第6章賢者の時間術「タイムシフト」——「最重要課題」を攻略する神話▼シングルタスクをするには忙しすぎる。
現実▼シングルタスクをしないには忙しすぎる。
「ただの行動」と「活動」を混同してはならない。
——ベンジャミン・フランクリン「めちゃくちゃ忙しいんだ」「へえ。
おれは、超めちゃくちゃ忙しいよ」「へえー。
こっちは、その何倍も超めちゃくちゃ忙しいんだ」…………。
「多忙」という伝染病が蔓延している。
そのさまは、まるで芝生に雑草がはびこるようだ。
とはいえ、どれほどあわただしく動きまわったところで、相応の見返りが得られるとはかぎらない。
忙しくすごしている人が、能率よく働いているとはかぎらないからだ。
リーダーシフト・コンサルティング所長のレスリー・ウィリアムズは鋭い所見を述べている。
「私たちの文化は、生産性とはなにかという定義を見失っています。
一度にどれだけ多くのタスクをこなせるかで、能率のよさを測っているとしか思えません」自分を疲弊させることで「安心」しているあくせく働いているのに、それに見あうだけの具体的な成果をあげられない人は多い。
そもそも、一定の時間内でそれほど多くの作業をこなせるはずがないのに、ついあれこれ手をだしてしまっているのだ。
その結果、つねに注意散漫な状態で、膨大な要求に答えられずに不満を抱えて生活している。
現代の文化には「より多くのものごとをこなす」ことを重視する風潮がある。
そして奇妙にも人は自分を疲弊させ、すり減らすことで「自分は重要な人間だ」という認識をもとうとしている。
作家のローラ・バンダーカムが指摘しているように、「多忙」であることと「自分は重要な人間である」という認識には、強い相関関係がある。
「過労と睡眠不足を嘆いてみせることで、自分が必死にやっていることを証明したいのだ」あなたの「バイタル・フュー」はなにか?どうやら、いくつかの基本的な事実がすっかり忘れられているようだ。
たとえば、時間の使い方を少し変えれば、ライフスタイルに大きな変化をもたらし、充実した1日をすごせるようになることを思いだそう。
ジョセフ・ジュランはジョセフ・デフェオとの共著『ジュランの品質ハンドブック(Juran’sQualityHandbook)』(未邦訳)のなかで、「バイタル・フューの法則」として「重要なものはごくわずかしかない」と説明している。
いわく、質の高い仕事をする鍵は「些末な多数」(トリビアル・メニー)と「ごくわずかな重要なもの」(バイタル・フュー)を区別することにある。
そのためには、自分のタスクをていねいに見なおし、最重要のタスクと、とりあえず後回しにできるものとを区別するとよい。
最重要のタスクをすべて終えたら、後回しにしたタスクを再度、見なおす。
そして、着手すべきタスクなのか、あるいは、そもそも不要なタスクなのかを見きわめるのだ。
「バイタル・フュー」の地位を獲得できるタスクはなんだろう?タスクの優先順位は必ずしもぱっと決められるものではないので、じっくりと考えてみてほしい。
「無意味な情報」を迎撃するマルチタスクを試みる行為は、「多忙でいなければならない」という強迫観念とむすびついている。
と同時に、そうした試みを続けていると、精神的にまいってしまう。
先日、空港で搭乗手続きの列に並んでいたときのことだ。
待合室のテレビからとめどなく耳障りな音が垂れ流されるなか、そばにいた旅行者が連れに「ぼくらは四六時中、なんの役にも立たない情報の砲撃を受けている」と言うのが聞こえた。
おっしゃるとおり。
私はペンシルベニア大学アネンバーグ・コミュニケーション大学院で、ある教訓を学んだ。
メディアは「どう考えるべきか」を教えることはできないが、「なにについて考えるべきか」は伝えられるということだ。
だが残念ながら、メディアが「くだらないことについて考えろ」と情報を発信することが多いのも事実だ。
かつてニュース番組とは、いくつかの局が夜の1時間を費やしてニュースを伝えるものだった。
ところがいまやニュースは24時間、無数のメディアから絶え間なく流されている。
と同時に、私たちが注意を持続できる時間はもはや光速並みにまで短くなっている。
テレビのCMやミュージックビデオでは、たった1分間に30以上もの画像が継ぎあわされていることも少なくない。
私たちを取り囲むメディアから発せられる情報は細かく、増えていくばかりだ。
私たちは、こちらの気を引こうとするものからつねに砲撃を受けていて、それにつれて、ものごとをじっくりと考えないように脳が飼いならされていく。
