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第4章公共広告の世界

第4章公共広告の世界

僕のプロボノのルーツは世界の公共広告一九九一年と一九九二年はテレビCM部門、そしてインターネット広告の黎明期の一九九八年はついに新設されたサイバー部門と、都合三度、カンヌ国際広告祭(現・カンヌライオンズ)に国際審査員として参加した。そこで学んだことは多々あるが、最も刺激を受けたことの一つに「公共広告」があった。まず驚かされたのは、世界から集められた公共広告のボリュームとその質の高さ。海の向こうでは公共広告の分野が、広告クリエイターの仕事の重要な側面を担っているということをいやというほど知らされることになった。カンヌ国際広告祭での公共広告の正式なカテゴリー名は「NOTCOMMERCIALPUBLICSERVICE&ADVERTISING」、チャリティ広告は「CHARITABLECAUSES」である。僕が審査員を務めた一九九一年は、公共広告は二〇三本、チャリティ広告は一五一本がエントリーされていた。その中に日本の広告がどのくらい含まれていたかというと、実はごくわずかだ。商品広告や企業広告では、審査員側からするとややうんざりするほどすごい本数(三〇〇〇作品余り)がエントリーされているのに、である。しかもただストレートにメッセージを伝えるだけのもの――「迷惑駐車はやめましょう」「地球をきれいにしましょう」など。「かっこわるいな。やっぱり僕たち社会性が足りないなぁ」「欧米の審査委員たちの手前、かっこつかないなぁ」と単純に思った。これではまるで年がら年中「消費に明け暮れている国」と自ら世界に発信しているようなものではないか。同じ年、世界の公共広告の中でもとりわけすごい衝撃を受けたのは、前年にブラジルで制作された熱帯雨林の問題をテーマにしたテレビCMだ。その映像は、深い森の中に一人佇むインディオの少女から始まる。小鳥たちのさえずりに抱かれ、幸福そうな音楽が流れている。そこで突然、その少女の黒く長い髪がバリカンで乱暴に刈られ始める。そのバリカンの音はやがて、森の大樹を切り倒すチェーンソーの音に変わっていく。大樹が根元から裂かれ、地面に叩きつけられる音が辺りに轟きわたる。ラストに映し出される、髪を刈られた少女の無惨な姿、悲しそうな目……。画面の最後に「熱帯雨林を守ろう!」というシンプルなタイトルが挿入される――。初めてこれを見せられたとき、作り手として〈こんなの作りたいなぁ〉と強く憧れた。不謹慎かもしれないが、世界の公共広告はなんてかっこよく、かくも官能的なんだろう、と思ったのだ。他にもいくつか印象的な作品があった。ポルトガルから出品された、インドネシアの自然保護をテーマにしたCMは、たった一つのグラスとオレンジジュース、そして最後にオレンジに突き刺さるトロピカルな傘だけの表現で、十分に説得力を持っていた。「インドネシアの森林を守ろう」というテーマの作品だったんだけれど、普通の発想なら、実際の緑豊かな森林と、伐採されて開発された場所を空撮して(今ならドローンか)、対比させる、という絵になりそうなところ、そこまでお金をかけず、より効果的にテーマを伝えることに成功している。メタファー(後述)であり、ビジュアルランゲージ(視覚言語。後述)という方法論に衝撃を受けた。世界のクリエイターが競って公共広告を作るのは、まずは社会的意識が高いというのがもちろんあるが、商品広告と違ってクライアントからの制約がなく、比較的に自由に制作できるというのも大きい。仮に大きな賞を取れば、その広告代理店やクリエイティブ・ハウスは世界規模で名誉を勝ち取れるからだ。だから絶好の機会と捉え、本気を出してエントリーしてくる。だが、一人のクリエイターとして、それ以上に重要なことにすぐに気づかされた。それは、公共広告こそ突出した広告表現の宝庫であり、こんなにチャレンジブルで面白い世界は他にない、ということだ。世界と伍した公共広告を作りたい――僕は心に決めた。

