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第3章 データ利活用の常識が逆転して非常識に

「軽いデータ」側から「重いデータ」側への比重移動本章の初めに筆者の造語ですが、「軽いデータ」側と「重いデータ」側と称する区分を紹介します。とかく「データ」と称されて、企業が集めたり重宝したりしようとしているデータは軽いデータばかりに偏っているように思えます。ここでは、重いデータ側を事業に据える接し方を考えたいと思います。軽いデータ側とは?軽いデータ側の具体例として当てはまるのが、これまでの広告やマーケティング活動で紐付けしている大半の個人データです。たとえば、視聴データ、閲覧履歴、位置情報、購買履歴、アンケート、インタビュー、住所・氏名・メールアドレスなどがこれに当たります。サードパーティが販売するデータを購買して自社に活用する行為や、クッキーに代表される「覗き見」「無許可」のデータ収集とその活用もこれに含まれます。これらのデータは、おおむね(広告)ターゲティングの精度を上げるための企業(事業)側の推量の利活用行為のためのデータ(データの対象個人がこの人とは確信できない、おおむねの推量に推量を重ねるデータ)でした。これらのデータは、ユーザー自身が「そのつもり」がないままに収集されていたり(乱用されていたり)、さらにはユーザー自身も事業主側が利活用していることをそれほど気にしていない(そんなに痛い目にあわない)データとして扱われたりしていました。活用側はそのお気軽さが故に、1つひとつのデータを大事に扱わず、二束三文のごとく千単位(CPM)に束ねた価値として量り売りしていたのが、これらの軽いデータ側の扱われ方でした。これらの軽いデータ側の利活用とは、「目に見える側」の結果(コンバージョンが上がる、売上費用効率が上がるなど)への注力が目的でした。後ほど軽いデータ側のマイナスリスク(保持費用、対応損失)について紹介しますが、その前に重いデータ側とはどのようなものなのかを具体例で紹介しましょう。重いデータ側とは?軽いデータ側に対して重いデータ側とは、「医療・金融・保険・教育」の分野の1次データに該当するものです。もちろん、これら以外にも重みのある産業データは存在しますが、身近な重みの上位例としてこれらを取り上げます。重いデータ側には、軽い側の感覚とは別次元の「気遣い」「慎重さ」「インフォームド・コンセント」が求められ、その分売り買いされるデータの相場には、軽い側と比べて100から1千倍ほどの開きがあります。次の図は参考として、「個人を特定できる情報(PⅡ)」がダークウェブ上で取引されている「単価の差」を紹介しています。「軽い側」と「重い側」の差についてイメージができると思います。

軽いデータ側のマイナスリスクネット広告の登場以来、軽いデータは企業側からのマーケティング機能での利活用面から、「宝の山」「新しい石油」などとされていた時期がありました。けれども、現在では保有していることそのもののマイナスのリスク面が顕在化してきています。むしろこれらのデータを無意味に取りあえず持ったり集めたりしていることが「お荷物の山」「コスト高」「危険物」になる可能性を大きくしています(後述する「DSR」の概念です)。この「手元のデータが宝の山と思いきや、お荷物へ」という価値観の転換を顕在化させたのが2018年施行の欧州GDPR法であり、それに続いて20年に施行されたカリフォルニア州のCCPA法でした。日本でも改正個人情報保護法が22年4月から施行され、いよいよ(ようやく)重い腰が上がり始めました。グーグル/フェイスブックを代表とする軽いデータ側が利益基盤のプラットフォーマーは、ポストクッキー対策と称する我田引水の言い分に、日本市場は思考が丸め込まれているように見えます。軽いデータ側の利活用を土台にした「まだまだ使える、イケる」「合法の範囲内だ」とする事業主や営業記事を多く見受けます。そこにつけこむように、その論調を担ぐ広告周辺会社も多く存在しています。欧米のGDPR/CCPAの成り立ちは、この消費者(ユーザー)が利用されまくっている状況が「おかしい」と指摘され、訴訟という手段にまで発展している環境です。これは日本でも決して対岸の火事ではなく、前述のように法改正によってその土壌は整っています。ただし、日本の法改正があまりにも甘いスタートなので、「まだまだ、法の網の目をかいくぐれる」と思えてしまうかもしれません。しかし、「法をかいくぐれば良い」という姿勢では自転車操業の沼に入り込むことになります。重要なのは、対症療法でしのぐのではなく、企業の根幹に関わる問題として取り組む姿勢なのです。

