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第1章 整理

目次

1私たちは、なぜ「整理」をする必要があるのか?

翌日の朝、開店前に全体朝礼が行われた。以前は毎日のように全体朝礼をやっていたものの、最近は忙しさにかまけて集まることをしておらず、そのことを指摘する人もいなかった。

だから、久しぶりの朝礼に誰もが驚いていた。朝礼をやるように言ったのは、エリカだった。そこで自分のことを紹介しろと三浦店長に求め、渋々応じた格好だった。

20人弱の店員が1Fのフロア中央に集まっているが、静寂に包まれている。店員同士での会話はあまり無いようだ。全員の前で店長に紹介されたエリカは、周囲を見渡しながらゆっくりと話し始める。

「これからこのお店で5Sを推進していくことになった上条エリカです。どうぞよろしく。私の指示は北林社長からの指示だと思ってしっかり聞いてくださいね」

エリカがそう言い切ったとたん、スタッフの表情は強張っていった。そして、三浦店長はただ黙って俯くだけだった。竹刀こそ手に持ってはいないものの、その威圧感に誰もが圧倒されていたのだ。

「まず3Fのコミックエリアから進めていく」ということが告げられたあと、各自が静かに重い足取りで持ち場についていった。

10時の開店までにやることが山のようにある。本や雑誌、コミックは毎日数百点もの新刊が発売されている。それを受け入れ、陳列していくのも書店員の重要な仕事だ。開店前までは、いつもその対応に追われてしまう。

エリカは開店後も3Fのフロアをウロウロしながら、棚の様子や店員の対応を見続けていた。そして14時過ぎになり、神木竜太が遅めの昼食をとるためバックヤードに入った時に、エリカが近づいてきた。

「やっと座れるよぉ。ああ忙しいなぁ、まったく」「お疲れ様。アナタの仕事ぶりを数時間見させてもらったわ」「ああ、上条さん。どうでしたか、僕。頑張ってますよね」「頑張ってる?何を言ってるのアナタは。たかだか3人くらいのお客様でレジ待ちの時間が長いし、問い合わせの電話対応も長い。帰り際に不満げな顔をしているお客様が何人もいたわよ」

「え、それ、僕のせいですか?さっきだって『少年が敵を倒すマンガありますかー』とか聞かれて対応に困って時間取られちゃいましたよ。敵を倒すのばっかりじゃないですか、少年マンガって」「そんな個別の話をしているんじゃないわ。全体を通してアナタの動きにはいちいちムダが多すぎるのよ」

「ムダが多い……ですか」「そうよ。使わないモノをいちいち動かして作業していたり、使いたいモノを探し歩いたり、欲しい情報が見つからなければ周囲に聞いて探し回ったり。とにかくムダな動きが多い

「ま、まあ、言われてみればそんな動きもしてたかも知れませんね。……でも、そんなの誰しも一緒じゃないんでしょうか」「はあ?アナタ、バカ?忙しい忙しいって言いながら、中身をよく見たらムダな動きばっかりしているのよ。このままでいいはずがないでしょうが」

「じゃ、じゃあ僕は何をしたらいいんですか?」「そんなダメ人間のアナタも含めて、多くの人が一番初めに取り掛かるべきは、〝整理〟なのよ」「(ダメ人間って……ひどいなぁ……)整理って、あの整理ですか」

「そう、5Sの1つ目のS、整理よ。整理が不足していることで多くのムダな労力を生むから、まずはその大きなムダをなくす必要があるの」「え、整理って要は片づけりゃいいんですよね」エリカが神木をキッと睨みつける。ふう、と1つため息をついてからスゥと息を吸い込む音が聞こえる。その瞬間だった。

「片づけりゃいいとか言ってんじゃないわよ!」エリカがひときわ鋭い声で神木を刺した。圧倒された神木は、聞こえないくらいの声で「すいません」と返すのが精いっぱいだった。

エリカが置いてあったペットボトルのミネラルウォーターを口にする。また1つ、ため息をついてから話し始めた。

5Sでいう整理っていうのは、不要なモノを捨ててモノの数を絞ることを指すのよ」「不要なモノを捨ててモノの数を絞る……。え、モノをキレイに並べればいいと思ってました。小学校でもそう習った気がしますけど」「キレイに並べる?アナタが言ってるのはただの整列よ。整列ってのはモノの並べ直し、積み直しのこと。つまり、不要なモノを捨てずに並べ直すだけなのよ」「整列は並べ直すこと……」

