MENU

品切れ、過剰在庫を防ぐ技術

もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつ、それらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)全て見えているであろう。 ――ピエール゠シモン・ラプラス( 1812年)

はじめにいつどれくらい売れるのか? みなさんは「需要予測」という言葉をご存知でしょうか? 私が「需要予測」に出会ったのは社会人になってしばらく経ってからでした。私は化粧品メーカーに 10年以上勤務しておりますが、入社した当初は営業担当として、取引先倉庫での商品の入出庫や検品、配達など、物流業務的なことをしていました。 需要予測という仕事があることすら想像していなかったのですが、入社 4年目にロジスティクス部門へ異動になり、そこで需要予測という業務を担当することになったのです。「ロジスティクス」という言葉は、元は軍事用語で、「兵站」という訳があてられます。戦場において、武器や食料など、兵士が戦うために必要な物を戦略的に届ける機能のことです。転じて、現代社会の企業(メーカー)においては、消費者が必要とする商品を適切に届ける、という仕事を指すようになりました。消費者が必要とするタイミングで、適切な量の商品を届けるためには、「いつどれくらい売れるのか?」を予測し、商品を生産しておかなければなりません。これが需要予測です。 需要予測業務を担当することになった私を待ち受けていたのは、消費財需要予測の永遠の 2大課題の1つ、「品切れ」でした(もう1つは過剰在庫です)。

大ヒットした〝普通の〟ネイル 最初に私が担当したのは、ちょっと個性派な若い女性に人気で、ドラッグストアなどを中心に独特な世界観を発信しているブランドでした。そのブランドは、 2010年 10月に新しいプロモーションを行いました。プロモーションの中心商品は、同ブランドからは初めての発売となる香水で、これが大ヒットしました。 この時、同時にピンク色のネイルも発売になったのですが、これも爆発的に売れました。他の色のネイルの 8 ~ 9倍くらいの水準です。このブランドの需要予測を引き継いでいた私は、生産サイド(生産計画担当や工場の方々)に増産の依頼をしました。幸い、そこでスピーディーに対応してくれたため、結果的にはほとんど品切れしなかったのですが、慌ただしい対応となってしまいました。 しかし、需要予測はこれで一件落着とはいきません。次は、この爆発的な売れ行きが、 ①「いつ頃」 ②「どれくらいの水準」で安定するのかを予測しなければなりません。 ビジネス全般にいえることかもしれませんが、化粧品業界では、他社のライバルブランドからも次々と新商品が発売になります。ですから、特にトレンドの影響を受けやすいメイクアップ商品(化粧水や保湿クリームといったスキンケア商品に対して、口紅やマスカラなど、メイクアップするための商品)は、需要の変動が激しい傾向があります。 そのため、発売当初に売れていたからといってどんどん増産すると、売れ行きがにぶってきた際、あっという間に在庫が膨れ上がります。商品の在庫を置いておくには管理する人や場所が必要になり、お金がかかります。加えて、一度下降した売上を上げることは容易ではありません。これから先何年も売れる見込みのない在庫は焼却することもあり、それにもお金がかかります。 このピンク色のネイルの異常な売れ行きを見て、私は不思議に思っていました。〝なんでこのネイルだけ売れているのだろう?〟 たしかにきれいなピンク色なのですが、ネイルを使わない私には、他の色と比べて特別良いようには思えません。周りの女性社員や女性の友人に聞いてみても、「かわいいし、使いやすそう」といった反応で、いまいちしっくりきませんでした。 そこで売場を見ると、あることに気がつきました。よく考えればある意味当然なのですが、新商品ということで、ネイルの中でこの色だけ、目立つ場所に置いてあったのです。それも、大ヒットしている赤い香水の隣に。 ①ブランド初配置の香水が大ヒット →②売場に立ち寄る消費者が増えている →③隣に並べてあるピンク色のネイルも売れる〝これだ!〟と思いました。

売場を変えると売上も変わるか? 次に考えたのは、〝売場が変われば売上の水準も変わるのでは⁉〟ということです。早速この疑問を、プロモーションを考えているマーケターにたずねました。すると、次の1月下旬からのプロモーションで売場も大きく変える、そして、ピンク色のネイルは他のネイルと同じ場所で売ることになるとの回答でした。 12月と1月の売上を比べると、多くの商品において、年末の商戦期である 12月の方が、売上が大きいという傾向があります。年末は多くの場合ボーナスが支給される時期であり、それに合わせて小売店もセールなどを行い、マーケットが活性化すると考えられています。このピンク色のネイルは、 11月、 12月と大ヒットしていて、多少売上が下がったとしても、1月、2月も他の色の 5 ~ 6倍は売れるくらいの水準です。 しかし私は、プロモーションが変わり、売場が変わる1月下旬以降の予測を大きく下げました。〝売れているピンク色のネイルも、他のネイルと同じように並べられれば、特別売れるということはないはず〟という考えがあったからです。他のネイルの 1 ~2月の売上水準を考慮し、ピンク色のネイルの2月の売上を、他の色と比較してぎりぎり最高値となる水準で予測しました。これでも高いくらいだ、という思いもありましたが、今売れているので、少し高めでもよいか、とも思いました。下げた予測よりも実際に売れると、品切れの可能性も出てきます。 当時、大きく予測を変更した商品については、部内の会議で取り上げられ、理由を共有していました。修正した予測を多くの目で確認し、品切れや在庫が過剰になることを防ごうという目的です。予測初心者であった私のこの新商品予測は取り上げられ、このピンク色のネイルも議題に挙がりました。そこである予測担当が言いました。「こんなに下がらないだろう。品切れしたら大変だ。もっと予測を上げた方がよい」 私は、一度、自分の考えをお話ししました。「今、このネイルがこれだけ売れているのは、売場の効果だと考えています。1月下旬からの新しいプロモーションが始まれば、売場が変わり、このネイルも他のネイルと同じ場所に並べられます。なので、売上の水準も他のネイルと同程度になると考えます」「そうかもしれないが、これは下げ過ぎだよ。(予測を)上げておきなさい」 私はこの時、まだ予測の経験がほとんどなく、自分の考えた根拠も〝絶対〟とはいえなかったので、これ以上は議論をせず、予測を上げました。 そして1月下旬になり、その成否が見えてきました。 新しいプロモーションが始まり、売場も新しくなり、ピンク色のネイルの売上は一気に落ち込みました。私の予測をも下回り、全色中 2番目の水準となりました(図 0- 1)。 予測が大きくブレそう(実績と乖離しそう)な商品も、前述の部内の会議で取り上げられ、原因や今後の予測の見直しを共有しなければなりません。再び、翌月の会議でこのピンク色のネイルが議題に挙がりました。「なぜ、このネイルの予測はこんなに高かったのだ?」 私は最初の自分の予測のことは話さず、頭を下げました。「すみません、減産をお願いいたします」 心の中では、自分の最初の予測が当たっていたことが嬉しくて、悔しさなどありませんでした。〝経験を積んで、実績を上げていけば、周りももっと自分の意見を聞いてくれるようになるはず〟と思っていたこともあります。その時、在庫計画を担当している方が言いました。「いや、山口くんはこれくらい下がるって、先月言っていましたよ」〝誰かが見ていてくれる〟というのはよく聞きますが、この時は〝本当にそうなのだな〟としみじみ思いました。 そして、なにより〝しっかり考えれば当たる!〟というのが嬉しくて、需要予測のおもしろさを初めて実感したのでした。この出来事をきっかけに、私は需要予測の世界にどんどんのめり込んでいったのです。

認知科学で読み解く需要予測 社会人になってから、私はいくつかの業務に携わってきましたが、学生時代を含めて考えても、需要予測ほど長く一つの分野に携わりつづけたことはありません。その中で、私が大学院時代に学んだ「認知科学」と需要予測に密接な関係があることに気がつきました。 認知科学とは、簡単にいうと、人が頭を使って活動することを研究する学問です。頭を使う活動とは具体的に、推論や計算、意思決定なども含まれます。私は、予測するということも、認知科学の対象となる認知活動の一つだと思います。ノーベル経済学賞を受賞したハーバート・サイモンという研究者が提唱した概念に「限定合理性( bounded rationality)」というものがあります。これは、複雑な問題を解決しようとする人の認知能力には限界があるというものです。現実的には、時間や思考力は無限ではないため、人は経験を活用し、効率的に認知活動を行います。ビジネスにおける需要予測もその通りで、認知能力の限界によって発生しているミスがあると私は感じています。ということは、認知科学の研究で得られている数々の知見を、需要予測に役立てることができるのではないか、と考えました(これも認知活動の一つ、ひらめきです)。 私は認知科学を学んだから、需要予測の仕事に就いたわけではありません。偶然です。ただ、それが結びついてしまいました。認知科学的な視点で需要予測を読み解けば、認知科学的な原因で発生する需要予測ミスを減らすことができるのではないか、と考えたわけです。 そこで、私がビジネスの中の需要予測を通じて体験した様々な出来事を、認知科学的な視点で振り返り、それを本としてまとめようと思ったことが、この本の執筆の動機となりました。認知科学の知見の解釈について、研究者の方々にとっては異論があるものもあるかもしれませんが、これは学術論文ではなく、一般向けの読み物です。認知科学の知見を使って、ビジネスにおける需要予測をこんな風におもしろく読み解けるのか、と気楽に読んでいただければ幸いです。世の中にはおそらくたくさんの予測業務があります。それに携わる方々の、業務の進化の役に立てればとても嬉しいですし、需要予測とは関係のない世界で生きている方々にも、こんなおもしろい世界があるのかと気づいていただければ嬉しいです。

【注】この本は、私の認知科学の研究と、需要予測の実務経験を、感覚的に結びつけて構築した持論をベースとしており、所属する会社の見解を代表するものではありません。また、本書に出てくるオリジナルのグラフは、私の 8年の化粧品需要予測の経験から独自に作成したものであり、傾向やイメージを伝えるためのものです。そのため、高さや間隔に特別な意味はありませんので、ご留意ください。

