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第四部再新再生

目次

第7の習慣刃を研ぐバランスのとれた再新再生の原則

ときに小さなことから大きな結果が生み出されるのを目にするとき、こう考えてしまう。小さなことなど一つもないのだ。──ブルース・バートン

森の中で、必死で木を切り倒そうとしている人に出会ったとしよう。「何をしているんです?」とあなたは聞く。すると男は投げやりに答える。

「見ればわかるだろう。この木を切っているんだ」「疲れているみたいですね。いつからやっているんですか?」あなたは大声で尋ねる。

「もう五時間だ。くたくただよ。大変な仕事だ」「それなら、少し休んで、ノコギリの刃を研いだらどうです?そうすれば、もっとはかどりますよ」とあなたは助言する。

すると男ははき出すように言う。

「切るのに忙しくて、刃を研ぐ時間なんかあるもんか!」第7の習慣は、刃を研ぐ時間をとることである。

成長の連続体の図では、第7の習慣が第1から第6までの習慣を取り囲んでいる。第7の習慣が身につけば、他のすべての習慣を実現可能にする。

再新再生の四つの側面

第7の習慣は個人のPC(成果を生み出す能力)である。あなたの最大の資産、つまりあなた自身の価値を維持し高めていくための習慣である。

あなたという人間をつくっている四つの側面(肉体、精神、知性、社会・情緒)の刃を研ぎ、再新再生させるための習慣である。

表現の仕方は違っていても、人生を巡る哲学のほとんどは、何らかのかたちでこれら四つの側面を取り上げている。

哲学者のハーブ・シェパードは、バランスのとれた健全な生活を送るための基本価値として、観点(精神)、自律性(知性)、つながり(社会)、体調(肉体)の四つを挙げている。

「走る哲学者」と呼ばれたジョージ・シーハンは、人には四つの役割──よき動物(肉体)、よき職人(知性)、よき友人(社会・情緒)、よき聖人(精神)──があると説いている。

組織論や動機づけの理論の多くも、経済性(肉体)、処遇(社会・情緒)、育成や登用(知性)、社会に対する組織の貢献・奉仕(精神)のかたちで四つの側面を取り上げている。

「刃を研ぐ」というのは、基本的に四つの側面すべての動機を意味している。人間を形成する四つの側面のすべてを日頃から鍛え、バランスを考えて磨いていくことである。そのためには、私たちは主体的であらねばならない。

刃を研ぐのは第Ⅱ領域に入る活動であり、第Ⅱ領域は、あなたが主体的に行うべき活動の領域である。

第Ⅰ領域の活動は緊急であるから、自分から主体的に動かなくとも、活動のほうからあなたに働きかけてくる。

しかしあなたのPC(成果を生み出す能力)は、自分から働きかけなくてはならない。

習慣として身について意識せずともできるようになるまで、いわば「健康的な依存症」の域に達するまで、自分から主体的に実践しなければならないのだ。

その努力はあなたの影響の輪の中心にあるから、他の誰かに代わりにやってもらうことはできない。自分のために、自分でしなければならないのである。

「刃を研ぐ」ことは、自分の人生に対してできる最大の投資である。自分自身に投資することだ。人生に立ち向かうとき、あるいは何かに貢献しようとするときに使える道具は、自分自身しかない。

自分という道具に投資することが「刃を研ぐ」習慣なのである。

自分自身を道具にして成果を出し、効果的な人生を生きるためには、定期的に四つの側面すべての刃を研ぐ時間をつくらなければならない。

肉体的側面

肉体的側面の刃を研ぐというのは、自分の肉体に効果的に気を配り、大切にすることである。身体によいものを食べ、十分な休養をとってリラックスし、定期的に運動する。

運動は第Ⅱ領域に入る波及効果の大きい活動だが、緊急の用事ではないから、続けようと思ってもそう簡単にはいかない。

しかし運動を怠っていると、そのうち体調を崩したり病気になったりして、第Ⅰ領域の緊急事態を招くことになりかねない。

多くの人は、「運動する時間なんかない」と思っている。しかしこれは大きく歪んだパラダイムだ。「運動せずにいてもよい時間などない!」と思うべきなのである。

せいぜい週に三時間から六時間程度、一日おきに三○分くらい身体を動かせばいいのである。

週の残り一六二時間から一六五時間を万全の体調で過ごせるのだから、たったこれだけの時間を惜しむ理由などないだろう。特別な器具を使わなくとも運動はできる。

ジムに通ってトレーニングマシンで肉体を鍛えたり、テニスやラケットボールなどのスポーツを楽しむこともいいだろう。

しかし、肉体的側面で刃を研ぐのに、そこまでの必要性はない。理想的なのは、自宅でできて、持久力、柔軟性、筋力の三つを伸ばせる運動プログラムである。

持久力をつけるには、心臓血管の機能を高める有酸素運動が適している。心臓が肉体に血液を送り出す機能を強化するわけである。心臓は筋肉でできているが、心筋を直接鍛えることはできない。脚の筋肉など大きな筋肉群を動かす運動をして鍛えるしかない。

だから、早歩きやランニング、自転車、水泳、クロスカントリースキー、ジョギングなどの運動が非常に効果的なのである。

一分間の心拍数が一○○を超える運動を三○分続けると、最低限の体調を維持できると言われている。少なくとも自分の最大心拍数の六○%になれば理想的だ。

最大心拍数というのは、一般的には、二二○から年齢を差し引いた数値だと言われ、心臓が全身に血液を送り出すときのトップスピードのことである。

たとえば四○歳の人なら、最大心拍数は二二○-四○=一八○だから、一八○×○・六=一○八まで心拍数を上げる運動が理想的である。

最大心拍数の七二~八七%になる運動であれば、「トレーニング効果」が表れるとされている。

柔軟性にはストレッチが最適である。

ほとんどの専門家は、有酸素運動の前にウォーミングアップ、後にクールダウンとしてストレッチを行うよう勧めている。

運動の前にストレッチすると、筋肉がほぐれて温まり、激しい運動をする準備ができる。運動の後のストレッチは、筋肉にたまった乳酸を散らすので、筋肉の痛みや張りを防ぐ効果がある。

筋力をつけるには、筋肉に負荷をかける運動がよい。シンプルな体操、腕立て伏せや懸垂、腹筋運動、あるいはウェイトを使った運動などである。

どのくらいの負荷をかけるかは人それぞれである。

肉体労働者やスポーツ選手であるなら、筋力をつけることがそのままスキルアップにつながるが、デスクワークが主体で、それほど強い筋力は必要ないのなら、有酸素運動やストレッチのついでに、筋肉に負荷をかける運動を少しやる程度で十分だろう。

あるとき、運動生理学博士である友人とジムに行った。筋肉強化に取り組んでいた彼は、ベンチプレスをするときに手伝ってほしいと頼んできた。

ある時点まできたら、バーベルを一緒に戻してほしいという。

「でも私が声をかけるまでは手を出さないでくれ」と彼はきっぱりと言った。私は彼の様子を見ながら、いつでも手助けできるように構えていた。

彼のバーベルは、アップ、ダウンを繰り返した。そのうち、バーベルを上げづらくなってきたように見えた。

しかし彼は続けた。いよいよ辛そうになり、それでも続けようしたが、私はもはや限界だろうと思った。だが予想に反して、彼は持ち上げた。

上げたバーベルをゆっくり戻すと、また上げ始める。アップ、ダウン、アップ、ダウン。

彼の顔を見ていると、ついに血管が今にも破裂し飛び出してくるかに思え、「いくら何でも今度こそ駄目だ。

バーベルが落ちて彼の胸をつぶしてしまうかもしれない。バーベルを支えないと。彼は気がおかしくなって、自分のしていることがわからなくなったのだろう」とまで考えた。

だが、彼はしっかりとバーベルを下ろした。そして再び上げ始めた。信じられなかった。そしてようやく、彼はバーベルを元に戻してくれと私に声をかけた。

「なぜそこまでやるんだい?」と私は思わず聞いた。

「運動の効果のほとんどは最後にこそくるんだよ、スティーブン。私は筋肉を強化しようとしているのだから、筋肉繊維が破れて、神経がその痛みを感知するまで続けなくちゃいけない。そこまでやれば、肉体は自然と過剰反応して、その繊維は四八時間以内に以前より強くなるんだ」と彼は答えた。

これと同じ原則が、忍耐など情緒的な筋肉にも作用している。

自分のそれまでの限界を超えるまで我慢し続けると、精神の筋肉繊維が破れ、自然と過補償され、次にそれと同じ負荷がかかっても耐えられるようになる。精神力が強くなるのである。

私の友人は筋力をつけたかった。そして彼は、どうすれば筋力をつけられるかよく知っていた。

しかし多くの人は、効果的になるために、そこまで筋力アップに精を出す必要はない。

むろん、「痛みがなければ効果なし」という考え方が当てはまる場合もあるが、それは効果的な運動プログラムの本質となるものではない。

肉体的側面の再新再生の目的は、仕事をして、周りの環境に適応し、生活を楽しめる肉体的能力を維持し高めることである。

そのために定期的に運動して、刃を研ぐ。運動プログラムを組むときは、よく考えなければならない。たいていの人はやりすぎてしまうもので、これまでまったく運動していなかった人は特にそうである。

そのせいで肉体のあちこちが痛んだり、怪我をしたり、ひどい場合には回復不能な損傷を負うことにもなりかねない。だから少しずつ始めるのがよい。

自分の肉体と相談しながら、最新の研究にも注意し、かかりつけの医師のアドバイスに従って運動プログラムを組むことが大切である。

あなたがこれまで運動をしていなかったのであれば、甘やかし、衰えていた肉体は、突然の変化に明らかに抵抗するはずだ。

最初のうちは、運動を楽しめないだろう。むしろ嫌で嫌でたまらないかもしれない。しかし、そこで主体的になろう。とにかく実行する。

ジョギングする日の朝に雨が降っていても、決行する。

「雨か。よし、肉体だけでなく精神も鍛えるぞ!」と張り切って外へ出よう。運動は応急処置ではない。

長い目で見て大きな成果をもたらす第Ⅱ領域の活動である。コンスタントに運動している人に尋ねてみるといい。

少しずつ地道に続けていれば、心臓と酸素処理系統の機能が向上し、休息時心拍数が徐々に下がっていく。肉体の耐えられる負荷が大きくなり、普通の活動もはるかに快適にこなせるようになる。

午後になっても体力が落ちず、新たなエネルギーが肉体を活性化し、それまではきついと感じていた運動も楽にできるようになる。

運動を継続することで得られる最大のメリットは、第1の習慣の主体的な筋肉も鍛えられることだろう。

運動を行うことを妨げるすべての要因に反応せずに、健康を大切にする価値観に基づいて行動すると、自信がつき、自分に対する評価や自尊心、誠実さが大きく変わっていくはずである。

精神的側面

精神的側面の再新再生を行うことは、あなたの人生に対してリーダーシップを与える。これは第2の習慣と深く関係している。

精神的側面はあなたの核であり、中心であり、価値観を守り抜こうとする意志である。きわめて個人的な部分であり、生きていくうえで非常に大切なものである。

精神的側面の刃を研ぐことは、あなたを鼓舞し高揚させ、人間の普遍的真理にあなたを結びつけてくれる源泉を引き出す。それを人はそれぞれまったく異った方法で行う。

私の場合は毎日聖書を読み、祈り、瞑想することが精神の再新再生になっている。聖書が私の価値観をなしているからである。

聖書を読んで瞑想していると、精神が再生され、強くなり、自分の中心を取り戻し、人に仕える新たな決意が湧いてくる。

偉大な文学や音楽に没入して精神の再新再生を感じる人もいるだろう。雄大な自然との対話から再新再生を見出す人もいるだろう。

自然に抱かれると、自然の恵みがひしひしと伝わってくるものである。都会の喧騒から逃れて、自然の調和とリズムに身を任せると、生まれ変わったような気持ちになる。

やがてまた都会の喧騒に心の平和を乱されるにしても、しばらくは何事にも動じることのない平穏な心でいられる。

アーサー・ゴードンは、『TheTurnoftheTide(潮の変わり目)』という小説の中で、彼自身の精神の再新再生を語っている。

彼はある時期、人生に行き詰まり、何もかもがつまらなく無意味に思えた。熱意は失せ、執筆にも身が入らず、何も書けない日々が続いた。状況は日ましに悪くなるばかりだった。

彼はついに意を決し、医者の診察を受ける。診察してみてどこにも悪いところはないと判断した医者は、「一日だけ私の指示に従えるかね」とゴードンに聞いた。

ゴードンが「できます」と答えると、こう指示した。

「明日、あなたが子どもの頃一番幸せを感じた場所に行って過ごしなさい。食べ物は持って行ってもいいですよ。しかし誰とも話してはいけない。本を読んでもいけないし、文章を書くこともだめだ。ラジオを聞くのもだめ」

医者は四枚の処方箋を書いて彼に手渡し、それを一つずつ九時、一二時、三時、六時に開くように言った。

「先生、これは何かの冗談ですか?」とゴードンは言った。

「そのうち請求書を送りますよ。それを見れば、とても冗談とは思わないでしょうな」と医者は答えた。

次の日の朝、ゴードンは海岸に行った。九時、一枚目の処方箋を読む。

「耳を澄まして聴きなさい」と書いてある。あの医者のほうこそおかしいんじゃないか、と彼は思った。

いったい三時間も何を聴けばいいんだ?しかし指示に従うと約束した手前、とにかく聴くことにした。ごく普通の海の音、鳥の鳴き声しか聴こえない。

だがしばらくすると、最初は気づかなかったさまざまな音が耳に入ってくる。聴きながら、子どもの頃に海が教えてくれたいろいろなことに思いを巡らせた。

忍耐、尊敬、あらゆるものは相互に依存しつながり合っていること。それらの音を聴き、そして音と音の間の静寂を聴くうちに、穏やかな気持ちに満たされてきた。

正午、二枚目の処方箋を開く。

「振り返ってみなさい」としか書いていない。

何を振り返るんだ?子どもの頃のことだろうか、幸せだった日々のことだろうか。彼は昔のことを思い出してみた。小さな喜びの瞬間が次々と蘇る。それらを正確に思い出そうとした。

思い出しているうちに、心の中に温もりが広がった。三時、三枚目の処方箋を開く。一枚目と二枚目の処方箋は簡単だったが、これは違った。

「自分の動機を見つめなさい」と書いてある。

彼は思わず身構えた。成功、名声、生活の安定……今まで追い求めてきたものを一つずつ思い返し、自分の動機に間違いはなかったと自分に言い聞かせた。

しかし、そこではたと気づく。これらの動機では足りないのかもしれない。自分が今行き詰っている原因もそこにあるのかもしれない。ゴードンは自分の動機を深く見つめた。

昔の幸福だった日々に思いをはせた。そしてついに、答えが見つかった。

「一瞬のひらめきで確信した」と彼は書いている。

動機が間違っていたら、何をやっても、どれも正しくはない。どんな仕事でも同じだ。郵便配達人だろうと、美容師だろうと、保険の外交員だろうと、主婦であろうと関係ない。

自分が人のためになっていると思える限り、仕事はうまくいく。自分のことしか考えずにやっていると、うまくいかなくなる。これは万有引力と同じくらいに確かな法則なのだ」

六時になった。最後の処方箋を開く。この指示を実行するのに時間はさほどかからなかった。

「悩み事を砂の上に書きなさい」ゴードンは貝殻を拾い、しゃがんで、いくつかの言葉を足元の砂の上に書きとめた。

そして立ち上がって、きびすを返して歩いていった。後ろは振り返らなかった。そのうち潮が満ちて、すべてを消し去るだろう。

精神の再新再生には、時間を投資しなければならない。これは決して無駄にすることのできない第Ⅱ領域の活動である。

偉大な宗教改革者マルティン・ルターは、「今日はあまりにもすべきことが多いから、一時間ほど余分に祈りの時間をとらなければならない」と言ったという。

ルターにとって、祈りは単なる義務ではなかった。自らのうちに活力を蓄え、そしてそれを解き放つために必要な源だったのである。

どんなに大きなプレッシャーにさらされても動じず、平静でいられる禅僧に、「どうしたらあなたのように平静心を保てるのですか?」と誰かが尋ねた。

禅僧は「私は座禅の場を離れない」と答えたという。禅僧は朝早く座禅を組み、そのときの平静な精神を一日中、どこにいても頭と心の中に置いているのである。

自分の人生を自分で導くために、リーダーシップを生活の中心に置き、人生の方向、人生の究極の目的を見つめる時間をとると、その効果は傘のように大きく広がり、他のあらゆるものすべてに影響を与える。それによって私たちの精神は再新再生され、新たな気持ちになれるのである。

