蒲田の餃子屋安曇が指定した店は蒲田駅のそばにあった。
お世辞にもきれいとは言えない店内は、大勢の客でごった返していた。
ここは人気の餃子屋だ。
安曇と由紀は向かい合って座った。
制服なのか普段着なのか見分けがつかない薄汚れた服を着た店員がやってきて、強い中国語訛りの日本語でぶっきらぼうに注文を聞いた。
「何にしますか?」餃子には、焼餃子、揚餃子、水餃子の3種類があって、それぞれ詰まっている具によって種類はさらに分かれるという。
「このお店の一番人気は水餃子だが、とりあえず全部食べてみようか」安曇はうれしそうにメニューにある餃子を全種類注文した。
10分ほどして、大皿一杯に盛られた餃子が運ばれてきた。
由紀は水餃子をつまんで口に入れた。
肉汁が袋から溶け出して、まろやかな味が口の中に広がった。
豚肉の臭みも、ニンニクの臭いもしない。
この店のたたずまいからは想像できない上品な味だ。
2つ目の餃子を取ろうとしたとき、盛り皿のあちこちが欠けていることに気づいた。
よく見ると、プラスティック製の取り皿も黒ずんでいる。
テーブルは傷だらけだし、椅子もガタガタと揺れる。
にもかかわらず、店先には客が長蛇の列を作っている。
「先生と行った銀座のレストランとは、全然違いますね」由紀は安曇がこのような店を知っていることに驚いた。
「君は銀座のフランスレストランとこの店では、どちらが儲かっていると思うかね?」最初に由紀は店の特徴を比較してみた。
まず値段だ。
餃子はフレンチと比べて圧倒的に安い。
おそらく10分の1くらいだろう。
次は客数だ。
考えることもなく、こちらが圧倒的に多い。
つまり、2つの店は商売の仕方が全く違うのだ。
餃子屋は薄利多売で商売をしているから、仮に商品の値段を高くしたら客はスッといなくなるだろう。
薄利だから内装や食器にお金をかけることもしない。
店員はただ注文を聞いて料理を運ぶだけだ。
おそらく学生アルバイトだろう。
人件費にもお金をかけたくないのだ。
銀座のフランスレストランは全く逆だった。
敷き詰められた絨毯は苔の上を歩いているようにしなやかだった。
入り口に飾られたバラの花、壁に掛かった重厚な絵画を見ただけで、日常のストレスは消えてしまうほどだ。
日常と完全に遮断された空間を演出しているのだ。
テーブルに着く。
皿も、フォークも、グラスも一点の曇りもなく磨かれていた。
従業員は礼儀正しく、清潔そのものだった。
あの店を維持するには相当なお金が必要なはずだ。
次に、食材の原価を考えてみた。
餃子の材料費は高いとは思えない。
店の維持費は多くないにしても、餃子の値段が低く抑えられているから粗利益(※17)は少ないと思われた。
では、フランスレストランはどうか。
フランス製のフォアグラと鹿肉。
新鮮な伊勢エビ。
どの食材も高価に違いない。
ただ、料理代に占める材料費の割合は餃子ほどではない。
見たところ料理の値段は、餃子が材料代の2倍に対しフランス料理は5倍くらいはするだろう。
しかし、餃子屋は店の維持費がかからない。
ではどちらが儲かっているのか。
由紀の頭の中は混乱してきた。
限界利益と固定費がわかれば会社の利益構造がわかる「レクチャーを始めようか。
今日は会社の利益構造を大づかみにする方法を教えよう。
君は気づいていると思うが、この店は薄利多売だ。
餃子を1皿売っても、たいした利益にはならない。
だから、この店主はたくさん売ること、そして店の維持費を徹底して抑えることを実践している。
そこで君に質問だ。
餃子をいくら売れば利益が出るだろうか?」由紀はとまどった。
「細かな計算をしないとわからないのではありませんか?」「ところが、会計を使うと簡単にわかるのだ」安曇はノートに大きく限界利益、固定費(※18)と書いた。
「この2つの概念が理解できれば、会社の利益構造が見えてくる」そう言って安曇は説明を始めた。
ノートに書かれた限界利益の本来の意味は、製品を追加的にひとつ売った場合に増加する利益の追加的増分のことである。
簡単に言えば、餃子1皿の売上がもたらす追加的利益のことだ(追加的という意味に留意)。
会計では、限界利益は「売上金額から変動費(材料費)を差し引いた金額」という意味で使われる。
つまり、餃子の売上から比例して増加する材料費を差し引いた金額がこの店の限界利益である。
