チャプター1から3では、真実に対して起こる心のザワつきとはどういうものかを説明するとともに、「理解する」ということの難しさについて見ていく。
自分がフィードバックを与える側のときは、その内容を正しいと感じるのに、受けとる側に回ったときは、どうして間違っていると感じることが多いのか。
CHAPTER1感謝、指導、評価に分けて受けとめる
うららかな春の土曜日。双子のアニーとエルシーに、父親が公園でバッティングを教えている。
足の位置の調整の仕方や、水平を保ってバットを振るコツ、ボールから目を離さないコツを、実際にやって見せている。アニーは心から楽しんでいる。
刈りたての芝生の上で父親に指導してもらいながら、バットにボールが当たるたびにうまくなっていると実感している。
一方、エルシーは浮かない顔だ。フェンスにもたれかかっている彼女に、ボールに当てるコツを教えるからバッターボックスに立つようにと父親が優しく声をかけると、エルシーは父を睨みつけた。
「私のこと、言われたとおりにできないと思ってるんでしょ!いつも批判ばかり」「批判なんてしてないさ」父親は言い返す。「うまく打たせてやりたいだけだよ」「ほらね!」エルシーの叫び声が響く。
「やっぱり私はうまくないって思ってるじゃない!」バットを地面に叩きつけ、エルシーはグラウンドから去っていく。
■ひとりの父親に2種類の反応
父親は困惑している。同じように接しているつもりなのに、ふたりの娘の反応はまったく違う。ひとりは父親の教えを素直に受けとめ、それによって技術を磨き、自信をつけている。
もうひとりは、不満を抱えて自分の殻に閉じこもり、バッターボックスに立つことを拒み、コツを教えると言っただけで怒りだす始末だ。
父親のふたりに対する接し方に、違いは一切ない。同じ声の調子で、同じアドバイスを与えている。その様子を見ていれば、誰もが「同じ」と答えるだろう。
しかし、バッターボックスに立つ少女にとっては、明らかに違いがある。ふたりの娘には、父親の言葉が違って聞こえている。アニーにとって、父の言葉はど真ん中にきたボールだ。
しかし、エルシーにはデッドボールに感じられるのだ。誰かからフィードバックをもらうと、このように相反する解釈が生まれることがある。
アニーのように、感謝、熱意、やる気が生まれることもあれば、エルシーのように、傷つき、身構え、怒りを感じることもある。
フィードバックをもらった人の反応は、与える人の技量や言葉で決まるとは限らない。
むしろ、もらった相手が言葉をどのように受けとめるか、または、どんな種類のフィードバックとして受けとめるかで決まる。
■フィードバックは3タイプある
勤め先が吸収合併されたことに伴い、あなたは異動となり、率いていたチームは解体された。社内が混乱し、先行きが不透明ななか、あなたは前の会社から一緒の同僚たちと、会社帰りに通りの向かいのバーへ定期的に立ち寄るようになった。社内に起きている変化について、情報を交換するためだ。
ある日の夕方、あなたは、新しい上司のリックはフィードバックを一切しない、と同僚に話した。すると、ひとりが驚いた顔をして言った。
「昨日のミーティングで、君がチームにいて本当によかったと、みんなの前で話していたじゃないか。それで十分だろう。トロフィーでも欲しいのか?」リックがあなたに感謝しているのは間違いない。それは喜ばしい。
しかし、あなたは心のなかでこんなふうに思っている。「そういうことじゃない。マイアミ地域のマーケティング責任者だった僕が、環太平洋地域の製品キャンペーンの責任者を務めることになったんだぞ。環太平洋の意味すらよくわからないっていうのに」。
トロフィーもいいが、本当に必要なのは何らかのアドバイスなのだ。数週間後、同僚から調子はどうだと尋ねられた。まあまあだ、とあなたは答える。
「上司に、もっと具体的な指示が欲しいと話したんだ。おかげで、週に一度、仕事の進捗状況を報告したり、僕から質問したりする時間を設けるようになった。彼は本当に担当地域のことをよく知っているよ」。
同僚は羨ましそうに言う。
「つまり、上司は君に感謝し、仕事の指導もしてくれているというわけか。これでフィードバック問題はすっきりしたな」ところがそうではない。あなたにはもう一つ気がかりなことがある。会社が吸収されて以降、自分の立場に不安を感じているのだ。
肩書きや職務が重複する人がいるので、社内には絶えず人員削減の噂がある。「僕は、この仕事にふさわしい人材が見つかるまでの穴埋めにすぎないんじゃないかって不安なんだ」。自分の不安を吐露するあなた。
「新しい仕事に少しでも早く慣れようと頑張っているけれど、上司は僕のことを長い目で考えてくれているのか、それとも単なるつなぎだと思っているのかわからない」それを聞いた同僚は、上司にそのことを直接話してはどうかと言い、あなたはそれに従った。
すると上司は、あなたの仕事を慎重に評価した結果、非常に大きな戦力だと思っていると言った。
そして、いずれ自分が親会社の新たな役職に異動になったときのために、あなたを後継者として育てているのだと続けた。その日の夜、同僚にその話を伝えると、彼らは自分のことのように喜んだ。
それから、ひとりがこう言った。
「フィードバックの話題をこれだけしているっていうのに、何で僕たちにはフィードバックを求めないんだ?」。あなたは反論する。
「そりゃあ、君たちは僕に対してフィードバックすることがないから」気まずい空気が流れ、あなたは「わかったよ。言いたいことがあるなら言ってくれ」と言った。
すると、同僚のひとりが驚くほど攻撃的な口調で話し始めた。「お前が最後にここの伝票を手にとったのはいつだ?自分以外の話を最後に口にしたのはいつだ?」。そんなことを思っていたのか!同僚たちにとっては、こういうこともフィードバックのうちらしい。だがあなたにとっては、ケンカをふっかけられているのに等しい。
あなたと上司の会話、そしてあなたと同僚の会話から、「フィードバック」という言葉には3種類の使い方があるとわかる。
それは、感謝、指導、評価だ。
いずれも、大事な目的を果たし、使う人のニーズを満たすのは同じだが、それぞれに使うにあたっての難しさがある★1。
□タイプ①感謝
上司が部下に対して言う「君がチームにいてよかった」は、感謝のフィードバックだ。感謝は、人間関係や人のつながりにもとづいて生まれる。わかりやすい言葉で表現するなら「ありがとう」だ。
ただし、ここで言う感謝には、「あなたのことを見ている」「まじめに働いているとわかっている」「君は私にとって大切な存在だ」といった、承認を意味する言葉も含まれる。
ちゃんと見てくれている、わかってくれている、といったことはとても大切だ。子どもはそのニーズを表に出す。だから、遊び場で「ママ!ママ!見て!」と大声で呼ぶ。
大人になると、それほどあからさまに表に出さなくなるが、「すごい!」と言われたい欲求は決してなくならない。
そして、「見ているよ」「ちゃんとわかっているよ」「君は大事な人だよ」といった、承認されたい欲求も絶対になくならない。
感謝の言葉をもらうと、モチベーションが上がる。行動に勢いが生まれ、倍の努力を費やすエネルギーが生まれる。
職場で十分なフィードバックがもらえていないと不満を漏らす人は、自分の働きを見ている人や気にかけている人はいないと思っていることが多い。そういう人が欲しいのはアドバイスではない。感謝の言葉だ。
□タイプ②指導
もっと指示を与えてほしいという上司への要望は、指導を求めていることを意味する。指導は、誰かの学習、成長、変化を助けることを目的に行う。
相手の向上を促すことが第一で、スキル、アイデア、知識、演習が伴うこともあれば、容姿や性格が関係することもある。
そういう意味では、スキーのインストラクター、アップルストアのジーニアスバー(相談窓口)の担当者、勤務初日に仕事を教えてくれるベテランのウエイター、プライベートな問題に親身になって相談に乗ってくれる友人といった人々はみな、指導を与えてくれる人になる。
上司、クライアント、祖父母、同僚、兄弟姉妹はもちろん、直属の部下や子どもから指導されることもある。また、「期せずして」与えられる指導もある。
たとえば、背後を走るランドローバーの運転手から、いきなり「携帯電話を置いてまっすぐ走れ」と怒鳴られることがある。
指導のフィードバックが生まれる背景には、二つのニーズが考えられる。
一つは、受けとる側による、能力を高めたり新たな課題に対処したりするために、知識やスキルを向上させたいというニーズ。
先の例のように、環太平洋地域の担当という新しい役割を任命されれば、その地域の市場、製品、流通経路、文化を(そしてその地域がどこを指すかということも)学びたいというニーズが生まれる。
もう一つは、フィードバックを与える側のニーズだ。これは、フィードバックを受けとる側の、特定のスキルを身につけたいというニーズに呼応して生まれるわけではない。
フィードバックを与える側が、その人との関係で何らかの問題を見つけた(足りない何かがある、間違っている何かがある)ときに発生する。
この種の指導は、感情によって引き起こされることが多い。
傷心、恐れ、不安、混乱、孤独、裏切られた思い、怒りなどによって、状況の変化を求める欲求が生まれるのだ。
ほとんどの場合、それは相手への変化の要求となる。
だから、「家族を優先しようとしない」「どうしていつも私が謝らなくちゃいけないの?」といったフィードバックが生まれる。
フィードバックを与える側の目的は、自分自身の収まらない気持ちを解決すること、あるいは、自分が不公平だと感じている関係性を正すことである。
□タイプ③評価
上司が部下の働きを「非常に大きな戦力」と呼び、自分の後継者にするつもりだと伝えることは、評価に分類される。評価のフィードバックは、評価された側の現状を教えてくれる。要は、査定、ランクづけ、点数づけの一種だ。
パフォーマンスを評するときの、「期待を上回る」「期待に応えている」「改善が必要」といったコメントもそうで、また、自分のいないところで同僚や部下につけられたニックネームも評価の一種だと言える。評価にはある種の比較がついてまわる。
「あなたはいい夫じゃない」という言葉の真意は、「思い描いていた夫像」や「自分が敬愛する父親」、はたまた「これまでの3人の夫」に比べていい夫ではないという意味になる。
評価のフィードバックは、与える側と受けとる側の思いの一致を図るものであり、状況を明らかにするものであり、決断の参考となる情報を提供するものである。
査定された点数はボーナスの金額に影響し、泳いだタイムによって背泳ぎテストの合否が決まる。
評価は難しいとよく言われるが、それは、評価によって何か(現実、想像上のものを含む)が生じることがあるからだ。また、評価には客観的事実を超えた判断が含まれることもある。
たとえば、背泳ぎテストの2回目も不合格になった人に対し、不合格という評価に加えて、「この人は自分が不合格になると思い込み、また実力を発揮できなかった」という判断が加わることがある。
思い込みがあった、実力を発揮できなかったといった判断は、泳ぎの結果にもとづいて生まれた評価ではない。それとは別につけ加えられた私見だ。
このような否定的な判断(他人、自分自身の両方を含む)が加わると、フィードバックに対してひどく不安を感じるようになる。
「君ならできる」や「君を信じているよ」といった相手を安心させる言葉も、先ほどと同じつけ加えられた判断に分類される。
ただしこちらは、肯定的なものである。どれが欠けても、満たされない
■どれが欠けても、満たされない
感謝、指導、評価のフィードバックは、それぞれが異なるニーズを満たす。
評価のフィードバックは、自分の現状の理解、見通しの試算、安心感の獲得に必要だ。
指導のフィードバックは、学習スピードの加速、時間とエネルギーの有効活用、健全で有意義な人間関係の維持に必要となる。
そして感謝のフィードバックは、仕事や人間関係に注ぎ込んだ汗と涙に価値があったと実感させてくれる。
□「評価」が欠けていると……評価は嫌でも耳に入ってくるものであり、傷つけられることもある。
評価のフィードバックは本当に必要なのか?フィードバックを与える目的が指導のときは、評価は避けるのが賢いやり方だ。
「うまくなるやり方がある」と伝えたいのなら、「そのやり方はダメだ」という言い方をしてはいけない。
とはいえ、評価のフィードバックが一切なくなると、気まずい沈黙が生まれる。
それは、「新たにできた役職に立候補すべきなのか、それとも時間の無駄なのか?」といったモヤモヤが心のなかで渦巻くからだ。
他人に評価や判断を下されることに不安を覚える反面、人は「評価にもとづいた居場所」を必要とする。
それがあれば、いまの自分で大丈夫だと安心できるからだ。
指導や感謝のフィードバックよりも、まずは、自分はいるべき場所にいるのか、フィードバックをくれた相手との関係がこれからも続いていくのかを知っておきたい、ということだ。
評価が不在のフィードバックをもらうと、指導や感謝の言葉から自分の現状を理解しようとする。
「なぜ、上司は私にこれほど顧客の扱い方を指導するのか?2回目は届いたが、1回目に一斉送信された感謝のメールが私にだけ届かなかったのはなぜか?何か意味があるのか?」明確な評価がないと、人はこのように考え、ありとあらゆる噂に耳を立てずにはいられなくなってしまう。
□「感謝」が欠けていると……感謝は最も重要度が低いように思えるかもしれない。
美辞麗句やお世辞など必要ない、と思う人もいるだろう。
しかし、働いただけの給与をもらっていれば、結婚生活が続いていれば、それでいいというものだろうか?感謝がないと、プライベートや仕事など、どんな人間関係にも隙間が生まれる。
確かに、自分が向上する術は知りたい。
しかし、自分が必死で働いていることや、どれだけ頑張っているか、自分がすることの特別さを見てくれている、ということも知っておきたい。
そうでなければ、指導のフィードバックをもらっても、別の意味を探してしまい、指導が頭に入らない。
マーカス・バッキンガムとカート・コフマンの著書『まず、ルールを破れ』(日本経済新聞社)に、8万人の労働者を対象にしたギャラップ調査の記述がある。
