MENU

終章貫きたい生き方が覚悟を磨く

覚悟とは、あきらめること、観念すること。狂。────『広辞苑』より

目次

絶対に失いたくないものは何か

未練:‥あきらめがつかないこと──『角川必携国語辞典』より

僕は、大したものを手に入れていなかったのに、「いまあるものを守らなければ」という情けないプライドを持ってしまっていた。

守らなければならないものを持って、次に向かってチャレンジをするというのは苦しく、つらく、もどかしかった。

思い出せば、「失うものなんてない」と決意し、覚悟ができたとき、自分がもっとも強くなれていた。

「じゃあ、いまは失うものがあるのか?」と考えてみた。一つひとつ、自分が失いたくないと思っているものを考えてみた。

「仲間」「お客様」「家族」「収入」「売上げ」「周囲の評判」……。「収入」「売上げ」「評判」は、外からどう見られているかの反映だ。

減っていったり、増えていったりするものだから、取り組みを間違えれば、失ってしまうかもしれない。

僕のことを詳しく知らない人は、よくも知らないのに、やいのやいのと言ってくるかもしれない。

でも最初の3つはどうだろう。「仲間」「お客様」「家族」こうした人たちは、僕を知っている。

かりに僕に「収入」「売上げ」「周囲の評判」という枝葉があってもなくても、大した問題じゃない。

むしろ、僕がそれらの枝葉を失うことを恐れて、守りに入るほうががっかりするかもしれなかった。

なぜなら、「仲間」「お客様」「家族」は、僕が「収入なし」「売上げなし」「評判なし」というときから、そばにいてくれる人たちだからだ。

大切なものが何かを見失うと、小さなものを追いかけてしまい、本当に大切なものを失ってしまうと思った。

収入、売上げ、評判は、僕の生き方・姿勢について、周りがどう思っているのかということの反映にしかすぎなかった。僕の実像ではなかった。

でも、仲間、お客様、家族は、僕の実際の生き方についてどう思っているかを問うてくれる存在だ。

応援し、切磋琢磨してくれる存在だ。僕の原点は、何もないなかでアメリカへ渡ったこと。日本に帰っても、何も保証されていない。その中で日本の人の役に立ちたくて起業したこと。原点に立ち返れば、自分の生きるべき方向性、本当に失ってはならないものが明らかになる。

天と人

天には終わりがない。だから諦めるわけにはいかなかった。

アメリカに渡り、コーチングやリーダーシップを学んだとき、そこで繰り返し教わったことは、「人間のなかには、どこまでも無限の可能性が広がっているのだから、自分が決めないかぎり、限界は存在しない」ということだった。

