本章は、一人さんがこの本のために「人間の〝器〟とは何か」というテーマで、特別に書き下ろしてくれたものです。普通、師匠が弟子の本のためにこのようなことってしないのです。したとしても、推薦文を書く程度です。
でも一人さんは自分の本を書くよりも時間をとって、一生懸命、書いてくれました。それで「謝礼も印税もいらないよ」って言うのです。
そこがやはり、私が思う日本でいちばん、いえ、世界でいちばん器の大きな人だと思う所以なのです。ぜひじっくりと、本章をお楽しみください。
必要ないことを「必要ない」と言えるのが器量
「〝器〟ってなんですか?」ってことなんだけど、私が考えているのは、我を外した、人間的な正しい考え方を〝器〟って言うんじゃないかと思うんです。
たとえば結婚して、「おまえ、あれダメだよ」とか「これダメだよ」とか、ダメが多いよりも「俺と結婚したんだから、おまえはできることが多くなった」のほうがいいよね。
あれができる、これができるのほうがいいに決まってます。
私の場合は、私のお弟子さんになったら、その人が弟子になる前よりも、いろんなことができるようにしてあげたいなって思うんです。それで実際、みんないろんなことが自由にできるようになりました。
だから、明らかにこっちのほうがいいんじゃないかということを、「こっちのほうがいいよ」って言えることだけなんです、器量って。
私がジャガーという車に乗っていたときに、お弟子さんたちも、「私もジャガーに乗れるようになりたい!」って言うから、ジャガーに乗れるためのことを一生懸命、教えてあげたの。
そしたら、みんな乗れるようになったの。それでいいんです。だけど普通の会社では社長がクラウンに乗っていたら、社員はクラウンより下のクラスの車に乗らなきゃいけないよってなるでしょ。
それが本当に道理にかなった理由ならそれでいいんです。何か明確な理由があって乗ってほしくないのならいいんだけど、別にたいした明確な理由がないのなら、乗りたい車に乗りなってことなの。
この場合、「そんなことどうでもいいよ」って言えるのが社長の器量なんです。
その〝どうでもいい〟って言うのは、本当にどうでもいいことなの。だけど、それが、〝どうでもいい〟って思えない人が多いんだよね。
もし、その〝どうでもいい〟って思えないことに、その人なりの理由があるのなら、それを貫けばいいんです。でも、〝本当にそれが必要なんだろうか〟っていうことがあるんです。
あなたが人に「どうでもいいよ」って言えないのは、それは単なるあなたの〝我〟じゃないんですかってことなの。
器量っていうのは、本当に必要のないことは、必要ないって言えることなんだと私は思うんです。
基本は〝しあわせ〟にしたい気持ち
物事を考えるときの基本が、私の場合は〝しあわせ〟なんです。
私が弟子をとるのは、その人を幸せにしたいからであって、自分が威張りたいからではないんです。だって、私は弟子がいないからって困らないから。
弟子がいなくても、私は別に毎日楽しく生きていけるんです。だから弟子にするということも、基本はその人を幸せにしたいからなんだよね。
そしてその結果、その人が豊かになって、外車でも買えるようになったんだとしたら、それを買っちゃいけないって言うのは、それが幸せなことなんだろうかってことなの。
だから、器の大きさも、最終的には「幸せ論」なんだと私は思うんです。なかには、「これだけはダメだよ」っていうこともあると思います。
たとえば、私のお弟子さんが「ほしいものがある」と言ったときに、私に「買ってくれ」って言うのなら、ちょっとは考えるけど、自分で買うことができるものを買っちゃダメっていうのは、私には考えられないことなんです。
私はものを考えるときの基準を、〝どっちが幸せだろうか〟っていうことに置いています。幸せって、自分で働いて自分で食べていくことができれば、それでいいんだよね。
そのなかでジェット機を買えるお金があって、それがほしいというのなら、買えばいいんです。買える能力があって買うことができるんだったら、それはサンダルを買うのと一緒なんですね。
それが人によって買える能力が違うだけなの。持っているお金が違うだけなの。だから考え方によっては自動車に乗れるだけでも贅沢だって言う人もいるんだよ。
自動車を買えない人だっているし、自動車を買うお金があったら借金を返さなきゃと言って、その分を歩いて我慢する人だっているんだよね。
普通車は贅沢だから軽自動車に乗ろうっていう人もいるんです。それって個人の経済的事情なんだよ。
だから、「あなたは軽自動車じゃなきゃいけない」じゃないんです。今の経済状態だと軽自動車に乗っていたほうがいいという人は、そこで幸せになればいいんです。
でもその人だって、〝貧乏〟は〝一生の持ちもの〟じゃないからね。豊かになることだってできるんです。それで、豊かになってベンツが買えるようになったとするよね。そして乗りたいとするよね。
それが、上司が国産の普通車に乗ってるから、自分はベンツに乗れないって気を使わせているんだとしたら、それってどうなんだろうと私は思うの。
さらにその上司が、「俺が国産の普通車しか乗れないのに、なんでお前がベンツなんだ!」って言うとしたら、その上司って器の小さい、イヤなヤツだなって思うんです。
自分の機嫌は自分でとる
私自身は、毎日を上気元(機嫌がよくて、気持ちが上であること)で生きるって決めているんです。
先日、私のお弟子さんの一人である宮本真由美さんが、雑誌のインタビューに答えて、「私は一人さんの弟子になってから二〇年間、一回もお師匠さんである一人さんの機嫌をとったことがない」と言っていました。
真由美ちゃんに限らず、私は今まで、誰かに自分の機嫌をとらせたり、とってほしいと思ったことが一度もないんです。
私は、おいしいものを食べるとそれで機嫌がいいのですが、まずいものを食べても機嫌がいいんです。そんなことぐらいでは、私の機嫌は崩れません。
お弟子さんが私よりいい車を買おうが、そんなことぐらいで私の機嫌を損ねることはできないんです。
自分の機嫌をとるということは、精神論のなかでもいちばん大切なことなんです。人間は機嫌が悪いよりも、機嫌がいいほうが絶対にいい。
はたから見て、その人の器が大きいかどうかというよりも、その人の機嫌がいいかどうかのほうが大切なんです。
たとえば自分が乗っている車より、部下がいい車に乗っているのを見て、機嫌が悪くなる人がいるんだけど、たったそのぐらいのことで機嫌が悪くなったりする人もいるんだよね。
それで私の場合はどうかというと、世間から見たら私のお弟子さんたちは、師匠である私のおかげで外車に乗れたりできるようになったんだっていう見方をするんだよね。
だから、「俺から散々世話になっておいて、俺の車を追い越しやがって」ということじゃなくて、いい車に乗れるのは、お師匠さんのお手柄なんだよね。
世の中には、自分の思いどおりにいかないことなんて山ほどあります。
それをいちいち、自分の思いどおりにいかないからといって自分の機嫌を損ねていたら、ずっと腹を立てていないといけなくなってしまいます。だから、まずは自分の機嫌をしっかりとること。
それで、たとえば自分の部下が自分よりいい車を買ったんだとしたら、「それはよかったね」って喜んであげるの。だって、部下がいい車を買えたんだとしたら、それは上司であるあなたの指導がよかったからだよね。
そして、お互いが「あなたのおかげだ」って思ってたら、お互いに気分がいいでしょ。人の器量ってね、そういうことだと思うんです。
だから、根底で自分の機嫌を自分でとれないと、器量なんて大きくなりようがないんだよね。
機嫌をとる習慣をつける
私は常に自分の機嫌をよくするようにしています。でもそれって大変じゃないですかって言われるんだけど、大変なことでも、難しいことでもないんです。