その調査によると、調査で質問した12の項目に対する「イエス」の回答は、社員満足の高さ、定着率の高さ、生産性の高さと強い相関関係にあるという。
そのうち3項目は、感謝に直結する質問だった。
質問4「この7日間で、良い仕事をしていると認められたり、称賛されたりしたことはありますか?」質問5「上司、または同じ職場で働く人は、あなたのことをひとりの人間として気にかけていると思いますか?」質問6「職場のなかに、あなたの成長を応援している人はいますか?★2」これらの質問の答えが「ノー」だからといって、上司が気にかけていない、「ありがとう」と言わない、という意味だとは限らないが、部下に感謝が伝わっていないのは確かだ。
まず、感謝が相手に伝わるためには、具体的なことを言わなければいけない。
たいていの人は、「よくやった!」「素晴らしかった!」「いろいろありがとう!」というように、すべてを含んだ言葉で感謝とポジティブな評価の両方を伝えようとする。
感謝が曖昧なのとは対照的に、現状を否定するフィードバック(改善点の指摘)になると、詳細が並べ立てられることが多い。
ダメな部分に注目するのは、すぐに対処が必要な問題に意識が向いているせいだ。
いくら心から感謝していても、ダメな部分に対する不安、苛立ち、怒りといった感情が、どんな感謝の気持ちも凌駕する。
その状態が続くと、感謝の気持ちが欠落していく。
自分も相手も、「私のしていることや我慢していることに対し、向こうは何一つ感謝していない」と互いに思うようになる。
「感謝の相互欠落障害」とでも呼べそうなこの状態は、良好だった関係にトラブルを招く元だ。
また、感謝は、受けとる側がそれを尊重できる形、そして、彼らにはっきりと聞こえる形でないといけない。
たいていの人は、自分は貴重な意見の提供者、あるいは、替えのきかない存在だと思われていると実感できるときに、認められたと思う。
私は、話していて一緒によく笑ったり、難題を自分の元へ真っ先に持ってきたりする人がいると、「自分は認められている」と思う。
そして、相手に感謝の意を伝えたいなら、本心からそう思っていないといけない。
たとえば、ささいなことで誰もが感謝の言葉(「今日も会社にきてくれてよかった」など)をもらえると社員が感じるようになれば、感謝のインフレーションが起こって言葉の価値は暴落する。
それに、怒りを押し殺して感謝しようとしても無理だ。
「こんな滅茶苦茶な状態で引き継ぐなんて信じられないが、フィードバックには感謝の意も必要だから言っておこう。
よくやった!」と言ったところで、誰もその言葉を信じないし、言った人の信用が下がる。
□「指導」が欠けていると……指導する側とされる側の関係は、たいていの人にとっては、驚くほど単純なものだ。
いずれにせよ、指導がうまくいっているときは、互いに心からの満足を感じ、大きな影響を受ける。
もちろん、指導をストレスに感じたり、混乱が生じたり、機能しなかったりすることもある。
組織によっては、指導に正式な報酬が発生しない(仕事としてカウントされない)ため、フィードバックがほとんど存在しないところもある。
また、指導を奨励しているとしても、わずかな経験しかない人を指導にあたらせるのでは、事態を悪化させたり、時間の無駄に終わったり、価値のない口論や反感を招いたりするばかりだ。
心から教えよう、または教わろうとしていても、その努力が拒絶される、迷惑がられる、無駄に終わる、となれば、指導のフィードバックがなくなってしまう。
そうするとどうなるか。
学習、生産性、士気、人関関係のすべてに悪影響が起こる。
与える側、受けとる側の双方が、本気で真面目に教えよう(教わろう)としているなら、これほどの悲劇はない。
がっかりフィードバックの正体
■がっかりフィードバックの正体フィードバックの難しさの一つに、タイプを混同してしまうということがある。
それには2通りあり、一つは、受けとる側の期待するフィードバックとタイプが異なる場合。
たとえば、感謝を期待していたのに、評価のフィードバックをもらったときがそれに相当する。
そしてもう一つは、受けとる側が誤った解釈をする場合だ。
指導のフィードバックを与えているのに、受けとる側が評価だと解釈することがある。
一度混同してしまうと、元に戻すのは一筋縄ではいかない。
法律事務所でのフィードバックを例にあげよう。
この事務所で働く、エイプリル、コーディ、イヴリンは、事務所のパートナー弁護士であるドナルドが上司にあたる。
ドナルドはこれまで、ほとんどフィードバックを返してこなかった。
しかし、人事部の後押しがあり、また、業績評価の時期が近いことから、3人はそれぞれドナルドと面談の約束を取りつけ、フィードバックをもらうことにした。
最初の面談は、ドナルドのアシスタントを務めるエイプリルだ。
ドナルドは、エイプリルが自らフィードバックを求めてきたことを嬉しく思っていた。
そして、勤務時間をもっと有効に使うための具体策をいくつか提案した。
デスク周りを整頓する、できないときはきっぱりと「ノー」と言う、といったことだ。
エイプリルは礼を言ってドナルドのオフィスを後にしたが、何が起きたのかよくわからなかった。
エイプリルが欲しかったのは、自分の働きが認められていると実感できる、ちょっとした感謝の言葉だった。
アシスタントを8年務めている彼女は、ドナルドの要求を先読みするのが得意になっていた。
周囲からは疲れ知らずで働くと言われるが、しょっちゅうストレスや徒労感を感じている。
ドナルドから、仕事を褒められたことや、礼を言われたことは一度もない。
それどころか、彼女の存在をほとんど気にかけていないように思える。
エイプリルは、背中をポンと叩いて、「僕のために君がしてくれていることはすべて見ているよ」と伝わる言葉をかけてもらうことを、心の底から必要としていたのだ。
ところが、彼女がもらったのは指導のフィードバックだった。
仕事ぶりを改善するためのアドバイスだ。
ドナルドとの会話に、エイプリルは大きなショックを受けた。
自分は上司の眼中に入っていないのだと、これほど強く感じたことはない。
そしていま、仕事を辞めるべきか悩み始めている。
ドナルドのフィードバックは、間違っていたわけでも伝え方が悪かったわけでもない。
よく考えたうえでの指導であり、実際に役立つ内容だ。
エイプリルが傷ついたのは、フィードバックのタイプを混同したせいである。
自分が求めていたタイプとは違うフィードバックをもらったことが原因なのだ。
弁護士1年目のコーディの面談も似たようなものだった。
先週の木曜日に調査記録を提出したこともあり、彼は、今後のために、効率よく調べものをする方法を教えてもらいたいと思っていた。
調べものをしていると、情報のなかをさまよっている感覚になることが多く、必要以上に時間をかけすぎているという自覚もある。
だから、指導してもらいたいと思ったのだ。
ドナルドは、提出された記録に細かく目を通した。
そして、笑顔でコーディにこう告げた。
「この記録やこれまでの仕事ぶりを見ていると、君は1年目の弁護士として順調だね」コーディがもらったのは評価だった。
そして彼もまた、がっかりした。
「あのフィードバックで、どうやってこれからのやり方を見つけだせばいいんだ?」。
次に調査を命じられたとき、彼はこれまで以上に途方にくれるだろう。
イヴリンは古参の弁護士で、自分の現状の評価でパートナー弁護士になるチャンスはあるのか知りたいと思っていた。
自分が求めていることを説明しようとしたところ、ドナルドが割って入った。
「イヴリン、私は褒めるのはあまり得意ではないが、遅くまで残ったり、週末に出てきたりしてくれて、本当に助かっている。
君の頑張りはちゃんと見ているよ。
これまであまりこういう言葉をかけてなかったとしたら、すまなかったね」イヴリンがもらったのは感謝だった。
エイプリルが切望していた、最大級の感謝の言葉である。
だが、イヴリンが求めていたのは評価だ。
知りたかったのは、他の同僚と比べて、パートナー弁護士に昇格する可能性が自分にどの程度あるかということだ。
感謝の言葉をもらえたことには感謝しているが、彼女の不安はさらに強くなった。
自分の残業時間はつねに多く、同じように残業時間が多かったかつての同僚ふたりは、新規案件をとってこなかったという理由でパートナーになれなかった。
もしかすると、ドナルドの感謝の言葉は、「これまでありがとう。
さようなら」という意味なのだろうか。
遠回しに、自分はパートナー弁護士になれないと言われたのだろうか。
イヴリンは、ドナルドの感謝の言葉のなかに、自分が求めている評価の痕跡を読み取ろうとした。
ドナルドから3人の部下へのフィードバックは、どれひとつうまくいかなかった。
別の言い方をすれば、3人が3人とも、求めているものとは違うタイプのフィードバックをもらったのだ。
感謝が欲しかったエイプリルは指導をもらい、指導が欲しかったコーディは評価をもらい、評価が欲しかったイヴリンは感謝の言葉をもらった。
一方、ドナルドはというと、フィードバックを与える才能を自覚して嬉しくなり、ほかのパートナー弁護士たちへのフィードバック研修を引き受けようかと考えていた。
□指導にはつねに評価がついてくる双子の娘にバッティングを教えている公園に戻ろう。
父親はふたりの娘に向かって、自分の意図を必死に説明している。
彼のなかでは、指導する以外の意図はない。
実際、アニーにはそのように聞こえているが、ご存じのとおり、エルシーにはそれが評価に聞こえる。
だから、「私のこと、言われたとおりにできないと思ってるんでしょ!」や「私はうまくないって思ってるじゃない!」といった言葉が出る。
エルシーは、父親の基準に自分が達していないことを気にしているのだ。
このように、いくら父親が自分の意図を考慮していても、フィードバックのタイプの混同はやはり生じてしまう。
なぜエルシーの耳には、指導が評価に聞こえるのか?理由はいくつも考えられる。
双子のアニーと暗に比較されていると感じるのかもしれないし、自分の運動神経に自信がないのかもしれない。
父親はいつも自分を下に見ると信じきっているのかもしれない。
父親と過ごす時間をずっと楽しみにしていたが、まさか野球をやるとは思っていなかったのかもしれない。
エルシーと父親のあいだに何があるにせよ、誤解が生じたのには、指導というフィードバックの構造にも原因がある。
どんな指導にも、一定量の評価が必ず存在するからだ。
指導は「よりよくなる方法はこうだ」と伝えるものだが、そこには「もっとよくなれるのに、その域にまだ達していない」という評価のメッセージも暗に含まれる。
父親は、評価しないよう最善を尽くしている。
当然ながら、「順番に素振りを見てみよう。
アニーは言われたとおりにできているが、エルシーはできていない」とは言っていない。
これではあからさまな評価だ。
とはいえ、どんな指導にも評価は存在してしまうので、一切の評価を排除することはできない。
アニーにとって、評価の存在は無意味だ。
彼女は指導として聞いているので、評価に思える部分は耳に入らない。
一方、エルシーには評価に相当する部分が最も大きく聞こえ、それ以外が耳に入らない。
父親のフィードバックに対するエルシーの反応を見ると、受けとる側が指導と評価をどのようなバランスで受けとめるかは、与える側の手で完全に操作することはできないのだとわかる。
フィードバックを受けとる側は、もらった意見を絶えず評価か指導のどちらかに振り分けている。
恋人から「あなたのお母さんに電話しなさいよ」と言われたとき、どう受けとめるか(忘れないようにとの気配りなのか、怒っている意思表示なのか)は、その恋人との関係で変わってくる。
また、先ほど例にあげた、「まっすぐ走れ」と怒鳴る運転手はどうだろう。
この言葉は、指導(君のためだ)、評価(そんな簡単なこともできないマヌケめ)のどちらを意味したものだったのか。
指導と評価を与えることは、企業にも広がっている。
組織として掲げる重要な目標を達成するために、業績評価システムを導入している企業は多い。
それには、評価と指導の両方が含まれる。
評価は、社員に公正な昇進と給与の授与を約束し、褒賞の仕組みや個々の現状を明確にし、個々の業務効率アップを図るために行う。
指導は、社員の成長や改善を助ける目的で行う。
立場が上がっても務めを果たせるように育てるのだ。
とはいえ、指導のフィードバックを与えても、評価として受けとめられることは多い(例:「よくなる方法を教えると言っているけれど、本当はそれが向いていないと言いたいのだろう」)。
それに、評価が織り交ぜられたフィードバックから、指導の部分だけを取りだそうとすれば、学ぶというよりも、保身の感情や苛立ちが生まれる。
欲しい言葉をもらうには
■欲しい言葉をもらうにはフィードバックのタイプを混同させないようにするためには、気をつけることが二つある。
一つは、フィードバックの目的を一致させること。
そしてもう一つは、指導と感謝のフィードバックは、(できるだけ)評価と分けるようにすることだ。
□フィードバックの目的を一致させるフィードバックのタイプは、与える側と受けとる側の目的が一致していないときに混同される。
解決するにはどうすればいいか?フィードバックの目的をきちんと話しあえばいい。
当たり前のことだと思うかもしれないが、どれほど優秀で良識がある人でも、この話し合いをせずに一生を終えることはある。
本書は、フィードバックを受けとる側へのアドバイスが大半を占める。
しかしここでは、与える側、受けとる側の両方を踏まえたアドバイスを提供しよう。
次の三つの質問に答えてもらいたい。
質問1フィードバックを与える/受けとる目的は何か?質問2自分から見て、その目的は正しいと言えるか?質問3自分以外の人から見て、その目的は正しいと言えるか?いちばんの目的は、指導、評価、感謝のどれか。
改善させたい(したい)のか、評価を伝えたい(知りたい)のか、ありがとうと伝えて応援したい(されたい)のか。
現実世界では、必ずしもこれらの分類に当てはめられないこともあるが、当てはめてみる価値はある。
会話を始める前に自分の目的を振り返れば、目的がはっきりした状態で会話にのぞめる。
たとえ自分の目的がはっきりしなくても、それはそれでかまわない。
少なくとも、自分にすらよくわからないほど複雑だということは理解できる。
