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第3章偉人・尊敬する人に磨かれる

偉人とは、世の中のためになる立派な仕事をした、尊敬すべき人。────『角川必携国語辞典』より

目次

得をくれる人より、徳をくれる人を大切にする

徳:‥人として守らなければならない正しいおこない。また心やおこないが正しく立派で、人から慕われる力があること──『角川必携国語辞典』より

毎日たくさんの人たちとすれ違っているなかで、出会いがあり、そこから知り合いになれることは有り難い。

いくらこちらが相手とつき合いたいと思っても、相手もそう思ってくれなければ人間関係をつくることができない。お互いを知り、その後もつき合わせてもらうことができるのはごくわずかだ。

僕はそうしたつき合う人たちから刺激を受け、磨かれ、鍛えられ、そして何よりも励まされてきた。

そうした人たちからもらった勇気と応援がなければ、いまの僕もこれからの僕もないと、心からそう言うことができる。

僕は自分の実力で、いまの結果を手に入れたとは1ミリも思っていない。人のおかげで、ここにいることができている。簡単に傲慢・慢心してしまいがちな僕の心を謙虚にさせてくれる。

僕がつき合いたいと思う人の基準は、一つにまとめれば、僕に得をさせてくれる人よりも、人格を高めてくれる人かどうか。

そんな人に出会えたら、この上ない幸せだと思えた。この人とつき合っておいたほうが得をするよ、という話はそこら中にあったけれど、いまいち僕にはわからなかった。

「その人が得だと思うこと」と、僕が大切にしていることは、きっと違う。どちらが正しいというのはないけれど、そうした実感のないものに思いを巡らすことが僕にはできなかった。

損得に実感が持てたほうがいいのかもしれないけれど、実感の持てる範囲は人それぞれだ。地味だけれど地に足つけて、考え動いているほうが、確かなものをつかんでいる実感が僕にはあった。

「この人とつき合うと得だ」という考えに僕は常に違和感を持ってしまう。どうしてもその奥に、「楽をして得をしよう」という気持ちがあるように感じてしまうからだった。

自分を甘やかそうとするその気持ちを、僕は何よりも危険視しているので、そうした気持ちを刺激しそうになるものや環境から、なるべく遠ざからなくてはならないと思っている。

僕は普通の人よりも相当自分に甘いと思っている。だから、人の何倍も自分に厳しくしなければならなかった。

得させてくれるより、僕の甘え心を撃退してくれる人のほうを探してきた。僕はうまくいっている人についていけば、人生を変えてもらえると思っていた。ついていけば自分の頭で考えずにすむと思ってしまっていた。でもその心では何も変わらなかった。

僕がついていこうとしているその人は、自らの足で歩み、自分の頭で考えているのだ。

「凄い人の側にいれば、おいしい思いができるのではないか」という他人任せな態度が良くなかった。どれだけ素晴らしい人が近くにいても、甘えてはいけなかった。

必要なのは「自分からやるんだ」という意志と決意だ。揺らがない思いが自分を高めてくれた。

いろいろなアドバイスやもっともに聞こえる指摘をしてくれる人はたくさんいたが、「人として高まりたいと思わせてくれる」という人は、なかなか出会えなかった。

この人との関係を維持するためには、自分がもっともっと高まらなくてはならない。そう思える人がいるとき、僕は自分に隙をつくらず、言い訳を許さずにいることができる。

そうした人たちは本当に有り難い。かけがえのない人たちだ。

健全な自己否定

まだまだこんなもんじゃないと思えたとき、成し遂げてきた。何気なく日々を過ごしていて、自分の意志で自分を高めようと、飢える気持ちを手に入れるのは難しい。現状に満足すると新しいチャンスを追いかけなくなる。

でも、尊敬する人たちを思い出すと、自分の現状に甘んじている心に「ちゃんとしろ!」と言うことができたし、「まだまだそんなもんじゃないだろう!」と自分を一度壊すことができた。

