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第6章壁を乗り越える7つの規律

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規律1自由は自分との約束のなかにある

好き放題が自由だと思っていた。そして怠惰になっていった。何かを成し遂げた人たちと話していると「自分は怠け者だ」と多くの人が言う。

僕にはとてもそうは思えなかった。その人がしている行動習慣がとても厳しいものに見えたからだ。

しかし、そうした人たちは、毎回口を揃えて、「自分は怠けものだから、自分でルールをつくっているんだ」と言った。

そのたびに、「それを厳しいと言うのさ!」と心のなかで思った。

僕はいつも甘えたい気持ちと格闘してきた。たまに、あまりにも休もうとする自分の心の声に、「こいつ大丈夫なのか?」と不安になった。

どうやったら、この自分を甘やかす心がなくなるのだろう?誰も見ていないところで、いかに努力できるか。

十分がんばったと言われている状況で、いかにそこから進むことができるか。

疲れて頭が働かない状況のときに、いかに机の前に座り、手を動かすことができるのか。怠けないように自分にルールをつくった。規律を持つようにした。

それまでは規律に従うことは不自由になることだと思っていた。自分を縛っているようで絶対に避けたいことだった。でも、それは単なるわがままだった。

規律がなく、秩序がなくなった生活は、不安定そのもの、堕落そのものだった。僕は規律をつくり、それを自分に課していった。

規律を守ることが、それほど大事なことじゃないと思えたとき、本当にすがすがしい自由が手に入った。

好きなように振る舞っても、原則から外れないことが、わずかながら増えていった。やるべきことをやり、なすべきことをなす自由が、自分を律することの先にあった。

僕の生き方を修行僧のようだという人がいたが、誤解のないように言えば、1日8時間は寝ているし、基本的には自分の選んだ場所で毎日好きな時間で仕事をすることができる。

そういった自由はある。

今日何もしなかったからと言って、誰かに怒られるわけでも、会社をクビになるわけでもない。自分が自由であると思っている人ほど、自分をしっかりと律しているように思う。

自由を謳歌しているように思う人たちほど、裏側を見ると、精密機械のような規律を持っている人がたくさんいた。

僕がなぜ怠けてはいけないと思っているかは、そうした人たちの基準の高さ、規律の厳しさを日々垣間見ているからだ。

自分に与えられた自由のなかだと、そのなかで甘さや欲が出てきやすい。欲まみれのもう1人の自分が顔を出して、自分を乗っ取ろうとしてくる。

怠け心に身も心も任せていたら、とことん弛み、だらしない日々になっていく。そんな悲しい目にあいたくない。

事故や不遇の出来事や、問題やトラブルであれば、きちんと対処し、いろいろな人の力を借りて乗り越えることができる。乗り越えれば、もうそれは過去の出来事だ。

しかし、だらしない自分というのは、どこへ行っても、何をしていてもつきまとう。

家でのんびり過ごしていても、友人と会っていても、映画を観ていても、ビールを飲んでいても、いつもついてくる。

強迫観念にはならなくとも、そうした自分がいるのは不愉快だし、面白くない。あなたはそうではないかもしれない。それほど自分を甘やかさないかもしれない。

ところが僕は自分がどれだけ自分を甘やかすかを、あるいは、わがままになりやすいかを、物心ついてからずっと見てきた。

その結果、人を悲しませ、自らも裏切られ、人をがっかりさせ、失った仲間もいる。みな自らの甘えが引き起こしていることだ。

物事を何でもテキパキやれる人を、僕はうらやましいと思う。僕にはとてもできない。

だから、せめて、ごく少数の本当にこだわりたいこと、大切にしたいことだけは、きちんとやれる自分自身になりたい。

そうなれるようにと祈る気持ちで、自分が成長したいと思う。変わらなければならないと思う。

僕はだらしない自分がいることはわかっているから、規律を重視してきた。

規律2一週間後の自分を意識する

168時間あったら人生は変えられる、と本気で思ってきた。僕にとって逆境は、冬という季節の一つだと思ってきた。

自分がうまくいかなくなったり、何をしていいかわからなくなると、これをいつも思い出してきた。

いまは冬で、たしかにうまくいっていないかもしれない。でも、次には必ず春が来る。春が来たときに、冬に種を撒いていなかったことを後悔したくない。

いまは冬かもしれないが、冬のときにやるべきことをやって、次のための仕込みをしっかりとしておく。そう思えた。

未来の自分にがっかりされるわけにはいかなかった。僕はあるときから、1週間後の自分を意識するようにしてきた。

24時間×7日=168時間後の自分が目の前に現れたとき、いまの自分が「とても勝てない」と思える。

そんな「成長速度」を保ちたいと願ってきた。

実際にそうなっているかどうかはわからないが、そう思い込むことで、いますぐに事を起こすことができた。僕はうまくいっているときや、平穏なときは、感覚が麻痺して、鈍感になってしまう。