「内省の時間」で共感力が上がるどうやら、人はひとりでじっくり考える時間を避けるためなら、どんなことでもする気になるらしい。
バージニア大学でおこなわれたある実験は、心理学界と神経科学界で物議をかもした。
実験では、被験者がひとり、部屋に取り残される。
室内には、押すと自分に電気ショックを与えることになるボタンだけがある。
すると室内に取り残されてから6分以内に、被験者の大半がひとりで考え事をしてすごす不快感に耐えられなくなり、自分に電気ショックを与えるボタンを押した。
なお、この被験者たちは実験の前に質問をされたときには、「電気ショックを受けずにすむのならカネを払うほうがいい」とまで答えていた。
ひとりですごす時間を避けていると、どれほど多くのものを失うか、考えてみてほしい。
あるイタリアの研究によれば、自分を見つめれば他者に共感する能力を高められるという。
「みずからの感情と経験に触れれば触れるほど、ほかの人の頭にどんな考えがよぎるのかを、より正確に、より豊かに想像できるようになる」現代社会は、思考より行動を重視すべく進化をはたしてきた。
ところが現実には、じっくりとひとりで考える時間をもつからこそ、日々の生活が有意義なものになる。
たった数分でもかまわない、あなたがネットサーフィンに興じて「忙しく」している時間を内省の時間にあてよう。
「三人称」を主語にして問題を考えるミシガン大学のイーサン・クロス博士は、人が気晴らしを求めるのは、自分の人生について真剣に考えることから逃げるためではないかと推測している。
「問題を抱えた友人にアドバイスをするのは簡単だ。
ところがいざ自分の身に問題が起こると、そう簡単には対処できないものだ。
その一因は、つい『自分中心』に考えてしまうので、客観的に問題をとらえるのがむずかしくなることにある。
こんなときは『言葉』をうまく使って自分をだまして、自分に起こった問題を他人に起こった問題のように考えるといいということが研究からわかっている」クロス博士の考えを取りいれ、次のような手法をとってみよう。
いま直面している問題に対して、「彼」「彼女」などの三人称、もしくは「自分の名前」を主語にして、文章を書いたり、頭のなかで言葉にしたりして自分を見つめるのだ。
人生の難題を乗り越えるために内省に取り組むのは、一点集中術のもっとも有益な活用法の一つである。
「異常な状態」が当たり前になっている「プライベートの時間をつくりなさい」とは、よく聞くアドバイスだ。
それなのに私たちはこの健全な助言に従おうとせず、集団で悪いほうへ悪いほうへと進んでいる。
1982年、「ワーカホリック」は次のように説明されていた。
「自分にワーカホリックの傾向があるかどうか、次の質問に答えて確認してみよう。
『自宅によく仕事をもち帰りますか?』『重要な仕事に取り組んでいる最中や休憩中にも、かかってきた電話に対応しますか?』『休暇をとるのをためらいますか?』」それから35年のあいだに、仕事に期待されるものはどんな変遷を経ただろうか?以前であれば「危険な仕事中毒の証拠」と見なされた行為が、いまではたいていの社会人の常識となっている。
終業時間後も残業する、急ぎの仕事が山積みでもさまざまな割り込み仕事を拒まない、そして業種を問わず、メールやメッセージにはすぐに返信するのが当然と思われている。
それでは、まともな仕事などできるはずがない。
たしかに「つねに連絡がつき、いつでも仕事を依頼できる人」こそプロとして価値があり、有能であると見なす人もいる。
テクノロジーのおかげで、その気になれば私たちは24時間アクセス可能になった。
そのため私たちは、要請にすぐに応じること、猛烈に忙しいこと、自分がとびぬけて重要な存在であることを強調するようになった。
こうして私たちは、テクノロジーの進化により時間が節約できるようになったはずなのに、どういうわけか、いまだかつてなく多忙をきわめている。
「時間の節約」は意味がない1928年、経済学者ジョン・メイナード・ケインズは2028年の生活を予想し、「孫たちの経済的可能性」というエッセイを綴った。
ケインズはこのなかで、2028年までにはヨーロッパと北米の生活水準が非常に高くなり、1日に3時間ほど働けばすむようになるだろうと予測した。
いや、ことによると3時間も働く必要さえなくなるかもしれない、と。
そして、ありあまる暇な時間になにをしてすごせばいいかが、もっとも深刻な問題になるだろうと推測した。
