第二章修道院の奇妙な実験修道女の若い頃の自叙伝を六〇年後に検証した研究がある。
分析してみると、陽気で明るい修道女は、暗い同僚より平均で一〇年も長寿だった。
楽観的な神経回路は健康や人生の成功までもたらすのだ
デーヴィッドのことは今もはっきり覚えている。
小学校で一緒だった男の子だ。
アイルランドの海で、彼のブロンドの巻き毛はひときわ目立っていた。
彼はわたしがそれまで出会った中で、脳の快楽の領域をだれよりも強くはたらかせている人間だった。
デーヴィッドがやってくると、彼からあふれる陽気で楽しい空気がまわりに伝わり、部屋はいっぺんに明るくなるように感じられた。
デーヴィッドはだれからも愛されていた。
ほがらかで、魅力的で、そして稀代のリスクマニアだった彼は、一五歳になるまでに、崖から飛び降りてみたり父親の車でどこかに衝突したりし、ドラッグとセックスも体験済みだった。
彼は何につけても興奮を限界まで追い求めた。
デーヴィッドにとって、不安と楽しみは表裏一体だった。
アドレナリンの奔流を求めて彼はつぎつぎ危険を探求し、一六歳のとき、ビルの屋上から屋上へと飛び移る最中に足を踏み外して転落死した。
親や教師らは自殺を疑ったが、憂うつはデーヴィッドに無縁であることをわたしたちティーンエイジャーはよく知っていた。
彼が命を落としたのは、楽しさを求めすぎたせいだ。
デーヴィッドの例は、前章で述べた「サニーブレイン」の光と影を浮き彫りにしている。
脳の原始的な領域の奥には快楽をつかさどる場所があるが、サニーブレインのおおもとで火花をあげているのは、このいわゆる〈快楽中枢〉だとわたしは考えている。
快楽の追求がほとんど依存症にまでなってしまうデーヴィッドのような人もいるが、快楽を求めること自体はどんな人間でも同じだ。
豪華な食事をしたあとの満足感やひいきのスポーツチームが勝利をおさめたときの高揚を思い出してほしい。
あるいは長い一日のあとでようやく腰を下ろし、食べたい食べたいと思っていたチョコレートバーの包み紙を破っているところを想像してみよう。
絹のように滑らかな表面をかじると、味と香りが感覚を満たし、濃厚なチョコレート特有の快楽が広がる、あの感じだ。
こうした感覚は、快楽を求める脳の作用を通じてもたらされる。
そのおかげで人間は、生存上好ましいことに反応できる。
快楽をつかさどるこの中枢は、サニーブレイン全体を動かすいわばエンジンルームだ。
そしてサニーブレインは、楽観的な心の傾向を助長する役目を果たす。
だから、楽観がどこからきているのか理解するためには、サニーブレインの中にあるこの領域のはたらきを、もっと詳しく知る必要がある。
快楽のシステムの役目は、生物学的に好ましいものごとに人間を誘いこむことだ。
たとえば、豪華な食事を一人ではなく家族や友人とともに食べるとき、大きな喜びを感じるのはなぜか?それは、支えあうネットワークや食べ物があることが昔も今も、幸福と生存のために不可欠な要素だからだ。
快楽の回路は、生存の可能性を高めるあらゆるものごとを感知する。
五感が快感のまさに根幹にあるのはそのためだ。
恋人に抱擁される感覚やコーヒーの豊かな香り、そして潮風のさわやかさなどの感覚はわたしたちの気分を高揚させ、バラ色に近い人生観を築くのを助ける。
暖をとるための薪を一本見つけることも、凍るように寒い一日の中では生物学的に十分意義深い行為であり、それを何度でも繰り返させるために快楽中枢は、脳内で神経学的な反応をスパークさせる。
こうした快感があるからこそ多くの人は、人生を生きるに値するものだと感じる。
もしも薔薇の(あるいはコーヒーやチョコレートの)香りをかぐために歩みを止めることがなかったら、「生きている」という実感を得たり、幸福な気持ちや前向きな気持ちを感じたりするのはきっとむずかしくなるだろう。
快楽を感じられなくなった青年皮肉にも、この見解についての新しい証拠は今、抑うつ症に関する科学的研究からもたらされている。
楽観と悲観に関するわたしの調査に参加してくれたアンディという青年は、数年にわたり深刻な抑うつ症に悩まされていた。
薬をあれこれ試してもカウンセリング療法を受けても、暗い気分はなかなか改善しなかった。
けれど彼にとっていちばん苦痛なのは、暗い気分でも生活全体を覆う悲観的な気持ちでもなかった。
ほんとうの悩みの種は、本人いわく「喜びを感じられない」ことだった。
「以前は、生活を楽しむことができた」とアンディは言う。
「美味しいコーヒーを一杯飲むとかの、日々のささやかな喜びにちゃんと心が浮き立っていた」。
けれど今は、憂うつな気分の先ぶれのようにして、快楽の欠乏感が彼を襲うのだという。
「そういうときは何もかもが生彩を欠いて、何にも興味をもてない。
すべてがぼんやりしていて、生きている感じがしないんだ」と彼は語った。
アンディは友人と会うことにもセックスをすることにも、そして映画を見たり外で食事をしたりという単純な喜びにさえも、だんだん興味を失っていった。
恋人ができても関係は長続きしなかった。
快楽を経験できないこの状態は医学的には無快感症と呼ばれ、抑うつ症の主たる要素であると同時に、悲観主義とも密な関係にある。
神経科学の研究によれば、抑うつ症患者の脳内では快楽の領域が異常に不活発になっている。
いっぽう、生きることに深く意欲的にかかわっている楽天家が快楽を経験したり感じたりできないというのは、まずありえないことだ。
楽天的な人はたいてい意欲とエネルギーに満ちあふれ、人生がさしだしてくるものを余さず楽しむ貪欲さをもっている。
暑い夏の日に冷えたビールを飲む、感覚的な至福。
あるいは、すばらしい絵画に魅了されるときの、抽象的な至福。
さまざまな喜びや快楽を味わうことは、楽観主義の中心に位置している。
脳内の快楽中枢の正体がわかった心理学者と神経科学者は今、何かの経験やものごとをより輝かしく、バラ色に見せるライトのようなはたらきをする、脳のある部分について、より多くの情報を集めようと研究を重ねている(1)。
ある種の経験を〈快楽のリップグロス〉あるいは〈快楽の色調〉で色づけることで脳は、人間が特定のものごとを確実に〈バラ色のメガネ〉を通して見るように仕向けている。
生存上好ましいものごとをまちがいなく追求させるために、自然はこんな巧妙な手口をつくりあげたわけだ。
重要なのは、快楽が単なる感覚的な経験にとどまらないことだ。
オランダの心理学者ニコ・フリーダの言葉を借りれば、快楽とは、脳が感覚に塗りつけた〈魅惑の光沢〉であり、その輝きが人間を食物や水やセックスなどの有益な目的へと促す。
それがもしもなかったら、人間はおそらくこんなに長く生きることはできないはずだ。
たいせつなのは快楽が、快楽を追求する力を生むことだ。
快楽を追求する力は、人間を動かす非常に重要な推進力のひとつだ。
快楽の追求と並ぶもうひとつの重要な力が、危険や苦痛の回避だ。
古代ギリシャの哲学者エピクロス(紀元前三四一~前二七〇)は快楽を「苦痛の欠落」と定義した。