「このままのんびりしていたら危ないんじゃないのか、このまま変わらずにいて大丈夫なのか!?」そんな危機感がなくなる。

だけど、トラブルが起きたりして、一度うまくいかなくなると、そうした感覚が目を覚ました。平穏なときには生まれなかった思考が、どんどんと生まれる。こんなにテキパキ動けたんだと感心すらした。

「どうして、もっと早くこうならないんだ」と怒りもした。

常に、より難しいものへ取り組みつづけたいと思うのは、僕にある、まだまだ全然使われていない力を呼び起こすためだった。

それくらい、僕は必要がなければ、甘えてしまう。

難しいことに取り組むことで、自分の力を鍛えているのが苦しいけれど、僕は鍛え上げられることを望んできた。

僕は群馬県の沼田という緑豊かな、自然の移り変わりを肌で感じることができる環境で生まれ育った。

公務員の父と、厳しくしつけをしてくれる母。子どもの頃から移り変わる緑の木々で遊んだり、通学路になる柿をとって食べたりできた。

田舎でのんびりとした性格に育った僕にとって、四季と共に生活を営むことが身にしみ込んでいた。

いまの季節を変えようともがくよりも、その季節のなかで自分ができることを丁寧にしていこうと思ってきた。

どれだけ結果が変わらないときでも、自分がどのくらいのスピードで成長するかは体が選択することができた。

規律3磨き上げる環境に置く

怠け者だったから、こんな自分を置いてくれる場所には感謝が尽きなかった。

毎日、毎日、自分の至らないところに気づかない日はない。怠けているところ、甘えているところ、劣っているところ、反省ばかりだった。

僕は自分のことを、いつからか「錆びた刀」のように思うようになっていた。

歴史上の人物の生き方や、誰かの教えだったからか、それはわからないのだが。錆びた刀を鍛えるには、ただ一つ。

熱い炎のなかにさらして、ハンマーで何度も何度も叩いて鍛え上げるしかない。そうすることによって、刀は本来、持っていた美しさや強さが発揮される。

もしかしたら、名刀ではなく、なまくら刀なのではないかと不安になることもあるが、僕が自分にできる最大の貢献は、磨かれる環境に自分を置き、叩き上げること。

甘やかして錆つかせたままでおくことは許せないのだ。「僕は自分を甘やかす癖がある」という考えが、僕が常に厳しさを求める根っこだ。

本を読めば、大成功をして、それに慢心して、油断して、失敗する話がたくさんある。僕は、小さな成功にも、すぐに慢心してしまう性格だ。

だから、これでもかこれでもか、と自分を鍛えたい。僕が恐れているのは、自分の感覚がボケていくことだ。

いつも真剣勝負をする準備ができている自分でありたい。僕は危機感を持って、生きていかなければならない。

自分の甘さ、弱さ、脆さを知ることで、僕は自分のなかにある危機を招くものに気づく。それを克服していくなかで、僕という人間が鍛えられていくと思っている。

もっともっと自分の感覚が研ぎすまされて、目覚めるんじゃないかと思っている。

真剣勝負をしつづければ、平和ボケもしないだろうし、感覚がもっともっと研ぎすまされるのではないか、そう信じている。

「熱くなるなんて馬鹿らしい」と言う人たちもいるし、真剣になればなるほど、それに水を差す人たちもいるが、僕はその人たちのために生きているわけではない。

自分が尊敬した人たちのように、自分が信じる「真剣勝負の道」を貫きたい。

規律4人生に練習はない、常に本番

いったい何百年生きるつもりなのかと、振り返って思うときがあった。どれだけ偉人を研究しても、同じ人間を再び、つくることはできない。

方程式や計算で、何かをわかった気になることを僕はとても恐れる。

僕の勝負は、自分の目の前にあることに、正面から、どう取り組むかにかかっていた。一歩も逃げることができない状況のとき、方程式や知識というのは勇気を生み出さない。

いくら頭で「勇気が大事」ということがわかっても、いざ目の前の現実にぶつかったときには役に立たなかった。じゃあ勇気を出そう、と思っても、その勇気が出ない。

なぜか?僕のこれまでの積み重ねが足りなかったからだ。勇気を持って行うことの、絶対的な量が足りていない。それでは必要な勇気が出ないのも当然だ。

いざというときだけ力を発揮できるほど僕は器用ではないのだから。

僕はいざというとき、ふだんやっていることをそのままやる、ということがいかに難しいかを10歳で少年野球を始めた頃からずっと痛感してきた。

練習と同じことを本番のプレッシャーの下でやることの、いかに難しいかを経験してきた。

練習ではバンバンとホームランを打つのに、本番だとバットが振れなかった。「池田は、練習だとホームラン王なんだがな」と言われた。