会話が始まってからも、ときどき相手に確認をとるとよい。
「私は君を指導するつもりで話をしている。
君には指導に聞こえているか?君から見て、必要だと思える会話になっているだろうか?」と相手に尋ねるのだ。
もしかすると、自分のしていることは正しいのか知りたい、といった返答があるかもしれない。
それは、感謝の言葉や肯定的な評価を求めているサインだ。
まずは、会話の目的を明確にし、自分にとって最も役立つ会話はどういうものかをきちんと理解すること。
それから、目的について話しあい、多少の変更が必要なら、話しあって折り合いをつける。
相違を明らかにするほうが、暗に誤解を生むよりずっといい。
互いの理解につながるので、それぞれの目的を満たす第一歩となる。
受けとる側は、多少の勇気が必要になる。
「指導をしてくださるとのことですが、簡単に評価もいただけるとありがたいです。
私の働きに問題はないでしょうか?先に評価をいただければ安心できますから、その後でぜひ指導をお願いします」や、「指導とおっしゃいますが、評価にも聞こえます。
私は遅れをとっている、ということですか?」と、恐れずに確認しよう。
これにより、エルシーと父親はようやく和解した。
ボールを投げるのをやめ、エルシーに「どうした?」と父親が尋ねると、エルシーは泣きだした。
エルシーが本当に求めていたのは、父親に認めてもらうことだったのだ。
彼女は、平日のあいだ熱心にバッティングの練習をしていた。
だから、土曜の朝の練習で、父親はうまくなった自分に驚いてくれるに違いないと思っていた。
ところが、父親の前でちっともヒットを打てず、エルシーは失望した。
エルシーには、バッティングのアドバイスよりも、自分の頑張りを認め、打てずにがっかりする自分を慰める、父親の温かい言葉が必要だったのだ。
□評価のフィードバックは要注意「評価」はラッパの音のように大きいので、それよりも静かな「指導」や「感謝」はかき消されてしまう。
たとえ、改善すべき点を学ぶと心に決めて勤務評定にのぞんでも、評価に気を取られることはある。
自分は「期待を上回っている」と思っていたのに、「期待に応えている」という評価しかもらえなければ、どんな指導もきっと耳に入ってこない。
たとえ、その指導の内容が、まさに望んでいた、「期待を上回る」という評価になるためのものだとしてもだ。
指導の声は聞こえても、意識は心の叫び声や感情に向いている。
「本社から問い詰められたとき、これまで散々助けたじゃないか。
いったいどういうつもりなんだ?それとも、自分に何か問題があるのか?この評価ということは、今後の給与はどうなる?」
1年もしくは半年に一度、正式なフィードバックの機会(翌年の具体的な成果目標や習得予定のスキルなどを、上司と部下で話しあって決める機会など)が組織にあるなら、評価のフィードバックと指導のフィードバックは、少なくとも数日(できれば1週間)あけて行うほうがいい。
その場合、評価のフィードバックを最初に行うこと。
大学教授が学生に成績表を渡すと、学生は評点が載っている最後のページを真っ先に見る。
その後でないと、講師のコメントを受けとめられないのだ。
人は、自分の現状を把握してからでないと、改善に意識を向けることができない。
理想を言えば、指導と感謝のフィードバックは、毎日でも、プロジェクトごとでも、年間を通じていつでももらえるのがいちばんだ。
車を運転している場面を想像してほしい。
信号が青に変わったのに前の車が進まないとき、「あの運転手のためになるアイデアや情報を集めて、年の終わりにまとめて伝えよう」とは思わない。
その場でクラクションを鳴らす。
動かないといけないときに鳴らさないと意味がないからだ。
指導や感謝のフィードバックも、それが必要なときにその場でもらわないと意味がない。
フィードバックは、感謝、指導、評価の3タイプがあり、そのどれをもらっているのかを理解する。
これが、フィードバックを有効に活用するための第一歩である。
とはいえ、与える側と受けとる側の目的が一致していても、正しく理解できないことはあるし、聞き流してしまうこともある。
これについては次のチャプターで説明しよう。
CHAPTER2意味を正しく理解する
フィードバックをもらったら、その正否を判断する前に、まずは理解する必要がある。
何を当たり前のことを、と思うかもしれないが、現実は、理解の部分を飛ばしてすぐに判断しようとする人がほとんどなのだ。
「自分は飛ばしていない」と思うかもしれない。
「フィードバックをもらうときは、相手がその意味を話すのだから、もちろん理解している。
フィードバックをもらうときは、ちゃんと聞いている」という人も、ちゃんと聞くのはいいことだが、それだけでは十分ではない。
意味の伝わらないフィードバックに価値はない
■意味の伝わらないフィードバックに価値はないフィードバックには漠然としたものが多い。
「もっと積極的になれ」「自分勝手な行動をとるな」「年相応にふるまえ」といった言葉は、一見するとわかりやすいように思えるが、内容はほとんどない。
このようなフィードバックは、スープの缶に貼られているラベルも同然だ。
ラベルそのものを食べても栄養にならないように(ラベルを食べる人はいないと思うが)、ラベル同然のフィードバックでは、受けとっても何の栄養にもならない。
何についての話なのかは明らかなので、後からその話題に戻ろうと思ったときは便利だが、ラベル同然のフィードバックに、はっきりいって価値はない。
□「ラベル」の解釈は人それぞれラベルには、ラベルをつくった人の意味が込められている。
たとえば、身近な人(兄弟、上司、友人、同僚など)の困ったところなら、次のようなラベルが頭に浮かぶだろう。
「兄は本当に◯◯だ」「彼女は◯◯しすぎる」「夫(妻)は絶対に◯◯をしてくれない」「同僚は◯◯しなさすぎだ」そして、こうしたラベルが意味する姿(怒鳴り声、イライラする習慣など)が、高解像度で頭のなかに流れる。
ラベルをつけた本人には映像となって見えるので、それが何を意味するかは痛いほどよくわかる。
しかし、そのラベルを誰かに伝えるとき、ラベルに映像は付いていないということは忘れがちだ。
ラベルを受けとった相手には、曖昧な言葉しか聞こえない。
つまり、フィードバックを受けとろうとする相手とのあいだですら、いともたやすく誤解が生じてしまうのだ。
ニコラスは、上司のアドリアナから、売り場では「もっと積極的になりなさい」と言われた。
アドリアナは社内で語り継がれるほどの販売スキルの持ち主で、そのおかげでマネジャーに出世した。
だからニコラスは、彼女のアドバイスに従おうと心に決めた。
しばらくすると、アドリアナの耳に、顧客に契約を迫るニコラスの声が聞こえた。
「いますぐです。
契約するなら今日しかありません。
ここで決断しないと後悔しますよ」アドリアナはその言葉にショックを受け、ニコラスになぜ顧客を脅すような真似をしたのか問い詰めた。
ニコラスは困惑しながら、言われたとおり「もっと積極的に」なっただけだと説明した。
アドリアナのアドバイスは、購入しそうな顧客に対する彼の接し方を見ていて生まれたものだった。
のんきにゆったりと構えていたので、顧客にも商品にも関心がないのではないかと心配になったのだ。
つまり、「もっと積極的になりなさい」とは、もっとイキイキと仕事をしろという意味だったのだ。
熱意を持って仕事をし、個性を輝かせろ。
熱意と気配りで、顧客の心をつかめということだったのだ。
ニコラスのとらえ方は正反対と言っていい。
指導や評価のフィードバックで「聞こえたこと」と「意味したこと」に齟齬が生じることは、驚くほど多い。
以下の表で示した例はほんの一部にすぎない。
ラベルでのやりとりがこれほど多いことを思うと、与える側の意図どおりに受けとめられるフィードバックがあること自体が驚きだ。
「ラベル探し」を意識する生きていれば、フィードバックがとても上手な人に遭遇することもある。
そういう人は、「まずはどういう意味か説明しよう。
それで、私の話におかしいところがあれば質問してほしい」という言い方をする。
だが、このようなフィードバックの与え方ができる人は少ないので、たいていの場合、ラベルに隠された意味は、受けとる側の責任で理解することになる。
それを確実に行うためには、まず、ラベルを見つけることが大前提だ。
ラベルを見つけること自体は難しくない。
見つけようと思えば、簡単に見つかる。
しかし、見つけようといつも意識することがなかなかできない。
それは、相手の発言に何回「and」という単語が出てきたかを数えるのに似ている。
意識しないと絶対にできないが、数えると決めて相手の言葉に耳を傾ければ、簡単にできる。
ラベルを見つけるのもこれと同じだ。
ラベルを見つけようと思って耳を傾けていれば、必ず見つかる。
そうしてラベルを見つけたら、次は、自分独自の解釈をしたいという誘惑との闘いだ。
もし本当に、そのラベルの意味をすでに「知っている」のであれば、学ぶことは何もないし、ラベルに関心を持つ理由もない。
「もっと愛情を示せ」と言われ、それを、もっとセックスに誘ってほしいという意味に解釈したとしよう。
はたして、「もっと愛情を示せ」というラベルは、本当に「もっとセックスに誘え」という意味なのだろうか?選択肢はほかにもあり、どれが正解かは話してみるまでわからない。
だが、正解を知っていると思い込んでいると、相手と話そうと思わない。
□ラベルには何が隠されているのか?フィードバックを与えるうえで、最もよく知られているアドバイスが「具体的に言え」だ。
確かにいいアドバイスだが、これ自体は具体的なアドバイスとは言えない。
「具体的」とはどういう意味なのか?また、何について具体的にすべきなのか?この質問に答えるためにも、まずはラベル状態のフィードバックをじっくり調べることから始めよう。
ラベルを構成する要素まで分解すると、フィードバックには過去と未来の両方が含まれているとわかる。
過去を振り返る要素(与える側が気づいたこと)と、未来に向けた要素(受けとる側にこれから必要なこと)が存在するのだ。
しかし、ラベルそのものには、どちらの要素もあまり示されていないことが多い。
ラベルに隠された意味を解明するためには、次の二つを「具体的に」する必要がある。
(1)フィードバックは何にもとづいて生まれたものなのか(2)フィードバックはどこへ向かうものなのか例をあげて説明しよう。
あなたが私に向かって「お前の運転は危ない」と言ったとする。
これがラベルだ。
では、このラベルは何にもとづいて生まれたものなのか?一緒に車に乗った経験にもとづくのか、運転中の私が携帯電話からあなたに電話をかけたという事実にもとづくのか、それとも、前年に私が衝突事故を起こしたことに対する不安にもとづくのか。
その答えがわかれば、ラベルの意味を理解するのはずっと簡単になる。
そして、そのラベルはどこに向かうものなのか?そのアドバイスが意味することは何なのか?私にもっと車間距離をとってほしいのか、夜に運転するときはメガネをかけてほしいのか、近所の道を走るときにもっとスピードを落としてほしいのか、長距離を運転する前の晩の睡眠時間を増やしてほしいのか。
フィードバックが何にもとづいて生まれたものなのか、そしてどこに向かうものなのかを理解する方法について、もっと深く掘り下げていこう。
フィードバックが「もとづくもの」については、与える側の「データ(与える人が観察したこと)」とその「解釈(観察したことから見いだした意味)」の区別について検証する。
フィードバックが「向かうところ」については、アドバイスを与えることを目的とした指導と、結果の説明を意味する評価の違いについて考察する。
これらの区別は、図で表すと次のようになる★1。
図の意味については、これから先の解説を通じて理解してもらいたい。
フィードバックがもとづくもの、そして向かうところを掘り下げられるようになるには、少々練習が必要だが、実際に何度かやってみるうちに、当たり前にできるようになる。
□フィードバックの根っこを知るフィードバックを与える側は、(1)観察して情報を収集し、(2)それを自分なりに解釈する、という過程を経てラベルをつくる。
彼らは、ラベルを通じて自分の解釈を語るのだ。
(1)観察にもとづいてデータを収集するフィードバックは、与える人の観察──見たこと、感じたこと、聞いたこと、触れたこと、匂い、味、思いだしたこと、読んだこと──にもとづいて生まれる。
学術的な言い方をすれば、これらはすべて「データ」となる。
ただし、ここで言う「データ」には、単なる事実や数値以上の意味が含まれる。
直接観察したことであれば、誰かの態度、言葉、声の調子、服装、成果物、年初来の収入、床に落ちている靴下、オフィスに広がる噂も、すべてが「データ」だ。
フィードバックが生まれる元となりそうなデータの例を紹介しよう。
上司が、あなたが同僚に「忙しくて手伝えない」と言っているのを耳にするテニスのパートナーが、あなたがスコアを覚えられなくなった事実に気づくあなたの提出した報告書が、ネットと実店舗の売上を区別していなかったデータには、フィードバックを与える側の感情的な反応も含まれる。
たとえば、メールの返信がなかったときにイライラした、同僚が半休でいないときに不安になった、車の助手席に乗っていて、前方の車との距離が近づいたときに冷や汗をかいた、などだ。
(2)観察で得たデータを解釈する人は、自分が見たままをフィードバックしようとは思わない。
まず、自分で解釈するか、自らの経験、価値観、想定、世間の暗黙のルールといったフィルターにかける。
だから、上司からのフィードバックは、「忙しくて手伝えない、と同僚に言っているのを聞いた」ではなく、「君はチームプレーができていない」となる。
アドリアナが持っていたニコラスに関するデータは、売り場で見た彼の営業トーク、顧客の質問への対応、声の調子や態度だ。
また、ニコラスとは関係のないデータもたくさんある。
数々の店員の接客態度を見てきたほか、彼女には、自身が長年にわたって培った豊富な販売経験がある。
アドリアナは、自分でも気づかないうちに見たものを解釈し、そこから「ニコラスはやる気がなさすぎる」という判断を下した。
顧客に関心がないような態度では、まとまる契約もまとまらない(顧客の関心をひくためには、顧客に関心を示す態度が不可欠だ)。
