優れた知的生産に共通すること
僕がこれまでに見てきた「圧倒的に生産性の高い人」にひとつ共通していることがある。
それは、彼らが「ひとつのことをやるスピードが10倍、20倍と速いわけではない」ということだ。この気づきをきっかけに「彼らは何が違うのだろう?」「知的生産の本質って何だろう?」という問いへの答えをずいぶん長い間探し求めてきた。
これまで、僕は10年以上にわたって外資系コンサルティング会社で経営コンサルタントとして働き、その途中でビジネスの世界を離れ、科学者として脳神経科学(ニューロサイエンス)の研究を行ってきた。
そして、ここでもひとつ気づいたことがある。それは分野がビジネスであろうとサイエンスであろうと「本当に優れた知的生産には共通の手法がある」ということだ。
あるとき、そんな内容を個人のブログ(*)に書いたところ、思わぬ反響があった。ある週末の朝に書いたそのエントリに数千に及ぶブックマークがついたのだ。
気軽に書いたもので、かつ内容もそう易しいものではなかったので、その反響の大きさには正直驚いた。そして、寄せられたコメントには「ようやくわかった!」「もっと詳しく聞きたい」といった内容が多くあった。
このとき「こうした内容を共有することが多くの人の役に立つのかもしれない」と思ったことがこの本を書こうと思ったきっかけだ。ちまたに「問題解決」や「思考法」をテーマとした本は溢れている。
しかし、その多くがツールやテクニックの紹介で、本当に価値あるアウトプットを生み出すという視点で書かれたものは少ないように感じる。
意味あるアウトプットを一定期間内に生み出す必要のある人にとって、本当に考えなければならないことは何か。
この本はそのことに絞って紹介したい。この本でもいくつかカギとなる考え方を紹介する。しかし、それは単なるノウハウではなく、本当にやるべきことを補助するための道具箱、という位置づけだ。
「ロジックツリー」「MECE」「フレームワーク」……、どれも正しく使えばとても強い力をもつツールだが、それらを知っているだけでは答えを導くことはできない。
「カナヅチをもっていればすべてのものがクギに見える」という言い回しがあるが、このように目的を知らずにツールだけを使うのは危険だ。
いわんや、「アウトプットとして何を生み出すことに意味があるのか」、ツールからその答えを導き出すことはできない。では何が本当のカギなのか?それがこの本のタイトルにある「イシュー」だ。「イシューとは何か」。
それについてはこの本を通してじっくり説明していくが、実際のところ、「何に答えを出すべきなのか」についてブレることなく活動に取り組むことがカギなのだ。
イシューを知り、それについて考えることでプロジェクトの立ち上がりは圧倒的に速くなり、混乱の発生も予防できる。目的地の見えない活動はつらいが、行き先が見えれば力が湧く。つまり、知的な生産活動の目的地となるものがイシューなのだ。
このイシューが僕らの行う知的生産において、どんな役割を果たし、どのように役立つのか。イシューをどのように見分け、どう扱っていくのか、本書を通してそれを説明できればと思う。
「知的生産って、そもそも何をやることだろう?」「論文を書くって、そもそも何から考えることなんだろう?」「問題解決のプロジェクトって、どう進めていくんだろう?」ビジネスパーソンであれ科学者であれ、「毎日の仕事や研究で発生する問題の本質がどうもつかめない」ともやもやしている人に何らかのヒントとなれば、そう願っている。
悩まない、悩んでいるヒマがあれば考える
「〈考える〉と〈悩む〉、この2つの違いは何だろう?」僕はよく若い人にこう問いかける。あなたならどう答えるだろうか?僕の考えるこの2つの違いは、次のようなものだ。