医療産業の規制緩和に向けて準備が待ち望まれる事業カテゴリー前節で紹介した重い側の巨大データ市場である「医療」「金融」「保険」「教育」の中から、本節では「医療事業」を例として取り上げてマーケティング概念の大きな変化や、未来の「(大きな)変数」が登場する気配を紹介します。医療産業から「変数」が起こりうるといわれても、「自社の事業は食品CPGなので関係がない」とか、「自社のコスメティック事業と医療とは違う」「自社は宅配事業だが、なぜ医療業界を気にしなければならないのか」など、現在の事業の立ち位置から見れば遠い印象を受けるかもしれません。ところが、一歩先を考えてみれば、これらの事業にも、身近に「目に見え始めている」医療との事業領域の接点があるはずです。たとえば、対面でしか購買できなかった「処方箋薬」が宅配可能に規制緩和されたり、「金融」事業がAPIやアプリ経由で医療や保険の事業に分割支払いや資産運用と融合したり、その延長で宅配事業と医薬品事業の間を「保険」がブリッジしたり、あるいは「教育」という概念は、「人々の考えや感情」と「医療」が表裏一体となる重要さに及んだりしますから、各ブランド事業の根底価値に潜む事業に発展する可能性もあるでしょう。「ゼロパーティ・データ」のご本家、医療業界医療事業(※)こそが、顧客(=患者)とのインフォームド・コンセントの関係が大前提であるので、「ゼロパーティ・データ」として「重いデータ側」を扱う代表的産業です(ゼロパーティ・データについては「ファーストパーティ・データとゼロパーティ・データの区分」で具体例を紹介します)。もともと厳格に法的にも資格的にもデータに対する接し方や扱い方の専門性が(非常に)高く規定されており、だからこそ新たな企業の参入障壁が高い重いデータ側の産業でした。そのため、医療産業のわずかな変化は、他の産業を含め社会全体に非常に大きな「変数」をもたらすことから、ここでは取り上げることにします。この医療業界からの視点では旧来マーケティング用語として使われていた「ターゲティング」「キャンペーン」「刈り取る」などの戦争を起点とした用語は似つかわしくありません。これも旧来のマーケティング視点から見れば新しい予兆変数のひとつであり、言葉ひとつとっても重いデータ側を尊重する言い方が登場する可能性が期待されます。※本節は、「ヘルスケア」と称される軽いデータ分野(広義の分野:脈拍、体重、血圧、歩行距離、睡眠など)ではなく、医師免許が必要とされる重いデータ分野(専門性の高い分野:治療、治験、入院など)の話題とします。法規制の緩和への感度アンテナ、他業種との融合の夜明け前重いデータ側である医療業界において、法律の変更(規制の緩和)は、他の(軽いデータ側の)産業にも大きく波及し、影響を及ぼします。たとえば、「処方箋医薬(風邪薬や目薬などのOCT薬ではない)」の自宅への宅配の解禁(変更)もそのひとつです。現在の日本の(世界の)法規制の環境は、解禁とはいえまだまだ限定的なサービスに過ぎません。しかし、この時期こそが、むしろさらなる緩和に向けた大きな変数が見えており、それに向けた準備がまだ間に合うチャンスが含まれています。まさに「夜明け前」かもしれません。アメリカでも、これまでの処方箋医薬の販売は、医療資格を持った医師・薬剤師が手渡しする法律を基盤として、ドラッグストアのチェーン事業形態が繁栄していました。アメリカでは5年程前からこの状況に変化(規制緩和、新規参入)が発生しています。ドラッグストアのチェーン事業形態としては、Walgreens、CVS、RiteAidの専業だけでなく、WalmartやKrogerなどのスーパーマーケットもこの事業形式を持つ範囲です。日本でもこれに近い形態として、ウエルシア薬局、ツルハドラッグ、マツモトキヨシ、ココカラファインなどのドラッグストアだけでなく、これらと資本関係やテナント関係を持つイオン、セブン&アイ、アトレなどのスーパーマーケットやリアル店舗リテーラー業態も関係するでしょう。さらに、これらの事業を含むさまざまな元締めの資本主である三菱商事、三井物産、伊藤忠商事、住友商事を筆頭とした商社や、その傘下の事業の垂直融合(例:ローソン、ファミリーマート、セブン-イレブン、サミット、トモズ)によって、日本でも一大産業の変数が見えてきそうです。処方箋薬の販売認可を持つ店舗はドル箱処方箋薬を服用するユーザー(患者)は週に一度、月に一度の習慣性があり、なおかつほぼ永遠に続くサブスクです。