人間の暗部に触れながら、広告を作る広告は明るくなければいけない――当然の考えだ。こうした不文律のもと、僕たちは日々広告を作っている。商品をより多く売るため、企業のブランド価値をより高めるための企画をこしらえ、新たなコピーや映像を開発する。ところが、これが公共広告となると前提はがらりと変わる。気候変動から森林破壊、ジェンダーフリー、アンチドラッグ、児童虐待、疫病や老いの問題、アパルトヘイト、レイシズム――濃淡あれど、誰の心の中にも潜む人間の暗部と対峙し、わずか一五秒や三〇秒、長くても一分という制約の中で、独自の表現手法を駆使しながら世の中への価値変容、気づきを促す。これが公共広告の真骨頂、真髄だ。普段「笑顔表現」に縛られがちな僕たちが人間の暗部に触れながら広告を作る、しかも社会貢献の一端(ほとんどの場合、公共広告の仕事は利益が出ない)を担える――表現者としても社会人としても、本気にならざるを得ない。考えてみれば、われわれの豊かな文化を創り出すのに、人間の暗部は、実は必要不可欠な要素(スパイス)でもある。

世界に届くために学んだ、視覚言語(ビジュアルランゲージ)という技術カンヌ国際広告祭が他の賞と異なる大きな特徴は、世界から招聘された審査委員三〇名余りが、開催期間の五日間、同じホテルで寝食を共にしながら、早朝から夕暮れまで真っ暗な試写室で、その年に集められた三〇〇〇本余りの作品を一気に審査することだ。これはかなりタフな作業だが、大量の作品を短時間で見ることで、世界の広告コミュニケーション・シーンで今何が起きているのか、ということを窺い知ることができる。僕にとっては絶好の学習機会でもあった。そこで僕が学んだ一番のことは、われわれに決定的に欠けているのは視覚言語(ノン・バーバルコミュニケーションともいう)である、ということだ。よくいわれることだが、日本は二つの壁に長らく守られてきた。一つは日本列島の周囲の海という壁、もう一つは日本語というのが外国人にとってはかなり手強い言語の壁である。その結果、外国人とのコミュニケーションは今でもけして得意ではない。国際舞台において、言語や文化を超え己の意思を伝えるためには、絵をまるで言葉のように扱う――ビジュアルランゲージの習得が欠かせないことを胸に収め、初の国際審査委員という大役を済ませて帰国の途についた。帰国後、真っ先に向かったのは公共広告機構(AC)だった。そこで、海の向こう側から見た日本の広告の姿と現在地を報告し、日本の広告界のためにも世界レベルの公共広告を作るべきだ!と、僕にしてはめずらしく口角泡を飛ばしながら一席ぶった(今思うと恥ずかしい)。僕のあまりの形相に驚愕したのか、はたまた同情を買ったのか、彼らはなんとすぐに僕のリクエストに応えてくれた。テーマは「家庭排水」。海を汚しているのは工業排水だけではない、実は家庭からの排水がそれと同じくらい汚している、この事実を世にアナウンスしたい、という仕事だった。いきなりの僥倖に我が意を得たりで、速攻企画に取り組むことになった。