「悩む」=「答えが出ない」という前提のもとに、「考えるフリ」をすること「考える」=「答えが出る」という前提のもとに、建設的に考えを組み立てることこの2つ、似た顔をしているが実はまったく違うものだ。
「悩む」というのは「答えが出ない」という前提に立っており、いくらやっても徒労感しか残らない行為だ。
僕はパーソナルな問題、つまり恋人や家族や友人といった「もはや答えが出る・出ないというよりも、向かい合い続けること自体に価値がある」という類の問題を別にすれば、悩むことには一切意味がないと思っている(そうは言っても悩むのが人間だし、そういう人間というものが嫌いではないのだが……)。
特に仕事(研究も含む)において悩むというのはバカげたことだ。仕事とは何かを生み出すためにあるもので、変化を生まないとわかっている活動に時間を使うのはムダ以外の何ものでもない。
これを明確に意識しておかないと「悩む」ことを「考える」ことだと勘違いして、あっという間に貴重な時間を失ってしまう。
僕は自分の周りで働く若い人には「悩んでいると気づいたら、すぐに休め。悩んでいる自分を察知できるようになろう」と言っている。
「君たちの賢い頭で10分以上真剣に考えて埒が明かないのであれば、そのことについて考えることは一度止めたほうがいい。それはもう悩んでしまっている可能性が高い」というわけだ。
一見つまらないことのように思えるかもしれないが、「悩む」と「考える」の違いを意識することは、知的生産に関わる人にとってはとても重要だ。
ビジネス・研究ですべきは「考える」ことであり、あくまで「答えが出る」という前提に立っていなければならない。「悩まない」というのは、僕が仕事上でもっとも大事にしている信念だ。
これを伝えた若い人たちを見ていると、この本当の意味がわかって実践に入るまでに1年程度かかることが多い。しかし、その後は「アタカさんから教わったことのなかでこれがいちばん深いですね」と言われることが多い。
ニューロサイエンスとマーケティングの間著者である僕という人間について多少知っていただくと、この本についても理解しやすいと思う。
簡単に自己紹介をさせてほしい。僕は、これまで経営コンサルティング会社・マッキンゼーでコンサルタントとして足掛け11年ほど働き、消費者マーケティングの分野を専門としてきた。
途中からは社内で新人コンサルタントに対する教育係となり、問題解決やチャートの書き方などを教えていた。マッキンゼーに入ったのは本当に偶然のきっかけだった。僕は子どものころから科学者になりたくて、高校生の頃から関心事の中心は「人のパーセプション(知覚)」だった。
「どうして人は同じ経験をしても同じように感じないんだろう?」といったことに興味があり、そうした問いへの答えを探すために大学院に進み、脳神経系のDNAを使った研究をしていた。
しかし、やがて「DNAばかり見ていて自分の求める答えに到達できるのだろうか?」という疑問を抱きはじめた。そんな頃、たまたま大学生協の掲示板でリサーチャー(インターンに近いもの)を募集するマッキンゼーの求人を見つけ、応募した。
「変人(僕)」と「変わった会社(マッキンゼー)」で相性が合ったのか、無事面接を通過、働きはじめてすぐにマッキンゼーの体系的に整理された問題解決手法に感銘を受けた。
自分の目指す科学の世界とも近いものを感じ、仕事の面白さも手伝って博士課程に進むのを止め、大学院を出たあとはそのまま働くことにした。
消費者マーケティングという、僕の関心事である「人の知覚」に密接に関連する領域に出会えたこともラッキーだった。脳そのものでないにしろ、人の知覚がどんなものに揺さぶられているかについて、リアルな人間を相手にみっちり向かい合うことができたからだ。刺激的な日々を送りながらも、「科学の世界に戻りたい」という気持ちはずっとあった。
