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第1話おせっかいなオバチャン

まえがき

主人公は、挫折感に打ちひしがれて帰郷し、仕方なく実家のコンビニで働くことになった大沢ユカリ。

ところが、いきなり、そのコンビニが倒産の危機に!「立て直してやる!」と意気込んではみたものの、売上は急降下。

そこへ、ふらりと現れた「謎のオバチャン」……。いったい何者?サボってばかりいるし、動きがのろいし、マニュアルを守らない。ユカリは、オバチャンを辞めさせようとしますが……。

本書は接客や営業にかかわらず、働くすべての人が「元気になる」ストーリーです。

「ほろっ」として、「ジーン」ときて「ほっこり」する1冊です。

本書を、「人から好かれたいあなた」「仕事に喜びを見出したいあなた」、そして、ズバリ!「お金儲けをしたいあなた」に捧げます。

著者

第4話天使の分け前

カサ泥棒「カサをお貸ししますから」マニュアルにないことだけど……気づいたら走る!マニュアルを超えよお客さんが手伝ってくれた家庭のゴミも、どうぞお持ちくださいいつものお客さんが来なくなった

家庭ゴミを受け入れるコンビニ売る人は、買う人でもある人間の目は、内を見ることができにくい「業者」を「業者」扱いしない心のバリアフリー売上を伸ばすオバチャン三方よし+ライバルよし買わない人も「お客様」

第5話消えたオバチャン

アイデアを出せ!おしぼりを出すコンビニあと1%の努力、あと1%のおせっかい「こりゃいかん」敵情視察コンビニの女神様エピローグ──「女神様からの手紙」「気づき」のキーワードと解説あとがき

 

プロローグ──

目次

「スーパーバイザー」

スピードを緩めて、ウィンカーを左に出した瞬間だった。「む?なんだ、なんだ~」フロントガラスの向こうを、なにやら黒い物体がスイ~ッと横切った。

思わずハンドルを抱えて前のめりになり、車の外を見やった。もう一度、黒い物体が、今度は左から右へ飛んでいった。

「ああ~、ツバメか!」最近、都会にツバメが来なくなっているという。これも地球温暖化のせいか、それとも……。何度も、地上スレスレのところを行ったり来たりしている。

今朝のテレビの気象情報では、「ツバメが低いところを飛ぶと雨が降る」ということわざを紹介していた。

カラスやハト、スズメとは違い、なんだかその姿を見るだけでうれしくなる。姿形がスマートだからか。それとも、春になるとやってくる渡り鳥だからだろうか。

「どこに巣があるのかな?」胸の中を、ふと嫌な思いがよぎった瞬間、左胸ポケットのケータイが鳴った。

チャンチャカチャカチャカ、チャンチャン!チャンチャカチャカチャカ……「笑点」のテーマ曲だった。

ちょうど着いた、目的地のコンビニの駐車場に車を停め、ケータイを手にした。

「ハイサイ!キヨシ~!」ハイテンションのうかれた声に、思わずケータイから耳を遠ざけてしまった。今、「キヨシ~」と呼ばれたのは、篠山清志、28歳独身。

全国展開をしているコンビニチェーン、エンジェルマートのスーパーバイザーだ。スーパーバイザーとは、一口でいうと「商品の仕入れ判断をする担当者」のこと。

コンビニ本部の社員で、フランチャイズ店を巡回しては、品揃え、発注時期を指導するほか、「売れる方法」をオーナーに教えている。

それだけではない。アルバイトの研修やキャンペーンの相談、陳列の仕方のレクチャーなど仕事は多岐にわたる。

各コンビニ店の生き残りは、スーパーバイザーの能力に左右されるといっても過言ではない。「ハイサイってのは、コンニチハって意味よ」「知ってるよ、それくらい。

なんだよ、朝から明るくていいなぁ、お前は」電話の主は、清志の会社の同期で、同じくスーパーバイザーをしている田沼雄一郎だった。

「メンソーレ!」「違うだろ、それは。なんだか調子が良さそうだな、そっちは」田沼は、2か月前に沖縄へ転勤していた。

「お前はどうなんだよ」電話の向こうからは、往年の女性フォークシンガーが歌ってヒットした沖縄ソングがかすかに流れてきた。

「聞いて驚くなよ。『辛太郎』の売上、沖縄エリアが全国1位を取ったんだぜ!」「え?ウソだろう」

『辛太郎』とは、エンジェルマートが店頭販売しているファストフードのから揚げの商品名のことだ。

正式には『ピリリから揚げ辛太郎』という。「なんでだよ、なにか特別なことやってんのか?教えろよ」「いや、別になにも。沖縄ってな、元々、から揚げが好きなんだよ」「うらやましいよ。俺の担当地区なんて、ワースト3だぜ。来週の全店会議が怖いよ」

全国に散らばるスーパーバイザー250名が震え上がる会議が、月に一度、東京の本社で行われる。

成績の悪い担当者は、その場で叱責される。「まあ、頑張れ!キヨシ!」プツッ。勝手に電話をかけてきて、勝手に切った。自慢したかったに違いない。

問題てんこ盛りの店

清志は、これから乗り込もうとしている京南大学前店のことを考えると、なおさら憂鬱になった。これがまた、問題てんこ盛りの店なのだ。

オーナーの大沢豊は51歳。1年前までは地区のJAに勤めて保険の仕事をしていた。どこにでもいるごくごく真面目なサラリーマンだった。

その実家というのが、4代も続く老舗の酒屋。父親の大沢泰造は、いわゆる町の顔役で、神社の氏子総代や民生委員を長い間務めていた。

口には出さなかったが、「酒屋を継いでほしい」というのが本音だっただろう。でも、豊はサラリーマンになった。

「すぐにではなくても、いつか継げばいい」と思っていたようだ。実際に、休日には配達の手伝いもしていた。やがて結婚し、女の子が生まれた。家庭を持てば、人は守りに入る。