目次はじめに第 1章 需要予測とは何か 1- 1 何のための需要予測?ちょうどよい量の生産を目指すたくさんつくるのがよいとは限らない需要予測の原点は顧客の顔 1- 2 需要予測が当たらないとどうなるか駆け込み需要で多くの品切れたった 1%がもたらした意味過剰な在庫は意識しづらい 1- 3 需要予測が当たるとどうなるかブランド価値を支える需要予測訪日外国人による日本マーケットの変化 1- 4 日本企業が抱える需要予測の悩み販売計画と需要予測のギャップ生産調整と需要予測のジレンマ 1- 5 化粧品のデマンドフォーキャスターの仕事消費者が購入する量を予測する小売店や卸店の持つ在庫を予測する第 2章 認知科学で読み解く予測ミス 2- 1 ヒューリスティクスとは何かある程度の精度で最速の予測をベテランはヒューリスティクスを活用する 2- 2 お手軽予測が生む品切れ人は思いつきやすいことを参考にする利用可能性を拡げる仕掛けづくりを手に取りやすいものが買いやすい 2- 3 全てをわかったつもりが生む過剰在庫少ない例で全体を判断できるか?春夏用品が大ヒット! さて秋は…… coffee break ① 美的センスで行う需要予測第 3章 思考のクセによる予測の落とし穴 3- 1 劇的変化を受け入れられない心理火災のアナウンスが流れても逃げない?季節が左右するファンデーションの需要売れなかった時代のトラウマ 3- 2 自説に反する調査結果は知らんぷり味方が欲しいという確証バイアス新商品の需要は予測できるかマーケティング意思の見える化予測モデルが確証バイアスを抑える環境リソースの活用という発想出版バイアスを抑える勇気 3- 3 この計画をつくるのは大変だった!サンクコストの恐怖 3- 4 私の最初の予測は当たっていたのに……「本当は、最初からわかっていた」がもたらす悪影響 3- 5 今の方が大事だから投資しないなぜ商品は不足したままなのか第 4章 心の状態で変わる予測の景色 4- 1 過去に起こらなかったことは起こらない無意識がもたらす、認知の枷数量限定品の適切な供給数量競合ブランドの力を借りて比較するインバウンド需要の予測 4- 2 空気を読んで需要を読めず「損得」で「価値」が変わる「空気」による参照点の移動 4- 3 品切れに対する恐怖心が生む過剰在庫人の意思がマイナスに働く?品切れが更なる品切れを生む A Iがマーケティングを否定するインバウンドフォビア 4- 4 ひらめきの予兆 思考のゆらぎ失敗は成功の母である coffee break ② 需要予測は美人投票!?第 5章 プロの感覚を見える化する科学 5- 1 2つの目線からのアンケート調査人気になる色のランキングを予測するのは難しい販売員に聞く人気色 5- 2 写真からのフェルミ推定限られた情報から、確からしい解答を導く売場の写真から見えること 5- 3 あなどれない移動平均ノイズを消す移動平均小売店より先に変化に気づく 5- 4 季節が描く需要の波

化粧品には季節による需要の差がある季節指数を使った需要予測 5- 5 複数判断を瞬時に行う方法意思決定の判断軸を明確にするデータがあぶりだす暗黙知第 6章 当たらない需要予測 6- 1 予測の難しい、急な需要爆発 SNSでの〝バズ〟を予測できるか 6- 2 為替レートで動くインバウンド需要円が安いと訪日客によく売れる?急増減を繰り返すインバウンド需要見えづらかった為替の影響円安がもたらす需要を推定する為替レートで需要伸長の 80%を説明できる? 6- 3 CMモデルが使っても売れない化粧品モデルが使った「色」は売れる新商品以外の売上も上がる 6- 4 解明の糸口さえ見つからない予測の怪奇現象蝶のはばたきが台風を呼ぶ理由モデルが使わない商品の需要変動 6- 5 需要予測のマーフィーの法則失敗する可能性のあるものは必ず失敗する予測を上げると売上が上がらない? coffee break ③ 需要予測を超えるブランド力第 7章 環境で動かすチームマネジメント 7- 1 環境で操るチームの行動メンバーの無意識に影響を与えるトレンド変化を知らせてくれるシステム 7- 2 暗黙知の見える化暗黙知を吸い上げるナレッジマネジメント真実を完璧に把握することはできない他人に同意された意見は正しいのか?みんなが集めているから集めようルールをつくる人の責任口頭でマニュアルを更新していく 7- 3 未来のチームづくりへの評価人が環境を変え、環境が人を変えるおわりに A I時代の需要予測参考文献図版制作/株式会社ウエイド

第 1章――需要予測とは何か

1- 1 何のための需要予測?ちょうどよい量の生産を目指す 需要予測というのは、おそらくほとんど全てのメーカーで行われている仕事かと思いますが、改めてここでその役割について触れておきます。 メーカーが行う需要予測の目的は、ちょうどよい量の生産です。来月 100個売れるだろうから、今月のうちに 100個つくっておこう、というのがイメージしやすいでしょうか。消費者が欲しいと言ってからつくることが許されれば、予測をする必要はありません。しかし、消費者が欲しいと言ってから、原料(化粧品でいうと中味)や材料(同様に、容器や箱)を買い、商品を生産し、小売店へ運んでいたら、早くても 1 ~ 2ヶ月はかかってしまいます。 消費者にとって長い時間待たされても欲しくなるほど魅力的な商品ならまだしも、多くの消費財では、ほとんどがそんなに待ってはもらえないでしょう。だったら別の商品を買おう、と考える消費者が大多数です。消費者が欲しいと思った時に、小売店にその商品が並んでいる(これを在庫と呼びます)必要があり、そのためには需要予測が必要になるのです。

たくさんつくるのがよいとは限らない 予測などしなくても、とにかくたくさんつくっておけばよいじゃないかと思う方もいるかもしれません。しかしそのためには、いつ売れるかわからない商品のために多額のお金をかけて原料や材料を買う必要がありますし、つくったらつくったで、大量の商品をどこかに保管しなければなりません。保管といっても、ただ置きっ放しにするわけにはいかず、誰かが管理する必要があります。つまり、商品は置いておくだけでもお金(人件費や保管費)がかかるのです。 また、企業はいかに上手に資金を使えているかが、経営の評価に関わってきます。いつ売れるかわからない商品を大量に抱えているということは、お金として使えない資産を大量に抱えていると見られ、経営としては不健全だと評価される要因にもなります。 加えて、化粧品ではあまり見られませんが、パソコンなどの商品(ブランドよりも機能や価格を重視して買われる傾向が強く、また技術革新の速度も速い)は時間と共に価値(価格)が下がってしまうというリスクもあります。そして、売れなかった商品はどうなるかというと、廃棄場に運ばれ、燃やされてしまうのです。もちろんこれにもお金がかかりますし、ムダな二酸化炭素を排出することになり、地球環境にも悪影響を及ぼします。悪いことだらけですね。つまり、売れる量、需要を予測することは、多くのメーカーにとってとても重要な仕事になるわけです。 メーカーで需要予測を担うのは、扱う商品の種類の多さや組織の考え方によって、営業担当だったりマーケターだったりします。需要予測は物や情報の大きな流れを管理する SCM(サプライチェーンマネジメント)の一部なのですが、 SCMの概念が日本よりも広く認知されているアメリカでは、デマンドプランナーという専門的な職種があるそうです。ちなみに需要予測の数字は「フォーキャスト( forecast)」と呼ばれます。こういった SCMに関する知識は、 APICSというアメリカの SCM教育団体がまとめているので、興味のある方は調べてみてください。私は、客観的なデータのみを根拠とする「フォーキャスト」と、それに人が意思を込めた「プランニング」を分けて考えているため、需要予測を専門的に担う職種を「デマンドフォーキャスター」と呼びたいと思っています。 ここまでで挙げたのはあくまでも、メーカーにとっての需要予測の目的ですが、考えてみると、世の中ではあらゆるところで予測が行われています。 身近な例でよく挙がるのは、家庭の冷蔵庫の中の食材です。上手に家計を回している主婦、主夫の方々は、きっと需要予測も上手なはずです。家族が何をよく食べるのか、その料理には何がどれくらい必要か、どれくらいストックがあれば家族から文句も出ず、食材を腐らせることもないか、そういったことを意識せずに、うまく買い物をしているでしょう。カフェや居酒屋の店長など飲食店の方も似たようなことをもっと広範囲で行っています。これらの目的はメーカーの需要予測と似ていますね。 私が知る中で最も興味深かったのは、高速道路の渋滞予測です。予測を当てることではなく、予測をはずすことが目的になっているそうです。渋滞の予測を多くのドライバーに知らせることで、ドライバーの出発時間などの再考を促し、車が分散することを狙うのです。同じ予測といえど、目的が全く違って、とてもおもしろいですよね。

需要予測の原点は顧客の顔 需要予測という言葉が耳慣れなくても、意外と身近なものであると感じていただけたでしょうか? 身近な需要予測は、比較的規模が小さな需要予測と言えるのですが、実はそこに、需要予測の原点があると感じています。それは、顧客の顔です。 東京の杉並区に、桜で有名な善福寺川公園があります。その公園沿いに、とても感じの良い女性オーナーのカフェがあり、私はそこで需要予測について質問しました。「珈琲豆は鮮度が重要なので、仕入れの量を決めるのは大変だと思うのですが、どうやって考えているのですか?」「定期的に来てくださるお客様がいらっしゃるので、その方たちのお好みのものを用意するようにしていますね。それに、新しく来てくださるお客様の分を少し上乗せして仕入れています」 アットホームなカフェなので、顧客との距離が近く、一人一人の顔と好みを覚え、それに基づいて珈琲豆を仕入れているということでした。これはまさに、需要予測の原点だと思います。私が行っている需要予測では、数量の規模感が大きく、また直接一人一人の消費者と接することはできないのですが、常に消費者の購買行動から考えています。できる限り、消費者の顔を想像しようとしていると言えるでしょう。地域密着のカフェでは、一人一人の顧客の顔が見える分、需要予測の難易度としては比較的低いと思いますが、年に一度、とても難しくなる時期があります。それは、お花見の時期です。 善福寺川公園は広く、また川沿いに桜がずらっと並んでいてとてもきれいなので、桜のシーズンはすごい人出になります。真偽のほどは定かではありませんが、近くのミニストップは、その時期に全国 2位の売上になったというウワサも聞いたことがあるくらいです。この時期は普段とは比べものにならないくらいの人が集まるので、このカフェに立ち寄る方も多くなると想像しました。「お花見の時期は公園が賑わうので、仕入れも難しいのではないですか?」「そうですね。テイクアウトで行列ができたこともあります。その時期は大量に仕入れておくしかないですね」 この時期は一見さんが多くなるので、顔の見えていない来店客が増えるということであり、需要予測も難しくなるということです。余談ですが、男性客は一通り様々な珈琲を試し、お気に入りを見つけて、それに落ち着くそうです。扱う種類を増やすほど、対応できるニーズは増えますが、その分需要予測も難しくなり、在庫も増えてしまう可能性が高くなります。これも商いの規模にかかわらず直面するジレンマと言えそうです。 さて、需要予測の目的をお話ししたので、次は需要予測が与える影響についてお話ししましょう。

