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第4章 サイドストーリー―土屋、思考停止から抜け出す

──夏の暑い日 僕はパソコンの前で大きく伸びをした。先輩の葵さんに頼まれていた仕事が一段落したところだった。「土屋君、悪いんだけど、請求書発行業務の流れをフロー図に整理してもらえない?」。葵さんからの指示は割と単純だった。 請求書のフォーマットをそろえるだけでなく、請求書の発行業務そのものを再設計することになった。その前に、現状をきちんと押さえておきたい。そんな意図を説明してもらった。基本的には今やっている請求書発行の手順を営業から聞き、フローの形で整理していく仕事だ。 やっとできた。結構面倒くさかったな…。単純な仕事で面白みがない。話を聞いて、まとめるだけ。なぜこんなに、仕事はつまらないんだろうか。 そのうえ、なぜか定期的に怒られる。なんだか割に合わない。そんなことを頭の奥で考えながら、僕は隣で仕事をしている葵さんに声をかけた。「頼まれていた資料、できました。データを送っておきますね」「はーい、ありがとう。あとで見ておくね」。彼女はそう言うと、少し間を置いて、僕に目を向けた。大きな瞳を何度かパチパチさせると、今度は体ごと向き直る。「なんすか?」。思わず身構えてしまった。「つっち ーさ、この資料をつくってみてどうだった?」。出し抜けに、よく分からない質問が飛んでくる。またか…。心の中で小さくつぶやく。最近、この手の問いかけがやたら多くなった。「特に何も。つくるのは大変でしたけど」「ふーん…。他には?」「いや、別に」。資料をつくって提出する。ただそれだけの仕事なのに、葵さんは僕に何を聞きたいのだろうか?「うーんとね…。資料をつくってみて、疑問とか質問とか、ここをチェックしてほしいとか、なんでもいいんだけど、そういうのなかった?」「いや…、ないっすね」「そっか ー。この資料をベースにして、将来の業務をつくるわけじゃない?」。それは聞いた。でも、だからなんだっていうのだろう? 資料はそろっていると思うんだけど。「そうでしたね」と、適当に相づちを打つ。「そういう観点で今の業務を見たとき、ここは効率が悪いなとか、ここは変えたほうが良さそうだとか、そういうのはなかったの?」。 そう言われて少し考えてみるが、何か釈然としない。「うーん、ないことはないですけど。でも、請求書の発行業務が整理できればいいわけですよね? 僕が何か考えたかどうかなんて、関係ない気がしますけど」。僕は少しムッとして応えた。。 彼女は視線を外し、しばらく遠くを見てから、もう一度僕のほうに向き直り、唐突に言った。 「…つっち ーさ、仕事、楽しい?」「えっ? いや…、なんですか、いきなり」。まったく、何を言い出すんだ。仕事は仕事だろう。「楽しいっていうか、やらなくちゃいけないことですから」 だがそう言った瞬間、僕は突然、三年前の出来事を思い出した。新人のころ、同期入社の大路と昼ご飯を食べていたときのことだ。さっきの葵さんと同じように、僕は大路に「仕事は楽しいか?」と聞かれたのだ。 一気に当時の記憶がよみがえってくる。あのときは「サラリーマンなんだから、目の前の仕事をこなすだけでしょ」と返したはずだ。「仕事が楽しいわけないですが、指示されたことはしっかりやっています。それのどこが悪いんですか?」「いや、悪いってわけじゃないよ。なんていうかな…」。葵さんは僕に伝えたいことがあるようだが、どうにも言葉になっていない。 一瞬の沈黙を破るように、背後から明るい声がした。「なになに? 二人して深刻な顔しちゃって?」。振り返ると、片澤課長と大路が立っていた。「げっ、片澤さん」。夫の急な登場に、葵さんが顔を引きつらせている。片澤課長はそれを見て笑った。「なんだよ、『げっ』って。社内で会うこともあるでしょ。それで、何の話してんの?」 葵さんがこれまでのやり取りを片澤課長に説明すると、隣で大路が大きくうなずいた。「つっち ーがどうかは知らないけど、僕は仕事楽しいよ」「まじで?」。思わず声が上ずってしまった。仕事が楽しい? なんで? プライベートで面白いことがないのか?。僕はまじまじと、大路を見つめた。「どうせやるなら、楽しいほうが良くない? 確かに指示されたことをきっちりやるのは大事だけど、それだと作業ロボットになっちゃうよ」「作業ロボット…」。それは僕も嫌だ。「僕は以前、作業ロボットだったけどさ、でもいつからかなあ、自分なりに考えられるようになった気がするんだよね。そのときから『作業をやらされている』んじゃなくて、『自分で仕事を進めている』感覚を持てるようになった気がする。やっている仕事は同じなんだけど、そこに自分の思いや考えが乗ると、見える景色が変わってくるっていうか。こういうのを手応えっていうのかな」「そう! 私がつっち ーに言いたかったのは、そういう話よ!」。葵さんが目を見開く。「後輩に言語化を頼るなよ」と片澤課長。「伝わればいいの! 私の指示をこなすだけの作業ロボットになっちゃっていいの? そこにあなたの思いはないの?って、そう感じていたの」 自分の思い? 頭が少し揺れた気がした。「言っていることは…、なんとなく分かる気がします。仕事は楽しいほうがいいですし。でも自分は、目の前の仕事をこなすだけで手いっぱいで…。そこまで頭が回らないんですよ」。ウソではなかった。 目の前の仕事をこなすのだって、簡単じゃない。ミスもする。そのうえ自分なりに考えろって言われても。 また沈黙が流れる。破ったのは片澤課長だ。「そんなに難しく考える必要はないんじゃないか? ちょっとした問いを持っておくだけでいいんだよ。この業務を自分がやるとしたら、どこが非効率だと感じるか? 自分だったらどこを変えたいと思うか? 請求書が標準化されたらどのくらい良くなりそうか? こんな問いを持っておけば、一瞬でも考えるチャンスが生まれるんじゃないかな?」 片澤課長が言いたいことは、分からなくはない。だけどそれだって、余計な作業になるじゃないか。そんな余裕は自分にはない気がしてしまう。そう思ったとき、大路が全く逆のことを言い出した。「あ、僕は今の話をそのままやっていますよ。毎回やっていたら大変かなって思ったこともあるんですが、考えるのって一瞬なんですよね。資料をつくりながら、少し考えればいいだけだよ」。大路は同期の中でも優秀と評判だった。平凡な自分とはできが違う。「それは大路が切れ者だからできるんだろ? 俺には無理だ」。思わず、そうつぶやいてしまった。「いや、そんなことないよ。僕も最初は能力の問題かなって思ったんだけど、やってみると意外と難しくない。習慣っていうか、癖の問題だよね。考えるため