健全な自己否定をすることができた。

何かの分野で「いまのままではダメだ!」と目線を上げることができた。そうした目線を上げさせてくれる人たちのおかげで、僕は自分を動かすドライブを失わずにすんだ。

そうした人たちの手に入れている結果の素晴らしさが、一瞬は僕を刺激することがあったとしても、長続きはしなかった。

本質ではないからだ。

地位や名誉に安住して、人としての成長に取り組むことをやめてしまった人には、僕は関心を持ちつづけることができなかった。

その人が日々、何かに取り組む姿勢が僕を奮い立たせてくれた。僕がもっとも恐れるのは、この「奮い立つ」という気持ちがなくなることだった。

内から突き動かすものが弱くなることだ。そのために、僕は自分を奮い立たせてくれる人をいつも思い浮かべる。この人だったらどうするんだろう、この人だったらどう取り組むだろう、と考える。

僕を奮い立たせてくれる人は、たいていとても高い基準を持っているし、その業界のなかでも輝いている人だ。

すると、その人が当たり前にしていることさえ、自分は遠く及ばなかった。自分の無力さや、ちっぽけさを思い知らされた。

その人たちの土俵を知ると、「あー、いろいろがんばってきたつもりだったけど、まだ何も始まってないんだな。スタートラインにも立っていなかったんだ」と気づく。

僕は何度もそういう経験をして傷ついて、それが僕を少しずつ強くしてくれた。悔しいと何度も思った。もちろん、何でもかんでも悔しいと思うわけではなかった。

分野によっては、「ムリムリ、僕にはできない」と簡単に諦めることもできた。

悔しさは、自己発見のための大切な感情だ。

少しでも悔しさを感じるものがあったら、そのなかに「本当はできるのにやっていないことがある」と思っているということだ。何か自分の求めているものがそこにある。

劣等感や屈辱感ではなく、悔しいという気持ちは僕が進み、目指す方向を教えてくれる。悔しいという気持ちが自分の成長をジャンプさせてくれる。

成長に伴った痛みやつらさや苦しさを、強烈な悔しさが忘れさせてくれる。そしてどんどんと行動することができた。

もっと自分を伸ばしたい。そういう気持ちにさせてくれる人に出会えて本当に幸せだ。

僕の尊敬する人たちは人を結果や手に入れているものでジャッジしなかった。所有物に応じてつき合う人を変える人たちではなかった。何もない僕をかわいがってくれた。だからこそ、僕は自分の力を伸ばそうと思うのだ。

基準の高さを示してくれる厳しさと、あるがままの僕自身を受け入れてくれる優しさが、僕を高速で成長させてくれた。

もちろん一方的にこちらが尊敬し、一方的に悔しがっている人も多かった。言葉ではなく、姿勢でメッセージを発信している人がいる。

生き様が教科書になる人がいる。過去に何をしたかではなく、今何をしているのか。僕の尊敬する人は、今この瞬間もそこにこだわっている。

意図しない出会いが人生に化学変化を起こす

ご縁だ、一期一会だと言う前に目の前の人に真剣になりたかった。人によって、僕は左右されてきた。人がいたから僕はがんばれてこられたし、これからもがんばることができる。

僕の仕事は講座を主宰することだ。「どうしたら一歩を人は踏み出すことができるのか?」ということをずっと研究してきた。研究して、それを講演や講座や書籍で発表していく。

