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第4章ワンランク上の自分磨きとは

第4章ワンランク上の自分磨きとは陰徳の本質は「葛藤を受け容れる」こと崩れ始めた信頼関係捨てないと受け容れられない「わかる」と「行う」の差を埋める葛藤してこそ人間他人の評価を気にせず行動に移したタスクフォース一燈を提げ、生徒たちを照らした恩師まずは今の自分に集中することから「そう来ましたか」で受け止める

 

陰徳の本質は「葛藤を受け容れる」ことここまで日本人の道徳心、人間力の源である「自己を慎み」「内面を掘り下げる」といった陰徳や精神文化について、事例を交えながらみてきました。

ここからは「陰徳」を現代にどう実践していくかを語ってまいります。

キーワードは葛藤です。

まるで植物のツルが複雑に絡んで解けなくなるかのように、相反する思いがせめぎ合い、いずれを取るか迷うことを「葛藤」といいます。

「そうしたほうがいいと頭ではわかっているけど、行動できない自分にイライラする」「やりたい、やろうと心に決めたはずなのに、言い訳ばかりしてやらない自分が嫌」「勇気を出してやってみたけれど思うようにいかない。

なぜだろう」「喜んでもらえない。

感謝してもらえない」「迷惑がられた」こういう思いに駆られたことは、誰しもあるのではないでしょうか?「ありたい自分」の理想と乖離した現実の自分。

できれば直視しないで済ませたい。

それは本当の自分ではないと否定したい。

そう思うのは、あなただけではありません。

私も同じです。

さらに、葛藤したのに失敗した、結果につながらなかったというケースも数多くあります。

自分の内面、心の奥底を掘り下げていくという作業は時間を要します。

よく生きるとは、よい習慣をつくること。

よい習慣をつくるには、それをやらないと違和感を覚えるというくらい繰り返してクセづけをする、続けることが必要です。

ここでは私が「葛藤を受け容れる習慣」をつくろうと決意する、そのきっかけの一つとなった失敗経験をご紹介します。

それは、十年ほど前の私が独立して会社を起こしたころの出来事です。

新会社のメイン事業は講演や企業向けの研修でした。

ご依頼が増えるにつれ、私一人では細かな事務など、バックヤード業務をこなすのが難しくなってきます。

そこで、紹介のあった三十代の男性Bさんを社員として雇用し、一緒に働くようになりました。

会社とはいえ、創業間もない数名の小所帯です。

大企業のように組織構造や分業体制が明確ではありませんでした。

とにかく期限の迫った目の前の仕事を、どんどんこなさなければいけない状態です。

Bさんは事務能力に長け、真面目できっちりとした人物でした。

どちらかといえば大雑把な私を補ってくれる存在として、私は彼に期待し、彼もそれに応えようと精一杯努力してくれていたように思います。

崩れ始めた信頼関係滑り出しは良かったものの、日が経つにつれ、彼との関係がギクシャクし始めました。

Bさんはきっちりしていますから、業務上優先すべきことを順序立て、確実にこなしていきます。

確かにその通りにやれば効率はいいと理解はしつつも、私はつい自分の興味があることを優先してしまうところがありました。

「これ、やっておいてくださいね」Bさんが良かれと思って言ってくれたのに、私がやらない、やれないことが増えていったのです。

一方の私は、彼に過剰な期待を寄せ、「もっと空気を読んでフォローしてくれたらいいのに」と不満を募らせることが増えていました。

そうなると、どんどん信頼関係が崩れていきます。

「申し訳ないんだけど、ここまでやってね」とか「お手数ですが」という言葉は添えていても、内心は〝これくらい気を利かせてやってくれたらいいのに〟という毒でいっぱいです。