これらはすべて、観察にもとづいたデータの解釈である。
「やる気がなさすぎる」は、観察できることではない。
「やる気がない」は、その人の態度を観察したことから生まれる判断であり、「やる気がなさすぎる」は、やる気がない状態の最高レベルという判断である。
もしかすると、アドリアナはニコラスが契約をとり損ねた場面を見たことがあるのかもしれないが、彼の態度が違えば契約がとれた、というのは推測でしかない。
そこには、ニコラスの接し方が招く結果の想定や、そのまま変わらなかった場合の未来の予測も含まれている。
しかし、実際に未来が訪れない限り、推測は推測だ。
あくまでも、アドリアナが見たものの解釈でしかない。
どんなアドバイスも必ず自伝的な要素を含む、とよく言われるが、人は自分が目にしたものを、その人独自の経験、想定、嗜好、優先順位、ものごとのやり方や人としてのあり方に関する暗黙のルールにもとづいて解釈する。
自分の人生というレンズを通して他人の人生を理解するのだ。
だから、他人に対するアドバイスは、自分自身にもとづいたものとなる。
データと解釈は混同しやすいここまで読んで、「データだけを与えるほうが、会話がもっと簡単になるのではないか」と思ったかもしれない。
与える側は、「報告書の内容がわかりづらく、説明が足りない」と言うのではなく、「報告書で、ネットと実店舗の売上が区別されていなかった。
ちょっと聞きたいのだが……」という具合にデータを共有すべきではないか。
確かに、そうしてもらえればありがたい。
だが現実に、そうする人はあまりいない。
それを避けているわけでも、わざとわかりづらくしているわけでもない。
データから解釈への変換は、瞬きをする間に起きてしまい、しかもそのほとんどが無意識に行われる。
人工知能に詳しいロジャー・シャンクによると、コンピュータの知能はデータの管理とアクセスを中心に組織されているが、人間の知能は、ストーリーを中心に組織されているという★2。
私たち人間は、自ら選んだデータを直ちに解釈し、その瞬間に自分の意見の混じったラベルをつくる。
「あのミーティングは時間の無駄だった」「君のスカートは短すぎる」「隣のテーブルの人たちは、まともに子どもをあやせない」という具合だ。
この最後の例の人に、何を見たのかと尋ねたら、「子どもをまともにあやせない人たちを見た」と答えるだろう。
それが記憶として脳に保存されているので、その人にとっては実際のデータに思えるからだ。
しかし、実際のデータは、赤ん坊を見る女性の様子や、ぐずっている赤ん坊に対する男性の反応(または無反応)といったものであるはずだ。
「まともにあやせない」というのはデータではない。
遭遇したことについて自ら勝手につくったストーリーだ。
つまり、フィードバックを与える人は、自分が得たデータそのものではないと気づかないまま、それをラベルにしてしまうことがほとんどなのだ。
データと解
釈の区別を助けられるのは、自分自身しかない。
区別するとは、解釈を無視したり、切り捨てたりすることではない。
データは確かに重要だが、それは解釈も同じだ。
少なくとも、一個人のものの見方がそこに表れている。
だから、データと解釈の両方を、きちんと理解することが大切だ。
ニコラスがアドリアナから、もっと積極的になる必要があると言われたとき、彼はその言葉を次のように分解することができたと思う。
「『もっと積極的になる』というのはラベルだ。
それがどこへ向かうのかも、何にもとづいて生まれたのかもわからない。
元となったデータ(アドリアナが見聞きしたこと)は何で、それをどのように解釈したのか。
それがわかれば、何にもとづいて生まれたかがわかる」ニコラスがデータについて尋ねれば、アドリアナとちょっとしたやりとりをすることになるだろう。
アドリアナはおそらく、「売り場で見た態度が、やる気がなさすぎた」というような答えを返す。
これで適切な方向に動き始めたが、先にも述べたように、「やる気がない」はデータではなく解釈である。
ニコラスは、その解釈の背後にあるデータを知る必要がある。
それがわからないと、彼女が何を見聞きしたときに「やる気がない」と判断するのかが理解できない。
それには、話し合いをもう少し重ねる必要がある。
「それは、私の声の調子に問題があったということでしょうか?どんな声の調子でしたか?それとも、態度に何か問題が?教えてください」□フィードバックが向かう先さて、フィードバックに含まれる、与える側の身勝手な過去の話はもう終わりにしよう。
ここからは、フィードバックに含まれる未来について見ていく。
フィードバックが生まれるときは、未来に向けた要素を含んでいることが多い。
なぜなら、指導のフィードバックは相手を向上させるための助言であり、評価のフィードバックは、それによって生じる結果や、今後の期待を表すものだからだ。
アドバイスの意味を解明するアドバイスをもらったからといって、必ずしもそれに従うとは限らない。
しかし、どんなアドバイスをもらうときも、その意味が明快かどうかを確かめることはできる。
「このアドバイスに従おうと思ったとき、何をすればいいかわかっているだろうか?」と自分に問いかければいい。
この答えは「ノー」であることがほとんどだ。
というのは、単純にアドバイスが曖昧すぎるからだ。
「トニー賞を獲ったときは、スピーチで光れよ」「子どもに愛情は必要ですが、先を予測する力や制約も必要です」「職場で輝きたいなら、替えのきかない存在になれ」このようなアドバイスには、問題が二つある。
一つは、発言者の本当に意味するところがわからないということ。
そしてもう一つは、たとえ意味が理解できたとしても、そのアドバイスに従うために何をすればいいのかがわからないということだ。
スピーチで「光る」とはどういう意味で、どうすればそんな魔法のような輝きをスピーチに与えることができるのか?だから、受けとる側のほうで、与える側の意図を明確にする手伝いをする必要がある。
「光れ?それはどういう意味だ?どういうスピーチが光るスピーチなのか、例をあげてくれないか。
失敗だと思うスピーチの例もあげてほしい」と尋ねるのだ。
このように対比する例を求めれば、違いが明らかになり、どんなスピーチが効果的だと受けとめられるかがわかる。
評価によって生じる結果や期待されていることを解明するアドバイスの意味を解明するのは簡単なことではない。
そして、評価から生まれる結果や期待を解明することは、さらに難しいと言える。
評価をもらうと、人は冷静でいられなくなるからだ。
喜ぶにせよ、絶望するにせよ、何かを解明できる状態ではない。
だが、評価のフィードバックをもらった場合は、未来に向けた部分の理解がとくに重要になる。
「このフィードバックは自分にとってどんな意味があるのか?」「この評価をもらったということは、次に何が起こるのか?自分は何を期待されているのか?」「現状がこうならば、いま、何をすべきか?」と考える必要がある。
評価のフィードバックをもらうと、たいていの人は次のような反応をとる。
評価の内容:マックスは、複数のテストを受けたのち、特定の高周波を聴く能力が約80パーセント衰えていると言われた。
評価を知ったマックスの言葉:「本当ですか?自分でも驚いています」聞いておけばよかったと後悔すること:「何が原因で衰えたのか。
これ以上衰えないために、何かできることはないだろうか。
高周波とは、具体的にはどういうものでそれが聴覚にどう影響するのか。
約80パーセント衰えているとは、どういう意味だ?自分と同年代の人に比べて、自分の聴覚はどの程度なのか?」評価の内容:マージーは、新設される部門のトップに選ばれなかった。
評価を知ったマージーの言葉:「残念です。
誰が選ばれたのですか?」聞いておけばよかったと後悔すること:「私がその職に就くには何が足りなかったのか、詳しく教えてもらえないだろうか?選考にあたって何を考慮したのか。
今後のために、私が積んだほうがいい経験や身につけるべきスキルを教えてもらえないだろうか?今回の選考に漏れたことが、今後の私のキャリアにどう影響するのか?」未来についてどう尋ねればいいかは、誰でもわかる。
問題は、実際に尋ねるかどうかだ。
肝心なときにそれをするのを思いだせるかどうかがカギとなる。
思いだしやすくするためにも、評価のフィードバックをもらうとわかっているときは、ポケットに適切な質問文をまとめたリストをしのばせておくとよい。
その場で尋ね損ねたら、後から機会をつくって尋ねればいい。
自分と相手の違いに目を向ける
■自分と相手の違いに目を向けるここまで、フィードバックはラベルのような形で与えられること、そこには与える側の意図が隠されていること、そして、受けとる側が与える側に適切な質問をすることで、フィードバックが何にもとづいて生まれ、どこへ向かうものなのかを確認できることを説明した。
与える側の頭のなかにはさまざまな考えがあり、それを受けとる側の頭へ移すにはどうすればいいか、これでおわかりいただけたと思う。
しかし、そこには大事なことが欠けている。
与える側の考えが入ってくる受けとる側の頭のなかは、空っぽではない。
その人自身の考えが詰まっている。
頭のなかは、そのフィードバックに対する独自の見解や意見、その人自身のデータや解釈、人生経験、仮説、価値観でいっぱいだ。
それに、与える側の考えだけでなく、フィードバックを形づくるありとあらゆるものが、頭のなかに入ってくる。
実はこのことが、人が間違いを指摘しようとする大きな原因の一つである。
受けとる側は、自身の経験や判断から、フィードバックが間違いである、的はずれであると気づく。
それに、まったく同じ考え方をする人はいない。
だから、与える側の意見が間違っているとなる。
とはいえ、自分の意見を理由にフィードバックを退けるべきではない。
だからといって、自分自身の意見を捨てるべきでもない。
意味を正しく理解するというのは、自身の経験や意見が存在しないふりをするという意味ではない。
そうではなく、自らの考えを認識したうえで、相手の考えを理解するという意味だ。
そうするためには、受けとる側の姿勢を大きく変える必要がある。
それができない限り、理解はまずできない。
どういうことかというと、相手のフィードバックを間違いだと決めつける姿勢から、もっと詳しく教えてほしいという姿勢に変え、自分と違う考えを相手が持つ理由を解明するのだ。
フィードバックの解釈が与える側と受けとる側で異なるとき、単純にどちらか一方が間違っているとは言えない場合がある。
それはどんなときか?答えは2通りある。
一つは、与える側と受けとる側が持つデータが異なる場合。
そしてもう一つは、データは同じでも解釈が異なる場合だ。
ここまでは、与える側のデータと解釈の面からフィードバックの理解について説明してきた。
ここからは、与える側の考えと受けとる側の考えを並べて、それぞれのデータと解釈について探っていく。
それにより、与える側と受けとる側の見方になぜギャップが生まれるのかを明らかにしよう。
□何が引っかかるかは、人それぞれ観察によって得るデータは、人によって違う。
役割も違えば住む地域も違う。
身体も、受ける教育や訓練、感受性、何を大事に思うかも、すべて異なる。
データの違いは、アクセス権の違いで生じることがある。
たとえば、上司はあなたの同僚の給与を知っているが、あなたは知らない。
カイロ支社で働く人は、ロンドン本社の人間には知りえないカイロ独特の文化を知っている。
組織のなかでの立場によっても、見えるものは変わってくる。
CEOと受付係では、時間の使い方や時間を使う場所、話をする相手、抱える責任が違うので、持ち合わせるデータも違う。
CEOは、役員会で対立が生じている原因や、大口顧客が怒っている内容、市場アナリストが何を懸念しているかを知っている。
受付係は、建物に入ってくるあらゆる人──役員会のメンバー、業者、新入社員、ビルの管理会社の人間、記者──を観察し、待合スペースでの彼らの話を耳にする。
さまざまな噂や愚痴をはじめ、役員会で起きた衝突、大口顧客、市場アナリストに対するCEOのどんな対応が評価され、何がダメだと思われているかも耳に入ってくる。
たとえまったく同じデータにアクセスできたとしても、データを見て気づくことは、やはり人によって違う。
同じ歩道を通っていても、歴史学者は歩道のレンガ造りに、ジョギング中の人はかかとへの衝撃に、車椅子に乗っている人は車椅子で入りづらい場所に意識が向くのではないか。
私たちは情報に囲まれて暮らしている。
その量は膨大で、とてもすべてを取り込むことはできない。
だから、自分が関心を向けるものを厳選し、それ以外には関心を向けようとしない。
いま、この本を読む手を少し止めてみてほしい。
そうすると、読んでいたときには気づかなかった何かに気づくのではないか。
それは騒音かもしれないし、心地よく吹く風かもしれない。
あるいは、通りかかった人のファッションセンスに目がいくかもしれない。
どれも、ほんの一瞬前までは、意識から排除していたものだ。
たぶん、いま手を止めなかったら、意識から排除していたと気づくことはなかっただろう。
人は、自分が意識していないものには気づかない。
だから、気づいていないということに気づかないのだ。
思い込みというフィルター違いを見つけることを難しくさせている要因はほかにもある。
人が何に気づき、何に気づかないかということに、規則性はない。
フィードバックをくれる相手があなたのことを気に入っていて、素晴らしい能力を備えていると思っていれば、素晴らしいことをするたびに気づいてくれる。
そういうことはないかと、相手のほうが探してくれるだろう。
あなた自身が放つ輝きも、相手が見るものの解釈に影響を与える。
あなたが何かミスをしても、日頃の行いが素晴らしいから目立つだけだと思われたり、実はミスではないのかもしれないと思われたりする。
一方、関係に軋轢が生じると(夢中になっていた新しい恋人への愛情が冷めてきた、関係に緊張が生じている、不快感が生じている、など)、相手を偏見の目で見るようになる。
フィードバックをくれる相手との関係がそうなれば、その相手は、あなたの成功は無視し、失敗にばかり目を向けるようになる。