大切なのは、自分に起こった出来事をどうとらえるかということと、どんなことが起こっても、〝自分の機嫌をとる〟という〝習慣〟を身につけることなんです。
たとえば、すごく〝わからず屋〟の人が現れたら、天が自分の説得力を上げるために遣わしてくれたんだと思うと、それがすごくありがたいし、うれしくなります。
つまり、どんなことが起こっても、自分に起きた現象は自分にとっていちばんいいことだと思うようにする。そしてそれを、自分の器を大きくするための訓練だと思えばいいのです。
自分に起こった出来事に対して、何かにつけて頭にくるよりも、自分の機嫌がよくなるようにする。そのために何が必要かというと、〝理性〟なんです。
腹が立つのはそこに感情があるからですよね。その感情的になったときに、自分を上気元のほうに持っていくのに必要なのは理性です。だから、器量を上げるためには理性が必要なのです。
人は機嫌がよかったり、悪かったりします。たまに器量が大きいことを言うこともあります。でも、それがいつもできるっていうのは、理性がないとダメなんです。
その意識をずっと持っていると、それが習慣になって自然に身につきます。
歯を磨くときのように、最初は上の歯、前歯、奥歯、下の歯、前歯、奥歯というように、意識して磨いていても、慣れてくるとそんなことを意識しなくても磨くようになるんだよね。
それと同じで、ある一定のところまで我慢してやっていると、習慣になってしまうんです。そうなるとなんの苦労もなくなってしまいます。
私の場合も、何か起きると自分で自分の機嫌をとるように習慣づけてるから、脳の回路がそういうふうになってしまっているんです。それで、私にとってはそのほうが自然で、楽なんです。
人に抜かれたら「よかったね」と言えるのが器量
部下が自分よりもいい車に乗っているのを見て腹が立つというのは、どこかに「抜かれたらどうしよう」という心があるからではないでしょうか。
恵美子さんが事業家として成功して大金持ちになったのは、確かに私もいろいろと教えたからって理由もあるけど、ほとんどは本人の努力なの。
それでも、「あの人は一人さんの弟子だから」って、一生、言われるんです。
それって親の年齢を子供が抜けないのと一緒で、世間から見たら、弟子は一生、師匠を抜くことはできないんです。それなのにビクビクして、「抜かれたらどうしよう」と考えるのはおかしいんです。
なかには、自分が一番で弟子が二番だったらゆるせるっていう人もいるんだけど、それってすごく、器量を狭くしてるよね。
「お前が出世できたのは誰のおかげだと思ってるんだ!」とか、「俺が散々、世話をしてやったんだから、俺に感謝しろ!」とかって言ったときに、下に抜かれるんだよ。
それにまわりの人がそれを聞いてて、「なんだ、こいつは!」って思うんです。
それよりも、下の人が偉くなったら「よかったね」と言ってあげるのが、師匠として、指導者として、先輩としての、本当の器量なんです。
まずは〝我〟をなくすこと
この世の中は、最終的に実力以上のことをするためには器量勝負なんです。その勝負に負ける人は、器量の小さいことを言ってしまうから負けてしまうんです。
それと、そういう人はなんでもかんでも勝ちたがります。そういう人は結局、自分の〝我〟が強すぎるんです。
九州に全国からたくさんの人が集まる「陽なた家」という飲食店を経営している永松茂久君(『斎藤一人の人を動かす』〈PHP研究所〉の著者)という青年がいます。
彼のことをいつもはシゲと呼んでいるので、以下、シゲと書かせていただきます。
彼は、自分のたこ焼き屋を開店する前に、有名なたこ焼き店で修行をしていたんです。そして自分のたこ焼き屋を開店するときに、知り合いを一〇人集めて試食会を開きました。
その試食会に出されたのは二種類のたこ焼き。一つは修行していたお店のたこ焼きをまねたもの。もう一つはシゲが研究を重ねて開発し、自信をもって作ったオリジナルの、〝ヘルシーたこ焼き〟。
そして試食をしてもらってどうなったかというと、一〇人が一〇人とも、シゲが作った自慢のオリジナルたこ焼きではなく、修行をしてたお店の味をマネて作っ作ったたこ焼きのほうをおいしいと答えました。
このときのシゲは、お客さんにおいしいたこ焼きを食べてもらおうということよりも、自分〝が〟作ったオリジナルのたこ焼きにこだわり過ぎていたんですね。
つまり、自分〝が〟という〝我〟が強すぎたんです。
しかし、そこでシゲは自分の我を捨て、みんながおいしいと言ったたこ焼きのほうで商売をスタート。今や全国から人が集まる飲食店にまで成長させました。
もし、あのときシゲが自分の我に執着していたら、今の姿はなかったでしょう。あのときのシゲのお客さんに合わせた選択が、シゲ自身の商人としての人生を成功に導いたのです。
仕事や商売で失敗する人って、えてして我の強い人が多いんです。そういう人って、自分の個性を出そうとするんです。でも、個性と我は違います。
個性というのは絶対になくならないんです。
学校で同じ制服を着ていても、それぞれ誰かってわかるのと同じで、作ったものもマネしたら個性がなくなるかといえば、なくならないのです。
それと、我が強い人は常に自分が正しいと思いたいんだよね。でも仕事や商売では、正しいかどうかは自分が決めることではなく、お客さんが決めることなんです。
だから、商品ができたら常にお客さんに聞けばいいの。それで当たりを判断すればいいんです。それを自分の我にとらわれていると、判断を間違えてしまいます。
それよりも、我を捨てて自分が伸びていくほうを選べばいいんです。我というのは毒みたいなもの。だから、器量が狭いんじゃなくて、我が強いんです。
自分〝が〟という〝我〟をなくしていけば、自然と器量は大きくなっていくのです。
威張っちゃいけないよ
どれだけすばらしい才能を持っていても、どれだけ優秀な業績を残せたとしても、絶対にやってはいけないことがあります。
それは、威張ることです。威張りたい人というのも、結局、自分で自分の機嫌をとれない人なんだよね。
自分で自分の機嫌をとれる人にとっては、人にほめてもらったり、気を使ってもらうのは、それはそれでありがたいことなんだけど、そうでなくても別に問題はないのです。
レストランとかに行って従業員に威張っている人がいるんだけど、あれは本当にみっともないよね。
客で金を払っているんだから当然だっていうけど、そういう人って食事を楽しむというよりも、お金を払って機嫌をとってもらうために来てるんです。
私なんかは後ろについて、いろいろとかまわれるよりも、自分のペースで気にせずに食べたほうが楽しいんです。それで三つ星レストランに行ったから楽しいとか、安い場末の居酒屋で飲んだから楽しくないということもありません。
お金持ちになりたいとか、一番になりたいとか、偉くなりたいという人のなかには、人に機嫌をとってもらいたいから、いちばん偉いといちばん機嫌をとってもらえると思っている人がいるんだよね。それで、威張っているのが偉いんだって思っているんです。
私はよく、「一人さんはなんでテレビに出ないんですか?」と聞かれるんだけど、有名になりたい人って、人からちやほやされたいのです。
それで私は自分の機嫌は自分でとれるから、別にちやほやしてもらわなくてもいいのです。逆に私はそういうのを、面倒くさいと思ってしまうのです。
器量が小さいっていうのは、誰かに幸せにしてもらいたいっていうことなの。誰かに幸せにしてもらおうとか、誰かに機嫌をとってもらおうとしていること自体が、自分の器量を小さくしているのです。逆に、誰かを幸せにしようとしたとき、その人の器量が増えるの。
誰かに何かをしてもらうことを期待するのではなく、自分がその人を幸せにしたいからする。その数が増えれば増えるほど、その人の器量は大きくなるのです。
商売は買い物のプロに聞け!