父・泰造が歳をとってあちこちに身体の痛みを訴えるのを見るたび、豊の「そろそろ」という気持ちは強くなった。

ところが、である。豊の妻の常代は、商売とはまったく縁遠い育ちだった。両親は、ともに音楽家だった。義父はバイオリン、義母はピアノ。

ともに、私立の芸大で教鞭を執っている家庭で、いわゆる、「お嬢さん」なのだ。

豊が40歳になったとき、初めて、「おやじの酒屋を継ごうと思っているんだけど……」と言うと、常代は金切り声をあげて錯乱した。

それほど酒屋という商売を嫌っているとは思わず、豊は驚いた。そして、「後を継ぐ」ということを心の中に封印した。

豊が50歳のとき、77歳で喜寿のお祝いをしたばかりの泰造が、ぎっくり腰になった。以前にも何度かなったことがあるが、今回は重症だった。豊は、仕事を休んで配達に回った。

「もうここまでだな」と思い、父親に「あとは、俺がやるよ」と言った。布団の上でしわくちゃの顔をして無言で笑ったのを見て、豊はうれしかった。

問題は、妻の常代だった。商売を毛嫌いしている。理屈ではないらしい。酒屋のおかみさんと呼ばれることに耐えられないという。

「お前は、今まで通りに家にいて主婦をしていればいいよ」と言った。豊夫婦は、店の裏手の別棟に住んでいる。ほとんど同居といってもいい距離だ。

人はきっと「酒屋のおかみさん」と言うに違いないから嫌だという。そんなもめ事が続いたある日のことだった。エンジェルマートの本部の人間が店に訪ねてきた。

今まで、何度も何度も「コンビニの加盟店にならないか」と勧誘されていた。

「お酒も売れるわけですし……」という本部の開発担当者に、泰造は、「そんなもん、酒屋じゃねぇ」と言って門前払いしてきたのだ。

その様子をたまたま見た常代が、こう口にした。

「いいわね、エンジェルマート。ピアニストの大谷耕作がCMに出てるところでしょ」その一言で決まった。

泰造も、コンビニ化を勧める本部の人間を追い返しはしていても、今の「酒屋」という形態が限界であることをわかっていた。

同業者たちは、廃業するか、コンビニになるかの二者択一を迫られ、酒屋を続けている者はほとんど残ってはいなかった。

心の中は、不安でいっぱいだったのだ。豊が膝を正して泰造を説得すると、思うよりあっさり「お前に任せるよ」と言ってくれた。

そして、コンビニチェーン・エンジェルマートに加盟することで後を継ぐことにしたのだった。それが、今からちょうど1年前のことだ。

新規開発本部の人間と一緒に、スーパーバイザーとして、清志が店の立ち上げから関わった。清志は、売上と経費の見積りを綿密に作って臨んだ。

しかし、これには大きな誤算があった。コンビニ経営の成功の秘訣の一つは、いかに人件費を抑えられるかだ。

それには、夫婦や子供など、家族で24時間働くことが基本になる。豊の妻、常代は、そんなことを知るよしもない。

夫が、誰もが知る大手コンビニチェーンのオーナーになるという、その肩書だけしかイメージできていなかった。

近所の人に訊かれると、うれしそうに、「うち、エンジェルマートになるのよ。どうぞよろしくね」と挨拶するようになった。

しかし、いざ店がオープンしても、常代は挨拶の他にはなにもしなかった。

「コンビニをやる」ということは、妻もレジに立つというのが当たり前。その当たり前が、常代にとっては当たり前ではなかった。清志は、オープンぎりぎりまで豊に言った。

「いいですか。奥さんを説得してくださいよ。家族に貴重な働き手がいるというのに、なんでバイトを3人も4人も余分に雇わなくちゃならないんですか」豊は、その話になるたびに黙り込んだ。

「私が頑張りますから……」と繰り返した。父親と妻の間で苦しんでいたのだろう。そして、オープン。最初のうちは、清志の予測を大きく上回る売上だった。

「これなら、あんなに口うるさく言わなくてもよかったかな」と思った。清志が担当するエリアの優等生。順風満帆の船出だった。なにより立地がいい。

「京南大学前店」の名前の通り、大学の正門近くにある。学内にも他社のコンビニが入ってはいるが、教職員も含めて3000人の需要は大きい。

その上、国道につながるバイパス沿いにあるため、トラックや営業車両のドライバーも利用してくれる。

それを見越して、元々あった酒の倉庫を取り壊して3台の大型車両専用の駐車スペースも設けた。

すぐそこに廃業の危機

それが……。オープンして半年後のことだった。突如、ある日を境にして売上が激減。3分の2近くにまで落ち込んだ。原因は明らかだった。

この店からバイパス沿いにほんの200メートル下ったところに、新しいコンビニができたのだ。ライバルチェーンのアットホームだ。

後発ながら、優れた商品力と話題作りが上手いことで知られている。人気ホテルのシェフがプロデュースした洋風弁当。テレビアニメのキャラクターとのコラボ。話題の映画が公開されるたびにタイアップする。

その他、積極的に食品メーカーに提案して、新商品の開発にもあたっている。最初は仕方ないと思っていた。お客さんも日が経てば戻ってくるだろうと。

しかし、月を追うごとにエンジェルマートの売上は落ちていった。3か月後には、損益分岐点を割り赤字に転落。

翌月には、エンジェルマート本部へのロイヤリティどころか、買掛金の支払いがショートした。店舗を作るときに、預金をすべて取り崩し、それでも足りなくて銀行からの借入れで補った。

その背水の陣の資金繰りが裏目に出たのだ。清志は、ぼやきながら車のドアを開けた。「早めにスクラップを言い渡さなきゃいけないな」スクラップ。つまり廃業。

「傷口が広がらないうちに……その方がお互いのためだからな」清志が、入口に向かって歩き出すと、中からオーナー店長の大沢豊が飛び出してくるのが見えた。

その後ろから、もう1人ユニフォームを来た若い女性が追いかけてくる。豊の娘のユカリだった。

「うわぁ~、あの娘も一緒かあ」清志には相性が合わないというか、苦手なタイプだった。はっきりいって美人だった。切れ長の瞳に、瞬きをするとバシバシッと音が聞こえそうなほどの長い長~いまつ毛。

おそらく、オープンカフェに1人で座っていたら、何人もの男たちに声をかけられるに違いない。でもでも、生意気といったらありゃしない。

アメリカのナントカというビジネススクールのMBAコースへ通ったという。清志は、某二流私立大卒だ。それはまあいい。

「お手並み拝見」と見物していたが、なんの効果も出ていない。問題は、身長が157センチの清志よりも10センチ以上高いことだった。

いつも上から見下ろして、ものを言う。「売上が落ちたのは、本部の責任よ!」と。その顔をチラッと見たとたん、たじろいで立ち止まってしまった。そのときだった。清志の視界に「見てはならないもの」が入った。