整理は不要なモノを捨てて〝モノの数を絞る〟こと。だから整理と整列は全く別物なのよ」「でも、あの、捨てないとダメなんでしょうか?僕、モノ持ちが良くって、一度手にしたモノを捨てるのが苦手なんですよね。家にもフィギュアとかたくさん並んでるし……」

「捨てなきゃダメよ。だって最初にモノが溢れていたら、動くスペースが限られちゃうでしょ。職場ってのは仕事をするスペースであり、モノを置く場所じゃないの。だから、仕事をするスペースをしっかり確保しなければならないの」「職場はモノを置く場所じゃない……ですか」「そう。それによ、そもそもこれから捨てるモノをキレイに並べたところで何の意味があるのよ」「確かに、そうか。

じゃ、じゃあ、動くスペースが限られないように何か新しい棚を用意するってのはダメなんですか?」「ダメダメ。入るところが無いから新しいスペースを作りゃいいっていう発想は危険よ」

「どうしてですか?」「現状のスペースですらしっかり管理できていないのに棚を増やしたところで同じようにモノが増えていくだけよ。まず整理して不要なモノを捨ててから考えるべきなの」「なるほど、理屈は分かりました。でもできるのかな、そんなこと……」神木は大きなため息を漏らしてから、午後の仕事に向かっていった。

●整列と整理は違う

神木くんもそうだけど、整理と整列をごっちゃに考えている人が多すぎるわ。単にモノを並べ直したり積み直したりするのは整列よ。5Sの最初のSは「整理」なの。

整理というのは、まず要るモノと要らないモノを区別すること。そして要らないモノを処分していくこと。整列とは全然違う行為だから、そこは気をつけるようにね。

2まずは不要なものを減らしなさい

翌日の午前中、神木は相変わらず探しものを続けていた。その様子を、エリカはフロアの片隅でじっと見ていた。また休憩時間になると、エリカが話しかけてくる。

「お疲れ様。アナタ、手の甲が汚いけど、何か書いてあるの?」神木は左手の甲を差し出して返す。「ああ、これですか。ちょっとしたメモです」エリカは神木の左手を掴むと、グッと自分の顔に近づける。「痛っ」神木の左手首が、曲がってはいけない方向に曲がりそうになる。

「なになに、『間違った子を魔法少女にしたい』?何やってんのアナタ、気味わるいっ!」そう言って神木の左手を放り投げると、神木は「いや、これ、本のタイトルですよ……注文を受けた本のタイトルを忘れないように書いているんですって」と言い訳をした。

「メモ帳とか持ちなさいよ」と言ってくるエリカに対しても、「いやぁ、面倒くさいのでつい。この間も手の甲に『ド変態仮面』って書いてて、帰りに寄ったラーメン屋で隣の客に変な目で見られましたよ」と自虐的に笑いながら返す。

エリカはクスリともせずに「そんなことはいいから、昨日の話の続きをするわよ」と言って腕を組んだ。

「整理の理屈は理解したわよね」「ええ、まあ。でもどうやって実際にやればいいんですか?捨てるって言ったって、何から手をつけていいのか分からないですよ、正直」「じゃあ、やってみようかしら。アナタが今座っている席の周りに、いろんなモノが置いてあるわよね。そのモノの中で、まず要るものと要らないものを区別するのよ」

「要るものと要らないものを区別する、ですか。例えばこのペンは要るけど、この弁当のゴミは要らない、とかですか」「そうよ。簡単でしょう。それを自分の活動範囲すべてでやるのよ」

「え、でも要らないってのは具体的にどういうものですか?弁当のゴミは明らかに要らないですけど、そこに立てかけてあるパネルは時期こそ過ぎましたけどまた使うかも知れないし」「あのミニスカートの娘が描かれたパネル?」「ええ、前に売れてたマンガの販促用のパネルです。今は売れ行きも落ち着いたので展開してないんですけど」