私が人生のミッション・ステートメントを大切にしている理由もここにある。

自分の中心と目的を明確にし、ステートメントにしておけば、たびたびそれを見直し、決意を新たにできる。

精神を再新再生する毎日の活動の中で、ミッション・ステートメントに記された価値観に沿ってその日行うことを思い描き、頭の中で「予行演習」することができるのである。

宗教家のデビッド・O・マッケイは「人生の最大の闘いは、日々自らの魂の静けさの中で闘われるものである」と教えている。

あなたがこの闘いに勝ち、心の中の葛藤を解決できれば、平穏な気持ちになり、自分が目指すものを見出せる。そうすれば公的成功は自然とついてくる。

自分の力を生かせると思う分野で他者の幸福のために貢献し、他者の成功を心から喜べるようになるのである。

知的側面

ほとんどの人は、正規の学校教育で知性を伸ばし、勉学する姿勢を身につける。しかし学校を卒業するなり、知性を磨く努力をぱったりとやめてしまう人が少なくない。

真剣に本を読まなくなり、自分の専門外の分野を探求し知識を広げようとせず、分析的に考えることもしなくなる。文章を書くこともしない。

少なくとも、自分の考えをわかりやすく簡潔な言葉で表現する能力を試そうともしないのだ。その代わりにテレビを見ることに時間を使っているのである。

ある調査によれば、ほとんどの家庭で週に三五時間~四五時間もテレビがついているという。

これは一般的な週の労働時間とほぼ同じであり、子どもたちが学校で勉強する時間よりも長いのである。

テレビほど社会的影響力の強いものはない。テレビを見ると、そこから流れてくる価値観にいとも簡単に引き寄せられる。実に巧妙に、知らず知らずのうちに、私たちを強烈に感化しているのである。

テレビを賢く見るには、第3の習慣に従ってセルフ・マネジメントをしっかりと行う必要がある。

自分の目的のためになり、自分の価値観に合う番組、適切な情報を得られ、楽しめて、インスピレーションを刺激してくれる番組を選ぶようにする。

わが家では、テレビの時間は週に約七時間までと決めている。一日平均一時間ほどである。あるとき家族会議を開き、テレビが家庭に及ぼしている弊害を示すデータを見ながら話し合った。

家族全員が素直に、かたくなにならずに話し合うことができ、連続ドラマにはまったり、テレビをつけっぱなしにしたりする「テレビ中毒」は依存症の一種だということを、家族の一人ひとりが自覚できるようになった。

ただし、私はテレビの存在に感謝しているし、質の高い教育番組や娯楽番組を楽しんでもいる。そういう番組は生活を豊かにしてくれるし、自分の目的や目標に役立つこともある。

しかしその一方で、時間と知性の浪費にしかならない番組、ただ漫然と見ていたら悪い影響しか及ぼさないような番組もたくさんある。

自分の肉体がそうであるように、テレビはよい下僕にはなっても、よい主人になることはない。

自分の人生のミッションを果たすために使える資源を最大限効果的に活用するには、第3の習慣を実践し、自分自身をきちんとマネジメントできなければいけない。

継続的に学ぶこと、知性を磨き広げていく努力をすることは、知的側面の再新再生には不可欠である。

学校に通うとか、体系的な学習プログラムを受講するなど、外からの強制的な教育が必要な場合もあるだろうが、たいていはそのようなものは不要である。主体的である人なら、自分の知性を磨く方法をいくらでも見つけられるだろう。

知性を鍛え、自分の頭の中のプログラムを客観的に見つめることはとても大切である。より大局的な問題や目的、他者のパラダイムに照らして、自分の人生のプログラムを見直す能力を伸ばすことこそ、教育の定義だと私は考えている。

このような教育もなく、ただ訓練を重ねるだけでは視野が狭くなり、その訓練をどのような目的で行うのか考えることができなくなる。だから、いろいろな本を読み、偉人の言葉に接することが大切なのだ。

日頃から知識を吸収して知性を広げていこうと思ったら、優れた文学を読む習慣を身につけることにまさる方法はない。

これもまた波及効果の大きい第Ⅱ領域の活動である。読書を通じて、古今東西の偉大な知性に触れることができる。ぜひ一ヵ月に一冊のペースで読書を始めてみてほしい。

それから二週間に一冊、一週間に一冊というようにペースを上げていくとよいだろう。「本を読まない人は、読めない人と何ら変わらない」のである。

優れた古典文学や自伝、文化的な視野を広げてくれる良質の雑誌、現代の多様な分野の書籍を読むことによって、自分のパラダイムが広がり、知性の刃を研ぐことができる。

本を読むときにも第5の習慣を実践しよう。まず理解に徹しようと思いながら読めば、知性の刃はいっそう鋭くなる。

著者が言わんとしていることを理解しないうちに、自分の経験に照らして内容を判断してしまったら、せっかくの読書の価値も半減してしまう。

文章を書くことも、知性の刃を研ぐ効果的な手段である。

考えたことや体験したこと、ひらめき、学んだことを日記につけることは、明確に考え、論理的に説明し、効果的に理解できる能力に影響を与える。

手紙を書くときも、ただ出来事を書きならべて表面的な話に終始するのではなく、自分の内面の奥底にある考えや思いを文章で伝える努力をすることも、自分の考えを明確にし、相手からわかってもらえるように論理的に述べる訓練になる。

スケジュールを立てたり、何かを企画したりすることも、第2、第3の習慣に関わる知性の再新再生になる。

計画を立てるのは、終わりを思い描くことから始めることであり、その終わりに至るまでのプロセスを頭の中で組み立ててみることである。

知力を働かせ、始めから終わりまでのプロセスを思い描き、想像してみる。一つひとつのステップを事細かく思い描くことまでしなくとも、全体の道筋を見渡してみればいい。

「戦争の勝敗は将軍の天幕の中で決まる」と言われる。

最初の三つの側面──肉体、精神、知性──の刃を研ぐ努力を、私は「毎日の私的成功」と呼んでいる。

あなたの内面を磨く時間を毎日一時間とることを勧めたい。これから一生、毎日一時間でよいから、ぜひそうしてほしい。

一日のうちわずか一時間を自分の内面を磨くことに使うだけで、私的成功という大きな価値と結果が得られるのである。あなたが下すすべての決断、あらゆる人間関係に影響を与えるだろう。

一日の残り二三時間の質と効果が向上する。睡眠の質までよくなり、ぐっすりと眠って肉体を休ませられる。

長期的に肉体、精神、知性を日々鍛え、強くし、人生の難局に立ち向かい乗り越えられるようになるのだ。

フィリップス・ブルックス(訳注:米国の宗教家)は次のように言っている。これから何年か先、君が大きな誘惑と格闘しなければならない日がくるだろう。あるいは人生の深い悲しみを背負い、その重さにうちふるえる日がくるだろう。

しかし本当の闘いは、今ここですでに始まっている。大きな悲しみや誘惑にぶつかったとき、惨めな敗北を喫するか、栄光の勝利を手にするか、それは今決まりつつある。

人格をつくるには、こつこつと努力を重ねていく以外に方法はないのだ。

社会・情緒的側面

肉体、精神、知性の側面は、パーソナル・ビジョン、パーソナル・リーダーシップ、パーソナル・マネジメントの原則を中心とした第1、第2、第3の習慣と密接に関わっている。

それに対して社会・情緒的側面は、人間関係におけるリーダーシップ、共感による相互理解、創造的協力の原則を中心とした第4、第5、第6の習慣と関係するものである。

社会的側面と情緒的側面は結びついている。

私たちの情緒は主に人との関係によって育まれ、表に出てくるからである。

肉体、精神、知性の再新再生には時間がかかるが、社会・情緒的側面については、それほど時間をかけなくとも再新再生できる。普段の生活で人と接する中で十分にできるからだ。

しかし、訓練は必要となる。

他者との関係を築く第4、第5、第6の習慣を実行するために必要な私的成功のレベルを獲得し、さらに公的成功のスキルを身につけていなければならない。

たとえば、あなたが私の人生で重要な位置を占める人物だとしよう。

上司、部下、同僚、友人、隣人、配偶者、子ども、親類など、どうしても接しなければならない人物、無視することのできない人物で、あなたと私は、何かの目的を達成するか、重要な問題を解決するために、あるいは難局を切り抜けるために、話し合い協力しなければならない状況にあるとしよう。

しかし私たちはものの見方が違っている。あなたと私は違う眼鏡をかけている。あなたには若い女性に見える絵が、私には老婆に見えるのだ。そこで私は第4の習慣を実践して、あなたにこう提案する。

「あなたと私とでは、この問題に対する見方が違うようですね。よく話し合って、お互いに満足できる道を探しませんか?どうでしょう?」

こう言われれば、ほとんどの人は「やってみましょう」と答えるはずである。次に私は第5の習慣に移り、「最初にあなたの考えを聴かせてください」と言う。

次に何と答えようかと考えながら聞くのではなく、あなたの身になって共感しながら聴く。あなたのパラダイムを深く、隅々まで理解するつもりで聴く。

あなたの主張をあなたと同じくらい正確に説明できるようになったら、今度はあなたにわかってもらえるように自分の考えを述べる。

私とあなたがお互いに満足できる解決策を求めようという決意を持ち、お互いの観点を深く理解できれば、私たちは第6の習慣に進むことができる。

認め合った意見の違いを踏まえたうえで、あなたと私がそれぞれ最初に提示していた案よりも優れた第3の案を見つけるために力を合わせるのである。

第4、第5、そして第6の習慣において成果を出すには、基本的に知性の問題ではなく感情の問題である。心の安定と密接に関係しているのである。

心の安定を自分の内面にあるものから得ている人は、公的成功の習慣を実践できる強さを持っている。

内面が安定していない人は、知力がどれほど高くとも、人生の難しい問題で自分とは違う考えを持つ相手に対して、第4、第5、第6の習慣を実践してみたところで、自分との違いを脅威に感じて尻込みしてしまうだろう。

心の安定の源はどこにあるのだろうか。他の人たちにどう見られているかとか、自分がどんな扱いを受けるかというようなことから得られるのではない。

他者から渡された脚本から得られるのでもない。周りの環境や自分の地位も心の安定を与えてはくれない。心の安定は自分自身の内側から生まれる。頭と心に深く根づいた正確なパラダイムと正しい原則から生まれる。

心の奥深くにある価値観と一致する習慣を日々実践する誠実な生き方、内から外へ、インサイド・アウトの生き方から生まれるのである。

自分の価値観に誠実に生きることが、自尊心を呼び起こす源だと私は確信している。

昨今売れている本の中には、自尊心は気の持ちようだとか、考え方や態度次第でどうにでもなるとか、その気になれば心の平和は得られるといったようなことが書いてあるものも多いが、それは違うと思う。

心の平和は、自分の生き方が正しい原則と価値観に一致していて初めて得られるものであり、それ以外はないのである。

他者との相互依存の関係から得られる心の平和もある。

Win-Winの解決策がきっとある、人生は白か黒かの二つの一つではない、お互いのためになる第3の案が必ず見つかるはずだ。

そう思えば内面は安定していられる。自分の考え方を否定しなくとも、そこから一歩出れば相手を理解できるのだと思えば、心は安定する。

本当の自分を見せて、他者と創造的に協力し、相互依存の習慣を実践して新しいものを見つける体験をすれば、心は少しもぐらつかず、しっかりと安定していられるのである。人に奉仕し、人の役に立つことも心の安定をもたらす。

その意味からすれば、あなたの仕事も心の安定を与える源になる。創造力を発揮して仕事に取り組み、世の中に貢献していると思えるとき、あなたは心の安定を得られるはずだ。

人知れず奉仕活動をすることも同じである。誰もそのことを知らないし、誰かに知らせる必要もない。

人に褒めてもらうことではなく、他の人たちの人生が豊かになるように奉仕することが大切なのである。目的は人に働きかけ、良い影響を与えることであって、認められることではない。

ヴィクトール・フランクルも、人生に意味と目的を見出すことがいかに重要であるか力説している。それによって自分の人生を超越し、自分の内面にある最高の力を発揮できるのである。

ストレスの研究で名高い故ハンス・セリエ博士は、健康で幸せに長生きする鍵は、世の中に貢献し、人のためになり、自分の気持ちも高揚する有意義な活動に身を捧げ、人の生活に喜びをもたらすことだと述べている。

博士の座右の銘は、「汝の隣人に愛されるように努めよ」であった。

ジョージ・バーナード・ショー(訳注:英国の劇作家)は次のように語っている。

これこそ人生の真の喜びである──自らが大切だと信じる目的のために働くことである。

それは自然の力と一体になることであって、世界が自分を幸せにしてくれないと嘆いたり、不平を言ってばかりいる利己的な愚か者になることではない。

私は自分の人生がコミュニティ全体に属するものであると考える。したがって、命ある限りコミュニティのために尽くすことは私の名誉なのだ。

死ぬときには自分のすべてを使い果たしていたい。なぜなら働けば働くほど、より生きているということだからだ。

私は生きることにこの上ない歓びを感じる。私にとって人生とは短いろうそくではない。それは私に手渡され、私が今このときに掲げている松明のようなものだ。だからそれを次の世代に手渡すまで、できる限り赤々と燃やし続けたいのである。

同じように、N・エルドン・タナー(訳注:米国の宗教家)はこう言っている。

「奉仕とは、この地球に住む特権を得るための家賃である」人に奉仕する方法はいくらでもある。

教会や奉仕団体に属していようがいまいが関係ない。多くの人のためになる仕事に就いているかどうかも関係ない。少なくとも一人の誰かに無条件の愛を注ぐ機会なしに一日が終わることはないはずだ。

他者への脚本づけ

ほとんどの人は、自分の周りの人たちの意見やものの見方、パラダイムに脚本づけされている。そのような社会通念の鏡に映った自分の姿が本当の自分だと思っている。

しかし、相互依存の状態にいる人は、他者にとっては自分自身も社会通念の鏡の一部であることを自覚している。私たちは、その鏡に歪みのない鮮明な他者の姿を映してあげることができる。

相手の主体性を認め、責任ある個人として接すれば、その人の本来の姿を映し出すことができる。

その人が、原則を中心に置き、自分の価値観を大切にして自立し、世の中のためになる人間として生きていく脚本を書く手助けができる。

豊かさマインドを持っている人なら、相手のポジティブな部分を映し出してあげても何も損なうものはない。

それどころか、あなたの手助けによって本来の主体性が引き出された人と接する機会が増えるのだから、あなたにとってもプラスになるのである。

あなたのこれまでの人生を振り返ってみてほしい。すっかり自信をなくしていたとき、あなたを信じていてくれた人がいたはずだ。その人はあなたに良い脚本を与えてくれた。それがあなたの人生にどれだけ大きな影響を及ぼしただろうか。

もし、あなたが他者の良いところを認め、その人に良い脚本を与えることができるとしたらどうだろう。

社会通念の鏡に映った自分が本当の自分だと思い込み、人生の坂道を転げ落ちようとしている人がいたら、あなたはその人の可能性を信じて、坂道を登っていけるように上を向かせることができる。

