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第1章 美術品オークションと云う世界

目次

はじめに

最近世間はアートブームらしいが、生まれてこの方半世紀以上アートと触れ合って生き、三〇年弱アート・ワールドに身を置いて、その内の二〇年弱を海外で暮らした私がその言葉を聞くと、少々違和感が有る。

それは日本の人達の間にアート「ブーム」が有るらしいからで、私が長く住んだニューヨークではアートは決して「ブーム」とは呼ばれず、もっと日常的に人々の側に有り、家に何らかのアートが有るのは当たり前、展覧会やアートフェア、蚤の市に行くのは日常行事、友人の中にひとり位アーティストが居るのも普通だったからだ。

この本の依頼を受けた最大の動機は其処で、日本人に普通にアートのある暮らしをして貰いたいと願う私なりの提案書を記したいと云う事だった。

そしてもう一点。

私が勤めるオークション・ハウス、クリスティーズのロンドンまたニューヨークのセール会場では、オークション開催前になると、老若男女、ジェンダー、人種、宗教を問わず、美術館・博物館クラスの作品を誰でも無料で観る事の出来る「下見会」を開催する。

そしてこの下見会には、当然世界中からコレクターやアート・ディーラー、美術館関係者が作品を観る為に集まって来るのだが、それ以外にも、例えば乳母車を引いた母親や子供連れの若い夫婦、教師に連れられた多くの学生や社会人向けのレクチャー・グループ迄、数日後に開かれるオークションに参加するとは思えない人達の姿もよく見る。

これはオークション・ハウス、延いてはアートその物自体が歴史的に公的な役割を担っているからで、この事も今日本では中々考えられない現象だと思う。

私はそんな日本の方々に本書を通じて、アートと親しみ、アートを身近に暮らして貰い、周りに左右されない自分なりの美意識を磨いて、その美意識で人生を豊かにし、価値ある物にして行って頂くお伝いが出来たら、それに勝る喜びは無い。

それでは「美意識のオークション」を開始しよう!

第一章美術品オークションと云う世界

「オークション・ハウス・スペシャリスト」とは?

私の働くクリスティーズは一七六六年創業、世界で最も長い歴史を持つ美術品オークション・ハウスである。

現在はロンドン、ニューヨーク、香港を中心に世界一〇都市で、美術品に加えて宝石、時計、家具等八〇以上の分野を取り扱い、年間三五〇回以上のオークションを開催している。

日本では高額商品が売れた時だけメディアで取り上げられがちだが、その商品価格帯はと云うと、驚く勿れ一点四〇〇ドル位(約四万四〇〇〇円)から扱っていて、上は四億ドル(約四四〇億円)と幅広い……。

なので、決して「取っ付きにくい」事は無い。

二〇一八年にクリスティーズジャパンの代表に就任する迄、私は同社の「インターナショナル・スペシャリスト・デパートメンツ」で働いてきた。

これは他の企業には無い、オークション・ハウスならではの専門部署の総称だ。

「スペシャリスト」とは、一言で云えば美術品を実際に扱う為に専門分野の知識を持ち、その分野の作品の「鑑定」と「査定」が出来る者の事である。

其処には多種多様な分野が存在する。

例えば、「コークスクリュー」(ワインのコルク抜き)のスペシャリストは、日がな色々な場所で「コルク抜き」を手で撫でながら「ウーム、これは一九世紀フランス南部のモノだな、愛い奴、愛い奴……。

フッフッフ」等と云いながら(云ってないかも)査定し、値段を付けているのだ。

他方、二〇一八年にはオークション・ハウスとして初めて、人工知能が制作した作品(肖像画)を扱う等の挑戦もしている。

これも担当スペシャリストの発案で、今後のアートにもインパクトを与え得る人工知能を用いた作品であると同時に、クリスティーズが創業以来取り扱ってきた肖像画と云う分野でもあるとの考えから実現した。

この様に、如何なるタイプの顧客にも対応出来るように様々なスペシャリスト達が居るのである。

私の専門は日本美術である。

勿論、美術が大好きだからやっている(紆余曲折あっての事だが、それに就いては後述したい)。

そう、日がな自分の好きな分野の作品を観て歩くのは、確かに楽しい。

だが、当然楽な事ばかりでは無い。

眼を鍛錬し、眠れる美術品を探し出し、個性溢れる個人コレクターやディーラー(美術商)、美術館等のオークションの顧客達と渡り合う。

素晴らしい美術品を競売に掛けるにあたり、オークション・ハウスとして適正な「値付け」をする事も肝要だ。

スペシャリストの人生に於いては、そうした積み重ねの先に歴史的な落札の瞬間や、関わる人全てをハッピーにする結果に立ち会える事が有る。

幸運な事に、私に取ってもそうした体験が有った。

本書ではそのスペシャリストの仕事に就いて少しずつ説明しながら、美術品に「価値付け」がなされる舞台裏に就いてご紹介したい。

更にはより重要なテーマとして、人が「美意識」を持つ事の価値に就いて、皆さんと考える事が出来れば幸いです。

眠れる美術品と出会う旅

スペシャリストの仕事は多岐にわたるが、最も重要且つエキサイティングな部分は、何と云っても「モノ」との出会いだろう。

因みに「モノ」とは「美術品」の事で、業界で「最近『モノ』買った?」と云えば、「最近『美術品』買った?」の意味である。

この「モノ」と出会い、オークションと云う表舞台に出し、そしてそれを出来る限り高値で売る、と云うのがスペシャリストである事の醍醐味なのだ。

その「モノと出会う」場は様々で、時には個人コレクター宅の茶室や蔵、古美術商の店の客間で、また或る時は美術館の倉庫だったり、また私の経験では某ホテルの駐車場に停めたワゴン車の中だったり、新幹線内のデッキだった事もある。

眼を鍛錬する

では、スペシャリストが眠れる至宝の如き「モノ」に出会う為には、一体どうしたら良いのだろうか?その秘訣を少々教えて進ぜよう。

先ず何時でも耳を欹てて、情報をゲットする……。

それは例えば、①毎朝必ず新聞を読む(「おくやみ欄」を含む)②コレクター達とコンタクトを密に取る(胃が丈夫でなければ為らない)③ディーラー達とこれも密なるコンタクトを取る(「夜外」活動等も含む)④美術館の学芸員や、学者の先生方とコンタクトを取る(勉強に為るので一挙両得)⑤美術雑誌・研究誌やサイトを隈なく読む等だろう。

だが私が個人的に一番肝心だと思うのは、何の職種でもそうだろうが、日々勉強し十分な専門知識を持つ事。

人に好かれるタイプに為り、「遊ぶ」のを厭わない事。

他分野の最高級の芸術も日々見聞きし、己の芸術的センスを磨く事、の「三か条」だ。

特に最後の「センスを磨く事」は非常に大事で、それはスペシャリストに取って「専門知識」に勝るとも劣らぬ程重要な、「カン」と云う物を得るのに欠かせない条件だからである。

目利きのコレクターやディーラーとは恐ろしい物で、何しろ「カン」が鋭い。

その点私等ははっきり云ってマダマダなのだが、それでも時折、箱を開けた瞬間「この焼物を扱ってはイケナイ!」とか、「この作品には手を出すな!」等と私の第六感が告げたりする事も有る。