の問いを持っているかどうかって」 また頭が揺れる。問いを持つ? そういえば、葵さんにも問いを持って本を読めって言われたな。僕は無意識のうちに、こめかみをさすっていた。「問いを持っておけっていうのは、まあ分かるけど。でもそれで仕事が楽しくはならないでしょ? 関係ない話じゃんか」「いや、関係あるんだって!」。大路がしつこく食い下がる。「試しにさ、問いを持って考える努力をしてみたんだよ。ものは試しだと思ってね。そしたら自然に、『これやりたいな』とか、『これはもう少し調べないと』っていう気持ちが生まれてきて…、そういうのが仕事をするモチベーションになっている気がする」 大路の熱弁が遠くから聞こえてくる。僕は学生時代の部活を思い出していた。弱小野球部だけど、楽しかった。勝ちたかったし、うまくなりたかった。 だから自然と「どうすればうまくなるか?」「どんな練習が効果的か?」と考えて、自分で練習メニューを組んだり、チームに提案したりしていた。あのときはあんなに楽しかったのに、なぜ部活と仕事はこんなにも違うのか。 仕事は言われたことだけをやっている。部活のように、自分で考えて行動していないから楽しくないのか?。そんな考えがよぎった。部活のときだって、正解があったわけじゃない。でも自分なりに考えて工夫した。もし言われたことだけをする部活ロボットになっていたら、部活は楽しかっただろうか? 改めて大路を見て、僕は思わずつぶやいた。「その話はなんとかピンと来た」。問いを持って、自分で考える。正解じゃなくてもいい。頭の中でそんな言葉が響く。 頭を抱える僕を見て、片澤課長が笑った。「よく分かんないけど、なんか響いたみたいで、よかったな。自分で考えて仕事をしないと、指示をこなすだけのロボットになっちゃうぞ」。そう言って、片澤課長はロボットのような動きをしてみせる。「そういえば以前、土屋とご飯を食べたとき、土屋が羊に見えたんですよ」。大路がニヤリとした。「上司に『そこで草食っとけ』と指示されて、なんの疑問も持たずに草を食べる羊。メーって言いながらさ」。大路がこらえきれず笑っている。「お前、そんなことを思っていたのか!」。そう言いながら、僕は自分が羊になっている姿を想像して、一緒に笑ってしまった。葵の日記 今日の土屋君は、かなり面白かったなあ。本人は至って真面目なんだろうけど。とにかく、少しは考えられる男になるといいんだけどな。 それにしても…。会社では「間違いなくやれ」「先輩の指示をきちんと守れ」とはよく言われるけど、「考えて仕事をしろ」と言われることは少ないのかもしれない。 言われたとしても、「考えながら仕事をするって、どういうことなの?」と思ってしまう。誰もやり方を教えてくれないから。「事前に問いを立てて、問いに対する自分なりの答えを探す」と具体的に言われることはまずないな。でも逆に、ここまで具体的に考え方を癖づけできれば、土屋君だってデキる男になるんじゃないかな? そう考えるとデキる人は、常に考えている気がする。お父さんも片澤さんも、言われたことだけを黙々とこなしているとは到底思えない。色々な問いを思い浮かべて、自分なりに思考しながら仕事をしているんだろうな。「問いの質が思考の質を決める」って、お父さんが言っていたけど、なんか分かった気がする! 思考って、深いなあ。

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