1- 2 需要予測が当たらないとどうなるか駆け込み需要で多くの品切れ 2014年4月に消費税が 8%に上がったことは未だ記憶に新しいと思いますが、みなさんはそれを見越して買いだめをしたでしょうか? 新聞やテレビなどでは、家や車の増税前購入が取り上げられていましたが、化粧品やコンタクトレンズといった比較的低価格のものについても駆け込みでの購入が見られました。当時、小売店で買おうと思ったものが品切れている、ということがあったと思います。これは、様々な業界・企業で適切に「駆け込み需要」の予測ができなかったことが、大きな理由の一つです。 ここでいう「適切に」とは、何の需要が何%伸びるかというレベルで、ということを意味しています。私が所属していた需要予測チームでも、消費増税はあらかじめわかっていたので、その前に駆け込み需要が発生すること自体は予測できていました。一方で、数ある商品の何が、それぞれどの程度需要が伸びるのかまで正確に予測をするのはかなり難しかったといえます。私が約 8年、需要予測に関わってきた中でも、これはかなり印象的な出来事でした。 今ではこれを予測担当として経験できたことは、私自身にとってとても意味のあることだったと感じていますが、当時は需要予測の失敗で発生する品切れの怖さを強く実感した出来事だったので、需要予測が当たらなかった一例としてお話しします。 1997年に消費税が 3%から 5%に上がりました。当時も増税前の駆け込み需要が発生したので、私たちは、その実績を参考に需要予測を行いました。当時主に需要が伸びたのは、高価格帯のスキンケア商品(化粧水や美容液など、基礎化粧品などとも呼ばれるカテゴリー)でした。これらはある程度繰り返し購入され(リピート購入とも呼ばれています)、また価格が比較的高く消費税増税の影響も大きいので、駆け込み需要が発生したと考えられます。この先も使うし、増税の影響も大きいから買いだめしておこう、という心理は、おそらく 1997年と 2014年で変わっていないでしょう。 増税幅も 1997年は 3%から 5%、 2014年は 5%から 8%で、その差は 1%と、ほぼ同じ。私たちはそう考えました。 しかし、結果的に多くの商品で品切れを発生させてしまいました。振り返ると、この需要予測が外れたポイントは主に2つ、 ①想定よりも高価格帯スキンケア商品の需要の伸び率が高かったこと ②想定外の中低価格帯商品の需要も伸びたこと、です。これらの要因を少し掘り下げます。

たった 1%がもたらした意味 17年ぶりともなると、ブランドや商品のラインナップもかなり違っていますし、消費者の購買行動も大きく変化しています。 2%の増税と 3%の増税を比べると、実際の消費者へのインパクトが同程度ではなかった可能性もあります。 需要予測の担当者は、 1%という数字自体はほとんど誤差だと、おそらく無意識に思っています。それは、日常的に行っている需要予測においては、 1%のズレはほとんど「当たり」だからです。これが影響して、 1%の差をたいした違いではないと考えてしまったのでしょう。需要変動の 1%と消費税増税の 1%は全く異なる意味を持つのにもかかわらず、です。 認知科学ではこれを「アンカリング効果」と呼びます。意味的には無関係な数字でも、頭に残っていると、無意識に影響を与えてしまうという特性です。これは、わかっていても影響を受けてしまう可能性があり、数字を扱う仕事に就いている場合は特に気をつけなければいけません。結果、私たちが想定したよりも、 2014年の消費税増税のインパクトが大きく、化粧品の駆け込み需要の規模も 1997年より大きくなったのかもしれません。 また、予測が外れた他の要因として、消費者が 97年当時と比較し、ドラッグストアやインターネットで化粧品を購入するようになったということも議論されました。経済産業省が発表した「平成 29年度我が国におけるデータ駆動型社会に係る基盤整備(電子商取引に関する市場調査)」によると、 B to C( Business to Consumer:企業から消費者)の EC( Electronic Commerce:電子商取引)市場は 2008年の約 6兆円に対し、 2017年は 16・ 5兆円以上にまで伸長しています(図 1- 1)。また、 1997年頃は、今ほど街でドラッグストアを見かけなかったように思います(図 1- 2)。ドラッグストアでは主に中低価格帯の商品を取り扱っているので、消費者がそれらを購入しやすくなったということも考えられます。

これは認知科学で「利用可能性ヒューリスティクス」と呼ばれているもので、人は利用しやすいものを利用しがちであるという特性のことです(詳細は第 2章でお話しします)。これにより、 2014年の駆け込み需要の対象は、中低価格帯の化粧品にまで及んだとも考えられます。 結果から振り返れば、このように予測が当たらなかった要因を考えることができますが、事前にここまで想定しておくのは、残念ながら、至難の業といわざるを得ません。ただ、理由はどうあれ、需要予測が大きく外れたことが原因となり、多くの品切れが発生してしまいました。 品切れが発生すると(正確には発生が見込まれると)、早期にリカバリーするための手を打ちます。原料と材料があれば、すぐに増産を工場へ依頼しますし、必要に応じて、原料も材料も追加発注します。また、商品を全国へ配送するためにストックしている物流センターへも、優先的な対応をしてもらうよう依頼をし、一日でも早く出荷できるようにします。 ただし、これらはイレギュラーな対応であり、追加のコストが発生する可能性が高くなります。工場へ休日稼働や 24時間稼働を依頼する場合もありますし、基本の契約よりも短い期間で、サプライヤー(商品の原材料を製造・販売する会社)に原料や材料を納入してもらわなければならないかもしれません。また、工場や物流センターにおいて、当初組んでいた計画よりも多くの人を手配する必要が出てくるかもしれません。 原料や材料、または商品自体を海外から輸入しているものであれば、輸送手段を運賃の安い船から、運賃の高い航空機に変更することもあります。これは環境への負荷も高くなります。 品切れが発生すると、売上の機会損失はありますが、それ以外にもこれだけの追加のコストが発生してしまうのです。これは需要予測よりも売れてしまった一例でした。

過剰な在庫は意識しづらい 需要予測よりも売れずに、大量に在庫が残ってしまうという逆のケースもあります。これは、発売して数年以上経った商品(既存品などと呼ばれます)よりも、新商品で比較的多く見られます。 新商品というのは、基本的には消費者へ新しい価値を提供し、その結果として売上をアップさせるためのものです。つまり、「売れない」という計画にはなりません。新商品を発売するためには、多くの費用がかかるので(例えば新薬開発には非常に多くの研究開発費がかけられていると聞いたことがあると思います)、売れない可能性が高いのなら発売するのをやめましょう、という判断になるはずです。 新商品は発売前にテストされ、一定の根拠に基づいて、「売れる」という自信と共に発売されるのですが、テストはあくまでもテストなので、計画通りに売れないこともあります。計画の 80%ならまだしも、 30%しか売れなかったなどとなると、発売直後から大量の在庫を抱えることになります。特に口紅やアイシャドウなどのポイントメイクアップと呼ばれるカテゴリーの商品は、発売時に売れないと、その後は一気に需要が落ちる(化粧水やアイブロウなどとは異なり、再び同じ商品を購入する消費者が比較的少ない)ので、残った在庫はしばらく動かないこともあります。 1- 1でも少しお話ししたように、在庫は会社の資産ですが、お金として使えないばかりでなく、管理にお金がかかります。こういった動かない在庫を大量に抱えると、極端な話、会社がつぶれてしまうことも十分に考えられるのです。また、この過剰在庫が厄介なのは、品切れと違いほとんどの社員には「見えない」ということです。 品切れは商品が届かないのですぐに問題になり、様々な部門の方に影響が出るので目立ちます。 一方、過剰在庫はすぐに悪影響が見えるわけではないので、意識しづらいという特徴があります。これは認知科学で言う「現在性バイアス」によるものと考えています。人は「現在」を「将来」よりもずっと重視する傾向がある、という特性です。言い換えると、目先のことにとらわれがちである、ということです。 過剰在庫が問題として表面化するのは、決算のタイミングや、その商品のリニューアルが検討されるタイミングなどであり、過剰在庫発生の直後ということはほとんどありません。後になって、その痛みがわかるという現象です。これも、需要予測が外れた結果です。 予測が当たらず、経営に悪影響を与えるという失敗のお話でしたが、これで需要予測、ひいては商品供給に関わる仕事の重要性をおわかりいただけたかと思います。しかし実際、ほとんどのメーカー社員にとってでさえ、商品はあって当たり前です。私自身、営業をしている頃は商品供給についてほとんど考えたこともありませんでした。 以前、上司に「 SCMの仕事は秘書業務と似ているよ」と言われたこともあります。失敗がなくて当たり前と思われる仕事といっていいかもしれません。

