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特別対談 山口周×杉山恒太郎

特別対談山口周×杉山恒太郎

プロボノの大きな意味杉山まず山口くんに話を深めてもらいたいのは、プロボノのこと。本文にも書いたけれど、新型コロナウイルスの影響を受けて、銀座の街が本当に大変なことになった。第一回目の緊急事態宣言の頃は、日本で一番のゴーストタウンになっていたと思うよ。生活のない街だし、本当に人っ子一人いなかったからね。僕もライトパブリシティに移籍して一〇年、銀座で暮らしている中で老舗の旦那衆と呼ばれる若い経営者たちとも友情みたいなのが芽生えていたし、皆さんもさすがに戸惑っていた。その姿を見て、何かサポートしてあげられないものかと思ったんだ。ライトにとって銀座の街は七〇年お世話になっているホームタウンそのものだしね。それで考えていくうちに、「そうだ、デザインなら彼らに無償で提供することができる」と気づいた。そこで、若い旦那衆何人かに会社まで来てもらって、半年間、二〇二〇年の暮れぐらいまで、一切無償でデザインのサポートをするので、何でもいってほしいと伝えた。たとえば当時、多くの店が料理のテイクアウトを始めて、写真を外に貼っていたけれど、やっぱり素人の写真だからあまり美味しそうに見えない。文字の使い方もそう。でも、われわれだったらもう少し美味しく見えるようにできる。そういう小さなことから始まって、最終的に「おかえりGINZA」という元気の出る!キャンペーンをやろうということになった。西洋だと、何かの「宣言」はだいたい旗だけれど、この街・銀座は「暖簾」だろうと考え、「暖簾」をメディア化して、「おかえりGINZA」という新ロゴをデザインして、それぞれの店先で展開してもらった。それがあっという間に「うちも、ぜひ!」と六〇店舗ぐらいに広がって、みんなすごく喜んでくれて、単純に恩返しできたかなぁという気持ちもあったけれど、何よりも嬉しかったのは、「おかえりGINZA」に関わったライトパブリシティの若い子たちが喜んで取り組んで、それでみるみる成長していく姿を目の当たりにしたこと。そうだ、これこそが「プロボノ」の真の意義なんだと実感できたわけ。街の人たちの久しぶりに見る笑顔にも感動したし、自分たちが持っている職能・技術をこういう形で提供できたという達成感も感じたけれど、何より、関わったライトの若者たちがプロボノを体験して、一回りも二回りも大きくなっていく姿には目を見張ったよ。そういう個々の成長は、われわれの本業にもつながっていくしね。で、このプロボノの経験って、山口くんもよく書いている「利他」「贈与」「コモン」ということにも通底しているなと、後から少しずつ気づいていった。そこで、山口くんにこの部分のお話をうかがいたいというのが、この対談の主旨です。山口プロボノを通じて若い人が成長したということですが、ここで杉山さんがおっしゃっている「成長」って、どういう方向の成長なんですか?スキルの話じゃないんですよね?杉山スキルというより、なかなか数値化できない自信とか、いい意味での自負の部分かな。あと、われわれは直接、ものを売っているわけではないから、お客さんのリアルな喜びに接することがない。「賞」という褒められる仕組みはあっても、基本、メディアを通しての反応しかわからない。なので、普段歩いている街の店先で「ありがとう」とか「勇気をもらった」とかいってもらえて、フィジカルな反応を受けることがすごく重要だと思った。加えて、それこそ資本主義の話になっちゃうけれど、何もかもを商品化される世界で、僕たちの時間もお金に換算されてしまう。ところが、無償のプロボノが時間をお金から解放してくれて、自分の時間が手に入る。そこで、自分なりのデザインやコピーなど、新しい表現ができる。そうすると、結果的には技術もぐっと上がるよね。まあ、僕から見ると、イニシエーションを終えた少年が大人になったというような実感を得られたことが一番嬉しかったかな。

伝えるべきものを伝えることができる喜び山口今回の杉山さんの本って、広告が担える希望についてのお話だと思うんです。広告は伝える側の伝える技術だけで成立しうるものではないと、僕は思っています。今、広告はあまり元気がないといわれているけれど、それはなぜなのか?あらためて振り返ってみると、日本がすごく元気だった時代、広告がすごく元気だった時代というのは、伝える技術を持っている人がいる、という以前に「伝えるべき何か」を持っている人がいたというのが重要だと思うんです。広告が元気になるためには「伝える技術を持っている人」と「伝えるべき何かを持っている人」が出会わなくてはならない。ライトの若い子がプロボノによって、エネルギーが充填されたというのは、「伝えるべき何か」を伝えることができた、広告が担える希望を再確認できたということも大きいのではないでしょうか。伝えるべき何かというのは、広告会社は作れないですよね?伝えるべき何かを持っている人がいて、一方で、それを伝えてほしいという人もいる。世の中がそういう状況にないと、いくら伝える技術を持っている人がいても、うまく機能しない。ここに広告会社のジレンマがあると思います。僕も電通にいたときに「この広告、本当に世の中に出しちゃうの?」という経験を何度もしていますからね。杉山多いよね(笑)。山口広告に限らず、すべてのビジネスは時間の経過とともに無意味化する宿命を負っていると思うんですね。たとえば高度経済成長の時代であれば、それまで真冬の寒い日に手を悴ませながらタライで洗濯していた人に対して「これからは電気洗濯機で洗濯できるようになりますよ」と伝える仕事に、人は大きな意味を感じていたと思います。それに対して、今みたいに本質的な問題解決にならないような商品が増えてくると、そこに携わっている人の精神を健康な状態に保つのはとても難しいと思います。この問題は今になってものすごく大きくなっていますけれど、昔から存在しています。たとえば、杉山登志さんなんかも、精神が崩壊する寸前のギリギリのところでCM制作をやられていたと思うんです。大量生産、大量消費社会の中で、あってもなくてもどうでもいい、むしろないほうがいいようなものを世の中に押し込むためのお先棒を担いでいることに対して自己破綻を感じていたと思うんですよ。話を戻すと、「伝える技術を持っている人」は、「伝えるべき何か」に飢えていると思うんです。広告やデザインに関わる経営者の仕事は、その「伝えるべき何か」を持っている人を見つけてきて、それを「伝える技術を持っている人」に回してあげることじゃないかと思うんです。杉山さんがプロボノでやられたのは、たぶんそれだと思うんですよね。杉山広告にお金を払っているのはクライアントで、広告を作っているのはわれわれだけれど、世の中に出た瞬間に広告は公共物に変わる。公共物によって、たとえば子供がいやな気持ちになったり、乱暴な気持ちになったりするのは非常にまずい。そんな広告は出さないようにしようと、口酸っぱく話しています。だから、クライアントがチェックしてOKを出した広告でもダメ出しをすることがある。「ダメ。これは外には出せない」というと、びっくりするわけだよ。山口クライアントがOKといっているのに?と。杉山でも、いかにダメかを説明して、やり直せというと、最初はびっくりするけれど、むしろ喜ぶよね。クライアントに縛られている状態から少し解放されて、「そうか、もっとやっていいんだ」となる。先ほどの、時間すら商品にされている世の中で、自分の時間というものがあるんだって気づかせるのと一緒でさ。クライアントはOKだけれど「それはダメなんだよ」ということで、縮こまっている心が少し開くじゃない。開かれた状態でこそ、人は幸せや喜びを感じるから、そういうふうにしてあげる。心が萎縮して固まってしまうと、何が何だか自分でもわからなくなっちゃうから。