経営者というのは、常に右か左かと事業の行方を判断しなければなりません。
なかにはそれを、「俺はこれだと思う!」と直感的に当てる、天才的な経営者もいるのですが、商売に天才はいりません。
二〇人ぐらいの人に聞けば、その商品がウケるかどうかはわかります。だから商売には天才的直感力も、神的な霊感もいらないのです。
現実的にどちらがいいか、人に聞けばいいのです。それを会社の中で聞くから間違えるんだよね。
会社の中でアンケートを取るよりも、世間に聞いたことのほうが正しいの。売るほうのプロは間違えるのです。なぜかというと、そこに欲が入るから。だから、買うほうのプロに聞けばいいのです。
それで、それは誰ですかっていうと、お客さんなんだよね。
たとえば歌だったら、買う側は歌を作ることはできないけど、聞いたらその歌がいいか、悪いかわかるでしょ。
もし一〇〇〇円の CDを買って一回しか聞かなかったら、そのお客さんはもとが取れなくて損をします。人は損をしたくないから、一回しか聞かないような CDは買いません。
でも、「この CDだったら、何回でも聞いちゃう!」って思うとお客さんは得をするから買うのです。
マイケル・ジャクソンなんかでも、業界のプロの人たちからは、子供のころは売れても、大人になったら売れないって言われていたそうです。
それが大人になってからも売れて、アルバムセールスが世界一になったんだよね。お客さんは買い物のプロだからわかるのです。そのお客さんに聞いてみると、いいものというのは八対二ぐらいになります。それで、八のほうをとれば売れるのです。
自分の我を通すのではなく、お客さんの声をいかに聞き入れることができるかという器が、商人には最も大事なんだと思います。
人をゆるせるのも器量だよ
その昔、豊臣秀吉の飼っていた鶴が逃げ出すという事件がありました。そのとき、鶴の世話をしていた人は、打ち首か、切腹を言い渡されることを覚悟していました。
そこへ秀吉が来て、「その鶴は外国まで飛んで逃げたのか?」と聞きます。
それに対してその世話をしていた人は、「飼っていた鶴だから、外国までは飛んで行けないと思います」と答えました。
それを聞いた秀吉は、「日本にいるならウチにいるのと同じだ」と言ったのです。それでもちろん、その世話をしていた人が何か罰を受けるということもありませんでした。
日本全土を自分の庭のように考えている秀吉の器量も大きいのですが、このとき秀吉は、何よりもその世話をしている人のことをゆるしたかったのです。
すでに有名な話ですが、秀吉は百姓の出身です。それが足軽の身分からどんどん出世して、最後は天下統一を果たし、公家の最高位である関白にまで上り詰めました。
そんな秀吉ですから、人に使われることの苦労を知っていましたし、下の人の気持ちがわかりました。だからこのときも秀吉は、「どんな罰を与えようか」ではなく「どうやってこの人をゆるしてやろうか」ということを考えたのです。
秀吉にも秀吉の立場があります。上に立つ者として、下の者が失態をしたときは罰を与えないと統制がとれません。また世話をしていた人にも立場がありますし、責任もあります。飼っていた鶴を逃がしてもいいということではないのです。
そこをどうすれば自分の立場も守れて、相手のこともゆるしてやることができるかと考えるのが、秀吉の将たる器の大きさの所以ではないでしょうか。
人はゆるせないことが多いよりも、ゆるせることが多いほうが幸せなんです。だから大概のことはゆるしたほうがいいの。
それを、「じゃあ、一人さんは親が殺されてもゆるすんですか?」って言う人がいるんだけど、そんな極論を言うこと自体が、器を小さくしているんだよね。
それでそういう人に限って、「では、あなたは親が殺されたんですか?」と聞くと、「いえ、殺されていません」と言うんです。
「あいつがゆるせないんです。あいつにされたことを思うと、悔しくて夜も寝られません!」 そのように言う人がいるんだけど、その人が眠れないほど悔しがっているときに、その相手は気持ちよく寝ているんだよね。
それで結局、「ゆるせる」「ゆるせない」というのも、どっちが得かということなんです。
ゆるせない相手を恨んだり、憎む日々を過ごすのが得なのか、それよりも、その時間とエネルギーを他のことに使って、自分が楽しく、幸せになれることに使ったほうが得なのかということです。
人をゆるせるのも器量です。そして、ゆるせることの多いほうが、人は幸せになれるのだと私は思うのです。
器を大きくするには〝上気元〟でいること
それで、人間の器を大きくするためにはどうすればいいんですかっていうと、結局は〝上気元〟でいることなんですよね。
つまり、自分の機嫌を自分でとって、常に上気元でいる。そして、自分の元気という気も、常に上を目指して上げていくのです。いつも上気元でいられるために大切なのは、「意思」なんだよね。
たとえば、明日の天気はわかりません。雨が降るか、嵐が来るか、風が吹くか。天気予報を見れば予測はつきますが、その天気を自分で決めることはできません。
でもね、その日が「いい天気」か「悪い天気」かは、自分で決めることができるのです。
雨が降ってきたら、それを「嫌な天気だね」「雨で外に出られなくて嫌になっちゃうよ」と言うのか、「いいお湿りだね」「雨が降ると草木も喜んでいるみたいだね」と言うのか、その人の意思が決めることなのです。
だから、「自分は人としての器を大きくするために、上気元でいる修行をしているんだ」という意思を、いつも持てばいいんです。
上気元でいると、不機嫌でいるのが嫌になってきます。
それで上気元の修行をしていると、普通の人が嫌なことがあって一日中不機嫌だとしたら、それが半日になったり、さらに修行してればそれがもっと短くなるのです。
そしてそのうち、いい意味でどうでもよくなってくるのです。
自分で自分の機嫌をとれないような人は、ひと言多かったり、どうでもいいようなことを言いすぎたりするんだよね。どうでもいいようなことをいちいち言って、人の機嫌を悪くさせたり、自分の機嫌を悪くさせてるの。
もちろん、言わないといけないこともありますよ。
「こっちに行ったら行き止まりだよ」とか、「こっちは工事をしているから危ないよ」とか、本当に言わないといけないこともあるんです。
だけど、そんなことってめったにないの。本当に危ないこと以外のことは、自由にしていればいいんだよね。
たとえば子供が公園に行ったら自由に遊ばせていたらいいのに、刃物を持った人が来たら逃げろとかって言うんだけど、でも、そんなことってめったにないでしょ。
もしもの場合に備えることも、もちろん大事だと思いますが、めったに起きないようなことを心配して〝取り越し苦労〟したり、いつまでもイヤな出来事を引きずって〝持ち越し苦労〟をしていてはいけません。それよりも、自分が上気元でいることのほうが大事なのです。
不機嫌な人とは付き合わない
自分がどれだけ上気元でいようとしても、まわりに不機嫌な人がいると、自分の機嫌まで悪くなってしまいます。そういうときはどうすればいいかといえば、そういう不機嫌な人とは付き合わないようにする。
どうしても避けられなければ、できるだけ距離を置くようにするとか、その人と調子を合わせないようにすることです。
世界で一番のお金持ちと結婚するのでも、その人が不機嫌だったら、世界で二番目でも五番目でもいいから、上気元な人と結婚したほうがいいんです。