1- 3 需要予測が当たるとどうなるかブランド価値を支える需要予測 いきなり予測の失敗事例をお話ししてしまったので、次は成功事例のお話です。 需要予測の目標は、予測値と実績の乖離度合い(誤差)をできるだけ小さくすることです。誤差が小さければ、在庫、またはタイムリーな生産調整で、品切れや過剰な在庫を発生させずに商品を供給できる可能性が高くなります。売上は、商品が売れることで上がります。ということは、売るための商品がないといけません。まとまった量の安心な商品をつくるのには、数ヶ月単位の時間がかかります。そこに需要予測が貢献しています。 ブランド価値をつくるマーケターが素晴らしいマーケティングプランを考え、実行しても、商品がなければ売上は上がりません。逆に、商品をつくり過ぎてしまうと、余分な在庫のために管理費用や廃棄費用がかかり、それがブランド損益の悪化につながり、売上は上がっても中・長期で見たら利益はマイナスという事態にもなりかねません。どちらもせっかくの素晴らしいマーケティングプランを台無しにします。金額や割合では表しにくいですが、きちんと需要を予測して、タイムリーに商品を用意することで、需要予測がブランド価値づくりに貢献しているのです。メディアで取り上げられているあの大ヒット商品も、実は需要予測が支えているのかもしれません。

訪日外国人による日本マーケットの変化 私が需要予測の成功による売上への貢献を実感した事例をお話しします。 2016年3月、日本政府による訪日外国人数の目標値が大幅に上方修正されました。 訪日外国人とは、旅行などで日本を訪れる外国人のことです。東京オリンピックが予定されている 2020年までに年間 2000万人という目標が、 4000万人へ倍増されました。訪日外国人数が話題になり始めたのは、 2014年の年末で、日本政府による観光プロモーションの強化やビザの緩和、航空機やクルーズ船の増便、免税対象品目の拡大など、様々な施策によって訪日外国人数が急増し始めました(図 1- 3)。 この時、化粧品も免税の対象になり、それ以降、訪日外国人による化粧品の購買が激増し、近年では稀な売上増を目の当たりにしました。この訪日外国人の日本マーケットにおける売上は、インバウンド需要と呼ばれています。 中でも訪日外国人の方に人気があるのは、長い間その品質に信頼があり、世界で圧倒的なブランド力を築き上げていた高級ブランドです。 2015年の前半は特にスキンケアが人気で、商品によっては前年の数倍以上も売れ、それまでの需要予測のやり方では全く当てられないくらいの売上変動が発生しました。 これに対し、私たちは新たな需要予測手法を開発しました。それによって 2015年はこのカテゴリーにおいてほとんど品切れを発生させずに商品を供給し、シンプルに厳しく見積もった私の試算でも決して少なくない額の売上増に貢献できました。 もしこれを正しく予測できず、長期間にわたって品切れを発生させていたら、売上増のチャンスを逃しただけでなく、ブランドの顧客の不満も引き起こし、長い時間をかけて築き上げられたブランド価値も毀損していたでしょう。〝こんなに手に入りにくい化粧品なら他のブランドのものに切り替えよう〟と、それまで愛用していたブランドを購入しなくなってしまうということもありえました。 そのインパクトは本来、顧客生涯価値(ブランドが顧客から得る、生涯を通じた収益)という、長期的な視点でのブランド収益も含めて考えるべきであり、実際には私が試算したよりも遥かに多くの金額的な効果があったと考えています。

1- 4 日本企業が抱える需要予測の悩み販売計画と需要予測のギャップ 同じ会社にずっと勤めていると、職種は変わるなどしても、自分から動かなければ、せいぜい同じ業界のことしか情報が得られません。他業界、自分が見えていない世界のことを想像するのは、なかなか難しいですよね。まず、想像しようという気持ちが必要になりますし、想像するには情報が必要になります。そしてそのような情報は、自分から取りにいかなければ得られません。 そこで、 SCMのプロフェッショナルになるためにキャリアを積んでいこうと決心してからは、積極的に SCMに関連しそうな外部セミナー(社内の研修ではないもの)に参加したり、業界誌を定期購読したりしました。ビジネスモデルが違っても、自分の会社の SCMに活かせることはたくさんありますし、アイデアを生み出すためには、一見関係がなさそうに思われる情報が有用であることもあります。 この項では、外部セミナーで出会った、様々な業界の SCMプロフェッショナルの方々と話をする中で気づいた、日本企業の需要予測の悩みについてお話しします。 少し乱暴なまとめですが、私の実感としては、日本企業(メーカー)における需要予測の悩みは、業界によらず、同じ傾向があります。もちろん全ての日本企業の方と話したわけではありませんが、飲料メーカー、医療機器メーカー、自動車メーカー、家電メーカー、 SCMコンサルタントなど数十社の SCM関係の仕事に携わっている方と話した結果、感じたことです。 最初の頃は、各業界の需要予測において、様々な悩みがあるのだろうなと、漠然と思っていました。しかし当時、東京工業大学が主催していた社会人向けのキャリアアップセミナーの一環で、「日本の SCMはなぜ良くならないのか」をテーマに約 20時間議論し、各社の需要予測の悩みは似ていることを知りました。 すぐに挙がる需要予測の悩みは、営業部門の販売計画とのズレです。需要予測の基本的な考え方は、過去のデータからの客観的(数学的、統計的)な予測に、未来の変動要素を加味することです。 具体的な未来の変動要素には、マーケットの変化(訪日外国人の増加や高齢者構成比の上昇など)や、マーケティング(テレビ CMの投入や大規模な販売促進プロモーションなど)といったものがありますが、営業部門の販売計画もその一つです。 基本的には、多くのメーカーが営利企業ですから、会社が目指す売上計画があり、それと連動した営業部門の予算があります。それをクリアするために販売計画があり、需要予測にはこれを考慮する必要があるのです。営業部門がある商品の販売計画を 200個と立てているのに対し、在庫が 100個しかなければ、売る商品が不足し、営業部門は困ってしまいます。在庫は需要予測に基づいてつくられますから、営業部門の販売計画をきちんと加味する必要がありますね。 ただ、販売計画はあくまでも計画、むしろ意思であり、その通り売れるとは限りません。予算達成のためにはこれだけ売らなければならない、という販売計画と、今のマーケット環境だとこれくらいしか売れないだろう、という需要予測の間には乖離がある方が普通です。それを埋めるために、販売促進プロモーションなどが行われるわけです。 とはいえ、たいていは販売計画の方が大きく、それをどこまで需要予測に加味するかが問題になります。販売計画のままに生産を行い、在庫を準備すれば、在庫が過剰になるリスクが高くなります。一方で、販売計画を全く加味しないと、品切れリスクが高くなります。販売計画をある程度妥当な水準で立てられればよいのですが、販売計画を下方修正するということは、予算達成を諦めることにつながり、そう簡単には決断できないものです。結果、販売計画を修正する頃には、既に原料・材料の手配が終わり、商品もつくられてしまっていることが多く、計画通り売れなければ、在庫が過剰になるという状態になります。こういった、販売計画を早期に修正できない、かといってどこまで需要予測に加味したらよいか判断が難しい、というのが様々な業界における需要予測の共通の悩みの一つです。

生産調整と需要予測のジレンマ また、別の共通の悩みに、需要予測が当たらない、というものがあります。一方、需要予測を修正しても、生産が柔軟に対応できない、というものもあります。 実は、これらは表裏一体です。工場や生産計画立案(工場の稼働率や人員数を考慮しながら、いつ、何を、何個つくるかを計画する)のチームから出てくるのが前者、需要予測やマーケティングのチームから出てくるのが後者ですが、どちらも商品供給がうまくいかない理由が相手側にあると考えているのです。 極論ですが、全商品について 1個単位でぴったりの需要予測をすることは不可能ですし、同様に工場も今日言われて明日つくるということも難しいのです。誰もがこれをわかっていて、需要予測はある範囲で当て、生産で柔軟に対応できない分は在庫を持っておく、ということをしているはずなのですが、残念ながら、前述のような話は様々な業界で耳にします。 もちろん、当てなければならない範囲を超えて予測がブレてしまうことはありますし、原料・材料調達や生産のミス、トラブルで商品供給が遅れることもあります。需要予測も生産も、原料・材料の調達も、長い SCMというつながりの中の一機能でしかありません。品切れや過剰在庫といった良くない結果の原因は、ほとんどの場合、どれか特定の一機能によるものではなく、複合的なものなのです。大事なのは、そういう時にどうリカバリーするかを、きちんと話し合っておくことです。これも日本の企業が弱いところといわれています。リカバリープランの事前検討が不十分ということです。需要予測が当たらない、生産が柔軟に対応できない、と責任を押し付け合うのではなく、現実的な自社の SCMの力を把握した上で、リカバリープランを検討することに力を注ぐべきだと考えています。 これらが、私が感じた、日本のメーカーにおける共通の需要予測の悩みです。原料・材料を調達し、商品を生産し、マーケティングを考え、顧客に販売する、という事業の構造が共通しているため、扱うものが異なっても、悩みは似てくるのだと思います。 悩みが似ているということは、解決策も似ているはずです。様々な業界の視点から、共通の悩みについて議論し、解決策を考えることはとても有意義でした。自分の会社の仕事に注力することはもちろん大切ですが、時々外に出て、様々な業界の同職種の方とお話しすることもとても大切だと思っています。ぜひみなさんも外に出て、他業界・同職種の方とお話ししてみてください。

1- 5 化粧品のデマンドフォーキャスターの仕事消費者が購入する量を予測する この本では、私が需要予測の仕事を通じて体験したことを、認知科学的な視点で振り返っていく内容がメインになるのですが、今後の話をわかりやすくするために、私が体験してきた、化粧品ビジネスにおける需要予測について簡単に説明します。 メーカーにおける需要予測のミッションは、小売店や卸店へ出荷する商品の数を予測することです。メーカーが直接、 WEBサイトなどを通じて消費者へ販売することもありますが、多くの場合は、全国にある小売店や卸店に商品を卸し、小売店がそれを消費者へ販売します。そのためメーカーの SCMとしては、自社から出荷する数量を生産する必要があるのです。 この出荷数を予測するためには、消費者がどれだけ購入するかを予測することが必要になります。最終的に、消費者が商品を購入することによって、小売店や卸店が商品を仕入れるからです。