自らが真剣に生きるなかで、日々を真剣に生きている人たちの力になっていきたい、というのが僕の思いだった。

少し研究者に近いところがあると思う。

起業したばかりの頃、自分の実績や事例や経験談を話す講座が多いなかで、人の行動をメカニズムで解き明かしていく僕の講座は珍しいものだった。

偉業を成した人の話ではなく、実績もない20代の人の話をバリバリの経営者さんが熱心に聴いてくださるのは当時異色だった。

何の資格も持ってはいない。ただ、どうしたらもっと真剣に生きている人たちの役に立つものを届けられるか、ということを追いかけつづけて、実践と研究をしつづけてきた。

「どうやったら真剣に生きることができるか」これが僕の本当の専門なのかもしれない。

開発したメソッドが、大きな変化をつくり出すということで評判になり、口コミで講演のオファーが広がり年間1万人の人たちに伝えさせていただくようになった。

大学生のときに海外へ世界的なコーチのアンソニー・ロビンズのトレーニングに参加した。

海外の自己変革のメソッドを伝えていた人が、日本の偉人吉田松陰についての本でベストセラーになった。

少し変わった経歴なので、「どういうきっかけがあったんですか?」とたくさん聞かれる。これがいつも答えに困る。何かきっかけがあったのだろうと思われるのも、無理もないのかもしれない。

何かの大きな出来事があったわけではないから。

無数の小さな出会いと、無数の小さな決意が重なり、僕の人生が形づくられてきたと思っているからだ。

僕は、「あの人のおかげです!」「あの出来事のおかげです!」と、一つに絞るのがとても苦手だ。

大きな出会いや出来事につながるまでの小さな出会いが一つひとつ大切だと思ってきた。その流れが現在まで運んでくれた。僕はいままでずっと出会いを求めずに過ごしてきた。

パーティーや交流会には自分から率先して参加することはなかった。求めていなかった出会いが、いつも僕の人生を変えてくれた。

それを説明すると「たまたま」が多すぎる。この本を書いた経緯も、たまたまの連続だった。

その「たまたま」が一つでもなかったら、この本は書いていなかったと思う。たった一冊の本でさえ、無数の連鎖の結果なのだから、僕の人生はどれだけの奇跡に支えられているのかと思う。

これらの一つひとつ、どれを取っても優先順位をつけられないし、どの一つも本当に大切なのだ。そして、何より、どれも意図したものではなかった。

いまの自分が、どうしてこうなったのか──これをきちんと説明する術を僕は持っていない。

「これまで」を振り返れば、たまたまその場に居合わせた人の紹介から人から人へ、人から人へとつながってきている。

僕はそれを「ご縁を大事にしてきた」とは言えない。目の前のことに必死で、ご縁を意識してこなかったからだ。

名刺に「このご縁を大事にします」と書いた人には何人も出会ったが、その後も会うことになった人は誰もいない。

でも意図しない遭遇からずっと続いている人はたくさんいる。人とのご縁は、僕にとっては本当に不思議なものだ。

振り返れば、たしかにご縁が存在するが、いま立ちどまって「誰にご縁があるか」と考えてみてもまったくわからない。

「大切な人は誰か」と考えれば、たくさん思い浮かぶ。だから大切な人を大切にしていく。

人との出会いやつながりは、僕の説明できる範囲を超えていて、本当にただただ感謝しかない。

だからだろう、僕に大きな利益をもたらしてくれるかという基準で人を見られない。

結果的に、損得勘定抜きで、素敵だと思う人と、関わりたいように関わっていこうと思っている。結果的に僕のなかでそうした人たちが人間力のある人たちだ。

地位でも、資産でも、周りからの評判でもなく、僕がその人を素敵だと思い、自然と尊敬する人たち。

改めて、どんな人たちが、僕が自分を高めようと思わせてくれたのか、考えてみると次の特徴があった。

  1. (1)人を人として大切にしている。損得でつき合わない。
  2. (2)自分の流儀を持っている。流されない。
  3. (3)いまなお現役である。過去の人ではない。
  4. (4)高い基準を持っている。厳しいものを持っている。
  5. (5)魅力的。理屈じゃなく、これが一番。

自然とめぐり会う人を大切にできることが、何より僕にとっての幸せだった。それが自分の人生を小さくしてしまったとしても、それで仕方がないのかなと思っている。拡大させることよりも、密度を大切にして僕は生きていきたい。