一八世紀イギリスの哲学者ジェレミー・ベンサムもまた、人間とは快楽を追求し苦痛を回避するようにつくられていると信じ、ゆえに快楽と苦痛を「人類の二人の主君」と定義した。
現代科学においてもやはり、快楽と苦痛は人間を動かす重要な力だと考えられており、科学者は快楽を測定する手段を見つけ、脳
内の快楽の源泉を探しあてるために研究を重ねてきた。
その結果、快楽の追求において中心的な役割を果たすのは側坐核と呼ばれる小さな組織であることがあきらかになってきた。
脳の原始的な領域に属するこの組織は大脳皮質の下、脳のちょうど正面に位置している。
科学における多くの重要な発見と同様、この〈快楽中枢〉が発見されたのもまったくの偶然からだった。
ラットが脳に流れる電流の「中毒」になった話は一九五〇年代にさかのぼる。
ジェームズ・オールズとピーター・ミルナーという二人の若い心理学者は、脳がどのように睡眠と覚醒のサイクルをコントロールしているかを解明しようとしていた(2)。
研究を重ねるうち二人は疑問を解くために、ラットの脳に電流を流すという実験を計画した。
まずラットの脳の奥に電極を埋め込み、特定の場所に弱い電流を流し、行動にどんな影響が生じるかを観察する。
脳には痛みの受容体(レセプター)が存在しないため、この過程自体は無痛だ。
電極を脳に埋め込む処置は、一般的な麻酔でラットを眠らせてから外科的に行う。
手術を終えて目覚めたラットは、頭の中に電極が入っていることなどつゆ知らぬまま、あたりを自由に動き回ることができる。
オールズとミルナーは、脳のどの部分が覚醒にかかわっているかについて、おおかたの予測をつけていた。
そしてその場所に刺激を与えれば、決定的な証拠が得られるともくろんでいた。
二人が電極を埋め込もうと考えていたその場所とは、脳の正中線沿いに位置する中脳網様体と呼ばれる部分だ。
それまでの研究から、睡眠と覚醒のサイクルをつかさどるのはおそらくこの場所だと推測されていた。
しかしながら快楽の科学にとっては幸運なことに、二人の心理学者の手術の腕にはやや難があり、本来意図していた場所からわずかにずれた位置に電極を差し込んでしまった。
だからいざ電極にスイッチを入れても、ラットの覚醒レベルにはまるで変化が起きなかった。
けれど、別の現象が起きた。
スイッチが入ったその瞬間にいた場所へと、ラットがまるで引き寄せられるような動きを見せたのだ。
それまでケージの中をぐるぐる走っていたラットは、急に立ち止まり、電流が流された瞬間にいた、まさにその場所へと駆け戻ってきた。
そしてあらゆるサインを用いて「もっと電流を流してほしい」と訴えてきた。
「何か」にぶち当たったらしいという感触を得たオールズとミルナーは次に、今も有名な、ある実験を行った。
ラットに、電極にスイッチを入れるレバーを好きなだけ押してよいという自由を与えたのだ。
結果は驚くべきものだった。
ラットはその弱い電流をどれだけ流しても飽き足りず、何度も何度も繰り返しレバーを押しつづけ、その回数は一時間に二〇〇〇回近くに及ぶこともあった。
ラットはあともう一度レバーを押すためなら、食べ物や水を摂るチャンスも、そして交尾をするチャンスさえも棒に振った。
オールズとミルナーはようやく自分たちが電極を、当初意図していた中脳網様体ではなく側坐核に埋め込んでしまったことに気づいた。
この小さな場所はまもなく「報酬中枢」もしくは脳の「快楽地帯」として知られることになる。
この新発見の領域を刺激することで抑うつに悩む人々を助けられないかどうか調べるため、人間の脳に電極が埋め込まれるまではあっというまだった。
先のアンディのように快楽を感じられないケースでも、脳のこの部分を繰り返し電気で刺激すれば、おそらく快楽のシステムが動き出すためのはずみを与えることができ、最終的には抑うつ症の暗い雲を追い払えるかもしれないと推測されたからだ。
人間の側坐核を刺激するさまざまな精神疾患患者の脳に初めて電極を埋め込んだのは、ニューオリンズのチュレーン大学医学部のロバート・ヒース博士で、その実験は、精神科学の実験の中でも最大級の議論を呼ぶことになった(3)。
彼の見解では、抑うつ症や統合失調症など多くの精神疾病の根本的な原因は、脳内で快楽に反応する部分が機能不全になっていることだ。
だから、その機能の回復さえできれば、いろいろな精神疾患を癒せるはずだとヒースは考えたのだ。
被験者のひとりである患者B‐一九号は、典型的な例だった。
数年にわたりひどい抑うつに苦しんできたこの二四歳の男性は、毎日のように自殺願望に悩まされていた。
オールズとミルナーの研究に触発されたヒースは、この患者B‐一九の脳の奥のあちこちに小さな電極を埋め込んだ。
患者が手術から回復すると、研究チームはひとつひとつの電極に順に電流を流し、どんな気分がするかを質問した。
おおかたの電極からは何も反応は得られなかったが、側坐核に埋め込まれた電極に電流が流れると、B‐一九はすぐにはっきりした反応を示した。
「気持ちが良くて、暖かい感じがする」と彼は言い、自慰や性交をしたいという欲望を感じた。
オールズとミルナーの実験のラットと同様に、この若い男性は電極のスイッチを三時間のセッションで一五〇〇回以上も押し、セッションが終わりになると強い不満をあらわにした。
この新しい技術に関するニュースはたちまち広まり、他の病院の患者でも同様の結果が出たという報告があちこちで聞かれるようになった。
当時イエール大学に勤務していたスペイン人の神経科学者ホセ・デルガドは、ヒトを含むさまざまな動物の脳に電極を埋め込む実験を多数行ったことを報告している。
おそらくいちばん有名なのは、脳に埋め込んだ電極を刺激することで、大暴れしていた牛をたちまちおとなしくさせた実験だ。
デルガドは一連の実験結果から、人間においても側坐核の刺激は憂うつを晴らす効果が──すくなくとも一時的には──あることを発見した。
しかしながら、この「一時的には」という点が、くせものだった。
側坐核に埋め込んだ電極を刺激すれば強い効果が得られるのは事実だ。
だが、その効果が長時間継続することはけっしてない。
つまり、側坐核に電極を埋め込んで抑うつ症を治療するという方法は、実効性がきわめて低かったのだ。
快感が持続性をもたないのは、じつはまったく理に適っている。
食べる・飲む・生殖するという衝動はどれも、種が生き延びるために不可欠な要素だ。
けれど、ひとたび食べたり渇きをいやしたり性交をしたりすれば、快楽のスイッチをずっとつけておく必然性はなくなる。
だから、快感だけをたよりに幸福を追求するのはそもそも無茶な話なのだ。
ともあれ側坐核の刺激が、何かをさらに欲望させるはたらきをもつのはたしかだ。
このしくみを理解するために、いったん脇道にそれて、脳内のコミュニケーションについて考えてみる。
すこしだけ、解剖学の話脳の構造を見るにはいくつかの方法がある。
鏡像のようになった左右ふたつの半球からできていると見る方法がひとつ。