お金はもちろん、あるに越したことはないのですが、それよりも上気元でいるほうが幸せでしょ。上気元な人が不機嫌な人と一緒にいると、自然に不機嫌な人が離れていくようになっているの。
それと、相手が不機嫌だからといって自分の問題だと思う人がいるのですが、それは相手の問題であって、自分の問題ではありません。
たとえば、あなたが社長で、社員が会社を辞めるって言ったとき、それは裏切ったんじゃないの。向こうの会社のほうがいいから行ったの。それは良かったねっていうことなんです。
意見が合わないからっていうけど、ほとんどの人ってそれぞれに意見を持っているから、合わないからって、それはそんなに問題じゃないの。
そんなことぐらいで自分の上気元を崩しちゃいけないんだよ。そんなことで不機嫌にならないで、自分が上気元でいればいいの。嫌なら友達を替えたり、会わなければいいの。我慢していて不機嫌になるようだったら会わなきゃいいの。
この世の中でいちばん大切なことは上気元かどうかってことなんです。
だから、あの人と会うと自分が不機嫌になるっていうのなら、会わなきゃいいの。ただそれだけなんです。先日も床屋に行ったら、俺が信じていることを否定されたことがあるんだけど、そんなことはどうでもいいの。
問題はそのことで自分が不機嫌になるかどうかなの。自分がどうやって上気元でいるかなんです。相手が信じようが信じまいが、そんなことはどうでもいい。
自分が信じているのだとしたら、それだけでいいんです。隣に信じない人がいたからって、いちいち腹を立てていたら、人生がもったいないでしょ。信じたくない人は信じなきゃいいの。
私がこうやって本を書いてても、信じられない人は読まなきゃいい。ただ、これだけは言いたい。
「上気元にしな」って。私は神を信じているんです。それで相手の人が、「私は神を信じられない」と言ったとしたら、信じなくてもいいから、「上気元にしな」って言いたいの。
〝上気元〟という目的地を決める
それでね、大切な基本は、〝上気元になる〟という意思なんです。意思がないとできないんです。「天国言葉を話そう」とか、何をしようっていうのも、それは上気元に向かっていればいいんです。それは、いわば上気元に向かう旅路のようなもの。でもね、わかってはいても、知らぬ間に道から外れてしまったりすることってあるんですよね。
だけど、明らかに上気元というところまで線を引いたら、そこに向かって行くようになります。〝ゴムひもの原理〟と同じなんです。私は今まで「〝ついてる〟って言おうね」とか「笑顔が大事だよ」と言ってきたのは、すべてはこの上気元になるためなんです。でも、最初から「上気元になりな」って言っても難しいから、「天国言葉を話そうね」とか言ってきました。
それで、「ついてる」とただ言っている人のことを、「あの人は能天気だ」と言う人がいるのですが、〝能天気な人〟って何も考えていないんだよね。
本当は、人って、何も考えていないと、悪いことを考えだすようになっているんだよね。だから、能天気で楽しいことを考えるというのは実際にはあり得ません。
「あの人は〝極楽とんぼ〟みたいだね」って言うけど、小説や映画の物語の中にはそんな人が出てくるかもしれないけど、現実はそうじゃないの。
幸せというのは意思なの。自分で決めていくの。だから、上気元で生きるという意思が大切なんです。
人生ってね、〝上気元で生きる〟という修行なんだよ。それで、私は上気元の修行だと思って生きてきました。だから、どんなことが起きても上気元なの。
パリに行きたければ、パリに行こうって決めればいいの。
それと同じで、上気元で生きると決めたら、上気元になるの。その間にイヤなことが起きないんじゃなくて、イヤなことも起きるの。イヤな奴も出てくるの。それでも上気元で生きようという、意思であり、決意なの。これをしたらこういうことが起きないんじゃなくて、どんなことが起きても上気元なんだよね。
〝上気元〟とは人生の極意
こういうことをしたら裏切られないとか、こういう考えをしたらいいことが起こるとか、そういう奇跡みたいなものを期待する人もいるけど、そういうことではないんです。
日常を生きていたら、人と同じことは起きるんだよ。いいことだけしか起きない人とか、悪いことだけしか起きない人っていないよね。
あるのは、起きたことに対して不機嫌になるのか、自分で自分の機嫌をとって、上気元で生きようとするか……、の違いなんです。
たとえば旅行に行くと、まずい飯屋に入ることもあるでしょ。うまいところに行くときもある。どれだけ調べて行ったとしても、自分の思っていたのとは違うということがあるんです。
それで、いちいちそういうことで自分の上気元を崩さないこと。そうやっていると幸せなの。それで俺が幸せにしてると、ウチの会社の人も幸せなの。俺のまわりの人も幸せなの。これが、「上気元が起こす奇跡」というものなんだよね。そうすると、みんなが幸せになるんです。
それで、「やっている一人さんは大変じゃないんですか?」って言われるけど、いちいち怒っているよりはよっぽど楽なのね。いちいち怒ってるとくたびれます。
さらに、「では、感情のコントロールをどうすればいいんですか?」っていうと、まずはやろうと思うこと。自分の意思だよね。「やるぞ!」と決意します。
それで上気元になるという修行をしだすと、今までイヤなことがあったら九時間不機嫌になっていたのが八時間になったりとかするんだよね。
大事なのは、自分で自分を上気元でほめてあげられるかなんだよね。最初から完璧なんかできっこないの。ちょこっとでもできれば、それをほめてあげるの。そうやって上気元で生きていくんです。
「上気元の修行なんだ」って言葉を使いだすと、そういうふうになるんです。だって、どんなことが起こったって、それは自分を上気元にする修行なんだもんね。
それでさらに、「上気元の修行をしているんですけど、うまくいかないんですよね」って言う人が出てくるけど、そういう人には「そんなことはどうでもいいから、上気元でいなさい」って言うの。
うまくいこうがいくまいが、どうでもいいの。とにかく上気元でいると、楽しくて、楽しくてしょうがないんです。
たとえば上気元で作った詩はいい詩なの。上気元だから。思い悩んで苦しんで作った詩より、上気元で作った詩のほうが楽しいんです。不幸で作ったものは不幸を生むからね。
詩一つにしても商品一つにしても、上気元でやったもののほうがうまくいきます。
だから、「成功の極意とはなんですか?」って聞かれたら、「上気元」であることなんです。だいたい、人生の成功って、上気元でいたいということなんだよね。
幸せになりたいって、上気元でいることなんだよね。だから、人の究極的な目的は上気元で生きることなんです。そうすれば人間の器量もよくなります。
幸せとは日々の鍛錬のたまもの
「幸せになりたいんです」って言う人がいるけど、幸せってなんだか知ってるかい?って。幸せって上気元なんだよ。
それでね、最初に笑顔になっちゃえばいいんだよ。ニコッて笑うと、幸せなことを考えだすの。だから、人は幸せなことを考えなさいじゃなくて、ニコッて笑えばいいんです。
それで、ニコッとして天国言葉を使うと、人って幸せになるようになっているの。それでも、イヤなことも起きますよ。そのときは修行だと思えばいいんです。