その人の目にはもう、あなたの「リスクを厭わない姿勢」は「リスクの高い姿勢」に映り、「高い統率力」は「他人に任せたがらない態度」にしか見えない。
そういう意見が生まれると、ほかの人も、その意見の裏づけとなるデータを探し始める。
いい意見でも悪い意見でも関係ない。
それが人間の性だ★3。
人は誰もが独自の偏見を持っている。
ありとあらゆる条件が同じだとすれば、自分の言動を説明し正当化する話は必ず見つかる。
人は、自分の正しかったことは覚えていて、次のチャプターで詳しく説明するが、自分自身のことをよく思おうとする傾向がある。
事実、アメリカ人のバイク乗りの93パーセントが、自分の運転技術は平均以上だと思っている。
2007年に『ビジネスウィーク』誌が実施した調査では、調査対象となったマネジャーの90パーセントが、自分の職場での働きぶりは社内の上位10パーセントに入ると答えていた★4。
こうした偏見があるせいで、他人との違いを見いだすことは、ますます難しくなる。
なにしろ、偏見を持っているのは自分以外の人間だと、誰もが思い込んでいるのだ。
だが実際はというと、人は誰もが偏見を持っている。
だから、全体像をきちんと理解するためには、他人の視点が欠かせない。
□その人にとっては「解釈」こそが真実さて、与える側にとっては理にかなったフィードバックでも、受けとる側は納得できない、という事態が起こるもう一つの理由に話を移そう。
それは、双方がまったく同じデータを見ていても、データの解釈が異なる場合だ。
ジェニーはリプリーと一緒に暮らしている。
あるとき、ジェニーがリプリーに向かって、ちっとも物を片づけないと文句を言った。
リプリーはその言葉を真摯に受けとめ、これからは変わるとジェニーに約束する。
実際、リプリーは心を入れ替えたつもりでいた。
ところが、ジェニーは未だ、家が散らかっていると感じている。
その状況に、彼女は大きなストレスを感じていた。
それに、変わる気もないくせに、なぜリプリーが変わると言ったのか、ジェニーには理解できない。
一方、リプリーは、問題は解決したはずなのに、なぜジェニーが文句を言い続けるのか理解できないでいる。
リプリーとジェニーが持っているデータはまったく同じである。
だが、それぞれの解釈が違う。
ジェニーが室内を見回すと、彼女の目には散らかった状態だと映り、自分の生活が乱れているように思えて残念な気持ちになる。
仕事と家事の両立ができていないと感じ、こんな暮らしをしているところを母親が見たら何と言うかと想像し、自分を恥じている。
リプリーの目にも同じ散らかった状態が映っているが、彼はそれを、活気と童心にあふれた賑やかな家庭の姿だととらえている。
彼にとっては、散らかった状態が心地よいのだ。
ジェニーとリプリーは、まったく同じ家の状態を見ているので、互いに理解していると思い込んでいる。
しかし、それを見た解釈が問題なのだ。
ジェニーの目には散らかっていると映り、リプリーの目には心地よいと映っている。
リプリーは、ジェニーにとって「散らかった状態」がどういう意味を持つのかを理解しない限り、彼女の文句の意味を決して理解できない。
見たものの解釈の違いは、フィードバックの理解の根本にかかわることなので、解釈の背後で解釈のカギを握ることの多い二つの要素について、ここからさらに詳しく見ていこう。
暗黙のルール違う解釈が生まれる大きな理由の一つは、ものの見方のルールの違いにある。
しかも、それが自分独自のルールだと思っている人はいない。
誰もが唯一無二のルールだと思っている。
前の勤め先では誰からも好かれていたのに、新しい職場では、なぜか誰からも好かれない。
気難しい人だとよく言われるようになったが、昔と何も変わっていないし、新しい職場の人たちも、ごく普通の人たちに思える。
いったい何が違うのか?職場を支配する暗黙のルールが違うのだ。
以前の職場では、ものごとをはっきり言うことが評価された。
「バカ野郎。
すぐに解決しろ」という具合だ。
ところが新しい職場では、「人当たりのよさ」が求められている。
だが、人当たりのよい態度はあまり好きではない。
経験上、人当たりのよい人は、曖昧な態度や遠回しに攻撃的な態度をとる人だったので、そういう人を見るとイライラし、効率が悪いと感じるのだ。
だから、周りから難しい人だと言われてしまう。
とはいえ、社内の暗黙のルールがわかれば、少なくとも、なぜ自分が気難しいと思われているかは理解できる。
ヒーローは自分人は、自身の体験を、他人の味方をするヒーローの物語として認識しようとする。
ケニオン大学の卒業生を前にした講演で、作家のデビッド・フォスター・ウォレスは、「自分が中心的存在でなかった体験は一つもない」と述べた。
人は誰もが、「自身の頭蓋骨のなかにある王国の王」だという★5。
自分自身の物語のなかでは、誰もが『オズの魔法使い』のドロシーであり、『エンドウ豆の上に寝たお姫さま』のお姫さまであり、『ルドルフ赤鼻のトナカイ』のルドルフである。
絶対に、意地悪な魔女やエンドウ豆、その他大勢のトナカイにはならない。
この原理が働くと、フィードバックの理解が複雑になる。
手術をして入院中の父親のもとに、息子が訪ねてきた。
病室に入ると、痛みに苦しむ父親の姿に驚いた。
しかも、痛みを緩和する薬の増加を、外科医が拒否しているという。
息子はすぐさま廊下に出て外科部長のところへ行き、担当外科医の冷酷な処置を報告した。
その後、外科部長から話を聞いた外科医は、目をむいてその息子をこう評した。
「患者の治療に使う貴重な時間を奪う、厄介な患者の家族がまた現れましたか」このような相違を引き起こす原因の一つは、手持ちの情報が違うことにある。
外科医と息子は、互いに相手が持っていないデータに照らして、痛みに苦しむ父親の姿を見ている。
息子にとっての父親は、戦争の英雄であり、アメリカンフットボールのスター選手であり、父がストイックな性格であることを知っている。
その父が痛みに悶え苦しんでいるのだから、よほどの痛みに違いない、と息子は思っている。
一方、外科医は、手術が身体にもたらす影響や、回復にかかる日数を把握している。
術後に強い痛みを生じても、それはすぐに消える痛みだと知っている。
また、患者が鎮痛剤依存症になり、本人や家族が苦しむ姿も目の当たりにしてきた。
そして、外科医と息子がともに、自らを物語のヒーローとしてとらえたことで、事態はさらに複雑になった。
両者ともが、父親を苦しみから救おうとしているのは自分で、見当違いなことをしているのは向こうだと思っているのだ。
カッとなった瞬間には、相手のことが悪者にまで思えただろう。
つまり、正義の味方を主張するヒーローがふたり現れたのである。
それぞれがそれぞれに抱いた意見は、父親の治療に関することだけではない。
そこには、正義の味方は自分だという自負があった。
□違いを見いだす
違いを見いだすこと、すなわち、自分と他人が違うものの見方をする理由を具体的に理解することは、フィードバックを受けとるときに欠かせない。
違いを見いだすというレンズを通じてフィードバックを見るようにすると、それが何にもとづいて生まれたのか、何を伝えたいのか、それに従うにはどうすればいいのか、自分とフィードバックをくれた人のものの見方が異なる理由は何か、といったことがだんだんわかってくる。
このときに、フィードバックの「正しい部分」を抜きだすこともすれば、理解に役立ってくれるだろう。
ただし、この作業には注意が必要だ。
というのは、正しいこと探しをしているつもりでも、気づかないうちに間違い探しを始める可能性があるからだ。
正しいことを探していると、正否を問う思考に陥ってしまい、その結果、間違いを探し始めるということがよくあるのだ。
だから、ここで言う「正しい」は、客観的事実について最終判断を下すという意味での「正しい」ではない、ということを覚えておいてもらいたい。
フィードバックで探す正しいこととは、理にかなっていること、受けいれる価値があると思えること、フィードバックが役に立つかもしれないと思える解釈、といったものたちだ。
喩えるなら、森を歩いていて、木ではなく鳥を見つけるようなもの。
鳥に気づいたからといって、木の存在は「間違い」にはならない。
納得がいかないときはどうするか?
■納得がいかないときはどうするか?フィードバックが何にもとづいて生まれ、何を提案しているかを完璧に理解できたとしても、それに同意できないときが出てくるだろう。
きちんと理解した後だけに、以前にも増して、的はずれだ、理不尽だという気持ちが強くなってもおかしくない。
そのような事態は、腹立たしく厄介だが、コミュニケーションの観点からすると、与える側の意図は受けとる側にきちんと伝わっている。
フィードバックをもらった人のゴールは、くれた人の意図を理解し、くれた人にあなたの意図を理解してもらうことである。
相手の意図を理解したうえで役に立つと思えば、それを受けいれればいい。
役に立たないと思ったとしても、それが何にもとづいて生まれ、何を提案し、なぜそう思うのかはわかる。
フィードバックが評価の場合でも同じだ。
評価が生まれた経緯や、評価によってどんな結果がもたらされるかをより深く理解すれば、それに同意できない理由もいっそうはっきりする。
フィードバックをもらったときに正直な反応を見せるのは、相手に心を開いているということであり、フィードバックに関心があるという意思表示と同じだ。
だから、頭のなかで思っていることを正直に口にすればよい。
「えっ、そういう言い方をされるのは心外です」「それは思ってもみませんでした」「自分がそんなふうに見られているとは思っていなかったので、言葉もありません。
私の言動の理由を説明させてもらいたいと思っていますが、私の解釈が本当に正しいかどうかも、確かめさせてください」このような意見を述べても、会話を中断させることにはならない。
むしろ、反応を相手に示すことで、理解しようという努力を続けることになる。
フィードバックを理解する努力は続けるべきだ。
なぜなら、フィードバックをもらい、それについて理解が深まるほど、自分自身のためになる何かが見つかりやすくなる。
たとえ見つからなくても、自分がどのように誤解されていたのか、なぜ誤解が生まれたのかは少なくとも理解できるのではないか。
我々はそう考えている。
□「客観的事実」だけではダメか?主観や解釈がフィードバックの理解をそれほど邪魔するなら、客観的な事実だけをフィードバックとして与えればいいのではないか?このような疑問を持っている人もいると思う。
多くの組織は、能力開発モデルや行動規範を作成したり、公式や尺度を使って業績を測ったりすることで、客観的事実だけをフィードバックしようと試みている。
こうした取り組みを行えば、期待する内容が一致し、基準の透明化が進むだろう。
しかし、フィードバックから主観を取り除くことはできない。
そんなことは不可能だ。
どんな尺度を用いても、尺度の背後には必ず主観的な判断が存在する。
「Xが最も重視され、Yが含まれていないのはなぜか?」といった気持ちは必ず生まれる。
尺度の適用の仕方も、主観的な判断に左右されることがある。
たとえば、「私が期待するものにもとづいて言えば、あなたは『期待に応えている』と言える」というフィードバックをもらったとしよう。
その期待は公正なものだろうか?それを知る術はない。
結局は、自分以外の誰かの判断に帰結する。
では、会社の純利益は客観的事実だろうか?ある意味そうだと言える。
利益は数字であり、誰かの主観的希望や思いはそこに含まれない。
とはいえ、この数字の意味は何か?市場平均より0・5パーセント高い数字は、良い、悪いのどちらか。
期待されていた利益の倍の数字であれば、良いと言えるのか。
そもそも、期待されていた利益が的はずれだったのではないか。
CEOの働きと利益にどんな関係があるのか。
このように考えれば、議論の余地はいくらでもあるのではないか?いくら明確に基準や尺度を定めても、誰かがその尺度を個人の業績に適用しなければならず、そこには必ず主観的判断が入ってしまう。
アドバイスに自伝的な要素が含まれることは先に述べたが、それは評価も同じだ。
誰かに与える評価には、評価する人(または組織)の嗜好、想定、価値観、目標が反映される。
広く共有される評価であろうと、個人的な評価であろうと、いずれにせよ、それは評価する側の主観である。
だが、フィードバックはそうあるべきものだ。
指導や評価に長けた人は、判断能力が高いという理由で貴重な存在だ。
歌手が音程の精度を知りたいなら、iPhoneのアプリを使えばいい。
しかし、彼らはボイストレーナーを雇って意見を仰ぐ。
トレーナーが経験で培った意見を知りたいからだ。
ボイストレーナーは、人を感動させる歌い方を教えることができる。
だがアプリでは、うまく歌えているか、歌を通じて、一体感、自身の思い、エネルギーを生みだしているか、といったことは教えられない。
そういうことを指導できるのは人間だけだ。
フィードバックから、解釈や判断を取り除こうとするべきではない。
ただし、判断は熟考のうえで下すこと。
そして、判断だとわかるように伝え、フィードバックを与えた相手と話しあう余地を残す。
間違いの指摘をやめようと思っても、簡単にはやめられない。
それに、間違いの指摘を一切やめる必要はない。
週末に友人とビールを片手に、遊び感覚で間違いの指摘をするのはかまわない。
口論、せめぎ合い、愚痴の言い合い、否定のし合いがしたければ、すればいい。
それが楽しいと思えるなら、楽しみとして行えばいい。
しかし、大事なことについては別だ。
与える側にとって重要なフィードバックや、受けとる側としての自分の役に立ちそうなフィードバックをもらっているときは、間違い探しは忘れること。
そして、違いを見いだすスキルを高め、必要に応じて正しいことを指摘するスキルを発揮できるようになるのだ。
フィードバックから本気で学びたいなら、難しいが実りの多い、こちらのスキルに楽しみを見いだせるようにならないといけない。
CHAPTER3自分だけが知らない自分
アナベルは会社のエース的存在だ。
仕事が速く、創造力に富み、疲れ知らずに働きながらも用心深い。
人の誕生日を覚えるのも得意ときている。