小売店や卸店の持つ在庫を予測する また、店舗での売上予測と同時に、小売店や卸店が持つ商品の数(これを小売店在庫や卸店在庫と呼んでいます)を予測することも必要になります。 ある商品が小売店で 100個売れ、店頭に 50個並んでいるとしたら、合計の 150個が出荷されたということになります。この 150個を予測し、生産しておかなければなりません。多くの商品においては、発売後数ヶ月も経つと、全国の小売店に並んでいる数はそう大きく変化しません。 1店 1店ではそれぞれ若干の増減はあるでしょうが、全国合計で見ると、ある程度の水準に落ち着くのです。そのため、消費者が購入する数を適切に予測することができれば、出荷数もそれとほぼイコールになります。 一方で、小売店や卸店が持つ在庫数が大きく変化する商品もあります。例えば日焼け止めは、春先( 2 ~3月)に出荷数が増える傾向があります。気温はまだ高くない季節ですし、この時期に購入する消費者が多いわけではありません。実際に消費者が日焼け止めを本格的に購入し始めるのはゴールデンウィークくらいの時期であり、それに向け、小売店で日焼け止め売場をつくるのです。そのために、消費者が購入する時期より早く、大きな出荷が上がるというわけです。 これに合わせて、卸店も仕入れます。つまり、日焼け止めの需要予測では、こういった小売店や卸店の在庫の変化も適切に予測することが必要になります。消費者が購入する数と、小売店や卸店の在庫数の変化、この2つの要素を適切に予測することで、メーカーから出荷する商品の数を予測するのです。 こういった細かい要素に分けて考えず、出荷数だけを考慮して予測することもできますが、それでは当たった時にも外れた時にも、きちんと結果を振り返ることができず、知見を蓄積することができません。これでは、なぜ良かったのか(悪かったのか)がわからないので、需要予測の進化が期待できません。なぜ予測が当たったのか(外れたのか)を振り返り、その理由を整理し残しておくことで、後から簡単に調べられるようにするのが、需要予測の進化のためにはとても重要だと考えています。これは「ナレッジマネジメント」と呼ばれますが、需要予測のナレッジマネジメントについては、本書の第 7章で触れます。 第 1章では、需要予測という仕事について、私自身の失敗事例や成功事例を紹介しながら、その意義についてお話ししました。つづく第 2章では、私が日々行っている需要予測の業務の中で経験したこと(特に失敗したこと)を、認知科学的な視点で振り返ります。人が行う需要予測だからこそ、人の認知的な特性に起因する予測ミスが起こるのです。それを認識することで、予測ミスを減らすことができると考えています。

第 2章――認知科学で読み解く予測ミス

人が行う予測は完璧ではありません。一方で、現代の科学では、予測をシステムで完全に自動化することもできません(詳細は第 6章で述べます)。そのため、人によるミスをマネジメントすることが必要になりますが、これはミスをゼロにすることではありません。 予測のミスには防げるものと防げないものがあり、〝防げるミス〟はゼロを目指し、〝防げないミス〟はミス自体を予測し、対策を事前に検討しておくことが重要です。ここで言う〝防げるミス〟とは、人が行うからこそ起こるものであり、人の認知活動(頭を使う活動)を対象とする認知科学で読み解くことができると考えました。〝防げるミス〟が起こるメカニズムを知ることで、それを防ぐ第一歩にできたらと思います。

2- 1 ヒューリスティクスとは何かある程度の精度で最速の予測を ビジネスにおける需要予測は、難しい数学の式を使って予測モデルを構築し、パラメーターをいじくって 0・ 1%の精度を追求していくものではありません。限られた時間の中で、数多くの商品の売上を〝適切に〟予測し、経営効果を追求していくものです。 ここでいう〝適切〟とは、品切れも余分な在庫も発生させないレベルで、ということです。品切れを防ぐことで売上機会損失を防ぎ、余分な在庫を持たないことでムダな管理コストを削減できます。ただ、全品を、 1品ずつじっくりと予測をしている時間はありません。予測に時間をかけるべき商品とそうでない商品を適切に判断し、スピーディーに予測していくことが必要になります。ここで強力な武器となるのが、「ヒューリスティクス」(発見的探索法)です。 アルバート・アインシュタインによると、ヒューリスティクスとは「不完全であるが役に立つ方法」という意味で、私は「ある程度の精度で最速の思考方法」と解釈しています。 例えば、会社の懇親会の幹事を任され、お店を選ばなければならない時、会社近辺のエリアの飲食店を全て調査して、様々な角度から(料理の味、店内の雰囲気、店員の態度など)評価して、順位づけをしてから選ぶのには大変な時間がかかります(この方法は全数探索といいます)。 こうした総当たり的な方法を避け、グルメで有名な先輩にお店の候補を挙げてもらい、その数店から選ぶという方法をとれば、短時間で、十分に満足度の高い飲食店を選ぶことができる可能性が高くなるのではないでしょうか。こうした方法をヒューリスティクスと呼びます。

ベテランはヒューリスティクスを活用する ビジネスの場では、特にベテランの予測担当ほど、ヒューリスティクスを有効に活用しています。一人の予測担当は、少なくとも数百を超える商品を担当する場合が多く、また、 1品ごとにこの先数ヶ月 ~ 1年程度の出荷数を予測しなければなりません。そのためには、月別に消費者がどれだけ買ってくれるのかを予測しなければなりませんし、併せて小売店の在庫の増減も月別に考えなければなりません。加えて、来月にはブランドプロモーションがあるかもしれませんし、ライバルブランドから似たような新商品が発売になるかもしれません。また、青系のアイシャドウや日焼け止めは夏に向けて売上が上がっていきますし、ハンドクリームや保湿クリームは冬に向けて売上が上がっていきます(図 2- 1)。 こういった情報を漏れなく収集し、 1品 1品の需要予測に反映していくには、おそらく膨大な時間がかかります。 そこで予測担当は、予測を行う際に優先順位をつけ、予測に時間をかけるべき商品とそうでない商品を分けて対応しているのです。優先的な予測をすべき商品は、その月にプロモーションのある商品であったり、同価格帯・同用途の新商品が他社から発売になった商品であったり、需要のピークシーズンを間近に控えた商品であったりします。この判断軸は予測担当によって(担当している商品の特性によっても)異なります。一般には予測の経験が長い担当者ほど、素早く正確な仕分けができる傾向があります。この予測担当の経験による差をできるだけ少なくするために、システムによるサポートもありますが(詳細は第 5章で述べます)、対応力に差が出ている可能性が高いといえます。 一方で、一見とても有用に思えるヒューリスティクスは、時に大きなミスを犯してしまう原因にもなるのです。

2- 2 お手軽予測が生む品切れ人は思いつきやすいことを参考にする ヒューリスティクスには、利用可能性ヒューリスティクスや代表性ヒューリスティクス、調整ヒューリスティクスといったいくつかの種類があります。 利用可能性ヒューリスティクスとは、最近の事例や検索しやすい事例を使って思考、判断することです。簡単にいうと、思いつきやすいことを参考にする、ということです。 よく例に使われるのが、「日本では、溺死と火災、どちらで死亡する人の方が多いでしょうか?」というもの。大半の人が「火災」と解答するのですが、答えは「溺死」です。厚生労働省と消防庁のデータによると、 2014年時点でも「溺死」は「火災による死亡」の約 3倍(約 4900人に対し、約 1700人)です。この「溺死」には、家庭内、つまり、入浴中の事故が多数含まれています。中でも、特に高齢者の事故が多いのですが、こういった知識を持っていないと、さきほどの質問に正しく解答することができません。これは言い換えると、「高齢者の入浴中の事故が多い」という情報を使うことができるか(利用可能であるか)が重要になるということです。 これは私の見解ですが、街で消防車を目にすると、「火災が発生した」と想像しますが、救急車を見ても、「誰かがケガをした」としか想像せず、必ずしも「高齢者が入浴中に溺れた」とは思わないでしょう。つまり、多くの人にとって「入浴中の溺死」を想像する機会が比較的少ないため、それが使いやすい情報になっていない、と考えることができます。よって、この情報を解答に使うことができないのです。ちなみに私は「溺死」という文字を見て、すぐに海を思い浮かべました。まさか浴室での溺死とは、考えつきもしませんでした。需要予測においても、こうした利用可能性ヒューリスティクスは頻繁に見られ、これによるミスも多発していると感じています。