学位を取らないままでは一生後悔すると思い、入社4年目に一念発起、大学に戻る準備をはじめ、大学時代の恩師の薦めもあって米国の大学院に進むことにした。
変わった経歴が効いたのか、脳神経科学、特に生理学の分野で有名なイェール大学に潜り込むことに成功し、マッキンゼーを退職した。
大学院では、英語と(追い出されないための)成績維持に苦労したが、それ以上に大変だったのがラボ(研究室)選びだった。
「ローテーション」といって最低3つのラボに各1学期以上在籍して研究するシステムになっているのだが、学位を取るための研究をしようと思っていた3つめのラボの指導教官とケンカをして、そこを飛び出してしまったのだ。すでに留学してから2年半ほどが経っていた。
なんとか学位を取ろうと再度大学を行脚した結果、指導者としては未知だが希望溢れる新人教官のラボに入った。ここでリスクの高いテーマに挑戦し、一発逆転に成功。
研究開始から1年後に、教授陣のコミティー(学位審査委員会)から「Youaredone!(もう出ていいですよ!)」という言葉をもらい、論文を書き上げて学位を取得した。
平均6~7年かかる学位取得を3年9カ月で乗り切ったのは、半分は運だが残り半分はマッキンゼーで叩き込まれた思考・問題解決のスキルが大きく役立ったことは間違いない。
そのままずっと科学者として生きていくつもりだったが、人生はわからない。2001年9月11日、米国同時多発テロ事件が起きた。当時、僕はマンハッタンから車で30分ほどの街に住んでいた。
車に乗ってマンハッタンに続く橋を渡ると、見慣れたはずのツインタワーが跡形もない。電車に乗れば誰かが泣き出し、つられてほかの乗客も泣き出す。それまで想定したことのない異様な日々にすっかり神経が参ってしまった。家族がいたこともあって帰国を決め、マッキンゼーに復帰することにした。
再びマーケティングの世界に戻り、並行して社内教育にも関わる日々となったが、2008年に縁あってヤフーに転職し、さまざまな経営課題に携わるかたわらで新たな顧客視点でのサービス創出を狙っている。
ちょっと長くなったが、僕のバックグラウンドはこんなところ。
科学者とコンサルタント、そしてビジネスの現場という不思議な経験のミックスのなかで学んできたことのうち、本当に重要なエッセンスを皆さんにお伝えできれば、と思っている。
それでは、はじめよう!
*「ニューロサイエンスとマーケティングの間」
ニューロサイエンスとマーケティングの間
序章この本の考え方──脱「犬の道」常識を捨てる
イシュー特定のための情報収集考えるための材料を入手するコツ①一次情報に触れるコツ②基本情報をスキャンするコツ③集め過ぎない・知り過ぎないイシュー特定の5つのアプローチ通常のやり方ではイシューが見つからない場合アプローチ①変数を削るアプローチ②視覚化するアプローチ③最終形からたどるアプローチ④「Sowhat?」を繰り返すアプローチ⑤極端な事例を考える
一人の科学者の一生の研究時間なんてごく限られている。
研究テーマなんてごまんとある。
ちょっと面白いなという程度でテーマを選んでいたら、本当に大切なことをやるひまがないうちに一生が終ってしまうんですよ。
──利根川進利根川進:生物学者、1987年ノーベル生理学・医学賞受賞『精神と物質──分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか』利根川進・立花隆共著、文藝春秋
常識を捨てるこの本で紹介する「イシューからはじめる」という考え方は、世の中一般の考え方とは異なるところが多々あると思う。何よりも大切なのは、「一般常識を捨てる」ということだ。