その人の話に耳を傾け、その人の身になって共感する。その人の責任を肩代わりしてやるのではなく、その人が主体的な人間になって責任を果たせるように励ますのである。

『ラ・マンチャの男』というミュージカルをご存じだろうか。

中世の騎士がアルドンサという娼婦に出会う美しい物語である。娼婦であるアルドンサは、人々から見下され、ふしだらな女と決めつけられていた。

しかし、詩人の心を持つ騎士は、彼女の中にまったく違う姿を見出していた。彼の目には、美しく気高い女性が映っていたのである。騎士はアルドンサの素晴らしさを何度も彼女に伝えた。そして彼女にドルシネアという新しい名前を与えた。

それを機に、彼女の人生に新しいパラダイムがもたらされる。最初のうち、騎士にいくら認められても、彼女は騎士をかたくなに拒絶していた。古い脚本の力はちょっとやそっとでは崩れないのである。騎士を頭のおかしい空想家だと思い、軽くあしらっていた。

しかし、騎士は諦めずに無条件の愛を注ぎ続け、彼女の古い脚本に少しずつ入り込んでいった。騎士の態度が彼女の本来の姿を呼び戻し、彼女の内面に眠っていた可能性を引き出す。やがて彼女も騎士の態度に反応し始める。少しずつ、彼女は自分の人生のあり方を変えていく。

騎士が映し出してくれる自分の姿を信じ、その新しいパラダイムに従って生き、周りの人たちがため息をつくほど変わっていくのである。

その後、彼女が以前のパラダイムに戻りかけたとき、騎士は彼女を自分の病床に呼び、「見果てぬ夢」という美しい歌を唄い、彼女の目をじっと見つめてささやいた。

「君はドルシネアだ。それを忘れてはいけない」自己達成予言にまつわる有名な逸話を紹介しよう。イギリスの学校で起こった話である。

コンピューターのプログラミングを間違ったために、成績の優秀なクラスが「劣等」となり、成績の劣るクラスが「優等」となってしまった。

このコンピューターから出力されるデータは、学年度の初めに教師に手渡され、教師はその資料をもとに受け持つクラスの学力を把握して授業の準備をした。

五ヵ月半後にようやくプログラミング上のミスが判明したのだが、学校側はその事実を伏せたまま、生徒たちに知能テストを実施することにした。

結果は驚くべきものだった。

本当の「優等生」たちのIQはかなり下がってしまっていた。知力が劣り、非協力的で教えにくい生徒というレッテルを貼られ、そのような扱いを受けてきた結果だった。教師の間違ったパラダイムが実際に生徒たちに影響を与え、自己達成予言となったのである。

一方、本当は「劣等生」だったはずの生徒たちのIQは上がっていた。教師はこの生徒たちを優等生として扱い、一人ひとりの生徒に対する教師の期待が生徒

自身にも伝わり、子どもたちは熱意と希望を持って積極的に授業に取り組んだ結果だった。

教師たちは、新学年になって最初の数週間の印象を尋ねられて、「どういうわけか、それまでの指導方法がうまくいかなかったので、教え方を変えてみました」と答えている。

渡されたデータでは優秀な生徒たちなのだから、うまくいかないのは教え方に問題があるのだと思い、教え方を工夫したのである。教師たちは主体的になり、影響の輪の中に力を注いだ。

要するに、生徒の学力が劣っているように見えるなら、それは教師の側に問題があるのであって、柔軟な対応が欠如しているからなのである。

私たちは他者に対して、そこにどんな姿を映してあげているだろうか。そして、それらは彼らの人生にどれだけの影響を及ぼしているだろうか。

他者の姿は、その人の人生に計り知れない影響を及ぼしているのである。ものの見方を変えれば、他の人たちの信頼口座に大きな預け入れができる。

配偶者、子ども、同僚、部下と接するとき、相手の内面に眠っている潜在能力が見える人は、記憶よりも想像力を使う。相手にレッテルを貼ろうとせず、会うたびに新鮮な目でその人を見ることができる。

そうしてその人自身が自立し、深い満足感を持ち、豊かで生産的な人間関係を育てていけるように手助けするのである。ゲーテは次のような言葉を残している。

「現在の姿を見て接すれば、人は現在のままだろう。人のあるべき姿を見て接すれば、あるべき姿に成長していくだろう」

再新再生のバランス

自分を再新再生するプロセスを行うためには、肉体、精神、知性、社会・情緒の四つの側面すべてにわたってバランスよく刃を研がなくてはならない。

四つの側面はそれぞれに大切だが、四つのバランスを考えて磨くことによって最大の効果が得られる。どれか一つでもおろそかにしたら、他の三つの側面に必ず悪影響が及ぶ。

これは個人に限らず組織でも同じである。組織の場合で言えば、肉体的側面は経済性である。知的側面は、人材を発掘して能力を開発し、有効に活用することだ。社会・情緒的側面は、人間関係やスタッフの処遇である。そして精神的側面は、組織の目的や貢献、組織としての一貫した姿勢を通して存在意義を見出すことである。

これら四つのうちどれか一つでも刃が鈍っていたら、組織全体に悪影響が波及していく。大きくポジティブなシナジーを創り出すはずの創造的なエネルギーが、組織の成長と生産性を妨げる抑止力になってしまうのだ。

経済的側面の刃しか研がない組織は少なくない。金儲けだけを考えている組織だ。もちろん、その本音をおおっぴらには言わない。表向きには聞こえのよい目的を掲げている場合もある。

しかし一皮むけば、金を儲けることしか眼中にない。このような企業では必ず、ネガティブなシナジーが創り出されている。

部門間の争い、保身優先で建前だけのコミュニケーション、政治的な駆け引き、策略などが横行している。

たしかに利益がなければ組織は効果性を発揮できなくなるが、組織の存在意義はそれだけではない。人は食べなければ生きてはいけないが、食べるために生きているわけではないのだ。

これと対極にあるのが、社会・情緒的側面の刃だけをせっせと研いでいる組織である。

このような組織は、組織の価値基準から経済性を排除したらどうなるかという社会的実験を行っているようなものである。

組織の効果性を測る基準を設定していないから、あらゆる活動の効率が落ち、非生産的になって、しまいには市場から追い出されるのである。

四つの側面のうち三つまでなら刃を研いでいるが、四つ全部まで手がまわらない組織が多いのではないだろうか。

たとえば、組織としてのサービス水準(精神的側面)、高い経済性(肉体的側面)、良い人間関係(社会・情緒的側面)はうまく再新再生できていても、才能を見出し、能力を伸ばして有効に活用し、認める知的側面は手薄になっているというようなケースだ。

この知的側面の刃が鈍っている組織のマネジメント・スタイルは、見た目は穏やかだが内実は独裁で、その結果、組織内の反発や抗争、高い離職率など深刻で慢性的な文化の問題を抱えることになる。

個人だけでなく組織においても効果的に力を発揮するためには、四つの側面すべてをバランスよく伸ばし、再新再生する努力が必要である。

どれか一つでも刃が鈍っていたら、それが組織の効果性と成長を妨げる抑止力として働く。

組織でも個人でも、四つの側面のすべてをミッション・ステートメントに盛り込めば、バランスのとれた再新再生の枠組みになるだろう。

このような継続的改善のプロセスがTQC(TotalQualityControl/全社的品質管理)の核をなすものであり、日本経済の発展を支えているのである。

再新再生のシナジー

バランスのとれた再新再生そのものが、シナジーを創り出す。

四つの側面は密接な相関関係にあるから、どれか一つの側面の刃を研げば、他の側面に良い影響を与える。

肉体の健康は精神の健康に影響し、精神の強さは社会・情緒的な強さに影響する。一つの側面の刃が鋭くなれば、他の三つの側面の刃も鋭くなる。「7つの習慣」によって四つの側面のシナジーが創り出される。

四つの側面のどれか一つの刃を研ぐと、「7つの習慣」のうち少なくとも一つを実践する能力が高まる。

習慣には順番があるとはいえ、どれか一つの習慣が改善されると、シナジー的に他の六つの習慣を実践する力も高まっていくのである。

たとえば、あなたが主体的に行動するほど(第1の習慣)、自分の人生を自分で導くパーソナル・リーダーシップ(第2の習慣)と自分を律するパーソナル・マネジメント(第3の習慣)の能力が向上する。

パーソナル・マネジメントの能力が高まれば、第Ⅱ領域に属する再新再生の活動(第7の習慣)を実行できるようになる。

そして、まず相手を理解する努力をするほど(第5の習慣)、お互いの間にシナジーが創り出され、Win-Winの結果を効果的に見出せるようになる(第4、第6の習慣)。

自立に至る習慣(第1、第2、第3の習慣)のどれか一つでもしっかり身につけば、相互依存の関係を育む習慣(第4、第5、第6の習慣)を効果的に実践できるようになる。

そして再新再生(第7の習慣)は、他の六つの習慣すべてを再新再生させるプロセスなのである。

肉体的側面を再新再生する活動は、あなたの自信を強くし、自覚と意志、主体性を向上させる(第1の習慣)。

周りの環境から影響を受けるのではなく、自分から働きかけること、どんな刺激に対しても反応を自分で選択することで、主体的に行動できるようになるのだ。

おそらくはこれが、定期的に運動して肉体的側面の刃を研ぐ最大のメリットだろう。毎日の私的成功の一つひとつが、心の安定口座への預け入れになるのである。

精神的側面を再新再生する活動は、あなたのパーソナル・リーダーシップを育てる(第2の習慣)。記憶だけに頼らず、想像力を働かせ、良心に従って生きる能力が向上するのである。

あなたの内面の奥底にあるパラダイムと価値観を深く理解し、正しい原則を内面の中心に据え、自分の人生のミッションを明らかにし、正しい原則と一致した生活を送れるように人生の脚本を書き直し、内面の強さの根源を生かして生きていけるようになる。

精神の再新再生によって私生活が豊かになることも、心の安定口座への預け入れになる。

知的側面を再新再生する活動は、あなたのパーソナル・マネジメント能力を高める(第3の習慣)。

一週間なり一日なりの計画を立てることで、波及効果の高い第Ⅱ領域の活動に意識が向き、優先すべき目標、自分の時間と労力を投じるべき活動をはっきりと認識し、優先順位に従って活動を計画し実行できるようになる。

継続的に自己研鑚を行うことによって、知識が豊かになり、選択肢が広がっていく。

個人の経済的安定は仕事や社会からもたらされるのではなく、自らの生産能力──自分で考え、学び、創造し、変化に対応する力──から得られる。

それが本当の意味での経済的自立である。

経済的自立とは富を持つことではなく、富を生み出す能力を持つことであり、その能力は自分自身の内面で育てるべきものなのだ。

毎日の私的成功は、「7つの習慣」を身につけ実践する鍵である。毎日少なくとも一時間、肉体、精神、知性の刃を研ぎ、日々私的成功を重ねていくことは、あなたの影響の輪の中でできる努力である。

この毎日の一時間は、「7つの習慣」を生活に根づかせ、原則中心の生き方をするために必要な第Ⅱ領域の活動に投資する時間なのである。また、毎日の私的成功は「毎日の公的成功」の土台にもなる。内面がぐらつかず安定していてこそ、社会・情緒的側面の刃を研ぐことができるからである。

毎日の私的成功の土台があれば、相互依存の社会において自分の影響の輪に力を注ぐことができ、豊かさマインドのパラダイムを通して他者を見られるようになり、自分と他者の違いを尊重し、他者の成功を心から喜べるようになり、他者を本気で理解してシナジーを創り出し、Win-Winの解決策を見つける努力ができるようになり、相互依存の現実の中で第4、第5、第6の習慣を実践する土台ができるのである。

上向きの螺旋

再新再生は、成長と変化を繰り返しながら、螺旋階段を登るようにして自分自身を継続的に高めていく原則である。

この螺旋階段を確実かつ継続的に登っていくためには、再新再生に関するもう一つの側面について考える必要があり、それによって人は螺旋階段を降りるのではなく、上へ上へと登っていけるのである。

それは人間だけに授けられた能力の一つ、良心である。フランスの小説家スタール夫人の言葉を借りよう。

「良心の声はいかにもか細く、もみ消すことは簡単である。しかしその声はあまりにも明解で、聞き間違えることはない」

良心とは、心の声が聞こえる限り私たちが正しい原則に従っているかどうかを感じとり、正しい原則に近づかせてくれる持って生まれた才能なのだ。

スポーツ選手にとっては運動神経と肉体を鍛えることが不可欠であり、学者にとっては知力を鍛えることが不可欠であるように、真に主体的で非常に効果的な人間になるためには良心を鍛えなければならない。

しかし良心を鍛えるには、より高い集中力、バランスのとれた自制心が必要であり、良心に誠実であることを常に心がけなければならない。

精神を鼓舞するような書物を定期的に読み、崇高な思いを巡らせ、そして何より、小さく、か細い良心の声に従って生きなければならないのである。

ジャンクフードばかり食べ、運動しない生活を続けていれば肉体の調子がおかしくなるのは当然である。

それと同じように、下品なもの、猥褻なもの、卑劣なものばかりに接していたら、心に邪悪がはびこって感受性が鈍り、善悪を判断する人間本来の自然な良心が追いやられ、「バレなければかまわない」という社会的な良心が植えつけられてしまう。

ダグ・ハマーショルドは次のように語っている。己の中の野性が暴れるとき、人は完全に動物になっている。嘘をつくとき、人は真理を知る権利を放棄している。

残酷な行為を働くとき、人は知性の感覚を失っている。きれいな庭をつくりたい者は、雑草の生える場所を残しておきはしないのだ。

私たち人間は、いったん自覚を持ったなら、自分の人生を方向づける目的と原則を選択しなければならない。

その努力を怠ったら、刺激と反応の間にあるスペースは閉ざされ、自覚を失い、生存することと子孫を残すことだけを目的に生きる下等動物と同じになってしまう。

このレベルで存在している人は、生きているとは言えない。ただ「生かされている」だけである。

人間だけに授けられた能力は自分の中でただ眠っていて、それらを意識することもなく、動物のように刺激に反応して生きているにすぎないのである。

人間だけに授けられた能力を引き出し、発揮するのに近道はない。収穫の法則はここでも働いている。種を蒔いたものしか刈り取れないのであって、それ以上でもそれ以下でもない。

正義の法則は時代を超えて不変であり、自分の生き方を正しい原則に近づけるほど、判断力が研ぎ澄まされ、世の中の仕組みがよく見えてくるし、私たちのパラダイム──私たちが生きる領域を示す地図──も正確になっていくのである。

上向きの螺旋を登るように成長していくためには、良心を鍛え、良心に従って再新再生のプロセスを一歩ずつ進んでいく努力をしなければならない。

良心が鍛えられれば、私たちは自由、内面の安定、知恵、力を得て、正しい道を歩んでいくことができる。上向きの螺旋階段を登るには、より高い次元で学び、決意し、実行することが求められる。

このうちのどれか一つだけで十分だと思ったならば、それは自分を欺いていることになってしまう。

たえず上を目指して登っていくには、学び、決意し、実行し、さらにまた学び、決意し、実行していかなくてはならないのである。

第7の習慣:刃を研ぐ実践編

1肉体を健康的な状態に維持する活動をリストアップしてみる。自分のライフスタイルに合っていて、楽しみながら長く続けられる活動を考えてみよう。

21でリストアップした活動の中から一つ選び、来週のスケジュール表に自分を高めるための目標として書き込んでおく。週末に自己評価してみる。

目標を達成できなかったら、その目標よりも重要な用事ができて、それを優先しなければならなかったからなのか、それとも自分で決めたことを守れず、自分の価値観に忠実でなかったからなのか考えてみよう。

3精神的側面と知的側面についても、同じように再新再生の活動のリストをつくってみる。

社会・情緒的側面では、改善したい人間関係や、公的成功においてより大きな効果性をもたらす具体的な状況をリストアップしてみる。それぞれのリストから一週間の目標を一つ選び、実行し、自己評価する。