比べる人を選択する

意識の高さと努力の量で負けられない。「どうせだったら、世界をうならせたい」という野望が、僕にはあった。

その野望が常に自分自身の能力のなさを痛感させ、比べる人たちを選び出させた。世界をうならせている人は日本人にかぎらずたくさんいる。

そうした人が何歳で、たとえどんな職業であれ、かっこいいと思うし、そうなりたいと思う。そうした人たちの、努力の量と意識の高さを見て自分と比べてきた。

だから僕が自分自身にいつも問いかけているものが、「僕はそのなりたい自分自身にふさわしい努力をしているのだろうか?」ということだ。

僕は苦しみ、もがき、あがいて、自分が納得するものをとことん追いかけて、世界をうならせた人が好きだし、憧れる。

一方で、どれだけ素晴らしい経歴のある人でも、興味を持ていない人もいる。それはそれでいいと思っている。誰でも彼でも興味や尊敬を持てるというはずがない。

ある人には興味や敬意を持ち、そうでない人もいるということに素直になることは、僕にとって、とても大事なことだった。

自分の進むべき可能性は、そうした人との出会いから見えてきたからだ。憧れるということは、何かしらの自分の求めるものが、そこにあるからだ。

自分で自分のことをすべて知っているとは、とても思えない。だから、他人を通じて、自分に気づいていくしかない。

憧がれていることと、うらやましいという気持ちは違うから注意しなければならない。

「うらやましい」には、そうなりたいと思いながらも、一方で自分はなれないと諦めが入ってしまっている。

「憧れ」は、純粋にこうなりたいという望む気持ちの現れだ。すごい人だからといって、うらやんで自分を低く見てはダメだ。萎縮し、卑屈になる自分が小さくなってしまう。

周りがどれだけ絶賛していても、自分はどう感じるのかを忘れないようにしなければならない。

それが周りに振りまわされず、自分の道を貫くために心がけてきたことだ。

僕は自分と向き合い、自分を追い込むことに日々を費やしている。

外へ行って人に出会うことは少ない。だからなおさら、何かしらの縁で出会うことができた人から受ける刺激は多い。

利益を求めて、僕から何かを奪おうとして近づいてくる人もいた。それは僕もよくわかる。

「利」が目の前にちらつくとき、正しい心で決断できるか、後悔しない判断をすることができるか、決めた生き方を貫くことができるかが試されていると思ってきた。

ビジネスをしていれば、もちろん利を抜きにして考えることはできないかもしれない。

だけど、僕は人との関わり合いのなかでは、利を抜きにしたい。

立場や役職や地位を見るのではなく、その人自身と関わりをしたいと思う。そういうつき合いをしている人を見ると憧れる。だから、損得で人とつき合ってしまったとき、僕は猛省する。

素の自分で勝負し、一人の人間としての生き方を貫こうと努力していこうと決意を新たにする。

利害関係もない人とどう関わることができるか、ということこそ大切にしなければならない。

僕の人間関係は少ないなぁと思う。

僕が心を開いても、相手が開いてくれないこともあったし、相手が心を開いても、僕が開いていないときもあった。

そうしたなかで、心を開き合えた人たちが、人と人として関係をつくることができる。僕は接する人の年齢や仕事内容や役職は気にしなかった。

人として尊敬できるか。お客様に対しても同じだ。付き合うなら、尊敬したい。同じ価値観を共有する仲間でありたいと思っている。

空気を共にする

世界が広がるとき、自分の小ささを痛感してきた僕にとって新しく人と出会うことは、一つ自分自身を知ることにもなるし、こんな考え方の人がいたんだと世界が広がることにもつながる。

世界が広がると書くと、楽しそうなイメージかもしれないが、そんなことはなかった。

世界が広がるとは、自分がいた世界がちっぽけな世界だったと気づくことだ。それは、自分がとてもちっぽけな存在のように思えてしまう。

いままで知っていたつもりだったものが、本当はごくごくわずなものにしかすぎなかったんだとわかって、恥ずかしくなる。

そうした人と会うと、この目の前の人から何か学ぶべきことがあると気づく。

これは!と思うときは、目も、耳も、感覚も何倍にもして相手から感じられるだけ感じようとした。

中途半端に学ぶのは僕の性に合わなかった。それで痛い目を見てきた。中途半端はゼロと同じ。知識だけがついて、動きがにぶくなることのほうが多かった。言葉だけではなく、言葉に込められている熱さや空気も感じようとした。