以下、この本の考え方として代表的なものを挙げてみた。今は「?」と思われるかもしれないが、一通り読んで実践したあとには、きっと納得してもらえることと思う。
- ●「問題を解く」より「問題を見極める」
- ●「解の質を上げる」より「イシューの質を上げる」
- ●「知れば知るほど知恵が湧く」より「知り過ぎるとバカになる」
- ●「1つひとつを速くやる」より「やることを削る」
- ●「数字のケタ数にこだわる」より「答えが出せるかにこだわる」
文の前半が一般的な考え方、後半がこの本で紹介する「イシューからはじめる」考え方だ。
単に「生産性向上のために効率を重視する」というアプローチ、いわゆる「ライフハック」と言われるものとは焦点が異なることを理解いただければと思う。
バリューのある仕事とは何か
生産性を上げるために最初に考えるべきは、そもそも「生産性」とは何かということだ。
ウェブ上のフリー百科事典「ウィキペディア」では、「経済学で、生産活動に対する生産要素(労働・資本など)の寄与度のこと。
あるいは資源から付加価値を生み出す際の効率の程度のこと」とあるが、これでは何のことやらさっぱりわからない。
この本で言うところの「生産性」の定義は簡単で、「どれだけのインプット(投下した労力と時間)で、どれだけのアウトプット(成果)を生み出せたか」ということだ。
数式で表現すれば、図1のようになる。
生産性を上げたいなら、同じアウトプットを生み出すための労力・時間を削り込まなければならない。あるいは、同じ労力・時間でより多くのアウトプットを生み出さなければならない。ここまでは自明のことだと思う。
では、「多くのアウトプット」とは何だろうか?言い換えれば、ビジネスパーソンであればきっちりと対価がもらえる、研究者であれば研究費をもらえるような「意味のある仕事」とは何だろうか?僕のいたコンサルティング会社では、こうした意味のある仕事のことを「バリューのある仕事」と呼んでいた。
プロフェッショナルにとって、これを明確に意識することが大切だ。
プロフェッショナルとは、特別に訓練された技能をもつだけでなく、それをベースに顧客から対価をもらいつつ、意味あるアウトプットを提供する人のことだ。
つまり、「バリューのある仕事とは何か」という問いへの答えがわからなければ、生産性など上げようがないのだ。
1分ほど時間をとって、落ちついて考えてもらいたい。
プロフェッショナルにとって、バリューのある仕事とは何か?どうだろうか?僕はこれまで、多くの人にこの問いを投げかけてきた。
だが、明瞭な答えが出ることは多くなかった。
よくある答えは、
●質の高い仕事
●丁寧な仕事
●ほかの誰にもできない仕事といったものだ。
これらは正しい面もあるが、本質を突いたものとは言えない。
「質の高い仕事」というのは、「バリュー」を「質」に言い換えているだけだ。
では「質」とは何か、という同じような問いに戻ってしまう。
「丁寧な仕事」というのも、「丁寧であればどんな仕事でもバリューがある」と言ったら、多くの人は違和感をもつことだろう。
最後の「ほかの誰にもできない仕事」というのは一見正しいように思えるが、もう少し考えてみよう。
「誰にもできない仕事」というのは、通常の場合、ほとんど価値をもたない仕事だ。
価値がないからこそ、誰もやってこなかったのだ。
「質の高い・丁寧・誰にもできない」といった答えは、問いの本質の半分にも達していない。
「バリューのある仕事とは何か」
僕の理解では、「バリューの本質」は2つの軸から成り立っている。ひとつめが、「イシュー度」であり、2つめが「解の質」だ。
前者をヨコ軸、後者をタテ軸にとったマトリクスを描くと、図2のようになる。
「イシュー」という言葉は本書の「はじめに」でも出てきたが、あまり聞いたことがない人もいるだろう。