「こんなことがあっても笑顔でいるという修行なんだ」と思えれば、そのことに引きずられません。幸せ以外のところに行っちゃうことがないんです。人生とは日々、鍛錬なんです。
人間の手は柔らかいけど、毎日毎日鍛えていると、瓦や板を割ったりすることができるようになるよね。
手より煉瓦のほうが硬いのに、手で煉瓦が割れるようになるんです。それと同じように、人の幸せとは日々の鍛錬のたまものなんです。
それは、修行という鍛錬なんです。だから日常に、イヤなこととかも起きたりするの。それでも上気元でいるという修行なんだよ。そう思うと、世の中がすごく楽しくなるの。
それで上気元になると、その人には上気元のことしか起きなくなるんです。修行はつらいものだって言うけど、確かにやっているときはつらいんです。
たとえば滝に打たれるのも修行だけど、つらいことを我慢して耐えていると、日常に戻ったときに、楽しくなっちゃうよね。
滝に打たれているときはつらいけど、そのときに比べれば日常なんてぜんぜんつらくないってなる。座禅をしていて、少しでも動くと木の棒でパシッて肩を叩かれる。
一瞬、体が引き締まって、叩かれた直後にありがたさがわいてきて、「自由って楽しいな」ってなるでしょ。確かに、これも修行だけど、滝に打たれるより、棒で叩かれるより、日常生活の中で上気元でいるための修行は、もっと楽しいんです。
それでいろんなことが上気元でできるようになったとき、そのときに「すごい器量の人ですね」って言ってもらえるようにもなるのです。
それぞれの性格に合ったやり方でいいの
なかには細かいことが気になる人とかいるんだけど、細かいことを気にするんじゃなくて、気になってもいいから上気元でいろってことなのね。
人にはそれぞれ性格があって、細かいことを気にする人もいるんです。それは生まれつきなの。けれど、大ざっぱな人だっているの。
だから、大ざっぱな人は大ざっぱなままで上気元にしていればいいし、細かいところが気になる人も、そのままで上気元にしていればいいんです。
それで世の中って、細かい仕事もあるから、そういう細かいことが得意な人がいてもらわないと困るの。細かいことが気になる人は、細かいことが得意なんだから、それを生かして上気元でいればいいの。
それに、上気元でいると考え方が変わって、あまり細かいことが気にならなくなってくるんだよね。細かいことって、細かいことが気になる人にとってはそれが大切なことなんです。
ただ、細かいことと、どうでもいいことは違うよね。世間にはどうでもいいことを言うような人もいます。それで、どうでもいいことが気になるときっていうのは不機嫌なときなんです。
上気元のときは言わないんだよ。人間ってね、上気元のときが本当なの。不機嫌が異常なんです。人がそれぞれ性格が違うのは、それぞれに学ぶべき問題が違うからなんです。
恵美子さんはお金持ちになって、着たい服が着られて幸せ、買いたいものが買えて幸せって言うんだけど、人にはそれぞれの幸せがあるんです。
人はそれぞれ幸せに対する感じ方が違うように、その人がどうやって上気元で生きるかというのも、それぞれに違うの。
つまりそれって、天が与えた修行の場が違うってことなのね。一人ひとり、全部違うんです。それでお互い、大変なことを言い合えばきりがないでしょ。
だから、不機嫌になろうと思えば、その種はいくらでもあるんです。よく、社長業は孤独で大変だっていうけど、それって大変なとこだけを強調してるの。「俺はこれだけ苦労してるんだぞ」って、大変だって言いたいんだよな。そう言って、誰かに機嫌をとってもらいたいだけなんです。
殿様は殿様で、上気元でいないと下の人たちが苦労するんです。足軽は足軽で、上気元でいないと上の人たちが大変なんです。
殿様には殿様の大変なことがあるの。足軽には足軽の大変なことがあるの。立場や役割は違っても、それでもそれぞれが上気元で生きるっていう修行をしているのです。
人の機嫌をとってはいけない
人は、他人の機嫌をとってはいけません。自分の機嫌は自分でとらないとダメなんです。それに、人に自分の機嫌をとらせているような人は嫌われるの。
そして、人の機嫌をとっていると、今度は自分がイヤになってくるの。だんだん、腹が立ってくるの。だから、自分の機嫌は自分でとらないとダメなんです。
もしこの国の一人ひとりが自分の機嫌は自分でとりだせば、みんなが上気元になって、この国は一億二〇〇〇万の上気元な人の国になるんだよね。
ブータンが世界でいちばん幸せな国だっていうけど、日本はそれに負けてちゃいけないの。本当はブータンより物質的に恵まれている、私たち日本のほうが幸せでなきゃおかしいんです。
だから日本の人は、もっと上気元の修行をしないといけないの。上気元の修行をすれば、この国はもっと豊かになれるのです。
今の日本には食べるものはあるし、着るものもあるし、住むとこだってある。この日本にいちばん足りないのは上気元なんだよ。まだまだ出世した人でも機嫌が悪い人がいるんだもん。
出世した人、成功した人まで不機嫌そうな顔をしている人が、たくさんいるんだもん。
上気元だと仕事も人間関係もうまくいく
愛されるということも、不機嫌な人と上気元な人がいたら、上気元な人のほうが絶対、愛されます。
間違いありません。それで、こういう修行は、まわりの人がやらなくても、自分一人でやればいいの。それと、上気元だけど仕事ができない人がいるとするよね。
それでも、仕事ができるけど不機嫌な人よりましなの。仕事はあとで覚えたり、がんばって上達することもできるけど、いつも不機嫌な人ってクセだから、なかなか治りません。
だから上気元のほうが上なの。上気元で損をすることってないんです。上気元でいちゃいけないのは葬式のときくらいなの。
それ以外はずっと上気元のほうがいいんだよ。だから、お葬式の会場から出たらすぐに上気元がいい。難しいことではないからね。
それで結局、いつも上気元でいる人は仕事もできるようになります。すぐに覚えるの。だから、このことがわからないのに、器量だけを大きくするってことはできません。
技術的なことは学んで実際にやってみて覚えればいいんです。商売にもテクニックはあります。そういうのは覚えればいいんだよね。
だからテクニックさえ覚えれば、ある程度、商売もうまくなるの。でも、器量があるっていうのは、そのうえに優しいとか、機嫌がいいってことが必ずついているんだよね。
たとえば怒ってばかりの人っているよね。でも、機嫌はいいほうが絶対にいいの。そんなこともわからないのはおかしいの。
怒ってばかりいるよりも、上気元でいたほうがまわりにもよくて、自分にもいいに決まっています。
だから、究極の目的は上気元でいることなんです。幸せとは上気元でいることなんです。そのために仕事があるんです。仕事は上気元で生きるための手段なんです。
だって、腹が減ったら何か食べないとダメだし、そのためにはお金がいるし、そのためには仕事をしないとダメだよね。
だから、仕事というのは上気元で生きるための手段なんだよ。仕事だろうがスポーツだろうが、たいがいのことはテクニックでなんとかなるんだよね。
でも、器量があるっていうことは上気元でやるということなんです。困った顔やイヤな顔をしているより、上気元でやったほうがいいよねって言いたいの。そして、上気元で生きることができただけで、人生は成功なんです。
どうして恋をするといいのか?