それは、そこまで含めてつかまないと、相手の言わんとしていることを身につけられないような気がしていたからだ。

その学びは、その瞬間だけしか得られないと思っている。

だから、僕が何よりも人と会い学ぶときに大切にしてきたのは、その人と同じ空気を吸っているという感覚だった。

同じ場にいる。近くにいる。それが言葉以上に大事なのだ。

支えられている弱さを認める

何かを成し遂げるために夢中だった。そこに感動的な出会いがたくさんあった。

僕のなかで覚悟を決めた一つが、大学を卒業して1ヶ月、アメリカに修行にいくと決めたときだった。

当時の僕が置かれていた状況は、お金がなく、ホテルへの宿泊費も払えない状況。

そのとき、学生時代にアメリカに一度行き、名刺交換をした10人に「数日でもいいから泊めてほしい!」と間違いだらけの英語で連絡をした。

ある人物が「僕のところへ来たらいい。ルームシェアしているから広い場所は用意できないけど、リビングのソファで寝るのでよければ、ぜひ使ってくれ。君が参加するトレーニング会場も近いから送っていくよ」と言ってくれた。

宿泊場所と移動手段をどうしようか悩んでいた僕にとっては、とても有り難いことだった。

当時の僕にはタクシーに乗る余裕はなかったので、駅まで迎えに来てもらえないかお願いした。

迎えに来てくれた彼は、服装こそよれよれだったが、すらりと伸びた身長に、健康そうな若々しい笑顔の、インド人とフランス人のハーフだった。

年齢は42歳と聞いて、びっくりした。

古びた日本車に乗り、「移動でお腹が空いただろう、何が食べたい?」と言ってくれて、助かった。軽食を食べに出かけ、そこで彼がどんな人生を歩んできたか教えてくれた。

彼は1年前まで複数の事業を経営し、車をいくつも持ち、高級住宅街に住んでいる成功者だった。彼によれば、傲慢で人を見下し、肥満だったそうだ。

しかし、ビジネスパートナーにお金を海外へ持ち逃げされ、行方がわからなくなってしまった。

そして、倒産をすると同時に、これまで「友人」だと思っていた人たちが次々に離れ、「恋人」でさえも離れていった。

彼は一人きりで、この状況に立ち向かわなければならなくなった。聞いていて胸が痛くなった。

「それはひどい目にあったね」と言うと、彼は首を振った。

「僕も最初はそう思ったよ。裏切った人たちをさんざん恨んだ。でも、独りになって、あるとき思ったんだ。離れていった人たちは僕が好きだったのではなく、僕の持っているものが好きだったんだ。僕のBMW、僕の豪邸、僕のお金。

だから僕はまた何もないところから始めていこうと思ったんだ。健康になり、素直になり、友達を助ける。奪うことばかり考えるのではなく、与えることを考えるようになった。まぁ、与えられるものも少ないんだけどね。

いまは、さほど高くない給料の仕事にありつけたばかりだから、お金は持っていない。だけど、君みたいな一生懸命な若い人の力になれることがうれしいよ」

笑いながら話してくれたその人は、僕が参加するアンソニー・ロビンズの下で働いていた。

僕を本社に案内してくれて、社内のマネージャーたちに紹介してくれ、スピーチする機会とトップセールスマンを紹介してくれた。

トレーニングに参加して得たもの以上に、こうした人たちと触れさせてもらっているなかでの、生きた学びが僕に大きな影響を与えてくれた。

あのときの感動が、いまも在り在りと胸に残っている。

トレーニングに参加する前は、「1ヶ月も修業したら、すごいスキルを学べるだろう!すごい自分になることができるだろう!」と興奮していた。

しかし、トレーニングが終わって帰ってきてみると、周りからは「なんで、そんなに落ち着くようになったの!」と驚かれた。

「すごい人」になりたくて学びに行ってわかったことは、すごくなることよりも、もっともっと大切なものがあって、そういうものを大切にしている人たちに助けられて、僕がいる、ということだった。