4毎週、四つの側面のそれぞれについて「刃を研ぐ」活動を書いて決意し、実行する。結果を自己評価する。

再び、インサイド・アウト

主は心の内側から外側に向けて働きかけるが、この世は外側から内側に向けて働きかける。

この世は貧民窟から人々を連れ出そうとするが、主は人々から邪悪や汚れた面を取り去り、自分自身で貧民窟から抜け出られるようにする。

この世は環境を変えることによって人間を形成しようとするが、主は人間自体を変え、それによって人間が自らの手で環境を変えられるようにする。

この世は人の行動を変えようとするが、主は人の性質を変えることができる。──エズラ・タフト・ベンソン

ここで、この本のエッセンスとも言える私自身の体験を話そう。私の体験談の根底にある原則をあなたに重ね合わせてほしい。

数年前、私はまだ大学で教鞭をとっていたが、執筆活動に専念するために一年間の休暇をとり、家族とともにハワイのオアフ島の北海岸にあるライエという町で過ごした。

かの地に落ち着いてしばらくすると、快適この上なく、しかも非常に生産的な生活パターンができていった。朝早く砂浜をジョギングした後、半ズボンに裸足の子どもたち二人を学校に送る。

それから、サトウキビ畑の隣にあるビルに借りたオフィスに行き原稿を書く。そこはとても静かで、景色も美しく、心休まる場所だった。電話も会議も急ぎの用事もない。ある日、オフィスからほど近くにある大学の図書館に出かけていった。

図書館の奥に山積みになっていた書籍の間を歩いていて、その中の一冊に何となく興味をひかれた。

手に取って開き、読んでいるうちに、ある一節に目が止まった。そこに書いてある言葉が、その後の私の人生を大きく変えることになったのである。私は何度もその文章を読んだ。

簡単に言えば、刺激と反応の間にはスペースがあり、そのスペースをどう使うかが人間の成長と幸福の鍵を握っているということだった。

その考え方が私にどれほど大きな影響を与えたか、とても言葉では言い表せない。

たしかに私が受けてきた教育も自分の将来は自分で決められるという自己決定論であったが、「刺激と反応の間にはスペースがある」と表現された一節はとても斬新であり、信じられないほど強烈な力で私の脳裏に刻まれた。

それはまるで「初めて真実を知った」ような、あるいは「自分の中で革命が起きた」ような感じだった。

満を持して私の前に現われた一節であるように思えたのである。私はこの考え方を繰り返し反芻した。そして、私自身の人生のパラダイムそのものが大きく変わり始めた。まさに自分が自分を観察していた。

刺激と反応の間にあるスペースに立ちどまり、自分を取り巻くさまざまな刺激を見つめ始めた。そうするうちに、自分の反応は自分で選べるという自由の感覚が私の内面を満たした。

実際、私自身が周囲に与える刺激にもなれるのだし、あるいは少なくとも刺激に影響を与え、まったく別の刺激に転換することもできる。まさしく選択の自由なのだった。

それから間もなく、この革命的な考え方のおかげもあって、私と妻は深く充実したコミュニケーションをとるようになった。

昼少し前に私はオフィスから古い赤のホンダのバイクに乗って妻を迎えに行ってから、幼稚園に通っていた二人の子どもを迎えに行き、一人は私と妻の間に、もう一人は私の左ひざに乗せて、オフィスの隣に広がるサトウキビ畑を走った。

私たちは会話を楽しみながら、一時間ほどのんびりと走り回ったものである。子どもたちはバイクに乗るのを楽しみにしていて、いつもおとなしくしていた。

他のバイクや自動車を見かけることもほとんどなく、私たちのバイクも静かだったから、妻と私は大きな声を出さずともおしゃべりできた。

いつも最後は人気のない海岸まで行き、バイクを停めて二〇〇メートルほど歩いて、静かな砂浜でピクニックをした。

その砂浜と島から海に流れ込んでいた小さな川が子どもたちの大のお気に入りだった。子どもたちがそこで遊んでいる間、妻と私は静かに話ができた。

ハワイで過ごしたその一年間、私たち夫婦は毎日たっぷり二時間いろいろな話をして、誰にも想像できないほどお互いを理解し、信頼を深めたのである。

最初の頃は、気の向くままにさまざまな話題がのぼった。関わりある人たちの噂、さまざまなアイデア、その日の出来事、子どもたちのこと、私が書いている本のこと、家庭のこと、将来の計画……。

しかし少しずつコミュニケーションが深まるにつれ、お互いの内面の世界を話すようになった。どんな育てられ方をしたのか、どのような脚本に沿って生きてきたのか。あるいは心情や自己不信。

このような会話に深く入り込んでいるとき、私たちは自分自身の内面を、そして相手の内面を見つめていた。私たちは刺激と反応の間のスペースを意識して使い始めた。

するとそのうち、自分たちがどのようにプログラミングされているのか、それらのプログラムが自分のものの見方にどんな影響を与えているのかを考えるようになっていった。

私と妻が歩み出した内面世界への冒険は、それまで体験していた外の世界への冒険よりも発見と洞察に満ち、驚きと興奮を与えてくれ、もっと奥深くへ進んでいきたい気持ちにさせた。

とはいえ、すべてが甘く輝かしいものではない。相手の気に障るようなことを言ってしまったり、心が痛んだり、気まずい思いをしたり、露呈したりもした。

心を開いてコミュニケーションをとっていたからこそ、お互いに自分の弱さをさらけ出すこともあった。それでも私たちは、この内面世界は何年も前から足を踏み入れてみたかった場所だったことに気づいた。

深く分け入っていき、心の奥底の傷つきやすい部分に足を踏み入れ、そして出てきたときには、まるで心が癒されたような気持ちになったものだ。

お互いに助け合い、支え合い、励まし合い、相手の話に共感していたからこそ、お互いにこの自己発見のプロセスをつくりあげ、導き合った。

そのうち、私たちの間には二つの不文律ができた。一つは、詮索し探ろうとしないこと。相手が脆く傷つきやすい部分を話し始めたら、質問せず、ただひたすら共感して聴くことに徹した。

相手を詮索し探るのは、その人の心の中にずかずかと入っていくことだ。相手をコントロールし、こちらの理屈を押しつけようとするものである。私と妻はお互いの内面世界に新しい領域を開拓していた。そこは不安や怖れに満ち、先が見えず、本人でも簡単には進んでいけない領域だった。

もっと相手の内面世界の奥へ入っていきたくとも、相手の気持ちを尊重して、相手が自分のペースで打ち明けるのを待つことにした。

二つ目の不文律は、あまりにも心が痛むような話になったら、その日の会話はそこで終わりにすることだった。

翌日は前日の続きでもいいし、相手がその話を続けてもいいと思えるようになるまで待つことにした。解決しないままにしておいても、いつか話す日がくるだろうと思って、急がないことにしたのだ。時間はたっぷりあったし、助けとなる環境もあった。

それに私たちはお互いの内面世界を冒険し、結婚生活の中で自分を成長させていくことに高揚感を覚えていたから、最後まで終わっていない話があっても、いずれ時期がくれば展開していくだろうと思っていた。

妻と私の毎日のコミュニケーションでもっとも難しく、それがゆえにもっとも実り多かったのは、お互いの脆い部分が重なり合う問題を話すときだった。

相手の脆さに自分の脆さを見てしまうせいで、刺激と反応の間のスペースがなくなってしまい、すぐに怒りや苛立ちを表に出してしまうこともあった。

しかし私たちは、お互いにきちんと話をしたいと強く望んでいたから、そこでいったん話を打ち切り、気持ちを落ち着かせてからもう一度話し合う暗黙の了解ができていた。

このような厳しい局面になる話題の一つに、私の性格に関わるものがあった。私の父は内向的な性格で、自制心が強く、何かにつけて慎重な人だった。父とはまるで対照的に、母はとても社交的でオープンな人である。

私は両親どちらの性質も受け継いでいると思うが、何か不安なことがあると父のように内向的になり、自分の殻に閉じこもり、周りを注意深く観察する傾向がある。

妻は私の母のような女性で、社交的で自分を飾らず、自然体で人と接する。結婚してから何年間も、私たちはお互いの性格のことで幾度となくぶつかっていた。

私は妻のオープンな率直さが時と場合によっては不適切だと感じていたし、妻のほうは、私がややもすると内にこもり、人とのコミュニケーションをシャットアウトしているように見え、人付き合いにマイナスだと言っていた。

こうしたお互いの性格で気になっている点も、砂浜での毎日のコミュニケーションの話題にのぼった。

私は妻の洞察をありがたく思い、彼女の助言を素直に受け入れ、人の気持ちに敏感で、もっとオープンで社交的な人間になろうという気持ちになった。

もう一つの厳しい話題は、私がずっと気になっていた妻の「こだわり」だった。

妻はフリジデア社の電化製品に強いこだわりがあったのだが、私には妻の執着ぶりがどうしても理解できなかった。

他社の製品を買うことなど考えようともしないのだ。

結婚したばかりで家計もまだ苦しかった頃のこと、私たちが住んでいた小さな大学町にはフリジデア社の製品を扱う店がなく、妻は七〇キロも離れた「大都市」まで車で行ってでも買ってくると言い張ったこともあった。これは私にとって何とも不愉快な問題だった。

幸い、これほどの執着は電化製品を買うときにしか出てこないが、何か電化製品を買わなければならないとき、私の我慢も限界を超えそうになる。

妻の異常なこだわりという刺激が私の怒り反応のボタンを押してしまいそうになるのだ。

このたった一つの問題で、妻が不合理な考え方をする人間だと決めつけ、私の中に妻に対する否定的な感情が広がっていくのである。

電化製品の問題が浮上すると、私はたいてい内にこもり、黙っていることにしていた。この問題に対処するには口を閉ざすしか方法はないと思っていたからだ。

少しでも口を開こうものなら、自制心を失ってしまい、後々後悔するようなことを言ってしまうに違いないからだ。

実際、言わなくてもいいことを口走り、後で謝ったことも一度や二度ではない。

私はなにも、妻がフリジデア社の製品を好きだということにイライラしていたわけではない。

フリジデア社の電化製品の良さを強調しようとして、何の根拠もなく、私にしてみればまるで理屈に合わないことをまくし立てることだった。

妻が自分の発言を単なる感情的なものだと認めさえすれば、私の態度も違っていただろう。

しかし絶対に意見を引っ込めず、無理にでも正当化しようとするから、私としても腹が立っていたのだ。ハワイでの春まだ浅い日のことである。

フリジデア社の一件が砂浜での会話の話題にのぼった。それまで続けてきた会話のすべてを通してこの話をする準備が整ったのだ。

探らない、心に痛みを感じたらそこでいったん打ち切りにして時間をおくという不文律もできていた。

この問題を話し合った日のことを私は生涯忘れないだろう。その日は海岸には向かわなかった。延々とサトウキビ畑を走り続けた。

たぶん、私たちはどちらも、お互いの目を見て話したくなかったのだと思う。何しろこの問題に関しては、嫌な感情を蘇らせる苦い経験があまりにも多かった。

長いこと、お互いの胸の奥底でわだかまりとなって残っていたのだ。

夫婦関係を壊してしまうほど深刻な問題ではなかったにせよ、ハワイで楽しく緊密な関係を築こうとしているとき、不和となるような話題にふれることが必要だった。

妻も私も、このときの話し合いでかけがえのないことを学んだ。話しているうちに、まさにシナジーが創り出された。

妻自身も、自分の「こだわり」の原因に初めて気づいたようだった。彼女は父親のことを話し始めた。

父親は高校の歴史の教師をしていたが、その給料だけでは家計を支えられなかったため、電化製品の販売店を開いたのだった。

ところが時代は不景気に入り、経営状態がひどく悪化した。そんなときに何とか事業を続けられたのは、フリジデア社の融資のおかげだった。彼女はありえないほど父親思いの娘だった。

毎日くたくたに疲れて帰宅し、長椅子に横になっている父親の脚をさすりながら、歌を唄ってあげたという。

父と娘のそんな心温まる時間が何年も続いた。父親は仕事の悩みや心配事を娘に話した。

経営難に陥ったときにフリジデア社の融資のおかげで倒産せずにすみ、どれほど感謝しているか、包み隠さず娘に話したそうだ。

父娘のコミュニケーションはごく自然なかたちで行われたからこそ、妻の人となりを方向づけた脚本の中でもっとも強烈なものになったのだろう。

自分の殻をすべて取り払い、リラックスした状態で自然に行われるコミュニケーションで、さまざまなイメージや考えが無意識のうちに心に刻まれる。

おそらく、あの砂浜での私とのコミュニケーションがだんだんと深まり、安心して何でも自然に話せるようになるまで、妻自身、父親とそのようにして過ごした日々のことを忘れていたのだろう。

妻は自分自身の心の奥底を見つめ、そしてフリジデア社に対するこだわりの源泉がどこにあるのかを初めて知ったのである。

妻に対する私の理解も深まり、新たな気持ちで妻の思いを尊重するようになった。妻は電化製品にこだわっていたのではなかったのだ。妻はフリジデア社の製品のことを話していたのではない。

父親のこと、父親を大切に思う気持ちを話していたのである。今でも憶えている。あの日、私たちはどちらも目に涙をためていた。

妻が遠い昔のことを思い出し、自分の感情の根源を見出したことももちろんだが、それ以上にお互いに対する敬虔な気持ちに満たされたからだ。

はたから見ればどうということもない過去の経験かもしれない。しかしそれは妻の心に深く根を下ろした大切な経験だったのだ。

人の内面の奥底に潜んでいるもっとも傷つきやすい部分を見ずに、表面に現れる他愛のない行為だけに反応するのは、人の心という聖域を踏みにじることなのである。

あのハワイでの日々から、私たち夫婦はたくさんの豊かな実りを得ることができた。

砂浜での深いコミュニケーションのおかげで、お互いの胸のうちをすぐに察することができるようになった。

ハワイを後にするとき、この習慣を続けることを決めた。その後も一緒にホンダのバイクに乗り、天気が悪ければ車で走りながら話をしている。

お互いに愛情を持ち続ける鍵は、話をすることだ。それも感情について話すことが大切だと私たちは思っている。妻と私は今も毎日会話の時間をとる。

出張しているときは出先から毎日数回は妻に電話する。心の故郷に戻り、幸福、心の安定、大切な価値を毎日手にするのである。

『汝再び故郷に帰れず』というトーマス・ウルフの小説がある。彼は間違っていると思う。再び故郷に帰ることはできるのだ。家庭が豊かな人間関係とふれあいの場であるならば。

世代を超えて生きる

私たち夫婦は、あの素晴らしい一年を通して、刺激と反応の間のスペースをうまく使うことを学んだ。

それによって、人間だけに授けられた四つの能力を発揮し、自分の内面から力を得るインサイド・アウトの原則を身につけたのである。

私たちも以前はアウトサイド・インで日々の生活を送っていた。外から働きかける力に頼っていたのである。

愛し合っているのだから、自分たちの態度や行動をコントロールすれば、お互いの違いを乗り越えられると思っていた。

しかし、それはしょせん絆創膏を貼ったり、鎮痛剤を飲んだりするような応急処置であって、痛みの根源を完全に取り除けるわけではない。

自分自身の内面にある基本的なパラダイムに働きかけてコミュニケーションをとれるようになるまで、慢性的な問題は残ったままだったのである。

インサイド・アウトのアプローチをとるようになってからは、お互いを信頼して心を開ける関係を築き、個性の違いを心から認められるようになった。

それはアウトサイド・インのアプローチでは絶対にできなかったことである。

Win-Winの充実した関係、深い相互理解、奇跡のようなシナジー、これらの美味しい果実は、私たちがそれぞれに持つプログラムを見つめ、それを自分たちで書き換え、深いコミュニケーションという第Ⅱ領域の重要な活動に意識的に時間を割き、「根」を育てたからこそ実ったのである。

果実はそれだけではない。

私たち夫婦がそれぞれの両親から強い影響を受けているのと同じように、私たちも知らず知らずのうちに子どもたちに影響を与え、彼らの生き方を形成しているのだということを深く実感できたのである。

