはよくあるだろう。野球部のコーチが守備で何度もエラーをする部員を鍛えようとして何時間もノックの雨を降らせる。その部員は最後は倒れてしまうが、コーチに、「ありがとうございました!」と感謝する。この部員は、コーチに「こんなにノックを受けさせるのは行き過ぎです」とはとても言えない。しかし実際には精神的苦痛を受けているのである。部下との共通認識部下を育てるために厳しく教育指導したいが、取り方によってパワハラととらえられては困るという場合に、最もよい方法は部下にその指導が自分を鍛えるためであると理解させることである。それは、スポーツの世界で、厳しいトレーニングをコーチから命じられても、自分を強くしてくれるためと思ってそのトレーニングに励むのと同じである。ただ、部下が自分のためなのだと理解するためには、上司の側だけが思っているだけでは伝わらない。「黙っていてもわかるだろう」ではだめである。上司の指導が部下を育てるためであることについて、部下としっかり共通認識を持つことが必要である。もちろん限度はあるが、このような共通認識があれば、部下は喜んで仕事をするだろうし、精神的苦痛がないのでパワハラにもならないだろう。良好な人間関係とコミュニケーションの意味どんなパワハラ研修でも一番初めに言われるのは、部下との良好な人間関係とコミュニケーションが必要だということだろう。これもパワハラ3要件のうちの第3要件である精神的苦痛に関連する。部下が上司の指示指導の意図を知れば、その指示指導がある程度過大なものであっても、精神的苦痛を感じずに仕事をすることが期待できる。上司と部下との良好な人間関係とコミュニケーションというのはパワハラ要件から見ると、このような意味がある。
コメント