それと、人間は恋をすると上気元になるのです。人が恋をしたがるのは上気元になれるからなの。恋をすると誰でも上気元になれるの。
神様はすごいなって思います。平安時代に和歌を詠むのが流行ったんです。そして、その多くは恋の歌でした。和歌を詠むというのは貴族の遊びなんだよね。
金持ちしかできない遊びってたくさんあるんです。それでも、金持ちでも最高の楽しみって、実は恋することなんだよな。
ところが、字なんか書けなくても、教養なんかなくても、恋ってできるんです。だから、神様のすごいのは、公平ってところなんだよね。たとえ思いが通じなくても、片思いでも楽しい。私はどんなことでも自分のいいようにとるの。
どんなことがあっても上気元にとれる解釈をしないとダメなんです。その解釈が正しいかどうかっていうことよりも、楽しいかどうか。
自分が上気元になれるかどうかなんだよね。常に何が起きても上気元。今、日本中が不景気だと言っているんです。でも、ウチの会社はものすごく売り上げがいいの。それは、みんなが売り上げが悪かろうが、不景気だろうが、そういうことにとらわれない修行をしているからなんだよね。
リーマン・ショックって言うけど、だいたいウチの会社はリーマンとは取り引きしてないから。だからショックなんて受けるわけないって思ってるの。それをリーマン・ショックだ、世界同時不況だって言うけど、その前に物事を悪く考える癖はやめなって言いたいの。
「お先にどうぞ」と言える器
考え方を変えるのと同時に、もう一つ重要なことがあります。それは、「何かをするとき、動作をゆっくりとやるようにする」ってことなんです。
歩くときもゆっくり歩くの。いつもより二割ぐらい落とすと身体がゆるみ、神経がゆるむんです。人間の神経には交感神経と副交感神経というのがあって、私たちが起きているときは交感神経優位になっています。
それで緊張状態が続くと、ゆるめることができなくなるの。
それをゆっくり歩くようにすると、酸素が身体全体にいきわたり、血管がゆるむようになるのです。ところが仕事をしていたり、ストレスを感じていたりすると、呼吸が浅くなるのね。
そうすると、身体はまず脳に酸素を送らないといけないから、身体の末梢の血管をしぼめるんだよ。そうやって血を行かなくする。
そうすると身体に酸素が行かなくなった分、脳に行くんだよ。なぜそうなるかというと、脳を守ろうとするからなんだよね。そんなときはゆっくりと息をするようにすると、体中に酸素がまわって身体も神経もゆるむのです。
だから調子が悪いときなんかは、動作と呼吸をゆっくりして、心は「お先にどうぞ」という気持ちでいるの。
心のどこかに競争心があると、血管をしぼめちゃうよ。それで、人は競争心があるから勝てるんじゃないんだよ。人間は冷静な判断ができるから勝てるんだよ。
冷静な判断をして行えばいいんだよ。ところが競争心が出てきたときは、相手をやっつけることばかり考えて、頭はちゃんと動いてないんだよね。だから勝てないのです。
〝ダラダラ〟ではなく〝ゆっくり〟する
まじめで、一生懸命仕事している人が急にパニックになったり、鬱になったりするときは、心が急いでいるからなんだよね。
日常の中に焦りや急ぐ気持ちがあるんです。そこで、「急いじゃいけない」じゃないんだよ。人間って、あんまりダラダラしていてもダメなの。
普通、交感神経が優位のときは副交感神経が下がっているんだけど、いちばんいいのは、両方とも上げちゃうの。
だから、武道とか運動もやるけど、茶道なんかもやるのがいいんだよね。要は、ゆっくりなものも取り入れないとダメなんです。
仕事をしていると頭を使うから、脳が緊張状態にあるの。そこでちょっと歩くときなんかに、ゆっくりと歩けばいいんだよ。それが、心が急いているとせかせか歩いちゃうんだよ。
そうすると、一日中、神経が張りっぱなしになるんです。そうなると、脳神経が緊張しっぱなしになって失敗が多くなるの。物忘れが多くなったり、失敗が多くなったりするの。
だから、仕事をするときでもゆっくりするの。
要するに、ダラダラするんじゃなくて、ゆっくりすればいいんです。
急いでいるときって、人は必ず息を止めるんだよね。一〇〇メートル競走なんかでも、途中で息を吸ってないの。それって、すごく体を緊張させているんだよ。
だから、仕事をしているときなんかでも、「ゆっくりやること」と「深呼吸」を心がければいいの。
たまに、「鼻から吸って口から吐いたほうがいい」とかって言う人がいるけど、あまり細かいことは気にしないで、ときどき深呼吸することを心がければいいの。
病気をするのって、悪いところに血が行かなくなるんだよね。血が行かなくなるときって、必ず毛細血管が閉まっちゃってるんだよ。そこには必ずストレスという緊張があるの。
よくストレスを取りなさいって言われるけど、ストレスってなかなか取れないの。そこで、ストレスを取るのにいちばんいいのは動作なの。
動作をゆっくりにする。だからゆっくり歩くの。
たとえば普通なら一時間で五キロ歩くとしたら、一時間で三キロぐらいのスピードで歩くの。
そこで姿勢を正して歩くと、自然と酸素を吸収しやすくなるから。ところが、ゆっくり歩く人って〝とぼとぼ〟歩くんだよね。
そうではなくて、姿勢を正してゆっくり歩くと副交感神経が優位になるんです。
夜眠れないっていうのも、交感神経が優位になっているからなんです。緊張して、脳にばっかり血が行っちゃってるの。だから寝る前なんかは、特にゆっくりとした呼吸を心がけないとダメなんです。
人にゆずる態度がいい考えを生む
身体をゆるめるためにも、まずはゆっくり歩くこと。それと、「お先にどうぞ」っていう気持ち。お先にどうぞっていう気持ちで物事を考えたほうが、いい考えが浮かぶんです。
特に頭脳労働者は人と競争したり、争ったりしたらダメなの。経営者はスポーツ選手と違って頭脳労働者なんだよ。
それで経営において勝つということは、正しい判断をしないとダメなんだよね。その正しい判断をするためには、ストレスのある状態でやってはいけないの。お先にどうぞって考えていたほうがうまくいくの。
人生ってお風呂に似てるんです。お風呂のお湯をかきまぜるときに、手前に引くよりも、前に押し出したほうがよくまざるの。
引くより押したほうが多くの水を押せるし、押した分がこっちに戻ってくるんだよ。
仕事も一緒で、あの人には負けたくない、負けたくないっていうよりは、お先にどうぞってみんなを先に出してあげられる人のほうがいいのです。
人は自分のことしか考えていないような人のことを嫌うの。
私のところに人が集まるのも、私はパーティーのときなんかでも、どうやったら多くの人にスポットライトを当ててあげることができるかを考えているからなんだよね。