だが、彼女が特別な存在として扱われている何よりの理由は、分析力に秀でた高い知性を持ちながら、人を困惑させる変わった性格の持ち主だからだ。
彼女の下で働く部下たちは、みな彼女にうんざりしている。
といっても、危機的な状況というわけではない。
アナベルは、威張り散らしたり、他人を陥れたりする人間ではない。
むしろ反対で、部下のことを気にかけ、彼らが楽しく働けることが生産性を高めると信じている。
しかし、彼女の部下たちは仕事を楽しめていない。
そのことはアナベルも知っている。
というのも、3年前に実施された部下の意識調査で、そうとわかることを言われたからだ。
「アナベルは気難しい」「短気だ」「部下に敬意を払わない」……。
こうしたことを言われるのはつらかった。
その調査以降、アナベルは敬意を払うことを第一に考えてきた。
しかし、3年たったいま、そんな彼女の努力は一切認められないまま、2回目の調査でまたもや同じことを言われてしまった。
アナベルは、自分の知らないところで何かが起きているのではないかと疑った。
部下の誰かが、彼女を貶めようとしているのではないか。
上司の自分に歯向かうことを密かに楽しんでいるのではないか。
あるいは、上司である自分を親と混同しているのかもしれない。
ときどき、上司を親と混同し、仕事と無関係な問題を上司のせいにする人がいる。
アナベルの言うように、彼女の知らないところで何かが起きているのは間違いない。
だが、部下が彼女を貶めようとしているわけでも、彼女を攻撃しているわけでも、親の代わりに攻撃しているわけでもない。
アナベルは部下に敬意を払っているつもりでいるが、無意識のうちに、そんな努力を無にするサインを送っているのだ。
部下のトニーはこう説明する。
「プレッシャーを感じているときのアナベルとは仕事がしづらいです。
言葉づかいは丁寧でも、こちらへの苛立ちや軽蔑が伝わってきます。
彼女のオフィスへ何かを尋ねに行けば、こちらを睨みつけながら冷たく返事をし、出ていくよう促されます。
彼女はよく、オフィスにくるのはいつでも歓迎だと言っているんですけどね」アナベルは、周囲からどう見られるかを意識して行動している。
しかし、実際に周囲にどんな影響を与えているかは見えていない。
私たちも、アナベルのように気づかないことがあるのだろうか?あると思って間違いない。
実際、自身が表に出していると思っている自分と、周囲の目に映る自分には、つねにギャップがある。
誰かからフィードバックをもらっているのに気づかない、ということもある。
たとえ、自分以外の人全員にとって、自分という人間の共通認識になっていることであっても、自分だけが気づかない。
自分と自分以外の人で、なぜこのようなギャップが生まれるのか?幸い、人が人を理解または誤解することには驚くほどの規則性があるので、周囲に生まれる理解や誤解は予測することができる。
ギャップはこうして作られる
■ギャップはこうして作られる次のマップを見てほしい。
このマップは、周囲からこう見られたいと本人が思う自分と、実際に周囲の目に映る自分にギャップを生む要素を図式化している。
周囲の目に自分が映るまでを、左から右へと段階に分けて表すことで、自分には見えないギャップを生む原因を視覚化しているのだ。
それでは、左から順に見ていこう。
いちばん左は、自分自身の思考や感情である。
ここから意図が形成され、どんな言動をとるかが決まり、起こってほしいことが決まる。
それから、自分の意図を実現するための言動を実行に移すことで、自分の意図が表に出る。
その言動は周囲に何らかの影響を与え、その影響にもとづいて、彼らから見た自分の意図や性格に関するストーリーが構築される。
そして、彼らの自分に対する認識の一部が、フィードバックとして自分に返ってくる。
周囲から語られるときにはもう、自分が知っている「自分自身」とは似ても似つかない姿になっているかもしれない。
それを聞いて、たじろいだり、目を細めたり、首を振ったりすることになるが、自分では自分のことに気がつかない。
自分に関するフィードバックが返ってくるまでの流れは、どこか伝言ゲームのようなところがあるので、メッセージは途中で歪められてしまう。
このギャップのマップを通じて、情報が移動する様子を細かく見ていけば、どこで、どのような理由で歪められたかが特定できる。
アナベルのケースをギャップのマップを使って解説しよう。
まずは背景をおさらいしよう。
3年前、初めて部下の意識調査が実施された。
そのときにアナベルは、部下が彼女から敬意を払われていないと感じていること
を知った。
部下が不満を抱えていると知って動揺したが、彼らの不満をなくしたいと心から思い、以降、部下に「敬意を払う」ことに努めてきた。
さて、起きたことをマップに照らして見ていこう。
アナベルの意図は、自身の言動(矢印3)を変えることに向いている。
しかし、彼女の思考や感情(矢印1)は変わっていない。
ここに問題がある。
アナベルの、部下に対する本心や本音の感情はどういうものか?それは、長年にわたって積み重なった期待や想定のなかにある。
アナベルは自身に高い水準を課すタイプで、それと同じ水準を部下にも求めている。
これは、彼女の性分や育った家庭環境をはじめ、学校や職場での経験からきている。
彼女は、黙って自身の能力を発揮することで、ポジティブなフィードバックをもらってきた。
川の曲線にそって徐々に町が形づくられるように、そうした経験の積み重ねによって、「優れている」や「能力が高い」ということに関する彼女の価値観、想定、期待が形成された。
これでようやく、アナベルの周りに渦巻く逆流にたどり着いた。
アナベルは、自分なら自分自身で何とかすることを、自分に答えを求めにくる部下がいることをよく思っていない。
彼ら自身で何とかする気がない、真剣に取り組んでいない、と思えてしまうからだ。
だから、短気を起こしたり、イライラしたり、部下に失望したりすることがよくあった。
そのせいで、アナベルの本心や本音の感情(矢印1)と、アナベルの意図(矢印2)にズレが生じたのだ。
アナベルは、このズレを隠し通せていると思っているが、本心や本音の感情は、表情や声のトーン、身振りやしぐさを通じて表(矢印3)ににじみ出ている。
アナベルの周囲で働く人たちは、にじみ出た彼女の本心を読み取り、そのうえで彼女の意図は何かと考える。
アナベル自身は、「部下に敬意を払われていると感じてもらいたいので、そう感じてもらえるよう懸命に努力している」と自分の意図を肯定的にとらえている。
しかし、部下たちが語るアナベルのストーリーは違う。
敬意を払っているように見せかけているだけ、というものや、部下を操ろうとしているという声まで聞こえてくる。
「本当は違うのに、部下に敬意を払っていると思わせたいだけ。
敬意を払わないどころか、彼女には誠実さのかけらもない」アナベルの部下たちは、以前にも増して不満や苛立ちを抱えるようになり、2回目の意識調査でそのことを明らかにした。
評価を受けとったアナベルは、ショックを受け、自分の努力が認められず誤解されていると感じている。
アナベルと部下たちは、厄介な悪循環に陥っているのだ。
ここからは、自分自身には見えない自分(自分の盲点)を周囲はどう見ているか、ということについて探っていく。
それから、他人の目に映る自分と自分が思う自分のギャップには規則性があると先に述べたが、そのギャップを広げる原因となる三つの「ギャップ増幅要素」を見ていくことにしよう。
自分にだけ見えていない、意外な盲点
■自分にだけ見えていない、意外な盲点「盲点」とは、自分には見えないが自分以外の人には見える何かを指す。
何が盲点になるかは人それぞれだが、私たち全員に共通する盲点がいくつか存在する。
自分が認識していることと、自分以外の人が認識していることをそれぞれマルで囲むと、自分の言動のほとんどが、自分の認識ではなく、自分以外の人の認識のなかにあることがわかる。
人との交流はそういうものだとわかってはいても、自分自身の言動のほとんどが自分には見えないと聞くと、なぜか意外に感じてしまう。
□顔に出ているあなたの顔は、誰の目にも見えている。
ただし、自分自身では見ることができない。
人は、表情を通じて膨大な情報を伝える。
しかし、自分には見えないため、それは盲点の一種である。
人体の構造上、人はどうしても自分の内側から外を見ることしかできない。
風呂場の鏡を見れば、どんな姿をしているかはわかるが、外に出ているときや動いているとき、実際に人と会っているとき、生活のなかの出来事に反応しているとき、自分がどんなふうに見えているのかはわからない。
なぜ、表情を通じて多くの情報が伝わるのか?顔立ちがはっきりしているとか、表情が豊かだとかは関係ない。
そのときの感情がおでこに表示されるわけでもない。
実は、人間は他人の表情を読む能力が素晴らしく高いのだ。
この能力は、長い年月を通じて培われてきた。
人間が進化を遂げて生き延びてこられたのは、最強の種だったからでも、最も賢い種だったからでもない。
互いに協力しあうことができる種だから生き延びたのである。
私たち人間は、ひとりではできないこと(大きな獣の狩りなど)を、協力して行うことができる。
ただし、人間は、協力に加えて競争もする。
助けようとする人と傷つけようとする人が同時に存在すると、人とのつきあいはとたんに複雑になる。
協力と競争が共存する人間社会では、敵と味方を確実に区別できる人が有利になる。
そして、確実に区別できるようになるためには、自分以外の人の感情や動機について、論理的な推測を立てる能力が求められる★1。
私たちは、他人の行動や動機について、どのように推測を立てているのか?まずは、相手が語る、感じていることや動機に耳を傾ける。
しかし、それだけでは十分とは言えない。
その相手が、自分を騙そうとしていたらどうなる?相手の言葉だけに頼らず、感情や動機を推測する方法が必要だ。
だから、表情や声のトーンに含まれるニュアンスを読み取る能力が発達し、それを通じて、他者のことを推測する「心の理論」が形成されたのである★2。
人間に他人の心を読み取る器用さが備わっていることは、それを持ち合わせてない人を見たときによくわかる。
自閉症と診断される人の多くは、まさに心の理論に障害がある。
他人の目をほとんど見ないので、顔や声のトーンを通じて送られるサインを読み取れないのだ★3。
表情や声の調子で何かを伝えることは、ほとんどの人にとってはごく自然なことだが、自閉症の人にとっては理解しがたいこととなる。
心の理論が備わっていると、ほぼ無意識にそうしたサインを読み取る。
サイエンスライターのスティーブン・ジョンソンは、「他者の気分は、その人の目や口
角を見るだけで推し量れる」と言い、さらにこう続ける。
「読み取る行為は無意識に行われ、それで得た情報が顕在意識に送られる。
つまり、情報は認識しているが、実際にどうやって得ているのか、そういう情報の習得にどれだけ長けているかは、自分でもわからない★4」□声に出ている声のトーンもまた、私たちの感情に関する情報を驚くほど多く伝える。
人は、相手が何を言ったかだけでなく、どう言ったかでも意味を感じ取るのだ。
その割合を正確に測ることは不可能だが(ある調査では38パーセントと言われている★5)、声のトーンが多くを語ることは間違いない。
俳優は、100通りの言い方で、100通りの意味の「愛している」を言うことができる。
情熱的な言い方や服従する言い方、自信にあふれる言い方や疑い深い言い方もできれば、宣言するような言い方や、尋ねるような言い方もできる。
「俺が愛してるってわかってるのか?」「僕は君を愛しているんだろうか?」「俺のことを愛しているのか?」……。
声のトーン、高さ、リズム(これらは言語学の世界で「イントネーション曲線」と呼ばれている)によって、意味が強調されたり損なわれたりする。
つまり、話し手の感情に関する情報が、それらを通じてたくさん送られるのだ。
赤ん坊は、聞こえたことをSTS(上側頭溝)で分類する。
STSとは、耳のすぐ上に位置する脳の部位だ。
生後4カ月になると、耳に聞こえるあらゆる情報がSTSに集まってくる。
そして7カ月になると、STSに集まった情報から、関心を向ける対象として人間の声だけを抽出するようになり★6、感情を含んだ声が聞こえたときだけ、STSが活発な活動を示すようになる。
言語の取り込みと、声のトーンや意味の読み取りに専念しているのが、脳のこの小さな部位なのだ。
しかし、自分が言葉を発するとき、STSは活動を停止する。
つまり、自分自身の声は、少なくとも周囲に聞こえているのと同じようには聞くことができない。
だから、自分の言い方に関するフィードバックをもらうと、意外に感じることがよくあるのだ(「声のトーン?トーンなんか変えていないぞ!」)。
また、録音した自分の声が、自分の声に聞こえないのもこのせいだと言える。
自分の外に出てしまった声は、STSを通して耳に入ってくるので、自分以外の人と同じ声をいきなり聞かされることになる(そして、「自分の声はこんなふうに聞こえているのか!」と驚く)。
私たちは、毎日自分の声を聞いているが、実は聞いていないとも言えるのだ。
興味深いことに、オペラ歌手がボイストレーナーを雇う理由にも、どうやらこのことが関係しているらしい。
「ボイストレーナーは自分の〝外の耳〟だと思っている」と、ソプラノ歌手のルネ・フレミングは述べている。
「歌っているときに自分に聞こえる声は、観客に聞こえる声と違いますから★7」ロンドン大学ユニバーシティカレッジでリサーチャーを務めるソフィー・スコットは、脳の聴覚器官であるSTSが自分自身の声に関心を向けないのは、自分の思考を理解することに高い関心を向けていることも一因ではないか、と考える。
人は、一度に一つのことにしか関心を向けることができない。
だから、自分がやろうとしていることを行動に移すにはどうすればいいかと考え、自分の意図の理解に集中するのだ★8。
アナベルの意識は、自身の思考や意図に向いていて、自身の態度や声のトーンは意識していない。
つまり、表情と同じで、自分では意識しないまま、自分の思いや感情に背くトーンで話していることが多いのだ。
和やかな気持ちが伝わる話し方をしているつもりでも、相手にぎこちなく聞こえることはある。