両親から与えられた脚本が自分の人生にいかに大きな力を持っているかを理解できたから、次の世代の子どもたちに正しい原則を教え、模範を示す決意を新たにすることができたのである。

私たちはさまざまな脚本に従って生きている。

この本では主に、自らが主体的な人間になって書き直すべき脚本を取り上げた。

しかし自分が持っている脚本を見つめてみると、書き換える必要のない素晴らしい脚本もあることに気づくだろう。

前の世代から引き継ぎ、特に意識することもなく当たり前のように受け止めてきた脚本の中には、私たちに良い影響を与えているものも少なくないのである。

真の自覚とは、そのような脚本に感謝することである。

原則中心の生き方を教え、今ある自分を育ててくれた先人たち、自分の将来の可能性を気づかせてくれた先人たちに感謝することなのだ。

世代を超えて強い絆で結ばれた家族には、卓越した力がある。

子どもたち、両親、祖父母、叔父叔母、いとこなどが良い関係にあり、相互依存のしっかりとした結びつきを維持している家族には、自分が何者であるのか、自分という人間をかたちづくっているものは何なのか、自分にとって大切なものは何かをはっきりと気づかせてくれる大きな力がある。

子どもにとって、自分は何らかの「一族」の一員であるという意識を持てるのは幸せなことだ。

たとえはるか遠くに住んでいても、大勢の親類が自分を知っていて、大切に思ってくれていると感じられる子どもは幸せであるし、親にとってもありがたいことである。

あなたの子どもが何か悩みを抱えていて、親とは話したがらない時期で何の相談もしてこないなら、あなたの兄弟が親代わりになって相談に乗り、進むべき道を示してあげることもできる。

孫に温かい愛情を注ぐおじいちゃんやおばあちゃんは、子どもにとっては、この地球上でかけがえのない存在である。

祖父母は、孫たちの良いところや可能性をきちんと映し出せる歪みのない鏡なのだ。私の母もそうである。

八〇代後半になった今でも、子どもや孫たち一人ひとりを深く気にかけていて、愛情あふれる手紙を書いてくれる。

先日も、母からもらった手紙を飛行機の中で読んでいて涙が止まらなかった。母に今晩電話したら、どんな言葉をかけてくれるかおおよそ見当がつく。

「スティーブン、母さんがどれほどあなたのことを愛しているのか、あなたをどれだけ素晴らしいと思っているのか知ってほしいのよ」母はいつも私の価値を認めてくれる存在なのである。

世代を超えて強く結びついている家族は、もっとも実り多い報いがあり、満ち足りた相互依存関係を築ける。

そのような家族関係の大切さは、誰しも感じているものである。

以前『ルーツ』という本がベストセラーになったが、私たち一人ひとりにルーツがあり、今の自分まで続いてきた道のりをさかのぼり、自分の祖先、自分のルーツを知ることができる。それを知ろうとする最大の動機は、自分のためではない。

自分の後に続く子孫たち、全人類の次の世代のためなのである。次のような言葉を残した人がいる。

子どもたちに後々まで遺してやれるものは二つしかない。一つは〝ルーツ〟であり、もう一つは〝翼〟である

流れを変える人になる

子どもたちに「翼」を与えるというのは、前の世代から引き継いできた悪い脚本、効果的とはかけ離れた生き方を乗り越える自由を与えることだと思う。

私の友人で同僚でもあるテリー・ワーナー博士の言葉を借りれば「流れを変える人」になることだ。

実りのない生き方の脚本を次の世代にそのまま手渡すのではなく、その脚本を変えるのである。脚本を書き直し、その過程で人間関係を育てていくのだ。

仮にあなたが子どもの頃に両親に虐待されたからといって、あなたも自分の子どもを虐待する必要はない。

ところが現実には、親に虐待されて育った子どもは、自分が親になって同じようにわが子を虐待する例が非常に多い。

しかし、あなたは主体的な人間なのだから、自分からその脚本を書き直すことができる。子どもを虐待しないことを選択できる。

そして、子どもを一人の人間として認め、子どもが前向きに生きていく脚本を書いてやることができる。そのことを自分の人生のミッション・ステートメントに書き、頭と心に刻みつける。

そのミッション・ステートメントに従って生活し、毎日の私的成功を実現している自分の姿を思い描く。

さらに、自分の両親を愛し、許し、まだ健在であるなら、まず両親を理解する努力をして、関係を築き直す道を歩み始めることもできる。

あなたの家族に何世代にもわたって受け継がれてきた悪い流れを、あなたの代で止めることができるのだ。あなたは流れを変える人となり、過去と未来をつなぐ人となる。

あなた自身が変わり、流れを変えれば、その後に続く何世代もの人々の人生に大きな影響を与えられるのである。

二〇世紀の流れを大きく変えた人物として、アンワル・サダトを挙げよう。彼の生き方から、流れを変えることの本質を深く理解することができる。

不信、恐怖、憎悪、誤解の巨大な壁をアラブ人とイスラエル人の間につくり出した過去、対立と孤立の増幅が避けられそうにもない将来、その間にサダトは立っていた。

話し合いの努力はことごとく摘み取られた。

合意案を形成する手続きや書式、果てはコンマやピリオドをどこに打つかまで、あらゆることに難癖がつき争いの火種になっていた。

誰も彼もが葉っぱだけに斧を向ける中で、サダトだけは、刑務所の独房での経験を生かして根っこに働きかけた。

そしてついに、何百万人もの人々のために歴史の流れを変えたのである。サダトは自伝の中で次のように書いている。

私はほとんど無意識に、カイロ中央刑務所の五四番の独房で培った内面の強さを引き出し始めた。

その強さとは、変化を起こす能力と言えるものである。

私が直面していた状況は複雑をきわめ、心理的、知的な能力で自分自身を武装しなければ、とても変えられる望みはなかった。

あの孤独な場所で人生や人間の本質を深く見つめ、自分自身の思考の構造そのものを変革できない者は、決して現実を変革することはできず、したがって、決して進歩することもないのである。

根本的な変化はインサイド・アウトから始まるものである。

葉っぱだけをいじる応急処置的な個性主義のテクニックで態度や行動だけを変えればすむものではない。根っこに働きかけなくてはならないのだ。

自分の根本的な考え方を見つめ、自分の人格を形成し、世界を見るときのレンズとなっているパラダイムを変えなければ、本当の変化は生まれない。

このことを哲学者のアンリ・フレデリック・アミエルは次のように表現している。人間は道徳的真理を頭で考え、理解することができる。感覚的にとらえることもできる。そのとおりに生きようと決意することもできる。

しかし、ここまでして理解し身につけたつもりでも、道徳的真理は私たちの手からするりと逃げていくことがある。

意識よりももっと深いところに、私たち人間の存在そのもの、人間の実体、本質があるからである。

この一番奥の場所まで到達して自分自身と一体になり、随意的にも不随意的にも、あるいは意識的にも無意識的にもできるようになった真理だけが、本当に自分のものとなる。つまり単なる所有のレベルを超えたものとなるのである。

真理と自分自身との間に少しでも距離があるうちは、私たちはまだ真理の外にいる。

人生について考えていること、感じていること、望んでいること、自覚していることは、人生そのものではないかもしれない。人生の目的は神と一体化することなのである。

そうなって初めて、真理は二度と私たちのもとから逃れない。

そうなったとき、真理は私たちの外側に存在するものでもなく、内側に存在するものでもなくなる。私たち自身が真理であり、真理が私たち自身なのである。

自分自身と一つになること、愛する人たちや友人、同僚と一つになることが「7つの習慣」の最高で最良、もっとも実りある果実である。

誰しも、過去に一度や二度は心を一つにする果実を味わったことがあるだろう。逆に、心がばらばらに離れてしまった寂しく苦い果実も味わっているはずだ。

だからこそ私たちは、心が一つになることがいかに貴重で、また同時に壊れやすいものであるかを知っているのである。

このように心を一つにまとめるためには、誠実な人格を築き、愛と奉仕の人生を送らなくてはならないのは言うまでもないことだが、それはたやすいことではない。

応急処置でどうにかなるものではないのだ。だが、それは決してできないことではない。

人生の中心に正しい原則を置き、他の中心から生まれたパラダイムと訣別し、無益な習慣の安心領域から出ることによって実現するのである。

間違うこともあるだろう。気まずい思いをすることもあるだろう。

だが、毎日の私的成功を積み重ね、インサイド・アウトの生き方を一歩ずつ進んでいけば、結果は必ずついてくる。

種を蒔き、辛抱強く雑草を抜き、大切に育てれば、本当の成長の喜びを実感できるようになる。

そしていつか必ず、矛盾のない効果的な生き方という最高の果実を味わえるのである。最後にもう一度エマーソンの言葉を借りよう。

繰り返し行うことは、たやすくなる。行う作業の質が変わるのではなく、行う能力が増すのである」人生の中心に正しい原則を置き、行うことと行う能力のバランスを考えて努力を続けていくと、効果的で有益な、そして心安らかな生き方ができる力がついてくる。

それは私たち自身のためであり、私たちの後に続く者たちのためでもあるのだ。

私信

この本の締めくくりに、正しい原則の根源について私個人の思いを少し述べさせていただきたい。正しい原則は自然の摂理であると私は考えている。

正しい原則の根源、そして良心の根源は、私たち人間を創造した父なる神にあると信じている。

神から授かった良心に忠実に生きる限り、人は自らの天分を存分に生かすことができ、良心の声に耳を傾けない人ほど、動物のような人生を送ることになると信じている。

法律や教育だけではどうにもできない部分が人間にはあり、そのような部分については神の力に頼らざるを得ないのだと、私は考えている。

人間である以上、完全無欠な存在にはなれない。

正しい原則に従って生きる努力をするほどに、人間は天賦の才を発揮でき、この世に授かった命を余すところなく生きられるのである。

イエズス会士のテイヤール・ド・シャルダンはこのように言っている──「我々は、霊的体験をしている人間ではない。

人間的体験をしている霊なのである」。

私は今も、この本に書いたことを実践するために必死に努力している。このような努力は価値があるし、必ず満たしてくれる。

それは私の人生に意味を与え、人を愛する力、奉仕する力、挫折しても何度でも立ち上がる力を与えてくれる。

最後に、T・S・エリオットの言葉を紹介したい。私自身の発見と確信を見事に言い表していると思う。

「探究に終わりはない。すべての探究の最後は初めにいた場所に戻ることであり、その場所を初めて知ることである。」

私がよく受ける質問

ここで紹介するような個人的な質問をよく受けるのだが、正直に言うと、いつも少したじろいでしまう。

しかし、ことあるごとにこうした質問を受けるし、皆さんも興味を持つだろうと思うので、ここにまとめておくことにした。

『7つの習慣』は一九八九年に出版されました。

それ以降のご自身の経験を踏まえて、どこか書き換えようとは思いますか?書き加えたいこと、逆に削除したい箇所はありますか?軽々しく答えるつもりはないのですが、どこも変えるつもりはありません。

もっと深く掘り下げ、広く応用する可能性はあると思いますが、そうした試みについては、後から出版した別の本で取り上げています。

たとえば、「7つの習慣」の中で多くの人が苦手としているのは第3の習慣「最優先事項を優先する」なのですが、この習慣について二五万人以上の人たちをプロファイリングしました。

その結果を基に『7つの習慣最優先事項』という本で第2の習慣と第3の習慣をさらに深く掘り下げ、他の習慣についても具体例を加えました。

『7つの習慣ファミリー』では、絆が強く幸福で、効果的に営まれる家庭を築くことに「7つの習慣」の考え方を応用しています。

また息子のショーンは、一〇代のニーズや関心事、問題に「7つの習慣」のフレームワークを当てはめ、若者の興味を惹くような図版を多用して、『7つの習慣ティーンズ』を出版しました。

さらに、「7つの習慣」を身につけることで創造的に人生を送れるようになったという話を何万人もの人たちに語ってもらいました。

その体験談が『「7つの習慣」実践ストーリー集』に詳しく収録されています。私たちに勇気を与え、鼓舞してくれるエピソードです。

境遇や組織内での地位、それまでの人生に関わらず、あらゆる個人、家族、組織において、原則の力、変化を起こす力が働いたことを教えてくれます。

『7つの習慣』が出版されてから、何か新たに気づいたことはありますか?多くのことを学びました。

さらに認識を深めた、と言ったほうがいいかもしれません。

一.原則と価値観の違いを理解することが大切です。原則は自然の法則です。私たちの外にあり、私たちの行動の結果を最終的に決めるものです。価値観は私たちの内面にあり、主観的なものです。自分の感情をもっとも強く動かすものが行動を導くのです。原則を自分の価値観にできれば理想的です。

そうであれば、今欲しい結果を手にし、将来はさらに良い結果を得ることができます。

私はそれを「効果性」と定義しています。誰でも価値観を持っています。犯罪者にも価値観はあります。価値観は人間の行動を支配します。それに対して原則は行動の結果を支配します。原則は私たちの外に存在する独立したものなのです。

原則を意識していようがいまいが、受け入れていようがいまいが、原則は働いています。好きであろうがなかろうが、信じていようがいまいが、忠実に従っていようがいまいが関係ありません。

原則は常に働いています。私は、謙虚さはあらゆる美徳の母だと信じています。謙虚であれば、物事を支配しているのは原則であって自分ではないと言えます。だから原則に従うことができるのです。傲慢な人は、物事を支配するのは自分だと考えます。

自分の価値観が自分の行動を支配するのだから、好きなように人生を送ればいいのだと考えるのです。

しかし行動の結果を決めるのは、価値観ではなく原則です。だから原則を自分の価値観にし、原則を大切にすべきなのです。

二.「7つの習慣」に関して世界中から寄せられた体験談を読んで、原則の普遍性が「7つの習慣」を支えているのだと確信しました。

これらの人々の実例や実践方法はそれぞれに異なりますし、文化的背景も異なっています。しかし原則は同じです。

世界の六大宗教のどれにも、「7つの習慣」に述べられている原則がみられます。

実際、これらの宗教圏で講演するときは、その宗教の聖典から引用することもよくあります。

中東でも、インド、アジア、オーストラリア、南太平洋、南米、ヨーロッパ、北米、アフリカ、世界各地でそうしてきました。

ネイティブアメリカンなどの原住民の文化圏でもそうします。性別も関係なく誰もが同じような問題に悩み、同じようなニーズを持っています。だから基本の原則の話は誰の心にも響くのです。

正義やWin-Winの原則は、誰もが内面に持っている感覚です。

責任の原則、目的意識の原則、誠実さ、他者を敬う気持ち、協力、コミュニケーション、再生は、誰もが理解できる道徳観です。これらは普遍の原則なのです。

しかしその原則をどう実践するかは文化圏によって異なります。それぞれの文化圏が普遍の原則を独自に解釈しているのです。

三.組織において「7つの習慣」がどのような意味を持つのか明確ではありませんでした。もちろん、厳密に言えば組織に「習慣」というものはありません。

ノルマや行動規範のような組織文化、それがいわば組織の習慣です。組織はまた、システム、プロセス、手順も確立しています。これらも習慣です。

しかし結局、どんな行動も個人の行動であることに変わりはありません。

組織構造やシステム、プロセス、手順に関して経営者が下した決定に沿った集団行動の一部であっても、一人ひとりの行動なのです。

あらゆる業界、職業の何千もの組織を見てきましたが、『7つの習慣』に書いてあるのと同じ基本の原則が組織の中でも働いていて、それが効果性を左右していることがわかりました。

四.「7つの習慣」を教えるときは、どの習慣から始めてもかまいません。どれか一つの習慣を教えて、そこから他の六つの習慣に結びつけていくこともできます。

「7つの習慣」はホログラムのようなもので、全体が部分に含まれ、部分が全体に含まれているのです。

五.「7つの習慣」はインサイド・アウトのアプローチをとっていますが、自分の外側にある問題、アウトサイドの問題にインサイド・アウトのアプローチで取り組めば非常に効果的です。