「イシュー」で検索しても日本語ではほとんど説明がないが、英語の「issue」で検索すると定義がたくさん出てくる。
僕の言うところのイシューは、図3のような定義があてはまる。
AとB両方の条件を満たすものがイシューとなる。
したがって、僕の考える「イシュー度」とは「自分のおかれた局面でこの問題に答えを出す必要性の高さ」、そして「解の質」とは「そのイシューに対してどこまで明確に答えを出せているかの度合い」となる。
図2のマトリクスに戻ると、この右上の象限に入るものが「バリューのある仕事」であり、右上に近づくほどその価値は上がる。
バリューのある仕事をしようと思えば、取り組むテーマは「イシュー度」と「解の質」が両方高くなければならない。
問題解決を担うプロフェッショナルになろうとするなら、このマトリクスをいつも頭に入れておくことが大切だ。
多くの人は、マトリクスのタテ軸である「解の質」が仕事のバリューを決める、と考えている。そして、ヨコ軸である「イシュー度」、つまり「課題の質」についてはあまり関心をもたない傾向がある。
だが、本当にバリューのある仕事をして世の中に意味のあるインパクトを与えようとするなら、あるいは本当にお金を稼ごうとするなら、この「イシュー度」こそが大切だ。
なぜなら、「イシュー度」の低い仕事はどんなにそれに対する「解の質」が高かろうと、受益者(顧客・クライアント・評価者)から見たときの価値はゼロに等しいからだ。
踏み込んではならない「犬の道」
では、どうやったら「バリューのある仕事」、つまり、マトリクスの右上の領域の仕事ができるのだろうか?仕事や研究をはじめた当初は誰しも左下の領域からスタートするだろう。
ここで絶対にやってはならないのが、「一心不乱に大量の仕事をして右上に行こうとする」ことだ。「労働量によって上にいき、左回りで右上に到達しよう」というこのアプローチを僕は「犬の道」と呼んでいる(図4)。
ここは大事なところなので、じっくり読んでほしい。
世の中にある「問題かもしれない」と言われていることのほとんどは、実はビジネス・研究上で本当に取り組む必要のある問題ではない。
世の中で「問題かもしれない」と言われていることの総数を100とすれば、今、この局面で本当に白黒をはっきりさせるべき問題はせいぜい2つか3つくらいだ。
マトリクスのヨコ軸である「イシュー度」の低い問題にどれだけたくさん取り組んで必死に解を出したところで、最終的なバリューは上がらず、疲弊していくだけだ。
この「努力と根性があれば報われる」という戦い方では、いつまでたっても右上のバリューのある領域には届かない。
もうひとつの変数であるタテ軸、すなわち「解の質」についても考えてみよう。これも仕事をはじめたばかりの頃はおおむね低いところにあるだろう。
これまで多くの人の成長を見てきたが、当初の段階では100の仕事のうちひとつか2つぐらいしか成果に結びつかないことが多い。
僕もそうだった。
マッキンゼーで働きはじめた最初のプロジェクトを思い起こすと、毎日大量の分析をし、10~20枚程度のチャート(図表)を書いた。
数カ月のプロジェクト期間で500枚ほどのチャートを書いたが、最終報告に入ったのは5枚だけだった。
「最終的なアウトプットに結びついた率」を考えると1%だ。
この場合、ヨコ軸の「イシュー度」は上司によって厳選されていたので、自分で取り組んだタテ軸の「解の質」が歩留まり1%だった、ということだ。
したがって、何も考えずにがむしゃらに働き続けても、「イシュー度」「解の質」という双方の軸の観点から「バリューのある仕事」まで到達することはまずない。
双方の軸が1%程度の成功率なのだから、それが合致する確率は0.01%、つまり1万回に1回程度しかまともな仕事は生まれない、という計算になる(図5)。