そこで、こんな「カン」も存在すると云う、ひとつの例を挙げてみたい。

私が或る個人宅に掛軸の査定に行ったとしよう。

先ず最寄りの駅に降りて、それから徒歩かタクシー、或いはその顧客に駅迄迎えに来て貰ったりするのが普通だが、その駅を降りて顧客の家に向かう道筋を眺めている間に、何と無くこれから観るモノ(のクオリティ)が予想出来たりする事がある。

そして、そのお宅の玄関前に立った時、応接間に通された時、顧客が抱えてくる掛軸の箱を遠くから見た時の段階段階で、その「予想」は確定的に為ってくる。

もっと云えば、その顧客の顔を見た瞬間に「あぁ、今日は良いモノが観られるかも知れない!」とのカンが働き、得てしてその通りに為る事も多い。

不思議な事だが、これは恐らくはその人自身と、その人が持っている作品とが醸し出す「気」の様な物を嗅ぎ取る能力なのだろうが、それもこれも「眼」の鍛錬によって得られる物なのである。

鑑定――「人を見る眼は、モノを観る眼」

人に「趣味は何ですか?」と聞かれると、普段私は「音楽鑑賞」とか「美術鑑賞」、或いは「食べる事」等と答えたりするが、実際一番ウケが良いのは「〝鑑定〟と〝査定〟です」と答えた時だ。

「趣味」とは狙い過ぎかも知れないが、実際スペシャリストは年柄年中「鑑定と査定」をして生活している。

然も「鑑定」とは、云う迄も無く美術品を売る際の最も重要且つ最初のステップで、美術品の極めて難しい「真贋」をはっきりさせねば為らない。

が、斯く云う私も人の子なので、有っては為らない事だが、時折間違いを犯す事が有る。

そんな時の為にクリスティーズは、オークションでの売却から五年間は真贋保証をしていて、買い手がエキスパート・レター(誰もが納得する外部の学者等のその分野の専門家の意見書)を二通用意すれば、此方もそのレター内容によって、返金等誠実に対応する事に為っている。

だが、会社や自分自身の信用の為にも当然間違ってばかりはいられないし、スペシャリストとしては常に己の眼を磨き、世間で云う所の「目利き」に為らねば為らない。

これも人からよく聞かれる質問だが、では、どうすれば「目利き」に為れるのか?……それは出来るだけ良質の本を読み、そしてとにかく評価の定まった「(最高級の)良い作品だけ」を沢山観る事だ。

これは私が骨董の師匠から教わった事だが、「良い作品だけ」を観ていると、段々と「悪い作品」が判ってくる物だ。

しかし先に「悪い(或いは中途半端な)作品」を観て仕舞うと、良い作品が判らなく為って仕舞う。

これは後で述べる査定にも繫がる話なのだが、「鑑定」と「査定」とは、要は脳内記憶に残した「一〇〇パーセント」素晴らしい作品を脳裏に描いて、それを基に引き算をして行く事なのだ。

当然、「贋物では無いが、クオリティが高く無い」と「贋物である」との境界線は何時でも難しい。

しかしこの方法を使う事によって、大きな過ちを犯す可能性を大分低く抑えられるのである。

この「良い作品だけ」を沢山観る事を教えてくれた師匠が、もうひとつ私によく云っていた台詞がある。

それは、「人を見る眼はモノを観る眼、モノを観る眼は人を見る眼」と云う事だ。

この百戦錬磨の老骨董商曰く、「モノと人とは同じなのだから、最高級の人を見抜いて、そう云う人とだけ付き合え。

最高級の人格者と付き合えば、それ以外の者は自然と直ぐ判る。

金や地位や外見に惑わされちゃ駄目だ。

茶碗だって碌でも無いモノに限って、新しく、綺麗で立派な箱に入ってるもんだ」ウーム、今聞いても至言……。

皆さん、深いと思いませんか?

有名コレクターの作品をゲットするチャンスは「3D」

さて此処で質問。

「最も高値を呼ぶオークション」とは、どんなオークションだと思いますか……?その答えは、「コレクション・セール」と呼ばれるセールだ。

「コレクション・セール」とは有名コレクターや美術館、或いはディーラーが長年買い集めた名品や、ある個人コレクターの「眼」が蒐集した逸品の数々が一度に掛かるオークションの事で、近年クリスティーズが大成功を収めた「コレクション・セール」を例に挙げてみれば、有名ファッション・デザイナーのイヴ・サン=ローランや、『ジュラシック・パーク』『ER』の原作者マイケル・クライトンのポップ・アート・コレクション、アンディ・ウォーホルの《キャンベル・スープ缶》を最初に買ったひとりである俳優デニス・ホッパーのコレクション・セール、そのウォーホルの作品を多数所蔵するアンディ・ウォーホル美術財団のセール、近年では大阪の藤田美術館の中国美術コレクションや、約一〇〇〇億円を売り上げたデヴィッド・ロックフェラーJr.夫妻コレクション等のセールが有る。

また音楽界で云えば、ジョージ・マイケル(元「ワム!」)や、(ギターだけで何と!)二〇億円以上の売り上げを上げた有名ロックバンド、ピンク・フロイドのギタリストであるデヴィッド・ギルモアのギター・コレクション・セール等……。

つまりこれらの場合、どんな人が聞いても知っている「来歴(持ち主)」の名前がモノを云うのである。

では、これらの「コレクション」をオークション・ハウスがゲットするのは、一体どんな時なのだろう?その最も重要な「機会」を、巷では「3D」(三つのD)と呼んでいる。

そしてこの「3D」とは「三つの英単語」の頭文字であるDを取ったモノなのだ。

その三語とは「Death(死)」「Divorce(離婚)」「Debt(負債)」……。

どの言葉を取っても、人に取っては余り嬉しくないシチュエーションを表す言葉であるが、大きなアート・コレクションが移動する時、誰かが美術品を売る時には、それなりの、そして時には運命的な理由が存在する。

先ず「Death」。

コレクターが亡くなり、遺族が例えば財産分与の為、或いは相続税を払う為だったり、寄付をする為にコレクションをオークションで売却する。

次の「Divorce」は文字通りの離婚の事で、慰謝料が必要に為った時にコレクションを売却する。

また「Debt」は、通常コレクターと云う人々は自分で事業をしている人が多いので、その本業が傾いて仕舞った時、借金返済や負債の穴埋めの為に美術品を売る、と云う事である。

前述のサン=ローラン、クライトンやホッパーのケースは「Death」に分類される。

その他にも藤田美術館やアンディ・ウォーホル美術財団の様に、借金返済では無いが、美術館のリニューアル・助成金制度を作る資金を得る為の作品売却と云う大義名分が有る時も多々ある。

もう一例、稀なケースを挙げよう。

二〇〇六年、ウィーンの仲裁委員会で、ウィーン美術史美術館に展示されていた作品を含む数点の絵画が、「ナチ略奪絵画」(嘗て持ち主、特にユダヤ人の手からナチスによって収奪された作品)であると認定する判決を受けた。

その絵画の作者はグスタフ・クリムト。

その昔私が学生の頃、何時間もその前から動けなくなる程強い印象を受けた絵画《接吻》等で知られる、ウィーン世紀末の代表的画家である。

さて、その「ナチ略奪絵画」の認定を受けた彼の名品は、元の持ち主が既に他界していた事で、色々な段階を経てその作品に描かれたモデルの姪にあたる、八〇代の女性の許に返還された。

