はじめに
九五歳になる老書生が、後生の皆さんに、「人間とは何か」「どう生きればいいのか」ということについて、お伝えしたいと思うことを綴っているのが本書です。
我が国はかつて世界に冠たる「人間教育」国でしたが、戦後は近代合理主義の罠にはまり、珠玉のような伝統の「道徳」を放棄しました。
「子ども中心型育児法」がはやり、「正しい子育て」とは何かがわからなくなり、未熟な大人が現れ、理解できない凶悪犯罪が日常茶飯事となっています。
今、日本の将来を思うと、誠に暗澹たる気持ちです。子育て・教育・道徳は、人類が体験での試行錯誤を重ねてつくった伝統です。
そうした伝統の本質は時代を経ても変わらないのに、現代の日本人は、環境が変わったら伝統は通用しないと思い込み、誤った小賢しい脳の育て方、使い方に走ってしまいました。
教育には素人の私ですが、外科医として生物学の知識は持ち合わせています。そうした目で、人間はいかなるものかと眺めるたびに、そのすばらしさに驚嘆させられます。
生物学の光を教育や道徳に当てると、伝統の核心、不変の本質が浮き彫りになります。
「道徳の生物学」「教育の生物学」は今、その必要性が高まっていると痛切に感じます。私たちは教育というと、社会を舞台として考えることが普通になっています。
これは青年期以降の「職業教育」には妥当ですが、幼年期を中心とする「人間教育」は生物学を基盤に考えるべきなのです。
特に、ヒトとして生まれた赤ん坊を人間に育てるまでの一〇年間は、時代が経っても変わらない「伝統的な育て方」が適切、かつ必要なのです。
第一部では、そうした問題意識から、教育・道徳についての「生物学的人間学序説」を、つまり教育・道徳は人間にとってどのような意味を持つのかということを、科学的にも優れた日本の伝統的教育に着目しつつ、生物学・生理学的視点から述べてみます。
第二部は、人間に備わった能力を引き出す「生き方」について、九五年の人生体験をもとに、これも日本伝統の「型」や「稽古」などの智慧にふれつつ述べてみたいと思います。
今なお気持ちだけは青年のように若いのですが寿命には勝てません。
細かな点には誤りもあろうかと思いますが、本書の趣旨を諒としていただき、本格的な「生物学的人間学」を、読者の皆さんがつくり上げてくだされば幸いこれに過ぎるものはございません。
第一部正しい脳の育て方・鍛え方
第一章正しい子育ての基盤
1.戦後教育の荒廃の実相
私は大正一〇(一九二一)年に福岡県久留米市に生まれました。平成二八(二〇一六)年で九五歳になります。
満州事変(柳条湖満鉄爆破事件)が起こったのは昭和六(一九三一)年、尋常小学校三年のときでした。支那事変(盧溝橋事件)は昭和一二(一九三七)年、中学三年のときに起こりました。
太平洋戦争勃発は昭和一六(一九四一)年一二月で、このときは旧制福岡高校三年生でした。その四か月後に九州帝国大学医学部に入学しました。
太平洋戦争は開戦半年にしてミッドウェー海戦で敗戦、翌年には国家総動員法が発令されて、文科系学徒も出陣することになりました。
医学部四年になった昭和二〇(一九四五)年四月には、沖縄陥落寸前に陸軍軍医候補生として学徒出陣することになりました。
そして同年六月に見習士官として軍務に服して間もなく、終戦を迎えました。その直後の九月一五日に九州帝国大学医学部を卒業しました。
このように徹頭徹尾、戦時中の教育を受けた私でしたが、旧制高校修学三年の最後の組で、人間教育は平時と同じように受けました。
国内の都市という都市は空襲につぐ空襲で焼け野原になりました。
しかし、そこに生き残った私たちは、「ゼロから立ち上がるぞ」という勇気凛々で、日本は必ず復興すると信じ、二十年後にはそれが実現しました。
ところが夢にも思わないことが起こりました。それは教育の荒廃です。
平和になったときこそ、教育を立て直すべきであったのに、道徳・人間教育は戦争を駆り立てた危険なものだから廃止せよと叫び、学校の教科書の道徳に関わる記述は、墨で塗りつぶされるというような無軌道ぶりでした。
しかし、その間、戦後二〇年にして、奇跡的に経済復興を成し遂げることができたのは、戦時中に困苦に耐え抜いた伝統的道徳心を身につけていた人々がいたおかげです。
昭和四〇年代に吹き荒れた大学紛争は、昭和五〇年代に入ると終息し、紛争の余波は高校、中学と低学年化しました。
そして、平成の時代に入るころに、小学校に異常状態が起こり、「子育て人間教育」の基盤が動揺し、確固とした教育指導原理が欠如したままという、いまだかつて経験したことのない、教育の空白状態が生まれることになりました。