これでは永遠に「バリューのある仕事」は生み出せないし、変化を起こすこともできない。ただ徒労感が残るだけだ。
しかも、多くの仕事を低い質のアウトプットで食い散らすことで、仕事が荒れ、高い質の仕事を生むことができなくなる可能性が高い。
つまり「犬の道」を歩むと、かなりの確率で「ダメな人」になってしまうのだ。
100歩譲って、あなたが人並みはずれた体力と根性の持ち主で、「犬の道」を通っても成長できたとしよう。だが、その後、あなたはそのやり方でしか部下に仕事を教えることができなくなってしまう。つまり、リーダーとしては大成できない。
というわけで、単なる努力で、右上の「バリューのある仕事」の領域に行けることはほぼあり得ないし、この道を歩むことはあなたの将来のリーダーとしての芽を摘む行為でもある。
本当に右上の領域に近づこうとするなら、採るべきアプローチは極めて明快だ。まずはヨコ軸の「イシュー度」を上げ、そののちにタテ軸の「解の質」を上げていく。
つまりは「犬の道」とは反対の右回りのアプローチを採ることだ。
まず、徹底してビジネス・研究活動の対象を意味のあること、つまりは「イシュー度」の高い問題に絞る。いきなり核となる問題に絞り込むことはできなくても、10分の1程度に絞り込むことはできるはずだ。
仕事をはじめたばかりでこの判断ができないなら、自分の上司なり研究室の指導教官なりに聞けばよい。
「自分が思いついた問題のなかで、本当に今答えを出す価値のあるものは何でしょうか」と。通常この判断ができるのが上司であり指導教官のはずだ。
これでひとつの問題に投下できる時間は簡単に10~20倍になる。次に、絞り込まれたなかで特に「イシュー度」の高い問題から手をつける。この場合、「解きやすさ」「取り組みやすさ」といった要因に惑わされてはならない。あくまで「イシュー度」の高い問題からはじめる。
訓練されていない状態でのアウトプットは図5のように分布しているため、「解の質」を上げるためには、まず個々のイシューに対して十分な検討時間を確保することが必要だ。
僕もそうだったが、最初は「質が低い」「必要なレベルに到達していない」と言われても、その意味が実感できないものだ。だが、絞り込んだイシューについて検討・分析を繰り返し行うことで、数十回に1度程度はよいものができる。
よい仕事をし、周囲からよいフィードバックを得ることで、はじめて人は「解の質」を学ぶことができる。
成功体験を重ね、だんだんとコツをつかむなかで、10回に1度、5回に1度と一定レベルを超えた〝使える〟解を生み出せる確率が上がっていく。
もうおわかりだろう。
このアプローチのためには、どうしても最初のステップ、すなわち「イシュー度」の高い問題を絞り込み、時間を浮かせることが不可欠なのだ。
「あれもこれも」とがむしゃらにやっても成功はできない。死ぬ気で働いても仕事ができるようにはならないのだ。「とりあえず死ぬまで働いてからものを言え」といった思想は、この「イシューからはじめる」世界では不要であり害悪だ。
意味のない仕事を断ち切ることこそが大切なのだ。うさぎ跳びを繰り返してもイチロー選手にはなれない。「正しい問題」に集中した、「正しい訓練」が成長に向けたカギとなる(図6)。
「圧倒的に生産性の高い人」のアプローチ
「バリューのある仕事」の本質について理解したところで、次にそれを生み出すプロセスについて考えてみたい。
つまり、圧倒的に生産性の高い人は問題にどう取り組んでいるのか、ということだ。
まず、何も考えずにビジネスや研究を行うとどうなるのかを考えてみよう。
月曜日から金曜日までの5日間で、あるテーマについてまとめる必要があるとする。
すると、よくこんなことが起こらないだろうか?