この顚末をベースにした映画『黄金のアデーレ名画の帰還』(二〇一五年)も生まれているので、ご存知の読者も居るかも知れない。

彼女はその時アメリカに住んでいたが、美術史に残る様な高価な大名品絵画を急に返された方も、困って仕舞うに違いない。

その辺美術品の世界は良くできていて、アメリカ最高裁での勝利とウィーンでのオーストリア政府との仲裁裁判の結果、老婦人への返還が決まったその時から、クリスティーズと競合他社はその新たなる所有者へのアプローチの機会を狙っていたのだ。

そしてそのクリムトの名品《アデーレ・ブロッホ・バウワーⅠ》は、クリスティーズの仲介によって、最終的に有名化粧品メーカー「エスティローダー」の総帥に一五六億円で売却され、今はローダー家の運営する、ニューヨークのアッパー・イーストサイドに在る極めて美しい美術館「ノイエ・ギャラリー」に展示されている。

私がこの仕事を始めた頃にこの「3D」の機会に遭遇した時は、自分の勤めるオークション・ハウスがまるで死神か疫病神の様な不吉な物に思えたりもしたが、勿論今は違う。

「3D」の機会に於けるオークション・ハウスの務めとは、ひとりのコレクターが長い年月を掛けて大切に集めた美術品を、そのコレクターの名誉と共に調査研究し、美しい図録に掲載したり下見会を開催したりする事によって、新しい所有者を探して後世に残す、と云う大事な役割を果たす事なのだと理解している。

アートは人を介さねば、決して存在しないし、受け継がれていかない。

そしてアートはその持ち主の人生と共に、流転して行くのである。

個性溢れるオークション・ハウスの顧客達

此処でひとつ強く云っておきたい。

それは「値段」は美術品の価値のひとつのファクターに過ぎない、と云う事だ。

私の場合、職業病とでも云うべきか、美術館や博物館に行って絵や彫刻を観ても、「こりゃあ、多分一五〇万ドル位かな?」とか、「バブル時代に買ったんだろうから、今売ったら半分以下だろうなぁ」等と考えて仕舞う。

しかし、云う迄も無く高額作品の質が常に高いとは限らないし、安い作品が駄作とも限らない。

当たり前の話の様だが、時折人間はそんな事に簡単に騙されるので、要注意です。

料理にたとえれば、所謂B級グルメでも本当に美味いものは有るだろう。

但しこれも、矢張り「美味しいもの」にどれだけ接してきたかによって味が判る、と云う事が有るのではないかと云う気が私はしている。

このあたりは本書の後半でも、改めて幾つかの角度から述べたい。

その為にも、先ず私自身が携わるオークションの世界から説明しよう。

では、そうした美術品を追い求めるコレクター達を含めた、「オークション・ハウスの顧客」とは一体どんな人達なのだろうか?私の顧客には、大まかに云って三種類の人々が居る。

すなわち個人コレクター、ディーラー、美術館である。

この三者は「売り」の立場でも「買い」の立場でも、オークションに参加する。

そして海外のオークションと日本のオークションとが最も異なる所のひとつは、MET(メトロポリタン美術館の正式名称MetropolitanMuseumofArtの略称)やボストン美術館の様な一流美術館、延いてはスミソニアン博物館等の国立機関ですらも、パブリック・オークションで購入すると云う点ではないだろうか。

オークションに掛かる作品とは一期一会、その作品を「稟議」だ何だで購入決定が間に合わず、指を咥えて見逃すなんて事は、海外の美術館はしたがらない。

また美術館や財団が作品を売却する事も、アメリカでは決して珍しい事では無い。

そしてその理由は様々で、作品修復費用や建物の増改築の費用を捻出する為だったりし、二〇一二年からクリスティーズがアンディ・

ウォーホル美術財団所蔵の作品二万点を売り出した理由は、財団が助成金制度を充実させる為だった。

例えばMETの様な大美術館は、購入やコレクターからの寄贈等で、重複する作品を持っている場合が多い。

版画や写真等のエディション物(限定部数作品)、非常に似たクオリティの工芸品等がその売却対象に為る事も多い。

二〇一三年にニューヨークで開催した日本美術オークションでも、ボストン美術館の依頼で館所蔵の浮世絵を売却したのだが、流石「来歴」の強さのお陰で売り上げはエスティメイト(落札予想価格)総計を遥かに超え、ボストン美術館、クリスティーズ共、お互いに大ハッピーな結果であった。

私が出会って来た日本美術のアメリカ個人コレクター等もそうだが、クリスティーズが扱っている様な美術品のどんな分野でも、「コレクター」と名の付く人には非常に個性的な人が多い。

例えば自分が持っている時価六〇億円はしたと思われるピカソの大名品の前で、自宅に呼んだお客さんに作品に就いて説明しようとして、振り向いた拍子に肘で穴を開けて仕舞った大富豪。

鉄兜に猪の毛を植え付けて、如何にも兜を被っていないが如く敵に思わせる「野郎頭形兜」をオークションに掛ける為に送ったつもりが、間違えて自分の「カツラ」(私じゃないですよ)を送って来たコレクター。

はたまた会ったコレクターの顔がピアスだらけだったので、ショックの余り挨拶もそこそこに数えていたら、何と二〇個以上のピアスが顔に開いていた、一寸恐ろしい版画コレクター等、枚挙に暇が無い。

アートの「見巧者」達の美意識

だが、そうしたインパクトのある個性だけでなく強調しておきたいのは、彼等コレクターが自分の愛する美術に向ける思いの強さ、美意識の高さである。

例えば、アメリカの有名な日本美術コレクターであるジョー・プライス氏。

妻の悦子氏とのコレクションは伊藤若冲の名品等が揃い、これ迄東京国立博物館等でもプライス・コレクション展が開催されてきたが、ごく最近東京の出光美術館がその一部である一九〇点を購入し、大きな話題と為った。

私がプライス氏と初めて出会ったのは、東京にあった麻布美術工芸館が閉館し、金融機関の管理下にあった収蔵作品の肉筆浮世絵をクリスティーズが売り出す事に為った際の事だ。

ニューヨークでの下見会と為り、其処で初めて対面した。

確か一九九八年だったと思う。

その時、彼は何と或る絵の前で四時間も五時間も、動かなかったのである。

どんな美術好きでも、或いは研究者でも、ひとつの絵にこれ程向き合う人が居るだろうか(前述の通り、私もクリムトの《接吻》の前で動けなくなった経験はあるが……)。

更に、会場の照明を消したり、調光したりして見せて欲しい、或いは一日の陽の移り具合でどう見えるのか等(ビューイングルーム故、リクエストに応えられる限界も有り心苦しかったが)、私も下見会で此処迄する方は未だに会った事が無い、と云う位の真剣さであった。

そして彼が見尽くしたその作品は、今ではコレクションの中に収められ、二〇二〇年九月に出光美術館で公開される予定だ。

アート・ディーラーもまた然り。

勿論一流のディーラーは、その名声と矜恃が有るが、中には超絶的に個性的で面白い人も居る。

例えば数年前に惜しくも亡くなった、西海岸のG氏……。

彼は元来、村上隆等を扱う現代美術の一流ディーラーだったが、個人的に日本美術が大好きで、屛風や掛軸を私のセールから買っていた。

彼は海外アート界では決して珍しくは無いゲイで、またその一挙手一投足は、まるでコメディ映画の主人公を見ている様にいちいち劇的でユーモラスだったが、何よりその美的センスがかなり鋭かった。