だから、練習から本番の真剣さを自分に課すようにした。僕は練習ではなく、本番の緊張感の下で磨かれてきた。甘えがなくなるように緊張感を大切にする。

結局僕は、本番に弱かったのではなく、練習に緊張感がなかっただけだった。学び、意識して実践し、省みて行いを観察する。そして、次はこうしていこう、と決意する。これを繰り返していった。真剣に。

とても地道なことで、派手でも立派なことでもない。

僕はそれが自分なのだから仕方がないと思って、地道なこと、基礎や土台となるところ徹底した。基本を大事にした。

何かを徹底するときには、自分の力を振り絞らなければならない。どこかの本に書いてあるフレームワークに当てはめるだけではダメだ。

完全に目の前の一つのことに集中すること。それが困難を乗り越えるコツだ。一つのことに集中することで、眠っている力が目覚めていく。

規律5普通になることを拒否する

成し遂げることができるためには「普通」ではいけなかった。何かを目指し、そしてそれに向かい、成し遂げていくということ。

それは、僕にとって時にとても幸せで、時にとても苦しみを伴うものだった。

何かを成す、というのは、普通の人とは異なる何かを持っているということだと思う。

普通の人のなかにない思いかもしれないし、優れた才能やスキルかもしれないし、尋常じゃない努力や工夫かもしれない。僕の尊敬する人たちは、いまなお何かに向かって取り組みつづけている。

その姿勢は表からは見えないものが多いが、幸運にもそれを垣間見ることができると、「優れた人が、優れているのには、何の魔法もない。

ただただ、この人は目指しているものにふさわしい努力をしているだけなんだ」と強く思う。

そうした姿を見るたびに、「自分は目指しているものにふさわしい努力をしているか」と突きつけられる。

そして、自分の甘さに気づく。

僕は、心のどこかで、「うまくいっている人は、僕にはない何かすごいものがあるんだ」と思っていた、ということを痛感する。

その人がそのレベルで活躍している理由を目の当たりにすると、自然と素直になれる自分がいる。客観的に自分を見つめ、まだまだだと謙虚になることができる。

「活躍している人ですら、これだけの努力と、発狂しそうなほど考え抜いているんだ。実力がとても及ばない僕が、この人の半分も努力をしていなくて、どうするんだ」と自分を戒める。

志があっても、何も成さないまま終わる人は多い。そこから離れるために、僕は自分自身に「普通になることを拒否する」ように課してきた。

「普通であったらうまくいかない」と強く自分に言い聞かせ、「なにか普通とは違うことをしたのか?」と自分に問いかけてきた。

自分の平凡さに悲しくなることも、自分にがっかりとすることも多かった。

いまの場所から出ることができるチャンスはあったのに、居心地のよさから抜けられなくて何度も情けなくなった。

世の中には「普通だっていいじゃん。普通であることも素晴らしいよ」と優しく諭してくれる人たちもいる。

でも、僕は成し遂げた人たちの行動習慣、思考習慣を学び、その異常さを自分に要求する。

異常なほどの何かを自分が身につけないかぎり、これからの時代にのまれてしまうように感じている。

大げさかもしれないが、人生や社会にとって何か意味あることを成し遂げるためには、普通では到底難しいと思う。

「何が普通なのか」ということに対して、僕に明確な答えはない。

これまで求めたこともない。

ただ「僕のなかにある普通」と闘い、それを乗り越えることでしか、僕は何かを成し遂げるということはできなかった。そうして初めて、置かれている状況のなかで、結果を出すことができた。

規律6本分を全うする

自分に与えられたことをやり切る習慣を身につける。僕が心から信じてきたことがある。

「人には天から与えられた役割がある。天から与えられた寿命がある」ということだ。根拠はない。

ただこのことを信頼しているとき、僕は何ものにも寄らず、目の前のことに集中できた。自分の役割を信じることができた。

理由も理屈もなく力が湧いてくるとき、それは自分に分け与えられた役割を全うしようとしているのだと感じる。

僕がこれを信じているのは、僕が渾身の力を振り絞るために必要だからだ。

「自分一人じゃない、天がついている」そう思えば、なおさら目の前のことに勇敢に取り組むことができる。

自分の知らないところで、自分より賢い存在が僕の人生について、きちんと設計図を持って考えていてくれる。そう信じることで、一つひとつの出会いや仕事を大切にすることができた。