プロ化の危険性、アマチュアイズムの重要性山口杉山さんは、四〇過ぎまで、広告の仕事にある種の戸惑いを持たれていたというか、ど真ん中にいる感じがしなかったと、どこかでおっしゃっていましたよね。でも側から見ていると、ずっとど真ん中で仕事をしてこられたように見えますよね。だって入社数年で「ピッカピカの一年生」をやられたわけですから。杉山うん、数年経ってなかったね。山口そうですよね。だけど四〇歳になるまで、据わりの悪さみたいなことを感じられていた。一方、今の若い子が、入ってすぐに広告業界の人しか知らないようなジャーゴン(専門用語)を使ってイキがっているのを見て、ダメだと思うとも書かれていた。表現が難しいんですけれど、仕事って時間が経てば経つほど枠組みがかっちりできあがって不自由になっていきますよね。たとえば、杉山さんがラジオCMを始められた頃って、コピーライターやCMプランナーっていう職種は存在していたんですか?杉山コピーライターという言葉はあったけれど、CMプランナーはなかった。コピーライターは、広告代理店の中でもちょっとインテリで、本来は小説や詩を書きたいという雰囲気を醸している人たちだったのね。だからラジオやテレビのコピーは書いてくれない。新聞や雑誌など紙媒体専門。テレビのコピーみたいにダジャレをかましたりする、インテリジェンスの対極にあるような仕事はしない。だから「ピッカピカ」も「セブンイレブンいい気分」も、コピーライターがやってくれないから、仕方なく自分でこさえたんだよ。山口なるほど。今回の杉山さんの原稿を読んで、「プロ化の危険性」みたいなことを感じたんです。今だったら、たとえば「CMプランナーの仕事はここまで、ここから先はアートの仕事」とかって分かれていますよね。でも本来、広告やコミュニケーションの仕事って、CMプランナーがアートの仕事をやったって構わないはずです。佐藤雅彦さんなんてまさにそうでしたよね。全部自分でやっちゃう。みんなアイデンティティが曖昧な状況は怖いので自分を何らかの職種で名付けたがる、つまり「プロ化」したがるわけですが、「名付け」というのは非常に危険ですよね。自分の職種を手垢のついた言葉で名付けてしまうことで思考の可動域も行動の可動域も両方狭めてしまう恐れがある。杉山さんの今回の原稿やこれまでのご著書を読んでいると、いい意味でアマチュアイズムがあると感じます。杉山アマチュアとはプロになれない人をいうのではなくて、プロになりたくない人のことをいうんだ。話が錯綜しちゃうかもしれないけれど、アマチュアといっても素人ではないのよ。プロのアマチュアなんだね(笑)。山口そうそう。杉山僕はそれがすごくいいと思っている。良くないのは「えせプロ」。山口素人なのに言葉や振る舞いはプロみたいな感じ、プロのアマチュアか(笑)。杉山これはもう複雑だと思う。たとえば、寿司屋に行ってガリくれとか、ムラサキとかギョクって言うの、昔の寿司職人は本気で怒ったのよ。「素人がそんな隠語を使うんじゃねぇ」って。横で若い子が、こういう隠語というか符牒を使っているのは聞くと、こっちが恥ずかしくなってしまう。ちゃんと「ショウガ」といえ、「お醬油」といえ、「卵」といえ、何が「ギョク」だ、みたいな(笑)。そういう行儀を弁えないのが「えせプロ」でしょ(笑)。

知らないことが武器になる――ネガティブ・アドバンテージ山口最近、市場調査とかマーケティングが破綻してきていると思うんですよ。方法論として無効化されている。僕も電通時代に散々やりましたけれど。今、存在感がある会社って二〇世紀のマーケティングのセオリーからすると説明がつかないようなことをやっていると思うんです。たとえばテスラという会社がありますね。テスラは二〇〇三年創業で、当時から「化石燃料依存を終わらせる」というビジョンを掲げて電気自動車をやるといっていました。でも、あの当時に市場調査をやっても、電気自動車に対するニーズなんて、絶対に出てこないはずなんですね。だからそれで資金調達しようとしても、誰も投資しなかったんで、イーロン・マスクは自分のお金で始めたわけです。同じようなことがグーグルにもいえます。彼らは、創業当初から「世界中の情報を整理して誰もがアクセスできるようにする」といっていたけれど、そんなのは本当に余計なお世話で、市場調査をやっても絶対に出てこないニーズですよね。だからグーグルって、最初の資金調達に成功するまでに三五〇回断られているんです。当然ですよね。だって、当時ヤフーやインフォシークなど検索エンジンはたくさんあって、それなりに便利で、みんな満足して使っていたわけですよ。「顧客のペインをつかめ」とか、「市場のニーズの大きさを把握しろ」とかいう、教科書に書かれているようなマーケティング的なセオリーからいったら、「世界中の情報を整理し尽くします」なんて「いや、それ、誰が困ってんの?」という話ですよね(笑)。ただ、結果的に見ると、顧客のペインをちゃんとつかんでスタートした事業って、そんなに大きくなってないんですね。杉山グーグルの「世界の知の、再構成を目指す」という概念には、かっこいいこといい出すなぁと思った。あのスタンフォード大の美術館でのグーグルのパーティー「時代精神(ツァイトガイスト)」に参加した、今振り返るとめずらしい日本人なんだよ、僕はね。山口創業当初のグーグルはとてもエレガントに見えましたね。彼らはインターネットの検索エンジンというのは一種の権力だと思っているわけですね。テクノクラートとして、どういう情報を出して、どういう情報を出さないかという操作ができますから。しかし本来、より多くの人たちからいい情報だといわれている情報ほど、いい情報のはずです。そこで彼らは、他のページから張られているリンクの数が多ければ多いほど価値の高い情報だと考えた。内側で動いているロジックや考え方は非常にエレガントだと思うんですが、ベンチャーキャピタルから見たときには「何をしたいんだ、君たちは」「どういうマーケットのニーズがあるのか」となる。しかも、当時のインターネットの常識からしたら、人が集まるゲートのところには、バナーを貼ったり、レクタングルを置いたり、いろいろな広告を載っけるのが当たり前でした。ところが、グーグルの入り口のページには何にもない。この人たちはいったい何を考えているんだろうって、思われたはずです。これ、何の話をしていたかというと、マーケティングの手段やスキルを知らないことがアドバンテージになっている、ということなんです。こういうことが二一世紀に入っていろんなところで起こっていると思うんです。「知らない」「スキルがない」ということが競争優位の形成につながっている。このことを僕は「ネガティブ・アドバンテージ」といっています。逆にいうと「ポジティブ・ディスアドバンテージ」でしょうか。このように、知っていることそのものが、ディスアドバンテージになる時代がやってきたような気がしています。GAFAの創業者の平均年齢って二四歳ですからね。フェイスブックのマーク・ザッカーバーグが一九歳、アップルのスティーブ・ジョブズが二一歳、グーグルのセルゲイ・ブリンとラリー・ペイジが二五歳、で、ジェフ・ベゾスが一番歳食ってて三一歳です。杉山ビル・ゲイツはもっと若いんだよな。山口ビル・ゲイツは一九歳です。だからGAFAMとして、M(マイクロソフト)を入れると、平均年齢は二三歳になります。二三歳ということは日本の会社でいうと新入社員ということです。つまり、今の状況をありていに説明すれば、新入社員の作った会社が世界中で五〇~六〇代のベテランが経営する会社をブンブン振り回している、ということなんです。一方で、現実がこういう状況であるにもかかわらず、日本の会社の人事制度運用は昭和のときから変わらず、新卒一括採用で採用された二三歳の若者たちは非管理職等級の一番下に無条件に組み入れられてコピーを取ったり議事録を取ったりという仕事をさせられて過ごしています。二〇代というのは本来、最も爆発的なアイデアを出す能力を持った年代層なんですけれど、そういう年代の人に、上の世代の人がやってきた仕事のやり方、その前提になるものの考え方を一生懸命インストールしようとしているわけです。今、いわゆるユニコーンといわれる企業の創業者の創業時の年齢を調べてみると、二〇代の後半から三〇代の前半にピークが来ます。これ、面白いのがほぼ明治維新で活躍した人物の年齢構成と同じなんですよ。たとえば坂本龍馬が新国家の草案である「船中八策」を書いたとされるのは三〇歳のときです。同じタイミングで伊藤博文や陸奥宗光はまだ二〇代です。最も歳を食っているのが勝海舟とかでこれが四〇代の前半。彼らも完全なネガティブ・アドバンテージの保有者たちです。行政を担ったような経験はまったくない、完全なアマチュアですからね。

つまらない広告だからクレームが来る山口杉山さんの原稿、他にも面白い言葉がいっぱいありますね。クレームが来る広告の共通項は何かといったら、とにかくつまらない、共感できないと。杉山島根で行われた、いわゆる全広連的な、テレビの大会だったかな。各テレビ局がみんな集まってくるようなのね。主旨は、最近炎上やクレームを恐れてテレビコマーシャルが萎縮しているから、この問題を取り上げてスピーチしてくれといわれたの。重たいなぁ、困ったなぁと。でも待てよと。パッと気づいたのは、差別的な内容以前に面白くないこと。「皆さん、見てください。どれ一つ取っても面白くないでしょ。面白くないとき人は何をするかというと、難癖をつけたくなるんです」と。「もちろん、内容的な問題も孕んでいるんだけど、面白くないということが大きな問題なんだよ」と。そうしたら、「そんなことをいった人は初めてです。でも腑に落ちました」といってもらえた。山口すごくハッとする指摘だったと思うんですよね。杉山これはクライアントの問題もあるけれど、どちらかというと、そこに甘んじてしまう作り手、間に入っている代理店の問題だよね。さらに大きな問題は、作り手や代理店が、その広告が面白くないことに気づいていない可能性もあるところ。僕はこれだけ長くやっているからさ、「あいつはコマーシャルで作品を作っている」と謂れのない批判をされた時期がけっこうあるんだよ(笑)。山口まあ、よくわかります(笑)。杉山でも、こういうものが出たら面白いよな、こういうものが出ればこの商品に共感するよな、というCMしか作らなかったんだよね。自分の中にちゃんとマーケティングが潜んでいるんだ。「POPEYE」を作り、「BRUTUS」を作ったマガジンハウスの木滑良久さんは、「自分の中のマーケティングを信じなさい」という言葉を強くいっていた。僕は広告も同じだと思う。やっぱり、自分が面白かったり感動したりするものは、きっとみんなも同じように感動してくれるはずだと思って作らないとね。