店内の一番奥に「処方箋の受け取りカウンター」を設置して、カウンターにたどり着く手前に「その他の日用品」をレイアウト陳列してついで買いを期待する手堅い商売がドラッグストアチェーン店の基本フォーマットでした。少し露骨な言い方をすれば、処方箋の法規をクリアして保持している店舗は、来店吸引力の「ドル箱」を「店舗の奥」に持っていました。処方箋薬の宅配ネットワークの火付け役、アマゾンのPillPack買収リモート環境に慣れた今の立場で考えれば、処方箋薬でも宅配は可能と想像できますが、お伝えしたいのは、それを予知した時期での早期行動と、含まれるマグマ(変数)の大きさの察知です。それらがいまだ日本で普及しえていないのは、次のチャンスを狙えるシグナルかもしれません。アメリカでは2013年創業のスタートアップ企業「PillPack」が処方箋薬の宅配の許認可に挑み、「一度医薬処方された薬ならば、その同じ薬の定期的な充塡だけなら、毎回対面の購買でなくとも宅配の許可が得られる」というアイデアで、アメリカ31州でライセンスを獲得して事業を成長させました。その後、同社は18年にアマゾンが約800億円(7・5億ドル)で買収し、現在は「アマゾンPharmacy」のブランド名で残りの州の許認可を取って成長させ、全米で事業展開を行う新たなEC事業の柱となっています。2018年に既に発生しているシグナル店頭(来店)受け取りを期待する旧ドラッグストア店舗を持つ事業体は、店舗を不要とする軸である宅配事業とのカニバリゼーションを気にして「処方薬の宅配」には乗り出していませんでした。ところが、アマゾンによるPillPackの買収発表によって、前出のドラッグストア企業の3社合計だけで、一気に約1・2兆円(110億ドル)の企業価値が下落する程の影響を受けたことで、ようやくドラッグストア各社も宅配事業に乗り出すことになりました。

翻って日本ではどうでしょうか。このアメリカで顕在化した業態がまだまだ芽生えていない(見えていない)か、あるいは驚くような事業インパクトがそろそろ顕在化する時期かもしれません。同じような動きが起こりつつある兆しも見られず、実現するまでにはまだまだ時間がかかると思われます。考えうる「垂直融合」今後アマゾンの処方箋薬の宅配、在宅医療はECの新たなドル箱として成長する可能性を秘めています。「重いデータ」を預かる処方箋薬の宅配事業が持つ事業資産としての可能性には次の5つが挙げられます。・ユーザー(患者)は処方箋薬をサブスクとして定期的に購入する(LTVが高い)・(健康的に好ましくないが)さらに追加の薬が加わることがある(LTVの右肩上がり)・(好まずとも)必ず購入する上に、永久に購入する(離脱率が極めて少ない)・薬価の単価は、他のCPG品より圧倒的に高い(利益率や利益額)・非常に軽量で小さいので、配送に連動する梱包や輸送のコストが安いここまで重いデータ側の一例として「処方箋医薬の宅配」を挙げましたが、この良いとこずくめの比較・連想すらが「お薬」という目に見える物品に閉じた世界での比較でしかありません。まだまだ見えていない「向こう側」や「変数」「重いデータ側」のマグマの大きさが巨大な医療事業には潜在しています。人の命を預かる医療産業は、その医療資金を負担する国家予算と雇用企業が積み上がる「保険産業」と、その予算資産を預かって運用や支払いを取り持つ「金融産業」という巨大産業同士が融合して初めてサービスが成り立ちます。これまでのマーケティング行為とされていた軽いデータ側を集めて横にスケール化させて、ターゲットへの推量精度を上げるソロバンは、単体企業側の効率向上が起点でした。垂直融合では、B2B事業主が互いに入り口から出口まで一気通貫でつながれば、私(最終ユーザー)が便利と考える新しい(重い)価値を目指しています。処方箋薬の宅配は氷山の一角このPillPackの事例は、アマゾン/AWS事業の「氷山の一角」です。飴玉側である「クラウド事業」には各主要産業別「バーティカル・サービス」(個別産業に垂直特化型でのB2Bサービス)を用意しています。重いデータ側のメニューのひとつが医療部門です。クラウド事業でアマゾンの競合であるマイクロソフトのアジュールでも同様の準備が進んでいます。いずれもこの数年の出来事として、ここに上記2社の具体的なサイトと時系列を紹介します。

