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第5章 プロボノという幸福―人はなぜ他者に与えるのか

果てしない人・瀬谷ルミ子さんとの出会い――「REALs」瀬谷ルミ子さんにお会いしたのは二〇一八年だったか、友人の元日経新聞専務でかつて敏腕経済記者として名を馳せた長田公平さんから紹介を受けた。長田さんとは、インターネットの勃興期、彼は新聞メディアで、僕は広告代理店(特にデジタル・クリエイティブ)で、共にネットビジネス確立のため腐心したいわば刎頚の友だ。現役からの引き際も見事で、その端正な出で立ち、青年のような細身を保った姿はまるで市川雷蔵演じる崇高なる侍(眠狂四郎)のようで、友人ながらも僕は密かに畏怖の念を抱いていた。ある日、長田さんから連絡をもらう。「杉山さん、あることで相談に乗ってもらいたいんですよ。そのことで会ってもらいたい人がいてね……」と。瀬谷ルミ子さんは、どこかで出会ったことのあるような端正な日本人女性だった。著書に『職業は武装解除』(朝日新聞出版)があるという。いただいた名刺には「日本紛争予防センター」という組織名。その硬派な文字面に驚愕するヤワな僕。「彼女のことを応援しようと思って、寄付を募るため知り合いの企業を瀬谷さんを連れて回ったんだけど、この紛争予防……というネーミング見て皆びっくりしちゃって。皆さん、瀬谷さんのやっていることに理解、賛同はしてくれるのだけど、ね」「だから、この際思い切って名前を変えたらいいんじゃないかと思ってね、そこで今回御社にこうしてやって来た」僕は思わず寛爾として笑ってしまった。わかるなぁ、そんな物騒な名刺をいきなり見せられたら、いくら気持ちがあっても容易にハイとはいえないもんなぁ……。戸惑う相手の反応がわかりすぎるぐらいわかって、その場で「やってみましょう!」と即答するしかなかった。「日本紛争予防センター」は、紛争が起きてしまったあとの支援ではなく、争いの「予防」を専門とする、おそらく日本で唯一のNGOだ。一度争いが起きると、憎しみの連鎖が始まる。それを解消するには途方もない時間がかかる。なら、争いが起きる予兆を察知して防ぐ。そういう世の中を作る。そのために彼女は女性を平和の担い手として育成して和平合意に導いたり、争い予防のノウハウを世界中にシェアしたりしている。具体的には、憎み合う民族同士が争わないようにするために、「野菜作りのノウハウを教える」といって両者を集め、わざと道具の貸し借りを発生させる。すると、「あの民族は悪だ、と教えられてきたけれど、ちゃんと期限までに道具を返してくれた」というようなことが起こる。それを繰り返すことで、将来の争いの芽をつむのだ。目指すべきは「日本紛争予防センター」の新しいネーミングの立案。そこから長い議論が始まり、二年の歳月が過ぎ、瀬谷さんから最終決定をいただき、二〇二〇年、彼女らの広報誌秋号にて「REALs」(ReachAlternatives)へ組織名を変更するという正式な発表がなされた。「ReachAlternatives」とは、「今までにない選択肢を作る」という意味だ(口絵4~5)。誌上には笑顔の理事長・瀬谷ルミ子さんの挨拶が載っている。「組織名が変わってもREALsが引き続き目指すのは、有事に劇的な救世主の到来をひたすら待ちわびるのではなく、お金を出すか、軍を出すか、非建設的な他者批判をするかの三択に終始するのでもない、新たな選択肢をつくること。命が失われてから嘆くよりも、未然に防ぐ道をつくる。争いの結果、命を落とした人たちが『また生まれてきたい』と思う社会を築く。紛争地にとっても日本にとっても『自分ごと』であるそんな社会づくりに、紛争地と日本の一人でも多くの人々が参加してもらえるよう、引き続き頑張っていきます」最終ページのお知らせには「トップページのデザインや理念の言語化をはじめ、組織の新しいロゴなどを含むリブランディング全般について、株式会社ライトパブリシティ様(東京都中央区)にプロボノで多大なご協力を頂いています」とご丁寧な一文を添えてくださった。さて、ここに「プロボノ」という言葉が出てくる。瀬谷さんとの議論の中でも時折出てきた言葉だった。前後の文脈からボランティアの一種だとは察せられるものの、正直、その真の意味はわかっていなかった。彼女曰く「ウチも税理士さんや会計士さんにはプロボノでお願いしているの」と。追々わかってきたのは、二〇〇九年頃から日本でもプロボノ活動に対する注目が高まり(知らなかった)、二〇一〇年はプロボノ元年といわれていること。それ以降、自分のスキルを生かして社会貢献できるプロボノ活動に参加したいという人々が増えたそうだ。税理士、会計士のような士業の他に、マネジメント系、デザイン・クリエイティブ系、システム・IT系、調査・分析系など、様々な分野で広がりを見せ、自分の力を試したい人たちがその場所を探して始めたという。遅ればせながらも僕たちをプロボノという未知の世界に導いてくれた瀬谷ルミ子さんには、驚かされることが度々あった。議論を始めた最初の頃だと記憶するが、彼女は突然姿を消した(ように感じた)。どうしているんだろうかと感じ始めた四、五ヶ月後に再び姿を現し、「どうなさっていたのですか?」と尋ねると「ソマリアに行っていました!ちょっと問題が起きまして……」と現地の写真などを見せてくれる。僕たちが銀座で日常を繰り返しているその時間に、この人は紛争地の真ん中に立っていたのだ。一瞬時空を飛び超えたテレポーテーションのような奇妙な感覚に襲われる。この人はなんて人だ!僕には絶対できないことをしている。ここで初めてリアルな瀬谷ルミ子さんを実感し、僕たちでやれることがあれば応援しようとなった。瀬谷さんはインタビューでこう答えている。「高校のとき、ルワンダの難民キャンプで亡くなりかけているお母さんを子供が泣きながら起こそうとしているその写真を見て、同情よりも共感を覚えた。そして自分は家でお菓子を食べてこの写真を見てる。私たちとこの人たちの違いって何なんだろう。世界の仕組みの違いに疑問を持ったことが紛争地での武装解除の専門家に自分を導いたきっかけだった」NHK「プロフェッショナル仕事の流儀銃よ、憎しみよ、さようなら」(二〇〇九年四月二一日放送)をご覧になった方もいるだろう。二〇一一年には「Newsweek」日本版の「世界が尊敬する日本人25人」に選出、二〇一五年にはイギリス政府による「InternationalLeadersProgramme」に選出、AERA「2020年の主役50人」にも選出されている。「日経ウーマンオブザイヤー」も受賞。今も東奔西走している。仕事、健康、人生に対してGRIT(やり抜く力)を身を以てわれわれに見せてくれた瀬谷さんは、僕