要らないものっていうのは、例えば故障したり壊れたりして使えないもの。それから、捨ててはいないけど今は使っていないものよ」「使っていないもの……。じゃああのパネルも捨てるんですね」「そうよ。そういった不用品は撤去して、スペースの有効活用を図るのよ。そのうえで、今の仕事に必要なものを最適に管理していくのよ」

「分かりました」と言いながら、神木はフロアに戻っていった。この日はアルバイトの子が休んでしまったために人手が足りず、あまり休憩時間を取ることができないようだった。

神木はこの日、朝からずっと気になっていたことがあった。フロアの隅でずっとマンガ雑誌を座り読みしている高校生がいた。

最近のコミックはシュリンカーという機械を使ってビニールでカバーされているため、立ち読みをすることができないが、マンガ雑誌は読めるようになっている。

そのためか、学校をサボった高校生が朝から雑誌を立ち読みしにくることが多いのだが、今朝からいた高校生は完全に座ってしまっているのだ。

本来は注意しなければならないものの、逆ギレされたり厄介なことになったりするのは嫌だったので、神木は見て見ぬふりをすることにした。

この日はコミックの入れ替えをしようとしており、その作業の途中だった。動きの少なくなったコミックを引き上げた平台に向かうと、そこにはおばあちゃんが座っていた。

近くでは孫と思しき子供がコミックを探している。どうやら孫と一緒に来店したものの疲れて座ってしまったようだ。

神木はまたしても見て見ぬふりをしながら「もう、皆して座ってばかり……困ったなぁ……」とこぼした。傍から見ると、無法地帯のような状態である。夕方になり、エリカは神木をじっと見ていた。

神木はレジの横にある端末で、キーボードを叩きながら何やら悪戦苦闘していた。休憩時間になったところで、エリカの指摘がはじまる。

「アナタさあ、さっきパソコンで何を探していたのよ?」「ああ、他店からメールが来ていたはずなんですが、どこに行ったのか分からなくなって」「そうこうしている間にも、座りこむ客が増殖して売場がカオスだったわよ」「まあ、座っちゃう人は前から結構いますから」

「そうかしらね。あと、昨日言っていた捨てるって話の補足だけれども、モノだけじゃないわよ。情報も整理の対象なの」「情報、ですか」「そう、アナタが見ていたパソコンの中の情報もそう。引き出しの情報やファイルの情報、壁に掲示されている情報なんかも整理の対象なの。

だから、どんどん捨てることを考えなきゃいけないの」「やっぱり捨てるってことですか」「そう。整理においてなにより重要なのが、捨てること。古いものを捨てないと、新しいものは入ってこないのよ」「まあ書店の棚もそうですもんね。さっきもコミックの入れ替えをしてましたけど」

新しいものを入れるためには、古いものを出すこと。それから入れる量を調節することも重要になるわ」「捨てる、捨てる、捨てる……」神木は自分に言い聞かせるように、「捨てる」という言葉を繰り返し始めた。

捨てることが本当に苦手のようだ。そんな神木を見ているのかいないのか、エリカは言葉を続けた。

最終的に、その日の仕事が終わったら何も残らないようになるのが理想ね。それぐらい、身の回りには余計なものがないということ」「なるほど。

今日の仕事が終わったら上条さんもいなくなったりしないかなぁ」「アナタ、今何て言った?」「あ、いや、聞こえました?やべ」エリカは竹刀を持つような手振りを見せ、右手を前方に出し、神木のおでこに人差し指を向けた。