「おいおい、なんてこった!」この店は、次から次へと問題が起こる。清志は、空を見上げて、大きくため息をついた。

 

 

第1話おせっかいなオバチャン

ツバメが来ちゃった

副店長の大沢ユカリは、ブチ切れた。

「ちょっと~!何度言ったらわかるのよ、水野さん!」お客さんの途切れた一瞬の隙を見て、アルバイトの背の低い小太りのオバチャンに向かって言った。

「はいはい、ごめんなさいね~」「ちゃんとマニュアルを守ってくださいよね」「どうも歳を取るとね、ついつい物忘れが激しくって」ユカリは、つい口に出そうになったのを堪えて、心の中で呟いた。

(う~ん、もう。そんなに物忘れが激しいなら、こんなところで働かなくてもいいじゃない)こっちは怒っているのに、平然としてニコニコ笑っている。時間の刻み方が違うのだろうか。ユカリが1秒でできることに、オバチャンは10秒くらいかかっているように感じられる。

動きが緩慢なだけではない。返事ものろい。「はいはい」という返事さえも、スローモーションに聞こえた。

幼い頃に再放送で見たテレビアニメの『まんが日本昔ばなし』のナレーションのようだった。

仕方なくコンビニを手伝う

ユカリは、ついこの前まで、全国展開をする大手スーパーに勤めていた。本社採用の総合職として。誰もが知る一流私立大学を卒業し、アメリカへ渡った。語学学校へ半年通った後、ビジネススクールへ入学。あまり有名な学校ではなかったが、一応、MBAコースを修得した。

そこで学んだマーケティング知識を活かしたくて、あちこちの流通業の採用試験を受けた。そのうちの一社の面接で、こう言われた。

「もし、うちへ来てもらったら、あなたの専門知識を活かして本部の商品開発をやってもらおうかな」「はい!」と即答した。

ところが、採用されて、いざ配属となったのは人口8万の地方都市にある小型店舗だった。そこで、レジの仕事を命じられた。どの会社でも新人は現場研修がある。

ユカリは、「なんでも勉強」という気持ちでレジ打ちに勤しんだ。そして、3か月。店長から次に命じられたのが、鮮魚や惣菜の調理の仕事だった。

「これも勉強……」と思って我慢したが、いつまで経っても仕入れや販売促進・広告の仕事をやらせてもらえない。

店長に話をすると、「あんた、何様のつもり?新人でしょ」と言われた。アルバイトから正社員になったという叩き上げの女性だ。返す言葉もなかった。

きっと本部から声がかかるに違いないと、じっと待つ。

だが1年半経っても、なんの音沙汰もない。

思い切って、採用のときに「本部の商品開発をやってもらおうかな」と言ってくれた人事担当者に電話を入れた。

「あのう……大沢ユカリです。一昨年、採用していただいた」「ああ、ああ、キミか。覚えてるよ。たしかMBA持ってる」「あっ、ハイ!」(覚えていてくれた!)そう思うと、急に心の中のもやもやが晴れた。

「元気かい?」「はい」「今、どこにいるんだっけ」その一言で、ユカリは立ち眩みがした。ジェットコースターに乗っているような気分だ。ずばり訊いた。

「いつ本部の商品開発へ行かせてもらえるんでしょう」「え?」「え?って……。だってあのとき、商品開発へ配属していただけるって」「……そう言ったかな……言ったかもしれないけど」「……」「ああ、まあ将来の話だよね、それは」「将来って」「10年とか、15年とか現場を踏んでね」ユカリには、15年という言葉が、まるで「永遠」であるかのように聞こえた。

ここで言っておかないと一生後悔すると思った。

「同期の丸山君は、1年目から商品開発部だし、後輩の米村さんだって、広告宣伝に配属されてるじゃないですか」「困ったなぁ」「私だって、困るんです。スーパーでお刺身を作るために就職したんじゃないんです」「うちはそのスーパーなんだけどね」「……」

「人事のことに口を出されてもなあ。大沢さん、人間コツコツだよ。きっと、キミのことを認めてくれる人がいるから、頑張りなさい」「そんなぁ~、約束が違います……」「約束なんてしてないよ。じゃあね、期待してるよ」一方的に電話を切られた。

ユカリの不満は頂点に達し、翌日、辞表を書いた。すぐに再就職の活動を始めたが、どこも一次面接にさえ至らなかった。

わずか1年半で、それもなんの実績もなく大手スーパーを辞めたことが、足を引っ張った。無職になった。MBAまで取った自分が、なんの仕事にも就けないということに茫然とした。

そこへ、父親の豊から電話が入った。オープンしたばかりのコンビニで、どうしても人手が足りないという。収入もなく、アパートの家賃さえ支払えなくなっていた。

他に選択肢もなく、「仕方なく」家に帰ってきた。父親の、「ブラブラしているくらいなら、うちで働けよ」という言葉にはカチンときた。

しかし、背に腹は代えられない。就活をしながら、「ちょっと手伝ってやる」つもりでエンジェルマートのユニフォームを着た。

せめてもと副店長の肩書をもらい、実家のコンビニで働き始めたのだった。ところが……。勤めて3日も経たないうちに、たいへんなことが判明した。

ついこの前まで「調子がいい」と言っていたコンビニが火の車になっていたのだ。オープンからわずか半年で。原因は明らかだった。

すぐ近所にライバルのコンビニ・アットホームができたためだった。アットホームの商品開発力は、業界でも有名である。さらに低価格。おかしいと思った。目の前は大学だ。人手なら、ちょっと時給を上げれば集まるはず。

それをユカリに助けを求めてくるなんて。人件費をかけないで、どうしたらやっていけるのか。要するに、その答えが「家族をただ働きさせる」ということだった。

それでもユカリは、「こんな小さなお店一つ、片手間で立て直してみせるわ」と、安易な気持ちで臨んでいた。

エビス顔のオバチャンを辞めさせて!