「助けてもらって、いまの自分がある」という気持ちは、僕の精神に安定をもたらしてくれた。

きっと自分で獲得したチャンスで、自分の実力で成功したなら、傲慢になることもあるかもしれないが、幸運にも出会った人の優しさで、いまの自分がある。

とても「自分の実力です」とは言えなかった。

あのとき助けてくれた人たちがいるから、僕はがんばろうって、何度も思うことができた。

つらかったとき、大変だったとき、あのとき助けてくれた人たちの「がんばれよ」という言葉がよみがえってきて、僕を支えてくれた。

助けてもらっているという弱さを認めることから、僕は始まったのだ。

感動のなかに理想の生き方がある

何のために死ぬのかを目の当たりにしたとき、人生観が変わった。僕の生き方の指針は、いつも日本をつくった数々の人たちだった。

吉田松陰は、東北への旅をしながらたくさんの人に会い、同時に、数百冊の本を読んだ。そして『猛省録』という本を書いた。

黒船へ乗り込み、牢に入れられれば、そのなかで本を開き、囚人たちを感化させてしまう。罪を許されれば、松下村塾をつくり、教育を行い、リーダーを育てた。そして、時代の荒波のなかで処刑されてしまう。

遺書には、「こんな愚かな自分でも、いまなお友と思ってくれるのであれば、どうか仲間と共に、愛する日本の人たちの生活を守ってくれ」と記した。

西郷隆盛は、自分を救ってくれた友が犯罪人として追われていると知ると、京都から摩までかくまいながら移動した。

しかし殿様がかくまうつもりがなく、むしろ処刑するつもりだと知ると、西郷は友と一緒に入水自殺をはかる。

しかし、西郷だけが一命をとりとめ、その後、殿様の反感を買い、島流しにあう。風雨にさらされる劣悪な環境を強いられる。その牢のなかでも、本を開き、自分を高めつづけた。

罪を許され国に戻れば、歴史の最前線へくりだし、明治維新の立役者となる。そして自分の教え子たちの謀反に責任を取り、命を失った。

最後は、「もうここら辺でよいだろう」と言い、自分のこだわり抜いた一生を終えた。死してなお自らの生き方を貫いた人たちがいる。

日本を数々の困難から守り、現在の礎となった人たちを思うと、一つでも二つでも、自分自身も日本の未来の礎になりたいと魂が震えた。

実績や名誉や偉業が大事なのではなかった。

誰かの生き方・生き様に触れ、感動して涙があふれたとき、それは魂が「僕もこんな生き方がしたい」と思っているのだ。生き方のヒントが感動のなかにあった。

何に感動するか、どんなところに涙するのか、その感動の仕方に生きる道が示されている。

どれだけ感動しても、自分とその人を別の生き物のように考えてはダメだった。

「同じ人間なんだ!俺にできないはずがない!」それが僕が素晴らしいと思う人を見たときに、思うようにしている気持ちだ。

傲慢ではない。同じ人間なんだ。彼らにできて、僕にできないと思うのはおかしい。

感動しているのに、最初から諦めるなんて真似はできなかった。

たとえ僕が遥かに劣っていようとも、彼らが遺してくれた教え、文明の発達に基づけば、時間はかかっても必ず彼らのような人物になれるはずだ。

そのために僕はどうやって生きていけばよいのだろう?どんなことを心がけていけばいいのだろう?真剣に考えてきた。

「人が誰も見ていなかったとしても、不安でも、退屈でも、孤独でも、疲れていても、それでも自らを高め、自らを人の役に立つような行動をさせていく」これが僕自身が自分に課してきたものだ。