それで結果的には、お先にどうぞって言った人のほうが恵まれるんだよ。商売をうまくやったらお金は残るかもしれないけど、人に好かれないとダメだよね。
人に好かれなくてもできるのはせいぜい金貸しぐらいなもので、人に好かれないと仕事ってできないの。
よく、同じ実力ならって言うんだけど、同じ会社で自分の仕事が終わったら隣の人の仕事を手伝ってあげたり、自分のやれることを一生懸命やってると、誰を係長にしようかってなったときに、みんながその人にしようってことになるんだよ。
それがいちばんもめ事が少なくて、早く出世できる方法なんだよね。
「実力」と「情け」の関係
人は理詰めだけではついてこないんだよ。やっぱり、実力がないとダメだけど、情けもないとダメなんです。
それで、実力もあって情けもあったら競争もいらないんだよね。その人が一番なの。この世は実力もいるの。でも情けもいるの。それで情けと実力を持っていたら、その人が一番。
だから、仕事をサボって一番にはなれないの。だからまず、自分の仕事を一生懸命するの。それで終わったら隣の人の仕事を手伝ってあげるの。
私の仕事は製造業なんです。でも、販売をやってくれている人が困っていたら、私は手伝いに行くんです。それなら自分で直接売ったほうが利益も大きいし、本当は早いの。
それって一見、損に見えるかもしれないけど、いちばん得してるのは私なんだよね。お先にどうぞってやったら負けちゃうっていうんだけど、それはスポーツの世界の話なの。
でも、人間関係って感情なの。だから、この人についていこうっていう人のほうが勝つんです。私のマネをしたけど失敗したって言う人がいるんだけど、マネするところが違うんだよね。
一番は威張っちゃダメってことなの。うまくいったから偉いんじゃないんだよ。
人を抑えつけて世に出ようとしてもダメなんです。人は合理的な生き物ではないんです。
同じようなものだったら安いほうを買うって言うんだけど、シャネルのマークがついていたら、人はそっちを高くても買うんだよね。
マークがついていないけれど同じものですって言っても買いません。
人は感情で生きているのです。そこには、人間独特の感情があるの。
実力のある人がまわりを立てて、お先にどうぞってやったとき、みんながその人を立てだすんだよ。それを多くの人は力で抑えつけようとするんだよ。だから大変なんです。それで必ずうまくいかない。
強力な軍隊を持っている国なんかでも、人を抑えることはできません。それに、そんなのできたとしてもつまんないよね。だから私は、私のまわりの人が幸せになるために全力を尽くすの。
それで俺は自分の機嫌は自分でとってるの。
そこに足を引っ張る人とかいろんな人がいるっていうんだけど、どんな人が出てきたところで私は上気元だから問題はないんです。私はそうやって生きてたほうが楽しいんです。
講演会やパーティーのときでも、自分から話したいって言ったことは一回もないの。そしたらみんなが、もっと話してくれって言うようになったんだよね。
それなのに、みんなが私の弟子になったとき、商売のこととか教わって、成功してお金持ちになったからって威張っちゃったら、私の弟子になる必要なんかないの。それならお金持ちになんか、ならないほうがいいよね。
器量とは相手を優先してあげられること
器量とは、〝気持ちのいい行い〟だと私は思うのです。その気持ちのいい行いとは、本人にとってはあまり気持ちよくないことかもしれない。たとえば自分が先に行きたいときでも、「お先にどうぞ」と言えるかどうかということなんです。
普通はみんな、自分を優先したいんです。それを、自分を差し置いて、相手を優先してあげることができるかどうか。そこで人の器量が問われるのです。
社長というのはみんな、苦労してなったんだよね。だから話を聞いてほしいんだよ。だからパーティーの席で、乾杯の前にビールの泡が消えるくらい長く話しちゃうんだよな。でも、たいていはつまらないことなんです。
あなたが苦労して手に入れた社長という地位は、ビールの泡が消えるまで話したいっていうような、つまらないことなんですかってことなの。それってバカバカしいと思いませんかって私は言いたいの。
だから器量って、あなたがやりたくないことで、相手がやってほしいことができるかどうかなんだよね。偉い人は他人にほめてもらうことより、他人をほめることを考えるの。
だって、偉い人にほめられたら誰だってうれしいんだよね。たったひと言で一生喜ばれるのと、ビールの泡が消えるまで話して嫌われるのと、どっちがいいんですかってことなの。
人によく思われたい、自分のことをわかってほしいという気持ちもわかるけど、苦労して社長になったんだから、それで手に入れたいものってビールの泡が消えるまで長く話すほど大切なことなんですかってことなの。私は苦労した人の気持ちもわかります。威張りたい気持ちもわかります。
学生時代に野球部やなんかで先輩に威張られてたら、自分が先輩になったときは威張りたいという気持ちもわかるんです。
でも、自分がイヤな思いをしたことを他人にはやらないほうがいいよね。それで、私は威張りたい人がいなくなるとは思ってないの。社長やなんかで威張る人がいなくなるとは思わないのです。
一〇〇〇年先もいると思ってるの。だけど俺はやめなって言い続けるの。カッコ悪いからやめなって。なかには威張ってるのを見てかっこいいと思う人もいるの。
それで自分も出世しようと思う人もいるんです。だからなくならないの。でも私はやめなって言い続けるの。そして私はやらないの。それが私の生き方であり、美学なんです。
私のお弟子さんである柴村恵美子さんと本を出すことができました。題名は「器」。
私は、器を大きくすることは、〝よく学び〟〝行動する〟ことだと思っています。ぶつかり、うまくいかないとまた学び、あっちにぶつかり、こっちにぶつかりしているうちになんとなく正しいことが見えてくる。
この本が、あなたの行動のお役に立てばさいわいです。
斎藤一人
最後に
先日、一人さんとドライブに行った帰り道に、一人さんがこんな話をしてくれました。
「『剣客商売』(池波正太郎/新潮社)っていう小説の主人公に秋山小兵衛という剣の達人が出てくるんだけど、この人は剣術の試合で相手にお金をもらって、わざと負けてあげたりするんだよね。
それで、『俺はお金をもらえて、相手は試合に勝って仕官できるからいいんだよ』って言うの。
人によってはこの秋山小兵衛のことを、『剣の達人のくせにわざと試合に負けるなんて〝いい加減だ〟』って言う人がいるんだけど、この〝いい加減〟っていうのが実は大事なんだよ。