「ヒトを人間に育てる」ことが子育て・教育の要諦であることは疑いのないことであるにもかかわらず、教育荒廃の後始末ばかりに忙殺されて、「人間教育」の根幹になる「道徳」そのものが軽視されることになりました。
先の大戦を不思議にも潜り抜けることのできた私にとって、夢にも思わなかったことが起こったと述べたのは実にこのことです。
気がついてみたら、前世紀末には哲学者はいつの間にか姿を消していました。
「人間はいかに生きるべきか」を説く、ひそかに尊敬の的だった白皙の哲学者はいったいどこへ行ったのか?価値観が変わった。
一三世紀ごろに西ヨーロッパで興ったルネッサンスによって、それまでの「人と神との対話」は「自然・モノとの対話」に置き換えられるようになったのです。
長い戦乱が終わって、平和が訪れるや、自然科学の進歩はめざましく、世は物質文明の情報化時代となりました。
古典的哲学の「人はいかに生きるべきか」と鹿爪らしく考えるようなことは時代遅れで、享楽的・娯楽的にうまく生きようとする軽薄な時世となったのです。
伝統を破ることが進歩と考える風潮が物事の本質を考えることを疎かにしました。
しかし複雑極まる社会生活において、適時適切に価値判断と意思決定ができるように巨大脳のニューロン回路(脳神経細胞の連絡網・『5.ニューロン回路の驚異』参照)をセットするためには、躾、訓練(それを子育て・教育という)とそのための規範(それを道徳という)が必要不可欠であることは、環境がどう変わろうと関係なく、ヒトとして生まれたからには「人間の不変の鉄則」です。
この鉄則を放棄しているのが、現在の「新自由教育思想」であり、これが戦後の教育荒廃の実態です。
ヒトとして生まれた人の子は、わがままを抑える「自制心」の躾、道徳の訓練をしないで人間になれるわけがありません。
この伝統的人間教育を弊履のように放棄して、子どもを甘やかす「子ども中心的子育て」に靡いた結果が未熟な人間を社会に送り出すことになり、理由なき凶悪殺人事件が後を絶たない世相をつくり出したのです。
この現象を私は人類破滅の前兆だと見ます。
「物質文明栄えて、人滅びる」のです。
しかし現今の道徳教育の荒廃ぶりを見て漫然と手を拱いているわけにはいかず、わが年齢も考えずに、せめて蟷螂の斧でも「ヒトの教育」の理念を広めたいと懊悩している次第です。
このことはアレキシス・カレル(一九一二年ノーベル医学生理学賞受賞)が『人間この未知なるもの』、『人生の考察』の中で予言しています。
岡潔(著名な数学者・哲学者)はその随筆『春宵十話』の冒頭に「人間を生理学的にみたらどんなものか、これがすべての学問の中心になるべきではないか」と喝破しています。
私はこれらの先達に導かれて「生物学的人間論」とでもいうべき分野の模索を始めました。
以下が老生の「生物学的人間論序説」で、未熟そのものですが、これからはますます時宜に適したものになることを疑いません。
2.子育て人間教育の生物学的基盤
教育の二重構造後述するように、心は脳で機能します。
脳神経細胞は認識獲得のために刺激を受けると、軸索という神経突起を出して隣の細胞との間に連絡網(ニューロン回路)をつくります。
ヒトの大脳はチンパンジーが持っていた古い脳(大脳辺縁系)とヒトになって初めて保有することになった新しい脳(大脳新皮質系)とから成っています(『ヒトの脳の三層構造』参照)。
古い脳は生後ただちに母親からの養育刺激によって獣性から人間性に転換して、一〇歳ごろに人間にまで育ち、感性的な人間教育の基本が完了します。
それからは新しい脳の知性が育って、感性・知性の調和のとれた人格が二〇歳ごろまでに完成します。
生後一〇歳ごろまでを第一次教育(人間教育)、それから二〇歳ごろまでを第二次教育(職業・専門教育)といいます。
この第一次・第二次教育の順序を変えてはいけません。第二次教育は第一次教育の基礎の上に立って成熟するものです。
近代以降は物質文明の世となり、第一次教育を形骸化して第二次教育を幼年期に前倒しする傾向にあり、深刻な弊害が出てきています。
ドイツの動物学者のヘッケル(一八三四~一九一九)は「個体発生は系統発生の短い反復である」との仮説を出しましたが、これはまず一〇歳までに人間教育(感性)を完成させて、その後で職業教育(知性)をしなければならぬことを教えています。
子育ての愛情とはそもそも何か?