残らないものを使って、残るものを作る山口電通時代、先輩と酒を飲んでいるときに、広告という仕事が本来的に持つある種のむなしさに対するニヒリスティックな自虐をいわれたことがあります。「俺たちの仕事は所詮残らないから」と。そのときには、まあ、そりゃそうだよなと思ったんですね。「クライアントの商品は残す。でも広告はキャンペーンが終わったら消えていく。それでいいと思わないといけない」って。でもね、一〇年ほど前に気づいたんですけれど、商品は消えていっているのに、残っている広告はたくさんあるんですね。それは主に二つのレイヤーがあって、一つはわかりやすくいうと、表現物のフォーマットの考え方といったものです。そういう思考ってずっと残るんですよ。たとえば「ピッカピカの一年生」のフォーマット。あの時期に、フィルムを使わずビデオを使って全国を行脚する。CM制作予算が潤沢になくても撮れる。加えて、あのCMがすぐれているのは、コンテンツがある意味自動生成されること。情報を扱う仕事で何が難しいかというと「情報は変わらない」ということですよね。だからハムラビ法典や旧約聖書は何千年も前の情報なのに今でも当時と同じ内容で読めるわけです。ところが人は変わらないものに惹きつけられないので、これを人為的に変えようとする。そこにいろんな労力やコストがかかるわけですけれど、「ピッカピカの一年生」のフォーマットを使うとそれがとても効率的にできる。毎年1年生の子供が新たに出てくるし地域差もある。こういうフォーマットのアイデア、思考の切り口というのは残り続けるわけです。杉山先ほど、僕が若い頃のコピーライターは文学志向が強いといったよね。彼らはどれだけ魅力的な形容詞を作れるかとか、どれだけ修飾語を知っているかという部分で競っていた。そういう世界も嫌いではないけれど、僕はクリエイティブの枠組みを作ることが、すごく面白いと思っていた。だから「セブンイレブン、いい気分。あいててよかった!」というフレーミングを作るのもクリエイティブだと思ったし、「ピッカピカの一年生」についても、今、自動生成といってくれたけど、そのあと後輩たちが何人も代わって、二〇年近く続けてくれたし、今また復活しているしね。山口そうですよね。ただ、表面的なレベルでの踏襲に留まっていて、自分の教え方を伝えきれなかった、足りなかったんじゃないかとおっしゃっていましたけれど。杉山そう。あれはかわいい素朴な子供が出てくるCMじゃなくてアンファン・テリブルのCMです。そこをきちんと後輩たちに説明しなかった。反省してるんだよ、実はね。山口そこを思想として受け取ったのは、佐藤雅彦さんだったと思うんですよね。あの人は天才なんで。杉山そう、彼は二年間、僕の下にいてさっさと出ていった(笑)。佐藤雅彦といえば、当時僕は彼をまーちゃんと呼んでいたんだけれど、SP局からの異動でクリエイティブ局に天才がやって来る、さて誰が面倒見るんだとちょっとした騒ぎになっていて、結局僕に白羽の矢が立った。扱いの面倒そうな若者はこうしていつも僕にあてがわれていて、今だったら軽いいじめ(笑)。そして初日にまーちゃんに、僕はこういったんだよ。「君はこれからすべて初めてのことをするんだね、羨ましい!」と。映画でも本でも、えっ、まだ観てないの、読んでないの!じゃこれから「初めて」なんだ、ああ羨ましい!彼はとても賢いからこの言葉の意味することをすぐに察知して、瞬く間に、臆することなく自分のやり方で進んでいった。結果は皆さん知っての通り、大スター誕生だ。山口まさにネガティブ・アドバンテージですね。「作り方を作る」と、佐藤さんはずっといっています。表現物のフォーマットの思考を受け取られていたわけですね。それを彼は慶應や藝大で教えたりして、拡大再生産されています。杉山それが一つ目ね。山口はい。で、二つ目は非常に単純な話で、表現物として残る。たとえば石岡瑛子さんの表現とか、坂本龍一さんの作ったパルコのCM音楽とかですね。異論はあると思うんですけれど、僕にとって坂本龍一さんの最高傑作は、一連のパルコのCMの音楽なんです。杉山なるほど。山口もちろん、今でも素晴らしい曲を書かれていて、それぞれの時代ならではの素晴らしい表現があります。今は枯淡の味わいみたいな感じになってきていますね。杉山そういう意味では、今、残りそうなものあるかなぁ。山口そうです。だから、残るものと残らないものの関係性の認識を、アップデートする必要があると思っています。「あらゆる職業はパブリックサービスである」というチョン・モンジュンの言葉を引かれていましたよね。杉山うん。国際社会で生きている人はこういうふうにものを考えるんだと思ってさ、かっこいいし、脱帽、スマートだよね。山口これは非常に勇気を与える言葉だと思います。杉山こんな人と二〇〇二年ワールドカップの招致を争っても勝てそうもないなと一瞬に思ったよ。知的レベルが違いすぎる(笑)。山口いやいや、負けてないと思いますけれど。広告のような一種の情報を世の中に出す仕事は、一歩間違えると暴力になると僕は思っています。残らないものを使って、残るものを作っていく。残らないものというと、クライアントに対して失礼なんですが(笑)、商品は必ずいつか消えていくけれど、その情報を世の中に出したことで起こった変化というのは、取り返しがつかない、不可逆な変化を世の中に起こしてしまう。先ほど杉山さんが、子供に悪影響を与えるようなものを作るなとおっしゃっていましたが、本当にその通りだと思います。だから、広告に関わっている人は、そこはあまりシラケないでほしいなと。僕もずいぶんと、広告に教育されたという感覚があります。サントリーローヤルの「ランボー」もそうですし、ローヤルではマーラーの「大地の歌」も使っていましたよね?あのとき、マーラーってまだあまり聴かれていなかったような……。杉山そう。あれでマーラーがけっこうブームになって、レコード屋さんのいい場所に置かれるようになったし、同じくローヤルのガウディ編を見て、バルセロナへの旅行客がどばっと増えたといわれた。山口今見ても、ナレーション*を含めて、何かとてつもないものを見てしまったという感覚があります。*コピーは長沢岳夫さん。

中国の広告の難しさ山口「『中国の美』ブランド腐心商品広告巡るSNS炎上、中国で相次ぐ」(日本経済新聞、二〇二二年三月一三日)という記事で読んだのですが、中国では今、コミュニケーションが腫れ物に触るような状況になっていますね。ある中国企業が、一重まぶたで目のつり上がった中国人のモデルをポスターに起用したら大炎上してしまった。いわゆる中国的な美というものを賞揚したつもりだったのに、中国へのステロタイプな偏見だと捉えられてしまったんです。中国の消費者向けに中国人のモデルを使って中国人が制作したにもかかわらず。今中国では、中国人を賞揚するつもりで中国的なコンテンツを使うと「馬鹿にしてるのか」といわれ、西洋人を使うと「中国人は醜いから西洋人しか使えないということか」といわれて、もうどうしようもないと。杉山そういう困難って、広告に一番現れちゃうよね。広告は表現だけれど、ビジネスだからです。山口これがアートだったら、表現の自由ということで、最後は防御壁を張れるんですけれどね。不買運動とかを起こされると折れるしかない。記事に書かれていたのは、そういうことを積極的に見つけて攻撃して炎上させて落城させるということをやっているのは、中国の中でも二〇〇万人ぐらいの、ごく一部の人たちなんだそうですね。一〇億人以上の中の二〇〇万人なので、もう極めてエクストリームな、ある意味で変わった人たちなんだけれども、SNSで集中攻撃をされてしまうと、ブランドとしては無視するわけにもいかないと。今後、日本が中国のようになるかはわかりませんが、先ほど杉山さんがおっしゃった通り、何らかのテクニックやフォーマットに安易に乗っかったり、則ったりした表現物ではなく、本質的な意味でクオリティの高いものを作って、「あっ、いいものを見ちゃった」と思わせるレベルまで持っていく必要があると感じます。今は、すごくハードルが高くなっていますよね。