「い~い?水野さん。もう一度言うからちゃんと聞いてちょうだいね!」「はいはい」本当なら、「『はい』は1回にして!」と言い返したいところだが、このアルバイトのオバチャンは、なにを言ってもニコニコしていて、まるで壁にものを言っているかのようなのだ。

履歴書によれば、67歳だという。ヘルメットに似たおかっぱスタイル。身長150センチ。まるで、タイを抱えた縁起物の七福神の置物のエビスさんのよう。ビールのラベルの顔にそっくりだった。もっとも男女の違いはあるが……。

「お客様が入っていらっしゃったら、それに気がついた人が速攻で『いらっしゃいませ』って言うのよ。

それを聞いた店内の他のスタッフが、またまた速攻で『いらっしゃいませ』って続けるの。い~い?そこで、間髪いれちゃダメ。挨拶もスピードよ、スピード」「なぜですか」「それがマニュアルだからよ!そんなこと訊かなくてもいいの」店に活気を持たせるためだ。

明るい店には入りやすい。24時間、煌々と灯りが点っている店には入りやすいのと同じ理屈である。そして、「いらっしゃいませ」と言われて嫌な気分の人はいない。

反対に、なにも言われないと、「歓迎されていないな」と思ってしまう。全国のどのコンビニでも、店に入るなり「いらっしゃいませ!」と連呼される。それが当たり前になった。

すると人は、当たり前のことを言わない店があると、違和感を覚える。ユカリは、それが一番怖かった。

「はいはい、わかりました」オバチャンは、口では「わかりました」と言うものの、なにやら足踏みをして落ち着かない様子だ。

「いいですか?それからね」「はいはい」「新商品の『ピリリから揚げ辛太郎』の売上増加キャンペーン中なのよ。レジに来たお客様には、必ず『辛太郎もいかがですか』って勧めるのよ、い~い?わかった?」「全員に言うんですか?」「そうよ、全員!!いちいち訊き返さなくてもいいの!」「はいはい。わかりましたよ。ちょっとトイレに行ってくるわね、ごめんなさい。レジお願いね」「あっ、ちょっと……まだ話が」

ユカリが止める間もなく、トイレへ駆け込んでいった。

(普段はトロトロしてるのに、こういうときだけ逃げ足が速いんだから)ちょうどそこへやってきた店長でもある父親に文句を言う。

「お父さん、なんであんなお婆さんを雇ったのよ」「おいおい、ユカリ、お婆さんはないだろう。怒られるぞ」「67歳なんて立派なお婆さんよ」「仕方なかったんだ。

急にアルバイトが2人も辞めてな。シフトが組めない。そこへ求人誌を見たって、フラッとやってきたんだ。

私も『こんなオバチャンじゃダメだ』って思ったんだけどな。前にもエンジェルの他の店で働いてたことがあるって言うじゃないか。

それでレジ対応のテストをしてみたら、案外テキパキしてるんだよ。もっとも履歴書をよく見てなくてな。後で67歳だと知ってびっくりしちゃったよ」それはユカリも認めるところだった。

いくら教育しても、マニュアルを守らないし、動作はのろい。でも、なぜかレジの操作だけは速いのだ。ユカリのいる京南大学前店では一番のスピードかもしれない。

「できるだけ早く辞めさせてよね」「ああ……でも時給が安くてもいいって言うし……やりくりがたいへんで」「なによ!本音はそれなの?」「それよりなぁ、ユカリ。お父さん、心配でな……」「心配って、なにが?」「ツバメのことだよ」「ああ……」

「ツバメの巣を取り除く」マニュアル

京南大学前店の軒先に、ツバメが巣を作ってしまったのだった。エンジェルマートのマニュアルでは、ツバメが巣を作ったら追い払わなければならない。コンビニは、食料品を扱う。おでんやアメリカンドッグ、から揚げなどのファストフードも売っている。厳しい衛生管理が求められるのだ。

「もしも……」のことがあったとき、責任を取らなくてはならない。実は、豊が酒屋をコンビニに替えるとき、父親の泰造から聞かされていた。それは、新聞の投書欄で見かけた記事のことだった。

タイトルは、「ツバメの巣を壊さないで」ある町のコンビニの軒先に、ツバメが巣を作った。

ところが、本部の指示で、店長がツバメの巣を取り払ってしまった。自然保護やエコロジーが叫ばれる昨今、これはおかしいのではないかという意見だった。泰造も憤りを感じた。

ツバメは、昔から商家では「福を招く」縁起のよい鳥とされている。今でも、ツバメが店の中に巣を作ると、夜でもシャッターを下ろさずに開けっ放しにしておく個人商店も珍しくない。

泰造の酒屋にも、毎年、ツバメがやってきていた。「かわいそうだけど、ツバメにはもう巣を作らせるなよ」泰造からそう厳命されていた。巣を作りそうになったら、「追い払え」と言うのだ。

それが……いつの間にか。

入口の脇の軒下に、ツバメが巣を見事に完成させていた。それを見つけたのが、つい昨日の夕方だった。泰造からは、口酸っぱく言われていた。

「店の周りをよく掃除しろよ」豊は、昔から片付けのできない子供だった。毎日、きちんとコンビニの周囲を掃除する。そうすれば、ツバメが巣を作りそうになったらわかる。

毎年やってくるツバメは、きっとコンビニになってしまったら戸惑うだろう。それでも、同じ場所だからと巣を作るかもしれない。巣を作りそうになったら、その前に追い払えばいい。

「どこか他で作ってくれれば」というのが泰造の願いだったのだが……。

「だから言ったろ!俺はコンビニなんかにするのは反対だったんだ」頑固ではあるが、めったに怒ったことのない温厚な泰造が声を荒らげた。

ユカリも話を聞いて、脚立を持ってきて巣の中を覗いてみる。まだ、卵は産んでいないようだ。泰造は黙ってとぼとぼと裏の離れ家へ戻っていった。

「おじいちゃん……」ユカリは、その後ろ姿がなんとも悲しげに見えた。

「お父さん、私も悪かったわ。掃除するとき、気がつかなかったもの」「問題は、篠山さんだ」「そうか、今日は、スーパーバイザーが来る日だ」「どうしよう、見つかったら……」「見つからないようにしましょう」「そんなこと言っても、入口のすぐ近くにあるのに……」ドアから2メートルも離れていない。