『ヒトの教育』創刊号に九里学園(山形県米沢市)理事長の九里茂三先生が江戸時代の教育者細井平洲の「細井先生講釈聞書」を引用した短文を載せておられます。
「幼少子を母の懐にいだいている。或いは母が小便でもしに行く。其間、姥さんが抱いていると、かかさへいくいくと泣いてやかましい。
そこで姥さがだましつ、すかしつ、かかさは今小便にいた。今くるだまれだまれとて随分すかせど、かかさかかさと泣いてだまらぬ。さてもやかましい餓鬼ではある。
ちとの間も待たぬやつじゃと一つあたまを張って懐へねじ込む。そのように母が頭を張っても、懐にねじ込んでさえ母がいだけば其儘ひしとだまる。是子というものは生得邪知も分別もない。
ただ母に抱かれ、親にすがる計りの心、親はただ何かなしに我子が可愛い可愛いと思うばかりで余念がない。
これが天地の間に性を受け、天地よりもらい受けたる信の本心というもの、其天地よりもらいうけたる誠の本心を失うと悪人と言物になる」昔の家庭の素朴そのものの子育てのほほえましい風景です。
この「素朴な手間ひまかけての体験から愛は育つ」と九里氏は述べています。
オオカミ少女の話があります。
一九二〇年一〇月ごろ、インドのカルカッタ近くの村の洞窟に化け物がいるという噂が立ち、捜索したところ、それは二人の女の子でした。
一人は間もなく死にましたが、もう一人は一七歳で死ぬまで二本足で歩くことが難しく、人となじまず、覚えた言葉はわずかに四五だったということです。
動物にも天地から授かった愛情があるはずです。ヒトは動物からの愛情では人間になれないのです。
「ヒトは人によって人間になる」のです。ヒトの子は人間に育てられないと人間になれないのです。
これは人間にだけのことで、他の動物はそんなことはありません。生まれたヒトの赤ん坊は人間によって育てられてはじめて人間になるのです。
「花の色美なりといへども独り開くにあらず、春の時を得て光をみる」とは道元禅師の言葉です。
この言葉のとおり、感性を持った人間(親)から育てられてはじめて、その感性が赤ん坊に染まるのです。
これが子育ての第一歩です。
オオカミ少女の話はこのことを物語っているのです。巨大脳が育つには人間性を持った親の存在が必須なのです。非人間的雰囲気の環境は非人間的人間を育てるのです。
小野田少尉の母の躾のスピリット
太平洋戦争が終わった後も、フィリピン・ルバング島に約三〇年間隠れていて、一九七四年に発見され、作戦解除命令を確認して日本に帰国した小野田少尉の逸話です。
小野田さんが小学校一年生の時の話です。上級生と言い争いになり、たまたま近くに置いてあった小刀で、上級生に軽い怪我をさせてしまったのです。
学校から電話連絡を受けていた母親は、帰宅した小野田少年を説教しましたが、彼は正当防衛を主張して謝りません。
すると母親は、小野田少年を風呂に入れ、和服の裃に着替えさせて、仏間に座らせると、
「人を怪我させてはいかんといくらいっても、文句ばっかりいって、親のいうことを聞こうとせん。お前の日常を見ていると、ハラハラすることばかりだ。このままでは、ご先祖様に申し訳が立たん。これで腹を切って死になさい。母も死んで償う」
といって、仏壇の引き出しから短刀を出し、小野田少年の前に置いたのです。
小野田少年がびっくりしてためらっていると、「この意気地なしめが!」と一喝。
それから十数年が経ち、小野田青年は徴兵され、昭和一九年一二月、いよいよ戦地に出発する直前、郷里に帰り母親と一緒に先祖の墓参に行くと、母親が小野田青年にこういったといいます。
「子どもの時の短刀事件を覚えているだろう。あれは一世一代の大芝居だった。七つの子に腹が切れるはずはないと思ったが、お前が謝ってくれたからよかった。
もう何も思い残すことはない。元気で行きなさい。ただこのことだけはいっておく。
もしお前が命を永らえて帰国して、子どもがお前のような性格だったら、このくらいの覚悟で躾をしなければならんぞ」