いくら言葉で繕ってはいても隠し切れない心が、ちょっとした所作や表情に表れていたのかもしれません。

今思えば、もっと私自身が自分と向き合い、葛藤を受け容れていたら、結果は違ったのでしょう。

でも、当時の私は未熟で「なんで、私の気持ちがわからないの?わかってほしい」。

そんな自分優先の「我」でいっぱいでした。

一緒に働くようになって一年が経とうとするころ、Bさんのほうから「辞めさせてほしい」と申し出がありました。

ここまで一緒にやってきたのですが、私自身もそのときはこの人とは続けられないと思うようになっていました。

そして、残念ながら違う道を歩くことになりました。

Bさんを失って初めて、彼の貢献の大きさに気づきました。

一緒に働いているときは、私の苦手なことを「やらせる」対象としか見ることができていなかったようです。

やってくれることが「当たり前」になっていました。

講演や研修では「相手を慮れる人になりましょう」「『私は』と言わないようにしましょう」と話しているにもかかわらず、うわべだけの自分。

「ここまでやってくれたなら、今度は私がここまでやるよ」なぜ、そう言えなかったのか。

お互いが助け合って良いものをつくるのが理想とわかっていながら、そうできなかった自分……。

「どう?大丈夫?」「何かあったら言ってね」形ばかり、そんな言葉だけはかけていました。

陽徳はやっているからなんとかなるんだ。

私は悪くない……。

そんな思いがあったのかもしれません。

せっかく同じ道を歩むことを決意してくれた人を活かすことができず、成長させてあげることもできず、申し訳なかったと思っています。

「ありがとうの反対は、あたりまえ」です。

捨てないと受け容れられない私が「自分を変える」必要性に気づいたいきさつは、先にお伝えしたとおりで、独立間もないころの失敗経験がきっかけでした。

私にはトップとして人を育て、人を動かすマネジメントする能力が足りていない。

そう自覚し、変革のプロフェッショナルとして実績を挙げていたSさんに頼み込み、師と仰ぐようになりました。

Sさんは、どんな人にも無限の可能性があると本気で信じています。

やりたいことにチャレンジさせてその人の可能性を最大化するために、本気で相手と関わるのです。

「三枝さん、あなたはどうなりたいの?」最初にそう問われたとき、私は言葉に詰まりました。

突き詰めて考えたことのない問いだったからです。

その場しのぎの曖昧なことを言ったところで、Sさんの「洞察」は終わりません。

私の口から出てくるのは、「こうやって頑張ってきた」「こうやって成功(だと思って)してきた」ということばかり。

そこで初めて、「自分の本当のあるべき姿」が明確に描けていないことに気づかされたのです。

認めたくない現実でした。

志が明確でない人が気力を溢れさせ、一所懸命生きられるわけがありません。

正直、苦しかったです。

自分一人で抱えていたら、乗り越えることはできなかったでしょう。

安易な道にきっと逆戻りしていたと思います。

それまで仕事ではほぼ、嬉し涙しか流して

こなかった私です。

言われたこともないような厳しい言葉に反応し、涙を流し続けました。

辛辣すぎて憎むこともありました。

「こんなやり方おかしい」と逃げ出したことも何度もあります。

しかし今思うと、この「憤概」が「発憤」の引き金となったようです。

またSさんは「あなたなら、ここまでできるはず」と、私以上に私を信じ続けてくれたのです。

人間には誰にでも「我」があります。

自分自身を信じ、期待し、大切にし続けなければ、自分の弱さに克ち続けることはできないでしょう。

自分を大切にするとは、自分を甘やかすことではありません。

ダメな部分、毒々しい部分をごまかさずに受け容れる、認めたうえで「もしかしたら私も変われるのかも」と自己を信頼することです。

自分を受け容れるには、まず、今までの固定概念をかなぐり捨てることです。

捨てなければ受け容れるスペースは生まれず、何も入ってきません。

反発していると、かつての私のようにムダな時間、ムダな労力を使い、人生の時間を空費してしまいます。

私は数年の遠回りをしました。

今は受け容れるほうが楽だったと実感しています。

葛藤から逃げて自分をごまかして生きるのなら、スッと受け容れて何か行動に移したほうがいい。

そう思うようになりました。

しかし、わかるのと行うのは大違い。

実際には、できなくてもいいから、行動に移さなければ何も変わりません。

「わかる」と「行う」の差を埋める徳の道は「知行合一」と言われます。

言葉で聴き知識として理解しても、実際に行動に移さなければ知らないことと同じ、という意味です。

知識としてわかったとしても、それを実行しなければ現実は変わらず、人間力も高まりません。

十年前の私がまさに、その状態でした。

できていないのに「できている」と自分に言い聞かせて、見たくない自分の現実から目を背けていたように思います。

これまで『空の上で本当にあった心温まる話』(あさ出版)などの著作を通して、私がお伝えしてきた感動のエピソードはすべて噓偽りなく、私自身が実践、見聞きしたリアルな経験です。