そのほかに、脳を下から上へと三つの部分に分けて考える方法もある。
いちばん下の、脳と脊柱が接続している部分には、生命活動に不可欠なたくさんの組織がおさまっている。
この部分は呼吸を維持したり血圧や体温を適正に保ったりするなど、生命の維持全般にかかわる仕事を行う。
それよりひとつ上の真ん中の階には、感情や記憶をつかさどる重要な器官が多く含まれている。
〈皮質下〉としばしば呼ばれるこの部分は、そのさらに上にある大脳皮質よりも進化上ではずっと起源が古い。
事実、この〈中脳〉とも呼ばれる部分にある多くの──扁桃体、側坐核、海馬などの風変わりな名で呼ばれる──組織は、他のさまざまな生物の脳にも類似のものが存在している。
けれど、大脳皮質については話がちがう。
人間の大脳皮質は進化の過程で大きく成長し、頭蓋の中にきちんとおさまるために細かく折りたたまれることを余儀なくされた。
その結果、人間の脳は、細かなしわが複雑に入り組んだおなじみの様相を呈するようになったわけだ。
この大脳皮質は中脳をくるみこんでおり、言語や推論や想像など、人間特有とされる属性の多くを担当している。
脳のこうした各領域は全体で統制のとれた活動をするために、たがいに連携しあっている。
個々の領域が緻密なネットワークで結ばれているおかげで、脳のあ
らゆる部分はたがいに〈会話〉ができるのだ。
こうした脳内のネットワークがどのように発達するのか理解するために、まず脳の内部でのコミュニケーションがどのように行われるのか見てみよう。
脳内に存在するいくつかのタイプの細胞の中で、メッセージを送ったり受け取ったりするのにいちばん重要な役割を果たすのが、ニューロンという名で知られる神経細胞だ。
ニューロンは樹状突起、体、軸索の三つの部分から構成される。
樹状突起は木の枝のような形をしており、他のニューロンからの信号を受け取る役目を主に果たす。
体は細胞の体にあたり、DNAをはじめ、細胞が生きつづけるのに必要な、大事な物質がすべて含まれている。
そして軸索は生きている電源ケーブルのようなはたらきをもち、電気的信号を他のニューロンの樹状突起に向けて瞬時に運ぶ役割を果たしている。
脳内にある軸索の大半はきわめて長さが短いが、中には脳から足まで伸びている、二メートル近い軸索もある。
「神経伝達物質」の発見おおかたの神経科学者が一致して認めるのは、ヒトの脳内には──個数は諸説あるが──一千億を超えるニューロンが存在すること、そしてそれぞれのニューロンが一万におよぶ他のニューロンとコンタクトできることだ。
つまりニューロン間では、驚くほど複雑なコミュニケーションが可能なのだ。
神経科学の初期においては、このニューロン同士の「会話」は、ニューロンからニューロンへと発せられる電気的信号を媒介に行われるというのが通説だった。
この見方が大きく変わるきっかけになったのは、オーストリアのグラーツ大学の薬理学教授オットー・レーヴィ(一八七三~一九六一)が一九二一年に行ったある重要な実験だ(4)。
その年の復活祭のころ、レーヴィは日記に「眠れない夜がつづいている」と記した。
彼の頭を占めていたのは、「ニューロン間のメッセージ伝達に関わるのは、はたして電気的信号だけなのか?」という疑問で、おそらくそこには化学的な物質も関与しているはずだとレーヴィは推論していた。
いらいらしながら横になっていたある晩、彼はたびたび目を覚ましては、夢の中で浮かんだいくつかのアイディアを紙に書きとめた。
けれど翌朝目覚めると、アイディアはことごとく頭から消えていた。
おまけに、走り書きしたメモの字は判読が不可能だった。
「絶望的」と日記に記しながらも彼は、重要な何かを夢で見ていたことに気づいていた。
次の夜半にまた同じ夢を見て目覚めたとき、レーヴィは実験室に直行した。
レーヴィはどのように謎を解明したのか。
そのとき彼にわかっていたのは、「心臓の鼓動の速度を統御しているのは迷走神経」であり、「この神経を刺激すれば鼓動を遅くできる」ということだ。
だが、そうした現象が起きるのは電気的信号が神経から心臓へとジャンプするからなのか、それとも神経から心臓へと何かの化学物質が浸み出るからなのかが、わからなかった。
これを解き明かすためにレーヴィは巧妙な実験を考えた。
彼はまず、二匹のカエルの心臓を迷走神経がついたままとりだし、まだ鼓動しているひとつの心臓を溶液の中につけた。
この心臓についている迷走神経に刺激を与えると、予想していたとおり、鼓動の速度は遅くなった。
レーヴィはそこですばやく、もうひとつのカエルの心臓を同じ溶液の中に入れた。
すると、はたしてこちらの心臓も鼓動の速度を落としはじめたのだ。
このまさに「ユリイカ!」の瞬間、レーヴィはニューロン間の情報伝達に化学物質が関与していなければならないことを発見した。
そうでなければ、二番目の心臓の鼓動が遅くなった理由は説明がつかない。
レーヴィが発見したこの現象は〈神経伝達〉と呼ばれることになる。
レーヴィは一九三六年にノーベル賞を、長らく一緒に研究を行ってきた友人であるイギリスの科学者、サー・ヘンリー・デールと共同受賞した。
神経伝達の化学的基礎をレーヴィが発見したのは一九二一年のことだが、その化学物質アセチルコリンが特定されるまでにはさらに一二年の月日がかかった。
それから現在までに発見された神経伝達物質の数は、五〇を超える。
ニューロンの軸索の末端にはシナプス小胞と呼ばれる小さな袋がついており、その中にドーパミンなどの神経伝達物質が入っていることも、今ではわかっている。
電気的信号が軸索に到達すると、シナプス小胞はニューロンの先端に移動し、ニューロンとニューロンのあいだの小さな空間に袋の中身を放出する。
放出された神経伝達物質は、シナプス間隙と呼ばれるこの空間を漂う。
その神経伝達物質を、次の細胞の樹状突起の壁についているレセプターが探知する。
探知された神経伝達物質が正しい形なら、それはレセプターにちょうど鍵と鍵穴のようにぴったりはまる。
こうして神経伝達物質を受け止めたニューロンは、今度は自身の軸索に電気的信号を送る。
それがまた神経伝達物質を放出する引き金となり、このプロセスが次々に繰り返されていく。
もしも神経伝達物質がレセプターにぴったり合う形でなければ、次のニューロンが刺激されることはない。
「欲する」物質と「気持ちよくする」物質サニーブレインの中でもっとも活発にはたらいている化学的メッセンジャーはドーパミン、そしてアヘンと似たはたらきをする脳内物質のオピオイドだ。
側坐核を構成する細胞にはこのドーパミンとオピオイドのどちらかが含まれており、これらの神経伝達物質の活動こそが、人間がさまざまな経験を楽しんだり欲したりするのを促している。
これらは、サニーブレイン全体のエンジンルームでいわばオイルの役目を果たしており、楽観をつくりあげる基本要素のひとつだ。
砂糖水などのご馳走を与えられたり、性交したりすると、ラットの側坐核内のドーパミンのレベルは急上昇する。
人間にも同様の現象が起きる。