「誰も見ていない」「不安」「退屈」「孤独」「疲れている」この5つが僕の生き方がブレるときの前触れだった。

横道に逸れやすくなるときだった。これらのことがあっても、自分の気持ちを脇に置いて、なすべきことを貫く。自分がなすべきことを、自分にさせる。

そのための障害を一つひとつ乗り越えていくことが、僕をより有用な道具に変えると思った。

僕は、自分を社会に役立たせる「道具」として、客観的に見ることができるようになることを一つの目標にした。

素晴らしい人物に出会い、彼らをつくったそれまでの努力を知ると、胸が熱くなった。そして、自らの努力の足りなさを痛感し、恥じた。

「もっとできるのに、僕は何をしているんだろうか。この人たちの努力を前にすれば、僕の努力はしていないに等しい。こんなところで安穏としている場合なのか」そうした声が僕の怠け心を奮い立たせてくれた。

いま、この瞬間に僕の目の前にいなくても、まるで近くにいて優しく、厳しい目を向けてくれている人たち。

そうした人たちがいることで、僕は一歩ずつ進むことができた。

慕う人が夢描いたものに想いを馳せる

無念を感じる心が決意をより強くした。

僕は、偉人と呼ばれる人たちでさえも、自分の人生を、「心から納得のいく人生だった」という人はいなかったのではないかと思っている。

そう簡単に自分の人生に納得しないからこそ、偉人は偉人になったと思う。

だから、きっとすべてに納得して死んでいったわけではない。志半ばで命が尽きた。誰かの人生に思いを馳せたとき、その人が納得できなかったであろうことを思うことがある。

その人の無念や、悲しみを感じるときが来るかもしれない。そのときは、僕がその人が成し得なかった志を引き継ぐことなんだと思った。

そうすれば、志に向かい、心から納得する生き方をすることで、慕う人も天国で納得するのではないかと思ってきた。

僕がいつかその人に出会えるときまで、心から納得するように人生に取り組んでいくよう心がけてきた。

納得する生き方とは、どんな生き方だろうか?死ぬまで挑みつづけても、心から納得する生き方が手に入るかどうかわからない。

でも、たとえ手に入れることができなかったとしても、死ぬその瞬間まで追いかけていきたかった。それが僕の納得する生き方なのだ。

真剣勝負の土俵に上がる

この人たちのためなら負けてもいいから勝負したいと思えた。僕はいつも真剣でいたかった。真剣でいれば、勝ち負けがハッキリした。

うやむやになるのは、中途半端にいつも取り組んでいるときだった。

「人生は勝ち負けじゃないんだよ」という人も多い。けれど、それでも僕が見てきた尊敬する人たちは、何かと戦っていた。

自由のための闘いだったり、人間の可能性を広げる闘いだったり、自らの身体能力の限界との闘いだ。

僕が真剣でいたいと思うのは、起業したばかりの頃のお客様が素晴らしい人格を持った経営者だったことに影響を受けている。

その人は父親の経営していた借金だらけのスーパーを引き継ぎ、それまで貯金したお金を借金の返済に当てた。

下り坂な事業に未来はないと思い、新しいアパレルの事業をつくり上げた。東京でも大規模に展開するまでになった。そんなときに、その人は、起業したばかりの僕の講座に来てくれた。

僕は怖かった。そんな経験をしてきた人が、ついこのあいだまで学生だった僕の話を聞くはずがない。勝手に決めつけて、勝手に緊張して、勝手に恐れていた。

その人から見たら、きっと僕の持っている知識はゼロに等しいのだ。いくつもステージが上の人を目の前にすると、僕はいつも裸にされるような気がした。

着飾った言葉や見聞きしただけのよい言葉は、全部見透かされているような気がした。

子どもの頃に、親についた嘘がばれていると気づいたときのような恥ずかしい気持ちになった。

結局は、空っぽな自分に気づいているのは、自分自身だった。空っぽになったとき、僕は心の声に気づくことができた。

「いいじゃないか、この人の力になりたい。その思いがあるのだから、その思いを持って、全力で取り組むんだ。どうせ小手先のテクニックなんて通用しないんだから。全力でぶつかればいいんだ」徒手空拳でいい。