「い~い?お父さん。篠山さんの車が見えたら、すぐに飛んでいって、中に連れ込むのよ」「あ、ああ……」豊は頭を抱えた。

そのとき、コンビニの駐車場に、天使の格好をした女の子のトレードマークを描いたミニワゴン車が滑り込んできた。

スーパーバイザーの篠山の車だ。オーナーの大沢豊が外へ飛び出した。その後ろを、ユカリが追いかけた。

「おはようございます!ユカリさんもご一緒ですか」「おはようございます」篠山は、入口のドア近くまで来ると、軒先を見上げて言った。

「かわいいですねぇ」「あ……はい、いいえ、なんのことでしょう」「ほら、あんなところにツバメの巣が」篠山が指差す。

「え?気がつかなかったんですか」「いいや、はい。……いえ」豊はしどろもどろだ。ユカリは、開き直って言った。

「仕方がないでしょ、作っちゃったんだから」「すぐに取り除いてくださいね」ユカリは、「本当に嫌なヤツだな」と思った。

天然なのか、それともパーマなのか。巻き髪の頭に整髪料のにおいをプンプンさせている。背が低いので、いつも下から、グイッとユカリを見上げる。

なにかケチをつけたそうな眼で。「なんとかならないんですか?」ユカリがグッと堪えて懇願してみた。

「いつもマニュアル第一っていうのが、あなたの売りでしょ。気が合うなぁ~って思ってたんですよね。アメリカのMBAさんと同じ意見でうれしいんですよ、私は」

甲高い声で、くちびるを尖らせて言う。(なんて嫌味なヤツだ)しかし、ユカリとしては、「マニュアル」と言われると弱い。

「マニュアルをちゃんとやる」が、自分の口癖なのだ。世の中の小売店経営者の中には、「マニュアル」をバカにする者がいる。そんな決まりきったサービスで、お客様が喜ぶのかと。その象徴的、伝説的なエピソードがある。

ハンバーガーショップでの話だ。

1人で来たお客さんが、レジで、「ハンバーガー30個ください」と注文した。すると、店員はニコニコ笑って、「こちらでお召し上がりになりますか?それとも……」と答えた。

「バカヤロー!30個も1人で食えるわけがないだろう~」という笑い話だ。それでもユカリは、「マニュアル」が一番だと信じている。

「マニュアルなんて」と口にする店に限って、そのマニュアルさえも、きちんとできていないものなのだ。まず「マニュアル」ありき。

フランチャイズの店は、それさえしっかりしていたら売上は付いてくる。

「さあ、早くしてください」「え?今からですか」「すぐにです」「……」「あなたのモットーをこの前教えていただいたばかりです。

『スピード!スピード!』。

スゴイなぁ~って感心したんですよ。やっぱりMBAは違うなぁって」「こんなとこで関係ないでしょ、MBAは!」「そりゃ失礼しました」またまた篠山は、くちびるを尖らせ、両手を腰にあてて見上げて言った。

人に物事を指示するときに、彼はキザッぽい表情になる。それがユカリにはことさら嫌味に思えた。スピード。たしかに、ユカリの考えるコンビニ経営のモットーだ。

「1にスピード、2にスピード、3、4がマニュアル、5にスピード」ユカリは、いつも「コンビニとはなにか?」を考えていた。

言わずと知れた英語のコンビニエンスストアの略である。つまり「便利」。なぜ便利かといえば、家や職場の近くにあるからだ。なぜ、近くにあると便利なのか。誰でもわかることだ。すぐに手に入るからだ。ということは……。

お客様がコンビニになにを求めているかを追求していくと、一番はスピードということになるのだ。

少しでも早くお勘定をしてあげること。それに尽きる。それをとことん実践していけば繁盛するはず、というのがユカリのコンビニ・マーケティングの哲学だった。

イメージは、乗降客の多い駅のキヨスクだ。父親の豊は、腕組みをして考え込んでしまった。

「でもねぇ、もし環境保護団体にでも知れたら……」「そうならないうちに、早くした方がいいと言っているんです。

親切心で」「……」ユカリはゾッとした。自分にはできない。中には1羽、メスと思われるツバメが陣取っている。ひょっとすると、もうすぐ卵を産もうとしているのかもしれない。

「それはマニュアル違反なんだよ」

3人が、厳めしい顔を突き合わせていたそのときだった。表に、黄色い声がこだました。

「ホントだねー」「ツバメだ、ツバメだ~」「どこどこ?」「そこだよ、マー君」「え?え?」「そこそこ」「あっ!あったあった」「せんせ~い!ツバメだよ~」ドアの前あたりに、真っ赤な帽子をかぶった幼稚園児たちが輪になって軒下を見上げていた。

豊、ユカリ、そして篠山の3人は、慌てて表に出た。近くの若葉幼稚園の子供たちだ。20人くらいが、軒下のツバメの巣を指差している。

先生らしき引率の女性が、3人の誰にというわけではなく、声をかけてきた。

「ありがとうございます」「え!?」3人ともが、何事かと首を傾げた。「このへんでも、なかなか最近はツバメの巣なんて見られなくなってしまって。良い勉強になります」「でも……」ユカリは、「でも、取り払わないといけなくて」と言いかけて言葉を詰まらせた。

(こうなったら、そんなことをするわけにはいかないじゃないの)「園長先生とも相談をして、卵がかえって、ヒナが育つまでみんなで自然観察をしようってことになったんです」篠山が、誰にも聞こえないくらいの小さな声で横を向いて言った。

吐き捨てるように。

「俺、知らねーからな」豊が先生に尋ねる。

「ちょっと待ってください。今、『ありがとうございます』っておっしゃいましたよね」「はい」「うちの誰かが、巣のことを教えたんですか?」「え?だって……」「だって、って」「ここって、元々、酒屋さんでしょ。

たぶん、おかみさんだと思うんですけど、今朝わざわざ、うちにいらっしゃって。園児たちに見せてあげてくださいって、教えていただいたんですよ」3人は、またまた顔を見合わせた。

(「おかみさん」って誰?)泰造じいちゃんの奥さん、つまりユカリのおばあちゃんは、とうの昔に亡くなっている。豊の妻の常代がそんなことを言うとは考えられない。

と、いうことは……。ユカリの背筋に悪寒が走った。そこへ、店のドアから、アルバイトのオバチャンがひょっこり顔を出した。「あっ、あの方です」と、先生が視線を向けて言う。