多くの人が感動してくださいました。

同じようにしてみようと、真似してくださったサービス業の方もたくさんいらっしゃいました。

今、思い出しても胸がいっぱいになります。

しかし今、自分を振り返ると葛藤を覚えます。

人に喜んでもらえてよかった、笑顔を見ることができてよかった。

その幸せ気分を味わうのはよいにしても、もし思うように喜んでもらえなかったとき、自分はどのように振る舞えたのだろう。

望むような結果が得られないときに、どう思うのかと考えると、葛藤が生まれるのです。

「どんなときでもできているのか」。

そう自身の心に問いかけてみると、「はい」と言い切れない自分がいることがわかったのです。

しかし、頭ではわかっていても、踏み出す勇気や気力が足りない。

「やったほうがよさそう。

でも……」こんなダメな自分を認めるのには、勇気がいります。

それをこうして活字にし、世間の皆さまに赤裸々にお伝えするのは、もっと勇気がいります。

ご期待くださった方々をガッカリさせてしまうのでは……。

いっそ、こんな恥ずかしい話をするのはやめて「できている自分」だけ見せたらよいのではないか?この本を書く間にも、小さな葛藤が何度も押し寄せてきました。

一方で今は、そんな葛藤の舞台上にいる自分を、まるで客席から眺めるように「フフフ」と微笑ましく見つめている私もいます。

「すべての葛藤を受け容れる」そう心に決めた日から、私にとって葛藤は避けるものではなく、自分が磨かれるための新たな日常のひとつとなりました。

葛藤を受け容れる、なんて言うと、歯を食いしばって耐えているようなイメージを抱く方がいらっしゃるかもしれません。

もちろん、長い間フタをしていた自分の毒、心の泥のようなものを直視するのですから「思い切り」は必要です。

でも、苦行のような辛さは、必要ありません。

まずは「受け容れる」と決めること。

そうすれば、おのずと歩み出す勇気が出てくるものです。

今、私の心は春のように朗らかで、夏のように燃えています。

「自分自身に正対する時間を持つ」葛藤してこそ人間犬、猫、馬、豚……。

すべての動物は、食べることの欲、寝ることの欲、子孫を残す欲、そういう動物本来の欲だけで生きています。

人間はそうであってはなりませんよね。

衣食住のみに生きるにあらず。

己の欲のままに生きることも、人間として自分を戒め、律していかねばなりません。

自分のエゴ、我を上手にコントロールし、社会に貢献して、社会から必要とされ、人と共に生きていく。

そうしたい、そうしようともがくのが人間だと思うのです。

我をコントロールする中で、自己矛盾を抱え、葛藤するのも人間であればこそ、恥を知り、人を敬う心は、動物にはないものです。

元来、人間は不完全な生き物です。

「生きる」ことは自分の内なる課題と闘うことであり、人は誰しも外部からの障害や摩擦と折り合いをつけて生きているのです。

投げ出したい、逃げ出したい、直面したくない。

それらのネガティブな要因をいかに受け止めていくか。

善行を積んでは「偽善ではなかったのか」と思い、他人の自己犠牲の姿を見ては「自分にはできない」と内省する。

求める自分と現在のあるがままの自分の差に苦しみながら、一歩一歩、「善いこと」を実践できる人間になっていく。

すんなり積める善行ではなく、葛藤しながら迷いながら少しずつ積んでいく。

実践してからも、さらにもっとできなかったか、なぜ思うようにいかなかったかを振り返り、自分と闘わなければ、人間らしい道とは言えないでしょう。

私たちの祖先もきっと、同じように葛藤してきたに違いありません。

他人の評価を気にせず行動に移したタスクフォースコンサルティングに入ったある企業でのことです。

創業から会社のために必死に頑張っていらした副社長は五十代。

彼を中心とした新しいプロジェクトに、有望な若手社員が集められていました。

彼らは、プロジェクトを遂行するタスクフォースと呼んでいました。

ある日のミーティングで、タスクフォースの一人であるAさんが、副社長に勇気をもって意見をぶつけました。

「その考え方はどうもおかしいです。

このままでは、プロジェクト自体がダメになってしまうと思います」顔を真っ赤にして訴える彼からは、プロジェクトに対する真剣な思い、この進言をするまでにたいへんな勇気が必要だったことが伝わってきました。