杉山さんはフォレスト・ガンプ?山口杉山さんを見ていると、素敵な物事に本能的に身を寄せていく、ある種の動物的な嗅覚というか、本能があるような気がします。たとえば一九六八~六九年にパリに行かれているでしょう。あの前後五〇年間で、いつパリで一年を過ごすのがベストかといえば、たぶんあの年なんですよ。杉山もう編集長を卒業したけれど、「BRUTUS」の西田善太がね、恒太郎さんの話を聞いていると、あまりにもいろいろな場所にそのときにいたから、最初、少し眉唾だと思ったと(笑)。山口しかるべきタイミングに、しかるべき場所にいる、というのは「人生の達人」の共通要件だという気がしますね。たとえばチャーチルは一九二九年一〇月二四日、まさに世界恐慌がニューヨークで発生したその瞬間に、ニューヨーク証券取引所を訪れています。アンディ・ウォーホルはインタビュアーから「成功の秘訣は?」と聞かれて「しかるべきタイミングに、しかるべき場所にいること」と答えています。杉山さん、浮谷東次郎の伝説のレースも見てるでしょ(笑)。杉山そう。浮谷東次郎と生沢徹のデッドヒートって、たぶんいまだに日本最高のレースだと思うけれど。船橋サーキットでね。そういう話をしてたら、最後、「フォレスト・ガンプ」といわれ出したの(笑)。山口ビートルズも見に行ってました?杉山ビートルズは行っていない。ストーンズに義理立てした(笑)。見逃すこともあるんだよ。ロンドンでクリームは聴いているけどね。生クリームかって、よくいわれるんだ(笑)。山口決定的な場所に決定的なタイミングでいるという。それ、どうやったらできるんですか?杉山偶然だね。山口偶然なんですか?杉山三島由紀夫の割腹自殺のときは、正面の小さなビルの屋上でずっと見てたの。あれも偶然なんだよね。山口ヨーロッパから帰ってきてすぐですよね、一九七〇年だから。杉山お金がないから、三島由紀夫の初版本を学芸大の古本屋に売りに行ったの。そうしたらそこでラジオからニュースが流れて、友達と二人で、ものすごい勢いで駆けて市谷まで行って、正面のビルの上までダーッと駆け上がって、ジーッと見てた。そのあとは、あの辺りには立ち入れなかったよね。山口やはり運が大事ということなのかなあ。杉山さんご本人からすれば「俺もいろいろつらいこともあった」といいたいと思うんですけれど、人生ゲームでサイコロを振ったら六が出たと、次もまた六が出たというふうに、側から見ているといいことしか起きない感じに見えますね(笑)。杉山そう見ていただけるのはありがたいことだけどね(笑)。

本物の噓をつけ山口うーん、でも「秘訣は何ですか?」「運だよ」で済んじゃうと途方に暮れるしかないので、もう少し踏み込んで考えてみるとですね、いろいろないいものをたくさん見てきているので嗅覚が上がる、というのはあるんじゃないですか?そうすると、またいいものを見つけて、味わうことができる。その繰り返しではないのかな、と。これは食事や旅行、場合によっては異性関係もそうだと思うんですが、いいものだけを見続けると、鼻が利くようになる。村上春樹さんが「村上さんのところ」という人生相談みたいなコーナーをやられていて、そこに面白い回答があったんです。「小説は何の役に立つんですか」というような質問に対して、村上さんはこう答えます。「小説の優れた点は、読んでいるうちに、『噓を検証する能力』が身についてくることです。小説というのはもともとが噓の集積みたいなものですから、長いあいだ小説を読んでいると、何が実のない噓で、何が実のある噓であるかを見分ける能力が自然に身についてきます。これはなかなか役に立ちます。実のある噓には、目に見える真実以上の真実が含まれていますから」煙に巻くような回答なんですけれど、なんとなくわかります。人の心をつかむ本物の噓がどういうものか本能的につかめるようになると、偽物が来たときに弾き返せるようになるし、人の心を打つ本物を自分でも作れるようになる。それはとても有用なことなんですよ、と。さすが村上春樹さんはいいことをおっしゃるなと思ったんですね。杉山野口整体の野口晴哉に『躾の時期』って本があって、僕、後輩たちに子供が生まれるといつもそれを贈ってあげていた。いくつもすごい箴言があるんだけれど、その中に「噓の中には新しい智恵がある。豊富な空想がある」というのがある。まさにクリエイティブの基本(笑)。子供が噓をついたときに、ワーッて叱ったら、そこで終わっちゃう。想像力の羽根は二度と生えてこず、じゃない?山口本物の噓をつけって(笑)。杉山おまえも噓つきが始まったな。だったら本物の噓つきになれよと(笑)。山口クリエイションには想像力がいりますからね。杉山そう。クリエイティブは噓だからね。こういうと勘違いされて、「杉山さんがそんなずるい人と思いませんでした」なんて真っ直ぐにいわれて、「おまえ、そんな幼稚なこというなよ」って(笑)。どれだけ上手に良質な噓がつけるかが大事なんだけれど、なかなか通じなくて、マジ叱責を受けることがあるんだ。つらいぜ、そういうときは。

絵が好きな子供だった山口杉山さんは、高校では熱血サッカー少年だったということですけれど、子供のときから映画や小説、絵や音楽などの表現物はお好きだったんですか?杉山僕はずっと絵を描いていた。小学校の頃もわんぱくだったけれど、絵を描き出すと何時間も黙って描いていたので、母親が「絵を描いているときのおまえが一番好きだ」っていってたな(笑)。アトリエみたいなところにも通っていたし。ただ、中学受験をすることになって、そういう生活は終わったね。成績はそこそこ良かったと思うけれど、父親が僕のことをよくわかっていて、「こいつに厳しい競争の世界は無理だ」ということで、大学付属の立教中学に進みました。絵や音楽はずっと好きだったけどね。山口お父様かお母様にそういうご趣味があったんですか?杉山父親は比較的そういう人だったね。山口いろいろ書かれたものを読むと、杉山さんのお父様って、けっこうリベラルですよね?杉山そう。僕の名前の「恒太郎」は、高村光太郎から付けられたの。で、杉山家の長男は代々「恒」を使うので「恒太郎」。ちなみに父親は恒夫です。京都に行けば河井寛次郎のアトリエに連れて行かれたし、オーディオセットもかなり早くから自宅にあった。僕が最初に買ったレコードはプレスリーの七八回転の「ハウンドドッグ」か「ジェイルハウスロック」のどっちかだったなぁ。それをかけたら、父親からは「うるさい!」と一喝(笑)。父親はクラシックばっかり聴いていたからね。山口電通に行こうと思ったのは何でなんですか?杉山まず、毎日背広を着て会社に通うサラリーマンはいやだなと思っていたら、「背広を着なくてもサラリーマンになれるよ」って先輩が教えてくれた。それが電通のことで、幸い父親のコネもあって、入れたんだと思う。クリエイティブに配属されて、当時は築地本社の脇にあったビルに出社していた。確かにみんな背広を着ずに、いい加減な格好をしていた。最初のうちは仕事がまったくないから、だんだんいい気になって、朝、出社して、昼過ぎには(ホテル)オークラのプールで泳いでいたんだよ(笑)。山口ふざけてますね(笑)。杉山人はどんどんいい気になるからね(笑)。ある日ビーサンで出社して局長室に呼び出し食らってめちゃくちゃ怒られた。山口まあ、そのあとプールに行くわけですから、ビーサンがいいですよね(笑)。杉山その話がなぜかどこからか母親に伝わり、相当の歳になっても「おまえ、まさかサンダルで会社に行っていないだろうね」って疑われていた(笑)。まあ、そのくらい当時の会社は牧歌的だったんだよね。