売上が増えても減っても変わらない費用がある。
店員の人件費や家賃など店の維持費だ。
これを固定費という。
「この限界利益と固定費がわかれば、会社の利益構造がわかる」安曇は由紀のノートに直角三角形と長方形を書いた。
直角三角形は限界利益、長方形は店の維持費(つまり固定費)を表している。
2つの図の横軸は売上高、そして縦軸は限界利益と固定費である。
売上高が増えると限界利益は一定の割合で増加する。
この関係を表しているのが直角三角形である。
一方、家賃や従業員に払う給与や電気代といった店の維持費は、売上高とは関係なくほぼ固定的だ。
だから、長方形で表すことができる。
「直角三角形を長方形に覆い被せてみよう。
この飛び出た部分が利益だ」商品の売上がもたらす限界利益が、店の維持費(固定費)を超えた部分が利益である。
逆に、固定費が限界利益を上回る部分が損失である。
損益分岐点売上を計算するこの時、由紀は以前勉強した寒暖計の話を思い出した。
売上高と費用は別々に計算され、利益はその差額概念だった。
この絵も考え方は同じだ。
ただ、売上高の代わりに売上高から材料費を差し引いた限界利益を使っているに過ぎない。
「限界利益と固定費が一致する点の売上を損益分岐点売上(BreakEvenPoint/BEP)という。
売上と費用が一致して、利益がゼロとなる売上という意味だ」「会社は、まずこの売上高を目指すのですね」「その通りだ。
試験で言えば合格最低点と言っていい」「損益分岐点売上を見つける方法はあるのですか?」由紀はハンナの損益分岐点売上を知りたい衝動に駆られた。
現在の売上累計に、あといくら売上を追加すれば利益が出るのかがわかるからだ。
「固定費を限界利益率(限界利益売上高)(※19)で割れば、損益分岐点売上は計算できる」例えば、餃子の限界利益率50%、店の維持費が月100万円の場合、損益分岐点は200万円(100万円0・5)となる。
つまり餃子を毎月200万円以上売れば利益が出るということだ。
別の言い方をすれば、固定費と同額の限界利益を生み出す売上高が、損益分岐点売上ということである。
由紀は、直角三角形の角度(限界利益率)と長方形の高さ(固定費)が異なれば、損益分岐点も異なることに気づいた。
フランスレストランと餃子屋ではこの2つの点が違うのだ。
由紀の頭の中のモヤモヤが一気に晴れた。
限界利益率について言えば、フランス料理は餃子より高い(売価に対して材料費は少ない)。
しかし、店の維持費(固定費)ははるかに多くかかっている。
由紀は、2つの店の直角三角形と長方形の形の違いをノートに描いてみた。
ようやく、安曇の質問に答えられそうだ。
「三角形の角度が急な分、フランスレストランの方が儲かると思います」三角形が飛び出た部分が利益だから、店の利益の大きさを決めるのは限界利益率であると由紀は考えた。
「しかし、フランスレストランは、食事だけでなくその時間を楽しんでもらうために店の維持費に多くの費用をかけている。
だからこそ、限界利益を高める努力を欠かせない、とも考えられる」安曇は、限界利益率が高いから儲かるのではなく、高くしなければ商売が成り立たない、と言うのだ。
フランスレストランは1日1テーブルで1組しか客をとらない。
しかも、テーブル数に限りがある。
それに、いつも満席になるとは限らない。
だからこそ、客単価を高くして限界利益率を高めないと商売にならないのだ。
良い例が酒だ。
シャンペンに始まり、料理に合わせて白や赤のワインを勧め、最後は甘い食後酒を勧める。
うっかりすると酒代が食事代を超えてしまうほどだ。
つまり、維持費が多くかかり、限界利益率の高いフランスレストランは、売上高が損益分岐点を超えると利益は大幅に増える。
ところがいったん損益分岐点を下回ると、赤字も一気に増えてしまうのだ。
一方、限界利益率が低く固定費の少ない餃子屋はどうか。
売上高が少なくては商売にならない。
流行らなければ瞬く間に潰れてしまう。
しかし、売上が増えれば、維持費が少ない分すぐ利益に結びつく。
逆に多少売上が減っても、利益の減少は少ない。
ビジネスの仕方が全く違うのである。
この違いは、フランス人と中国人の歴史の違いかもしれないと、由紀は思った。
蒲田の餃子屋のオーナーは、不況になったときにどれだけ損を少なくするかを考える。