立場も年齢もはるかに上であり、強いリーダーシップを発揮している副社長に若手社員はどうしても遠慮してしまいます。

しかし、そんな状況はプロジェクトのためにも、会社のためにもならない。

そう私は日ごろから個々にコーチングしていました。

自分自身と対峙しようとするAさんの様子を見守っていたところ、副社長から信じられない言葉が飛び出してきたのです。

「おまえ、誰にものを言っているんだ。

調子に乗るんじゃない!」Aさんのせっかくの提言も空しく、ミーティングはお開きになりました。

それどころか、その後、副社長はAさんと目を合わせなくなりました。

さらに仕事を与えなくなるなど、関係が悪化していったのです。

私は副社長に、「誰にものを言っているんだとおっしゃいましたね。

副社長、あなたは誰なのでしょう?彼にとって何でしょうか?会社にとってどういう存在なのでしょうか?あらためて一緒に考えませんか」と、問いかけました。

しかし、強制力はありません。

この企業に出向くのは、月に二回。

本人の気づきと修正力に期待しつつ、さらに半月が経ちました。

私が心配していたのは、副社長よりもAさんのほうでした。

仕事に対する熱意を失っていないか、腐ってしまっていないか。

プロジェクトメンバーから抜けてしまっていてもおかしくはありません。

辞めてしまわないだろうか……。

しかし、その心配は杞憂に終わりました。

Aさんは変わらず、仕事を続けていました。

それどころか、プロジェクトが進むにつれ、全員の仕事が効率よく進むよう、ひとり残って準備をするようになっていました。

仕事の生産性や品質を上げるにはバックヤードの働きが必要不可欠です。

バックヤードが効率よくなるよう、夜遅くまで残って、翌朝の朝食当番がサービスに集中できるように器を用意しておいたり、さまざまな工夫をしていました。

朝、出社した人は準備ができているのでびっくり。

余裕をもってサービスに集中することができるようになりました。

Aさんは、陰ながら仲間のために動くことができる人となっていたのです。

自分の内面と向き合った結果でしょう。

まさに陰徳です。

さらに、驚いたことがありました。

「Aさんをリーダーに抜擢しようと思う」副社長がそう宣言したのです。

Aさんの陰ながらの働きを見ていたようで、それ以降、耳の痛い指摘にも高圧的な態度に出ることも少なくなりました。

二人の変化を目の当たりにした他のメンバー、特に若手社員が積極的に発言するようになり、プロジェクトは推進力を増していきました。

Aさんは、副社長を見返そうと思って行動したのではありません。

目をつけられて、思うように動きづらくはなったけれど、チーム全体のために自分にできることはないかを考えた末の行動でした。

強いリーダーシップや言葉ではなく、人知れず重ねた善行が、人を、チームを変えていく。

陰徳に秘められた力の大きさを見せられた出来事でした。