さすがのケインズにも、未来予測は難しかったようだ。
それにしても、私たちはなぜこうも忙しいのだろう?なにに忙しくしているのだろう?思想家ヘンリー・デイヴィッド・ソローも「勤勉であるだけでは足りない。
それではアリと同じだ。
なんのためにせっせと働くかが問題なのだ」と述べているのに。
用事を手早くすませ、時間を節約するために開発されたテクノロジーを利用すると、逆効果が生じる。
年がら年中、時間が足りない状態におちいるのだ。
マルチメディアのデバイスは人を終わりのない要求から解放するどころか、自宅でも職場でも、ちょっとした時間さえあれば、あちこちにアクセスする生活に拍車をかけている。
作家のベンジャミン・ホフは『タオのプーさん』(福伸逸・松下みさを訳、平河出版社)という本のなかで、人はさまざまな方法で時間を節約しようとしているが、「時間は節約などできない。
使うことしかできないのだ。
しかし、賢くも、愚かにも使うことができる」と述べている。
そもそも時間の節約とは、なにを意味するのだろう。
時間節約を目的としたデバイスのあれこれをもつ利点はどこにあるのだろう。
懸命に働き、あれこれモノを買いあさっているのに、私たちには人生を楽しむ余裕がない。
こうした事態を改善しようと、私たちはいっそう焦ってマルチタスクをこなそうとする。
そして多くのミスを犯し、計算間違いをし、良好なコミュニケーションをはかれなくなっている。
自称マルチタスカーは、いつも時間に追われている。
そうしたせっぱつまった状況にひと息つく余裕をもたらすのが、一点集中術だ。
「タイムシフト」という合理的な時間管理法目の前の作業に没頭したいのなら、定期的に休憩をとろう。
一点集中術は、最優先の作業から少し離れる時間を予定に組み込むことで大きな効果を発揮する。
もしあなたが1日の大半を椅子に座ってすごしているのなら、この休憩時間を利用して体を動かそう。
室内で仕事をしているのなら、ちょっと外にでて散歩をしよう。
肉体労働に従事しているのなら、身体を休める時間を設けよう。
5〜10分もあれば、十分にエネルギーをとりもどすことができる。
あなたの心臓の動きを見習うといい。
「心臓は休むことなく、つねに動いていると考えている人が多い。
だが実際には、収縮のあと、かならず休憩する時間がある。
1日のうち、ゆうに15時間は休憩しているのだ」「タイムシフト」とは、生産性の高い時間とリラックスする時間を交互にもつという手法だ。
大変な仕事に取り組んでいるときは、頻繁に休憩をとり、エネルギーが枯渇しないようにしよう。
リラックスし、充電したあとのほうが能率が上がることは、科学的に繰り返し立証されている。
「デジタル機器」をすべてオフにする巷にあふれるデジタル機器の弊害を軽減しようと、あるグループが、国家的な取り組みとして「アンプラグ・デー」を設けようという運動を始めた。
この日は丸一日、24時間、デジタル機器をオフにしてすごそうというのだ。
つまり、スマホ、タブレット、パソコン、ラジオ、テレビをいっさい使わずにすごす。
これを実現するには、一致団結した努力が必要となる。
いまでは大半の人が、少なくとも1つの携帯用デバイスを身につけている。
就寝中でさえ、スマホを手の届く範囲に置いているのではないだろうか。
ここのところ手にスマホをもたずに犬の散歩をしたり、ベビーカーを押したりしている人を見た記憶がないほどだ。
2014年、アンプラグ・デーの参加者に、この運動になぜ参加したのかと尋ねたところ、その答えは、ロマンティックなものもあれば、みずからの主義主張を訴えるものもあった。
その他回答には、次のような願望がこめられていた。
・自分の人生を再充電し、再起動したい。
・家族とすごす時間の質を高めたい。
・日々の生活の美しさを取り戻したい。
・いまを生きる。
・現実世界ともう一度つながりたい。
大丈夫、できますとも。
おや、二の足を踏んでいますね。
わざわざ時間をとって休むことに罪の意識を覚える?つねに生産的であるべきだという強迫観念がある?24時間、いつでも連絡がつく状態を維持すべきだという漠然とした義務感がある?そうしたものに立ち向かおう。
むしろあなたは「いまここ」に集中していないときにこそ、罪の意識を覚えるべきだ。
生産性を上げたいのなら、「タイムシフト」に効果があることを肝に銘じよう。
つねにアクセス可能である必要などない。
長めにリラックスする時間をもつ場合は、事前にその旨を周囲に知らせておけばいい。