銀座のフランスレストランのオーナーは、不況といえども圧倒的な差別化により、顧客を絶え間なく惹きつけようとしているに違いない。
「君はハンナをどのような利益構造の会社にしたい、と考えているのかな?」由紀の気持ちは固まっていた。
「限界利益率が高くて、維持費が少ない会社です。
つまり、容易に利益が出る会社にしたいと思います」由紀は商売のコツをちょっとだけつかんだ気持ちになった。
山盛りだった餃子はすべて2人の胃袋に消えていた。
「次の課題は、どうすれば君の思いが実現できるかだ。
次回は『見えない現金製造機』の話をしよう。
フランスレストラン型経営モデルだ。
きっと参考になる」
そう言って、安曇は最後の餃子を口に入れた。
解説限界利益とCVP図表売上高から変動費を差し引いた金額を限界利益(貢献利益)、また、固定費(COST)と売上高(VOLUME)と限界利益(PROFIT)の関係を表した図をCVP図表と言います。
変動費とは営業量に応じて変動する費用のことです。
営業量には製品の販売量、売上金額、製品の生産量、機械の稼働時間や人の作業時間などさまざまな尺度があります。
つまり、売上高から差し引く変動費の範囲は、どの尺度を使うかによって異なりますから、限界利益はひとつではありません。
営業量とは関係なく、ほぼ固定的に発生する費用を固定費と言います。
会社の維持費は固定費と見なすことができます。
文中で安曇教授は変動費を、売上高と比例関係をもつ変動費(材料費、外注費など)に限定しています。
こうすることにより、限界利益の性格をよりわかりやすく説明できます。
つまり、売上高(外部から入るお金)と真の変動費(売上に比例して外部に出て行くお金)の差額である限界利益は、その取引が会社にもたらす現金の増加分と言えるからです。
実務でも変動費を比例費という言葉に置き換えて、売上高から比例費(材料費と外注費)を差し引いて限界利益を計算している会社がありますが、理にかなっているものと思います。
近年ブームを巻き起こした制約理論(TOC)から派生した「スループット会計」が全世界に広がっています。
ここでスループットとは売上高から真の変動費(材料費、外注費など)を差し引いた金額のことで、安曇教授がいう限界利益と同じ概念です。
スループットから業務費用を差し引いた金額が利益です。
ここで言う業務費用は真の変動費以外の費用のことです。
練習問題限界利益と固定費の形状を見て、その会社の利益構造と業種を見分ける練習をしましょう。
問1次のAからDのCVP図表を見て、ホテル(宿泊のみ)、縫製会社、製鉄会社、ベトナムの製造会社はどれか考えてください。
ヒントビジネスホテルはほとんどが固定費です。
変動費はわずかです。
ですから宿泊前日に予約すると、すごく安く泊まれることがあります。
北陸地方には縫製会社がたくさんあります。
機械と言っても業務用ミシンくらいで、それほど高価ではありません。
作業の大半は地元の女性の労働力に頼っています。
製鉄会社は膨大な設備投資資金が必要というだけでなく、その維持費もかかります。
しかも、溶鉱炉を止めることはできません。
ベトナムの労働者の賃金は月1万円以下です。
それは売値の1%程度に過ぎません。
しかし、材料はまだ日本からの輸入に頼っている関係で、限界利益率は大きくはありません。
固定費が少ない縫製会社と、固定費が少なく限界利益率も低いベトナムの製造会社は、すぐに見当がつくと思います。
ポイントは、ホテルと製鉄会社の違いです。
ホテルの宿泊部門にかかる変動費はごく少額です。
製鉄会社も変動費率は低いのですが、ホテルほどではありません。
ちなみに、ホテルが宿泊日直前にディスカウントセールをする理由は、売上金額が、ほとんどそのまま利益の増加となるからです(ホテル業界ではレベニューマネジメントと称して積極的に行われています)。
答えホテルB縫製会社A製鉄会社Cベトナムの製造会社D問2ハンナは、リストラの結果、売上高は減少しました。
しかし、限界利益率は改善し、維持費も減少したため、結果として利益は増えました。
これをCVP図表を使って説明してください。
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