が絶対にやれないことをやっている果てしない人だ(僕はこういう人をこう呼ぶ)。今回少しでもお役に立てたのなら、その喜びは何を持っても代えがたいことだ。「いつも人にもらうことばっかり考えず、人にあげれる人になれよ!」自戒を込めて周りの後輩たちにはいつもいっている。人にあげれるようになって初めて一人前の大人になるのさ、とね。

「おかえりGINZA」コロナ禍での初の緊急事態宣言が発令された二〇二〇年四月七日、東京の新規感染者数は八七人と記録されている。今思えば僕たちは、ロンドン、パリ、ニューヨークでの新型コロナウイルス感染症の猛威と各都市の厳戒なロックダウンのニュースに釘付けになり、やがて我が身に降りかかるのではと怯え、身構えていたのだった。ウイルスという目に見えぬ未体験の恐怖に静まりかえった東京の街の中でも、とりわけその度合いが激しかったのは銀座だったのではないか。世界有数のショッピングタウンとはいえ、住んでいる人はほとんど皆無。ある日の夕方、数寄屋橋の交差点で見渡せば、立っているのは僕だけという信じがたいこともあった。緊急事態宣言下とはいえ、会社のすべての機能を止めるわけにもいかず、出社する人間がいる以上、基本短時間とはいえ僕も日々出社していた。会社に出ていた午後、その日出勤せざるを得ない若手に遭遇。「大丈夫か、気をつけろよ!」「社長こそ家にいてくださいっ!」「何いってんだぁ、沈みゆく船で船長が逃げたら、シャレにならないだろぉ(もちろん冗談です)」「そんなかっこつけないでいいですから、社長の歳が一番危ないんですよ」「だよな……」一方で、僕のiPhoneには、数十年ぶりに北インドの町からヒマラヤ山脈の神々しい峰々が見えたとか、ヴェネツィアの運河の透明度が回復し、魚が泳ぐのが見えるようになった(信じられないことだ)といったニュースが動画付きで送信されてくる。今まさにこの地球が一気に清浄化されている様子が、フィジカルに伝わってくる。世界はたった一、二ヶ月経済活動を抑えるだけで、こんなにも変わるのだ。逆にいえば、日々、僕たちがどれだけ無理をしていたかがよくわかる。ウイルス・パンデミックを眼前に「これは、地球からの警告」「地球が怒ってるんだ」などの言葉がオンライン上を飛び交った。そこで頭に浮かんだのはバックミンスター・フラーの宇宙船地球号(SpaceshipEarth)とガイア理論の科学者ジェームズ・ラブロックの名であった。いずれも地球の有限性を訴え、地球を巨大な一つの生き物と捉えた考え方である。まずは本棚の隅からフラーを取り出しペラペラと開く。『宇宙船「地球」号フラー人類の行方を語る』(東野芳明訳ダイヤモンド社)は一九七二年の刊行だった。すでに半世紀の時間が経過していた。こんな感慨にしばし浸る隙もなく、緊急事態宣言は、発出から七週間弱が過ぎた五月二五日に解除に至ったのだった。