前の図に挙げた個々の詳細は省略しますが、マイクロソフトが2021年4月に「NuanceCommunications」の買収を発表したインパクトは衝撃的で、変数の予兆でした。日本経済新聞の見出しは重いデータ側である「医療」「2・1兆円」「AI」への投資としてそのヒントを掲示していました。その後マイクロソフトは重いデータ側である人の心や考え(教育)に影響のあるAIとして、23年1月に「ChatGPTを運営するオープンAI社」に約1・3兆円(100億ドル)の追加出資を発表しています。「重いデータ」側への変数が連続して表れている様子です。重いデータを医療機関(病院)がB2Bとしてサービス利用として支払う、患者1人当たりの月額利用料は数百円規模ではなく、数千円から1万円近くにのぼります(B2Bの事業単位で累積すれば、年間では億円単位)。これら医療を預かる単価やアカウント数は減ることがなく増え続けると予想できます。垂直融合が産業規模の上から順に降りてくる構造は、末端の周辺にある軽いデータ側をセットにして(それらを束ねて、無料にして添えてでも)、顧客(ユーザー)と長く太くつながる構造を新たに創造していきます。医療事業の側面でも、事業解釈の拡張から派生する新しいマーケティングの概念が生まれている様子の紹介でした。このような定義変化を捉えて変数を見つける応用として、第5章でもさらに「目に見えにくい、気づきにくい」変化を紹介します。

データのマイナスリスク:対応コスト「DSR」の増大「ネット利用者の保護」は、近年の日本の事業主にも当然の義務として広まってきました。この合言葉に含まれる「企業側の見えざるコスト」について考えてみます。表題の「DSR(DataSubjectRequest)」という概念の意味合いは、「データの主体=Subject=個人」による、企業側へのデータ開示請求(Request)の権利を指します。なお、略称のDSRだけでなく、DSAR(DataSubjectAccessRequest)と略されることもあります。本節では欧米の状況を取り上げますが、その意図は、日本の現状が遅れていることを指摘したいわけではなく、本来、企業(事業主)として正面から向き合わなければならない事柄を避けていたり、あるいは取りあえずの対症療法に終始しがちなことに気づいてほしいからです。欧米の法改正の議論をたどると、その始まりは2016年に可決されて18年5月に施行されたGDPR法なのは「軽いデータ側のマイナスリスク」で解説した通りです。その流れで同じ年にカリフォルニア州でCCPAの法改正が可決され、20年1月から施行されています。22年の日本の個人情報保護法改正施行は、これら欧米の予兆から6~8年遅れであることは、今後の動きを先読みするヒントを見つけたり準備したりする十分な時間が日本にはあると捉えることもできます。これは欧米にはない優位点かもしれません。法的な「かわし技」の探求ではなく、企業姿勢としてのあり方一方でデータの取り扱いへの意識のゆるさは気づいておきたい部分です。「みなしの許諾」と揶揄される「クッキー取得の同意ポップアップ」のボタンを用意さえすればデータ利用の許諾が取れていると判断し、大手を振ってデータを利活用できると考える、いわゆる奪う側の発想が日本企業にはまだまだ残っているように感じます。日本企業におけるデータの利活用とは、「攻める側」だけの(勝手な)視点のみで「守り」の側面がないままでした。サッカーの試合でたとえれば、シュートを決める精度だけを上げても、キーパーが不在で失う点が多ければ試合に負けてしまうようなものです。守る側=防御に対する個人ユーザー側の権利が広がることで、企業側のデータ保持コストは現在の数倍(数十倍)に及びます。これは単なる訴訟のペナルティー費用を含んでいない、それ以前のコストであり、その額は上場企業のサイズならば年間10億~100億円にものぼる「見えていないコスト」です。さらに訴訟に発展すれば、その上に訴訟の費用やペナルティーが加算されます。

「DSR」の概念は法律ではなく企業倫理日本の個人情報保護法の改正、GDPR/CCPAいずれも次のような共通した個人の4つの権利を具体的に提示しています。個人からの(企業が持っている)私のデータ開示について、・(何を持っているのか、全部)見せてください・(それ、これを)消してください・(プロファイルや情報が不適切なので)変更してください・(子会社であっても、調査分析であっても)他者と一切共有しないでください企業には今後、これらのリクエストに対応する体制とシステム投資が求められます。たとえばDSRに準じた「(私のデータを)消去して」というユーザーからのリクエストだけでも、二重三重にわたる厳格なシステム上で「このリクエストは詐欺ではなく、本当に本人からのリクエストか」の往復確認のプロセスが求められます。