そんなG氏がオークション直前の或る日、出品されている掛軸に興味が有ったらしく、私に電話を掛けて来て唐突に聞くには、「山口さん、君はゲイなのかな?(Mr.Yamaguchi,areyougay?)」「いえ、私はゲイではありませんが……、その事で何か問題が?(Mr.G,ImsorrybutImnot….isthereanyproblem?)」「そうじゃ無いよ。

むしろ丁度いい。

私はただ、あの絵に就いてストレートな(ゲイで無い)人の意見も知りたいと思ったんだ!(No,thatsfine,becauseIwanttoknowthestraightguysopinionforthatpainting!)」優れたコレクターやディーラーは自らの美意識に則って作品を選んでいくし、当然知識も豊富なのだが、最初から全ての判断材料を持っているとは限らない。

そう云う時に、色々とサゼッションをするのも我々スペシャリストの役割と為る。

因みに、ニューヨークのアート・シーンで生きて行く為には、その世界にアーティストやディーラーとして数多く活躍するゲイの人達と仲良くした方が、色々と旨く行く……が、ゲイだろうがストレートだろうが、イイ奴はイイ奴だし、ムカつく奴にはムカつく訳だから、「ゲイと仲良くする」と云う事自体が既に可笑しな云い方かも知れない。

また、よく日本人の中に「彼はゲイだからセンスが良い」「ゲイ達は一般的に美的感覚が優れている」とか、「黒人は運動神経が良い」「リズム感が優れている」とか云う人が居るが、仮にある程度の傾向が認められるとしても、個別にはその人の資質に拠る部分が大きいだろう。

だから、そう云った「先入観」は良い評価にせよその逆にせよ、私の様な仕事に於いては危険でもある。

ニューヨークは、そんな意味でも人種やジェンダー、貧富の差や宗教、そしてテイストの坩堝なので、「先入観」等と云う物を捨てて掛からねば、とても生きて行けない街なのである。

美術品の価格をはかる「査定」

オークションで扱う美術品や品物の「査定」に就いても、簡単に説明しておこう。

査定と一口に云っても、その用途は多岐にわたる。

①「オークション・エスティメイト」(落札予想価格)これは文字通り、或る作品をオークションに出品する際にスペシャリストが付ける予想価格の事。

但しその値段はひとつでは無く、例えば一万~一万五〇〇〇ドルと云う様に幅が有る。

そしてこの値段は、出版されたりオンラインで公開されたりするカタログに表記され、買う人がどの位迄競るべきかの、ひとつの目安と為る。

②「リザーブ・プライス」(底値)これは「この価格に競りが到達したら、クリスティーズは売る権利を持つ」という価格(底値)の事で、法律上「エスティメイトの『下限』」より上に設定する事は出来ない。

例えば、一万~一万五〇〇〇ドルのエスティメイトの作品の場合、リザーブは一万ドル以下にしか設定出来ない。

それは競りがエスティメイトの下限を過ぎても「売らない」事を避ける為で、そしてこの「リザーブ・プライス」こそが売主との契約条件の元と為るのである。

③「インシュアランス・アプレーザル」(保険額査定)これは美術品の保険額査定の事。

例えば個人コレクターや美術館が買った作品に保険を掛ける時、また展覧会に貸し出す時の運送中の保険額等が含まれる。

万が一の時の為の数字なので、オークション・エスティメイトよりも高く付ける場合が多い。

④「エステイト・アプレーザル」(遺産査定)これはコレクターが亡くなった後、残されたコレクションの査定を遺族から依頼される物だ。

富豪コレクター等の場合、生活のあらゆる場面にアートが関わって来るので、複数の分野に跨る名品が一軒の家に相当量在ったりする。

例えば前述のイヴ・サン=ローランのコレクションの様に、印象派・近代絵画、二〇世紀デコラティヴ・アート、中国美術、写真、古代美術、シルバー等々。

この場合には、クリスティーズの各分野のスペシャリストが訪れて自分の専門分野の作品を査定し、それを総合して会社として査定書を提出する。

⑤「フェア・マーケット・ヴァリュー」(適正市場価格)この査定は特にIRS(アメリカの内国歳入庁)に提出する書類等に使用される、主に美術品に掛かる税金に関わる物である。

何れにせよ、その金額をクリスティーズが会社として承認した美術品の価格は、IRSの様な国の公的機関に対しても十分に通用するので(IRSの場合は、彼等の使う第三者機関が当然ウチの価格が適正かを調査する)、将来オークションに出品される、されないにかかわらず、顧客へのひとつのサービス・ビジネスと為っている。

が、スペシャリストが最も気を遣うのは、矢張り「オークション・エスティメイト」と「リザーブ・プライス」。

この「オークション・エスティメイト」と「リザーブ・プライス」に就いて、もう少し詳しく説明してみたい。

そして、これらを語るには、「オークション心理学」自体に就いても少々触れねば為らない。

美術品の値段はどうやって決まるのか?

査定の際の「値段の付け方」に就いて。

スペシャリストが作品に値段を付ける際には、実際幾つかのポイントが有る。

そのポイントを大まかに云えば、①相場②希少性③状態④来歴に為るだろう。

先ず①の「相場」は判り易いと思う。

美術品にも当然相場が有って、それは例えば「ウォーホルの《マリリン》のシルクスリーン」と云った典型的なモノなら幾ら、「一二世紀後半の、これ位の大きさの木造地蔵菩薩で、手と足が修復されている」なら大体幾ら、と云った価格基準が存在するのだ。

②の「希少性」は、査定する作品が非常に珍しい作品だった場合、その相場を元に付加価値を付けると云う事。

例えば世の中に桃山時代の屛風は数有れども、長谷川等伯の作品は少ない、と云う事だったり、この絵柄の壺は滅多に無い、と云った事である。

③の「状態」も明らかだろう。

これは、状態がどれ位悪いかによって、完品の相場価格から引き算をして行く、と思って頂ければ良い。

だが、恐らく皆さんに取って最も興味深いのは、④の「来歴」ではないだろうか?この「来歴」とは、その作品が辿ってきた「道」の事だ。

例えば重要文化財に為っている長次郎作の黒楽茶碗《銘大黒》を例に取ってみよう。

この茶碗は長次郎の黒茶碗の中でも大振りな事からこの名前が付いているが、この茶碗程その「来歴」がはっきりしているモノも無い。

この《大黒》の来歴は、恐らくはこの茶碗の制作者長次郎に注文したであろう千利休(一五九一年没)が所持して以来、利休の婿養子の少庵(一六一四年没)、孫の宗旦(一六五九年没)と千家を経て、一時宗旦門下の後藤少斎の元に移動するが、表千家四代江岑宗左(一六七二年没)の時代に千家に戻り、表千家七代如心斎宗左(一七五一年没)の頃迄千家在、その後三井浄貞の手を経て江戸時代中期には鴻池家に入り、戦後現在の所有者に移ったとされている。

要は一六世紀後半から二一世紀の今迄、《大黒》の辿ってきた道筋、「来歴」の殆ど全てが判っている訳だが、この事実、四〇〇年以上の間戦争や地震の多かった日本で、《大黒》自体が失われずに残って来た事の次位に凄い事だと思いませんか……。