そして、アクセス可能になる時刻を伝えておこう。
あなたが24時間、だれとでもアクセスできる存在ではないことが、じきに周囲の人にも理解してもらえるようになるはずだ。
つねに連絡がとれ、用があれば飛んでいくことなど、不可能なのだから。
そうした非現実的な考えを捨て去り、リラックスして充電し、活力を得て、よりいっそう集中力の高まった自分を印象づけよう。
そうすれば、だれかと一緒にいるときにも、あなたはその相手に意識を完全に向けられるようになる。
その集中力には「電池の切れかけた懐中電灯の光」と「レーザー光線」ほどの違いがあるはずだ。
できることを「5つ」書きだす自分の人生を再起動するには、どんな手法がとれるだろう?手始めに、1日のどこかで1〜2時間ほど、デバイスのスイッチをすべてオフにしてみてはいかがだろう。
ささやかな努力から始め、そこから発展させていこう。
最初は短時間、手近なところで、タイムシフトを実践する計画を立てるといい。
私のクライアントは次のような工夫をしたそうだ。
・デバイスをいっさいもたずに家族や友人とでかける。
・スマホをオフにして会話をする。
・ハイキングやウォーキングなど、ネットから離れて自然を楽しむ。
・着信を知らせる電子音やビジュアルの設定をオフにする。
・食事中、スマホをいじった人が食事代をもつというルールを決め、外食を楽しむ。
さて、あなたならどんな工夫をするだろう?どんな工夫をすれば、日々の生活に変化をもたらせるだろうか。
ノートなどに5つアイデアを書きだして、実践してみてほしい。
独自の工夫を実践できたら、そのあとはどんどん意欲的に取り組んでもらいたい。
「24時間ネットに接続しない」「24時間電話を使わない」といった冒険に繰りだすのもいいだろう。
強制的に「没頭」させられる行為をする私は週に1度、近所のジムにでかけてエアロビクスのレッスンを受けている。
ジムには、それはそれは熱心に通っている人たちがいる。
レッスンを受講するためなら、なんだってしかねないくらいに見える。
なぜだろう?たしかに、インストラクターは可愛らしい。
アップビートの音楽を聞いていると気分もあがる。
丸1時間、自分のことだけに集中できるのもうれしい。
さらに大きなポイントは、ジムでエクササイズをするには、心身ともに完全に集中しなければならないということだ。
つまり、ジムの受講者は週に最低1時間、シングルタスクを実践できるのだ。
レッスンで周囲に置いていかれないようにするには、100パーセント集中しなければならない。
そして毎週、新たなリズムの新たな動きを覚えていく。
肉体と精神を同様に集中させるために、受講者は容赦なくシングルタスクを迫られる。
エアロビにハマる人は、まさにその時間が快感で夢中になるのだ。
また、職場以外の場所でフロー体験をすることで、仕事のときに注意力をコントロールする能力も上がる。
これはなんにでも応用できる大切な能力だ。
意識的に「スロー」にして頭を働かせる「スロー・リーディング・クラブ」という読書クラブの活動が、世界各地で広がりを見せている。
こうしたクラブは「スロー」を善とする信条を掲げており、この主張には科学的な裏付けもある。
ゆっくり本を読むと「快感」「共感」「集中力」をもてるようになり、深い理解を得られるうえ、ストレスを減らすこともできるのだ。
クラブのメンバーは、メンバーの自宅、図書館、コーヒーショップなど、静かな場所で腰を下ろし、読書にいそしむ。
ただし、「なんの邪魔も入らない場所で最低30分は読書に没頭する」「携帯電話の電源をオフにする」「ネットに接続しない」などのルールを守らねばならない。
タブレットを利用した読書は認められている。
これと似たようなクラブには、料理を楽しむスロー・クッキング・クラブ、編み物を楽しむスロー・ニッティング・クラブなどがある。
ちょっとしたお遊びのように思えるかもしれないが、こうしたクラブに参加すれば、大きな恩恵に浴することができる。
というのも、精神的な刺激を受ける活動に集中していると、物忘れの進行を遅らせることができるからだ。
ところで、本人の意志とは関係なく、ある日突然、ペースをスローにせざるをえなくなる場合もある。
父親の介護をしている人から、先日こんな話を聞いた。
「私の父はALS(筋萎縮性側索硬化症)を患い、少しずつ身体が動かなくなってきています。
いまでも歩くことはできますが、ゆっくりとしか歩けません。
話すこともできますが、やはり、ゆっくりです。
料理もできますが、とても、とても、ゆっくりです。