東京オリンピックの衝撃杉山話が前後するけれど、僕が一六歳のときに東京オリンピックがあって、ライトパブリシティが作った一〇〇メートルダッシュのポスターがあるじゃない?あのポスターを見て、そうか、こういうものは人が作るんだと気づき、それがこの世界に入るきっかけの一つでもあってね。山口わかります、わかります。杉山だからここ(ライトパブリシティ)に声をかけてもらったとき、本当に運命を感じた。実は電通時代、ライトとは一度も仕事をしたことはなかった。もちろん、老舗の名門で、あのポスターを作った会社だということはよく知っていたけれど、むしろライバルだと思っていた。オリンピック絡みでいえば、多くの人が書いているけれど、あの閉会式の様子に、当時の一六歳がどれだけ影響を受けたか。開会式では、みんなしっかり隊列を組んで入場してきたじゃない?それが閉会式では、外国の選手がバラバラに出てきたのを見て、びっくりした。それにつられて日本人もバラバラに出てきて、ああ、世界ってこういうものなんだ!好きに生きていっていいんだと気づいたんだ。それがビーサンにつながったかどうかは別だけどさ(笑)。もうショックというか、どれだけ勇気づけられたか。僕はこれまでずっと与えられてきたばかりの人生だから、与えるほうの人生に変わらないと、いい大人にはなれないんだなと思った原点の一つかな。僕という人間をめちゃくちゃ解放させてくれた出来事であり、今に至る生き方の原点だね。山口それはテレビで見たんですか。杉山うん。山口さすがに、そのときは行ってなかったんですね(笑)。杉山あの伝説のアルゼンチン戦は駒沢でリアルで見てますよ。あの川淵(三郎)さんがヘディングで決めたゲーム。日本が勝ってアルゼンチンの選手があまりのショックで芝生にうずくまって皆泣いていた。山口亀倉雄策さんのあのポスターというのは、僕は生まれる前なので、後から見たわけですけど、子供心によく覚えています。あの真っ黒の背景。杉山あれは当時、深夜に撮影しているんだよ。黒バックというのがアイデアとしてすごいんだよね。山口強烈な印象がありますよね。杉山当時、東京で揃うストロボを全部集めたみたい。カメラマンが早崎治で、アシスタントが二人いて、二〇〇枚ぐらい撮った。その中で、全員が重ならなかった、たった一枚の奇跡的な写真なんですよ。しかも、一八回目のオリンピックにして、なんと初めて写真を使ったポスター。一七回目までは全部イラストだった。写真は、当時の先端メディアだったんだね。そういう意味でも、世界を驚かしたポスターだよね。山口先ほど、残るものと残らないものという話をしましたが、あのポスターもいろいろなものを残しましたよね。

プロボノ・エコノミーの成立山口話をプロボノに戻すと、きっかけは「日本紛争予防センター」の仕事ですよね?杉山そう。旧知の元新聞社の役員さんに、代表の瀬谷ルミ子さんを紹介された。その元役員さんが、彼女を連れて、そういうことに関心の深い企業に寄付を募りに行くんだけれど、「日本紛争予防センター」という名刺を見た瞬間に、さすがにちょっと引かれてしまうと。だから、相手がビクつかないようなネーミングにしてほしいというのが、最初の依頼だった。その瀬谷さんが、打ち合わせが始まってから三ヶ月ぐらい会えなくなって、「どこに行ってたの?」と聞いたら「ソマリアに行っていました」と写真を見せられた。こういう人が本当にいるんだと驚愕したね。だからお役に立てるならと思って、即お引き受けしました。その彼女が、会話の中で普通に「プロボノ」という言葉を使う。ボランティアの一種であることは文脈からわかったし、彼女のいる世界では当たり前に流通している言葉であることにも気づいた。プロボノは、われわれが培ってきたスキルや経験値、才能を、ときに人のためにコモンズ(共有財産)にすることかなと思った。デザインもプロボノという解釈でやるとわかりやすい。ボランティアで無償でやりますというよりも、プロボノといったほうが仕事の延長だし、違和感がないというか。だから、もちろん時間を費やすことになるけれど、喜んでできるんだよね。山口先ほどおっしゃられていましたけれど、全部がお金に換算されて取り引きされるようになると、すごく窮屈になるということですよね。いろいろなところで僕はいっていますけれど、仕事の報酬って別にお金だけじゃない。相手が喜んでいる顔や、人と知り合いになれたということも報酬になる。ヤフーの安宅和人さんの「風の谷プロジェクト」も紹介されていましたよね。コロナの影響でこの先、兼業とかパラレルワークがすごく増えてくる。要するに物理的な場を共有していない人とも仕事ができるインフラが整ってきているわけです。で、ヤフーさんが数年前に、他社に勤めながらヤフーのプロジェクトを手伝ってくれる兼業社員を募集しますというプロジェクトを始めた。おおお、さすがと思っていたんですが、気になったのは報酬額が月に五万円と、とても少なかったんですね。僕はヤフーの人事の本間浩輔さんと仲がいいので、「これ、本気でやるつもりがあるんだったら、もうちょっと出さないと厳しいんじゃないの」という話をしたら、「いや、むしろお金が欲しくて来るような人はいらない。この人と知り合いになりたいとか、このプロジェクトだったらやりがいがあるとか、金銭以外の報酬で人がどれくらい動くのかというのを見たいんだ」という。なるほどと思ったのが、安宅さんのプロジェクトには普通に雇おうとしたら数千万単位の年収を払わないと来てくれない人が、大挙して応募してきたらしいんですね。それはそうですよね、安宅さんがプロジェクトリーダーで、その安宅さんと一緒にメンバーとして働けるわけですから。ヤフーの兼業社員は別にプロボノというわけではなく、幾ばくかのお金は出るんですが、やはりみんな、お金の取り引きだけではない仕事の機会に飢えていると思います。そうすると、プロボノ・エコノミーみたいなものが成立するのではないかなと。『ビジネスの未来』でも書いたことですが、Linuxというオープンソースで作られたパソコンのOSがあります。今はアンドロイドのスマホにはすべて入っている、巨大なOSになっています。一説によると、延べ人数換算で二万人の世界中の一流プログラマーが無償で参加して作られたそうです。実はこれは完璧なプロボノなんですよね。そういう文脈で語られないんですが、全員一円の報酬ももらっていない。そういう方法で、マイクロソフトのウインドウズと並び立つようなOSを作ったわけですよね。こういうことがやりやすくなっている世の中なので、杉山さんがやられた「おかえりGINZA」――伝えるに足るものを持っている人に伝える技術を持っている人をつなげて、彼らにお金で換算される世界ではない踊り場を作ってあげたこと――に引きつけていうと、「この問題解決したい人、この指止まれ」をできる人が、この先、社会の潤滑油になっていくだろうという気がしています。一応みんな会社勤めをしていて、それで食っている。でもそれだけだと窮屈で世知辛い。だから、こっちを手伝い、そのつながりであっちも手伝いというふうに、二つ、三つのプロジェクトを掛け持ちするようになると、すごくみずみずしい社会になっていくのではないかと思いますね。