ウーム、歴史のロマン此処に有り、ではないか!この様に史料的価値と共に存在する美術品の「来歴」の有無は、当然価格に反映する。

要は全く同じ茶杓だとしても、持っていたのが千利休か名も無き茶人かでは、値段が全然違うと云う事なのだ。

そしてこの「来歴」にはもうひとつ重要なポイントが有って、それはその来歴に名を連ねる過去の所有者達の「名前」と「眼」が、その作品のクオリティを「証明する」と云う事に他ならないからだ。

有名なコレクターが持っていた、或いは有名美術館が嘗て所蔵していたと云う事実、それが「目利き」の証明にも為るのである。

「有名個人コレクション」や、「ミュージアム・ディアクセション」(美術館が不要に為った作品を売却する事)と呼ばれるオークションがよく売れる理由は、単純に其処に有る。

オークションの心理学

さて、舞台がオークションの現場に移れば、我々の様なスペシャリストは舞台裏でそれを見守る事に為る。

オークションは云う迄も無く「競り」の場である。

そして先ず理解せねば為らないのは、その「競り」に参加する人の中には、競り負けたい人が居ない様に、高く買いたい人も居ないと云う事だ。

要は人間誰でも、出来るだけ安い価格で競り勝ちたいのである。

次に、クリスティーズがオークションで高額なハンマー・プライスを実現するには、何が一番必要か?それは強い「アンダー・ビッダー」(二番手)の存在である。

如何なる「競り」に於いても、最初はどんなに多くのビッダーが居ても、最終的には一対一の闘いに為る訳だが、ビッダーの数が多ければ多い程競りが活発に為り、値が上がって行く。

また人間一度競り出すと、元々決めてあった予算を超過した後も「もう一回だけ、行ってみようか」と思い、結局その後「もう一回だけ」と何度もビッド(入札)して仕舞う人も多い。

そしてこれらの人の「競り」に於いての心理要因を旨く惹きつけるのが、「コンサヴァティヴ」(保守的)なエスティメイトなのだ。

例えば私が或る作品を観て、大体一万ドル位の作品だと思うとする。

すると、普通オークション・エスティメイトとして、「一万~一万五〇〇〇ドル」と値を付ける所だが、それを敢えて八〇〇〇~一万ドルと付けるのである。

では、それによってどう云う効果が有るかと云うと、その作品目当ての人達、特に相場を知っている人達は「安いぞ!」「こりゃぁ、買い物だ!」と思い、そして遂には「旨くすると、意外に安く買えるかも知れない……」と思うのである。

この「コンサヴァ・プライシング」の狙いは当に其処で、この様に競りの事前に「お得感」を持つビッダーを数多く集められれば、自然と価格は上がっていく、と云う仕組みなのだ。

勿論「エスティメイト」を決める際、スペシャリストが付けたエスティメイトには売主の同意が絶対的に必要だし、売主が業者の場合には仕入れ値も有ったりするから、毎回「コンサヴァティヴで行こう!」と云う訳には行かないが、私の二〇年超の経験からも、この「コンサヴァ・プライシング」に代表されるオークション心理学を理解し、スペシャリストの付けた保守的なエスティメイトを承諾し出品した売主は、大体得をしている。

「信じる者」と書いて「儲かる」と読む(笑)。

保守的なエスティメイトを付けるスペシャリストを信用する顧客には、高い確率で高落札価格がもたらされるのだ。

オークション中には何が起きているのか?

では今度は、オークションが開催されている間に一体どんな事が起こっているのか、色々な角度から紹介しよう。

現在クリスティーズのオークションには、「ライヴ・オークション」と「オンラインオンリー・オークション」が有る。

「ライヴ」は通常のオークションで、オークション会場に顧客が集まり、オークショニアの下でパブリックにオークションが開催される物だ。

参加するには四種類の方法が有って、①会場に来てビッドする。

②前もってアブセンティー・ビッド(書面事前入札)を残す。

③会場に繫いだ電話で会話をしながらスタッフが代わりに競る(テレフォン・ビッド)。

④中継映像を見ながらオンライン上でビッドする、の四種類だ。

「オンラインオンリー・オークション」の方は、近年クリスティーズが力を入れているオークションである。

殆どの場合下見会も開催せず、オンラインでのみカタログを公開し、決められた日数の間だけオンラインでのみビッドが出来る、簡単に云えば「ネット・オークション」の事だ。

これが始まった当初は、二五年以上も業界に居る「前世紀の遺物」な私等は、「見も触りもしないで、高いモノ等売れる筈が無い」と正直思っていた……が、あにはからんや、二〇一九年のクリスティーズの上半期のレポートを見ると、「オンラインオンリー・オークション」の売り上げは、何と日本円で四〇億円超を記録している。

そして、それにも況して驚くのが、オンライン・セールでの単品史上最高価格が、何と九〇万五〇〇〇ドル(約一億円)である事だ(アメリカの現代美術家リチャード・セラの絵画)。

此処では伝統的且つ今も主流の「ライヴ・オークション」に限って話を進めたい。

皆さんも、テレビや雑誌でオークション風景の映像や写真を見た事が有るに違いない。

そう云った画は大概何か重要な作品が高く売れた時の物だ。

壇上で誇らしげにハンマーを振り上げる「オークショニア」と、その後ろに見える世界各国の通貨で表示された、指で数えなければ為らない位桁の多い数字、会場に溢れかえる満員の客達(客席が閑散としたオークション会場程、淋しいものは無い!)、そして電話ビッドのテーブルに集まったオークション・ハウスのスタッフ達。

そう、オークションの最中には、大きく分けて二種類の人間が関わっていて、それは会場でオークションを司る「オークショニア」と「クライアント」である。

オークショニアと云う指揮者

「オークショニア」は、文字通りオークションを司る花形。

が、そのオークショニアに為るには、先ず何と云っても数字に強くなくては為らない。

そして、ほんの数分の間に何億、いや何十億の作品を売る度胸が無ければ為らない。

また満員で見つけ辛い会場からのビッドや、既にオークショニア・ブック(出品作品のロット〈作品〉番号、簡単な作品説明、エスティメイトやリザーブ・プライス等が記されている、オークショニアしか見る事の出来ないノート・ブック)に記されたアブセンティー・ビッド、電話が並んだデスクで世界の顧客からの注文を受けるテレフォン・ビッダーからのビッド、その上オークショニアの目の前の画面に現れるインターネットでのビッド迄、全て一度に把握し、適切なインクリースメント(価格の上げ幅)でビッドを取ると云うバランス感覚と慎重さ、そして頭の回転の速さが必要なのである。

アメリカではこのオークショニアに為るには州からの「免許」が必要である。

オークショニアと云う仕事は誠に重要な役割を担っていて、公正な取引を司ると共に、何と云っても売り上げを上げねば為らないのだ。

そして驚くべき事に、オークショニアに拠って、売り上げがかなり変わって仕舞うのである!例を挙げよう。

クリスティーズの元「名誉会長」に、クリストファー・バージと云う人が居る。

クリストファーは元々印象派絵画のスペシャリストだったが、それ以上に彼は「二〇世紀最高のオークショニア」として名高く、映画『ウォール街』(マイケル・ダグラス主演、一九八七年)中で、ダグラス扮するゴードン・ゲッコーが美しきダリル・ハンナ扮するダリアンを連れてオークションに赴き、現代美術を落札するシーンでも本人自らがオークショニアを演じている程だ。