「はいはい、先生。今朝がたは、どうも突然失礼しましたねぇ」オバチャンが、今にも垂れ下がって落ちそうな目尻で微笑んだ。

「いえ、本当にありがとうございます、おかみさん」オバチャンは、さらに、くしゃくしゃの笑いジワを作って手を振った。

「はいはい。どういたしまして」篠山がオバチャンに言う。

「あんたね、ただのアルバイトでしょ。なんの権利があって口を出すんだよ!」「はいはい、すみませんねぇー。ただのオバチャンですよ」まったく事情がわかっていない様子だ。

篠山がさらに言う。

「マニュアル違反なんだよ。それに手を貸してどうするつもりなんだ」「マニュアルねぇ」「そうだよ」「でもね、一度、本部さんに頼んでみてちょうだいよ~。きっと、考え直してくださるわよぉ~」「なに言ってんだよ、オバチャン。俺がその本部なんだよ」

「あら、ごめんなさい。エライ人だったのね」「い、いや……偉くはないけど」「でも、あなた、いい顔してるわねぇ、とってもハンサム。エンジェルマートは、いい人ばかりだものねぇ」

オバチャンには篠山もお手上げのようだった。ユカリは、一瞬、頭に血が上った。なんて勝手な真似をしてくれるんだろうと。だが、次の瞬間、それは安堵に変わった。

こんなに大勢の園児たちがツバメの巣のことを知ってしまったら、もう、取り払うなんてことはできるはずがない。本部に叱られようと、なにを言われようとかまうもんか。

子供たちは、背伸びをして巣の中を覗こうとしていた。中には、ピョンピョンと飛び跳ねる子もいる。無理とわかっていても。その楽しそうな笑顔を見て、ユカリはすべてのことを忘れて幸せな気分になった。

子供たちに交じって、オバチャンがピョンピョンと跳ねていた。その姿が、テレビアニメの猫形ロボットに似て滑稽だった。ユカリは思わずクスリと笑った。

いつものおにぎりがない

「またダメだったの~」「……」そう、また落ちた。でも今度はイイ線まで行ったと思っていた。

役員面接までたどり着き、「うちに入ったら、どんなポジションに就きたい?」とまで訊かれた。

てっきり合格通知が届くものと信じていただけに、落胆は大きい。中島サトルは京南大学の4年生。とはいっても、大学生活は5年目。

去年就職できなかったので、わざと留年したのだ。もう1年半近く「就活」をしているが、決まらない。

大学の旅行サークルの1年後輩が内定をもらったと聞くと悲しくなる。周回遅れなのだ。その上、カノジョのユイにまで「またダメだったの~」などと言われると泣きたくなる。

最初は、誰もが知る大企業ばかりを受けていた。自信があった。けっして成績が良いわけではないが、「やる気」と「元気」はある。大学祭では、実行委員も務めた。

他の大学とのネットワーク委員会では、ボランティア活動に打ち込んでいた。そんなはずはない……。まさか、オレがダメだなんて……。不合格を告げられるたびに、自信を失くしていった。

ユイが言う。

「いつもオレがオレがって自信家だったのに、がっかり。サトルって結局誰にも認められない人間だったのね」「そんな……」「そういうのを、独りよがりっていうのよ」(オレが独りよがり……)そう言い捨てたユイからは、もう3日もメールが来ない。

悔しくて、悲しくて、こっちから連絡したくなかった。(見返してやる!)と思ったが、その術は見つからなかった。

焦燥の中で、思った。誰も自分のことを認めてくれない。最初は「みんながオレの実力を理解できないだけだ」と思っていた。

しかし、不合格が30社を超えた頃から不安になった。「ひょっとして、自分に能力がないのではないか」と。さらに進んで、この頃では「誰もオレのことなんか見てくれていないんだ」と思うようになった。

「さっさとレジ打てよ!!」

サトルは、朝からなにも食べていないことに気づき、大学前のコンビニへ足を向けた。店の前の駐車場で入れ違いに、カップラーメンを手にした経済学原論の山下教授とバッタリ顔を合わせた。

去年、追試を受けて、なんとかギリギリで単位をもらった先生だ。「こんにちは、その節はお世話になりました」教授は、奇異な目を向けた。

そして言った。

「ええっと、キミは誰だっけ」出来が悪いのはともかく、あんなに何度も何度も教授室を訪ね、もめにもめたのに記憶に残っていないとは……。それは、今のサトルに追い討ちをかけるような台詞だった。

(オレがこの世から消えても、誰もわからない……)すべてが詰まらないことのように感じられた。

すると、世の中の全部が腹立たしく思えてきた。コンビニのドアを開けた。「オットトト……」入口のマットの端でつまずき、バタンッと前のめりになって倒れてしまった。

そこへ、手前のレジを打っていた若い女性店員が言った。

「いらっしゃいませ!」続けて、店のドリンクコーナーと、雑誌のコーナーの方から、甲高い声が浴びせられた。

「いらっしゃいませ!」「いらっしゃいませ~!」いくつもの「いらっしゃいませ」が店内に響きわたった。

サトルは、なんとか顔を上げて、その声の主の方を見ようとしたが、誰もサトルがコケたことすら知らなかった。レジの女性は、淡々とバーコードを読み取っている。

(コノヤロー!「いらっしゃいませ」さえ言えばいいと思っていやがる)(お前ら、俺のことをバカにしてんのか!)そう怒鳴ってやりたかった。

しかし、それは自分がみじめになるだけとわかって、精一杯怒りを堪えた。「いてて……」どうやら、コケたとき、膝を擦りむいたらしい。ズボンの上から何度かさする。

雑誌の整理をしていた高校生らしきアルバイト店員が、今頃サトルの方を向いて言った。

「どうかされましたか?」「どうもするか!」サトルは、気を取り直そうと雑誌コーナーでしばらく立ち読みをして、おにぎりを買うため、いつもの冷蔵棚の前に立った。

「チェ!」舌打ちをした。こんなことはなかった。ほとんど在庫がない。「ちゃんと揃えとけよ……」ささやくような声でボヤいたが、周りには誰もいない。

好きな具のおにぎりがなかった。仕方なく、オカカと梅干のおにぎりを手に取った。隣のドリンクコーナーで、なにげなく500ミリリットルのウーロン茶パックをむ。レジ前には2人並んでいた。(チェッ!早くしろよ)なにやら、店員が親しげにおしゃべりしている。