それはプロボノという大義で始まったものではなかった依然として重たい空気が街を支配しているものの、いつまでも心身を停滞させているわけにはいかない。真っ先に再会し、話をしたのは銀座の老舗テーラー壹番館洋服店の渡辺新さん。彼とはこの四、五年、誰に頼まれたわけでもなく、銀座の未来について勝手に議論を続けてきた。その話しっぷりは痛快だ。「僕たち、浅草の奴らに下町呼ばわりされてんですよ。俺たちは門前町、おまえらはお城の下だから下町だと。しかも浅草は門前町で寺社奉行管轄だと威張ってやがる!」こんな会話の中にも、浅草への弛まないリスペクトを滲ませる。銀座でも浅草でも自ら営む生活圏を「己の街」として認識し、愛情を注ぐ。この感覚は忘れたくない。誰でも自分の街だと思ったら大切にするはずだ。近年、羨望の街、銀座にも徐々に異変が起きつつある。たとえばすぐお隣の大手町や日本橋は巨大資本による都市開発が行われている。潤沢な予算と綿密なマーケティング戦略に裏打ちされた新しい街作りは、彼らにとって脅威だ。「恒太郎さん、銀座の魅力は老舗といわれる店でも、そこの主人がいまだ店先に立って商いをしていることではないでしょうか。僕だったら直にお客の寸法を測ったり生地を裁断したりしますし、和菓子屋なら主人自ら餡をこねているし、寿司屋ならもちろん主人が握っている……」その場所でその人が長い時間をかけて培った歴史と物語は、けしてお金では買えないものだと思う。お金を出しても出し切れない高価なものもたくさんあるけれど、同時にお金では買えないものがあることを、銀座は教えてくれる街でもあるのだ。ちなみに都市開発とは物語作りでもある。そして物語には二種類ある。きちんと構成され、作り上げられたいわゆるストーリーと、個々人がフィジカルな実感に基づいて話すナラティブ(語り口)と称される物語だ。個人的には、時代はナラティブ(narrative)なコミュニケーションへ移行していると思う。ただでさえ安閑としてはいられない我が銀座の街(弊社ライトパブリシティも二〇二一年に創業七〇年を迎えた、この街に育まれてきた最古の広告デザイン会社)への前代未聞のコロナ禍の急襲は、一瞬誰もが思考停止状態に陥るほどの出来事だった。翻って僕自身、前職から移籍してきて一〇年を迎えるライトパブリシティの生活を通して、この街で何人かの友人も生まれ、いつの間にか我が胸の裡に涵養されていた地元愛(不思議だ)からも刺激を受け、この街の窮状を見るにつけ、何かお役に立てることはできないものかと考えていた。そして、いろいろ考えた末に思い立ったのが「デザインの無償提供」だった。暮れまでの半年間はデザインを無償でやらせてもらう。テイクアウトの写真も、僕たちが撮ればもっと美味しそうにできるだろうし、手書きのメニューもきちんと素敵にデザインさせてもらう――。これこそが僕たちデザイン会社ライトパブリシティの得意技で、銀座の仲間たちに貢献可能だし(無理していない感じが気持ちいいのだ)、デザインの力というものを大いに知ってもらう絶好の機会でもある。老舗デザイン会社の矜持でもあるかなと考えた。