前述の患者B‐一九の場合でも、側坐核に埋め込んだ電極を刺激すると、ドーパミンの分泌が増大するのが確認された。
楽しい活動をすることもまた、ドーパミンの分泌にはずみをつける作用をもつ。
この事実について、ロンドンの神経学研究所の神経科学者マティアス・ケップが興味深い実験を行っている(5)。
被験者の学生に脳スキャナーの中で横になってもらい、戦車を倒すビデオゲームをしてもらう。
敵戦車を撃破してたくさん旗を集めれば、学生はそれだけ報奨金を得られる。
ゲームがスタートすると、敵戦車を倒すたびに、被験者の側坐核でドーパミン値が急上昇することが確認された。
だが、快感とは単にドーパミンだけがかかわるものではなく、もっと複雑なしくみをもつことがわかってきている(6)。
快楽中枢を機能させるためにオピオイドが重要な役目を果たすという一大発見をしたのは、ミシガン大学の心理学者ケント・ベリッジだ(7)。
ベリッジは多数のラットの側坐核を刺激する実験で、「オピオイドを含むニューロンが活性化すると、甘いものはより甘く感じられる」ことを突きとめた。
ラットを用いた別の実験からは、オピオイドのレセプターを活性化する合成ヘロインを注入してもらうためなら、ラットがどんな種類の輪くぐり練習も嬉々としてこなすことが確認されている。
ベリッジはその後、コカインを(医療目的ではなく)楽しみのために使用する人々を対象に、ある実験を行った。
コカインは脳内のドーパミンを増加させる作用をもつ。
それゆえ長きにわたり、コカインを摂取すると気持ちがよくなるのは、ドーパミンが増加するせいだと考えられてきた。
だがベリッジが実験で、コカイン摂取後の典型的現象であるドーパミンの増加を人工的に抑制したところ、注目すべき発見があった。
ドーパミンの分泌を抑えても、コカインがもたらす快感自体はすこしも減少しなかったのだ。
変化したのは、コカインに対する欲望のほうだ。
つまり、コカインがもたらす快感自体に変化はなくても、それをもっと摂取したいという欲望が減少したわけだ。
この発見からベリッジは、ドーパミンが担うのは何かを「欲する」ことであって、何かを「気持ちよく感じる」ことにはかならずしも関係しないという重大な洞察を引き出した。
「欲する」ことと「気持ちよい」ことのふたつは快感という現象の異なる側面であり、それぞれに独自の神経伝達物質が関与している。
生物学上好ましい経験をより輝かせ、「気持ちよく」見せるのがオピオイドのはたらきなのに対し、ドーパミンはその経験を「欲して」反復させる作用をもつのだ。
側坐核と前頭前野のバランスが大事快感によって──その手段は、セックスでもドラッグでもチョコレートでも、ゲームをすることでも、脳に埋め込んだ電極にスイッチを入れることでもかまわない──刺激を受けると、側坐核はドーパミンとオピオイドを分泌する。
このように化学物質を媒介にして、細胞と細胞はコミュニケーションを行う。
そして、ニューロンが同じ相手同士で何度もこの「会話」を繰り返すと、脳内の異なる領域を結ぶ経路が発達する。
水の流れが砂を掘り、水路をつくるのと同
じように、ニューロンとニューロンがシナプスを通じて結びつけば、そこには通り道ができる。
その道を使って、脳内の離れた場所同士でもすばやいコミュニケーションができるようになる。
サニーブレインのような大きな回路も、このようにして形成される。
つまり、神経伝達物質のはたらきにわずかでも変化がおきれば、脳のネットワーク全体の反応に、そして結果的には人格や気質にまで影響が及ぶ可能性すらあるのだ。
脳には前頭前野と呼ばれる組織がある。
これは大脳皮質の一部で、両目の上、ちょうど額のあたりに位置している。
この前頭前野の特定の場所のニューロンと、側坐核に含まれるニューロンとの結びつきから、サニーブレインの回路はつくられていく。
サニーブレインの回路の全体的な構造はこんなふうだ。
まず、感情や快感にかかわる皮質下の組織と、やはり皮質下にある側坐核に結びつきが生じる。
そしてそれが、前頭前野などの離れた領域まで広がっていく。
前頭前野は計画づくりや推論、問題解決など多くの仕事をうけもつが、側坐核などの原始的な組織のはたらきを抑制するのもその大事な役目だ。
ケーキ屋に足を踏み入れ、ケースに並んだ色とりどりのケーキの香りに鼻をくすぐられているところを想像してみよう。
そういうとき、側坐核はすぐさま報奨を感知して「さあ、ケーキを食べろ!」とサインを発する。
だが、前頭前野は状況を的確に見定め、「パニックになる必要はなし!今、飢え死にしかけているわけではないよ」とサインを送りかえす。
側坐核は人間を快楽へと駆り立て、前頭前野はそうした原始的な衝動を抑制する。
両者はちょうど車のアクセルとブレーキのようにはたらく。
そうして情報が行き来を繰り返すうち、側坐核と前頭前野というふたつの領域はひとつのユニットとして反応するようになる。
脳の下部に位置する側坐核から上部の前頭前野へ、そしてまた逆に前頭前野から側坐核へというつながりは、ポジティブな状況や、報奨がもたらされる状況への反応をコントロールするのに、なくてはならない回路だ。
この、脳内の古い領域にある〈快楽中枢〉と、大脳皮質にある近代的な〈制御中枢〉との力関係は、一方が人間を行動へと押し出し、一方がそうした衝動を抑えるという、非常に微妙なものだ。
両者のバランスがうまくとれたとき、この回路は、幸福と楽観に向けてわたしたちの背中を押してくれる。
楽観主義者のサニーブレインは、より活発なのか?先述した抑うつ症のアンディの経験は、快感の消失が、抑うつ症に伴う悲観的な気分以上にやっかいなものであることを示している。
生きるうえでの単純な喜びを感じなくなるこの無快感症が、これまで気づかれずにいた抑うつ症の重要な一面だと神経科学者が理解しはじめたのは、ごく最近のことだ。
けれど、快楽を感じられない抑うつ症の人と楽観的な人とで、サニーブレインの回路自体に相違があるという科学的な裏づけは、もうすでに集まりつつある。
ウィスコンシン大学の心理学者リチャード・J・デーヴィッドソンはこの考えを検証するために、抑うつの被験者二七人と、健康でおおむね幸福な一九人の対照群の人々に次のような調査を行った(8)。
日々の生活における気分の浮き沈みを再現するために、ポジティブな場面とネガティブな場面を含む一連の画像を被験者に見せ、その間、彼らの脳をfMRIでスキャンするのだ。
被験者は一回のセッション(約四〇分)のあいだ、脳スキャナーの中に仰向けに横たわり、頭のすぐ上に設置されたスクリーンに次々あらわれる画像を見る。
セッション開始からしばらくのあいだ、楽しい画像が映し出されるたびに被験者の側坐核は強く活性化した。
これは予測どおりの展開だった。
予想外だったのは、抑うつの人とそうでない人とで、側坐核の反応にこの時点では大きなちがいがなかったことだ。
抑うつの人々の側坐核は対照群とほとんど同じように、すみやかに活性化された。