- 月曜……やり方がわからずに途方にくれる
- 火曜……まだ途方にくれている
- 水曜……ひとまず役立ちそうな情報・資料をかき集める
- 木曜……引き続きかき集める
- 金曜……山のような資料に埋もれ、再び途方にくれる
では、圧倒的に生産性の高い、すなわち「イシューからはじめる」アプローチではどうなるだろうか。
1週間でアウトプットを出さなければならないケースなら、次の図7のように作業を割り振る。
カッコ内はこの本で説明する章立てだ。
とはいえ、どれほど経験を積んでも、これを一回しするだけでいきなりレベルの高いアウトプットを生み出すことは難しい。大事なのは、このサイクルを「素早く回し、何回転もさせる」ことだ。これが生産性を高めるカギとなる。
一度サイクルを回して一段深い論点が見えてくれば、それをベースにして再度サイクルを回す。
根性に逃げるな
僕自身の体験を踏まえ、一緒に仕事をする若い人によくするアドバイスがもうひとつある。それは「根性に逃げるな」ということだ。労働時間なんてどうでもいい。価値のあるアウトプットが生まれればいいのだ。
たとえ1日に5分しか働いていなくても、合意した以上のアウトプットをスケジュールどおりに、あるいはそれより前に生み出せていれば何の問題もない。
「一所懸命にやっています」「昨日も徹夜でした」といった頑張り方は「バリューのある仕事」を求める世界では不要だ。
最悪なのは、残業や休日出勤を重ねるものの「この程度のアウトプットなら、規定時間だけ働けばよいのでは」と周囲に思われてしまうパターンだ。
かくいう僕も、働きはじめたばかりの20代のころはフラフラになるまでやらないと仕事をした気になれず、ずいぶん時間をムダにした。
体力に余裕があるときにはそうした働き方も気持ちがよい面もあるが、結局、それは自己満足に過ぎず、自分の体力の限界を学ぶ作業にしかならない。
成長は意味あるアウトプットをきっちりと出すことからしか得られない。
バリューのある仕事をし続け、その質を保てるのであれば「仕事に手を抜く」こともまったく問題ではない。
人に聞けば済むことはそうすればよいし、今よりも簡単な方法でできるのであれば、そうするべきだ。
このように時間ベースで考えるのかアウトプットベースで考えるのかが「労働者(laborer)」と「ワーカー」の違いであり、もっと現代的な言葉では「サラリーマン」と「ビジネスパーソン」、さらには「ビジネスパーソン」と「プロフェッショナル」の違いでもある。
本来は主に肉体労働者を示すレイバラーは、特定作業のための拘束時間に対して給料をもらうことを示す言葉だ。
時間ベースで給料をもらうサラリーマンは言葉こそ現代的だが、その意味するところのかなりの部分はレイバラーと同じだ。
サラリーマンという言葉に伴う概念に「残業・ベア交渉」があるが、これらの概念もほぼレイバラーと共通する。
ビジネスパーソンというのは、会社に雇われてはいるが、マネジメントや自分の仕事に関わる「ハンドルを握る側の人」というのが本来の意味だ。
勤怠管理はあっても、本質的には労働時間ではなく、マネジメント活動と日々のビジネス活動を通じたアウトプットにコミットし、そこで評価される。
そしてプロフェッショナルは、特定の訓練に基づく体系的なスキルをもち、それをベースに特定の価値の提供にコミットし、特定の顧客から報酬を得ている人だ。
提供しているものはあくまで顧客への価値であり、時間あたりで課金を行う弁護士やコンサルタントであっても、対価は個々人のスキルレベル、すなわちそれぞれの存在がもたらす価値の大きさで相当に変わる。
「限界まで働く」「労働時間で勝負する」というのは、ここでいうレイバラーの思想であり、この考えでいる限り、「圧倒的に生産性が高い人」にはなれない。
冒頭で書いたとおり「同じ労力・時間でどれだけ多くのアウトプットを出せるか」というのが生産性の定義なのだ。プロフェッショナルとしての働き方は、「労働時間が長いほど金をもらえる」というレイバラー、あるいはサラリーマン的な思想とは対極にある。
働いた時間ではなく、「どこまで変化を起こせるか」によって対価をもらい、評価される。あるいは「どこまで意味のあるアウトプットを生み出せるか」によって存在意義が決まる。
そんなプロフェッショナル的な生き方へスイッチを入れることが、高い生産性を生み出すベースになる。
column「噛みしめる」ことを大切にしよう