自信たっぷりに話しているつもりが、もったいぶった不安げな話しぶりに聞こえることもある。
愛情を伝えているつもりなのに、疑惑の種を植えつけてしまうことだってある。
□行動に出ている自分の行動の微妙な違いが盲点になりやすいと言われれば、素直に納得できるだろう。
眉間にシワが寄っている、声のトーンが鋭くなった、といったことに気づかなくても不思議ではない。
しかし、もっと大きな、自分の行動パターンとして定着しているようなことですら、自分で気づけないと言われると、驚かずにはいられない。
ベネットはその驚きを体感した。
子どもたちとジェスチャーゲームをして遊んでいたとき、5歳の息子が、携帯電話に向かって大声で話しながら歩きまわる人の真似をした。
それを見た娘の顔が明るくなり、「パパだ!」と叫んだ。
ベネットが顔をしかめて「どうしてパパなんだ?」と尋ねると、娘はこう答えた。
「だって、パパはいつも携帯電話でしゃべっているもん!」本当にそうなのか?ベネットは、子どもの前でできるだけ携帯電話を使わないようにと意識している。
だが、子どもたちの目にはそうは映っていない。
パパは、家族と一緒にいても、つねに携帯電話をかけるか受けるかしていると思っているのだ。
このような認識の違いが生まれる原因の一つは、時間の感覚にある。
電話中の人は、会話に集中しているので、時間の流れが速く感じる。
しかし、周りにいる人には、その人が話していることしか聞こえない。
会話の内容はわからないまま、意味を成さない会話の半分が漏れ聞こえるだけなので、時間の経過がゆっくりに感じる。
自分以外の人にとっては笑ってしまうほど顕著な行動パターンですら、自分には見えないこともある。
この4年で6人の恋人とつきあった人は、新しい恋人ができると必ず、友人の前で「運命の人」だと宣言する。
つきあい始めのうちは、豪勢な旅行に出かけるなどするが、熱を上げている期間が過ぎて数カ月ほどすると、ふたりの関係に先がないと感じるようになり、自ら別れを切りだす。
その人の友人なら誰でも、新しい恋人ができてから別れるまでの流れをグラフに表すことができるだろうが、当の本人は、自分の恋愛にパターンがあるとは微塵も思っていなかった。
親友が実際にグラフに書いて見せてようやく、パターンに気づいたのである。
□送信メールでこんなにわかる意外に思うかもしれないが、人は、メールからも感情やトーンを読み取ろうとする。
もっと正確に言えば、送り主の顔が見えなく(声が聞こえなく)ても、相手の気分や意図を知りたいという欲求は消えないので、そのヒントとなるものを集めようとするのだ。
メールには、太字、⁉や‼の多用、不用意に(戦略的に?)CCに含まれた人選、といったわかりやすいヒントもあれば、使用される言葉や送られてくるタイミングといった、ヒントかどうかよくわからないヒントもある。
メールをもらう人は、瞬時に返信された、または返信に時間がかかった、といったことでも悩む。
3語で返信がくれば、3語の返信に何か意味があるのか、単に簡潔な返信にしただけなのか、と悩む。
あふれんばかりの言葉が綴られていれば、丁寧なだけなのか、何かに怒っているサインなのかと悩む。
メールに書いてある言葉はわかる。
だが知りたいのは、その言葉が意味するところなのだ。
□隠したいことがバレている可能性私たちは、他者の表情や声のトーン、態度をつねに読み取っているが、だからといって、つねに正しく読み取っているとは限らない。
自分の発言が自分の感情と合っていないと誰かが気づかせてくれることはよくあるが、どうやってそれに気づいたかは、気づかせてくれた当人もわかっていないことが多い。
単純に読み間違える、ということもときどき起こる。
パーティの場で自分から声をかけるのが恥ずかしく、誰かに声をかけてほしいと思っていても、入り口のそばに佇んでいる姿を見た人は、「近寄りがたい」「声をかけづらい」と感じる。
態度が表している何かに気づいても、解釈が伴わないことがあるのだ。
また、隠しておきたいことに周囲が気づいてしまう場合もある。
アナベルの部下がまさにそうだ。
睨む、ため息をつく、作り笑いをする、といった態度に、彼女が隠そうとしていた本音の感情が漏れ出てしまっている。
「腹を立てている」と言わなくても、顔に書いてあるのだ★9。
三つのギャップ増幅要素
■三つのギャップ増幅要素自分のことは自分ではよく見えないが、自分以外の人が自分のことに気づいてくれる。
自分にとっての盲点は、他人にとっては目立つことなのだ。
とはいえ、見えるものが違うというのは、盲点のせいで生じる食い違いの一部にすぎない。
自分自身が見る自分と、他人が見る自分のギャップは、三つの要素を通じて増幅する。
この三つは相関関係にあるが、一つずつ順に見ていくことにしよう。
①感情の算数感情は、自分が見る自分と他人が見る自分のギャップに大きく関係する。
自分は、自分というものから特定の感情を差し引こうとする。
「その感情は本当の自
分ではない」と思うからだ。
一方、自分以外の人は、感情を倍に勘定する。
「感情こそ、その人そのものだ」と考えるのだ。
サーシャは、娘がカレッジの入学に伴い家を出てからというもの、思いがけない喪失感を味わっている。
そんな彼女を気にかけてくれているのが友人のオルガで、あらゆる面でサーシャを支えている。
だから、サーシャとオルガの共通の友人から、オルガがサーシャのことを「自分勝手で被害者ぶっている」と言っていたと聞いたとき、彼女は凍りついた。
サーシャには、そんなふうに言われる覚えはない。
自分の感じている孤独について話すことはあるが、ひとり娘が家を出たのだから、それくらいするのは当然ではないか。
ところがサーシャは、オルガに会うたびに、延々と不満を語って聞かせていた。
彼女にはその認識が欠けている。
くる日もくる日も、何時間もぶっ通しで自身の苦しみについて語るだけ。
それを聞かされるオルガがどう感じるかはお構いなしで、オルガの近況について尋ねることすらしなかった(オルガ自身もつらい時期に直面していた)。
サーシャの言い分も、オルガの言い分も理解できる。
サーシャは孤独に苦しみ、オルガは、支えとして頼られていることに参っている。
サーシャがオルガに不満を打ち明ける気持ちも、オルガがそのことで別の友人に愚痴を言う気持ちもわかる。
彼女たちの例を出した目的は、どちらが正しいかを判断することではない。
サーシャが彼女自身を語るうえで、感情を差し引いていることに注目してもらいたい。
この引き算が行われるから、フィードバックに対するサーシャの反応は次のようなものになる。
共通の友人からオルガが言っていたことを聞いたとき、サーシャは単に傷ついただけでなく、その内容に困惑した。
「それは事実じゃない。
どうしてオルガはそんなことを言ったのだろう?」怒りもまた、怒りを発している本人に見えないことが多い。
役員へのプレゼンテーションを翌日に控えたあなたは、同僚とふたりでプレゼンテーションの最終準備に追われている。
外がすっかり暗くなった頃、同僚が、業界を変えるすごいアイデアを思いついたと、興奮した様子で話しだした。
しかし、あなたは途中で彼の話を遮る。
「一からやり直すって言うのか?もうこんな時間なのに?バカ言うな!」。
それだけ言うと、あなたはすぐさま部屋を出た。
その場にいたら、もっといろいろ言ってしまうと思ったのだ。
翌日、その同僚が、昨夜自分が怒ったときの様子を語りだし、あなたが部屋から「飛びだした」と言った。
それを聞いたあなたは啞然とした。
「僕は君に向かって声を荒らげたことは一度もない」ときっぱりと言いきり、「それに、部屋を飛びだしてもいない」と続けた。
あなたの記憶には、そんなことをした覚えは一切ない。
人は、怒りを感じるとき、意識は怒りを覚えた対象に、つまりは自分にとって脅威となることに向いている。
そして、後になって思いだすのはその脅威である。
同僚にとっての脅威はあなたの怒りだ。
あなたが怒ったことは、ストーリーの一部ではない。
ストーリーの中心だ。
だから、同僚があなたについて語るうえでも、あなたと話をするうえでも、あなたが怒ったということは絶対に欠かせない。
この例からわかるように、強い感情は、自分の一部というよりも、自分を取り巻く環境の一部のように感じる。
「私が怒ったのではない。
ピリピリした状況だったのだ」と思ってしまう。
しかし、状況はピリピリしない。
ピリピリするのは人だ。
②状況VS性格感情の差し引きは、本来はもっと大きな力の一部である。
何かうまくいかないことがあり、自分がその責任の一端を担う場合、人は自らの行動を状況のせいにしようとする。
しかし、周囲はその人の性格のせいにしようとする★10。
パーティで残り1個のケーキを手にとれば、周りにいる人からは、手にとったのは自分のことしか考えていないからだと言われる(性格のせい)。
しかし、自分としては、誰も手にとろうとしなかったから手にとったのだと思っている(状況のせい)。
会議に5分遅れれば、他人はそそっかしいからだと言う(性格のせい)。
しかし自分は、5件の仕事を抱えているからだと言う(状況のせい)。
この違いは、単に自分を大目に見るかどうか、ということではない。
ストーリーの語り方は1通りではない、ということの表れである。
極端なことを言えば、詐欺商法で捕まっても、もっともらしい理由をあげることはできる。
たとえば、多くの投資家を破産に追い込んだ男であっても、自らを社会の立派な一員だと思っていても不思議ではない。
「私はつねに社会のことを考え、多大な貢献をしてきた。
誰かを傷つけようと思ったことは一度もない。
しかし、自分の手に負えないことに巻き込まれ、逮捕された」。
逮捕されたのは、自分のせいではなく状況のせいだと言いたいのだ。
③影響VS意図最後の一つとなるこの要素は、ギャップのマップですでに提示している。
私たちは、自分の意図(矢印2)によって自分自身を判断するが、自分以外の人からは、彼らにもたらした影響(矢印4)によって判断される。
たとえ意図が善良なものであっても、招いた結果がよくなければ、他人が語るストーリーと、自分が「真実」として知っているストーリーとのあいだにギャップが生まれる。
アナベルのケースがまさにそれだ。
彼女は、部下の仕事ぶりに苛立ちを感じたり、彼らを見下す気持ちになったりすることがよくある。
しかし、部下には上司である自分から感謝されていると実感し、職場で気持ちよく働いてもらいたいので、彼らに敬意を示そうと考えた。
よいことをやろうとしたのに、何がうまくいかなかったのか?うまくいかなかったのは、部下への影響だ。
部下たちは、「良い影響はもたらされなかったが、やろうとしたことに意義がある」とは思わない。
マイナスの影
響を生んでいると気づいたら、アナべルは気難しいうえに不誠実だ、という結論を出す。
アナベルは自分の意図で自分自身を判断するのに対し、部下は彼女がもたらした影響で彼女を判断するのだ。
これは世の中に共通するパターンだと思えばいい。
人は、誰かとのやりとりについて語るとき、自分の意図を中心に語る。
自分はよかれと思ってやった。
誰かを助けたいと思ったのかもしれないし、誰かの相談に乗ろうと思ったのかもしれない。
指導しようと思った、という場合もあるだろう。
いずれにせよ、善良な意図を持って行えば、相手はきっと、助かった、道が開けた、成長を助けてもらえて感謝している、といった気持ちになる。
だから、周りの人は、自分のことをよい人間だと思っているに違いない。
これが自分のことを語るときの心理だ。
しかし、周りの人は、彼らにもたらされた影響を中心に語る。
どんなに素晴らしい意図が上司にあっても、部下にマイナスの影響をもたらすことはある。
そうなると、部下は、威張り散らして部下を支配する上司だと感じる。
しかも、上司はわざとそうしている、わざととまでいかなくても、威張り散らしている自覚があるのに直さないと考える。
そして、威張り散らす、またはそれを直す気がないということは、「悪い人間に違いない」となる。
威張り散らして部下を支配する、と言われた上司は、ショックを受けると同時に戸惑う。
それは自分ではないと切り捨てる。
上司にとっては間違いでしかないからだ。
すると部下は、上司は本当の姿に気づいていないか、誰もが事実だと知っていることを認められないほど自己防衛が過剰な人だと結論づける。
では、ギャップを増幅させないためにはどうすればいいか。
フィードバックについて語るときに、影響と意図を分けるのだ。
「気難しい」というフィードバックをもらったアナベルは、自分は気難しくないと主張している。
これは、「私は善良な意図を持って行動しているのだから、良い影響を生みだしている」と言っているのも同然だ。
だが、アナベルは、彼女の行動が生みだしている影響を、実際のところは気づいていない。
だから、フィードバックをもらったときは、意図と影響を分ける必要がある。
「私は我慢強くなろうと努力している(矢印2、自分の意図)。
でも、どうやら私が彼らに与える影響(矢印4、周囲に与える影響)は、自分の意図と違っているようだ。
なぜそうなったのか、理由を解明しよう」となるべきなのだ。
フィードバックを与える側もまた、影響と意図を混同している。
自らが想定した意図にもとづいて、フィードバックを与えているのだ。
彼らもやはり、「他人のアイデアを自分の手柄にしようとしている」というように、話し手が想定した意図を含めてはいけない。
そうではなく、相手の態度によって生じた影響だけを語ったほうがいい。
「あなたがそれを、あなた自身のアイデアだと言ったとき、私は驚き、混乱しました。
そのアイデアは私が考えたものだと思っています」とすべきだ。
しかしながら、これができる技量や慎重さを持つ人はほとんどいない(なにしろ、フィードバックを与える人はひどい人間に決まっている)。
□結論:人は自分のことをいい人だと思っているギャップを増幅させる要素として、自分の描写から特定の感情を差し引く傾向、失敗を性格のせいではなく状況のせいだととらえる傾向、自分が周囲に与えた影響よりも、自分の意図に注目する傾向の三つを紹介した。
どれも納得がいくだろう。
実際、アメリカには、職場でいじめの被害に遭ったと報告した人は37パーセントいるのに対し、いじめをしたと報告した人は1パーセントにも満たないという統計がある。