だが、セッションが半ばを過ぎたころ、展開が変わった。
楽しい画像が映し出されたとき、対照群の側坐核は前と同じように活性化し、その状態をしばらく保ったが、抑うつの患者の側坐核は活性化してもすぐ、もとの状態に戻るようになってしまったのだ。
つまり、快楽中枢を活性化してもその状態を維持できず、そもそも短命な快感がもっと短命になってしまったのだ。
この調査結果をくわしく見ると、これが単に快楽中枢だけの問題ではなく、サニーブレインの回路全体にかかわっていることがわかる。
セッションの初めのほうで側坐核が活性化しているときは、前頭前野も同じように活性化した。
だが、セッションの終わりのほうで側坐核の活動が弱まると、前頭前野もまた活動が低下していたのだ。
つまり、抑うつの人々は快楽を感じられないというよりも、快感の維持が不得手なのだ。
じっさい、実験中に側坐核の活動がいちばん急激に弱まった被験者は、快楽や幸福をいちばん経験しにくいと報告していた人々だった。
抑うつ型の脳のはたらきがポジティブな感覚の保持をむずかしくしていること、そしてサニーブレインの回路が快感や幸福度を高めるのに重大な役目を果たしていることを、実験結果は強く示している。
美味しそうなチョコレートを見ると、左脳のニューロンが動き出すサニーブレインの回路が楽観主義において重要だという証拠はあるのだろうか?脳の活動を計測する複数の実験結果からはサニーブレインの回路が、幸福や快楽の経験だけでなく、報奨に接近しようとする欲望にもかかわっていることが示されている。
そして報奨に向かう欲望は、楽観を構成するたいせつな要素のひとつだ。
被験者の頭にたくさんの電極を貼り付け、脳内で瞬間ごとに発生する何百万ものシナプスの電気的活動を探知する実験がある(9)。
ニューロンの発火とともに発生する微細な電気的信号を、頭に貼り付けられた高感度の電極が拾いあげるわけだ。
こうした技術を用いた結果、心地よいものごとに接近するだけで、健康な人の大脳皮質の左半分がはっきりと活性化する事実が確認された。
たとえば、美しい夕焼けや美味しそうなチョコレートの画像を見たりしたとき、あなたの脳の左半分のニューロンは右半分のニューロンよりずっと活発に発火しはじめる。
なぜそうなるかの理由はまだ十分わかっていないが、皮質の左側に偏ったニューロンの活動が、楽しくて気持ちよいものごとへの接近に関連していることは、疑う余地がないようだ。
休息しているときの脳の活動状態にも、同じような現象が見られる。
静かに座っているときでさえ、楽観的な人と悲観的な人の脳には根本的な差がある。
安静にした状態でも、楽観的な人の脳の左半分は右半分よりもかなり活発にはたらいているが、悲観的な人の脳の左半分の活動度は楽観的な人と比べてずっと低いのだ。
このように脳の左半分の活動度が低いことは、抑うつ患者に特有な快楽の欠乏感が、神経レベルであらわれた現象だといえる。
脳内のこうした不均衡はヒトだけでなく、サルにも同じように認められる。
怖がりで心配性のサルは、脳の左半分よりも右半分のほうが活発にはたらいているが、幸福で健康なサルの大脳皮質の左半分はそれに比べ、ずっと活動度が高い。
こうした不均衡が皮質下の領域と皮質上の領域のどちらに起因しているのかは、まだ十分に解明されていない。
はっきりしているのはこの不均衡が、報奨にすすんで接近するかしないかという傾向にかかわっていることだ。
また、脳の左側への偏りが大きい人は、右側への偏りが大きい人に比べ、おしなべて幸福度や楽観度が高いこともあきらかになっている。
こうした脳の基本的な差異からは、サニーブレインを構成する回路が楽観主義とかかわっているだろうことがわかる。
側坐核と前頭前野の関係も、そのことを示しているようだ。
ロッテルダムのエラスムス大学の社会学者、ルート・ヴェーンホーヴェンの文献調査(10)によると、日々の生活を楽しんでいる人は禁欲的な人よりも一貫して幸福度が高い。
それもむべなるかな、といえるだろう。
パーティー人間は楽観的で、左脳が活発?楽天家が快楽の追求にほんとうに貪欲なのかどうかをたしかめるために、わたしはエセックス大学である実験を行った。
実験の主眼は楽観を、「刺激追求度」と呼ばれる特性とあわせて計測することだ。
刺激追求度とはひらたくいえば、感覚的な快楽や興奮を欲する度合いであり、この度合いが高い人ほど、強烈で激しい経験を追い求める傾向がある。
そうした人々は強烈な刺激を得るためなら、危険を冒すことも厭わない。
いっぽうこの度合いが低い人は、もっと静かでゆっくりした、本質的に危険度の低い経験を好む。
彼らは、大音響の中で繰り広げられる乱痴気パーティーよりも、極上の会話とともに進むディナー・パーティーをおそらく好ましいと思うはずだ。
他の人格的な特徴と同じように、刺激追求度にも強から弱まで広い幅があり、おおかたの人々はだいたい中間に位置している(11)。
最強のあたりに位置するのは全体の約一〇パーセント、弱の領域に入るのは約二〇パーセントだ。
男性は女性に比べて若干数値が高く、また二〇歳未満の若者は三〇歳以上の人々に比べてやはり数値が高い傾向がある。
あなた自身の刺激追求度がどのあたりに位置しているか調べるため、次ページの質問にすべて回答し、自分のスコアを計算してみよう。
個々の質問に対し、自分の気持ちにいちばん近い回答を選んで、□に印を書き入れよう。
採点方法は章末を参照のこと。
わたしは二〇〇人の学生に、この刺激追求度尺度テスト(12)と第一章で紹介したLOT‐R(改訂版楽観性尺度)をあわせて回答してもらった。
その結果、楽観的と判定された学生は総じて、快楽をより多く探求したり経験したりする傾向が認められた。
この結果はべつだん驚きではない。
それよりもわたしが関心をもったのは、楽観と刺激追求の度合いと、脳の活動パターンに関連はあるのかどうかという問題だ。
わたしは、楽観度と刺激追求度に関するテストで非常に高いスコアを記録した学生たちと、非常に低いスコアを記録した学生たちを選び出し、スコアの高低でふたつのグループをつくった。
これらふたつのグループに脳波検査を行ったところ、刺激追求度が高い楽天家の脳は、ふだんの状態からして活動が左に偏っていることがわかった。
悲観的な人の皮質上の活動は逆に、右半分に偏っていた。
他の調査結果からは、刺激追求度が高い人は低い人に比べ、脳内を循環するドーパミン値が高いことも示されている。
いいかえれば、刺激を強く追求する人は快楽中枢の活動度が高く、楽観を抱きやすいということだ。
ケンタッキー大学のジェイン・ジョゼフ率いる心理学者のチームはある実験で、刺激追求度が高い人と低い人の双方に一連の写真を見せ、その間の脳の活動をスキャンした(13)。
非常に刺激的な画像を見せると、刺激追求度が高い被験者の快楽中枢はオーバードライブ状態におちいり、感情を抑制したり統御したりする前頭前野の活動はほぼゼロになった。
逆に刺激追求度が低い人は、前頭前野が強く活性化した。