アナロジー(類比)とメタファー(暗喩)とアレゴリー(寓話)今回の企画の前提は、まず言葉に頼らないこと。つまりカンヌで学習した「視覚言語」を駆使したものであること。そしてもう一つ大切なのは、海外の人たちが理解しやすい文脈(コンテキスト)に乗せたものであること。広告の仕事の一つに「説得」(persuade)がある。人は見事かつきれいに説得されると気持ち良さを感じる。いわゆる「腹落ちした」という感覚だ。欧米の傑作広告たちを俯瞰、反芻し、さらに因数分解を試みると、必ずといっていいほど「アナロジー」「メタファー」「アレゴリー」の三つを巧みに駆使して説得にかかっていることがわかる。後に文筆家の佐藤優が「この三要素は海外エリートが必ず会得している教養だ」と指摘しているのを読んだことがある。さすが国際的な視野の持ち主だ。僕のお手本は、前述したブラジルの公共広告――少女と熱帯雨林のCMである。このCMを先の三つの要素に分解すると、以下のようになる。すなわち、少女の長い髪と豊かな森というアナロジー(類比)、その髪を乱暴に斬るバリカンとチェーンソーのけたたましい爆音というメタファー(暗喩)、森の奥で幸せに暮らすインディオの少女とやがて破壊されていく熱帯雨林というアレゴリー(寓話)――である。これらの映像をつなぎ合わせると、一切ナレーション(説明のための言葉)がいらない、視覚言語だけで世界中の聴者たちを唸らせる特上なCMが誕生するというわけだ。これを今回の命題である「家庭排水」に置き換えてみよう。残り物の濃厚なソースがシンクから流される映像と蒼く豊かな海、家庭の小さな排水口と汚れゆく大海原、そして海の精である可憐な人魚姫と濃厚なソースを浴びた人魚姫が悲しむ姿、コピーは「台所が原因で海を汚すなら、台所から海をきれいにすることだってできます」という明快なレトリック。できあがりを見て、制作チームの皆で思わず微笑んでしまった、ナニジンが作ったのかわからないCMができあがったのだ。言語や文化を超えた無国籍CM、まさに狙い通りの作品の完成である。翌一九九二年、この作品をひっさげて国際審査委員として再度カンヌに参加した。大きな賞には届かなかったものの、公共広告という激戦のカテゴリーで入賞を果たし、カンヌへのささやかな意趣返し(リベンジ)ができた。何よりも公共広告機構の皆さんへの恩返しを果たすことができ、ホッとして日本への帰路についたのだった。リビングで、子どもたちが集まりお絵描き。クレヨンで何かを描きながら、それぞれが自分のパパにどれだけ愛されているかを、たどたどしい言葉で自慢話として話し始める。少年1:Mydaddylovesmesomuchheboughtmeabaseballglove.(僕のパパは僕のことが大好きだから野球のグローブを買ってくれたんだ。)少年2:Mydaddylovesmesomuchheboughtmeabaseballgloveandavideogame.(僕のパパは僕のことが大好きだから野球のグローブと、テレビゲームを買ってくれたんだ。)少年3:Mydaddylovesmesomuchheboughtmeabaseballgloveandthreevideogames.(僕のパパは僕のことが大好きだから野球のグローブと、テレビゲームを3つ買ってくれたんだ。)少女:MydaddylovesmesomuchheboughtaVolvo.(私のパパは私のことが大好きだからボルボを1台買ったの。)そして画面は優しくフェードアウトして、やがて小さなボルボの企業ロゴだけが画面中央に上品に浮かんでくる。(中略)たどたどしい子どもたちの会話は、イソップのようなアレゴリー(寓話)であり、親の愛情で結んだ子どもの玩具と大人の車のアナロジー(類比)、そして、車の安全、その先の不慮の事故!というメタファー(暗喩)がCMという限られた時間、全体に贅沢にちりばめられているのが何度か見るとよくわかってくるのだ。(杉山恒太郎著『アイデアの発見』インプレス、P83~8

「骨髄バンク」のキャンペーン次に作った公共広告は「骨髄バンク」のキャンペーンで、ドナー数を大幅に増やすことを目的としたものだった。この広告では、良き時代のアメリカの肝っ玉母さんとして、世界中から慕われていたブッシュ大統領(父親の方)夫人に登場してもらった。その「ママブッシュ」が、自らボランティアでアメリカの骨髄バンクのテレビ・キャンペーンに出演し、大変な効果を上げたと聞きつけたところから企画は始まった。日本人に効果的にメッセージを伝える方法の一つに、「黒船作戦」というのがある。「海外ではこんなに進んでいる!日本も何かしなくては!」とアピールするという、極めてシンプルな方法である。今回は、欧米ではこういう人がボランティアで参加しているんだよ、ということを知ってもらい、「骨髄バンク」の活動のメジャー感を実感してもらう作戦だ。その作戦を決めて、僕は、何とかブッシュ夫人からのメッセージをいただきたい、難しければアメリカの広告のビデオをそのまま使用させていただきたい、と交渉した。結果はOK。広告キャンペーンは実際に効果を上げ、財団法人骨髄移植推進財団から感謝状をいただいた。おかげで「骨髄バンク」の仕事がもう一年続いた。翌年の「骨髄バンク」の広告では、コピーとナレーションで「命のボランティア」という言葉を使い、映像では実際にドナーからの移植を待っている子供たちに登場してもらった。どちらも、それまでの日本の公共広告ではタブーとされていたことだった。「命」という言葉は「死」を連想させる。だから当時のテレビ局の考査をなかなか通らなかった。だが、僕は「絶対、引くな」といい続け、担当のコピーライターも粘り強く交渉し、どうにか通すことができた。次に取り組んだのが「ドラッグ」をテーマにした広告だ。僕は、青春のリアリティを感じさせるような、今の時代のスピード感のあるロックスピリッツを感じさせる公共広告を実現したかった。イギリス映画『トレインスポッティング』のようなトーンの広告といえば、わかってもらえるだろうか。そこでSMAP(当時)の草彅剛さんに出演を依頼、その意図をご理解いただき、ほとんどボランティアのような形で登場してもらった。このCMでも一悶着あった。公共広告機構は様々な企業の支援で成り立っている団体だ。中には製薬会社もある。だからそこに忖度して「ドラッグ」ではなく「麻薬」にしてくれという横槍が入った。このときは意外なことに警察が助けてくれた。「『ドラッグ』といわなければ子供たちには届きません」といってくれたのだ。