「よかったねぇ、受かったのお~」「はい、ありがとうございます」お客の女の子は、見かけたことのある顔だ。たしか同じ学部のはずだ。ユイの友達だったかもしれない。

驚いたことに、店員は60歳をとうに過ぎていると思われるオバチャンだった。いや、70歳近いかもしれない。オーナーの家族なのか。バイトにしては歳を取りすぎていると思った。

「もうダメかと思ってました。ようやく就活も終わりです」(なんだって!コノヤロー)人の不幸は蜜の味という。

反対に、他人の成功には腹が立つ。こいつは、採用試験に通ったらしい。

「おいっ、なにノロノロしてんだよぉ~。さっさとレジ打てよ!!」その声を聞いてか、ドリンクコーナーのところにいた背の高い、若い女性店員がレジまで駆け寄ってきた。

スラリとして、雑誌に載っているモデルのようだった。まつ毛が異様に長い。

「水野さん、早くして差し上げて!スピード、スピード」オバチャン店員と話をしていた女子大生が、しかめっ面をして振り向いた。

「いいじゃないの、少しくらい!」カウンターの向こうで、「水野さん」と呼ばれたオバチャン店員がニコッと笑った。

「ごめんね~、この娘、会社に受かったっていうんでうれしくてね」「聞いてりゃわかるよ」「あら、そう。はいはい、ちょっと待っててね」

「あと5分待って」

前の2人の支払いが終わり、ようやくサトルの番になった。こういうときは、いつもより時間が過ぎるのが遅く感じられる。

イライラが頂点となり、おにぎり2つと、ウーロン茶を押しつけるようにして差し出した。それを見たオバチャンが言った。

「あら、変ね~」「なにが変なんだよ~、モタモタしやがって」「ううん、あなたのことじゃないのよ。

いつもなら、配送のトラックが来る時間なの。あと5分待ってくれない?」オバチャンがなにを言っているのかサトルには皆目見当がつかなかった。

(ボケてんのか、このババア)さっきの美人の店員は、店長なのか、それともオバチャンの研修係なのかわからないが、レジのところへやってきて、オバチャンの手元から商品を奪おうとした。

そして、「なに言ってるの!?水野さん。お客様に5分待て、だなんて。私がやるからもういいわ!あっちへ行ってて」と怒鳴った。

そんな権幕にはまったくお構いなしで、オバチャンは言った。満面の笑みで。

「はいはい、ごめんねぇ~。もう少しよぉ~」「だから、なんで待たなきゃいけないんだよ!もういいよ」サトルが怒鳴って、レジから離れようとしたそのときだった。

「はいはい。ごめんなさいね~。あなたいつも、シャケと昆布のおにぎり買うでしょ。私がここで働くようになってからだから、もう2か月以上も同じものばかり。

よっぽどシャケと昆布が好きなんだと思ってねぇ~。さっきも、おにぎりの棚で残念そうにため息ついてたでしょ。もう5分もすれば届くと思うからさぁ~。ちょっとだけ我慢してもらえないかなぁ」「え!?……」「ほら、来た!」オバチャンの視線の先には、駐車場に入ってきた配送車がガラス越しに見えた。

「今すぐ、シャケと昆布を出してあげるからねぇ~」「……」サトルは、長野の家族のことを思い浮かべていた。

それは、小学校のとき、祖父母と両親、そして弟と一緒に食べた運動会のおにぎりだった。

お婆ちゃんが、サトルがシャケと昆布が好きなことを知っていて、まだ暗いうちから1人起きだして作ってくれたものだった。

「水野」と呼ばれたオバチャンは、さらにニコニコ笑って続けた。

「そうそう、4月とはいってもね、こういう寒い日は、冷たいお茶はお腹を壊すわよ。コーンポタージュスープなんてどう?温まってるわよ」さらなる一言で、サトルの涙腺は決壊した。

「オ、オオ~ン」レジの前で、肩を震わせて大声で泣き出した学生に、店内のお客さんたちは「何事か」と一斉に視線を向けた。サトルの両手にそっと手を添えたオバチャンの手の甲に、大粒の涙が落ちてきた。

オバチャンは何者だ?

それから数日後。(あんなの、偶然に決まっているわ)ユカリは、何度も何度も、自分に言い聞かせていた。

あの、アルバイトのオバチャンが、学生のおにぎりの好みを覚えていた。そんなことぐらい私にだってできる。でも、そんなことをしていたら切りがない。

だいたい、「おせっかいだ」と怒られたらどうするつもりなのか。たまたま、だ。たまたま、学生が、ささいなことに感激してしまっただけなんだ。

ユカリは、自分の考えを肯定しようと頷いた。ドアが開いた。ウグイス色の、ちょっと汚れた作業着姿の中年男性が入ってくる。

近くの工事現場から来たという感じだった。

「いらっしゃいませ~!」2つのうちの1つのレジに立っていたユカリは、いつもより大きな声で店内に響くように言った。

それに呼応するようにして、店内にいる他の店員も、「いらっしゃいませ」「いらっしゃいませ!」と連呼した。

そのうちの1人は、ちょうどトイレから出てきたオバチャンだった。(またトイレか)バカ丁寧に、お客さんの方を向いてペコリとお辞儀をした。

もちろん、お客さんはチラリとも見ていない。でも、オバチャンが言う通りにしてくれてホッとした。

(マニュアルを徹底させるんだ。そうすれば、お客さんは帰ってくる。きっと売上は上がる)そう信じたいユカリだった。

お客さんの好みを知っている

ウグイス色の作業着姿の男性は、迷わずドリンクの冷蔵庫へと向かった。決まった飲み物があるらしく、ドアを開けるとサッとみ、レジへ向かう。そして、ユカリの前に黙って差し出した。

500ミリリットルのスポーツドリンクだった。ユカリは、「いらっしゃいませ」と言い、バーコードの読み取り機をペットボトルにかざした。

「辛太郎はいかがですか」と、すかさずキャンペーン中の人気商品を勧めた。

その瞬間だった。「うるせーんだよ!てめえ」「ヒッ」ユカリは思わず唾をのみ込んだ。

息が止まりそうだった。

視線を恐る恐る上げると、男は口をへの字に曲げて怒っていた。

「何回、辛太郎、辛太郎って言やぁ気が済むんだ。今日、3回目だ。俺はなぁ、鶏肉が大嫌ぇなんだ!それをペットボトル買いに来るたびに、辛太郎、辛太郎って、うるせえんだよ」「すみません」そう言うのが精一杯だった。