「次に竹刀を持っていたら、確実に突くわよ」神木はまたしても消えそうな言葉で「すいません」と口にした。

●「捨てる」ことが第一歩

5Sの整理で一番初めに取り掛かるのが、「捨てる」ということよ。初めの段階でモノが溢れていると、この後の動きが鈍ってしまうのよ。

それに、これから捨てるモノをキレイに並べたり、キレイに磨いたりしても意味がないの。だから、「まず捨てる」ということが大事なのよ。

日本人は収納好きだからモノが増えたら収納を増やすという発想をしがちだけど、これも危険な考え方よ。

そうすると収納スペースばかりが増えてしまうから、本当に必要なモノだけを収納するためにも、まずは捨てるという発想を最初にするべきなの。

パソコンの中などの「情報」も整理の対象だから覚えておくように。

3捨てるものの基準を決めなさい

2日後、エリカは朝から腹を立てていた。

「全然捨てられていないじゃない。アイツ、本当に竹刀で突いてやろうかしら」3Fのフロアを見渡しながら、苛立ちを隠せずにいる。しかも神木は、今日も遅れていた。

「おはようございまーす」と気だるそうな神木の声がすると同時に、バックヤードに神木の姿が見えた。「遅いわよ、アナタ」エリカは苛立ちながら神木に言葉を投げる。

「そんなことより、一昨日、私が言ったことが何もできてないじゃない。何なの?」「いやぁ、捨てようと思ったんですけど、なかなかできなくて」神木は言いながら頭を掻いた。

エリカは資料の束を掴んで言い返す。

「じゃあ、これはなんで捨てないの?」神木は資料の束に目をやり、「ああ、それはいつか使うかもしれないんですよ」と答える。

腕を組んだエリカは、大きくため息をついた。

「アナタねえ。『いつか使う』っていう言葉、もう二度と使うんじゃないわよ」「えええ。でも……。捨てるのはもったいないですから、とりあえず置いておきましょうよ」

「『もったいない』も禁止。『とりあえず』も禁止よ」「禁止ばっかりじゃないですか」「アナタがそんなクソみたいな言葉を普段から口にしすぎだってことよ」

「クソって……。でも上条さん、正直本当に困ることがあります。店長に『ここにあった資料はどうした?』って聞かれて『捨てました』なんていったら怒られるのは僕じゃないですか。

変に責められるのも嫌ですから、取っておきたいんですよ」「ふん、くだらないわね」「くだらないって……」「一度処分したものを使う機会が出てきたとしたら、そんなのは〝たまたま〟よ。たまたまのために場所を確保しておくなんてムダでしかないの」「もう一度使うことのほうが少ないってことですか?」

「そうよ。圧倒的にね。あと、捨てる時に『要らない気がする』なんて曖昧な理由で捨てるのもダメよ。整理には曖昧さが敵なの。機械的に捨てられるようなルールを定めなさい

「ルール?」「そうよ。整理で重要なのは、整理するためのルールを作ること。ものを捨てる時に、後先考えずに捨ててしまうのではなく、ものの優先順位をつけたうえで捨てるの」「でもルールを決めるのも大変そうだなぁ」「まあそうね。ここで鍛えられるのが決断力よ。ルールを自ら作っていくことで、自分で考えて決める力が身に付くというわけ。

こういう判断は何度か繰り返すうちに、気がつけば日々の仕事にも応用できるようになっているはずよ」「人に聞かないといけないものも出てきますよね、きっと」「そうよ。

周囲の人と『これは要るか』『要らないか』といった相談をすることになるから、自然と会話をする時間もできてコミュニケーションも図れるというわけ」神木は腕を組んだまま天井を見つめ、固まっていた。

「でも、具体的にどんな基準を考えて整理していけばいいんですかねえ?」エリカは呆れた顔をして神木を睨みつけながら言う。

「少しは自分で考えるってことをしなさいよ。この能無しめ。まあ、挙げるとしたら3つかしら」神木は待ってましたとばかりにメモを取りだした。

エリカはそれを横目で見ながら喋りはじめる。

「1つ目は、何を捨てるかではなく何を捨てないかで考える、ということ」「2つ目は、そのものの価値を考える、ということ」「3つ目は、自分を主語にして考える、ということ」

エリカは椅子に腰掛けながら、さらに口を開く。

1つ目は、捨てるものを考えるよりも捨てないもの、残しておきたいものを明確にすれば、どんどん捨てられるようになるって話よ」神木はメモを取りながらも口を動かした。

「2つ目の、〝そのものの価値〟ってどういうことですか?」エリカが答える。「仕事において、そのもの自体が持っているメリットとデメリットを比較して考えるのよ。メリットがなければ容赦なく捨てる」矢継ぎ早に神木が質問をしてきた。

「じゃあ、3つ目の、自分を主語にするっていうのは?」「そのもの自身がまだ使えるかどうかではなくて、『自分自身がそれを使うか使わないか』で考えるってことよ」エリカは答えると、あごで入り口のほうをさした。