コミュニケーションや信頼関係など、人間関係に問題を抱えているなら、インサイド・アウトのアプローチはおのずと決まります。

その問題を解決し公的成功を果たすために、まず私的成功を成し遂げるアプローチをとればよいのです。

だから私はよく、第1、第2、第3の習慣を教える前に第4、第5、第6の習慣を教えています。

六.相互依存は自立よりも一〇倍は難しいものです。Win-Loseの態度をとる相手に対してWin-Winを考えます。

心の中では自分を理解してほしいと叫んでいるのに、まず相手を理解することに徹します。妥協するほうが簡単なのに、より良い第3の案を探す努力をします。

これらができるようになるためには、感情面でも知性面でも自立できていなければなりません。

言い換えれば、他者と創造的に協力し成功するためには、内面が安定し、自分を律することができなくてはならないのです。

しっかりと自立した人間でなくてはなりません。

自立していなければ、相互依存のつもりで行動しても、それは実際には反依存の状態にすぎず、自分が自立しているのだと主張したいがために、相手と正反対の言動に走っているのです。

あるいは、相手の弱点をあげつらうことで自分の欲求を満たし、自分の弱点を正当化するような共依存関係になってしまいます。

七.第1の習慣から第3の習慣までは「約束をし、それを守る」という一言で言い表せるでしょう。

第4の習慣から第6の習慣までは「問題に他者と一緒に取り組み、協力して解決策を見つける」と言い換えることができます。

八.『7つの習慣』は新しい言語です。

この本に出てくる個性的な言葉やフレーズはそれほど多くはありませんが、そのどれもが、重要なことを伝える符号のようなものになったと思います。

「あれは預け入れだったろうか、それとも引き出し?」「これは反応的な行動か、それとも主体的な行動か?」「これはシナジーだろうか、妥協だろうか?」「この状況はWin-Winなのか、Win-Loseなのか、それともLose-Winなのか?」「最優先事項を優先するのか、優先しなくてもよいことを優先するのか?」「手段を思い描くことから始めるのか、終わりを思い描くことから始めるのか?」といった問いかけを、他者にも、自分にもすることができるのです。

これらの言葉で表現される原則と概念を深く理解し、実践することによって、根本から文化が変わった組織や家庭の実例をたくさん知っています。

九.誠実さは忠誠心よりも大切です。

というより、誠実は忠誠心の最高位のかたちである、と言ったほうがよいかもしれません。誠実とは、原則を中心にして生活することです。

中心に据えるのは、他人でも組織でもありません。家族ですらありません。あくまでも原則です。

誰でも自分が抱えている問題の根を見つめれば、「それは他者に受け入れられることなのか(あるいは政治的に受け入れられるのか)、それとも正しいことなのか?」と自分に問うことになります。

正しいと思うことをせず、他人や組織に忠誠であることを優先していたら、誠実とは言えません。

その場では他者に受け入れられ、好かれるかもしれないし、忠誠心を得られるかもしれません。しかし誠実さを欠いていたら、やがてはその人間関係にヒビが入るでしょう。

たとえば誰かの関心を買いたいがために、その場にいない人の悪口を言ったとしましょう。

そこでは相手と意気投合したように見えても、その人はあなたが別の場所で自分の悪口を言うのではないかと思うはずです。

ある意味では、第1から第3の習慣は誠実さを表し、第4から第6の習慣は忠誠心を表しています。誠実さと忠誠心は完全に一体なのです。

誠実であれば、いずれは他者の忠誠心を得られます。しかし最初に忠誠心を求めようとしたら、それと引き換えに誠実さを捨てることになるでしょう。

好かれるよりも信頼されるほうがよいのです。人を信頼し、尊重することこそが、愛を生み出すのです。

一〇.「7つの習慣」を実践するのは、誰にとっても大変なことです。

「7つの習慣」の全部を毎日きちんと実践できている人などいないでしょう。それどころか、どれ一つとして実行できない日もあるはずです。

実際、理解するのは簡単でも、日々実践するのは大変なことです。「7つの習慣」は常識です。

しかし常識だからといって、必ず実行できるとは限らないのです。「7つの習慣」の中で身につけるのが一番難しいのはどれでしょうか?第5の習慣ですね。

とても疲れているときや、自分が正しいと確信しているときなどは、本気で相手の話を聴こうとしてもできません。聞くふりをすることさえあります。

理解しようと思って聴いているのではなく、どう返答しようか考えながら聞いているのです。これではいけません。

私自身、「7つの習慣」の全部を実践するのは大変です。悪戦苦闘の毎日です。どれ一つとして制覇できていません。

「7つの習慣」というのは、完全には習得できない人生の原則だと思います。もうそろそろ到達かと思ったら、まだまだ道は続いているというような感じです。

知れば知るほど、自分にはまだわかっていないことが多いのだと思い知らされるのです。

私は、大学で受け持っている学生に評価をつけるとき、五〇%は彼らがしてくる質問の内容、あとの五〇%はその質問に対する彼ら自身の回答の内容で評価しています。

こうすれば本当の習熟度がわかるからです。これと同じように「7つの習慣」も上向きの螺旋のようなものと言えます。

もっともレベルの高い第1の習慣は、一番下のレベルにある第1の習慣とはまるで異なります。

最初のレベルで主体的である習慣を実践するのは、せいぜい刺激と反応の間にあるスペースを意識できるくらいです。

次のレベルでは、仕返しはしない、やり返さない、というような選択ができるようになるでしょう。

次のレベルでは、許しを求めるようになります。そして次のレベルでは他人を許せる。その次は、親を許せる。

さらに次は、すでに亡くなった親を許せる。そして次のレベルで、他者に腹を立てないことを選択できるようになるのです。

あなたはフランクリー・コヴィー社の副会長ですが、フランクリン・コヴィー社では「7つの習慣」を実践していますか?努力しています。

自分たちが教えていることを日々実践するのは、私たちにとっては基本の価値観です。とはいえ、完璧にできているわけではありません。

他の企業と同じように、当社もめまぐるしく変化する市場環境に対応しなければなりません。

一九九七年にコヴィー・リーダーシップ・センターとフランクリン・クエストが合併しましたが、二つの組織文化を統合する努力も必要でした。

原則を実践するには時間も忍耐力も要ります。成功かどうかは長い目で見て判断すべきでしょう。スナップショットでは正確なことはわからないのです。

どんな飛行機も軌道からずれている時間は結構あります。しかし必ず飛行プランに戻り、最終的には目的地に到着します。

個人の場合も、家族や組織にも、同じことが言えます。「終わりを思い描くことから始める」ことが大切なのです。

そして日頃からフィードバックを受けることを心がけ、思い描いた終わりに到着できるように軌道修正するのです。

なぜ七つなのですか?六つの習慣でも、八つの習慣でもいいでしょうし、一五の習慣でもかまわないのでは?「7」には何か神聖な意味があるのですか?神聖な意味などありません。

私的成功の習慣が三つ(選択の自由、選択、行動)に公的成功の習慣が三つ(尊重、理解、創造)、その次が他の六つの習慣を再新再生する習慣、全部で七つになったのは単なる偶然です。

この質問を受けると、私はいつも「習慣にしたいような望む特質があるのなら、あなた自身の価値観の一つとして第2の習慣に加えてください」と答えています。

たとえば約束を守ることを習慣にしたいなら、第2の習慣の価値観になるでしょう。どんなことでも第2の習慣に加えられるのです。第2の習慣はあなたの価値体系です。第1の習慣は、自分の価値体系を持つことです。

第2の習慣は、あなたがどのような価値観を選ぶかであり、第3の習慣はその価値観に従って生活することです。

このように、どの習慣も基本的なことなのです。そしてそれぞれが相互に結びついています。

今このあとがきを書いている時点で、ちょうど『第8の習慣効果から偉大へ』という新しい本を執筆し終えました。

「第8の習慣」と聞くと、先ほどの私の答えとは違うのではないかと思う人もいるでしょう。

しかし、この新作の第一章でも述べているのですが、『7つの習慣』が一九八九年に出版されてから世界は大きく変わりました。

私生活や人間関係、家庭や職場で私たちが直面している問題や複雑な状況は、以前とはまるで違います。そもそも一九八九年には多くの枕詞がつきます。

ベルリンの壁が崩れた年、情報時代幕開けの年、新しい現実の誕生、大転換……あの年から、まさに新しい時代が始まったのです。

個人や組織としての効果性の高さは、今の世界ではもはや当然求められることです。入場券のようなものです。

しかし、この新しい現実の中で生き残り、成功し、イノベーションし、卓越した成果をあげ、リーダーシップを発揮するには、効果性を土台として、もっと高いレベルに到達しなければなりません。

新しい時代が求めているのは、遂行です。明日への情熱的な希望、意味のある貢献、そして偉大さです。これらは、効果性とは異なる領域、異なる次元にあります。意味が違うのです。成功の度合いではなく、成功の意味が違うのです。

人が持つ才能と動機、いわば内面の声をより高い次元で一致させるには、新しいマインドセット、新しいスキルセット、新しいツールセットが必要です。

新しい習慣が必要なのです。ですから、「第8の習慣」は「7つの習慣」の次に加わるものではありません。「第8の習慣」は、いわば忘れられていた習慣です。

第三の次元を見出し、それを「7つの習慣」に結びつけ、新しい知識労働者時代の中心的な問題に対応しようというものです。

有名になって、何か影響はありますか?いろいろとありますね。個人的には光栄なことだと思っています。教師としての立場から言えば、謙虚にならなくてはいけないと思います。

これらの原則のどれ一つとして、私が考え出したものではありません。私個人が高い評価を受けるべきではないことを強く自覚しなくてはなりません。謙虚な人間とみられたいから言っているのではありません。

そう信じているから言っているのです。私は皆さんと同じように真実を追求し、理解したいと思う一個人です。私は師ではありません。

そのように呼ばれたくありませんし、弟子が欲しいとも思いません。

私は、人々が自らの心の中にすでに持っている原則を師とし、良心に従って生きられるように促しているだけなのです。

人生をやり直せるとしたら、実業家としての自分をどう変えたいですか?そうですね、もっと戦略的に、先を見て主体的に行動を選択したいですね。

緊急の用事に埋もれて、空中に飛び交ういくつものボールに対応していれば、その時どきにどの場所に立てばよいのかわかっていて、何にでもうまく対処できる人間に見えるものです。

しかし実際には、自分の置かれた状況や行動パターンを深く考えているわけではなく、そのときの自分の役割や職務で満たすべき基準をよく考えて設定しているわけでもありません。

自分の行動を戦略的に選択する。

つまり、その瞬間に受けるプレッシャーに対応するのではなく、長い目で見て主体的に行動すれば、いずれ大きな果実が得られると私は確信しています。

ある人がこんなことを言っています。

「強く望んでいることは、いとも簡単に信じられる」ですから、自分の人格と能力の両方を深く見つめなくてはならないのです。

どちらかに欠点があれば、その欠点がいずれは人格にも能力にも表れることになります。

トレーニングや能力開発研修も大切ですが、自分の行動は自分で選択するほうがはるかに重要なのです。

人生をやり直せるとしたら、親としての自分をどう変えたいですか?日頃から打ち解けて話す時間をもっと持ち、親として子どもたちの成長の段階に合わせて、非公式なWin-Win実行協定を結びたいですね。

私は仕事で家をあけることが多いので、つい子どもたちを甘やかしてしまい、Lose-Winの結果になってしまうことが少なくありません。

理にかなった健全なWin-Winの合意を見出せるように、それにふさわしい関係を築く努力を日頃からもっとすべきだと思っています。

テクノロジーはビジネスの環境をどのように変えていくのでしょうか?スタン・デイビスが「インフラストラクチャーが変わると、何もかもが揺れ動く」と言っています。

まったくそのとおりだと思います。

しかも、技術的なインフラはすべてのものの中心にありますから、良い流れも悪い流れも加速させます。だからこそ、人間的な要素がますます重要になると確信しています。高度な技術をうまく使うには人間性が不可欠です。

テクノロジーの影響力が増せば増すほど、そのテクノロジーをコントロールする人間性が重要になるのです。

とりわけ、テクノロジーをどう利用するかは文化的な背景を踏まえて決めていかなくてはならず、そこには必ず人間性が求められるのです。

『7つの習慣』は、国、文化圏、世代、性別を超えて世界中に広まりましたが、驚いていらっしゃいますか?イエスでもあり、ノーでもあります。

これほどまでに世界的な現象になるとは予想していませんでしたし、この本で使われている言葉のいくつかがアメリカの風物にもなりました。その意味では驚いています。

しかし、この本に書かれていることは二五年にわたってテストし、効果を確かめました。そもそも原則に基づいているのですから、うまくいくと確信していました。

その意味では驚くことではないですね。これらの原則は私が考え出したものではありません。普遍の原則なのです。

「7つの習慣」を子どもたちに教えるにはどうしたらよいでしょう?アルベルト・シュバイツァーは、子育てには三つの基本ルールがあると言っています。

第一に、手本を示す。

第二に、手本を示す。

第三に、手本を示す。

私もそのようにしたいと思いますが、とてもそこまでいきませんね。そこで私が考える三つのルールは、「第一に手本を示す。第二に愛情深く思いやる関係を築く。

第三に、『7つの習慣』の基本的な考え方を子どもの言葉でわかりやすく教える」というものです。

「7つの習慣」の基本と用語を理解させ、自分自身の体験を原則に従って進めていく方法を教えるのです。

自分の生活の中で、どのような原則と習慣を実践できるのか教えてあげればよいと思います。

私の上司(配偶者、子ども、友人)にぜひとも「7つの習慣」を実践してほしいのですが、この本を読むように勧めるにはどうしたらよいと思いますか?あなたがどれほどその人のことを思っているか本人に伝わらなければ、あなたの忠告には耳を貸さないでしょう。

あなた自身が信頼される人格を磨いて、その人と信頼関係を築く。

そうして、「7つの習慣」が自分にとってどのように役立ったか話して聴かせれば、耳を傾けてくれるはずです。

その後、タイミングを見計らってトレーニングプログラムに誘ったり、本をプレゼントしたり、機会をとらえて基本的な考え方を教えてあげたりすればよいでしょう。

経歴をお聞かせください。

また、どのような経緯から『7つの習慣』を書くに至ったのですか?若い頃は、自分は父の跡を継いで家業に就くものだと何となく思っていました。

しかし、ビジネスよりも教えることやリーダーを育てる仕事のほうに面白味を感じました。

ハーバード・ビジネス・スクールで学んでいたとき、組織で働く人間に強く興味を持ったのです。

後にブリガム・ヤング大学でしばらく経営学を教え、この分野のコンサルティング、アドバイス、トレーニングにも携わりました。

その間、バランスのとれた一連の原則を順序だてて、リーダーシップとマネジメントの総合的な能力開発プログラムの開発に関心を持ったのです。

これらがやがて「7つの習慣」となり、それを組織に応用していくうちに、原則中心のリーダーシップの概念に発展していきました。

私は大学を辞め、あらゆる組織の経営者のコンサルティング、トレーニングを専業にする決心をしました。

一年をかけて研修のカリキュラムを綿密に計画してから会社を立ち上げ、世界中の人々にマテリアルを提供できるようになったのです。

成功の方程式があると主張する人に対して、どう思われますか?二つあります。

まず、原則あるいは自然の法則に基づいた主張であるなら、私もそれを学びたいですし、他の人たちにも推薦したいと思います。

次に、基本の原則や自然の法則を違う言葉で表現している場合もあるでしょう。

効率性のためにスキンヘッドにしているというのは本当ですか?あなたが忙しく髪をブローしているとき、私はもう家を出てクライアントと仕事しているのですからね。

実のところ「ハゲって美しい」という言葉を初めて聞いたとき、それはもううれしかったですよ!※本稿は二〇〇四年に書かれたものです。

付録

B職場で実践する第Ⅱ領域の一日ここでは、第Ⅱ領域を重視するパラダイムがビジネスでどれほど大きな影響を与えるか理解するために、具体的な状況を設定して分析し、演習を行ってみよう。