利用可能性を拡げる仕掛けづくりを 需要予測を担当したばかりの頃、私の担当商品の中に、主にドラッグストアで販売している比較的安価なメイク落としがありました。これは若年層を中心に安定的な需要がありましたが、テレビ CMを投入して大々的にプロモーションをかけるブランドではありませんでした。 そのため、前年の実績を参考に、直近のトレンド(需要が伸長傾向にあるのか下降傾向にあるのか)に従ってスピーディーに予測していました。特に大きなブランドプロモーションの計画もなく、冬に向かって需要が伸びる商品でもなかったため、比較的単純な予測でも大きくブレることはないと考えていました。 ところが、ある時、予測を大幅に上回る売上の見込みが出てきました。これを真っ先に嗅ぎ付けた在庫計画の担当の方が、私に警告してくれました。「このメイク落とし、だいぶ上ブレしそうだね。このままだとかなり在庫が少なくなって、品切れが起きる可能性があるけど、何かあったの?」 そこで私は慌てて分析に入りました。まずは、どこか特定の小売店や系列(複数の店舗を運営している企業)で、大規模な納品が行われていないかを調べました。小売店が売上を上げるために、流行や季節に合った特定の商品を取り上げ、特別な売場をつくるなどして、販売に力を入れるといった動きです。しかし、調べた結果、目立った納品は行われていませんでした。その時、隣の席の予測担当の方が、「それ、たしか前年、限定品の発売があったよ!」 と声をかけてきてくれました。調べてみると、たしかに前年、ミニサイズのメイク落としが付いた限定セットが発売されていたのです。その影響で、前年の単品の出荷数は落ち込んでおり(図 2- 2)、それを基に予測していた私は大きな間違いを犯してしまったのです。 化粧品の世界では、こういった限定品の発売はよくあるのですが、限定品の売上が、単品の売上に丸々上乗せになることはまずありません。限定品は、需要の起爆剤として、他のブランドのものを買っている消費者にアピールする目的で発売されることが多いのですが、普段からその商品を愛用している消費者も、単品の代わりに限定品を買うことが多くあるためです。同じ価格なら、お得なセットの方を買うのは納得できますよね。 それらしい原因がわかった私は、急いで予測を修正し、増産の依頼を出しました。このメイク落としは安定的な需要がある商品であったため、原料・材料もある程度確保してあり、すぐに増産の対応をしてもらえたので、品切れも起きず事なきを得ましたが、ヒヤリとした予測ミスでした。 当時活用していた予測システムの画面には、〝前年こんなことがありましたよ〟といったコメントを残せる機能がありました。ただ、需要予測は専門的な仕事であり、担当者の入れ替わりがあまりなかったため、この商品については、この機能がうまく活用されていなかったのです。専門的な仕事でも、担当者が永遠に代わらないことはなく、専門的な仕事であるからこそ、ノウハウの継承がとても重要だと私は考えています。 この失敗事例は、必要な情報を得ることができなかったために発生しましたが、認知科学的な視座から振り返ると、利用可能性ヒューリスティクスによるミスだと考えています。つまり、簡単に利用できる(利用可能な)情報だけを使って、スピードを優先して需要予測を行った結果、本当は考慮すべき情報が抜けてしまった、ということです。人にはこういった行動特性(思考の特性)があるという認知科学的な視座から考えれば、必要な情報が簡単に得られる状態になっていなかった(利用可能ではなかった)といえます。 こう考えると、人の行動特性に由来して発生する予測ミスには、効果的な対応策を打つことができます。私が考える、利用可能性ヒューリスティクスによる予測ミスへの対応策は、「利用可能性を拡げる仕掛けづくり」です。人に〝必ず考えなければいけない重要な情報がありますよ〟ということを認識させるのです。 ただ、ある商品に関連する全ての情報を表示させると、画面がいっぱいになり、大切な情報が目立たなくなります。そこで、〝こういうことを忘れずに調べてくださいね〟という情報だけを表示させるイメージです。しかるべき方向へ、予測担当の注意の幅を拡げてあげるということです。 私は、コメント機能の活用の徹底といった属人的なしくみだけでは不十分だと考えています。どんな人でも、忘れたりミスをしたりすることがある、そういう視点で環境を整えることが、長期的には予測ミスを減らすことにつながるはずです。

手に取りやすいものが買いやすい 少し視点を変えて、今度は消費者の利用可能性ヒューリスティクスについて考えてみたいと思います。消費者の利用可能性ヒューリスティクスによって、需要予測に影響が出ることがあります。 主にドラッグストアやコンビニエンスストアで販売されているブランドに、その世界観を表現するために、スペースマーケティングという手法を選んでいるものがあります。これは、ブランドが小売店の一部スペースを借りて、その売場からブランドの世界観を発信するというマーケティングです。売場の中でも、消費者の目線に近い高さで、商品が手に取りやすい位置を「ゴールデンスペース」(図 2- 3)といいます。 ゴールデンスペースには、新商品が置かれることが多いのですが、以前から販売されている商品でも、この場所付近に置くと、売上の水準が明らかに変わる(上がる)ことがあります。特に、カウンセリング化粧品(対面販売で、カウンセリングを通じて販売される商品)ではなく、消費者が自分で選ぶセルフ化粧品でこの傾向は顕著になります。 マーケターも当然、これを考慮して売場提案を行うので、夏にニーズが大きくなるネイルなどは、初夏にゴールデンスペースへ移動することが多くなります。 これは、消費者の利用可能性ヒューリスティクスによると私は考えています。小売店にはたくさんの化粧品が並んでいて、その全てを比較検討するのにはかなりの時間がかかります。消費者は、見やすい場所から目当ての商品を探すでしょう。マーケターや小売店の方も、季節に合わせた商品やオススメの新商品を見やすい場所に並べるので、この消費者の行動は理にかなっているといえます。逆に、見にくい場所に置かれた商品は、良いものであれ、消費者の手に取ってもらいにくいのです。 つまり、消費者の利用可能性ヒューリスティクスによって、需要が大きく変動するといえます。 例えば、ある夏に素肌感覚の薄付きファンデーションが発売になった時、以前から販売されていた同ブランドのチーク(ほお紅)がゴールデンスペースへ移されました。素肌っぽく肌悩みをカバーし、そこにチークで血色感を与える、というメイクアップ提案でした。これにより、このチークの売上水準が大きく上がりました。

これは私の仮説ですが、このメイクアップ提案が消費者の心を掴んだことに加え、このチークがそれまでよりも多くの消費者の目に留まるようになったことも、売上が上がった大きな要因だと考えています。 WEB上のブランドサイトや SNSで新発売のファンデーションを知った消費者が、売場で隣に並んでいるチークを見つけ、それを購入するという、それまでなかった新しい購買行動のパターンが加わったということです。 商品は、多くの消費者の目に留まるほど、欲しいと思ってもらえる可能性も増え、結果として売上が上がります。消費者に気づいてもらいやすくすること、つまり、消費者の利用可能性ヒューリスティクスという視点を持ってマーケティングを行うことは、特にセルフ化粧品において重要だと考えられます。 こういった需要変動を予測するためには、きちんと情報を把握することがとても大切です。マーケターが利用可能性ヒューリスティクスを理解し、変動可能性を知ることで、予測担当に情報を伝える必要性を感じてもらわなければならないですし、予測担当も、売場提案情報について、常にアンテナを張っておかなければなりません。現実に、〝この情報を知っていたら正しく予測できたのに〟というもったいない予測ミスは少なからずあります。需要予測の精度を向上させるためには、まずは必要な情報を漏らさず得られるようにすること。利用可能性ヒューリスティクスという視点を持って、そのような環境を整えることが重要だと考えています。

2- 3 全てをわかったつもりが生む過剰在庫少ない例で全体を判断できるか?「代表性ヒューリスティクス」とは、ある集合全体を考える時に、その一部分の特性が全体にも当てはまると考えることです。ヒューリスティクス研究の第一人者であるカーネマンとトヴェルスキーによる有名な例題があります。 ある町に大きな病院と小さな病院があります。平均して、大きな病院では 1日に 45人、小さな病院では 15人の子どもが生まれます。そのうち、およそ 50%が男の子です。しかし、正確には日によって異なり、 50%より多い日も少ない日もあります。さて、 1年間で、 60%以上も男の子が生まれた日数は、大きな病院と小さな病院では、どちらの方が多いでしょう? 当時の実験では、大きな病院という解答も、小さな病院という解答も 21%、ほぼ同じという解答が 53%でした。 しかし、確率論に基づいて正確に計算すると(詳細な解説は専門書に譲ります)、大きな病院ではおよそ 27日、小さな病院では 55日となり、小さな病院の方が 2倍くらい多くなるのです。これは、サイコロを無限回ふれば、どの目も同じ回数出ますが、ふる回数が少なければ、目によって出る回数に偏りが出るのと同じです。 少し目線を変えると、 5枚に 1枚の割合でアタリが入っているくじを引き、 4回つづけてハズレを引いたら、次はアタリを引くだろうと思ってしまうこともそうです。何百回、何千回とくじを引いた後に結果を振り返ると、ほぼ 5枚に 1枚の割合で当たっていたとなるでしょうが、 5回くじを引いたからといって、必ず当たりが出るわけではないのです。これは「ギャンブラーの誤謬」として知られています。 これらの例のように、少ない例でも全体を表していると思ってしまうことは「小数の法則」と呼ばれ、代表性ヒューリスティクスの典型例といえます。これがおもしろいのは、専門家でさえ、時にこの誤りに陥ってしまうということです。錯視の例(図 2- 4)も含め、私はこの〝知っていても間違ってしまう〟というのが、認知科学が対象とするもののおもしろさだと思っています。この代表性ヒューリスティクスも、需要予測の場面で見られます。

春夏用品が大ヒット! さて秋は…… 化粧品ではよく、春夏用と秋冬用に分かれているものがあります。季節によって、気温や湿度が違いますし、それに合わせて肌の状態(皮膚温や皮脂量)も変わるので、化粧品もそれに対応させましょうということです。 以前、あるブランドのファンデーションのうち、春夏用のものが大ヒットしました。この時、品切れが発生し、当時の予測担当を含め、部門の関係者が慌てて対応していたのをよく覚えています。品切れが発生すると大変です。欲しいものが買えない消費者にとっても、売上機会を損失する小売店にとっても、良いことはありません。この事態を目の当たりにしていた私は、〝このブランドのファンデーションは売れる〟という認識を持ったのです。 その後、私はファンデーションの需要予測を担当することになり、このブランドも担当することとなりました。そこで、代表性ヒューリスティクスによる予測ミスを犯します。 ①春夏用のファンデーションが大ヒットした →②このブランドのファンデーションは売れる →③秋冬用のファンデーションも売れる →④ファンデーションケースや化粧下地、白粉も売れる このように考えた私は、秋冬シーズンを前に、同ブランドの秋冬用のファンデーションや化粧下地、白粉の需要を大きめに予測しました。結果は、私の予測ほどは売れず、在庫が一時的に多めになりました。秋冬シーズンが始まっても売上が大きく伸びてこない様子が見えてきたところで、急いで予測を下方修正し、生産数量を抑えたので、大事には至りませんでしたが、会社は一時的にムダな在庫の保管料を支払ったことになります。 この予測ミスの原因は、春夏用のファンデーションの売れ行きが、同ブランド全体を代表していると考えてしまったことだと捉えています。口コミサイトなどを調べると、このブランドの春夏用のファンデーションが売れた要因は、〝圧倒的に化粧が崩れにくい〟という商品特徴が特に好評だったことであると考えられます。 ただ、あるブランドからヒット商品が出ると、そのブランド自体の評価(ブランド力)が上がり、つづいて発売する新商品も売れる可能性が高くなる、ということはあるので、需要予測は簡単ではありません。 例えば、この本の「はじめに」で挙げたブランドでは、 2006年に発売したマスカラが大ヒットし、以降、マスカラのヒットを重ねることで〝このブランドのマスカラは良い!〟という定評をつくり、 10年以上経った今でも、マスカラがブランドの売上基盤となっています。 以上を踏まえると、需要予測において代表性ヒューリスティクスによるミスを防ぐには、考慮する商品がそのブランドを代表できるほどの定評をつくれたか、をきちんと調査することが重要だと考えます。それには、単に定量的な売上データの分析だけでなく、口コミサイトやブログなどから定性的な情報を収集し、総括することも含みます。 ただし、こういった判断に明確な基準を設けることは難しく、属人的になってしまう可能性があります。そのため、特定の一人が判断するのではなく、複数の関係者で議論することが必要になると考えています。