見ると、アルバイトの女の子が顔を出している。「神木さん、レジお願いします」「ああ、ゴメン、すぐ行きまーす」神木はメモを閉じてフロアに出ていった。

それから数日が経った。

基準を示してあげたのが功を奏したのか、神木の周りでは少しずつ整理が進み始めた。ただ黙って進めていただけでなく、神木からの質問はその後も続いていた。そしてエリカは、その度に答えていった。

「上条さん、この文書は大事なものなんですけど原本が別にあるんです。こういう場合は?」「オリジナルの所在がはっきりしているなら、コピー文書は捨てなさいよ」「これ、オリジナルは無いんですがテンプレートを元に作った文書なんですけど」「再作成が容易な文書も廃棄。もしまた必要になったらその時に作りなおせばいいじゃない」「これ、保存期間が過ぎてるんですけど、捨ててもいいですか?」「当たり前じゃない。所定の保存期間が満了したものはさっさと廃棄しなさい」「この資料、バラバラで保管されているんですけど」「複数所在するものは1箇所にまとめて保管しなさいよ」そして、エリカも気づいたことがあると神木に質問を繰り返した。

「棚の奥にあったこの書類だけど、最近閲覧した?」「いえ、いつ見たか覚えてない書類ですね、これは」「過去半年間で一度も見ていないものは不要よ。捨てなさい」「このデスク周りにある文房具、使ってないモノも多いんじゃないの?」「文房具もですか。

確かに、使ってるモノと使ってないモノが混じってるような」「文房具は直近の1ヶ月で使ったかどうかが目安ね。1ヶ月以上使っていないなら捨てる。あと、同じものが4つ以上ある場合も3つまでに減らしなさいよ

※1ヶ月使っていないなら捨てる。4つあるなら1つ減らす。

「この名刺の束はなんなのよ」「ああ、出版社の営業さんとたくさん名刺交換をするんですよ」「名刺を保管しておくなんて、昭和の発想よ。アプリやスキャナでスキャンして、データを残してすぐに捨ててしまいなさい」こんなやり取りが日々繰り返されつつも、徐々に神木は整理を進めていった。

3Fのフロアを見ながらエリカは口角を持ち上げる。

「だいぶ整理されてきたんじゃないかしら。まだまだだけどね」額を拭う素振りを見せながら神木が答える。

「そうですか。いやぁ、でもさすがにもう面倒くさくなってきたなぁ」その言葉を聞いた途端、エリカの目つきが鋭くなった。

「ここでの取り組みが今後の5S活動のレベルを決めるのよ。しっかりやりなさい!」神木は首をすくめ、「す、すいません」と口にした。エリカは人差し指を伸ばし、神木の額に向けながら続ける。

「それからアナタ、自分だけで完結するんじゃなくて、このフロアのメンバーにも伝えていきなさいよ」神木は思わず目を丸くしながら「え、バイトの子たちにも、ですか」と言った。

エリカは腕を組み直して、「当たり前じゃない。単に広まっていくだけじゃなくて、教えることで自分自身にも学びになるものよ」と言うと、神木は素直に「分かりました」と答えるだけだった。

●基準に沿って捨てていく

その「捨てる」ということをしようとした場合に重要なのが「基準」よ。

明確な基準については自分たちの仕事に合わせて考えながら設定していくべきだけれども、例えば次のような3つのことを基準として決めてしまうのよ。

1つ目は、「何を捨てるかではなく『何を捨てないか』で考える」ということ。捨てるものを考えるよりも捨てないもの、残しておきたいものを明確にして、どんどん捨てるようにしなさい。

2つ目は、「『そのモノの価値』を考える」ということ。そのモノ自体が持っているメリットとデメリットを比較して考えるのよ。メリットがなければ容赦なく捨てるのよ。

3つ目は、「『自分を主語』にして考える」ということ。そのモノ自身がまだ使えるかどうかではなくて、「自分自身がそれを使うか使わないか」で考えるのよ。

1年以上も手に触れていないけど「いつか使うかも」なんてものは捨てるべきものの代表格よ。

決めた基準毎に色別のカードを用意して、それをそのモノに貼って分かるようにする、というのも1つの工夫よね。そんな工夫を積み重ねて、とにかく捨てていくのよ。

4どうしても捨てられない時にすべき3つのこと

東京は本格的な夏を迎え、日差しも強くなってきた。呉越書店にはここ数日、涼むためだけのお客様も増えてきているようだ。出勤してきたエリカも、思わず神木にぼやいてしまう。