表層的な論理思考に陥っていないかここ数年、「頭はよいが、反応がデジタル的で深みがない」と感じる人に会うことが増えた。すべてのことを単なる表層的な情報としてそのまま処理しているような印象を受ける人だ。
これらの人は、仕事は素早くこなすし、受け答えも明快だ。だが、話をしていると「きちんと理解し合っているのだろうか」という不安を感じる。
理解・共感する力があまりにも低いように思えるのだ。
僕がそう指摘すると、相手は真顔で「何を言われているのかわからないので説明してください」と言う。僕はその度に説明する。
こうしたことを1000回繰り返せば、そのなかの何回かは意味のある変化につながるかもしれない、と思うからだ。
「自分の頭でものを考える」基本的な知性をもつ人が正しい訓練をすれば、これ自体はそれほど難しいことではない。何事も受身にならず、自分の目で確かめたことを基に世界観をつくり上げていけばいい。
ただ、情報1つひとつの重さや重層性、関連性を認識していないと、必ずどこかで困難にぶちあたる。論理だけに寄りかかり、短絡的・表層的な思考をする人間は危険だ。
世の中には「ロジカル・シンキング」「フレームワーク思考」などの問題解決のツールが出回っているが、問題というものは、残念ながらこれらだけでは決して解決しない。問題に立ち向かう際には、それぞれの情報について、複合的な意味合いを考え抜く必要がある。
それらをしっかりつかむためには、他人からの話だけではなく、自ら現場に出向くなりして一次情報をつかむ必要がある。
そして、さらに難しいのは、そうしてつかんだ情報を「自分なりに感じる」ことなのだが、この重要性について多くの本ではほとんど触れられていない。
「一次情報を死守せよ」というのは、私の大先輩が授けてくれた珠玉の教えのひとつだ。
現場で情報に接するときに、どこまで深みのある情報をつかむことができるか、それはその人のベースになっている力そのものだ。
その人の判断尺度、あるいはメタレベルのフレームワークの構築力が問われ、ここは一朝一夕で身につくものではない。
知能や学歴は高いが、知性を感じない人が妙に多いのは、この力の重要性が忘れられているためなのではないかと思う。
「深い理解」にはそれなりの時間が必要
脳は脳自身が「意味がある」と思うことしか認知できない。
そしてその「意味がある」と思うかどうかは、「そのようなことが意味をもつ場面にどのくらい遭遇してきたか」によって決まる。
有名な実験に「生まれたばかりの猫をタテ縞しかない空間で育てると、その猫はヨコの線が見えなくなる」というものがある。
その結果、その猫を四角いテーブルに載せると、ヨコ線である端が見えないのでテーブルから落ちてしまう。
これは、これまで処理してきた情報が脳の回路形成そのものに影響を与えたケースだが、そもそも脳にとって「特定の情報処理ができる」ということは、「特定の意識が起きる」ことであり、それはすなわち「特定のことに関する情報処理回路が活性化している」ことに近い。
たとえば、ある商品の戦略づくりをするときであれば、市場や競合の情報だけでなく、モノづくりの行程・資材の調達・物流・販売などについても具体的にイメージし、さらには変化を起こしたときの影響までを推定する力がなければ正しい判断はできない。
問題解決の場面では、組織の歴史的経緯や力学を知ることも不可欠だろう。そして、これらの素養を身につけるためにはそれなりの年月が必要となる。
これは科学の研究についても同様だ。現在わかっていること、最近の発見とその意味合いなど、対峙する問題を深いコンテキスト(文脈)に沿って理解できるか、それが最初の勝負どころとなる。
この本の読者の皆さんには、情報を噛みしめる人、つまりはさまざまな意味合い、価値、重さを正しく理解できる人であってほしいと思う。
そして、表面的な論理だけで「考えたフリ」をする人にならないよう、心がけてほしいと思う。
フェルミは数学にも長けていた。
必要とあれば複雑な数学を駆使することもできたが、まずはその必要があるかどうか確かめようとした。最小限の努力と数学的道具で結果へたどり着く達人だった。
──ハンス・ベーテハンス・ベーテ:米国の物理学者、1967年ノーベル物理学賞受賞エンリコ・フェルミ:イタリア出身の物理学者、1938年ノーベル物理学賞受賞『物理学者天才列伝(下)』ウィリアム・H・クロッパー著、水谷淳訳、講談社
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