その彼の司るオークションは何時でも明るく誠実で、ユーモアとアートに対する敬意に溢れていて、たとえ売れ行きの余り良くないセールですら、終わった後には「結構売れたんじゃ?」と満員の顧客達に思わせるテクニックを持っていた。

そしてそれを会場の顧客達に信じさせるのは、彼の極めてチャーミングな風貌と誠実な人格なのである。

彼のその崇高なオークショニア振りには、大富豪の常連の顧客ですら、私にこう云った事が有る。

「クリストファーのオークションで競り落とすたび、ハンマーが机を叩く音と共に、彼の〝おめでとう!この作品は貴方のモノです!〟って云う言葉を聞く。

すると、競り落とした歓びも有るけれど、〝私は彼にそう云われたんだ!〟って云う、何か〝誇り〟の様な物を感じるんだよ!」それは、偶に彼がオークショニアを務めるセール中に、私が電話ビッドで落札した時も同様で、クリストファーに「カツラ、良くやった!(Welldone!)この美しい作品は、君の顧客の物だ!(Itsyourclientspaintingnow!)」等と云われると、自分の金で買った訳でも無いのに、彼に売って貰った事が誇らしく感じられたものである。

そしてこんな「雰囲気」がオークショニアには必要で、それは嘗て私がロンドンに居た時に、オークショニアに為るトレーニングを受けた時の事を思い出せば、合点が行く。

その時の講師は、何と「ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー」から来た俳優で、彼が云うには「オークショニアは〝壇上の俳優〟で、会場に満員の〝クライアント〟と云う楽団員を操る〝指揮者〟である」との事。

当に名言ではないか。

また最近では、女性のオークショニアも増えてきた。

が、私が入社した頃は未だ「風向き」が違っていて、英国人女性のオークショニアがロンドンでの日本美術のオークションをやっていた時の話……オークションが進み、焼物から漆器、そして今度は武具甲冑の分野へと進んだ時の事である。

彼女が刀のロットの競りを始めると、会場に居たひとりの外国人男性顧客が急に立ち上がり、こう叫んだ。

「女が神聖なる刀を競るなんて、どう云う事だ!不敬にも程が有る!早く男に交代させろ!」もう一度云うが、これを叫んだのは日本人男性ではなく、外国人男性ですからね、外国人!恐らく今のニューヨークだったら訴訟モノの発言だが、当時のロンドンではこの発言後どう為ったかと云うと、何と会社はオークショニアを男性に代えたのだった。

だが「女性オークショニアの利点」も有って、当時艶っぽい事で有名だった女性オークショニアに、よく私の担当する日本美術のオークションをやって貰っていたのだが、その時に何時も最前列に座る或る常連顧客が、私にこう云った事が有る。

「あのね、私がビッドすると、一番前だから彼女と目が何時も合うでしょ。

で、何回かビッドして予算の限界が来ると、当然止めるじゃない。

そうすると彼女が私の目を見ながら、Nomore?Areyousure?(もうお終い?本当に?)って聞くんだよ。

予算オーバーするからNo!って首を振るんだけど、それでもReally?Areyoureallysure?(本当?本当に本当?)とかまた聞くんだよね。

すると、何か彼女に〝何、もう終わりなの?本当に?情けない男ね……〟って云われてる様な気がしちゃって、〝ええい、もう一回!〟と思って、何度余計にパドル(番号札)を挙げて仕舞った事か……その分御社には余分にお金使ってますよ(笑)」これは半分冗談みたいな話だが、オークショニアと云う「俳優」に色々な意味での「魅力」は必要条件なのである。

買い手こそが「真の主役」

オークショニアの話は尽きないが、オークションに於ける真の主役は、云う迄も無く「顧客」なので、今度はオークション中の「顧客」の話に移ろう。

オークションに来る「顧客」には三種類の人々が居て、先ずは「見物する人」。

見物と云うと聞こえが悪いが、彼等には例えば「今回は買いたいモノが無いが、売れ行きを確かめたい」、或いは「あのコレクターとお近付きに為りたい」と云った思惑も有るだろう。

何時でもマーケットの現場に居る、と云う事は重要な事である。

次には当然「買う人」。

彼等はもう必死である。

例えば、自分の欲しいロットが近付いて来ても一向にポーカーフェイスで、予めオークション会社のスタッフと決めておいた「サイン」でビッドをするバイヤー。

私の経験で云えば、「眼鏡を触っている間は、ビッドする」とか、「胸ポケットにハンカチを入れたら、ビッドを止める」とか、もう野球のブロックサインなんか目じゃない位に、色々なサインが使われる。

また逆に、自分がビッドするロットが近付くに連れて顔面が徐々に高潮し、その儘「気合」でビッドする人も居る。

一度大変な事が有った。

それは私の担当オークションで、歌麿の物凄く貴重で状態も素晴らしく良かった代表作、枕絵本《歌まくら》を売った時の事だ。

何しろ作品のクオリティが非常に高かったので、金額はドンドン上がり、予想価格の上限を上回った頃、ひとりの欧米人男性が通路に飛び出し、ビッドは未だ一九万ドルなのに「二四万ドル!」と叫んだのだ。

海外のオークションでは、買い手は価格を口に出してはいけない(金額は決まった上げ幅で、オークショニアによって告げられ、買い手はその「次の金額」に対してパドルを挙げ、自分のビッドを表明する)。

そしてオークショニアが次に告げるべき金額が「二〇万ドル」であったにもかかわらず、である。

が、こんな時はまぁルール違反ではあるが、オークショニアはその男性の二四万ドルのビッドを取り、「次は二六万ドルです」と告げると、別の買い手のパドルがスッと挙がった。

すると「二四万ドル」と叫んだ買い手は即座に、次のビッドが二八万ドルにもかかわらず、今度は「三〇万ドル!」と絶叫した!この儘彼が買えれば良かった……が、世の中そうは問屋が卸さない。

直ぐに別の買い手が三二万ドルをビッドし、叫んだ三〇万ドルがリミットだったらしい買い手は通路に立ち尽くし、未だ競りが続いているにもかかわらず、パドルを床に叩きつけ、呪いの言葉を吐きながら足早に会場を去って行った。

因みにこの歌麿のハンマー・プライスは三八万ドルであった。

また先年、競合他社の日本美術オークションに於いて、大変不幸な事件が起きた。

オークション開催中、或るロットにビッドしていた男性顧客が突然倒れ、その儘意識不明と為り亡くなって仕舞ったのだ。

その顧客はディーラーで、元来高血圧と心臓に問題を抱えていたらしく、ビッド中に発作を起こして仕舞ったらしい。

プロたる者が買うと云う行為に大興奮した訳では無いだろうが、しかしオークションでは落札する時に一種の興奮状態にある事は多いに違いない。

一番緊張しているのは売り手?