そして、どうやったら可能性を引き出すことができるのか、という方法を習った。

しかし、「人の可能性は無限」「可能性を引き出す方法」ということはわかっていても、それを生きようという決意をすることができなかった。

僕は「成功とは周りから求められる存在になること」だと思っていた。それを追いかけていた。

自分が心から納得している生き方ではなかったから、どうしてもやる気が出ないし、小さなことに落ち込んでいた。

そのとき、僕自身を支配していたのは、「周りから期待される姿になる」「周りから嫌われないようにする」という考え方だった。

周りの目を気にして、どうあるべきかを考え「~しなきゃいけない」というストレスのなかにいた。

他人の枠に自分を押し込んでいた。

周りから嫌われないように、期待されるように生きていくと、自分がどんどん小さな存在になっていくのを感じた。

「周りの期待に応える」ことをしていたら、自分の持っているすべての力を必ずしも発揮しなくなっていた。

誰かが見ているところではがんばることができ、努力することができた。でも、誰も見ていないところでは、がんばりたいのにがんばれなかった。

他人との約束は相手からよく思われたいから守ろうとしたが、自分で決めた自分との約束は何度も破ってしまっていた。

そのとき、出会ったのが西郷隆盛の次の言葉だった。

「人を相手にせず、天を相手にせよ」

「周りの期待に応えようとするあまり、自分を活かし切る生き方をしていない」ということに気づいたのだ。

その生き方が、僕自身の情熱を奪っていたとわかった。

誰かの目を気にして妥協して生きていくのではなく、自分のすべてを発揮して人生へ勝負していこうと決意することができた。

僕のなかで霧が晴れた。そして、僕自身の生き方の指針となった。

「人を相手にせず」というのは、周りの期待を無視しろとは解釈しなかった。

「他人のせいにして、自分の生き方を制限してはならない」ということだと思った。いままでどれだけのことを理由にして、自分に制限を設けてしまっただろう。

「時間がないから」「お金がないから」「あの人に悪いから」「自信がないから」でも、そうした制限が本来存在しないのが、人間のすごさのはずだった。

僕はそれを学んできたのではなかったか。「天を相手にせよ」とは、一切の制限をつける必要はないということだと思った。

天はどこまでも広がっている。天にはここまでが私のものという境界線がない。だから、偏ったこだわりもない。そんなこだわりがなく、どこまでも広がる天のような広い心を持って生きよう。

──そう深く思うことができた。

さまざまな人たちのビジネスをサポートしてくるなかでも、次の2つが、成功を決めていくうえで大事な点だった。

  • 自分が望んでいるもの(他人が自分へ望んでいるものではない)をハッキリさせる
  • 自分に制限をつけない

この2つを持っていれば、「人は自分が取り組むものの大きさに比例して、自分の能力を引き出していく」という姿を何度も見てきた。

だからこそ、人という「有限」を相手にするのではなく、天という「無限」を相手にする生き方をしていこう、と思った。

「天のようにでっかい人生を送ろう」と決意した。残った枠は、ただ自分がつくっているものだけだった。

「お前は本気で生きているのか?それがすべてなのか?」「僕はこのまま生きたら、死ぬときに、何と思うだろう?死ぬときに後悔しないためには、どんな生き方をしたらいいだろう?」自分に妥協しない生き方を選択する。

一切の制限のない生き方をしていこうと思う。

命もいらず名もいらず

心に最後まで残るのは「お前は本気で生きているのか?」という問いだった。

これまで書いたように僕は自分の弱さと戦って、いかにそれに勝つのかということに集中してきた。

自分が決めたことを、自分で守ることの難しさに、何度も挫けそうになった。

どうしたら、決めたことを守ることができるのか、どうしたら自分との約束を果たすことができるのか、立てた目標を完遂できない自分に情けなくなったことは数え切れない。

「他人に対しては、上手に振る舞う」ことを心得ていた。人の顔色を伺い、本音ではなく、「都合のよい言葉」を選択して、使っていた。

そのため、誰かが見ているのであれば、その人から「よく見られよう」として立ち振る舞った。だが、誰も見ていないところでは、自分の弱さが出た。

そのため、いろいろな頼まれ事や、仕事も、期日ギリギリになってしまうような有り様だった。

自分が納得するようにできたかどうかではなく、何とかその場を逃れるように、出来の悪い仕事の言い訳ばかりを考えていた。

あの頃は、自分が思っていることに従って生きるのではなく、「他人にとって都合のよい立ち振る舞いをして生きる」ようになっていた。

おかげで他人との衝突や、他人とのイザコザはなかった。

ただ「他人からどう見られるか」を優先するあまり、「自分はどのように生きたいのか」ということを考えられないようになっていた。

自信も誇りもない毎日だった。それでも何か価値あることに関わりたい、このままの人生では終わりたくないと思っていたときに、西郷隆盛のこの言葉に出会った。

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。この仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」

命もいらず、名もいらず、地位も金もいらない人。そうでなければ、困難な時代に、大きなことは成し遂げられない。衝撃だった。

なぜなら、西郷さんの書いている「いらない」と言っているものこそが、自分が求めていたものだった。

  • 「人から悪く思われたら、世間を渡っていくことに不利」
  • 「出世をして地位を得なければ、負け組になる」
  • 「お金持ちにならなければ、一生不自由なまま」

という考えで生きていた。

こんなことを気にしていたから、僕はどんどん小さくなっていったんだ、自信をなくしていたんだと気づいた。お金や地位や損得で動く自分自身はもう嫌だ。他人からどう思われるかを気にして、納得できない毎日なんてもうやめたい。