このパターンが意味するのはつまり、刺激追求度が高い人は興奮によって大きな当たりを獲得もするが、いっぽうでその興奮を統制するのは不得手だということだ。
報奨に強く反応するこの傾向は多くの利益をもたらすいっぽう、マイナスの面もある。
快楽にはそもそも持続性がないため、快楽の追求は制御のきかないスパイラル状態におちいりがちなのだ。
悪くすると、リスクを冒したり何かの依存症になったりという方向にも進みかねない。
けれど、制御を保ちさえすれば快楽の経験は、サニーブレインの回路を強める源になる。
そして楽観的な心の傾向を育むという、大きなメリットがもたらされる。
この心の傾向は、単に喜びや幸福を感じたり、未来を明るく前向きにとらえたりすることだけではない。
そこには、利益や意味をもたらす何かを努力してやりとげるという姿勢も含まれている。
サニーブレインの回路は、人間が自分にとってプラスになるものごとにつねに焦点をあわせられるよう手助けをしているからだ。
サニーブレインのしくみについて、解剖学的に考察した結果は以上のとおりだ。
楽観とはいつもただ上機嫌でいるだけではなく、意義深い生活に積極的にかかわり、打たれ強い心を育み、「自分で状況をコントロールできる」という気持ちを持ちつづけることだ。
これは、「良いことも悪いことも受け入れる能力があってこそ、楽観はプラスに作用する」という、心理学の研究結果とも符合する。
創造的かつ粘り強く行動する姿勢がなければ、楽観は力を発揮できない。
わたしは「楽観的なリアリスト」こそが真の楽観主義者だと考えているが、彼らは、ただハッピーな思考をするだけで良いことが起きるなどとは考えていない。
楽観的なリアリストは、自分の運命は自分でコントロールできると意識の底で信じているのだ。
ケンタッキー大学の心理学者スーザン・セガストロームはこの点について、つぎのように語る(14)。
「楽観が幸福につながるのは、そうした思考によって、人が人生に積極的に取り組むようになるからだ。
悲観主義者がもっていない魔法のハッピー・ジュースを楽観主義者が手にしているからではない」。
楽観的な思考と、行動を志向する性質とが結びついてこそ、楽観はさまざまな利益をもたらす。
真の楽観主義者は困難に直面しても簡単にはあきらめず、倍の努力をしてでも問題を克服する道を見つけ出そうとするのだ。
これは、多くの自己啓発本にあふれる「ハッピーな思考はすべての問題を解決する」というアプローチとは似て非なるものだ。
ポジティブに考えるかネガティブに考えるかはもちろん重要だ。
だが、単にいつも「こうなってほしい」と期待するのが真の楽観主義だと思ったら、それはおおまちがいだ。
ジャーナリストのバーバラ・エーレンライクは著書『笑うか、死ぬか』の中で、現代社会にはびこるこの手の(彼女いわく)ポジティブ思考カルトを痛烈に批判している(15)。
エーレンライクは乳がんの診断を受けたとき、この種のカルトの冷酷さを思い知ったという。
病名を告げられるや彼女のもとには、この経験は「きっとあなたを変えてくれる」「人生の意味を見出すチャンスだ」「神に目覚める助けになる」などの「ポジティブな」メッセージが山のように寄せられた。
恐ろしい病気に直面しているのに、それに感謝せよとアドバイスされ、彼女は強い反感を覚えた。
「ポジティブに考えてさえいれば、事態は良くなる」わけが、あるものだろうか?ポジティブ思考は万能だなど、幻想にすぎないとエーレンライクは冷徹に観察し、批判する。
彼女はこの点、まったく正しい。
楽観主義とは往々にして、人が表層レベルで何を考えるかよりも何を行うかに、そして脳がどう反応するかに深くかかわっている。
それは科学的な調査結果からも裏づけられている。
九・一一の暗闇でさえ、人は絶望しなかったわたしたち人間は、じつは驚くほど楽観的な生き物だ。
どん底の暗闇にいるときでさえ、人間は希望を見つけ、未来について前向きな思考をすることができる。
二〇〇一年九月一一日に二機の飛行機が世界貿易センターに突っ込んだとき、わたしはイギリスのコルチェスターにあるエセックス大学で勤務していた。
人々は廊下に置かれたテレビのまわりに集まり、現実とは思えない出来事が繰り広げられるのを見ていた。
だれもろくに言葉を発しなかった。
貿易センターのふたつのタワーが一つまた一つと崩れ落ちるのを見たとき、もう世界は終わりだとわたしは思った。
テレビの画面には、「アメリカ、攻撃される」という大きなテロップが躍っていた。
わたしは、昔からの幼なじみがロウアー・マンハッタンの墜落現場近くで働いていることを思い出し、不安に駆られた。
大学の学生やスタッフの多くはアメリカ人で、彼らは故郷の家族や友人に連絡をとることもできずにいた。
テレビの画面にくぎ付けになっているあいだに、イギリスとアメリカを結ぶ電話回線は不通になってしまっていたのだ。
事態は現実感を欠いた遠い出来事であると同時に、個人的な出来事でもあった。
それから数週間のあいだに、思いがけないことが起きた。
それまで「自己中心的で」「粗野で」「短気」だと思われてきたハードボイルドなニューヨーカーが、温厚で地元意識に富んだ新しいニューヨーカーに変身したのだ。
『CBSニュース』と『ニューヨークタイムズ』紙が事件から一年後、一〇〇八人を対象に調査を行ったところ、回答者の八二パーセントがニューヨーク市は事件を境に良いほうに大きく変わったと感じていた。
不安や動揺は依然として残ってはいたが、多くの回答者は「ニューヨーク市民は以前よりも尊大でなくなり、以前よりも親切になった」「地域や人とのつながりを以前よりもだいじにするようになった」と語った。
そして回答者の多くは、家族や友人と多くの時間を過ごすようになるなど、自身の生活にもじっさいに変化が生じたと語った。
何人かはこの現象を、第二次大戦中、ロンドン大空襲のさいに生まれた「ブリッツ・スピリッツ(訳注:ブリッツはロンドン大空襲の意。
空襲の恐怖に負けない不屈の精神を指す)」の気風になぞらえていた。
CNNのリポーターのゲイリー・タックマンは九・一一を、ニューヨークという土地の性格を変えたターニング・ポイントに位置づけた。
今この街には「より人間的で」「親切な」空気が漂っていると、彼は主張する。
ニューヨーク在住の幼なじみのアンと話をしたとき(彼女はあの日、現場からわずか数ブロックの場所にいたという)、彼女もそれはまったくほんとうだと語
った。
「今、人々は街角でたがいに言葉を交わすようになったわ」。
彼女は言った。
「ニューヨーク暮らしで初めてわたしは、赤の他人と日常的におしゃべりをするようになったのよ」人間は、このうえなく暗い瞬間でさえも、未来に対しておおむねポジティブな見方をする生き物だ。
このことはさまざまな調査からも確認されている。
二〇〇九年にイギリスの国営宝くじが行ったある調査の結果を見てみよう(16)。
全般的に見ると、質問を受けたイギリス人の七五パーセントは自分を楽観的だと認識しており、また五八パーセントの人々は、楽観的な人のそばにいると自分も自然に幸福な気持ちになると答えている。