1人によるいじめで複数の被害者が出る可能性はあるが、1人につき平均37人の被害者が出るとは思えない★11。
それよりも、相手はいじめに感じるという認識のないまま、不当な扱いをしている人がいる、と考えるほうがありうる。
そういう人たちは、自らの意図(「俺はただ、きちんと仕事を終わらせようとしただけだ!」)によって自らを判断し、周囲の反応を、彼らの過剰な繊細さ(性格)や状況(「緊迫した状況だったんだ。
誰だってそういう反応をするさ」)のせいだと考える。
だから、周囲の人をいじめないようにと伝えても、何の解決にもならない。
彼らには、いじめているという自覚がないのだ。
そういう人には、特定の態度が与える影響について話したほうが(場合によってはその態度を禁じてもよい)、そういう態度をとっているときの自分を意識するようになるので、盲点だった部分に光が差し込み始める。
また、納得できないフィードバックや間違っていると思えるフィードバックの受けいれ方や理解の仕方を教えると、よりよいやりとりを生む助けとなるだろう。
「見えないもの」を見る方法
■「見えないもの」を見る方法まずは、盲点が見えるようにならないことから話を始めよう。
自分自身を曇りのない目で見ようとしても、見えるようにはならない。
なぜなら、いくらしっかりと自分を見つめたところで、「自分に見えていないところはない。
フィードバックが間違っている」という確信が強くなるだけだからだ。
フィードバックが間違っている原因は何かと考え、そのうち、それをくれた人の魂胆や性格の問題点を突きとめようとし始める。
フィードバックを受けとる側もまた、ギャップのマップどおりの反応を示す。
ただし、矢印の方向は逆だ。
自分が混乱しているのはフィードバックが間違っているせいだと理解し、それをくれた相手には何か意図があるはずだと想定する。
つまり、くれた相手に何かしらの思惑があるか、深刻な問題があるかのどちらかだ、と考えるのだ。
いま述べた思考は機械的に発生するので、自分のために利用することができる。
間違ったフィードバックをもらったと思ったときは、フィードバックやそれをくれた相手を切り捨てたりせず、この思考を盲点探しに活用しよう。
「くれた人の意図は何か?」「くれた人はどうしてしまったのだろう?」と考えている自分に気づいたら、それに続いて「このフィードバックは、自分の盲点を代弁しているのだろうか?」と考えるのだ。
□何が成長の妨げになっているのかを尋ねる盲点を見つけるためには、具体的なフィードバックを求める必要がある。
だが現実には、漠然としたフィードバックを求める人が多い。
また、フィードバックを求めるのは評価が欲しいという意味だととらえる人もいる(それが正解のときもあるが)。
たとえば、「それで、私は大丈夫でしょうか?」や「何か気になるところはありませんか?」と何気なく尋ねたとしよう。
すると、尋ねられた相手は、尋ねた目的を推測する。
大丈夫って何が?このプロジェクト?人間関係?リーダーシップ?それとも人生全体か?と悩み、どの程度正直に答えるべきか思案する。
この問いかけは、9歳の子どもに「どんな一日だった?」と尋ねるようなものだ。
当然、その返事は何の変哲もないものになる。
「よかったよ」だから、次のように尋ねよう。
「あなたの目から見て、私のどんな態度が成長の妨げになっていると思いますか?」。
この質問のほうが、どの程度の正直さを求めているのか、自分の与えるどんな影響に関心があるのかが、相手に具体的に伝わる。
このように、質問する内容の幅を狭めたほうが、答える側も答えやすい。
最初のうちは恐る恐る話すかもしれないが、心からの興味と関心を示せば、自分の姿を明快かつ詳細に、自分のためになる形で描写してくれるだろう。
□他人の目に映る自分を知る納得のいかないフィードバックをもらうと、それを否定するフィードバックを探そうとする。
それは、自分自身を守るためだ。
「自分のことしか考えていない」と言われれば、前年に地域に貢献した者として表彰されたことを持ちだす。
「仕事の邪魔をしている」と言われれば、その人が先週実施したプレゼンテーションこそが、仕事の邪魔だったと思う。
だが、否定するフィードバック探しはもうやめて、一つ息をついて矛盾のないフィードバックを探そう。
探し方は2種類ある。
まずは、自分の描写と周囲の解釈がどの程度異なるのか、ということについて考える(表を参照)。
周囲があなたを誤解していることもあれば(シャイVSよそよそしい)、あなたが周囲に与えている影響に気づいていないこともある(積極的VS高圧的)。
最初は「自分の思いと違う」と思うが、どの程度異なるのかという視点で解釈し直せば、少なくとも問題になっている自分の態度がどれかはわかる。
もう一つの探し方は、「以前に同じことを言われたことはないか?」と自分に問いかける方法だ。
そういうフィードバックをもらうのは初めてだろうか?それとも、似たようなことを以前にもほかの人(または同じ人)から言われたことがあるだろうか?パターンが見つかれば、盲点に気づく重要なヒントが得られる。
小学校1年生のときの担任と1人目の妻から不衛生だと小言をもらったのなら、そろそろそのフィードバックを真剣に受けとめるべきだろう。
□第三者から意見をもらう重要なフィードバックをもらってもその内容に共感できないときは、自分の抱える疑問を友人にぶつけるとよい。
ただし、「そんなわけない。
君もそう思うだろ?」という言い方ではダメだ。
問題点をはっきりと尋ねる必要がある。
「こんなフィードバックをもらったんだけど、間違っている気がするんだ。
最初は無視しようと思ったけれど、自分に見えていないことを教えてくれているのかもしれないと思い直した。
僕がそういう態度をとってるところ、見たことある?もしあるなら、どんなとき?それが、周りにどんな影響を与えてる?」このように、正直な意見を求めていることを、友人に伝える必要があるのだ。
その理由をこれから説明しよう。
フィードバックを与える人は「もらった人を映す鏡」とも呼ばれ、もらった人自身が自らの態度に気づくきっかけとなってくれる。
しかし、鏡に映る姿がどれも同じとは限らない。
フィードバックの鏡には、「励ましの鏡」と「正直な鏡」の2種類がある。
励ましの鏡は、相手の最高の状態を映す。
しっかりと休息をとり、特別な照明に照らされた姿だ。
人は、安心したいときにこの鏡のところへ行く。
「あの瞬間の姿はかわいくなかったけれど、あれは本当の姿じゃない。
だから大丈夫。
たまたま悪く映っただけ。
さっさと忘れなさい。
あなたは素敵な人なんだから」一方、正直な鏡は、その瞬間の自分の姿を見せてくれる。
最高の状態でなかろうと、ひどい寝癖がついていようと関係ない。
周囲の目に映った姿をありのままに映す。
人は、意識的または無意識に、近しい人に励ましの鏡になってもらおうとする。
たとえば、購入部の担当者からもらったフィードバックについて話しながら、暗に友人を自分の味方につけようとする。
「大げさな反応だろ?こっちはもっと大きな心配ごとを抱えているっていうのに、あの担当者はわかってないよな」という具合だ。
『白雪姫』に出てくる邪悪な女王と同じで、鏡に正直な評価は求めない。
求めているのは、元気になる言葉や励ましだ。
励ましや応援はなくてはならないもので、それを独自のやり方で与えてくれるのが、友人や愛する人だ。
しかし、その役割を担う人は、困った状況に陥るかもしれない。
批判的な意見を正直に伝えることにためらいを感じることがあるからだ。
とはいえ、正直な意見を伝えたほうが、相手のためになるかもしれない。
「あのさ、購入担当者の言っていることがすべて正しいとは思わないし、もっと違った言い方ができたとも思う。
でも、その人が言おうとしていることはわかるよ。
君にできることが何かあるんじゃないかな」正直な意見をためらうのは、彼らが臆病だからではない。
とまどいながらも相手のことを考えているからだ。
相手にとって最善の行動をとりたいが、はたして、励ますだけでいいものか、と彼らは悩む。
お決まりとなっている励ましはやめたほうがいいのか、やめるにはどうすればいいのか、とも悩む。
彼らが悩むのもうなずける。
これまでずっと励ましの鏡だった人が、突然正直な鏡に変わってしまったら、頼っていた相手は、裏切られたような、不意打ちを食らわされたような気持ちになる。
正直な鏡と励ましの鏡という考え方は、聞きたいことを友人に伝えるときに活用できる。
書き上げたばかりの脚本を手渡すときや、リフォームした部屋を見せてまわるときに、相手に何らかの指針を与えるのだ。
何に正直さを求め、何に安心を求めているのか。
それを明確に伝えれば、予期しないフィードバックを避けることができるだろう。
□自分を記録する録画された自分の姿や録音された自分の声に不快感を示す人は多い。
しかし、自分を知る大きな助けとなりうるのは確かだ。
自分自身を録画や録音すれば、自分では知ることのできない声のトーンや態度を知ることができる。
自分が毎週開いているアイデア会議を録音したゾーイは、そのおかげで見えていなかった自分の態度に気づけた。
ゾーイは独創的なアイデアを生みだしていると自負していたが、会議の出席者たちから「アニー・オークリー」と呼ばれているという噂を聞いてショックを受けた。
射撃の名手だったアニーのように、あらゆるアイデアを撃ち落とすから、という理由らしい。
ゾーイは、スマートフォンを使っている出席者に頼み、いくつかの会議を録音してもらった。
録音作業は任せると伝えたものの、会議を録音するということで、出席者のあいだに、彼女ではなく彼らのデータを集めるつもりなのではないかという不安が広がった。
録音を聞いたゾーイは呆然とした。
「私の口から最初に出る言葉は、つねに否定的なものでした。
誰かがアイデアを出すと、必ず異議を申し立てていました。
『私が心配なのは……』『それはうまくいかないと思う。
だって……』という具合です。
録音を聞くと本当によくわかるのですが、自分ではそんなことをしているとは思ってもみませんでした」ゾーイはすぐさま事態を理解した。
斬新なアイデアは会社の生命線だと心から信じているが、それに時間をかけるのは無駄ではないかという危惧もあった。
その不安から、攻撃的なことを口にしていたのだろう。
自らアイデアを求めたとはいえ、いざアイデアが出ると、それが失敗したときのことを想像してしまうのだ。
しかし、ゾーイは自らの態度を認識した。
そしていまでは、会議に出席するメンバー全員で、アイデアを出す緊張感を共有している。
■どんな本心も人は読み取れる
部下は見下されていると感じている、と言われたアナベルは、自身の態度に問題があるのだと受けとめた。
だから、「見下された態度をとられるのが嫌なら、敬意を払う態度に改めよう」と考えた。
しかし、部下が求めていたのは、敬意を払っているように見せかけた態度ではない。
アナベルに心から敬意を払ってほしかったのだ。
どんな本性や本心を抱えていても、人はそれを読み取ってしまうのだと、アナベルは考えを改めるべきだ。
そうすると、彼女に二つの選択肢が生まれる。
一つは、本音の感情について部下と話しあうこと。
部下に対して苛立つ理由や、彼らに対する期待は何にもとづいて生まれたのか、彼らがどういう行動をとれば苛立たないのか、といったことを説明するのだ。
そしてもう一つは、本音の感情を変える努力をすること。
周囲からの見られ方ではなく、心の底から部下に敬意を払えるようになる努力をするのだ。
前者を選べばきっと、彼女が想像する以上に肩の荷が下りることだろう。
部下に期待することを明らかにしたうえで、彼らと一緒に問題を解決することができるのだから。
彼女の期待は現実に即しているのか。
即しているなら、部下がその期待に達するためにはどうすればいいのか。
アナベルは、部下の成長を妨げるようなことをしていないか……。
こうしたことを、部下と話しあえるのだ。
期待どおりの働きをしてくれるとアナベルが心から信じるようになれば、部下が最初に抱いていた彼女のイメージはすぐに消えるだろう。
後者の場合は、自身の感情と態度を自ら変えることが求められる。
フリをするのでも、隠すのでもない。
部下を心から理解し、彼らに感謝する気持ちを育まないといけない。
そのためには、これまでとは違った視点から部下の働きを観察し、一個人としての彼らのことを知り、これまで以上に彼らの長所を探すことになるだろう。
自分自身の本音と向きあい、それを変えると心に決めれば、部下に協力を求めることもできる。
「私はプレッシャーを感じると、ついイライラしてしまう。
最近ようやく、無意識にそれを表に出していたんだって気づいたの。
もっとうまくプレッシャーとつきあえるように努力するから、私がイライラしていると感じたら、私に教えてほしい」と頼んでもいいだろう。
自分の本心を変えたいときは、周知の事実となっている自分の行動パターンを認識し、それを変えようと本気で取り組んでいることを、周囲にはっきりと伝えよう。
このチャプターに書いたことは、あくまでも、もらったフィードバックに限った見られ方の話である。
知り合い全員が自分のことをどう思っているかを確かめることを勧めているわけではない。
知らないほうがいいこともある★12。
人が人に抱く思いは本当に複雑だ。
驚くほど悪く思う考え方と、それ以上に驚くような自分を肯定する考え方が同居している。
ほとんどの人間関係においては、相手は自分のことを総じて好意的にとらえている、ということさえわかっていればいい。
それがすべてではないにしても、好意的にとらえていることも事実だし、それが自分のためにもなる。
よく思われていると思っていたほうが、気分がいいし、自信も生まれるので幸せだ。
しかし、この論法は、誰かが自分にフィードバックを与えようとするときに破綻する。
フィードバックをもらったら、そのなかで自分がどう見られているかを理解することが重要になる。
それが、相手のため、または自分のためなのだ。
そしてこのときに、自分の盲点に光を当てられるかどうかで、結果が大きく変わる。
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