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第4章 マーケティングはどう変わるか?

究極の消費者主義個人を特定しても意味がない一人十色基本的にマーケティングでは消費者を「群」に分けてきました。大衆の時代ではそれすらも細かく分ける必要もないくらいだったでしょう。日本という市場は同一性が極めて高いからです。アメリカの市場をエリアや人種などの属性で20に分けたとすると、その1つくらいが日本市場に当たります。こうした効率の極めて高いマスマーケティングが揺らいできた頃、ワン・トゥ・ワンマーケティングなる概念が提起されました。もちろんB2Bやダイレクトマーケティングの一部ではワン・トゥ・ワンに近いことが行われていたと思いますが、マススケールでワン・トゥ・ワンを実現することが標榜されたのです。群れを分けていくと、当然最後は一人ひとりになります。「十人十色」は究極のマーケティングとして、技術がこれを可能にすると高らかに宣言されたのですが、実はこれは究極とはいえませんでした。先に結論をいうと、十人十色どころか、一人十色にもなるのが今の消費者です。これに関しては、SNSによる情報取得と購買行動のパターン分析をしたトレンダーズ社の「インフルエンスファクター」で検証できました。この「インフルエンスファクター」は、SNSによる情報取得と購買行動を縦軸にヒトかモノか、横軸に個人や世の中かでマトリックスを作り、左上を「オーディエンス」、左下を「ナレッジ」、右上を「トラスト」、右下を「ディスカバリー」と名付けて購買パターンを分類したものです。

これは、「どのような属性のヒトがこういうパターンを取る」ということがいえません。それどころか、対象商品のカテゴリーや価格帯が違うと、同じヒトが違う行動パターンになることがわかっています。この分類はそれぞれにコミュニケーションの仕方を最適化するには都合のいいものなので、マーケティングの戦術的にはターゲット分類にもなります。消費者をセグメントしても、それぞれにターゲティングした施策が打てないと意味がありませんから、この分類法は実践的なのです。究極の消費者主義同じヒトが商品カテゴリーや価格帯で購買行動パターンを変えてしまいます。しかし、それも不安定で、世の中の多数派であることで決めていたヒトが、ある特定の人の感性にハマってしまう可能性もあります。こうなると、多額のコストをかけて「1人」を突き止めても、適切なコミュニケーションの仕方が何なのかがわかりません。ワン・トゥ・ワンマーケティングは情報取得や購買行動パターンが変わらないブランドに限って有効ということになります。これを筆者は「究極の消費者主義」として捉えています。モノや情報の「送り手」と「受け手」の関係は、主導権がどんどん「受け手」に移っていきましたが、特にモノやサービスに関しては「送り手」の情報より、はるかに同じ立場にある消費者の情報が重用され、影響力のある消費者が「送り手」のパワーをしのぐまでになりました。この状況がマーケティングの考え方そのものを変えざるを得なくしているのです。

マーケティングファネルは通用しない従来、広告業界にはAIDMAの法則が根付いています。これは1920年代にサミュエル・ローランド・ホールが広告の実務書に書いた消費者の心理プロセスで、実に100年近く前のことなのです。近年、電通が提唱したAISASもインターネット時代を意識したプロセスにはなっていますが、ファネル(漏斗)構造で説明しているのは変わりないかと思います。しかし、このファネル構造で消費者の心理や状態を説明するファネル理論は、はっきりいって破綻していると筆者は考えます。つまり広告代理店としては常にAから始まる流れを提示したいところなのですが、マス広告、特にテレビCMでの認知をスタートとする流れだけではなくなったのです。一生懸命ファネルを、蝶ネクタイを縦にしてみたりするのですが、ファネル理論では複数の流れを説明するようにはできていないので、無理があります。また、インフルエンサーの影響力や消費者のSNSによる情報感知パターンをコミュニケーション設計に応用することを考えると、単純に購買後のファネルに新たなファネルを描いてもSNSによる消費者のパーセプションや行動を的確には反映できません。つまりは現代の状況をファネルだけで語ることはできないのです。「双六型」から「ビンゴ型」へ近年マーケティング業界用語として普及したカスタマー・ジャーニーという概念も同様です。そもそもすべてのコミュニケーション対象者をいったん「双六」の振り出しに戻して、全員が同じステップを踏んでいくのは現実的ではありません。全員を1つの流れの中に入れる「順列」ではなく、いくつかの「組み合わせ」で考えてみましょう。いってみれば「双六」型から「ビンゴ」型に転換するのが筆者の提案です。