もっと熱い生き方をしたい。

そして、考えた。

「命も、お金も、名誉も、地位も、いらなくなったら──僕はどんな生き方がしたいだろうか?」

  • 「もっと全力で生きたい」
  • 「もっと本気で生きたい」
  • 「もっと自分のなかにある力をどこまでも伸ばしていきたい」
  • 「もっと自分の想いを伝えていきたい」

あふれる思いが、どこまでも広がっていった。

おわりに

覚悟を決めなければならない時代になっている。どれだけ優しい言葉をかけてくれる人がいても、誰も最後は守ってくれない。自分の面倒は自分で見るしかない。

それを不安だ、孤独だと思っていたときは、いつまでたっても自分の足で歩むことはできない。

自分への頼りなさから目を背け、いくら前向きに考えようとしても、自分自身の弱さからは逃げることができない。

自分が壁にぶつかろうが困ろうが、自分で尻拭いをしなければならない。そう気づいたとき、僕は自分の弱さと向き合う覚悟をすることができた。

真に強い人は、弱いところがない人ではないように思う。弱いところがあっても、目を逸らさず、じっと向き合っていく人だ。

弱さを受け入れらない人ほど、感情に振りまわされ、周りからみじめだと思われている。弱さを認め、格闘し、乗り越えた人は、弱さなんてないような人に見える。

力強くどんどんと目指すところに向かって進んでいるからだ。僕はそういう人になりたいと思ってきた。

自分の弱さと格闘していくなかで、自分が望む生き方が微かに見えてきた。

「長生きはしなくても。わかりやすい名誉や成功は手にできなくても。わかってくれる人ばかりではなくても。それでも自分を生み育んでくれたこの国の役に少しでも立ちたい。そのために、自分を成長させたい」

何度も壁にぶつかり、迷い、苦しみ、あがいて、そして見つけた小さな望み。この思いの前で、僕は無私になれる。自分の私利私欲を超えることができる。国はきっと、いざとなれば僕を守ってはくれないだろう。

それでも僕はこの生き方を貫きたい。

それは、この国のために命を賭けた先人たちの思いに報いる、覚悟を持った生き方をしていきたいと思う。

この本は、きずな出版の櫻井さんと岡村さんと出会うことから始まりました。お二人の温かい励ましのおかげで書き上げることができました。ありがとうございました。

読者のみなさまにとって、壁を乗り越えるヒントの一冊になることを願ってやみません。

池田貴将

先人の足跡を求めるのではなく、先人が求めたところを求める。────『論語』より

著者プロフィール池田貴将(いけだ・たかまさ)早稲田大学卒。

リーダーシップ・行動心理学の研究者。

大学在籍中に世界No.1コーチと呼ばれるアンソニー・ロビンズから直接指導を受け、ビジネスの成果を上げる「実践心理学」と、東洋の「人間力を高める学問」を統合した独自のメソッドを開発。

リーダーシップと目標達成の講座を開始すると、全国の経営者・役職者からたちまち高い評価を得た。

また安岡正篤、中村天風、森信三の教えを学び、東洋思想の研究にも余念がなく、中でも最も感銘を受けた吉田松陰の志を継ぐことを自らの使命としている。

著作に、25万部を越えたベストセラー『覚悟の磨き方超訳吉田松陰』(サンクチュアリ出版)を始め、『心配するな。

』『未来記憶』(サンマーク出版)、『がんばらないほうが成功できる』(PHP研究所)などがある。

人間力の磨き方著者:‥池田貴将©TakamasaIkedaこの電子書籍は『人間力の磨き方』(きずな出版)二〇一五年四月五日第一版第一刷発行を底本としています。

電子書籍版発行者:‥瀬津要発行所:‥株式会社PHP研究所東京都江東区豊洲五丁目六番五二号〒1358137https://www.php.co.jp/digital/製作日:‥二〇一九年四月一〇日本書の無断複写(コピー)は著作権法上での例外を除き、禁じられています。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次