「WATERMAN」一九九六年、念願だった海外のクリエイティブとの直接対決が実現した。それは二年に一度、アメリカの公共広告機構と日本の公共広告機構が中心となり、両国の競合コンペによって行われる「水」をテーマにした環境広告キャンペーンだ。最初のカンヌ以来、ビジュアルランゲージというキーワードをずっと考え続けていた僕は、とにかくそこに最重点を置いて、今でも敬慕する小田桐昭さんのもとでコンテを描いた。とてもシンプルなレトリックを考えたのである。「人間の体の70%は水です。あなたが汚した水は、いつかあなたを汚すことになります」エントリー後、間もなくアメリカから「日本から初めて日本語がわからなくてもわかるコンテがエントリーされた」という驚きに満ちたニュースが伝わってきた。最終的に僕自身がニューヨークに行って説得し、コンペに勝った。そうして作られたCMが「WATERMAN」。この広告は、ブルーに澄んだ半透明の人間が歩いていて、「あなたが汚した水は……」というナレーションが始まり、気がつくと結局は自分の身体も汚してしまう、という内容だ。もしかしたらこれが、初めて全米に流れた日本発のテレビCMかもしれない。このCMは、国内外で実に一〇もの広告賞を受賞した。

公共広告は「広告のための広告」そもそも公共広告を定義づけるのはとても難しい。企業や商品やサービスを伝える経済活動とは違う目的で、社会やコミュニティの抱える課題や社会的なコンセンサスを深めるためのコミュニケーションとして、独自に発信、進化してきたものだ。戦争、災害、貧困、差別、病気、交通事故、麻薬、犯罪、教育、医療、高齢化――社会には実にたくさんの課題があり、公共広告を必要とするそれぞれのテーマの比重は、時代とともに変化してきている。「広告コミュニケーション」という表現スタイルで、世の中のいろいろな問題が提起されて社会的に認知されたり、その問題の拡大を抑えたりすることもできる。たとえばAIDSや森林破壊のように。素晴らしい公共広告が世の中に与えるインパクトを見ると、広告の力は本当にすごいと、今さらながら感じる。そういう広告の力を世の中にわかりやすく示し、見せつけるのが公共広告だ。つまり公共広告は「広告のための広告」でもある。しかし、すごく注意深く作らないと、とても嫌らしいお説教広告になってしまう。僕がこんなふうに、公共広告と戦っていたのはバブルの後期。まだ広告業界もすごくはしゃいでいた時期で、人間の持つ温度や表情を極端に抑えた、功利、効率のみを目指した広告ばかりだった。そういう状況に不自由さを感じ、うんざりしていた僕にとって、公共広告は隠れ蓑になったし、駆け込み寺でもあった。公共広告を知ったことで、精神的に潰れずに済んだ。広告制作者として救ってもらったような気がしている。大げさにいえば、公共広告は僕の広告人としての命の恩人だ。だからといって、ものを消費させるだけの仕事をしたことに対するやましい気持ちを何とかするためとか、多少は社会に恩返ししなきゃいけないと思って……というふうに持っていくと、つまらないものになってしまう。公共広告は世界的に見ても、広告表現の最高の水準の競争の場所だ。だからここで勝たなきゃしようがない。そう思ってやっていったことが、結果的に良い結果を生んだのだと思う。カンヌだと毎日、速報が出るんです(『lionsDailyNews』)。僕が一番ショックだったのはイギリスの女性記者が、審査の裏話的なコラム記事に、「(審査のとき)アングロサクソンやラテンは裏で組むというふうにスカンジナビア人や日本人は非難する。でもあなたたちはもうスクールボーイじゃないんだから」という趣旨のことを書いていて、それはガツーンときました。スクールボーイと言われるのは恥ずかしい。(杉山恒太郎著『僕と広告』グーテンベルクオーケストラ、P110)