ビンゴカードは、購買意志を決定するための、パーセプションが番号の形で入っています。市場導入されているブランドでは、既に穴が開いているカードもあるはずです。あとどんなナンバーのパーセプションが開けば「ビンゴ!」になるのかを考えて、何枚かのカードを想定してみます。このとき、前もっていくつかのパターンをひな型にしてカードを作るやり方があります。ビンゴカードを作る方法論です。これにはいろいろな手段がありますが、1つ紹介すると、前述の「インフルエンスファクター」を応用します。「インフルエンスファクター」はSNSでの情報取得と購買行動パターンの類型化ですが、これはマス広告を含むコミュニケーション設計全体でも応用が利きます。簡単に説明すると、まず4類型(ヒト・モノ軸×パーソナル・世間軸)からなる、オーディエンス型、トラスト型、ナレッジ型、ディスカバリー型の4種類でビンゴカードを設計します。やっていくと、同じ型で複数のカードができたり、この型では設計しにくい場合があったりしますが、やみくもに考えるよりもはるかに設計しやすいのです。このビンゴカードの設計は、ある意味でコミュニケーションターゲットの設定ともいえます。たとえばAというビンゴカードでは、②と④と⑥というパーセプションがそろうと「ビンゴ!」になるとします。この3つのパーセプションを持ってもらう施策やコミュニケーションメディアおよびメッセージをプランすることが、ターゲットAに対する攻略法です。よくペルソナを作ってターゲット像を浮き彫りにしようとすることがありますが、そもそもそうしたヒトに購買意向を持ってもらうためには何をしたらいいかは、すぐには発想しづらい場合が多いと思います。どんな認識、どんな感覚、どんな印象などを持ってもらうことが購買意思決定要因で、特に最後の「ビンゴ!」ナンバーは何番かを議論するほうが実践的ではないでしょうか。

広告コミュニケーションも受け手主導へ「コミュニケーション」の主導権が「送り手か」ら「受け手」に移ってきたことはいうまでもありません。電話はかけるほう(「送り手」)がコミュニケーションを成立させる時間を決定しますが、メールは開けて読む「受け手」が決めます。電話からメールやメッセージアプリがコミュニケーション手段の主役になったのは「受け手」が主導権を握るようになったからです。テレビ番組も編成権は今や視聴者にあって、テレビ局にはありません。マーケティングコミュニケーションでもブランドと消費者間の力関係は「受け手」である消費者の力が圧倒的になりました。そういうメガトレンドにあって、さらにSNSが拍車をかけました。ますます企業側のメッセージの力は弱くなりました。「受け手」だったはずの消費者は発信力を得てブランドを凌駕してしまいます。そういう状況でも昔ながらに、「USP(ユニーク・セリング・プロポジション)を伝える」だの、「刺さるメッセージを作ろう」という声があるのは、いまだに「送り手」主導の幻想があるからです。「刺さる」という言葉自体がそういうスタンスを表しています。ベネフィットをエッセンスに昇華させる筆者は、かつて次図のような「プロダクトコーン」という概念図を教わりました。この概念図は、まさに「刺さるメッセージ」を作る構造図です。まず商品にはスペックがあり、それによって消費者が得られるベネフィットがあります。しかし、それだけでは「刺さらない」ので、ベネフィットをエッセンスに昇華させてコミュニケーションしようという考え方です。テレビCMは15秒しかないからあれこれいわずに刺さる表現を開発しようといっているようにも受け取れます。これを具体的に説明するために、たとえば電気掃除機の新型が出たとしましょう。新型の掃除機は60デシベルしか音が出ないとします。これがスペックです。この静かな掃除機で得られるベネフィットは集合住宅でも夜に掃除ができるということです。しかし、これだけでなくもっとエモーショナルに訴えるために、夜掃除ができてしまうので、昼間に子どもたちと遊ぶ時間ができて「幸せな時間」が増えることを表現します。これがエッセンスです。基本「刺さるメッセージ」とは、送り手ベースで作り込んでいくものです。昔はよく広告メッセージをラブレターにたとえましたが、この考え方ほどうっとうしいものもありません。送り手は必死に売り込みますが、過度な熱量で来られるとかえってネガティブになってしまうものです。一方で、SNS上でそれとなく、そのブランドのファンらしき人のちょっとした「つぶやき」に触れたとします。「売らんかな」で必死な送り手ではない同じ立場にある消費者たちの言葉は何気にしみ込んできます。たとえば、「この車のボディライン好きなんだよね」というようなつぶやきには自然に「なるほどそういうところがいいんだ」と感じてブランドに好印象を覚えます。そう考えると、ブランドのファンのつぶやきを探索すれば自然に沁み込むコピーの元が発見できるかもしれません。このように広告コミュニケーションも受け手主導になっています。「刺さるメッセージ」という時点で時代錯誤といわれかねないのです。