アメリカでも同様の調査結果がある。
バラク・オバマが二〇〇九年、アフリカ系として初めて大統領に就任してから、国中を楽観主義の波が席巻したと新聞各社は伝えた。
当時アメリカは過去最悪レベルの経済不況のただ中にあった。
にもかかわらず、政府が行った調査によれば、七一パーセントのアメリカ人が「経済はまもなく改善に向かうだろう」と回答した。
個人的な経済状況に関しても、六三パーセントの人々が「事態は改善に向かっている」と回答し、さらには八〇パーセントもの人々が「これからの四年間を自分は強く楽観している」と答えた。
大統領選のあとで楽観が高まったのは、アメリカだけではない。
一七カ国で一万七三五六人を対象に行われた調査によれば、うち一五の国の人々が「世界はこのさき、よりよくなっていく」と確信していた(17)。
また平均で六七パーセントの人々が、オバマが大統領になったことでアメリカと他の国との関係は良い方向に向かうと信じていた。
なぜ人々は、こんなふうに抑えがたい楽観を抱くのだろう?地球規模の問題が目の前に山積しているのに、なぜそれでも未来を楽観できるのだろう?その答えは、複雑かつ興味深い。
謎のひとつは、人間の脳がそもそも未来に常に希望を抱くように配線されていることだ。
これまで見てきたように、サニーブレインの重要なはたらきのひとつは、究極の報奨に向けてつねに人間を駆り立てることだ。
楽観は、人間が生き延びるために自然が磨きあげた重要なメカニズムであり、そのおかげでわたしたちは、ものごとがみな悪いほうに向かっているように見えるときでさえ前に進んでいくことができる。
心理学者はこれを「オプティミズム・バイアス(楽観的偏向)」と呼ぶ。
程度の差はあるが、このオプティミズム・バイアスの魅力に屈しない人はほとんどいない。
あなたは自分の生涯賃金が平均よりは高いだろうと思っている?しばしば「前向きな幻想」とも呼ばれるこの「オプティミズム・バイアス」とは、自分に良いことが起きる可能性を人が過大に見積もる現象だ。
ためしに、次の質問に答えてほしい。
あなたは、自分が平均より高い月給を稼ぐ可能性はどのくらいだと思っているだろうか?正直に、本音で答えてほしい。
あるいはあなたは、自分が平均的な人より多くの生涯賃金を稼ぐと思っているだろうか?それとも平均より少し低いと考えているだろうか?おそらくあなたの回答は「平均より多い」のはずだ。
でも、ほんの一瞬考えてみれば、万人が平均より高い収入を得ることなどありうるはずがない。
それなのにほとんどすべての人は、自分だけは例外だと信じている。
平均より長く生きることや、平均よりすばらしい結婚をすることや、平均より優れた子どもを得ることについても事情は同じだ。
イギリスの心理学者スチュアート・サザーランドは著書『不合理』の中で、ある調査に参加したドライバーのうち九五パーセントが「自分は平均より運転が上手い」と回答したと報告している。
人間はみな、自分は平均よりも運転が上手く、平均よりも長生きし、平均よりも健康で、平均よりも裕福な生活を送ると思い込んでいるのだ。
悪い出来事について人々に質問したときも、同様の現象が起きる。
あなたは自分が深刻な病気にかかる確率はどのくらいだと思っているだろうか?たいていの人は、その可能性を過小に評価する。
なぜ人間の脳は、こんなに楽観的な方向にかたむいているのだろうか(18)?ひとつの理由はこの楽観こそが、毎朝人間が寝床から起き上がるのを可能にする力だからだ。
楽観とは本質的には認知上のトリックだ。
このトリックのおかげで人は、懸案事項や起こりうる問題や予想外の危機を過剰に心配しなくてすむ。
だが、そこには潜在的な欠点も確実に存在する。
バラ色に過ぎる視点は、危険を直視しないという方向に人を導きかねないからだ。
「自分は絶対にがんになどならない」と信じて胸のしこりを無視しつづける女性は、危険を自ら招き寄せているに等しい。
しかし、これほど一般的な現象である以上、オプティミズム・バイアスは人間にとって非常に役に立つ資質のはずだし、少なくともわたしたちが進化してくるうえで有利な点が必ずあったはずだ。
男性が自分はモテると思い込むことも、ちゃんと役に立っているオプティミズム・バイアスがなぜ人間に利益をもたらすのかについて、科学はいくつかのヒントを示している(19)。
たとえば男性が女性に対する自分のアピール力を総じて過大に評価しがちなことから、オプティミズム・バイアスの作用を考えてみよう。
カンザス州立大学の心理学者フランク・ザールはある実験で、初対面の男女で四九組のペアをつくり、ペアを組んだ相手同士で数分間会話をさせた。
その会話のようすをビデオにとったものを、別のグループの男女が観察した。
ビデオテープを見た女性はおおかたが、会話に参加しているほとんどの女性からにじみ出ているのはごく一般的な愛想のよさだと評したが、同じビデオテープを見た男性はだいたいが、女性たちからは男性に対する性的関心があらわれていると解釈した。
その後さらにふたつの実験で、管理職の男性が女性従業員と会話をする場面と、男性の教授が女子学生と会話をする場面を見せると、男性は総じて女性の単なる友好的な態度を性的な誘いだと解釈(もしくは勘違い)した。
カリフォルニア大学ロサンゼルス校の心理学者マーティ・ハーゼルトンによれば、こうした作用はべつだん不思議なことではない。
ハーゼルトンはデイヴィッド・バスとともにつくりあげた〈エラー・マネジメント〉という理論の中で、次のように述べている。
男性は進化論的な観点からいえば、できるだけ多くの相手と交尾しなければ生存競争を勝ち残れない。
だからたった一回でも「つがう」チャンスを逃すことは大きな痛手になる。
いっぽう相手から拒絶される痛みはほんの一瞬で、さして高くはつかない。
だから男性にとって自分の魅力を過信するのは、きちんと採算のあう行為なのだ。
かくして楽観主義の種は、それが現実をふまえていようがいまいが、広く蒔かれていくわけだ。
人間にもともと組み込まれた楽観は、日常生活にも利益をもたらす。
たとえば、ものごとは将来きっとうまくいくと信じることで、人は現在の生活をより幸福な気持ちで、より満ち足りて過ごすことができる。
さまざまな調査結果からも、人がおおかたの場合「自分の人生に満足し、幸福を感じる」と回答することが示されている。
そうした調査のひとつが、イリノイ大学の心理学者エドワード・ディーナーを中心に行われた次の研究だ。
ディーナーと同僚が〈人生に対する満足尺度(SWLS(20))〉と呼ばれる単純なテストを開発したのは一九八五年のことだが、このテストは人生への満足度を調べるために今もなお使われている。
次ページのテストに回答し、自分のスコアを他人と比べてみよう。
採点方法は、章末を参照のこと。
もしもあなたがごく一般的なタイプなら、この単純なテストでかなり高い点数を獲得するはずだ。