プロボノは人を育てるさっそくチームを立ち上げ企画作業に取りかかる。アートディレクター、コピーライター、プロデューサー、CD(クリエイティブ・ディレクター)、中堅から若手まで即日集まってくれて何と心強いことか。ここでいうCDとは大工の棟梁で現場監督、僕の役目はECD(エグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクター)で、いわば街の工務店のオヤジだと思ってもらえばいい。目的は明瞭だ。一日も早くあの華やいで賑やかな銀座が帰ってきてほしい、閑散として静まり返った街並みを前に戸惑っている銀座の友人たちに希望を与える等々……。四、五日後、アイデアの欠片から伝え方の新たなアクションプランとそれを促す新たなコトバまで続々と集まってきた。そして遅ればせながらそこで気づいた、僕たちがやっていることは紛れもなく「プロボノ」だと。瀬谷ルミ子さんとのお付き合いでプロボノという言葉は知っていたが、依頼されて始めることと自ら始めることはやはり違っていて、ここで初めて自覚的にその意味を理解したのだった。検索すると「プロボノとは、社会人が自らの専門知識や経験、技能を社会貢献のために無償もしくはわずかな報酬で提供するボランティア活動であり、ラテン語の『Probonopublico』(公共善、つまり公益のため)からきている」「それは本業の延長でもあり、同時にスキルアップも図れるという新しい働き方の一つ、新しいプロフェッショナリズムの表現である」とある。小さい頃から団体行動が苦手で、故に我儘な奴だと(開き直るつもりはないのだけれど)不当(?)に揶揄されてきた僕のような人間には、プロボノという個人技を生かした社会貢献なら、無償であろうと我が意を得たりで、喜んで受けることができるなぁと思った。超特急で始めた企画もいい感じにまとまり、いよいよ満を持してのプレゼンテーション。弊社ライトパブリシティの会議室に集まってくれたのは、渡辺新はじめ五名の銀座をリードする若き重鎮たち。「これはプロボノでやらせてください」と僕が口火を切る。加えて「今年半年いっぱいデザインを無償で提供させてもらいたい」と続けた。企画説明に入る。メインコピーは「おかえりGINZA」だ。お客さんたちへの想いと銀座人たちへのインナー応援メッセージのダブルミーニングだと説明。発信するメディアは銀座らしく暖簾としたい。欧米の街ならきっとフラッグにするだろう。だからこそ暖簾が素敵だと。しばし議論のあとで彼らが異口同音、一斉に口にしたのは「プロの仕事って、すごい!」であった(口絵1~3)。この一言が、急拵えの若きクリエイターチームの一人ひとりの心の奥にどれだけ強く深く響いたことか!僕がこの作業を通して人知れず感動し、胸の高まりを抑えるのに必死だったのは、若いチームの皆の嬉々として働く姿、ただでさえ忙しい彼らがここまでやるのか!というその仕事っぷりに感服していたためだ。プロボノは人を明るくする。プロボノは人を一気に成長させる。この短期間で彼らは人として一回りも二回りも大きく逞しくなっていった。