つまり飾らずに、そのままの自分の本音で勝負する。何も装っていない素のままの自分の力を尽くす。

うわべで身につけたような知識やスキルに頼ることは、僕以上のものを持っている人の前では恥ずかしいことだ。ただ心から信じていることで勝負するだけだ。

尊敬する人と出会うとき、僕は「対等でいられる自分であろう」と思っている。

その人たちの役に立つということを諦めてしまったら、自分が自分じゃなくなってしまうのではないか、そう思っている。

昔は自分に自信が持てないときは、見た目を変えたり、知識武装をしたり、資格を取ろうとしたり、肩書きをかっこつけたり、手っ取り早く自分を「すごい人」に見せようとした。

そう見せたいと思うのは、自分が「すごくない」とわかっているからだ。

だけど、そこに気づいてしまうともう立ち直れなくなるから、頑なに見ないようにしてきた(でもきっと周りからはバレバレだったと思う)。

尊敬するお客様は僕を裸にして、鍛えてくれた。自分を守りたいという思いはあった。

しかし、そうした人たちを前にすると、この人の役に立ちたいという衝動が沸き起こった。また、そうした人たちと出会うたびに、もっと上に行きたい、違う景色を見てみたい、という僕の思いは強くなった。

それらは、周りに自分を認めさせたいという欲よりも、もっと上へ高みへ行きたいという純粋な想いだった。

いまだ知らない、想像もできない自分自身になりたいといつも思ってきた。そうしたら、もっと役に立てる自分になれると思った。

自分がいくら理論武装したところで、一瞬で吹き飛ばされてしまうような尊敬する人たちがいる土俵にのぼりつづけた。

そのなかで僕は鍛えられた。最初は負けつづけた。みじめさを経験した。悔しくて泣いたこともあるし、「こんなはずじゃなかったのに」と後悔することもあった。

でも、僕はそうした気持ちから逃げるわけにいかなかった。

みじめさを感じていること、悔しいと思っていること、後悔していること、その自分の気持ちに嘘はつけない。

自分がみじめな気持ちになっていることは、どんなにごまかそうと思っても、ごまかすことができない。

逃げることはできないとわかったからだ。自分がみじめだと認めるまでは大変だった。

僕が大学を出て、親からの仕送りは終わった。自分で起業し、自分が完全に自分の人生を握ったことを知った。

自分の決断ひとつ、行動ひとつ、心持ちひとつが、自分の人生を完全に変えてしまう、ということをヒシヒシと感じはじめた。

最後は、守ってくれる人もいない。責任を代わりに取ってくれる人もいない。代わりに謝ってくれる人もいない。すべて自分の行いは、自分に跳ね返ってきた。

さぁ、これから自分が働いたお金で生活をしていかなければいけないというとき、それまで勝負することから逃げつづけてきたツケがまわってきていた。

僕の生活力では、知り合いの人の空き部屋に住むところから始めるしかなかった。当時はいろいろな理由をつけて、そんな状況に自分がいることを正当化した。

知り合いのところにいるほうが家賃がかからなくていいとか、固定費を抑えられるとか、起業の最初はそういうものだとか……。

自分がみじめだと感じていることを、認められなかった。それを感じたら、負けだと思った。負けたら終わりだと思っていた。負けることを怖がっているうちは、土俵にすら上がれなかった。

そんな僕が負けてもいいから、高いレベルの土俵で勝負しつづけようと思えるようになったのは、家族や仕事仲間や、そして何よりお客様のおかげだ。

この人たちのためなら、僕は負けて恥をかいてもいい。そう思えたとき、僕は急に別人のようになった。

尊敬する人たちがお客様になってくれたことは、本当に僕は運がよかったと思うことの一つだ。おかげで、最初から地に足をつけて、地道なことを繰り返していく日々に専念できた。

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