あなたが大手製薬会社のマーケティング担当役員だと仮定しよう。あなたは今出社したところであり、いつもと同じような一日が始まろうとしている。

その日に待ち受けている仕事の予定を見て、それぞれの仕事にどれくらいの時間がかかりそうか見積もる。仕事のリストは次のとおりだが、優先順位はまだつけていない。

一本部長と昼食をとりたい(一時間~一時間半)

二来年度のメディア予算を策定するよう昨日指示された(二~三日)

三「未決箱」の案件が「既決箱」のほうまであふれている(一時間~一時間半)

四先月の売上高について販売部長と話し合う(四時間)

五秘書から早急に書くよう言われている手紙が数通ある(一時間)

六デスクにたまっている医療雑誌に目を通したい(三〇分)

七来月に予定されている販売会議でのプレゼンテーションを準備する(二時間)

八製品Xの前回出荷分が品質管理に引っかかったという噂を耳にした

九食品医薬品局の担当者が製品Xについて電話がほしいとのこと(三〇分)

一〇午後二時から役員会があるが、議題は不明(一時間)

第1、第2、第3の習慣で学んだことを応用して、どのようにスケジューリングすれば一日を有効に使えるか考えてみてほしい。

この演習では一日のスケジュールを計画するので、第四世代の時間管理に不可欠な一週間単位のスケジューリングは省いている。

とはいえ、一日一九時間のスケジュールを立てるだけでも、第Ⅱ領域の原則中心のパラダイムがいかに重要であるかは理解できるだろう。リストにある仕事のほとんどが第Ⅰ領域の用件であることは明らかだ。

六番目の「たまっている医療雑誌に目を通す」以外は、重要で緊急な用件に思われる。

第三世代の時間管理テクニックを使うなら、優先度の高い順にA、B、Cをつけ、さらにAのグループの中で1、2、3というように順番をつけていくだろう。相手の都合や昼食にかかる時間なども考慮するはずだ。

こうして、いろいろな事情を勘案して一日のスケジュールを立てるわけである。

第三世代の時間管理の考え方でスケジュールを組んでいる人たちの多くが、私が今説明したのとまったく同じアプローチをとっている。

朝の時点でわかっている事情や状況を前提にして何時に何をするかを決め、その日の用件の大半を片づけ、少なくともその日のうちに手をつけるようにして、残りは翌日か別の機会にまわすようにするわけである。

たとえば、ほとんどの人は朝八時から九時の間に役員会の議題を確認して準備し、お昼に本部長と会う約束を取りつけ、それから食品医薬品局の担当者に電話を入れる。

その後の一~二時間は、販売部長との話し合い、緊急かつ重要な手紙の処理、品質管理に引っかかったらしい製品Xの前回出荷分に関する噂の確認などに充てるだろう。

午前中の残りの時間は、本部長との昼食会で話し合うことを準備したり、午後の役員会に備えて資料などを揃えたりする。

あるいは、製品Xの噂や前月の売上に関して対処しなければならない問題が起これば、それらに時間がとられるかもしれない。

本部長との昼食会が終わってから午後の時間は、午前中に予定していた仕事で終わっていないものを片づけたり、他の緊急かつ重要な手紙を書いたり、「未決箱」にあふれかえっているものを整理したり、今日になってから入ってきた緊急かつ重要な用件に対応したりするだろう。

ほとんどの人は、来年度のメディア予算の策定と来月の販売会議の準備は、今日のように第Ⅰ領域の用件がたてこんでいない日にまわせばよいと考えるだろう。

どちらも緊急ではなく、長期的な判断や計画が関係する第Ⅱ領域に入る活動である。医療雑誌もデスクに積み上げたまま、今日のところは手をつけない。

これも第Ⅱ領域に入る活動であるし、予算の策定と販売会議の準備に比べても重要度は低そうに見えるからである。

何時に何をするかは人によって異なるだろうが、第三世代の時間管理の考え方はおおよそこのようになる。

あなたは一から一〇までの仕事をどのようにスケジューリングしただろうか。第三世代のアプローチと同じだろうか。それとも第Ⅱ領域を重視する第四世代のアプローチで予定を組んだだろうか。

第Ⅱ領域を重視するアプローチ今度は第Ⅱ領域を重視するアプローチでリストの仕事を一つずつ見ていこう。

ここで紹介するのはあくまで例である。

第Ⅱ領域に重点をおいたスケジューリングは他にも考えられるが、これから紹介する例では、このアプローチのポイントがよくわかると思う。

あなたが第Ⅱ領域の大切さをわかっている役員ならば、Pに関係する活動のほとんどが第Ⅰ領域に入り、PCに関係する活動のほとんどが第Ⅱ領域に入ることは知っているはずだ。

日頃から第Ⅱ領域に意識を向け、緊急事態が発生しないように早め早めに手を打ち、チャンスをつかめる態勢を整え、第Ⅲ領域と第Ⅳ領域の用事には勇気を持って「ノー」と言うこと、これが第Ⅰ領域の仕事を処理しやすく効率的に対応できるようにする唯一の方法であることも知っている。

・二時からの役員会──午後二時からの役員会については、出席する役員に議題が知らされていない。

あるいは会議室に入ってから議事内容のプリントが配布されるのかもしれない。

これはなにも珍しいことではない。

しかし、これでは出席者は何の準備もできず、ろくに考えずその場で発言しなければならない。

このような会議はきちんと段取りできておらず、主として第Ⅰ領域の問題に議論が集中する。

しかも第Ⅰ領域の案件は緊急かつ重要でありながら、出席者はたいてい十分な情報を持っておらず、状況があやふやなまま議論が進むことになる。

当然ながら、会議はたいした成果の上がらない時間となり、担当役員の独りよがりだけで終わってしまうものである。

ほとんどの会議で、第Ⅱ領域に入る案件は「その他」に分類される。

「仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する」というパーキンソンの法則のとおり、「その他」の議題を話し合う時間が残ることはまずない。

時間が余ったとしても、第Ⅰ領域の案件で疲れ果ててしまっているから、「その他」を話し合う気力はほとんど残っていない。

そこであなたは、会議で第Ⅱ領域の議題をきちんと話し合えるようにするために、役員会をもっと効果的に進めるにはどうしたらよいか、会議の席で問題提起してみる。

発言の時間は数分しかないかもしれないが、午前中の一~二時間をその問題提起の準備に充てることもできるだろう。

次回の会議からは出席者が十分な準備をして臨めるようにすべきだと発言すれば、他の役員たちの注意を引くはずだ。

全員が有意義なかたちで会議に貢献するためにも、毎回の会議の目的を明確にし、議題を前もって知らせておくことの重要性を指摘する。

役員会の議長が最終的な議題を確認し、機械的に処理できる第Ⅰ領域の用件よりも、創造的な思考が求められる第Ⅱ領域の用件に時間を充てることも提案しておくとよいだろう。

さらに、議決内容とその実行期限を明記した議事録を会議終了後速やかに出席者に配ることも提案する。

そうしておけば、次回の会議からは必要に応じてこれらの懸案事項も議題に含まれ、しかるべき時間を割いて討議できるようになるだろう。

リストの一〇番「二時からの役員会」一つとっても、第Ⅱ領域のレンズを通して見れば、やるべきことは多いのだ。

主体的な人間でなければ行動は起こせないし、役員会の議題の準備をスケジュールに組み込むこと自体、果たして妥当なのかどうか検討してみる勇気も必要だ。

このような提案を発言し、会議の場を険悪なムードにしないようにする配慮も要るだろう。リストにある他の項目も、同じように第Ⅱ領域のレンズを通して見ることができる。ただし、食品医薬品局への電話はそうはいかないだろう。

・食品医薬品局の担当者への電話──食品医薬品局とのこれまでの関係を踏まえて、相手からどんなことを告げられても適切に対処できるように部下には任せず、自分で午前中に電話すべきだろう。

相手の組織は第Ⅰ領域中心で動いているのかもしれないしあなたを指名しているからだ。

あなたは役員として自社の組織文化に直接働きかけられる立場にあるとしても、あなたの影響の輪は食品医薬品局の組織文化に影響を与えるほど大きくはなっていないだろうから、相手の要求には従うべきだろう。

電話で告げられた問題がこれまで何度も発生した慢性的なものなら、第Ⅱ領域の考え方で再発防止策を検討する。

ここでも、食品医薬品局との関係を良くし、あるいは問題の再発を防止する対策をとる機会とするには、あなたが主体性を発揮しなければならない。

・本部長との昼食──本部長と昼食をとるのは、リラックスした雰囲気の中で長期的な視点から第Ⅱ領域の問題を話し合えるまたとない機会である。

これについても、午前中に三〇分~一時間ほどかけて準備できる。

あるいは何も準備せず先入観を持たずに、本部長との会話を楽しみ、相手の話をまず注意深く聴くことにするのもよいだろう。

どちらにするにしても、本部長との関係を良くする絶好の機会になる。

・メディア予算の策定──この二番目の項目については、メディア予算の策定に直接的に携わっている部下を二~三人呼び、あなたが承認のサインをすればよいところまで予算案を作成し、「完全なかたち」で提出するよう指示する。

あるいは、いくつかの案を練らせ、それぞれの選択肢で考えられる結果も添えて提出させ、その中からあなたが選ぶようにしてもよいだろう。

あなたが望む成果、ガイドライン、リソース、アカウンタビリティ、評価の結果を詳しく説明するには、たっぷり一時間はとる必要があるだろう。

しかし、この一時間を使うことによって、それぞれに異なる視点を持つ担当者の能力を引き出せる。

これまでにこのようにして仕事を任せたことがないなら、説明の時間はもっと必要かもしれない。

彼らに予算策定を任せるのはなぜか、「完全なかたち」とはどのくらいのレベルなのか、彼らがお互いの意見を出し合ってシナジーを創るにはどうしたらよいか、複数の選択肢を用意するには何が必要かなどを丁寧に話しておく。

・「未決箱」と「手紙の返事」──未決箱があふれかえっているのを見てすぐに手を出したくなっても、ここはぐっとこらえて、今後は未決箱の整理や手紙の処理を秘書に任せられるように、三〇分~一時間とって、やり方を教えるとよいだろう。

あなたの秘書が結果重視の考え方をしっかりと身につけるまで、トレーニングは数週間、場合によっては数ヵ月かかるかもしれない。

しかし多少時間がかかってもやり方を教えておけば、秘書が手紙類や未決箱の中身に目を通し、内容によって自分で処理できるものは処理するようになる。

判断のつかないものは優先度の高い順に並べ、あなたにしてほしいことをメモにして添付し持ってくるよう指示しておく。

こうすれば、数ヵ月のうちには手紙類や未決箱の八〇%~九〇%は秘書が処理するようになる。

あなたは第Ⅱ領域の活動に意識が向いていて、第Ⅰ領域の用事に忙殺されたくないのだから、この仕事は秘書に任せたほうがスムーズに運ぶだろう。

・先月の売上高について販売部長と話し合う──四番目の項目も第Ⅱ領域のレンズを通して見ることができる。

話し合いに臨むにあたってはまず、販売部長とのこれまでの関係は第Ⅱ領域の考え方を土台にしていたか、お互いに合意した売上目標が第Ⅱ領域重視で設定されているかどうかをよく考えてみる必要がある。

販売部長と話し合う内容についてはリストに何も書いていないが、第Ⅰ領域の問題だとするなら、その緊急の問題を片づけて終わりにせず、第Ⅱ領域のアプローチで問題の慢性的な原因に働きかけることができる。

秘書を教育しておいて、あなたが関与する必要のない用件は秘書のところで処理してもらい、あなたが本当に知っておかなければならない用件だけが上がってくるようにすれば理想的である。

そのためには、販売部長をはじめ、あなたに報告義務のある部下たちに第Ⅱ領域の活動の重要性をよく説明し、あなたの職務はマネジメントではなくリーダーシップであることを理解させなくてはならない。

そうすれば部下たちも、あなたを煩わせずに秘書とやりとりしたほうが問題を速やかに解決できることがわかってくるし、あなたのほうも、第Ⅱ領域のリーダーシップの仕事に時間を割けるようになる。

まず秘書に話を持っていくようにと販売部長に指示したら、販売部長が気を悪くするのではないかと心配ならば、第Ⅱ領域重視の考え方がお互いのためになることをよくわかってもらえるように、まずは販売部長との信頼関係を築くことから始める必要があるだろう。

・医療雑誌に目を通す──医療雑誌を読むのは第Ⅱ領域に入る活動であり、ついつい後まわしにしたくなる。

しかし長い目で見れば、専門誌から最新の情報を仕入れていてこそ、役員という職責を果たす能力や自信を保てるのである。

そこでたとえば、部下との会議の席で、医療雑誌を手分けして読むことを提案してみる。

複数の雑誌を分担して読み、要点を会議で発表するシステムを確立するのである。

さらに、全員が読んでおくべき重要な記事や論文はコピーして配ることもできるだろう。

・来月に予定されている販売会議の準備──七番目の項目に第Ⅱ領域重視の姿勢で臨むには、たとえばあなたの部下を何人か集め、セールス・パーソンのニーズを徹底的に分析するよう指示し、一週間か一〇日をめどに提案事項を完全なかたちにまとめて提出させる。

そうすればあなた自身が部下の提案書を読み、販売会議でプレゼンテーションできるように手を加える時間もできる。

あなたの部下たちは、提案書を作成するためにセールス・パーソン一人ひとりから不安やニーズを聴き出さなくてはならないだろうし、あるいは販売部門に会議の議事内容の原案を見せ、予定している議題が適切かどうか判断してもらい、会議の前に時間的余裕を持って最終的な議事内容を送付することも必要になるかもしれない。

なにも販売会議をあなた一人で準備する必要はない。

さまざまな視点を持ち、販売活動の問題点も現場でよく知っている部下たちに任せることができる。

彼らがお互いに建設的かつ創造的に話し合い、提案書を作成してあなたのところに持ってくるまで待っていればいいのである。

部下たちがこういう仕事に慣れていないのであれば、あなたも何度か彼らのミーティングに顔を出し、なぜこのようなアプローチをとるのか、このように仕事を任せることで彼らにどんなメリットがあるのかを説明し、教育するとよいだろう。

そうしているうちに、部下たちも長期的な視点に立ち、任された仕事を最後まで遂行する責任感が育ち、相互依存の関係を築いて力を合わせ、期限までに質の高い成果をあげられるようになるはずだ。

・製品Xと品質管理──最後に八番目の項目を見てみよう。

製品Xが品質検査に引っかかったというものだ。

第Ⅱ領域重視の姿勢で取り組むには、問題の原因が慢性的なものなのかどうか調査する。

もし慢性的な原因があるなら、解決策の提案書をまとめるよう指示する。

あるいは解決策をそのまま実施させ、結果を報告させてもよいだろう。

第Ⅱ領域に重点をおいて一日のスケジュールを立てると、あなたの時間のほとんどは、部下に仕事を任せ、教育し、役員会の準備をし、電話を一本かけ、生産的な昼食会に充てることになる。

PCを長期的に育てるアプローチをとることによって、可能なら数週間で、長くても数ヵ月のうちには、第Ⅰ領域の用件ばかりをスケジューリングするような状態は解消するだろう。

付録Bをここまで読んできて、こんなのは理想論だと思っているかもしれないし、第Ⅱ領域を重視しても、第Ⅰ領域の仕事がなくなるわけがないと疑っているかもしれない。

たしかに、これが理想であることは認めよう。

しかしこの「7つの習慣」の目的は、効果の上がらない人生を生きる人の習慣ではなく、効果的な人生を生きる人の習慣を紹介することであり、効果的に生きるというのは、理想的な生き方を目指すことに他ならない。