「ああ、暑いわ。こんなに日差しが強いと焼けちゃうわよね、まったく」すると神木はTシャツの袖をまくって肩を出しながら言う。

「いや、僕たちは焼けませんよ。ずっと屋内ですから」エリカが扇子で自らを扇ぎながら「あら、そうなのね」と返した。神木はエプロンを着けながら続ける。

「勤続年数が長いと、どんどん色白になっていくそうですし。1Fの海保さんとか大ベテランですけど真っ白だもんなぁ。いや、あれは化粧が濃いせいかな?」「ほら、ブツブツ言ってないでもう行きなさいよ」エリカが促すと、神木は「はーい」と言ってフロアに向かった。

エリカの口調こそ相変わらずなものの、神木の仕事の様子は徐々に変わってきていた。探しものでウロウロすることも減り、レジでお客様を待たせることも減っていた。

時間に余裕が出てきたのか、空き時間にコミックの並べ替えをしたり、POPを書いたりするようにもなったのだ。

この日もPOPを書いているところをエリカに「それ、何してるの?」と話しかけられた。神木は喜々として答える。

「宣伝用のPOPですよ。前からこのマンガ、オススメしたかったんです。前にも誰かが作ったPOPが置いてあったんですけど、イマイチだなぁと思っていたので」

様々な色のペンを使って書いたPOPを完成させると、満足げな笑みを浮かべた。「神木さん、シュリンク入ります」アルバイトのスタッフが神木に声を掛けた。

神木は手を挙げて「あ、よろしく」と答えた。エリカが咄嗟に聞く。

「シュリンクって何なの?」神木は「見に行きますか」と行って立ち上がり、エリカを従えてバックヤードに向かった。

「コミックにビニール包装を施す作業です。あそこのシュリンカーっていう機械を使うんですよ」神木が人差し指を向けたところには1メートル四方のコンパクトな機械があり、横にはビニールがロール状に取り付けられていた。

「あのビニールを温風で圧着させるから、夏場のシュリンク作業は灼熱地獄なんですよね」と神木が説明する。しかし、エリカは眉をひそめていた。

「そんなことよりアナタ。あれは問題でしょう」2人が見ていると、シュリンカーの周辺に置かれたモノを、アルバイトスタッフがせっせとどけていた。

エリカは神木を睨みつけた。

「あのシュリンカーとやらの周りにあるモノを捨てなさいよ。整理できてないじゃない」「ここは前からアルバイトスタッフが管理してるんですけど、彼らにも整理が必要ってことですね」「だから広めなさいって言ってるじゃない」

「いや、説明はしたんですけど、それでも捨てられない人も多いと思うんですよ」「説明は聞いたけど捨てられない?フン。そんなの結局、自分で無意識にブレーキを掛けているだけなのよ」「ブレーキ、ですか」「ブレーキを掛けずに捨てられる方法として3つあるから、彼らに説明したらどうかしら」「はい。

ちょっと待ってください、メモを用意しますので」エリカが人差し指を立てて話し始める。

「まず1つ目は、『3分クリンナップ』よ」神木は「『3分クリンナップ』ですか。クッキングじゃないんですね」と笑いながら返すものの、エリカは華麗にスルーした。

場所や数を決めて、3分間でものを処分していくのよ。時間の制限を設けることで集中力が高まるというわけ」神木は真顔に戻り、「はい」と返事をしてからメモをする。

「それから2つ目が『ホワイトベース』よ」神木の顔が明るくなり「おお、ガンダムのアレですか!」と声を上げるが、エリカは表情を変えず「違うわよ、バカ。なにテンション上がってんのよ」と語気を強めた。