coffee break ① 美的センスで行う需要予測 図 2- 5はフラーレンと呼ばれる図形ですが、私はこれをとても美しいと感じています。おそらく、多くの方がそう思っているでしょう。ではなぜ、人はこれを美しいと思うのでしょうか? それは、人が秩序や安定を美しいと感じるからです。言い換えると、規則性や対称性を美しいと感じるとも言えます。ちなみに数学の美しさにも「規則性」や「対称性」が挙げられています。「美しさ」と聞いて連想されやすいものの一つとして「化粧」があります。化粧には、バランス理論が存在し、それに基づいて顔のパーツの配置を、左右で対称的に、かつバランス良く(黄金比に基づいて!)見せるように施されるのが、メイクアップです。 具体的には、例えば猫目などと呼ばれるややつり目の場合には、目尻の下の方に濃いめにアイライナーを引いたり、まゆ毛の形が左右で違う場合に、それらが左右対称になるようにアイブロウで描いたりするのが、メイクアップの王道です。これも人が対称性やバランスが取れたものを美しいと感じることに基づいています。 少し前になりますが、ヘアスタイルでアシンメトリーという、左右で長さを大胆に変えるものが流行りました。これが新鮮だったのは、左右対称のヘアスタイルが一般的、つまりは長らく、好ましいとされてきたからだと思います。ここで言う好ましいとは、美しいということとほぼ同義だと思います。 さて、図 2- 6 ①の数字並びで、美しくないと感じる部分はどこでしょう?

おそらく多くの人は「 11」に違和感を覚えると思います。それは、 2ずつ増えていく数列の中で、「 11」の前後だけその規則性が崩れているからです。少し複雑性を上げて、図 2- 6 ②の数字並びではいかがでしょう? 数字を見慣れている人からすると、この場合はおそらく、 2行目の左から4つめの「 40」の前後になります。これはグラフにするとわかりやすいのですが(図 2- 7)、一定間隔ごとに数字が上下しています。しかしこの「 40」の前後はそうなっていないのです。

実はこれ、日焼け止めの需要波形を単純化したものなのです。需要とは、一般的な消費者(私たちのことです)のニーズのことであり、売上と考えてもほぼ差し支えないものです。広辞苑には、購買力を伴ったニーズ、などと記載されていますが、同義です。 日焼け止めは日焼けを防ぐという機能を持っており、その需要は日射しの強くなる春から夏にかけて増えていきます。そして、お盆が終わる頃から下がり始め、冬の間はオフシーズンとなり、あまり売れません。お盆後でも残暑などがあり、暑いと感じられる日がつづくこともありますが、その時点で日焼け止めを買っても余る可能性が高く、多くの人が日焼け止めの購入を控える傾向があるのです(ただし、日本在住の消費者において)。 しかし、なんらかのトラブルによって、品切れが発生したらどうでしょう。品切れ期間は売上が発生しないため、見た目上、需要は下がります。そして再び日焼け止めが市場に供給されると、その期間買えなかった消費者が一気にそれを買い求め、大きな売上が上がったとします(こうならない場合もあります)。こういった特殊な事例を、さきほどの数字は表現しているのです。つまり、通常では想定しづらい、特別なことが発生したと、美しくない数字の並びから読み取ることができるのです。私はこれを、予測における美的感覚(センス)と呼んでいます。そしてこれが、需要を予測する際にとても重要になると考えています。 私は時々、「需要予測の仕事は、美容師の仕事に似ている部分がある」というようなことを言います。その心は、数字の並びを見て違和感を覚える箇所を整えていく、という感覚を持って需要予測をしているからです。おそらくですが、美容師の方も、顧客の頭や顔の形を見ながら、要望も聞いて、全体のバランスが良くなるように、自分の美的センスで髪を切っていくのだと思います。需要予測も、商品の需要の季節性を考慮し、マーケティング情報も加味しながら行うわけですが、その際に数字の並びの美的センスが重要になると考えています。 この美的センスは、経験で磨かれます。たくさんの需要波形を見る中で、その数字(波)の背景を想像し、エビデンス(根拠)データで裏づけていくこと(分析)を通じて、培われていくものです。それが美的センスとなり、それに反するものを見た時に違和感を覚えるのです。これは美容師やスタイリストの方がセンスを磨くのと似ているでしょう。 さきほど例に挙げた日焼け止めの需要波形について、消費者のニーズという背景を知り、日焼け止めの通常の需要波形を知っているからこそ、違和感を覚えるのです。これは需要波形を読み解く際にとても有効になります。しかし、この感覚は人の心の中に生まれ、育つものなので、認知的な偏り(バイアス)が発生する可能性があります。第 3章で詳しくお話ししますが、認知的なバイアスが真実を歪めて見せる危険性があるのです。 私はビジネスにおける需要予測の中で、ネイルや美容液、プチプラ(プチプライスの略で、低価格帯のこと)やラグジュアリーブランドなど、たくさんの需要波形を見てきました。そこで培った、需要波形を読み解くスキルは、美的センスだと思っています。 そしてその功罪、つまりメリット・デメリットもたくさん実感してきました。このメリットは予測スピードの向上ですが、デメリットとは、この章で紹介した各種ヒューリスティクスによる落とし穴にハマりやすくなることや、この後の章で紹介するバイアスの影響が大きくなってしまうことです。それらは、認知科学で読み解けるものであり、 A I時代の前に、整理しておくべきものだと考えています。なぜなら、 A Iの実用化によって、人の美的センスが変化する可能性が高いと考えているからです。これまで人が気づかなかった法則が A Iから提案され、人にとっては新しいものの見方、つまりはセンスが身につくかもしれません。それを有効活用する際に、この認知科学的なデメリットは知っておく方が良いと考えています。

第 3章――思考のクセによる予測の落とし穴

3- 1 劇的変化を受け入れられない心理火災のアナウンスが流れても逃げない? 私があるビルにいる時、「火災が発生しました。直ちに避難してください」とアナウンスが流れたことがありました。 一瞬の静寂の後、周囲はざわつき出しましたが、すぐに非常階段などを使って避難する人はいませんでした。その後数分経っても、訂正のアナウンスが流れないことから、次第に心配する人が増え、何人かが非常階段へと向かうという動きが発生しましたが、そこで訂正とお詫びのアナウンスが流れました。どうやら火災報知器の誤作動が原因だったそうです。 この事例でもわかるように、人には異常事態の発生を受け入れにくい傾向があるのです。これは「正常性バイアス」と呼ばれています。心のどこかで〝このビルで火災なんか発生するはずがない〟と思っている人が多いのでしょう。これは大きな震災の際などでもよく見られることだそうです。 需要予測においても、〝これが大きな変動であるはずがない〟などと、たいした根拠もなく思ってしまう正常性バイアスが見られます。

季節が左右するファンデーションの需要 化粧品には、季節によって需要が大きく変化する、いわゆる「季節性のある」商品が多く存在します。 2- 3で取り上げたような、春夏用ファンデーションと秋冬用ファンデーションなどが代表例です。 私は一時期、ファンデーションの需要予測を担当しており、その時にこの春夏用と秋冬用のファンデーションの需要予測によく悩みました。具体的には、季節の変わり目における春夏用と秋冬用の切り替えです。それぞれの気候に合わせた商品設計となっているため、季節の移り変わりを感じ始めると、消費者の購買行動が変化すると考えられています。つまり、残暑などによって季節の移り変わりを感じにくいと、消費者の購買行動もなかなか変化しないのです。 私は過去の売上データを参考に、ファンデーションの切り替え時期を想定し、需要の変化を予測していました。それには気象予報も参考にしましたが、気象予報もあくまで予測であり、月によって大きく修正されることもあって、参考程度の活用でした。そのため、想定外に残暑が長引くなどすると、春夏用のファンデーションの需要がなかなか下がっていかず、工場の生産計画を担当する方から、「本当に今月、この(春夏用の)ファンデーションの需要は下がっていくのか?」と毎年のように確認されていました。需要が下がっていかない場合は、増産しないと品切れが発生してしまうからです。 これに対して私はいつも、「これから秋になるので、下がっていくはずです」と答え、気温が下がっていくのを祈っていました。この時おそらく、私の中で正常性バイアスが働いていたのだと思います。〝春夏用ファンデーションが秋冬も売れつづけるわけがない〟と思っていたのでしょう。今のところ、結局は気温の変化と共に需要も変化し、大きな品切れが発生したことはないのですが、今後もそうだとは限りません。春夏用、秋冬用などと定義しているのはあくまでもメーカーであり、消費者もそう感じるかは、絶対ではないからです。 幸い、現在は口コミサイトなどから消費者の商品に対する「声」を聞くことができるので、そういった定性的な情報も参考にしながら、本当に季節の移り変わりと共に需要も変化していくのかを考えなければならないと思います。 私の仮説ですが、経験の長い予測担当ほど、この正常性バイアスが強い傾向があります。長年の経験を自身の中で一般化し、それを判断基準にするため、それと合わない事態に遭遇すると、〝これは一時的なものだ〟と思ってしまうのです。実際そうであることも多いのですが、予測担当は常にデータで裏付けを取ることを心掛けるべきだと思います。