ソーシャル・コンセンサス(社会的価値形成)とOS‐1今「熱中症」という言葉は当たり前のように使われている。NHKですら真夏の天気予報で「本日は熱中症に気をつけましょう」とたびたび警告を発するようになった。「熱中症」という言葉は僕が作ったものではないけれど、10年前より始まった〝熱中症ケアのためのドリンク、OS‐1〟のキャンペーンが、〝熱中症〟を社会的な言葉として定着させたのは間違いないと思う。ライトパブリシティ移籍直後に、「これからは杉山さんと直に仕事ができるようになって、嬉しい!」と真っ先に連絡をいただいたクライアントの一つ、大塚製薬工場の本田部長さんからオリエンテーションを受けた商品がOS‐1だった。そこには〝経口補水液〟と記されていたが、そんな言葉、これまでの人生で一度も出合ったことがない。しかも、医師・薬剤師に相談できる場所でしか基本的に売ることができないという。これをマス商品としてどういうコミュニケーションを図ればいいものか……。けっこう重い課題ではあったが、そこでとっさに思いついたのが「コミュニケーション・デザイン」というクリエイティブ手法だった。これは、当時、ロンドンのノントラ(nontraditional)と呼ばれる若者たちのクリエイティブ・ブティックが始めた新しい手法で、何でもかんでもテレビCMを打つのではなく、台頭しつつあったインターネットを駆使して世の中の〝空気を醸成する〟ことを主眼にしたものだ。そこで、OS‐1の広告キャンペーンでは、まずすでに始まっていたテレビCMを一度止めてもらった。今から思うと、その時点でよく止めるという英断をしていただけたと思う。次に、オンライン上に社会的装置として「かくれ脱水」委員会というバーチャルな組織を立ち上げ、その告知を新聞で展開し、「熱中症とは、時に生命をおびやしかねない病である」というメッセージを発信。これによって「ソーシャル・コンセンサス(社会的合意形成)」を図った。さらに、世の中に〝熱中症は危険だ〟という〝空気〟が生まれつつある頃合いを見計らって――つまり訴求するポイントに時差をつけて――テレビCMを流した。イメージタレントとして、所ジョージさんを起用。畑仕事で熱中症になり救急車で運ばれた経験を持つ彼の起用は説得力があり、お人柄も率直で魅力的だった。こうした取り組みすべてが統合的に作用し、キャンペーン直後に商品がいきなり市場で動き出したのだ。「奇跡を見ているようだった」クライアントの担当の女性の方の一言は、今でも耳に残っている。これは魔法でもなんでもなく、コミュニケーション・デザインという手法を選び、それが奏功したに過ぎない。ソーシャル・コンセンサス=社会的合意形成・社会的価値形成を促すという、このOS‐1の仕事も、〝公共広告〟を手掛けてきた経験がとても役立ったと今ではわかるし、次章で説明するプロボノを経験して得られるものと、とても似ている。「あんな難解な商品をよくあそこまで成長させたねえ」他のクライアントからお褒めの言葉もいただいて新たな仕事も舞い込み、この商品との出合いは、確実に僕のクリエイティブ・プランナーとしての選手寿命を延ばしてくれた。今でもゴルフ場のロッカーの彼方から「ヤバ!OS‐1忘れたぁ!」という声が鳴り響くたびに「ああ、世の中に届いたんだ!」と実感する。これこそ広告の仕事冥利に尽きる、喜びの一瞬だ。

第5章プロボノという幸福――人はなぜ他者に与えるのかLoveisdoingsmallthingswithgreatlove.MotherTeresa(愛とは大きな愛情をもって小さなことをすることです。マザー・テレサ)

 

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