明治生まれの母親は、人間の殺生について、断定的潔癖さともいえる「刃傷禁止の価値観」で躾をしました。
小野田少尉の伝記を拝見すると、こんなほほえましい場面があります。
母「お母さんはお前を産むときに痛くてどうしようもなかったが、お前が生んでくれ、生んでくれとせがむもんだから、生んでやったのに、親の言うことを聞かんで、しょうもない子だ」
子「僕はそんなこと言った覚えはないよ」
母「エッ!お前、毎日毎日、オシメかえてやったのを覚えているか」
子「僕、知らないよ」
母「そらみたことか、お前は忘れているんだ。生んでくれとせがんだのを忘れているのだ」
生まれてくる赤ん坊が「生んでくれ」とせがむはずはありませんが、この母親の没論理の迫力がここまでくると、小野田少年は母親にすっかり降参して、その絶対的愛情の中に甘えて行こう、ただこの母を悲しませるようなことだけは絶対にしないと秘かに決心するのです。
この母親の躾があったからこそ、小野田少尉は約三〇年、超人的な生き様で、自分の任務を全うすることができたのだと思われます。
この小野田親子の躾のダイナミズムは「躾の手本」のようなものです。これで母親の人間性が子どもに移ります。小野田少年の超人的人生観はここから生まれたのです。まさに「この母にしてこの子あり」です。
原因不可解な凶悪殺人事件はなぜ起こるのか?
テレビや新聞を見ていると、かつては考えられなかったような事件が起こるようになりました。
例えば、佐世保の女子高校生が「人の体の中を見たかった」「人を殺してみたかった」といって同級生を殺し、死体を切断しました。
また名古屋大学の女子大生は、アパートの自室で顔見知りの老女を斧で殺害しました。
さらにこの女子大生は高校時代にも同級生に猛毒の硫酸タリウムを飲ませたり、「人の焼死体を見てみたかった」といって、自宅近くの民家を放火したりしています。
何とも、背筋が凍りつくような事件です。どうしてこんなことが起こるようになってしまったのでしょうか。
サルの社会はボス社会で、前のボスが弱って次のボスに代わるとき、新しいボスは前のボスの子どもを殺します。
その殺害に新しいボスが参加するのはわかりますが、母ザルも子どもを守ろうとはしません。ボス交代において、こういう子殺しの狂乱の世界があるらしいのです。
このような同類殺しをするサルの遺伝子が潜在的にヒトの子にあるのかもしれません。
*二〇世紀の前半には二度の世界大戦があり、戦争、内戦、虐待、粛清、民族浄化などで、人間が殺した人間の数は一億人を下らないといいます。
人間とは驚くほど危険な生物といわざるを得ません。
このような危険な「情」に対して、理性でこれを抑える「自我の抑制の智慧」を先達は教えてくれたのです。
その第一が、生後すぐの、母親の生得的愛の養育環境です。「ヒトは人により人間になる」のです。
第二が幼年期の「躾」です。小野田少年の日常よくある子どもの仕草に対して渾身、没論理の迫力ある説諭の躾は、子どもに潜在する危険な情を消滅させ、崇高な人間性を目覚めさせたのです。
「子育て」においては、事大主義といわれるほどの潔癖さで、道徳の基本をしつけなければならないのです。
伝統的道徳の「自己抑制の掟」を無視して、知性偏重の小賢しさで、自己中心的な人生を歩もうとすると、潜在的な殺人癖が頭をもたげて、隣人を殺すことに興味を持つという、人間失格の生物に堕してしまうのです。
精緻を極めたヒトの巨大脳は、育て方の掟を無視すると、とんでもない、危険極まりない生物になるのです。人間とはそういう生物なのだと思わなければならないのです。
このことを前置きにして、人間に対する道徳・教育の必然性について次章で述べることにしましょう。
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