さて今迄書いてきた様に、オークション中の「主役」は「買い手」としての顧客である。

が、では三種類の顧客の内一番緊張するのは誰かと云うと、それは意外にも「売り手」の顧客なのだ。

説明しよう。

「オークションに来る」と聞くと、通常「買いに来る」人と考えがちだが、そのオークションに「出品している」人も会場に来る事が意外に多い。

その理由は、自分が出品した作品が、幾らで落札されるかを自分の眼で確かめたいと思う人が多い事と、前に記した「3D」では無いが、矢張り「売る」には何某かの「理由」が有ると云う事だ。

当然出品者によって「理由」はマチマチだが、会社が倒産しそうだとか、高額な医療費を捻出する為であるとかの、深刻なケースも少なくない。

そう云った場合、「値段が思ったより高く為らなかった」と云う事は勿論そうだが、何よりも恐ろしい結果とは「不落札」(BI:BoughtIn)なのだ。

期待していた金額に届かないばかりか、一銭の金にも為らなかった場合の落胆は大きい。

例えば買い手は欲しい作品が買えなかったとしても、似た作品やその作品が何れマーケットに戻ってくる可能性も有るから、謂わば「次」がある。

が、「3D」の出品者に取っては「次」は無い場合も有るのだから、自分の出品作の番が来た時の緊張は計り知れない。

が、出品者に取って別の「緊張」のケースもある……。

或る高額な作品を売却した時の事だ。

その作品はかなり重要な作品で、オークション前から高値を呼ぶと想像されてはいた。

そしてその作品の出品者であるご夫婦は、オークション当日に会場にいらっしゃり、隣に座った女性スタッフの説明を聞きながら、作品の売れ行きとその行方を見届けようとされた。

そしてその作品の競りはゆっくりと始まったが、価格はどんどん上がり、エスティメイトの上限もとうの彼方に消え去り、その桁をひとつ超えそうに為った頃、出品者の奥様の顔は強張り始め、とうとう一桁を超えた頃には、スタッフの手を確り握り締めた儘、震えだして仕舞った(と、その時の女性スタッフに後で聞いた)。

結局その出品作品はエスティメイトの一〇倍で売れ、控えめで堅実な売り手のご夫婦とはその晩美味しい食事をご一緒して歓びを分かち合ったのだが、奥様にその時の事を尋ねると、「余りに高くなって、怖くなって仕舞ったのです……」と答えられた。

こう云った売り手の顧客には、オークションの神様は必ず微笑むのである。

日本美術品の史上最高価格の誕生

二〇〇八年三月一八日、オークションに於ける日本美術品の史上最高価格が誕生した。

作品は《伝運慶作木造大日如来坐像》、落札価格は一四三七万七〇〇〇ドル(当時約一四億三〇〇〇万円)であった。

落札者は百貨店の三越だったが、後に真のバイヤーが宗教団体「真如苑」だった事が判明し、大きな話題と為った。

そしてこの仏様は、翌二〇〇九年に国の「重要文化財」に指定され、クリスティーズが売った最も重要な日本古美術作品と為った。

……と云う話を詳しくしようかとも思ったけれど、本当に興味深いのはこの「結果」よりも、何方かと云うとオークションで売れる「迄」の話なので、そちらを書く事にする。

話はオークションの一年以上前、匿名の封書が東京のオフィスに来た所から始まる。

当時、日本出張に行く時は日頃から大変助けて貰っていた、クリスティーズのジャパン・オフィスのI君から見せられたその封筒には、この大日如来像が掲載されている東博(東京国立博物館)の研究誌「MUSEUM」が入っていて、一緒に入っていたオークション・エスティメイトの依頼が記された手紙には、何故か署名が無く、だがオーナーの物らしき「メルアド」だけが記されていた。

そしてそのメルアドで連絡を取ると、日時を指定して来た上で、「今〝仏様〟は東京国立博物館で展示されているので、其処で会いたい」とのお返事。

「お会いした事も、お名前も知らないのに、どうやったら貴方だと判るのですか?」と尋ねると、「此方が貴方達を判るから、問題ない」と云う。

まるでスパイ映画ではないか!I君と顔を見合わせ、「こりゃ何かの冗談では?」等と話し合ったが、好奇心の強いのがスペシャリストの性。

ふたりで東博へ赴く事にした。

その当時この大日如来像は、東京文化財研究所でのX線検査等を終え、東博にて厳重に管理・展示されていた。

この仏像の重要性は、現在清泉女子大学教授の山本勉先生に拠る、綿密な「運慶作」のアトリビューション(作者特定・作品帰属)研究と、この東文研でのX線検査に拠って確定的と為っていた。

それは運慶作品によくある様にこの仏様の刳り抜かれた内部に納められた三つの「納入物」、すなわち水晶の球をブロンズで作った葉に載せて蓮の実に見立てた「心月輪」と、水晶の五輪塔、そして恐らくは願主・年記・作者等が墨書されているであろう五輪塔形の木柱とが、X線写真に写っていたからに他為らない。

また仏像の底を漆で固め、封印して有る「札」が未だ残っていて、その事実はそれらの納入物が「八〇〇年間」一度も取り出されていない、業界で云う所の「ウブ」な状態である、との証である上に、この仏様の表面の状態も、欠け易い指や耳朶も完璧に残っていると云う、奇跡的と云って良い程に素晴らしい作品であったのだ。

国宝級の仏像、ニューヨークへの旅

さて、そのスパイ映画の如き待ち合わせの当日。

東博に向かったI君と私は、先ずは展示してあった大日如来坐像をジックリと拝見。

作品を観ては何度も辺りを見渡し、それらしき人が居ないかを確かめたが、判らない。

よくよく考えれば、こんな馬鹿げた映画の様な事は、有り得ないのではないか?誰かが仕掛けたタチの悪い冗談なのでは?と再び思った事を、此処で告白せねば為らない。

そして仏様の展示ケースから離れ、出口に向かった時、或る男性に不意に声を掛けられた。

それがオーナーとの初めての出会いと為った。

そしてオーナーから聞いた「売る理由」は、これだけ重要な作品を個人で持つ事は、保管等色々な意味で不可能である、と云う事だった。

その後、何回も打合せをし、サザビーズとのエスティメイト(彼等のエスティメイトはかなり低かったらしい)の競合にも勝った末、漸くクリスティーズのオークションへの出品が決まった。

その後も新聞一面にスッパ抜かれた「運慶米で競売へ文化財未指定海外流出の恐れ」の見出しに驚いたり、元々この仏様が在った可能性の有る地域で「売却反対運動」が起こったりもしたが、何とか無事に先ずは東京での下見会、そしてニューヨークでの下見会に漕ぎ着けた。

後から思えば、八〇〇年間日本から一度も出なかった仏像が、結果的にはたったひと月だけニューヨークに出掛けて、結局再び日本に戻った訳だが、ニューヨークでの一週間の下見会はそれこそ大フィーバーだった。

クリスティーズはオークションの下見会を、オークション当日迄五日間程一般公開して行うのだが、この期間これも誰でも参加出来る学術的レクチャーを開催する。

そしてこの時私が企画した、この仏様をフィーチャーした「鎌倉彫刻と慶派」に関するサム・モース先生のレクチャーも最高に面白く、大盛況であった!そして下見会を訪れた外国人達の中には、先ず仏様に頭を下げ、中には手を合わせる人も居たが、私の同僚で当時中国美術部門の部長をしていたアメリカ人女性等は、「何て美しいのだろう」と涙を流した程……そう、この仏様は「胎内に何が入っているか」、或いは「エスティメイトが幾らか」と云う以前に、それ程人を感動させる究極的な美しさを備えていて、それは「信仰の力」の威力とでも呼ぶべき、崇高な美の力であった。