SNSを起点とするコミュニケーション開発マス広告全盛の時代から、広告コミュニケーションの開発手法はテレビCMプランを中核に作られます。それどころか「CMプラン」というアウトプットに向かって論理を組み立てていきます。基本は「課題発見」からスタートし、「コンセプト」「コア・アイデア」「全体戦略」と組み立てるのが常道で、コア・アイデアを起点にいろいろな施策に展開するのですが、広告主はその中でも特に「CMプラン(クリエイティブアイデア)」で選びます。いくらコンセプトワークが素晴らしくてもテレビCMがどんな表現になるかが大事で、極論どんなタレントを使えるかでプランが決まってしまうこともあります。広告主からすれば多額の出稿料をかけるテレビCMですから、最も重要な選定要件であることはわかります。しかし、それはテレビCMが広告コミュニケーションの核になっていたこれまでの場合です。テレビが主でデジタルが従であれば、まずはテレビCMのクリエイティブを決めてという順番でしょう。ところが、今ではテレビCMを使う広告主でも、メディアの投下量としてはデジタルのほうが多い場合もあります。デジタルが主で、テレビが従ということです。このケースでは何から決めるのがいいのでしょうか。デジタルといっても使うのは動画だったりします。動画CMなのだから、やはり従来通りCMクリエイティブ案として、ここから決めていくのでしょうか。これは、テレビやデジタルに担わせるそれぞれの役割によって変わってくるともいえます。たとえば、デジタルを主役とすると、認知経路の出発点をテレビCMとしないケースも出てきます。テレビCMは既に認知しているブランドを「多くの消費者にも認知されているのだ」とターゲットに認識させ、最後に背中を押す役割になることも考えられます。こうなるとテレビCMから決めるというのはいささか問題で、コミュニケーション戦略全体を評価して、デジタルクリエイティブの表現からテレビCMのクリエイティブまでの有機的な連携シナリオを選定理由とすべきでしょう。たとえば、デジタル動画CMから作っていくとします。しかもターゲットごとに配信しクリエイティブを分けることを前提にターゲット文脈ごとにポイントとなるメッセージの異なる動画CMを作り、デジタル広告なのでその反応を調べていきます。そのデータをもとに最適なテレビCM案を作るプロセスです。またはデジタル動画とテレビCMの双方に接触した人が最も購入意欲を持つ組み合わせになるようにCMクリエイティブを作る発想です。このように、広告コミュニケーションの設計にもデジタル時代(SNSによる消費者主導時代)のプロセスがあるのです。SNS時代のクリエイティブブリーフ以前からテレビCMのクリエイティブ作りには、ブランド側(送り手)が消費者にどう伝えたいかを整理する流儀があります。次図のようなクリエイティブブリーフというものです。ところが、このクリエイティブブリーフはブランド側が消費者に何をどう伝えるかという、基本送り手がまだ主導権を握っていた時代のものです。特にUSPという概念は「送り手」が考えるブランドの良さであり、これであれば消費者は動くだろうと想定するものです。初めて市場に出す商品では仕方がないとしても、既に市場にある商品に改めて価値を訴求したいとき、その答えはSNSにあるといえます。今後はコミュニケーション設計の起点になる情報をSNSから仕入れることが常道になる場合が多くなるでしょう。その場合のクリエイティブブリーフを想定してみます。