スッキリしない場所は、いったんすべてのものをどかして白紙の状態、つまり『まっさら』にしてしまうこと。そして、どかしたものは1ヶ月後にゴミとして出すなどルールを決めて捨ててしまうのよ」そうエリカが説明すると、またしても神木はすぐに真顔に戻り、「分かりました」と返す。

「そして3つ目が『整理DAY』よ」「最後はフツーですね」と神木が茶化してくるものの、エリカは冷たい眼差しを向けるだけだった。

「このフロアに整理DAY、つまり整理を重点的にする日を設けて、定期的な整理をするのよ。担当者を決めて、その日は巡回して整理するようにするの」エリカが言うと、神木は頷きながら答える。

「なるほど、そこまでやるものなんですね」神木がメモを書き終えるのを待って、エリカがゆっくりと続ける。

「ということでアナタ、整理責任者に任命するから」「え?責任者?と、言いますと?」「この店舗全体の整理の責任者よ。

まずは今日まで教えたことを各フロアにも展開していきなさい」「え?僕がですか?」「アナタに決まってるでしょ。なに間抜けヅラしてんのよ」「や、でも、他のフロアの人とかほとんど喋ったことないですよ」「これを機に喋ったらいいじゃない。そんな話も以前にしたわよね」「ああ……、はい」「私の名前を出してもいいから、フロア毎にじっくり〝整理とは何なのか〟を説明していきなさい。

すべて説明を終えた後でもし店舗全体の整理の状況が悪ければ、アナタに責任を求めることになるから、そのつもりでね」「ひいい。わ、分かりました」神木は首をすくめながらも、表情からは少しだけ自信が感じられた。数日後の夕方だった。

鼻歌交じりで嬉しそうに事務作業をしている神木に、エリカが話しかけた。

「どうしたのアナタ、気持ち悪い笑みを浮かべて」「気持ち悪いは余計ですよ。前にPOPを書いていたマンガの売れゆきが良いんですよ。自分の力で売れたのかと思うと嬉しくて。へへ」「へえ、それは良かったわね」そこへ、三浦店長が通りかかった。

店長は足を止め、首を伸ばして話しかけてくる。

「神木くん、聞いたよ。僕が書いたPOPより売れたんだってね」「え……、あの以前からあったPOPを書いたのって店長だったんですか!」驚く神木に対して店長は返事をすることなく、立ち去ってしまった。

神木は表情を強張らせる。

「こ、これは気まずいですね。店長のPOPより反応が良かったなんて」エリカは神木の肩をポンと叩き、「ま、売れたんだからいいじゃない」と言葉をかけた。

その時だった。ドアが開くとともに女性の声が飛び込んでくる。

「大変です!」「あれ、松井さん」1Fのフロアで文庫や絵本を担当している松井愛奈だということはすぐに分かった。

「神木くん。今、1Fで文庫を探している女性客のスカートの中をスマホで撮ろうとしてるっぽい怪しい人がいるの。

今1Fには女性スタッフしかいなくて、店長に言っても『何とかして』とか言われるし」松井は息を切らしながら言う。

神木はどうしていいか分からなくなったが、エリカがすぐに「アナタが行きなさいよ」と促した。神木は意を決して、「はい。……駆逐してやる!盗撮を」と言って1Fに向かっていった。

結局、神木は怪しい男の後をぴったりマークして謎の威圧感を発揮した。怪しい男は気持ち悪がって店を出ていき、無事に追い払うことに成功した。

松井は「神木くん、ありがとね。おかげで助かっちゃった。お礼に今度ゴハンをご馳走させてよ」と頬を赤らめながら神木に言った。

「ええ?!いいんですか!」神木は目を大きくさせながら喜んだ。そんな2人の様子を見ながら、エリカが口角を上げながらボソリと言った。「さて、次ね」

●整理の精度が5S活動の成果を決める

さっきから言ってるけど、このあとの整頓や清掃もそうだし普段の仕事もそうだし、とにかく作業スペースが必要になるの。

それは物理的なスペースもそうだけど、脳内のスペースという意味でも。

だから、そのスペースをしっかり確保するためにも「整理をどれだけ徹底できるか」というのが重要になってくるわ。ここで手を抜くと、他の作業にも影響を及ぼすから、気合いを入れてやりなさいよ。

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