もちろん、第Ⅰ領域に時間を割かなくてはならないこともある。

第Ⅱ領域を重視して最善のスケジュールを組んでも、そのとおりに実行できないことはあるだろう。

だが、第Ⅰ領域の仕事を短時間で処理できる程度に減らすことならできる。

第Ⅰ領域の緊急の仕事に一日中追いまくられて、体調を崩したり判断力が鈍ったりする心配はなくなる。

第Ⅱ領域重視のアプローチを実践するには相当な根気が必要となる。

最初に挙げたような一〇個の項目のすべてを今すぐに第Ⅱ領域のレンズで見て対応するのは難しいかもしれない。

しかし、その中の一つでも二つでもいいから、まずは取り組んで、あなただけでなく部下や同僚にも第Ⅱ領域のマインドセットを培っていけば、やがて大きな成果が表れるはずだ。

家族経営の会社や小規模な会社では、このようなデリゲーションは難しいかもしれない。

だからといって、第Ⅱ領域のマインドセットが不要なわけではない。

第Ⅱ領域を重視する意識を持って仕事を続けていれば、あなた自身の影響の輪の中で第Ⅰ領域の緊急かつ重要な用件を創造的な方法で減らせるようになるのであ

る。

問題解決のための索引

この索引の目的は、深く根づいた問題を手っ取り早く解決する「応急処置」を見つけることではない。

本書の中でこれらの問題を具体的に述べている箇所を参照し、深く洞察して、前向きに取り組んでいただきたい。

ここに挙げられているページは、『7つの習慣』の全体的、統合的なアプローチの一部であるから、個別にとらえるのではなく、全体の流れの中で理解し、実践して初めて効果がある。

個人の効果性◉成長と変化▶自分の人生に本当に変化を起こせるのか?見方を変えれば、自分のあり方も変わるあなたを押しとどめている引力「あなた」から「私」へ、そして「私たち」へ自分を変えるときの相棒「変化の扉」を開く主体的に自分を変えるあなた自身の第一創造者となる頭を使いなさい上向きに進む▶変化が定着しない不変の中心をつくる▶悪い脚本に従って生きてきた脚本を書き直す【1】脚本を書き直す【2】新しい脚本を他者に渡す▶「変わるといっても、難しい!」意志の力「イエス」と言うべきとき、「ノー」と言うために必要なもの▶自分自身以外のものになろうとしている根のない木に実はつかない【1】根のない木に実はつかない【2】絵空事▶目標を立てたらそれで燃え尽きてしまう自制心を持つ目標は自分のミッションと役割から生まれる週単位の実行◉セルフ・リーダーシップ

v▶他者の脚本を書く認知力の影響の大きさ他者を映す鏡その人の本当の姿を映してあげる▶無条件に愛する愛の法則と人生の法則▶「でも聴き方ならわかっている!」本当に聴いている?▶コミュニケーションが感情的になってしまう自分が話すよりも相手の話を聴く◉職場の人間関係▶上司が独裁的持ちたければ、まずは「なる」主体的な使い走りになる▶同僚の妬みに対処する主体性──鍵▶仕事の内容が不確かだったら「でも言われたとおりにやりました」▶上司とうまくいかない効果的なプレゼンテーションをする職場の難しい人間関係に対処する相手と向き合う経営陣が変化に抵抗する主体的な使い走りになる結果にフォーカスする▶上司にビクビクしている金を稼ぐ能力──もっとも重要な金銭的資産▶職を得るためには「RとI」を使う組織の効果性◉質の高い組織をつくる組織のPC二度測って一度で切る組織のミッション・ステートメントを書く職場でシナジーを生み出す全面的なデリゲーション──結果にフォーカスするトップ層の人間関係―鍵

愛の法則と人生の法則第6の習慣:シナジーを創り出す▶コミュニケーションがとれない「老婆」を見る努力をする信頼口座に預け入れをする第5の習慣:まず理解に徹し、そして理解されるシナジーとコミュニケーション▶協力しあえない協力、コミュニケーション、信頼▶他者に影響を与える「心の奥底を探ってみれば……」持ちたければ、まずは「なる」人間のPとPC影響の輪の中で努力する信頼口座に預け入れをするWinWinのコミュニケーションを開く影響を与える鍵他者に影響を与えるには、あなた自身が影響を受けなくてはならないWinWinに到達できないなら「NoDeal(今回は取引しない)」──選択肢を残すすべての決定がWinWinである必要はない競争には競争に適した場所がある▶どうしても「相容れない」違い裁判に持ち込む必要はない▶信頼関係がない信頼口座に預け入れをする▶強固な関係を築く持ちたければ、まずは「なる」不変の中心をつくる強固な関係を築くためのツール信頼口座に預け入れをする人間関係──WinWinの鍵原子力委員会の結束社会・情緒的側面の再新再生▶壊れた人間関係を修復する信頼口座に預け入れをする▶WinLoseしか考えない人にWinWinで対処するWinLoseに対処する──WinWinの試金石

▶子どもが自尊心を持てない子どもに対する見方を変える分かち合うことの前に自分で所有することを教える社会通念の鏡に映るもの第5の習慣:まず理解に徹し、そして理解される他者を映す鏡▶わが子を理解できない第5の習慣:まず理解に徹し、そして理解される▶子どものやる気を引き出す「緑色できれい」▶子どもがコミュニケーションをとらない聴き方を学ぶ◉他者との人間関係▶良い人間関係を築けない根のない木に実はならない「あなた」から「私」へ、そして「私たち」へ信頼口座に預け入れをする▶他者を理解できない第5の習慣:まず理解に徹し、そして理解される▶他者から理解してもらえないそして理解される▶他者に抱く悪感情、非難したり責めたりしたい気持ちを抑える他者に依存する反応自分の言葉に耳を傾けてみる悪感情は生き埋めにされている豊かさマインドを持つ▶どうしてもWinWinの行動ができないWinWinの手本になる人を見つける▶フィードバックしたいけれども、相手を傷つけてしまうかもしれない勇気と思いやり:バランスをとる▶違いに対処する二人が違う見方をしていても、二人とも正しいスターウォーズかけている眼鏡が違えば見え方も違う違いは頭の中にあるある人のミッションは別の人にとっては些細なことかもしれない第5の習慣:まず理解に徹し、そして理解される「でも言われたとおりにやりました」

何かをさせるのに「お願いする」のではなく、それをするための力を与える子どもが幼いからといって必要以上に指図する親信頼口座に預け入れをする第5の習慣:まず理解に徹し、そして理解される▶子どもの主体性を育てるガチョウを養いながら黄金の卵を得る「緑色できれい」▶子どもとWinWinの関係を築く「NoDeal(今回は取引しない)」──選択肢を残す運転する権利──WinWinの機会▶子どもの責任感を育てるガチョウを養いながら黄金の卵を得る「緑色できれい」WinWinの関係を築く「お母さんが早く起こしてくれないから……」子どもを促す:「RとIを使いなさい」▶子どもとの関係を築くにはスターウォーズ主体性:三〇日間テスト信頼口座に預け入れをする第5の習慣:まず理解に徹し、そして理解される▶自分のやり方が親子関係に悪影響を与えている親としての誠実さよりも親はこうあるべきだという「イメージ」のほうが先行する子どもが幼いからといって必要以上に指図する親ガチョウを養いながら黄金の卵を得る過剰反応の脚本を書き直す一方が勝ち他方が負けなら、両方とも負け▶子どもと自分の考え方が違う「貸したくない!」スターウォーズ「反抗的な」息子に対処する第5の習慣:理解してから理解される▶子どもが学校でうまくいかない自分がどんなレンズを通して物事を見ているか考える▶わが子を見ると、自分は失敗者だと思ってしまう子どもの行動を自分の姿を映す社会通念の鏡にする親としての誠実さよりも親はこうあるべきだという「イメージ」のほうが先行する家族中心

▶関係が悪化している/壊れてしまった黄金の卵が欲しいばっかりにガチョウを殺してしまったら信頼口座に預け入れをする▶自分の幸福は夫・妻に左右されている配偶者中心▶お互いの違いに対処する夫・妻中心の生き方なら第5の習慣:まず理解に徹し、そして理解される第6の習慣:シナジーを創り出すフリジデア社の製品へのこだわり▶信頼関係が築けていない信頼口座に預け入れをする▶「そうはいっても、顔を合わせる時間もない!」一対一で話す時間をつくる一緒に過ごす時間をつくる▶コミュニケーションがとれないコミュニケーション、協力、シナジー徹底的に話し合う時間を持つ▶お互いの「罪」を暴きあってしまう敵中心ネガティブなシナジー◉子育て▶子どもの悪さに過剰反応してしまう新しい脚本を書く家族中心視点を変えてみる間違いをしてしまったら▶親としての自分を好きになれない自分の脚本を書き直す視点を変えてみる不安に思っていることをロールプレーイングする▶自分や夫・妻が精神的に未熟だ変わることを嫌がる親としての誠実さよりも親はこうあるべきだという「イメージ」のほうが先行する▶子どもに好かれたい家族中心黄金の卵をほしがる▶子どもに影響を与える

▶間違いをしてしまったら棒の反対側も持ち上がる間違いをしたらすぐに謝る人間関係における効果性◉家族▶家族の絆を強くしたい管理のパラダイムにとらわれている親家族のミッション・ステートメントを書く「力の場の分析」を応用するルーツと翼▶「そうはいっても、家族と過ごす時間がない!」第2の習慣:終わりを思い描くことから始める第3の習慣:最優先事項を優先する一人の個人と大勢、どっちが大事なのか?一対一で話す時間をつくる一緒に過ごす時間をつくる▶家庭の雰囲気が良くない管理のパラダイムにとらわれている親雰囲気を変える流れを変える人になる▶自分の幸福は家族に左右されている家族中心◉結婚生活▶愛情を感じない夫・妻の短所を助長していないだろうか?持ちたいのなら、まずは「なる」奥さんを愛しなさい▶夫・妻が問題なら持ちたいのなら、まずは「なる」影響の輪の中で働きかける▶夫・妻に影響を与えるまずは自分が「ある」三〇日間テスト信頼口座に預け入れをする影響力を発揮するための鍵▶結婚生活に嫌気がさしている自立の名のもとに責任を放棄する

第3の習慣:最優先事項を優先する▶どうしても「ノー」と言えない「ノー」と言うために必要なもの▶もし逃げ出したくなったら娯楽中心次々と押し寄せる波をかわす◉バランスと心の平和を維持する▶何かで成功しても、それ以外のことすべてが犠牲になっているバランスのとれた成功に必要な揺るぎない中心役割と目標を明確にする時間管理の第四世代を活用する【1】時間管理の第四世代を活用する【2】▶家庭のニーズと仕事のニーズが衝突する自分の憲法をつくる優先順位をつける役割と目標を明確にする▶心の安定を得られない心の安定をもたらす源泉は何か?自分を好きになって初めて他者を好きになれる内的安定の源泉▶気分をコントロールする人間を人間たらしめているのは気分ではない自分の気分に振り回されないためには▶厳しい問題に対処する逆境をチャンスに変える自分から動くのか、動かされるのか自分の問題を明確にする:直接的、間接的にコントロールできる問題、コントロールできない問題▶決意する自分の人生のミッション・ステートメントを書くことの価値ポジティブシンキングでもうまくいかない現実を直視する▶成功した……しかしそのために自分自身を押し殺している効果性はバランスにある第7の習慣:刃を研ぐ▶自分は不幸だと思う幸福とは?「持つ」と「ある」自分自身の幸福に責任を持つ

▶自分の生き方が効果的かどうかわからないそもそも「効果性」とは何か?「本当に忙しいんだ」―だから?▶「成功」しているのに惨めな気分だ真の成功と表面的な成功絵空事アウトサイド・イン「成功の梯子」が間違った壁に掛かっていたら▶何をやっても結果に結びつかないインサイド・アウト▶上辺を取り繕って生きている自分を偽る生き方を続けていると▶揺るぎない中心がない灯台を動かすことはできない「原則中心」の生き方▶人生の目的や意味を見出せない逆境を乗り越える第2の習慣:終わりを思い描くことから始める自己を超えてルーツと翼状況や周囲の人たちに振り回されている気がする自分を変えるときの相棒第1の習慣:主体的である第2の習慣:終わりを思い描くことから始める第3の習慣:最優先事項を優先する▶自分の脚本を理解するわずか10秒の体験の威力第1の習慣:主体的である第2の習慣:終わりを思い描くことから始める再び、インサイド・アウト付録A:さまざまな中心から生まれるものの見方◉セルフ・マネジメント▶システムがうまく機能しない「効率性」が答えではないこともある時間管理の四つの世代第Ⅱ領域──新世代▶本当に重要なことを見失う第2の習慣:終わりを思い描くことから始める

▶業界誌に目を通す医療雑誌に目を通す▶予算メディア予算の策定▶無責任なスタッフ問題は「彼ら」なのか、「私」なのか?スタッフを得意客と同じように扱う「でも言われたとおりにやりました」▶職場の人間関係がぎくしゃくしている第Ⅱ領域にかける時間を5%から20%にする悪感情は生き埋めにされている▶創造性や革新性の欠如全面的なデリゲーション──最高の力を引き出す第4の習慣:WinWinを考える第6の習慣:シナジーを創り出す▶信頼関係の度合いが低い組織文化を改善する信頼関係の度合いが高い組織文化の価値信頼を制度化する信頼口座に預け入れをする第4の習慣:WinWinを考える▶WinWinに到達できない「NoDeal(今回は取引しない)」──選択肢を残すすべての決定がWinWinである必要はない競争には競争に適した場所がある▶コストがかさむうえに時間を浪費するだけの研修プログラムセルフ・コントロール型研修と結果重視▶やる気のないスタッフ「緑色できれい」WinWinのマネジメント・トレーニングWinWinの実行協定▶監督しなければならない部下が多すぎるWinWinの実行協定で管理の幅を広げる販売部長──デリゲーションできる仕事は何か▶厳しい交渉局面もっとも実現性の高い選択肢──WinWin「NoDeal(今回は取引しない)」──実現性の高い選択肢「まずはお客様のほうで納得のいくように契約書を書いていただけますか」裁判に持ち込む必要はない

▶勤務評定の問題自己評価させる育ってほしい花に水をやる

訳者あとがき『7つの習慣成功には原則にあった!』を一九九六年に発刊してから一七年、原典に忠実に訳し直した『完訳7つの習慣人格主義の回復』を二〇一三年に発刊しました。

完訳に取り組んだ背景には、二〇一二年七月一六日に永眠したスティーブン・R・コヴィー博士の真意を、一人でも多くの方々にお伝えしたいという想いからです。

ポイントは副題からもわかるように、コヴィー博士が『7つの習慣』の中でもっとも言いたかったこと、「個性主義」ではなく「人格主義」のパラダイムを持つことを再確認し強調したことです。

スキルやテクニックも重要ですが、言行一致という誠実さを持ち、人として成熟し、欠乏ではなく豊かさマインドを兼ね備えた人格の上に立つスキル・テクニックでなければ、効果的な人生にとって意味はありませんし、長期的に望む結果を得続けることはできません。

この新しい『完訳7つの習慣人格主義の回復』を手に取ることよって、多くの人が本当の意味での持つべき「人格」に気づき、生きる勇気をもらい、新たな気づきを得ることで螺旋状の階段をまた一歩登って成長し、仕事でもプライベートでも他者の才能を見出し、より大きな成果を生み出すことが可能になると確信しています。

また、コヴィー博士の『7つの習慣』は、フランクリン・コヴィー社によってワールドワイドでビジネスや教育の分野で研修プログラムとしても展開しています。

『7つの習慣』は個人としての効果性はもちろんのこと、組織においても「個人の主体性に基づくWin―Winの人間関係づくり」や「シナジーを生み出す組織文化の構築」に大変有効な考え方です。

原則に基づいたチームビルディングや戦略実行こそが、コンプライアンスを担保しつつ成果を上げ続けることを可能にします。

私たちは、辛いとき、うまくいかないときには、常にコヴィー博士の『7つの習慣』に立ち返っています。

読者の皆様においても、本書を読み込まれることで、長期的に望む結果を得続けられることを祈念しております。

フランクリン・コヴィー・ジャパン株式会社二〇一八年八月吉日

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