売れなかった時代のトラウマ 私が営業担当であった 2008 ~ 2010年頃は、日本の化粧品マーケットは成熟期にあり、新しいメーカーも続々と現れる中、古くからあるメーカーがシェアを伸ばしていくのは非常に難しい時期でした。新規店舗を担当しない限りは、前の年の売上を超えるのもやっとという営業担当者も多く、そういった時代に化粧品ビジネスに携わっていた人には、前年を大きく超える売上は想定しづらくなっている傾向があると感じています。過去の体験によって、現在の思考に影響が出るという意味で、これはトラウマに似た性質だと思います。 日本の化粧品マーケットは、 2014年の免税対象化を境に、大きく変化しました。この時、「売れなかった時代のトラウマ」を抱えた私たちの世代は、前年を大きく超える需要予測に抵抗を感じていました。それを明確に感じたマーケターとのやりとりを紹介します。 2017年、デパートで主に販売されている高価格帯の美容液が、訪日外国人の間で大人気になり、売上が増加傾向に転じました。このとき既に、私はたくさんのインバウンド需要の伸長を目の当たりにしてきた後だったため、「デパートで販売」「高い品質とブランド力」「詰め替え用ではない」などの特徴から、すぐに需要拡大の理由に気がつきました。早速これを考慮し、需要予測を行ったのですが、夏から秋にかけて、異様に前年比(本年の予測/前年の実績)が高い予測になりました。不安を覚えた私は、このブランドのマーケター(私と同世代)に需要予測を提示し、根拠を説明した後、意見を伺いました。「訪日外国人数の伸びを考慮すると、こんなに高い前年比になります。 2016年は夏から年末にかけて円高だったので、その影響で売上が伸びず、こんな前年比になるのでは、と私は考えていますが、季節性も気になります。この美容液は、感触的に、秋冬に売れる(夏は需要が下がる)という季節性がありそうですか?」 この美容液は発売して数年しか経っておらず、また度々プロモーションが行われる商品であったため、本来の需要の季節性が非常にわかりづらくなっているものでした。そこで、商品により詳しい、マーケターの意見を聞こうと思ったのです。「たしかに、今の(売上の)勢いだと、数字的には、山口さんの予測まで売れても不思議ではないですね。ただ、ここまでの前年比になるのはちょっと考えにくいです……」 私も同感でした。為替レートとインバウンド需要に関連があると、別の商品の需要分析でわかっていたのですが、この美容液についても確実にそうだとは言えません。二人で悩みながらも、当初の計画よりは上方修正したものの、思い切った予測と言えるほどは上げませんでした。 結果は、マーケターが考えていた売上 20%アップ、私の需要予測の 60%アップ、合意した 40%アップの修正計画を大幅に超え、対前年比 70%アップとなりました。これはまさに、正常性バイアスによる予測ミスだったと思います。前年を超えるのがやっと(前年比 105%でも高いと感じていた)という「売れなかった時代のトラウマ」を抱えていた私たちにとって、前年 + 60%というのは受け入れ難く、ましてやそれを上回る 70%アップの計画修正はできなかったのです。〝こんな前年比になるわけがない〟という正常性バイアスが、需要予測を狂わせたと言えるでしょう。

新商品の需要は予測できるか 需要予測の中でも特に難しい(最も難易度が高い?)のは、新商品の発売前の需要予測です。発売されて数年が経ち、売上データが蓄積された商品よりも、誤差率(予測と実績の乖離を実績で割った指標)で約 1・ 5 ~ 2倍と、予測精度は明らかに低い傾向があります。新商品は、その商品の過去の売上データがないので、売上の水準や季節性がわからないためです。私が需要予測を担当し始めたばかりの頃、周りの需要予測担当の予測ロジックを見て、〝それぞれが様々な情報を参考に予測しているな〟と感じたことを覚えています。私も最初は、新商品の情報に合わせて、都度、必要なデータを探し、需要予測を行っていました。 しかしある時、それぞれの担当者が様々な情報を参考にしていると言っても、それは一定の範囲内の情報であり、整理することができるのではと気づきました。そして、 2014年に新商品の需要を予測するモデルとしてまとめたのです。このモデルに従って需要予測ができるエクセルシートを作成し、予測チームへ展開しました。また、これを予測担当だけではなく、マーケターにも考え方を説明し、この予測モデルで新商品の売上計画を立案することを提案しました。なぜなら新商品の売上計画には、マーケティング計画がとても重要だからです。それを考えるマーケターの協力なしでは、新商品の需要を予測することはできません。 私の予測モデルを反映したシートでは、予測担当が入力する項目と、マーケターが入力する項目とが分かれています。予測担当は、新しく商品が発売になるブランドの力や、その商品が属するカテゴリーの市場トレンドなど、客観的な根拠をベースに原案を提示します。 一方、マーケターはそれに対し、今回の新商品のプロモーション規模や商品評価、などの計画的(意思的)要素を入力します。私はこれを「マーケティング要素比較モデル」(図 3- 1)と名付け、方程式として定義しているのですが、それらの各要素を掛け合わせ、売上計画を立案するという考え方です。そこには、2つのポイントがあります。

マーケティング意思の見える化 1つは、売上を要素に分解することで、今回は何に力を入れるからこういう計画になっている、という根拠を明確に可視化できることです。計画の根拠を明確に(数字で)残しておくことで、実績が出た後で振り返り、未来の予測精度向上に役立てることができます。要素には定量的な(数字で根拠を示すことができる)ものと、定性的な(感覚的であり、簡単に数値化することが難しい)ものがあります。 例えば、数字で根拠を示せるものを挙げると、プロモーション規模は TVCMの投入 GRP( Gross Rating Point:視聴率と投入回数で算出する指標で、要はどれくらいの人が見ているかを示すものとも言えます)で、売場展開はパネル店(なんらかの調査のためにモニタリングする店舗)における山積み率(小売店でどれくらい並べられているかを調査したデータ)で、定量的に根拠を示すことができます。 ですが、商品評価や紹介活動の盛り上がりなどは単純には数値化できません。この商品は〝すごく〟良い! といった商品評価や、今回は予約活動を〝とても〟がんばります! といった紹介活動の盛り上がりの度合いは、非常に感覚的な表現で、数値化するのが難しい定性情報と言えます。アンケート調査などで数値化する方法もありますが、事実を確からしく数値化するためには、アンケートの対象や調査規模を細部まで検討する必要があり、それは簡単ではありません。これらは、〝今回は店頭の販売員たちが商品をとても気に入って、紹介活動をがんばると盛り上がっている〟というような定性的な情報を参考にしながら、需要予測担当とマーケターが議論して決めるのです。 こうすることによって、数値化しづらかった定性的なものについても知見を貯めていくと、新しい商品が企画された時に、それら代理変数(直接その程度を測定するのが難しいものについて、代わりに測定する指標)のない要素もある程度の根拠で数値化することができるようになるのです。これは、定性情報を確からしく数値化する、1つのアイデアだと思っています。

予測モデルが確証バイアスを抑える もう1つのポイントは、計画のフレーム(枠組み)を決めておくことで、検討の抜け漏れをなくすことができるということです。これにより、認知科学的なメリットとして、確証バイアスを抑えられるということが挙げられます。 マーケターは特に力を入れているプロモーションの話に長い時間を割く傾向があります。例えば、〝今回は WEBプロモーションにとても力を入れているのです〟ということで、インスタグラムにもツイッターにも宣伝動画を出し、著名ブロガーも巻き込んだプロモーションを行う、などと高い売上計画の根拠を話したとします。計画のフレームがないと、じゃあ計画を高くして生産しましょう、となるのですが、計画のフレームがあることで、〝売場づくりの仕掛けはありますか?〟〝店頭の販売員たちの反応はどうですか?〟といったコミュニケーションが生まれます。 すると、意外と費用の関係で売場が少なかったり、店舗レベルではあまり盛り上がっていない、ということがあったりするのです。その場合は、計画が高過ぎ、在庫が過剰に残ってしまう可能性が高くなってしまいます。予測モデルがあることで、様々な要素を公平に確認することができるため、確証バイアスを抑えることができると考えています。 新商品の需要予測において見られる確証バイアスは、自分が〝売れる〟と思っていたら、その「商品が良い」という情報(データ)ばかりを集めてきて、周りを説得し始めるということです。自分の感覚を意志として表明し、周りを巻き込んでいくマーケターならこういった態度でも構わないと思います。 しかし、私たち需要予測担当は、できるだけ冷静に、需要を読まなくてはいけません。そのため、集める情報にムラがあってはダメなのです。予測モデルを活用することで、それに含まれる項目については、一つひとつ確認することが必要になります。そのため、自分にとって都合の良い情報だけを集めて予測を行う、ということが難しくなります。マーケターとも、予測モデルをベースに話をすることで、都合の悪い情報についても確認し、客観的な目線を加えることができるようになるのです。

環境リソースの活用という発想 私が予測モデルを開発した当初に想定していたポイントは前述の2つでしたが、予測モデルを活用して需要予測を行う認知科学的なメリットはまだあることに、後で気がつきました。 認知科学の知見の一つにリソース(経営における資源)は頭の中にあるものだけでなく、状況や環境、世界もそれになりうるというものがあります。予測モデルとは、その中で需要予測を行うので、その意味では環境と言えます。予測モデルがあると、〝要素は何がありうるか〟ということを考える必要がなくなります。予測モデルで記述されている要素について、〝それぞれがどの程度影響したか〟を分析すれば良いのです。つまり、予測モデルがない場合の需要予測と比較し、前者のテーマを考える必要がないため、後者のテーマをより深く、広く分析できることになります。 ビジネスにおいて、時間は大変貴重です。常に時間に追われていると言っても過言ではない状況が度々あります。その中でも、ある程度の時間を必要とする分析業務を行うためには、環境リソースを活用するという発想が有効になると思います。これも、需要予測に予測モデルを導入する認知科学的なメリットと言えます。 以上のように、この予測モデルを活用すると、設定した要素ごとに振り返りを行うことができ、要素ごとの知見が貯まります。また、考慮すべき要素を抜け漏れなく、認知科学的には確証バイアスを抑えて、検討することができます。こういったコミュニケーションを繰り返していくことで、新商品の売上計画の精度が高まると考えています。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次