大資本からの搾取山口先ほどのLinuxって、きつい言い方をすると、ある種の搾取なんですよ。何が搾取されているかというと、大企業が搾取されているんです。Linuxの開発に加わっていたエースのハッカーたちは、実際にはマイクロソフトや、当時のシリコングラフィックスで働いている人たちなので、大企業が搾取されるというけっこう痛快な構図があったんですね。だから、やりがいのあるプロボノのプロジェクトを立ち上げると、世界中からどんどん才能が集まってくる可能性がある。そのうちバーチャル空間に集って、自動翻訳みたいなサービスも出てきて、国境や言葉の垣根もなくなっていく。「この問題はぜひ解決してあげたい」「俺はこういう能力を持っているから手伝うよ」と、わんわんわんわん世界から才能が集まってくる。人が共感できるイニシアティブや課題設定ができるリーダーが、お金を使わずにどんどんリソースを集められるような世の中がもうそこまで来ていると思うんですよね。逆に、これは企業側から見たら、とんでもない時代が来ちゃったことになる。だって、一番ターゲットになるのって電通みたいな会社です。そこそこいい額の給料をもらえるし、そこそこやっていればクビにはならないけれど、自分の全クリエイティビティと関心はこちらのプロボノプロジェクトに注いでいます、というような時代が来てしまう。杉山会社は、社員に一つのスキルをなるべく持たせないようにして、独立させないようにするじゃない?でも、プロボノをやることで個人の才能が花開くので、今まで、なるべく辞められないように、二重、三重に設けてあったはずの仕切りをあっという間に超えていくようになるよね。山口杉山さんが原稿に、クリエイティブに安易に友達を作るなと書かれていましたけれど、これもある意味そういう話だと思うんです。人が生きていくには、まずは金融資本がある程度はないといけない。でも、それだけでは足りなくて、その人のスキルや知識などの人的資本、他人からの評判や信用などの社会資本も必要です。で、クリエイティブに友達を作るな、営業に親友を作れというのは、社内での社会資本の強化につながる。もう一歩進んで、プロボノをやると何がいいかというと、会社の外側に人的資本や社会資本を作れるわけです。会社が兼業を嫌がるのは、杉山さんがおっしゃられた通りで、会社の外に人的資本や社会資本を作られると、会社の外に出ることのロスが減る(会社の外に出やすくなる)からです。逆に、会社の中にしか社会資本がない、会社の中でしか役立たない人的資本ばかり身につけている人は、会社の外に出ることでものすごく資産が目減りするので、辞めにくくなるわけですね。ただ、今の状況だと、物理的に同じ場所にいなくてもいろいろな仕事に関われるようになり、プロボノのプロジェクトにもいろいろな形で関われるようになる。そうなると、金融資本は勤めている会社がくれるけれど、人的資本と社会資本、それに加えて、心理的資本――心が健康な状態でいて、楽しさややりがいを感じられること。僕はこれが一番重要なんじゃないかと思ってます――は、社外で持つようになる。そういう人が増えると、会社の輪郭が浸透膜みたいになって、会社がフニャフニャした存在になっていくと思うんです。今まではけっこうリジッド(硬い)だったんですね。杉山逆にいうと、フニャフニャでない会社というのはもうあり得ない。おかしいんだけどさ、三〇~四〇年前の企業広告は、「不動」とか「揺るがない」ということを、いろいろな言葉に置き換えていっていたんだ。今「われわれは不動だ」なんていったら、折れそうで、柔軟性がなくてリスクそのもの(笑)。山口そういう意味では、昔の電通はけっこうフニャフニャした会社でしたね。杉山そうそう。だから電通なんか、いくらでもプロボノができると思うんだ。でも日本のサラリーマン社会って、いいことをしようとすると妬まれて、足を引っ張られるんだよね。「みんな我慢しているのに、おまえだけいいことをしていいのかよ」みたいな。山口ああ、そういうやっかみがあるんですね。杉山〝いいことをする〟のって、大きな組織の中ではかえって難しいんです。ライトパブリシティくらいのスケールだと、みんなでいいことをして、みんなで喜び、称え合えるんだけど、これが一〇〇〇人、二〇〇〇人、三〇〇〇人、一万人となると、なにかっこつけてんだよ、みたいな話になる。山口オスカー・ワイルド的にいうと「俺だって、こんなドブの中を這い回るんじゃなくて、星を見上げるような仕事をしたいんだよ」ということですよね。杉山(キョトン)

広告からデザインへ杉山本書の主要なテーマは「広告から〝公告〟へ」。「公告」は「公に告げる」ね。僕はこの国に一番欠けているのが「公(パブリック)」だと思っています。「官から民へ」って簡単にずっといわれているけれど、この「民」が「公」という概念を持っていないと、やりたい放題になるでしょ。それが一番怖い。たとえばフランスで、水道を再公営化して、水資源もコモンズ(共有地)のような形で市民が保持するという流れがある。一歩進めて、場所や資源だけでなく、スキルや考え方、経験値、才能などもコモンズのように捉えるという発想が必要かなと。繰り返すけれど、何でもかんでも商品化されることで、お金がないと何もできない、お金がない人は無力にならざるを得ない状況はいくらなんでも行きすぎだと思う。で、遍く広く伝える「広告」は、大量生産・大量消費を促すためのエンジンだった。ところが、量と規模を争うような世の中が消滅せざるを得なくなると、広告というエンジンも必要なくなる。だから、広告に元気がなくなってきたり、知的レベルが落ちてきたりしている部分があるんだけれど、「公」という概念を持つことで、広告のスキルを新たに生かせると考えているんだ。そして、その「公」のセンスというのは、プロボノをやると身につく。プロボノに取り組むことで、伝えるべき何かを、伝える技術を持つ人が伝えていくことができる。それはとても真っ当なことじゃない?一番エスカレートしていた時代は、需要がないのにたくさん供給して、広告で無理やり需要を生み出す、マーケットを作るようなことをしていたからね。そういう仕事をしていると、徒労感だけでなく、自分が消費されることになる。無理やり消費を促す仕事をしていると、恐ろしいのは自分が真っ先に消費されちゃうんだよね。だから、こういう仕事をしている人の消耗というのはすごく激しいし、肝心の商品の寿命も短くなる、本人も商品も消費されるんだ。山口確かに、クリエイターって「旬が短い」というイメージがありますよね。僕はクリエイティブの世界を全然知らないんですけれど、パッと活躍してパッといなくなっちゃう人が多い気がします。杉山さんって、そういう意味では、ちょっと特殊な人ですよね(笑)。消費の枠組みの中で広告表現に携わってきた方の最長不倒距離って、おそらく杉山さんじゃないですか?杉山まあ、長いほうかもしれないね(笑)。でも、ウチ(ライト)には神様が二人いるからね。それらに比べりゃ、僕なんてまだまだお子ちゃま(笑)。広告は、僕は若者のハングリースポーツだと思っている。だから、そんなに長く続かない。でも、それをデザインというふうに頭を切り替えると、ゲームが変わるというか、長持ちする。デザインは、成熟した大人の知恵比べなんだよね。もちろん、表現されたものは広告に限りなく近いんだけれど、デザインは根本的に発想が異なる。そういうふうに頭を切り替えられたのが大きかったかな。ライトパブリシティは老舗のデザインファームで、もちろんテレビコマーシャルも新聞広告も作ってるけれど、基本がデザイン発想なので、僕の選手寿命も延びたと思う。才能が開花するには、ある種の自惚れが必要なんだけれど、その自惚れ期が過ぎたら、「公」のセンスがないと才能は枯渇する。長続きしないんだ。今までいろいろなクリエイターを見てきて、そう思います。

匿名の仕事でスランプに山口最後にお訊きしたかったのが、匿名で仕事をやっていたときに八方塞がりでスランプになってしまったというお話。そんなことがあったんですね。杉山当時はね、すごい売れっ子くんだった。本文にもある小林旭の「熱き心に」は、ある日、役員に呼ばれて「おまえ、もう名前なんか世の中に出なくていいだろ」といわれて、全然かっこつけずほんとにそう思ったし、「ああ、いいですよ」といって始まった。あと、丸井の「天使の降る夜に会いましょう」というクリスマスキャンペーンも三年間、匿名でやった。当時はそれでも愉しいと思ってたんだけれど、コソコソやっているといつの間にか病むし傷つくんだ。やっぱり、人は褒められたいんだよ(笑)。山口ちょっとやさぐれる感じなんですか?杉山そう。たとえば、東京コピーライターズクラブの偉い人に「恒太郎、残念だよな。丸井、名前出せないんだろう?」とかいわれると、すごくいやな気持ちになるんだよな。「熱き心に」も、「あれだけ、国民的ヒットを飛ばしたのに、おまえ、ほんとはプロデューサーだよな?」「はい」なんてやりとりがあったりしてね。けしてそんなに強いほうじゃないと思うんだけど、やはり達成感とかカタルシスとか、今でいう承認欲求があったんだよね。ものを作る人って正当に評価されることでいろいろなストレスを消化して次に進めるのに、正当に評価されない、でも表現物自体は世間ですごく評価されているという、この乖離がしんどいんだ。山口ちょっとおかしくなるんですね。杉山そう。そしてその後二、三年は何やっても当たらなくなってしまった。