俺もお弟子さんたちに『これは大切だよ』ってことは教えるけど、だからといって『あれしちゃダメ』とか『これしちゃダメ』って、いちいち細かいことまで注意したりしないじゃん。『これとこれだけはまずいよ』って言って、あとは『好きにやんな』って言えばいいんです。
細かいことをいちいち言う必要ってないの。ちょうどほどほどの〝いい加減〟が大事なんだよね。
それといちばん大切なことは、〝相手に花を持たせる〟っていうことなの。
秋山小兵衛も相手に花を持たせたんだよ。誰でも〝得意なこと〟ってあるんです。
それで普通の人は、『これは自分の得意なことだから自分でやろう。だけどこれは相手が得意なことだから相手にやってもらおう』って考えるんだよね。
それで人間の器量にも三段階あるんだよ。第一段階は人に任せることができなくて、なんでも自分でやらないと気が済まないような人。これって器量が狭いよね。
第二段階は自分の得意なことは自分がやって、相手が得意なことだけ相手にやってもらう人。これもたいした器量じゃない当たり前のことなんだよ。
それで第三段階は、自分が完璧にこなせることでも相手にやってもらって、自分は陰で手伝って、その人に花を持たせようとするような人。
こういう生き方ができる人って、カッコよくて幸せなんです。
自分ができることを自分ですること自体は、悪いことではありません。でも〝できる人〟ってついつい、自分の〝我〟が出ちゃうんだよね。
それで『自分がやったほうがうまいから』って、知らず知らずに相手の花まで摘んじゃうんだよ。自分の花をしっかり咲かせることも大事だけど、それができたら今度は相手の花を咲かせるお手伝いをする。
咲かせ方を教えてあげたり、自分が摘んだ花を譲ってあげたりするの。そうやっていろんなところに花を咲かせるの。花は人に咲かせるものなんだよね。
自分ばっかりが咲いてちゃだめなんだよ。自分もしっかり咲いて、さらにまわりにも花を持たせてる。それが俺は器量だと思うんだ」
この話を聞いて私はまさに、「これが一人さんなんだ!」と思いました。一人さんは仕事でも、自分一人でやったほうが早いし、うまくいくはずです。
それを私たち弟子に任せて、さらに私たちができないことは手伝いに来てくれます。パーティーを開いても、自分よりもみんなにスポットライトが当たることばかり考えています。
本を出すのだって、自分で書いたほうが早いし、いい本ができるのに、私たち弟子に書かせてくれます。
打ち合わせの段階からアドバイスをしてくれて、原稿ができあがってからも全部目を通して、的確な助言をしてくれるのです。
一人さんはまるで太陽のように、あまねく私たちに光を当ててくれて、私たちみんなに大輪の花を咲かせようとしてくれます。
これこそが一人さんの器であり、天が味方する生き方ではないでしょうか。天は私たちに必要なものをすべて、無償の愛で与えてくれます。そして見返りを一切、求めません。
天はきっと、私たち人間が幸せになってほしいだけなのだと思います。だからその人に必要なもの、願うものはすべて与えてくれています。
もしあなたが今の自分を「不幸だ」と感じているのだとしたら、あなたは「天からの贈り物」に気がついていなくて、受け取れていないのかもしれません。天からの贈り物は無限大です。
しかし、それに気づき、受け取るためにはそれに見合った器がなければ受け取れないのです。でも決して悲観する必要はありません。
一人さんが人を見捨てないのと同じように、天も私たちを見捨てたりは絶対しないのです。だから、できるところから少しずつでもいいから自分の器を大きくしていく。
かくいう私も、まだまだ未熟なところはたくさんあります。
だから本書を通じてみなさんと一緒に、もっと器を大きくすることができれば、これに勝る喜びはありません。
私は、みなさんが「天からの贈り物」を受け取れる器を身につけていただけることを心から信じ、願っています。
柴村恵美子
斎藤一人さんのプロフィール斎藤一人さんは、銀座まるかん創設者で納税額日本一の実業家として知られています。
1993年から、納税額 12年間連続ベスト 10という日本新記録を打ち立て、累計納税額も、発表を終えた 2004年までで、前人未踏の合計 173億円を納め、これも日本一です。
土地売却や株式公開などによる高額納税者が多い中、納税額はすべて事業所得によるものという異色の存在として注目されています。
土地・株式によるものを除けば、毎年、納税額日本一です。
また斎藤一人さんは、著作家としても、心の楽しさと、経済的豊かさを両立させるための著書を、何冊も出版されています。
主な著書に『微差力』『眼力』(小社刊)、『絶好調』『幸せの道』『地球が天国になる話』(ロングセラーズ)、『変な人の書いた成功法則』(総合法令出版)、『千年たってもいい話』(マキノ出版)などがあります。
その他多数、すべてベストセラーになっています。
<ホームページ > http:// www. saitouhitori. jp/一人さんが毎日あなたのために、ついてる言葉を、日替わりで載せてくれています。
ときには、一人さんからのメッセージも入りますので、ぜひ遊びに来てください。
<編集部注 >読者の皆さまから、「一人さんの手がけた商品を取り扱いたいが、どこに資料請求していいかわかりません」という問い合わせが多数寄せられていますので、以下の資料請求先をお知らせしておきます。
フリーダイヤル 0120- 497- 285
柴村恵美子さんのプロフィール斎藤一人さんの一番弟子。
銀座まるかん柴村グループ代表。
北海道生まれ。
18歳のとき指圧の専門学校で、斎藤一人さんと出会います。
数年後、一人さんの肯定的かつ魅力的な考え方に共感し、一番弟子としてまるかんの仕事をスタート。
以来、東京や大阪をはじめとする、 13都道府県のエリアを任され、統括するようになりました。
また、一人さんが全国高額納税者番付で 1位になったとき、全国 86位の快挙を果たしました。
現在に至るまで、斎藤氏の教えを自ら実践し、広めています。
主な著書に『斎藤一人の不思議な「しあわせ法則」』(だいわ文庫)、『斎藤一人の不思議な魅力論』( PHP文庫)、『斎藤一人大宇宙エネルギー療法』(ロングセラーズ)などがあります。
<柴村恵美子 公式ブログ > http:// ameblo. jp/ tuiteru-emiko/ < Twitter > http:// twitter. com/ shibamura_ emiko < Facebook > http:// www. facebook. com/ 100003405947413/
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