また或る時、何処からかこの作品の情報を聞き付けて来たらしい、コロンビア大学医療センターの先生から私宛に電話があった。

何事かと聞くと、「我々の最新式のファイバー・スコープを使えば、胎内納入物を見て撮影出来ると思うが、やってみないか?」と云う。

成る程、この仏様は耳に穴が開いていて、其処からスコープを入れる事が可能かも知れなかったが、「これは買った人の〝お楽しみ〟なんです」とお断りした。

その為

に「運慶作」の前に、「伝」(英語での表記はAttributedto)を付けていたのだから(それと万が一内部が傷つくと大変ですから)。

*追記:二〇一七年に東博で開催された「運慶」展図録には、「ボアスコープ」を耳孔から挿入して撮影した五輪塔形の木札の写真が掲載されている。

トップ・コレクターが持つ〝歴史の一部〟を預かると云う

意識もう一点非常に印象的だったのは、この作品に非常にシリアスに興味を持っていた外国人顧客が、私に何回も、「この作品を買ったら、家に飾る場合、どの様に保管したら良いと思う?湿度を管理出来る、特別な展示箱を作ったら良いのか?それとも美術館に寄託した方が安全かな?」と聞いてきた事だ。

要はその顧客に取っては、値段等或る意味どうでも良くて(現にそれ位のお金持ちだったが)、自分が仏様の新オーナーに為った時の作品の保存の仕方だけを心配していた訳で、それは何しろ「今現在の状態を劣化させずに、後世に伝える」と云う、世界の如何なる美術品の分野に於ける「トップ・コレクター」達でも皆考える、「自分は〝歴史の一部〟を、ほんの一瞬預かるだけだ」と云う非常に謙虚な発想から来ている。

それなのにオークション終了後、日本の有名美術誌が「海外の金持ちがその価値もよく判らず、部屋の本棚の空いているスペースにポンと置いて仕舞う可能性の有る外国のオークション等に、この様な重要な日本美術品を出すべきでは無い」等と書いたので、私はもう本当に怒り心頭だったのだ!君達は外国の日本美術品コレクターの、一体何を知っていると云うのか?私が日本に住む「日本人」の家や蔵で、どれだけ大量の「状態の酷い」日本美術品を見て来たと思っているのか?本気で「外国人には日本美術の価値が判らない」と思っているのか?……と云う事は、日本人は絶対に西洋美術の価値が判らないとでも?君達は若冲コレクターのプライス氏や、日本でも展覧会を開催している、ファインバーグ氏やウェバー氏の日本美術コレクションを観た事が無いのか?あの作品群が「装飾品」のレヴェルだったり状態が酷いとでも?これ位で止めておくが、日本の有名美術誌でもこのレヴェルなのだから、辛い。

そしてもう一点、「宗教・信仰に関わる美術品を売買する等、トンでもない。

然もこれ程重要な仏教美術を、海外で売り飛ばすとは!」と云う意見も私の耳に多く入って来た。

その気持ちは判らないではない。

が、それら扱う人間に「扱わせて頂いている」感覚が有れば、良いのではないだろうか?私はその上で、世界の宗教美術からその良き精神を学び、その宗教を信仰する民達を理解尊重すれば、今のパレスチナ問題すら解決出来るのでは、と思う。

さもなくば、日本の美術館に在る全てのキリスト教美術(当然「購入」されている)や、元来外国の宗教であった仏教の美術品が、その宗教の発祥の地からすると「外国」である日本に在る意味が無い、と云う事に為って仕舞う。

重要な事は、「学ぶ姿勢」である。

日本人がキリスト教や仏教から「何か」を学ぶ様に(家が神道で、カトリックの学校に一四年間、プロテスタントの大学に五年間通った私もだ!)、そして外国人達がこの仏像の前で自然に手を合わせ、涙した様に、だ。

皆をハッピーにさせた奇跡の「仏像」

この《伝運慶作木造大日如来坐像》の思い出は尽きない。

が、一点だけ欲を云わせて貰えば、実は個人的には、この作品は外国に残しても良いと思っていた。

それは「快慶」の作品は在っても、「運慶」の作品は一体も日本国外に存在しないからである。

運慶は海外で、「東洋のミケランジェロ」と呼ばれる事も多い。

クラフトマンよりもアーティストを重要視する海外で、然も日本彫刻史上最高の彫刻家のひとりである運慶の作品がアメリカの美術館に在れば、この作品を通して日本美術全体のクオリティの高さ、精神性の高さ、延いては日本の素晴らしさを外国人達が学べる事は必至。

そしてそれは、例えば日本の美術館にミケランジェロの名品が在って、それに感動した日本の若者に「何時の日か、イタリアに行ってミケランジェロを沢山観るぞ!」と思って貰いたいのと同じ事だ。

が、私の持論から云っても、美術品は「行くべき所に行く」と云う事で、結局この仏様は日本に残る事と為った。

そして全ての下見会とセール、最後の日本への運送後では、クレート(輸送箱)を開けた美術品運送のプロの人が驚く位、一片の木屑も箱の中に落ちていなかった程、この仏様の状態は完璧だった。

そして先に記した大成功のセール結果は、高額で売却する事の出来た売り手、信仰の為の「ご本尊」を入手出来た買い手、そして手数料を手にしたクリスティーズ、日本に戻り「重要文化財」に為った作品を観る事が出来る日本国民の全てがハッピーと云う、私に取っては今迄のオークション人生に於いて最高の思い出と為った、奇跡的な仕事に為ったのである。

「プライヴェート・セール」で里帰りした「コレクション」達

さて今迄書いて来た様に、オークション・ハウス・スペシャリストたる私は、オークションに出品する作品を探し出して鑑定し、査定し、売る事を生業としているのだが、オークション・ハウスは実はオークションだけで美術品を売却している訳では無い……。

もうひとつセールの方法があって、それは「プライヴェート・セール」と云うやり方だ。

スペシャリストが作品を売り手から預かり、オークションに出さずに、極秘に買い手を探して売却すると云う所謂「相対取引」の事で、この場合も、クリスティーズはオークション同様売り手と委託契約を結び、手数料だけを頂く。

ではこの「プライヴェート・セール」に適しているのは、どんなケースか?それは例えば、自分の持ち物が世間の眼に晒されるのを嫌がる人、売値・買値を世間の人に知られたくないコレクターが主だが、此処数年私が尽力しているケースは、①ある特定の買い手に買って貰いたい、②コレクションを散逸させずに売却したい、と云う売り手の希望を叶える物だ。

そこで此処数年の成果を此処に記せば、①の例では後で述べる石庭で有名な京都の龍安寺の襖絵、②の例では「マネージメントの神様」P・F・ドラッカー博士のコレクション、そして最近出光美術館が購入を発表して話題を呼んだ、奇想の絵師伊藤若冲を中心とするプライス・コレクション等だろう。

特に②の場合は「コレクションの散逸を防ぎ、一箇所に纏めて収める」と云う大義を満たし、それに相応しい「人や場所」を探すと云う大仕事が有るのだが、その分やり甲斐もあり、成功した際の歓びも大きい。

オークションはある意味フェアで、誰でも最高価格を付ければ買う事が出来るが、プライヴェート・セールではそうはいかず、お金だけでは買えない……。

それは「縁」や「タイミング」、また色々な意味での「意思」が働くからだ。

そしてこの事実に私は、「モノは行くべき所に行く」を痛感させられるのである。

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