ところが、上記の往復確認のプロセスは非常に単純な1つのプロセスに過ぎず、実際は既に悪意のある「なりすまし」ボット・プログラムが「高速で大量に複雑に」走り回っています。それらを厳格にすべて排除する体制と自動システムへの投資は必須です。さらに、むやみに自社の防衛本位で厳しいシステムに特化してしまうと、「ご本人リクエスト」すらも排除してしまうという本末転倒な事例も欧米では発生しています。企業は、この「大量・高速」の対応にあたって旧来概念の延長であるカスタマーサービスの「受理・対応」の「手作業」では到底追い着かないどころか、預かった情報を漏洩してしまう可能性もあります。ユーザーからの問い合わせ件数は、今後は激増することが予想されるでしょうし、さらに「なりすましボット」のような悪意ある問い合わせ(リクエスト)件数も増大します(「DSRの姿勢とそのコスト規模」参照)。DSRとしてのリクエストの6〜7割はボットからという報告もあるほどです。このことに気づいている日本企業はまだ少数のようです。実態は、企業側が主体であるデータ入手時に「長文の許諾同意文章」をポップアップで提示してOKボタンをクリックさせ、そのことで許諾を得たとしています。このプロセスは「許諾」を数多く取る意図が主体(前節の例でいうサッカーのゴールを狙う側)であり、「だまし」の意図すら感じるほどです。DSRのユーザー側を保護する権利は、「そんな利用のされ方とは思わずOKボタンを押しただけだった」の心理ギャップを、ユーザー側が気づいたときに提示できる権利です。企業側からすれば「後出しジャンケン」と主張すれども、そもそも企業側による「だんまり、しれっと、許諾を集めてたよね」のユーザー側の(反論の)声を汲み取ったのがDSRの概念です。このユーザー側によるDSRの概念への「目覚め」「真っ当な権利」について、現在の企業側の立場や心理では、次の3項目に注意しておく必要がありそうです。・ポストクッキー「対策」という対症療法の罠「軽いデータ」側にビジネス基盤を保持し続ける、大資本のグーグル/フェイスブックなどのプラットフォーマー側が流布する「これまで通りの広告訴求の継続効果を保つ、代替案はコレです」と推奨する「対策論」に鵜呑みで飛びつかない冷静な目を持つ必要があります。・法規制に追い着く姿勢ではなく、法規制の先を行く自社の姿勢日本の個人情報保護法の改正に従い、「いつから始動」「どのような罰則が」と確認する行為は、正しい処理を行っているようでいて、受け身の姿勢です。たとえば、「掃除をしないと罰を与えます」と先生に言われてから、その罰則回避だけを考える子どもの様相に似ています。自社(自分)のあり方(姿勢)として「教室を美しくしたい」と思うのか、それとも「罰則があるから掃除をする」のか。企業姿勢として、法規制の前を引っ張るのか、後ろから着いていくのかを考えておきたいところです。・法務アドバイスは「今のところセーフ」のガイドラインを示すのみ自社の法務部と法律事務所コンサルの外部からの意見は、「現状の白黒判断」を提示してくれるものです。自社の将来の理想像を描いたり、「先行投資」で示唆したりするアドバイスは、過去や現在の基準では「不要なコスト」と判断されかねず、耳が痛い指摘は避けられる傾向があります。ユーザーと真っ当にどう向き合うかは、法務部や決定部署の役目とする他人任せではないはずです。顧客と対面する社員一人ひとり(自分)の意志や姿勢こそが、「どんなお行儀が自社らしいのか」の法規を作る土台になると考えます。ファースト対ゼロ?既にアメリカのブランド事業、リテール事業、B2Cの領域では、ユーザーデータの捉え方において「ファースト対ゼロ」の二極化が意識され始めました。ともすればファーストパーティ・データへの注力化が重要視されますが、ゼロパーティと呼べるような意識が生まれています。不特定多数向けのコモディティー商品・サービスを提供する単価の低い(購買頻度は多い)事業主や、旧来型の量販ビジネスモデルを起点とする事業主(軽いデータ側)には、「既存データの利活用主義」であるファーストパーティ・データ派が強く残ります。一方で、特定のユーザー向けの「高単価」「高LTV」「ブランド価値」や、「新・未来事業」を標榜する事業主(重いデータ側)では、ゼロパーティ・データ派に向かっているような傾向があります。ファーストパーティ・データとゼロパーティ・データの区分ファーストパーティ・データは「Behavioral&TransactionalData(行動データとトランザクション・データ)」と解釈され、ゼロパーティ・データは「TrustedData(ユーザーと相互信頼のあるデータ)」として区分されます。この造語はアメリカのフォレスター・リサーチ社のアナリストが2017年頃に提唱したことから広まりました。ファーストパーティ・データとは多くの場合、販売時やフォームの入力時に収集された住所や生年月日などの登録データが、その後の購入履歴や行動履歴などの日々のやりとり(トランザクション)と結び付けられたものです。ロイヤリティ・プログラムやメンバーズ・ポイントなどもこの範囲内です(自社内に転がっ