「風の谷を創る」プロジェクト安宅和人さんも、僕にとっては瀬谷ルミ子さんと同じ「果てしない人」だ。安宅さんは、ヤフー株式会社CSO(チーフストラテジーオフィサー)、慶應義塾大学環境情報学部教授、データサイエンスティスト協会理事・スキル定義委員長など、AI×データ系の様々な重要な公職を務めるスーパーマンである。お会いしたきっかけは、知己の紹介で食事をしたことだった。彼は「開疎化」というなんとも魅力的な言葉を提唱している。「開放(open)」と「疎(Sparse)」を組み合わせて「開疎化」。外部に対して閉じた「過疎」ではなく、空気のみならず文化も外部に向かって開かれた空間である。これまでの都市型社会は「密閉」され「高密度」であった。彼の問題意識は、都会的な知的創造ができる「疎」で美しい空間を作れないか、というものである。現在の大量生産・大量消費社会は、都市を作り、人を集中的に集め、安価で大量の労働力を投入することで初めて成り立つ。しかし、そういう社会のあり方は、コロナ禍の問題もあり限界を迎えつつある。そういう「密」な都市をもう一回分散することを安宅さんは目指している。だけど、それは単なる田園都市の創生ではなく、新しいテクノロジーを導入し、理想的な空間を作っていくというものだ。その空間のイメージとして、宮崎駿監督による傑作アニメーション映画『風の谷のナウシカ』から「風の谷」を拝借している。安宅さんの著書『シン・ニホン』(NewsPicksPUBLISHING)から、そのイメージが降りてきた瞬間を引用しよう。今、データ×AIや、それ以外にも数多くのこれまででは不可能だったことを可能にする技術が一気に花開いているが、これらはそもそも人間を解放するためにあるのではないのか。テクノロジーの力を使い倒すことにより、僕らはもっと自然と共に生きる美しい未来を創ることはできないのか?そうだ!「風の谷」だ!その考え方にものすごく共感したし、とても希望の持てるプロジェクトだと思った。安宅さん個人とも親しくさせてもらっていることもあり、「風の谷」プロジェクトのロゴデザインはプロボノでやらせてもらいます、となったわけだ(口絵6)。加えて、この「風の谷」プロジェクトの「風の谷憲章」の文章が素晴らしい!ぜひ皆さんにも読んでいただきたく、一部を『シン・ニホン』から引用する。「風の谷」はどんなところかよいコミュニティである以前に、よい場所である。ただし、結果的によいコミュニティが生まれることは歓迎する。人間が自然と共存する場所である。ただし、そのために最新テクノロジーを使い倒す。その土地の素材を活かした美しい場所である。ただし、美しさはその土地土地でまったく異なる。水の音、鳥の声、森の息吹・・・・自然を五感で感じられる場所である。ただし、砂漠でもかまわない。高い建物も高速道路も目に入らない。自然が主役である。ただし、人工物の活用なくしてこの世界はつくれない。「風の谷」はどうやってつくるか国家や自治体に働きかけて実現させるものではない。ただし、行政の力を利用することを否定するものではない。「風の谷」に共感する人の力が結集して出来上がるものである。ただし、「風の谷」への共感以外は、価値観がばらばらでいい。既存の村を立て直すのではなく、廃村を利用してゼロからつくる。ただし、完全な廃村である必要はない。「風の谷」に決まった答えはない。やりながら創りだしていくもの。そのためには、行き詰ってもあきらめずにしつこくやる。ただし、無理はしない。「風の谷」を1つ創ることで、世界で1000の「風の谷」が生まれる可能性がある。ただし、世界に同じ「風の谷」は存在しない。

「コモン(common)」という考え方ニュージーランドの議会は15日、先住民マオリ(Maori)が崇拝する川に「法律上の人格」を認める法案を可決した。河川を法人と認める判断は世界初とみられる。欧米諸国の判例とマオリの神秘主義を兼ね備えた法律は、ワンガヌイ川(WhanganuiRiver)を「生きている実在物」だと正式に宣言した。クリストファー・フィンレイソン(ChristopherFinlayson)司法長官は、「(ワンガヌイ川は)法的な人格と、それに付随するあらゆる権利、義務、法人としての法的責任を有することになる」と述べた。マオリの人々から「テアワトゥプア(TeAwaTupua)」の名で呼ばれるワンガヌイ川は、ニュージーランドで3番目に長い川。フィンレイソン長官によると、川の周辺に暮らすマオリの部族(イウィ)は1870年代から川をめぐる権利を主張しており、同国でも最も長期に及ぶ法的な争いとなっていたという。(https://www.afpbb.com/articles//3121661)「コモン(common)」とは、「共有資産」を意味する言葉だ。前の記事にあるように、ニュージーランドでは川が正式に人格を持った。この流れが加速すると、自然物はすべてコモンになるし、個々人が身につけた知識やスキルもコモンになる。具体的には、広告の表現技術とかアイデアの発想法とかもそうだ。コモンということになれば、みんなのものだから、必要であればパブリックサービスに用いることができる。このコモンの概念は、プロボノの一つの論理的裏付けとなるのではないだろうか。ボランティアやプロボノというと、自己犠牲というか、「やってあげている」ニュアンスが出てしまうが、コモンの概念を導入すると、共有資産なんだから、やって当たり前ということになる。たまたま僕は今、広告の世界にいる。かつて資本主義のエンジンであった広告は、大量生産・大量消費の時代が終焉を迎えると、存在価値が問われる。ここで、プロボノ的なセンス=パブリックサービスという考え方を投入することで、広告の社会的価値を再定義できるのではないだろうか。それによって、広告というものの存在が再び説得力を持つのではないか。コモンという概念はそのような力を持つものだと思う。※本文では取り上げていないプロボノ事例を口絵7~10に掲載しています。

 

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