「つべこべ言わずに、目の前のことをやればいい」そう自分に言い聞かすために、「天に与えられた役割がある」と信じ込んできた。

僕は自分の本分で全力を尽くしているときは、運命でさえも動かすことができると思ってきた。

やることなすことがうまくいくとき、それは流れに乗っているのだと思った。これが本分なんだ、才能なんだと感じる。

逆に、本分をやっていないと、簡単に苦しくなるし、つらくなる。僕が本分に向き合う方法は、一つは高い基準を課すこと。

そもそも自分の本分じゃなければ、そんなに高いレベルを課すことができない。僕はパソコンは使う側で十分で、世界一かっこいいパソコンをつくろうとは思わない。

興味のある方向に進み、どれだけ高い基準を自分に課すことができるか。高い基準を設定し、100%以上の力を発揮できれば、そこには確実に本分があると思う。

本分と向き合う2つ目の方法は、取り組んだあとを観察することだ。

本分は僕に充実感を与える。疲れ果てていても有意義に思える。終わると、またすぐにやりたくなる。僕はここにもっと時間とエネルギーを注ごうと思う。力を出し渋っている場合じゃない。

本分と向き合う3つ目の方法は、どれだけ苦しくても、うまくいかなくても、諦められない熱い思いがあるか。

本気だからこそ、うまくいかない方法にこだわっている場合じゃない。僕はぬるま湯だと、沸き上がる熱い思いが出てこなかった。大変なことに取り組んでいるほうが、どんどん力が出た。

壁にぶつかったり、うまくいかなかったり、難しいことだったりすると、「よーし、それだったら、こうしたらどうだ!」と突き上げてくる情熱がある。

厳しさを自分に課すのも、厳しくするほど本気が自分のなかから出てくるからだ。厳しくするほど、それに応える自分が出てくるからやめることができない。自分自身を鍛えていく日々が僕らしい、と強く感じる。

規律7空っぽの先へ行く

何もないことが、これほど無限の可能性だと知らなかった。自分のすべてを出し尽くし、空っぽになることは怖かった。出し切ってしまったら、何も残らないかもしれないと躊躇した。

しかし、そこで踏み込めばいい。出し切ったと思った先に、微かに光る何かがある。「何もかも出し切ってしまった」そう思っても、またいつのまにか湧いてくる。

泉のごとく、空っぽだと思っていた器の底から溢れ出てくるのだ。いちばん最初に僕が空っぽになったのは、起業直後に冊子をつくったときだった。

当時、自分の奥義だと思っているものを無料で一般公開した。僕が大事だと思っているもの、信念の固まりを全部出した。

「これを出したら、僕には何が残るだろう」そう思うと、怖かった。でも、それをするしかない。それまで中途半端にやってきて、うまくいかなかった。

ここで腹をくくるしかなかった。そして、「僕はこれで勝負をする」という冊子をつくった。できあがったとき、60ページ近いものになっていた。そこで不思議なことが起きた。

もうこれ以上の奥義はないと思っていたのに、それを出し切ったら、もっとすごいものを見つけたのだ。なぜだかわからない。

奥義を出し切るプロセスのなかで、自分自身が成長したからかもしれないし、奥義だというのは、ただの勘違いだったからかもしれない。

この本も、自分のすべてを出すということに取り組んだ。

この先に何が出てくるのか、原稿用紙を前に、ただひたすら自分のなかのものを出した。出し切ったと思う先に、また大事なものが出てくる。どこでどう終わるのかは見当がつかなかった。

ただ、出して、出して、出し尽くす。あと少しで枯れてしまうのではないかという不安が出てくるくらいまで。

その不安が出てきたら、あと少しだ。最後の一欠片を出し尽くす。この「あと少ししかない」という状態でブレーキを踏んでしまう弱さが、僕をずっと苦しめた。

そこで我慢すると、新しい自分になれなかった。ずっと「あと少ししかない」と苦しんだ。僕の転換点は、いつも幸せなときではなく、苦しいときだった。

そこでアクセルを踏むことができて、自分が変わることができた。本当にもう何もないと思うところの先に、またあふれてくることを知った。溜め込んだ水はやがて腐る。

湧きつづけるからこそ、生きた状態でいられる。日常は、自分の中身をとことん出す勝負だと思っている。

いまの自分をすべて出した先に、次の自分が待っていると知ってしまったから。次の自分はいつも見えない。

まだ見えはしないし、確信もない。ただ、その確信がないなかへ踏み出したときに、まったく違う景色があった。

未知の世界は怖いが、そこへ踏み出せばまったく新しい世界が広がっていた。ただただ、その先の自分を見てみたい。その思いが自分を前に進ませる。

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