一燈を提げ、生徒たちを照らした恩師私の周囲の徳のある方は?この本を書くにあたり、改めて考えてみました。

お名前やお顔がたくさん浮かびましたが、今の私につながる大切な方を一人ご紹介します。

それは、私が小学六年生のときの担任の先生です。

当時の私は、真っ黒に日焼けした、どちらかというとお調子者で活発ないたずらっ子でした。

ある日の休み時間。

先生は、どういうわけか、教室の入り口をふさぐように、斜めにもたれかかっていました。

先生の後ろに、ちょうど私が通れそうなくらいの三角形の隙間ができていました。

「通れるかな」。

試したくなった私は何も言わずにそっと通り抜け、席に座りました。

クラスのみんなは先生の前を通って教室に入ったのです。

授業が始まると、先生が「皆さん、この中でとても礼儀正しい人がいます。

それは理枝子ちゃんです」と言われました。

私のことです。

「年上の人、目上の人の前を通るときは、会釈をするか、後ろを通るのが礼儀正しい人です。

理枝子ちゃんだけがそれをやりました」小さないたずらを、思いがけずほめられてしまったのです。

「そんなこと、考えてもいませんでした」と言い出す勇気はありませんでした。

そんな先生の勘違い。

でも褒められたことがきっかけで、礼儀とは、ほかにどんなことをしなければならないのかを、自分から調べるようになりました。

靴をそろえる、自分からあいさつをする、道をゆずる……。

今、不思議にもマナーや礼儀作法を教える仕事についている私は、もしかすると、その先生の勘違いから縁が生まれたのかもしれないと感じています。

残念ながらその先生は、私が高校生のとき、病気でお亡くなりになりました。

葬儀に参列させていただくと、先生の人望をあらわすように、教え子がたくさん集まっていました。

「妹は教師として早く亡くなってしまいましたが、皆さんのような生徒と知り合えて幸せだったと思います。

妹は、受け持った生徒たち一人ひとりの特徴をノートに書き連ねていました」先生のお姉様がそうおっしゃって、百冊以上のノートを出されました。

それを見たとき、「あぁ、先生はあのとき、本当は私のいたずらだとわかっていらっしゃったのでは」と思いました。

褒めることで、お調子者でいたずらっ子の私が良い方向へと変わるきっかけを与えてくださったのでは……。

涙が溢れました。

「何々しなさい」と押しつけるのではなく、生徒一人ひとりの良いところを見て、悪いところも受け容れ、寄り添い、自分で気づかせるような促しや配慮をしてくださっていたのでは、と思い当たりました。

今、私自身がCSコンサルタントとして人を育てることに携わるようになり、先生と同じように、クライアントに自ら気づいてもらえるようにはどう声を掛けたらよいか、促したらよいか、試行錯誤していることと重ね合わせると、「やはりそうだったのか」とあらためて気づきました。