広告の目的はそうそう変わるものではないので、SNS時代でも「広告で何がしたいか」であることは変わりません。ただあえてファンを作れるか、増やせるかがより意識されます。ターゲットも想定することは大事ですが、SNS時代はターゲットを「送り手」が決めるというより、ブランドに何らかの反応をしているのがターゲットといえます。ターゲット像を勝手に作り上げると、「想定」ではなく「妄想」になります。そもそも存在しないターゲット像を作らないことです。そして一番大切なのはUSPという概念の転換です。セリングではなくバイイングプロポジションというように、視点を「買い手」サイドに持っていくことです。バリュープロポジションという概念がありますが、これも「買い手」にとっての価値という意味です。もうひとつ重要なのは買い手の価値はユニークではないということです。人によって違う価値、複数の文脈にどう対応するかは1つのCMクリエイティブでは解決できません。コミュニケーション戦略全体で対応する中でCMクリエイティブはどんな役割を持つかを明確にすることです。次に、「共感インサイト」と表現しましたが、これも「消費者インサイト」であることに変わりはありません。しかし、消費者という同じ立場にある人たちと共感の「ツボ」が同じであることを意識できるとさらに良いのです。トーン&マナーは、基本的には従来のクリエイティブブリーフと変わりませんが、これも消費者が「共感する」エモーショナルな要素とは何かと思考します。従来のクリエイティブブリーフにはない要素として、「買う理由付け」を加えました。これは自分への言い訳(エクスキューズ)です。比較的高額商品だと購入決定の最後に「購入者の自分への言い訳を用意してあげる」ことが重要です。どういうことを言い訳にしているかもSNSから情報を取れます。SNSには貴重な情報やアイデア、ヒントがあります。化粧品などのカテゴリーではSNS施策は欠かせないものになっていますが、SNSプロモーションがまだまだマーケティング投資でのシェアが低いカテゴリーでも、コミュニケーション戦略全体を設計するための起点となる情報、ファクト、コアアイデアをSNSから取得できるようになりました。ブランド側から見れば自らは実施できない極めて大規模な調査をしてくれているようなものであり、これを使わない手はありません。

「消費はコミュニケーションである」はさらにドライブするフランスの思想家ジャン・ボードリヤールが名著『消費社会の神話と構造』を記してから50年が経ちました。しかし、これ以降に優れた消費社会論は出ていないと思います。ボードリヤールは、大衆消費社会における人々の消費活動の心理を「記号としての消費」というフレーズで読み解こうとしました。筆者の学生時代は構造主義全盛で、構造主義がソシュールの言語学から始まったこともあり、「記号論」を土台にするとボードリヤールの主張は比較的すんなりと頭に入りました(ただ著作自体はあまり整理されていないので難解です)。ボードリヤールは人々が豊かになり均質化が進むと、「差異」を求める消費心理が芽吹き、その欲求が「商品」=「差別化された記号」とみなすと提起します。次第に商品の価値は商品そのものの価値(使用価値)から商品に付与された意味(コード)に移ります。そして商品の価値は他の商品との意味(コード)の差異によって決まります。人々は商品を社会的、文化的イメージとして消費します。「消費とは商品を介して個性を主張する言語活動であり、コミュニケーションの手段である」というのがボードリヤールの主張です。「消費とはコミュニケーションである」というフレーズには「確かに!」とポンと膝を打ちます。ここまでは多くの読者も比較的すんなりと納得できるでしょう。「なるほどブランドが持つ価値とはそういうことだよな」と思うはずです。次にボードリヤールは「人々は自己の拠り所が記号の相対性にさらされアイデンティティの確立のためにさらに記号を消費する」としています。無限ループするというわけです。ここまでくると「そんなに消費に翻弄されるものなのかな」と少し疑問もわきます。消費者個人の主体性が無視されている気もします。実際ボードリヤールの説には批判もあります。その中で最も重要なのは、「差異」を選択するのは「受け手」であり「送り手」ではないという議論です。ボードリヤールは差異を求めて翻弄される消費者像を描きましたが、現状はどうでしょうか。特にSNSはまさに消費者側の主導権を決定づけたコミュニケーションツールになったと思います。その影響力はむしろ商品の「送り手」をして、その意味(コード)を変えさせてしまうレベルでしょう。「消費はコミュニケーションである」とは、SNS全盛の今、ボードリヤールが定義したものとは次元の違うものになっていると思われます。誰かが消費者主導(情報の主役である消費者)の時代の消費社会論を書いてくれることを期待します。

 

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