ですから父と一緒にいるときには、いつもとは違うペースですごさなければなりません。
最初は大変でしたが、しばらくすると、あくせくしたり、てきぱきと動いたりしなくてもいいのって、むしろほっとするなと思うようになりました」脳を「マインドフルネス」の状態にする「ゼンタングル」は、基本的なパターンを繰り返し描いていくアートだ。
ただし、細心の注意を払い、それぞれのパターンを描いていかなければならない。
正方形の小さな紙にパターンをていねいに描いていくと、15〜20分ほどで1枚が完成する。
こうしたアートを楽しめばリラックス効果や瞑想効果、そして充実感まで得られることが知られている。
愛好家は、ゼンタングルを描いていると心地いい感覚に浸ることができると語る。
さらには創造性が高まり、生活のさまざまな場面でも創造性を発揮できるようになるという。
あるアーティストは「ゼンタングルを集中して描いていると、マインドフルネスの状態になり、瞑想したときのような感覚を得られます。
リラックスできるので、セラピー効果もあります。
頭のなかの考えをすべて、わきに置いておくことができます」と説明してくれた。
ゼンタングルにより、凝り固まっていた気持ちがほぐれ、ものの見方を変えたり、自分を深くかえりみたりすることもできるという。
これは、多忙な日常生活のなかに絵画など芸術的な活動に取り組む時間を設ければ、緊張をほぐし、元気を取り戻せるという一例にすぎない。
余暇の時間にシングルタスクを実践したいのなら、映画館に行くのもいい。
自宅ではなく、映画館にでかけての映画鑑賞には、さまざまな利点がある。
自宅にはあなたの「集中力を奪う邪魔物」があちこちにあるが、映画館ではまばゆいスクリーンに集中できる。
映画鑑賞はそれほどお金がかからないうえ、気楽に楽しめる。
それに映画を観ている最中は、現実のさまざまな問題から解放される。
映画のストーリーに想像力をかきたてられるまま、心地いい椅子に身をまかせているあいだは、薄暗がりのなか、スクリーンの光景と音響以外の刺激を遮断することができる(ポップコーンをぼりぼりと噛む音ぐらいは聞こえてくるかもしれないが)。
さらに、脳は映画から得た情報も、実際に体験したかのように処理する。
だからこそ、そうしたスリルを追体験したくてアクション映画を観にいく人がいる。
外国映画や歴史映画を観ていると、時空を超えた小旅行にでかけたような気分を味わえる。
映画や本のストーリー、絵画などの芸術に没頭していると、あなたの脳はそのことだけに集中する。
すると自然にシングルタスクをしている状態になる。
そして映画鑑賞や読書を終えたとき、はたまた美術館からでてきたとき、あなたはすっかりリフレッシュしている。
それはまるで、脳が贅沢なシャワーを浴びたようなものだ。
あなたの身体、頭脳、精神を生き返らせるシングルタスクの方法は無限にある。
いわゆる「アート」と呼ばれるもののほかにも、創造的なものはいくらでもある。
たとえば、ボランティア活動に生き甲斐を見いだす人もいる。
日常の業務とはべつの目標を立て、そのゴールに向かって心身ともに没頭すると創造性を発揮できる。
創造性にはさまざまなかたちがある。
本章でとりあげたのは、そのごく一部の例にすぎない。
社会全体がいま、いっそうあわただしさを増している。
そして集中力を保つのは、いっそう困難になっている。
名声も富も得たある弁護士が「どうすれば本気で集中できるのか、もうわからないよ」と苦々しくつぶやいたことがある。
私たちの落ち着かない頭脳は、「いまここ」にある美や陰翳との接点を失っている。
さあ、自分自身の手綱を締めよう。
いまこの瞬間に完全に意識を向けることで、ぐんと人生を充実させよう。
Point「最重要課題」に最大限の時間を投下する多忙であることを強調する人は「成果」よりも「多忙さ」に安心している。
「バイタル・フュー」という最重要タスクを明確にして、最優先で取り組む。
「情報の洪水」が侵入してこない環境を整え、静かに考える時間をつくる。
「三人称」を主語にして、問題を客観的に考える習慣を身につける。
時間を「節約」するのはやめて、より賢い時間の使い方をする。
生産性の高い時間と、リラックスの時間を交互にもつ「タイムシフト」を活用する。
日常とは別の「創造的」な活動に没頭することで脳にエネルギーを送りこむ。
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