先生が褒めてくださったことで、小学生だった私でさえも、自ら調べたり、探求する気持ちにさせてくれました。

先生は、教師として人間として、自分の使命を全うされた本当に徳のある方だったと実感しています。

まずは今の自分に集中することから変化の速い毎日。

あっという間にすぎていく時間。

「やらなきゃ」「こうしよう」。

そう思い描いていても、葛藤して前にも後ろにも進めない、答えが出せない。

そんな経験が、誰しもあるのではないでしょうか。

そんなときは、まず日常をありのまま「受け容れる」ことから始めてみましょう。

なぜ、そうすることが必要かというと、それが「人間力」につながるからです。

あなたがこれまで出会った人の中で「人間力が高いな」と思える人というと、どんな方でしょうか?いろんな答えがあると思います。

共通するのは、自分の善い部分、醜い部分、そして人や自分を取り巻く環境など。

すべてを包容できる器の大きさ、つまり「受け容れる力」ではないかと私は考えます。

人間力の高い人は、常に「感謝」を口にします。

なぜそうできるかといえば、自分が周りの人によって生かされているという現実を受け容れているからでしょう。

そうでなければ、感謝の心は生まれません。

人間力の高い人は、素直に他者を敬うことができます。

なぜそうできるかといえば、自分より相手のほうが優れていることを素直に受け容れるからでしょう。

そうでなければ尊敬の念を抱くことはできません。

人間力を高める基本は「受け容れる」ことにあるのです。

では何を「受け容れる」のか。

難しく考える必要はありません。

目の前に起きている事象です。

自分の人生そのものです。

特に、自分自身が今、何をしているのか、自分に集中してみましょう。

今、本を読んでいらっしゃいますよね。

文章を目で追っている。

本を手に持っている。

ページを右手でめくろうとしている……。

判断や解釈をいれず、今の自分の感覚に注意を向けるのです。

こうして説明しますと、特殊なことをやっているように思われるかもしれません。

シンプルに言えば「自分の心の中を静かに観察する」習慣であり、これは偉

人と呼ばれる人々が共通して行っていた習慣でもあります。

偉人の習慣は「早起き」「散歩」「瞑想」「日記」の四つといわれています。

例えば、早起きして散歩を楽しむ。

日本には美しい四季があります。

季節の草花を楽しみ、空を見上げて雲に話しかけてみるのもいいですね。

四つの習慣は、どれも静けさを楽しむ習慣です。

大自然と調和し、沈黙を楽しむことは心の波立ちを治めます。

大自然との対話が、自分自身との対話につながるのです。

「学ぶ」とは「真似ぶ」ことだと言われます。

何か新しい習慣を身につけるときは、まず真似てみるのが早道です。

とはいえ、最初から「早起き」も「散歩」も「瞑想」「日記」も、あれもこれも一度にやろうと欲張るのはおすすめしません。

人間の脳には、安全で心地よい「いつもどおり」を維持しようという傾向があると言われます。

一度に複数の習慣を始めようと張り切りすぎて「がんばったけど、できなかった」「私には無理なのかも」というネガティブ感情を貯めてしまうと、心が前を向けなくなります。

習慣は「クセづけ」がポイントです。

まずは一つに絞って始めてみましょう。

「そう来ましたか」で受け止める想定外のことが起きても、「そう来ましたか」と受け止める。

そうすることで動じなくなります。

困難を跳ね返す強さというより、竹のような〝しなやかさ〟といったほうが近いかもしれません。

雪が降り積もれば竹は重みでしなります。

しなるけれどもポキンとは折れず、雪が解ければまた、元の姿に戻る。

そんなイメージでしょうか。

家庭にしろ、ビジネスにしろ、自分の想定通りにいかないことや、経験したことのない事態に直面することは多々あります。

とりわけコロナ禍の影響で、従来の生活様式や働き方、コミュニケーションのあり方まで、大きく変化しました。

すべてに完璧に備えられたら理想ですが、そうもいきません。

人生はおもしろい。

自然の恩恵、人とのご縁、そして仕事との出会い。

困難や試練にぶつかったとき、うろたえるのではなく、「そう来ましたか!」と楽観的に現実を受け容れてみましょう。

「自分を磨くチャンスが巡ってきた」。

そう受け止めるのです。

〝悲観的に準備して楽観的に対処せよ〟と言われますが、私の場合は、まず楽観的に受け止め、それから悲観的に準備していくことが多いように思います。

困難は磨き草。

だからこそ、人間は磨かれる、のでしたね。

次の章では人間力を高める具体的な実践法をお伝えします。

 

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