ているデータともいえます)。一方のゼロパーティ・データは、前述のフォレスター・リサーチ社の定義によると、「ユーザーや消費者が意図的かつ積極的にブランド側と共有するデータのこと。たとえば『個人の購入プリファレンス(好み・傾向)』や『個人的な背景やコンテキスト(文脈)』などを含み、さらに『個人がどのようにブランド側に自分を認識してもらいたいか』などの『意思』が含まれる」としています。データ主体本人(消費者やユーザー)側の「○○したい」意思を、企業側と共有した「同士の立場になる」姿勢が鍵になります。「許諾は取った」は本当か、その姿勢で良いのか?企業側が「許諾を取った」と言い張る、現在の収集された社内データは、ユーザー側から見れば「本人の明示的な利用許諾」を得たデータとは言いにくい種類です。これらがファーストパーティ・データとして社内(企業)で保有されています。たとえば、ユーザー個人が後に「そんなつもりはなかった」と主張することもできる余地が大きく残ります。ほぼ誰も読まない長い長い「同意書」をスクロールした上で「同意」をクリックしたことで「あなたは同意しましたよね」と言われても、「個人データをそのように利活用(バラマキ)される覚悟はなかった」と押し戻せる、不親切なプロセスや姿勢が存在するからです(前出「DSR」で指摘されている部分)。このような企業活動の「なりゆき」で社内に蓄積されたデータ(トランザクション上でのデータ=ファーストパーティ・データ)こそが、GDPRやCCPA基準にひっかかるだけでなく、2022年春から稼働した日本の改正個人情報保護法にもそぐわない種類と解釈されます。さらにいうと、これらのデータ価値とは「推量(本人の知らないところで勘ぐる)」を利用目的としたデータであり、ユーザー(私)本人の心底にある「○○したい」意思までは理解できていない軽いデータ側である点を強調しておきます。ゼロパーティな関係とは?ブランド企業側のマーケターにとって、ユーザーや消費者と直接のつながりを持つゼロパーティ・データを収集するプロセス(例:キャンペーン施策でのお申込みフォームなど)は、表面的にはファーストパーティ・データの収集と同じプロセスに見えがちで、区分が難しい分野かもしれません。たとえば知人とのSNSアプリ同士での連絡先交換と企業アプリへの連絡先登録では、相手が入手した情報は同じ「あなたの連絡先」で、なおかつ似たようなスマホアプリ経由であるという類似点があります。大きな違いは、情報を入手する側の(企業側の、交換側の)内面的な考え方や姿勢で見分けられます。ゼロパーティ・データの企業側の姿勢は、データの主語(主権)が「ユーザー側(あなた)」であり、その意思を企業側がユーザー側の「御用聞き」の受動姿勢から関係をスタートさせる心意気が存在します。これに対してこれまでの企業データの主役と思われていたファーストパーティ・データとは、あくまで「自社が」主語である点が大きく異なります。自社サービスの効率向上を目的として、登録情報(トランザクション過程のデータ)などから自社の売上向上のために効率的に推量する立ち位置がファーストパーティ・データとされます。このような「データの預かり方」「許諾の取り方」に違いが生まれるのは、そのデータを預かった「その後」に、どのような世界を描いているかの目的や座標の違いから逆引きで生まれてくる違いです。ユーザーとの間で認識の違いを生まないためにも、「(データの)利活用」という企業主語の言葉を対外的には(もう)使わない姿勢を企業側には提案したいと思います。ファーストパーティ・データの乱用例ファーストパーティ・データとゼロパーティ・データの区分を、夫が妻の誕生日に「花を贈る」という事例で説明してみます。夫は妻の誕生日は知っていますし、去年の誕生日に花束を贈ったら喜んでいた(気がする)のを知っている立場とします(ファーストパーティ・データ=共に生活していて共有されているデータ)。夫は、今年は「奮発」して30万円分の花束を妻にサプライズで贈ったとしましょう。けれども、花束を受け取った妻から返って来たリアクションは、「ええ、こんなに花を買うのなら、バッグがほしかったのに……」という期待はずれなものでした。この例は、夫が妻との同居を通じて「妻の誕生日」「花が好き」「昨年の誕生日で花をプレゼントしたら喜んでいた(と思う)」という生活上で得た妻のデータ(取引上で発生して勝手に得たデータ)を、「許諾済みのはず」と勝手に解釈して利用した例です。夫は(良かれとの思いで)上記データをクロス集計にて「誕生日に、大きな花束を昨年比の3倍でプレゼントすれば喜ばれるだろう」と予想していたわけです。