「いいから、早く釣りを寄越せ」ユカリは、少し震える指で、レジスターからお釣りを取り出して渡した。

「震えるなよ、姉ちゃん。それじゃあ、俺が悪者みてえじゃないか」「すみません」顔を上げたとき、男はすでにドアの方へと向かっていた。

「ありがとうございました。またお越しくださいね」と、近くにいたオバチャンがニッコリして声をかけた。

男は、憤ってしまった照れ隠しもあったのだろう。「おっおう」と、左手で手刀を切ってオバチャンに応えて出ていった。

ユカリは、思った。これだって、「たまたま」だ。たまたま、あのお客さんが、1日に3度もコンビニへやってきた。

そして、たまたま、前の2度は他のアルバイト店員が接客した。そのとき、きちんとマニュアル通りに辛太郎を勧めてくれたんだ。100%というわけにはいかない。これは例外だ。

こんなことを気にしていたら、お客さんに売り込むことなんてできやしない。「副店長さ~ん」オバチャンが、少しボーッとしていたユカリに声をかけた。「なによ、水野さん」今のシーンを見られてしまった。

必死に平常心を装うユカリだった。

「はいはい、ごめんなさい。ドリンクを入れたいんだけど、私、腰が痛くって重い物持ち上げられないの。背も低いし、上の段に届かなくって。お願いしていいかしら~」

ドリンクが欠品しないように常にスタッフが注意をしていて、冷蔵庫のバックヤードからドリンクを補充することになっている。

「ああ、いいわ。じゃあ、レジ代わって」ユカリは、(やっぱり年寄りは使いものにならない)とため息をついて交代した。

この前は、ボタン電池を買いに来たお客さんに「どれが同じタイプなのか見てほしい」と頼まれたのだが、老眼で商品ナンバーが読めなかった。

それも、ユカリがフォローした。

(いいわ、それでも。頼むから、言うことさえちゃんとやってくれれば)そう思いながら、段ボール箱を開けて、棚にコーラを詰め込んだ。

すべてのドリンクの在庫を確認し、ユカリは店内に戻ってきた。「いらっしゃいませ~」入口を見ると、見覚えのある初老の男性だった。上下ちぐはぐの色のジャージを着て、黒のスニーカーを履いている。

定年退職して、家でゴロゴロしているという感じ。

きっと、奥さんに嫌がられているに違いない。最初に「いらっしゃいませ」と言ったのは、レジに立っているオバチャンだった。(よしよし、お利口さんだね)ユカリも続けて、「いらっしゃいませ!」と言った。

レジ袋詰めの補助をしようと、オバチャンの立っているレジの後ろへと回り込んだ。たった今、入ってきたお客さんに向かって、オバチャンが言った。

「はい!これ」ユカリは、(おや?)と思った。まだ、男性はレジに来たわけではない。入ってくるなり、オバチャンと目が合っただけだ。

オバチャンは、「これ」と言って、物を差し出し、もう右手にはバーコードの読み取り機を手にしていた。

それは、マイルドセブン・スーパーライトのワンカートンボックスだった。オバチャンは、この男性の「いつもの買い物」がわかるのだ。あの学生のシャケと昆布のおにぎりのように。ユカリはちょっと嫉妬した。(私にだって……やろうと思えばできる)ところが、男性の顔が少し戸惑った表情を見せた。

「今日はさあ、違うんだ」と、オバチャンに申し訳なさそうな顔をして言った。

ついさっきまで、「やるなぁ、オバチャン」と思っていたユカリは、ここぞとばかりに初老の男性に声をかけた。

「申し訳ございません。この人、おせっかいで勝手なことばかりして」「いやいや、いいんですよ。僕はこの店では、タバコしか買ったことがないんですからね。でも、今日はうちの奴にね、マヨネーズが切れたから買ってこいって言われてね。今夜、ポテトサラダを作るっていうんでね。うちの奴のポテトサラダは美味いんですよ」

「あら、そう。私も食べたいわぁ」オバチャンが表情を崩して言う。

タバコを棚に戻そうとすると、「いいよいいよ、タバコもせっかくだからもらっていくよ。どうせ買い置きも欲しいし」

「無理しなくてもいいわよ。もったいない」「無理したいんだよ、うれしいから」「はいはい、ありがとうございます」「ええっと、マヨネーズはどこだっけ」ユカリは、レジから出て、ちょっと小走りで棚へマヨネーズを取りに行った。

「おう、ありがとさん」マヨネーズを渡すと、男性はピョコンとお辞儀をした。

お客さんの心をんでいる

タバコとマヨネーズを買ったお客さんが帰った後、ユカリはオバチャンがニヤニヤ笑っているのが気になった。

「なによ、水野さん」突っかかるようにして言う。「いいえ、別に」ニコニコではない。あくまでもニヤニヤなのだ。

「嫌ねぇ、あなた勝ち誇ってるんでしょ。ちょっと気が利いて、タバコが売れたからといって」「そんなことはありませんよぉ~、とんでもない。

それより、副店長さんこそ、よかったんですか?」「なにがよ」「マヨネーズを走って取りに行って」「……」「そんなのマニュアルにないでしょ」「別に私は、マニュアルにないことをやっちゃいけないなんて言ってないわよ!最低限マニュアルは守ってねって言ってるだけよ」「はいはい。そうでしたね」ユカリは、オバチャンの存在を間違いなく意識し始めていた。

のろい。老眼。腰痛持ち。トイレが近い。おせっかいだ。とんでもなく悪い店員というわけではない。でも、どうしても波長が合わない。なのに気になる。なにが気になるのか自分でもわからない。

一つだけ確かなのは、一部のお客さんの心をんでいることだ。あくまでも一部なのだが……。

「ねえ、水野さん」「はいはい、なんでしょう」身長差20センチ以上ものユカリをオバチャンが見上げた。

いつもの、シワだらけの笑顔で。ユカリは、「あなた……」「はいはい」「いったい何者なの?」そう言いかけて、止めた。そこへまた、次のお客さんが入ってきた。

「いらっしゃいませ~」店内に「いらっしゃいませ!」が響きわたった。

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