「幸せじゃない」広告杉山そのとき、公共広告は僕にとって魂の救済だった。山口ああ、そういうタイミングですか。杉山広告という仕事にまったく希望が持てなくなっていたときに、公共広告に出会えた。普通の広告って笑顔しか出せないでしょ?でも公共広告は、涙とか絶望とか病気とか死とかをテーマに広告を作れる。変な話だけれど、こんなに心が安らぐことってないんだよね。それこそ、杉山登志さんの有名な言葉があるよね?山口「ハッピーでないのにハッピーな世界など描けません」?杉山そう。公共広告は「幸せじゃない」ことがテーマで広告を作れるわけだから、心が安らいだんだ。再び心が豊かになっていって、本当に救われた感じがした。山口審査委員としてカンヌ国際広告祭に行かれたのがよかったんですね?杉山よかった。カンヌがいいのは、世界の広告業界の中で、自分が今どの辺の位置にいて、何をやっているのかがよくわかることなんだ。これもフォレスト・ガンプの一種かもしれないけれど、日本で誰よりも早く、世界の公共広告の洗礼を浴びることができた。まだ傑作といわれる公共広告が日本に一つもなかった時代だね。広告の審査は、小さな試写室の中で、だいたい五日間で三〇〇〇本ぐらいを観る。三つぐらいのグループに分けられて、一つのグループが七~八人。で、商品広告だけ、やたらにUSAとJAPANが多いの。消費大国の面目躍如(笑)、うんざりするぐらい。本当にプアーものまでたくさんエントリーしてくるから。他の審査員に失笑を買うぐらい。ところがチャリティとか、公共広告になると突然、JAPANが消える。これがまたえらく恥ずかしくてさ。椅子にめり込んで、こんなに小さくなっちゃうんだ(笑)。僕、ここにいないから、といいたいぐらい。明らかに、みんな失笑しているように見えるわけよ。だから、ここにJAPANが何本か入ってくる世界を作りたいと思って、次の年からリベンジが始まるわけです。山口その恥ずかしいと思う感覚があるかどうかというのは、けっこう大事ですよね。杉山まさに美意識の問題。そんなものは他の国でやってもらえばいいし、うちはそういう国じゃない、と無視を決め込んでもいいんだけれど、そこで、たまらなく恥ずかしくなって、椅子にめり込んで小さくなりたいと思うかどうかは、美意識だと思う。で、帰国してから、講演なんかで、いかに日本の公共広告が遅れているか、世界ではこういうことをすごいレベルでやっていると熱く語ったんだけれど、ほとんどの人はポカンとしていた。でも何人かは友達が生まれるの。「じゃあ、公共広告機構を紹介するよ」なんて後押ししてくれる人が現れたんだ。村上龍の言葉で「この国は何かやろうと決断すると、友達がいなくなる。外国は何かやろうと決断すると、新しい友達が生まれる」というのがあるんだけど、僕の場合、ちゃんと友達が生まれたんだよね。

公共広告の再定義――プロボノ杉山そして、その公共広告で鍛えたもの、経験したものが、そのままプロボノにつながった。だから瀬谷ルミ子さんに「プロボノでお願いします」といわれたとき、「プロボノ」という言葉はほぼ初耳だったけれど、内容的に何か新しいことをするという感じはなかったね。パブリックイメージを作るのに、どういうことをやったらいいかという基礎はできていたから。プロボノという新しい言葉を与えられて、僕の中で公共広告が別のコンテキストに組み変わった。公共広告の「再定義」といってもいいかもしれない。面白いのはさ、公共広告は英語では一般的に「publicservicead」っていうんだけど、日本語に訳すと、真ん中の「service」が消えるの。訳せないんだよね。日本語の「サービス」って、たとえばモーニングサービスのサービス、ゆで卵一つだったりね(笑)。山口サービス残業とかね(笑)。私と公と官と民、いろいろな切り分け方がありますけれど、「私」は英語で「プライベート(private)」で、その語源は「deprive」なんです。「deprive」は「奪う」という意味で、「deprived」は「奪われている」。プライベートは、元々は「奪われた状態」という定義で、何が奪われているかというと「公共性」なんです。だから、公共性が奪われた状態のことをプライベートという。たとえば「会社にプライベートを持ち込むな」なんていいますけれど、そもそも会社もdeprivedで、公共性が奪われている。だから、私企業=プライベート・カンパニーというわけです。本来、会社はプライベートで、その会社にパブリック(公)を任せてもうまくいかない。じゃあ、ガバメント(官)が担うのかといったら、それもうまくいかない。杉山「公」がないじゃない。山口その「公」はこっちで背負わないといけないと思うんです。ハンナ・アーレントは、人間の仕事を「労働」と「仕事」と「活動」の三種類に分けています。「労働」は、英語の「labor」で、彼女がいうには、消費されるものを作ったり、生きていくためにやっていることとなります。「仕事」は「work」で世の中に永遠に残るものを作るということ。芸術作品の制作などですね。で、「活動」というのが、公共性を伴ういろいろな仕事を指しています。たとえば政治参加みたいなこと。サルトルの言葉でいうと「アンガージュマン」、つまり「エンゲージメント」なんですね。人はずっと「labor」をやっているとすさんでしまう。ライトの若い人たちもたぶん普段は「labor」をやっているけれど、プロボノは「活動」だったんだと思いますね。同じ技術を使って同じ仕事をしているんだけれど、それが「labor」から「活動」に変わった。杉山確かに「活動」にかなり近いよね。山口社会参画ということだと思います。杉山そうだね。人は社会的動物なので、社会活動をしないと自己浄化できないんだろうね。山口スランプになっていた当時の杉山さんも、仕事が「labor」的になっていたのかもしれないですね(笑)。

山口周(やまぐちしゅう)一九七〇年東京都生まれ。独立研究者、著作家、パブリックスピーカー。ライプニッツ代表。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科美学美術史専攻修士課程修了。電通、ボストンコンサルティンググループ等で戦略策定、文化政策、組織開発などに従事。『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社新書)でビジネス書大賞2018準大賞、HRアワード2018最優秀賞(書籍部門)を受賞。その他の著書に、『世界で最もイノベーティブな組織の作り方』『外資系コンサルの知的生産術』『劣化するオッサン社会の処方箋』『仕事選びのアートとサイエンス』『グーグルに勝つ広告モデル』(岡本一郎名義)(以上、光文社新書)、『外資系コンサルのスライド作成術』(東洋経済新報社)、『知的戦闘力を高める独学の技法』『ニュータイプの時代』(ともにダイヤモンド社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ビジネスの未来』(プレジデント社)など。神奈川県葉山町に在住。

あとがきにかえてYouarewhatyoudreamabout.あなたが夢見ているもの、それがあなたです。希望について僕にとって〝希望〟といえば、今も村上龍さんの小説『希望の国のエクソダス』で少年が発したこの言葉だ。「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」ある日、無防備にこの言葉に遭遇し、僕は涙を抑えることができなかった。村上龍さんとは、若いときに二度ほどかなりの人数の前で対談をさせてもらった縁があり、純粋に一人のファンでもあった。そんな関係性の中で、身構えることなく本を開き、〝希望だけがない〟に出会ってしまったのである。この言葉は、今の日本においてさらにリアルに響くと感じる。希望のない心には決まって底知れぬ恐怖心が湧く。それが若者たちの心を荒廃させるのだ。そんなとき、〝プロボノ〟の効き目を侮ってはいけない。利他的に生きるとき、われわれの脳は恐怖心を持たないそうだ。自分ではない他者を思いやること(empathy/共感力)、その共感力こそが脳を大きくし(人類学者・霊長類学者/山極壽一氏談)、それによって人類は飛躍的な進化を遂げ「社会的動物」としての地位を確立した。しかもそれは我々の脳の古い層に潜んでいると人類学者はいう。僕は一人クルマを走らせながら音楽を聴く時間が好きだ(最近は稀にしかそんな時間は取れないが)。そんなとき、たまに選ぶのが、山下達郎「希望という名の光」。たまらなく、冒頭の詞を聴きたくなる。〝この世でたったひとつの命を削りながら歩き続けるあなたは、自由という名の風〟皆さん、人は自由になるために生きているんだよ。さて最後に。山口周くん、忙しい折、対談に付き合っていただきありがとう。難しい話をする君より、〝モモ〟や〝MI6とサナトス〟、お互い好きな〝ヴィンテージカー〟の話をするときの零れる笑顔がいいですよ!拙書たちと隅から隅まで睨めっこ、そこからいくつもの言葉を掬い上げ再編集、かつての僕の戯言もすっかり甦りました!まさにプロフェッショナルな〝編集の妙味〟を見せていただき本当に感嘆しました。ありがとう、三宅貴久局長。そして僕といくつもの〝プロボノ〟作業に満面の笑みを見せながら熱心に取り組み、僕に勇気を与えてくれた〝ライトの若者たち〟、ありがとう!まさに眼福を得ました。渡辺新さんと銀座の友人たち、瀬谷ルミ子さん、安宅和人さん、馬淵邦美さん、小林弘人さん他、皆さまのおかげで遅まきながら僕はプロボノで少しだけ〝アップグレード〟したかもしれません(笑)。二〇二二年八月杉山恒太郎