この痛くもほほ笑ましい例は、夫が妻のファーストパーティ・データを「乱用」している状況とも考えられます。夫は良かれとの思いでしたが、妻のゼロパーティ・データ(妻自身の気持ちや意思、都度都度の状況)を相互で共有や確認することなく、ファーストパーティ(直接)の関係から勝手に得たデータを振りかざしている(許諾済みと言い張る)状況です。「今年の誕生日にお花を贈ろうと思うのだけれど……」という、事前にゼロパーティな「関係の会話」「お伺い」がほしいところです。

データ活用のリスクをDSRの視点で管理するこの数年、ウェブサイトを訪れたときに、データ活用の「みなし許諾」を求めるポップアップ画面(訪問サイトのクッキー利用への許諾)に遭遇することが増えたことを実感します。繰り返しになりますが、これらはすべて(ゼロパーティではなく)ファーストパーティ・データの収集意図(の施策)であることを理解しておきましょう。このポップアップ表示は、企業活動を主語とした入り口で、企業のデータ活用目的のための「せめてもの礼儀」を法令に後追いで出している姿勢に過ぎません。さらに企業側で気づいておきたいのは、企業内部でデータ保有後の資本コスト(負債コスト)への出口対応(どのように回収するか)は考えられていないままの「取りあえず集めておけ」の施策である点です。DSRの姿勢とそのコスト規模「攻め」のデータ利活用を図るならば、同様に「守り」としてユーザーからの「データ閲覧の要求」への対応を準備する姿勢が求められます。この部分に登場した概念がDSRであり、この概念に企業側が「受け身」で追われているか、それとも「能動姿勢」で望んでいるかで、くっきりとした企業活動の利益収支にも違いが見えてきます。データへの責任支出コスト(リスク管理)と、データとともに成長する伸びしろとの両極が今後は大きな関心事になります。データへの責任コスト(DSRコスト)の例として、アメリカのDataGrail社の調査では、B2C企業の場合は、100万件のデータ保有当たりに年間約266件のDSR対応が発生するとしています(2021年)。そのDSRの1件当たりの対応コストは平均約20万円(1524ドル)とされており、これを年間に換算すれば約5200万円(40万ドル)に相当します。500万件のデータ保有ならば、約2・5億円の維持費がかることになります。また、SapioResearch社の調査では、DSR対応「単価」を先ほどの3倍以上の額になる5350ドル(約70万円)と設定しています。

これらの単価や件数は、今後は激増することが予想されるでしょうし、さらに「なりすましボット」のような悪意ある問い合わせ(リクエスト)件数も増えます。ゼロパーティ・データをキーワードとして、売上獲得とばかりにリーチを増やすあまり、「億円単位」の信用失墜にならぬよう、「防御」に対する「投資」が日本でも求められています。実は日本企業こそが他国企業と比較すると、「防御」への意識と行為は得意かもしれず、この分野においてむしろ世界に向けて先手で登場する企業姿勢を期待したいと思います。

「二人称デバイス」との対面データ摂取から「一人称デバイス」の中の自分データとの対話へコンテンツ(データ配信)事業における大きな地殻変動は、ウェブ1・0とされる一方通行の閲覧から、SNSの登場によりウェブ2・0の双方向のコンテンツの可能性が定着し、現在は(まだ漠然としていますが)ウェブ3として大手集中型ではない分散型の構造が認識され始めました。これらはすべて、スマホやパソコン、スマートTVなどのデバイスを経由している状況には変わりありません。すなわち、新しい環境(関係)として、デバイスが「二人称から一人称」へとシフトするイメージの紹介です。これまで人々は、コンテンツ視聴やオンラインでのコミュニケーションとは、目の前の「スマホ」を筆頭に「デスクトップ」「テレビ画面」や、「新聞や雑誌」という対面の画面モニターやデバイスを通して「見る」「聞く」「返事する」という情報入手や接触を行っていました。この状況を筆者のたとえで、「私(一人称)」に対する「あなた(二人称)」のように、「私」に対する「画面のコンテンツ」の様子を、さながら「二人称」の画面と対面して会話している、と形容してみました。コンテンツ提供側のこれまでの広告メッセージやマーケティング目的のユーザーとの会話とは、ほぼこのような対面関係でした。そして企業側が起点となるコンテンツや広告(コミュニケーション)が二人称の画面に音声付きで流れる状況でした(「一人称と二人称の画面」の関係は第5章で事例を紹介します)。この対面画面の環境に旧ウェブ2・0の概念がかぶさることで、「なるべく瞬時に!」「なるべくその人の文脈に沿って!」と、ユーザー側に寄り添った訴求をしたい気持ちはあれど、実情はターゲティングされたコンテンツや広告などは、「放映枠」「紙面枠」「ユーチューブ枠」「スマホのSNSアプリ」などの設定された枠にCM(広告、メッセージ)作品を「最適化」と称して押し込むだけでした。RTB(リアル・タイム・ビディング)経由やプログラマティック設定などが進化しても、旧来の「新聞紙面15段枠に版下をはめ込む」作業と、「型に押し込む」という意味では、準備期間が短縮されたのみで大差なく、同じ「対面の二人称枠」に押し込んでいるように思えます。この旧来の「(二人称の)画面」に対して、筆者がたとえる「一人称(私)」の状況とは、たとえばメタ社の『Quest』をかぶったメタバースの中や、オンラインゲームの『Fortnite』や『Roblox』上で既に成立している関係です。これは、データの中にいるデータの私から見た環境(コンテンツ)を指します。「一人称」のデータの中の世界を、まるで1999年の映画『マトリックス』で登場した「現実は夢だったのか、それとも夢と思っていることが実は現実なのか」と区別が付かないような世界にたとえてみました。メタを超えるVR/ARデバイスと空間既に映画のストーリーでの絵空事ではない例として、テスラ車の車内空間がまさにそのデータの中にいる「一人称」な状況を具現化しています。テスラ車デバイス(の中、乗車時)において、たとえば「箱根の温泉旅館まで自動運転で行く」とFSD設定(FullSelfDriving)する状況とは、自分自身の気持ちに添った一人称データを入力しつつ(例:旅館に直行せず、富士山を見ながら回り道をするリクエスト)、それに即したコンテンツ映像(例:富士山の景色)を見ながら、「安全に」「リラックスした」自分が存在できます。これぞ、私の意思とテスラの提供データが作るコンテンツデータの中に、リアルの自分が一人称コンテンツを受けている(味わっている)状況です。車内から見える形式や体感は、まるで「テスラゴーグルを付けて富士山を見ている」状況に近いのかもしれません。単にテスラ車の窓から見える景色を受け身で(対面)画面を鑑賞するようなドライブ映像だけでなく、テスラ車の実走の環境では、リアルタイムに突如降ってくる雨に見舞われたり、路上に飛び出す動物やきれいな虹が出ているなどの情報が一人称の自分へ向けて飛び込んできたりします。そのリアルタイムの出来事の度にテスラ・デバイスが「臨機対応する、反応する」という行動をする結果、リアルの私(ユーザー)はその情報を受け取り、感動したり、安心できたり、次の行動のアイデアが生まれたりします。これは、テスラ・デバイスが提供する情報が、「自分そのもの(自分の行動がコンテンツ)」に進化している様子です。その自分の延長=テスラ・デバイスの向こう側には、テスラが「道場」で進化させているAIがデータを管理している(してくれている)のです。この一人称の「コンテンツ」は既に膨らんでいて、テスラ社はアマゾンやグーグルが追い着けないほどのゼロパーティの安全データ(命に関わるデータ)にリンク(変換・紐付け)して一人称のデータを(あなたとして)積み上げています。「許可した覚えがない」という後ろめたいデータではなく、「私の走行の安全データ」をどの企業よりも積み上げているのがテスラ車のFSDサブスクサービス(月間199ドル)なのです。私の運転走行の「癖」と全世界のテスラ車から集計されるデータをもとに、私の安全(快適)な空間コンテンツはテスラがプッシュ提供したものではなく、私がテスラとともに積み上げた空間を味わっているのです。なお、テスラ車については第5章でさらに詳しく解説します。

 

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