いつも時代の一歩先にいる河尻亨一(編集者・銀河ライター)『広告の仕事広告と社会、希望について』――硬派なタイトルだが、お堅い本ではない。本書のそこかしこに、著者である杉山恒太郎氏が第一線の表現者として培ってきたしなやかで、したたかなクリエイティブ・マインドが息づいている。随所に顔を出すアフォリズム(箴言)も含蓄がある。「変化しなくては生き残れない」「クレームが来るCMは全部、つまらない」「性能を語るな、性格を語れ」「マネタイズ目的だけのものは、結果的にマネタイズされていかない」「才能とは、どれだけ怖がることができるか」etc.――思わず線を引きたくなる。だが、もっとも大事なのは本書のテーマだ。広告から〝公告〟へ。これは現代のブランド・コミュニケーションを読み解く上で鍵となる視点である。広告から〝公告〟へのシフト(変化)は二〇〇八年、リーマンショックの後に顕著となり、欧米圏ではいまやメインストリームになりつつある。それは世界最大級の国際クリエイティブ祭「カンヌライオンズ」をウォッチすると如実にわかる。本文でも紹介されていたようにいまこのアワードでは、社会課題の解決を志向する施策以外はほぼ評価されない。私がカンヌを取材しはじめて一五年。初めて参加した年、「一〇年は続けて通ったほうがいいよ。世界の変化がわかるから」という親身のアドバイスをくれたのは杉山氏だ。その助言は正しかった。時代軸の中で海外広告を見れば、経済・文化・技術の三つの側面から世界の変化を体感できる。それに伴って日本のいまを直視することにもなる。タレントらが歌い踊る「はしゃぎすぎ」のCMがいまだ幅を利かす我が国では想像し難しいことだが、世界のクリエイティブはどんどんアップデートしている。「広告のパブリック化」は、サステナブルやDE&I(ダイバーシティ、エクイティ&インクルージョン〈多様性、公平性、包括性〉の略)を理念とする二一世紀の時代精神の反映とも言えるだろう。さすがに我が国もいよいよ「変化しなければ生き残れない」状況を迎えつつある。事態は思う以上に深刻だと感じる。輸入思想としての「ソーシャル・グッド」や「ブランド・パーパス」に関する情報も増えてきたが、本書が一連のビジネス記事やマーケティング書と一線を画すのは、血肉化されたロジックと実践のもとで執筆されているところだ。一九七〇年代からおおよそ半世紀に及ぶ著者の見聞と体験をもとに広告の変化が語られる。だから説得力がある。こんなくだりも印象に残った。「僕は基本、大量生産・大量消費のエンジンとしての広告の世界で闘ってきた人間だ。右肩上がりの競争社会の中でいかに生き抜くかばかりを考えてきた。それは確かに一定の成果を上げたが、前時代の考え方であり、仕事のやり方だ。広告が公告になる世界で、それは通用しない」おっしゃる通りだ。だが、杉山氏自身はいまでもフィールドでプレイできている。それはなぜか?このレジェンドはたいそう照れ屋なのでそんな素振りは見せないのだが、私には「右肩上がりの競争社会」に反骨のドロップキックをお見舞いしてきた人に思える。つまり、広告業界の〝パンク〟であり〝アンファン・テリブル〟。未来への希望にあふれた永遠の「ピッカピカの一年生」なのだ。それでいてオトナの振る舞い、嗜みも熟知している不思議な人である。心のどこかに少年あるいは少女を持ち続けること。変化にポジティブであること。それはクリエイターの才能というべきものだろう。映画『アメリカン・ユートピア』を観るといい。いまやデイヴィッド・バーン(元トーキング・ヘッズ)も自転車を漕ぎ漕ぎ、社会変革の音楽を皮肉も交えて生み出している。スパイク・リーが演出したこの〝ライブ・ミュージカル〟が描こうとしているのはまさに希望の社会(ユートピア)。真のクリエイターとは、希望を夢見て変わり続けることができる人を指す。本書のもうひとつのキーワードである「希望」について、少し戦後カルチャー史を紐解きながら考えてみたい。過剰な欲望を希望に転換しようとした試みは半世紀前にも見ることができる。山口周氏との特別対談の中で興味深いエピソードが語られていた。一九七〇年、まだ学生だった杉山氏は、三島由紀夫自決事件の一部始終を市谷のビルの上から「ジーッと見てた」のだという。このとき彼はひとつの時代の終わりを目撃したのだと思う。一九七〇年は広告も含めた日本のカルチャー史にとって重要な一年である。「広告から〝公告〟へ」の変化の萌芽は実はこの年に生まれていた。例えば「モーレツからビューティフルへ」(富士ゼロックス)。これは高度成長の価値観に異を唱えるキャンペーンだった。これを主導した電通の藤岡和賀夫は、極めて社会性の高い新しいビジネスモデルとしての「脱広告」を提唱した。アートディレクターの石岡瑛子が「広告は捨てる覚悟」で独立したのもこの年だ。同じ年、中津川フォークジャンボリーでは岡林信康が、「私たちの望むものは」という歌を訥々と絶唱した。はっぴいえんどのメンバーをバックに出演した伝説のステージ(※YouTubeで視聴可)。解放感あふれる当時の空気がよくわかる。いまこそ聴きたい名曲でもある。歌詞から一部を引用しよう。「私たちの望むものは社会のための私ではなく私たちの望むものは私たちのための社会なのだ」「私たちの望むものはくりかえすことではなく私たちの望むものは絶えず変わってゆくことなのだ」「私たちの望むものは決して私たちではなく私たちの望むものは私でありつづけることなのだ」本書のメッセージとシンクロする。これは希望の歌なのだ。だが、残念なことに一九七〇年の〝文化革命〟は長続きせず、結局挫折に終わってしまう。やがてオイルショックが起こると、日本経済は狂乱物価の波に飲みこまれる。八〇年代になると一転、今度はバブルの狂騒が訪れ、それが弾けると我が国はいよいよ希望のない「失われた三〇年」へと突入、世界から隔絶された内向きのガラパゴス文化が拡張していくことになった。パリと東京で二度、文化の〝革命〟を目撃した杉山氏のキャリア・ジャーニーが独立独歩なのは、そんな時代にあってもグローバルを志向し、九〇年代には三度のカンヌ国際広告祭審査員を務めて、公共広告とデジタルに希望を見出したところだ。二〇〇〇年代には黎明期にあった日本のインターネット広告の育成に尽力し、若手の躍進をバックアップしたのち、名門デザインブティックの代表に就任している。時代とともにアップデートを重ねる杉山氏は「ピッカピカの無邪気さ」を自身の内側で秘かに燃焼させながら、「私であり続ける」ために変化と対峙して

きたのだろう。だからいつも時代の一歩先にいる。その〝最新バージョン〟がこれまでの仕事によって培われた知識や経験、スキルを活用して社会貢献を行う「プロボノ」であることは合点がいく。混沌の時代、プロフェッショナルが仕事の喜びと誇りを取り戻したいのなら、ヒントは利他の活動にある。

河尻亨一(かわじりこういち)編集者、銀河ライター主宰。一九七四年大阪市生まれ。雑誌『広告批評』在籍中には、広告を中心に多様なカルチャー領域とメディア、社会事象を横断する数々の特集を手がけ、国内外の多くのクリエイター、キーパーソンにインタビューを行う。現在は取材・執筆からイベント、企業コンテンツの企画制作ほか、広告とジャーナリズムをつなぐ活動を展開。カンヌ国際クリエイティビティフェスティバルを一五年にわたって現地取材するなど、海外の動向にも詳しい。『TIMELESS石岡瑛子とその時代』で第七五回毎日出版文化賞受賞(文学芸術部門)。訳書に『CREATIVESUPERPOWERS』がある。

杉山恒太郎(すぎやまこうたろう)1948年東京生まれ。立教大学卒業後、電通入社、クリエーティブ局配属。’90年代にカンヌ国際広告祭国際審査員を3度務めたほか、英国「キャンペーン」誌で特集されるなど、海外でも知られたクリエイター。’99年デジタル領域のリーダーとしてインターネット・ビジネスの確立に寄与。トラディショナル広告とインタラクティブ広告の両方を熟知した稀有なキャリアを持つ。電通取締役常務執行役員等を経て、2012年ライトパブリシティへ移籍、’15年代表取締役社長就任。主な作品に小学館「ピッカピカの一年生」、サントリーローヤル「ランボー」、AC公共広告機構「WATERMAN」など。国内外受賞多数。’18年ACC第7回クリエイターズ殿堂入り、’22年「全広連日本宣伝賞・山名賞」を受賞。

広告の仕事広告と社会、希望について2022年11月30日初版1刷発行2022年11月16日電子書籍版発行著者―杉山恒太郎発行者―三宅貴久装幀―アラン・チャン発行所―株式会社光文社東京都文京区音羽1166(〒1128011)https://www.kobunsha.com/電話―編集部03(5395)8289メール―sinsyo@kobunsha.com®本書の全部または一部を無断で複写複製(コピー)することは、著作権法上での例外を除き、禁じられています。©KotaroSugiyama2022

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