楽観に関する国際的な調査結果と同様、ディーナーの調査でもおおかたの人は、人生のほとんどの局面に自分はかなり満足し、幸福を感じていると回答した。
多くの人に共通する傾向であるらしい楽観主義は、前にも述べたように、根本的には脳の側坐核を中心とする快楽中枢からもたらされるものだ。
この領域を詳しく観察すると、快楽の回路には鍵となる機能がふたつあることがわかる。
「気持ちよく感じる」ことと、「欲望する」ことだ。
ドーパミンを含むニューロンの複雑なネットワークがもたらす「欲望」は、快楽という現象の中ではあまり賛美されない側面だが、これがあるおかげで人間は生きていくうえで究極的に善であるものごとに気づき、それに取り組みつづけることができる。
「欲する」ことと「気持ちよく感じる」ことを区別するのは、サニーブレインの理解において非常に重要だ。
「ポジティブな思考はあらゆる利益をもたらす」と唱える世の自己啓発書は総じて、何かを「気持ちよく感じる」ことばかりを重視する。
このいわばポジティブ思考商法を、先のバーバラ・エーレンライクは強く疑問視したのだ。
現実とは「ハッピーな思考がすべてを解決する」などという単純なものではなく、もっとずっと複雑なはずだ。
「欲する」ことと「気持ちよく感じる」ことは快楽の要素として同じほど重要だが、わたしの考えでは、楽観が多くの利益を生む源泉は、「欲する」ことのほうにある。
逆境に負けずに必死で何かに取り組む能力は、楽天家に顕著な特徴のひとつだが、そこにはこの「欲する」という要素がかならずある。
マイケル・J・フォックスのような楽天家と話しているとき、どんな困難にも屈しない彼らの心の強さにきっとあなたは胸を打たれるはずだ。
楽観主義とは受動的な心の傾向ではけっしてない。
それはむしろ、人生によりアクティブに取り組む姿勢なのだ。
「ポジティブ・シンキング」自己啓発の噓楽観とは何なのか、どんな脳内回路がそれに関連するのかについて知識を深めた今、つぎに検証すべきは「楽観的に考えることで、ほんとうに利益があるのか」という問題だ。
楽観やポジティブ・シンキングの威力を賛美するびっくりするような主張は、そこらじゅうに掃いて捨てるほどある。
「必要なのはただポジティブに思考することだけ。
そうしていれば良い出来事は勝手に起こりはじめる」というやつだ。
ポジティブに考えてさえいれば、たとえばがんは完治し、ずっと望んでいた仕事が手に入り、非の打ちどころのないすてきなパートナーが突然目の前にあらわれる──という具合に。
エーレンライクが指摘するのは、この種の考え方が現実から完全にかけ離れた、ほとんど信仰の域に堕ちていることだ。
何人もの導師がどれだけ力説しても、思考自体に魔法のような力があるわけではない。
だが楽観が行動と関連することや、その行動こそが利益をもたらすという点については、それを裏づける証拠がある。
たとえば事故で下半身不随になっても、質の高い生活をぜったいにあきらめないと信じている人なら、みずからジムに通って上半身の機能を強化し、内にこもらずに外に出て、活発な社会的生活を楽しめるようにしようとするだろう。
いっぽう同じ目にあっても、人生もう終わりだと思いこんでしまえば、その人はそうした行動をおそらく起こさない。
人がどんな生活を送ることになるか、その質の差に深くかかわるのは、「ポジティブに思考する力」というよりも、「ポジティブな行動を起こす力」だ。
これらふたつはたがいに無関係ではないが、楽観がもたらす実りを収穫する役は、思考ではなく行動が果たすはずだ。
これを念頭において科学的な研究を検証してみると、楽天的な思考形式にはすくなくとも三つの利益があることがわかる。
健康と幸福度の向上がそのひとつ。
危機のあとでも元気を取り戻す能力がひとつ。
さらにもうひとつが、成功する可能性が増すことだ。
明るい修道女が長生きだったという驚くべき調査楽観の効用については根拠のない誇大広告が山となされてきた。
だがいっぽうで、前向きな心の傾向が健康や幸福度に影響するという、きちんとした科学的研究も数多くある。
楽観が幸福につながるのは、思考がもつ魔法のような力(そんなものがあるとして)のせいではなく、そうした心の傾向が有益な行動と結びついた結果であることは、ほぼまちがいない。
そして楽観がもたらす利益の中でももっとも驚きなのは、寿命に関することだ。
楽観と寿命の関係を示した研究として非常に有名なのが、デボラ・ダナーとケンタッキー大学の同僚が行った次の調査だ(21)。
彼らは全米各地の一八〇人のカトリックの修道女が手書きで書いた自叙伝を検証した。
一九三〇年に書かれたその自叙伝には、彼女らが修道院に入るまでの人生が綴られている。
自叙伝が書かれた時の平均年齢は二二歳で、ダナーたちのチームは約六〇年後の彼女たちの行方を突き止めた。
接触した時の年齢は七五歳から九五歳。
研究チームは、修道女たちが自叙伝の中で日々の出来事や事件にどう反応したかのサインを注意深く検証し、どの修道女が楽観的なものの見方をするか、どの修道女が悲観的な世界観をもっているかを点数化した。
これが楽観と悲観を計測する方法として荒っぽいのは事実で、理想的な調査ではないかもしれないが、手に入るデータとしては最善だったし、結果的にたいへん貴重な研究となった。
修道女はみな生涯の大半を世間から隔絶された状況で過ごし、食事や生活習慣にも大差がないからだ。
一九九〇年代に研究チームが接触したとき、一八〇人のうち七六人が死亡していた。
アメリカ人の平均寿命を超えた修道女はこの時点で五〇パーセント以上。
修道院での禁欲的かつ健康的な生活形態を考慮すれば、この数字は驚きではないかもしれない。
注目すべきは、楽観主義的な修道女がより長生きをしていたことだ。
若いころ、陽気で明るい自叙伝を書いていた修道女たちは暗い自叙伝を書いていた同僚と比べ、平均で一〇年も長生きをしていた。
禁煙によって延ばせる寿命がだいたい三~四年と見積もられているのを考えると、バラ色の世界観をもつことで一〇年分の余命がプレゼントされるのは注目に値しよう。
問題は、なぜそんなことが起きるのかだ。
楽観が寿命を延ばすのが真実だとしたら、そこにどんなメカニズムがはたらいているのだろう?楽観を抱く人が、悲観主義者とは異なる生き方をするせいなのか?それともハッピーな思考それ自体が何らかの変化をもたらすのか?楽観的に考えるとアイディアがたくさん出てくる陽気な人は逆境にもおおむね強い。
このことは楽観と長寿の関連について、ひとつの鍵を示している。
ノースカロライナ大学の心理学者バーバラ・フレドリクソンによれば、何ごとにもへこたれない人間は、楽観的な思考とポジティブな感情を、困難に対処する手段として用いている。
そのことをフレドリクソンは独自の〈拡張─形成理論〉で説明する(22)。
この理論の要にあるのは、「ポジティブな感情はアイディアの幅を広げるのに役立ち、逆境を打開しやすくする」という考えだ。
これを実証する典型的な実験は次のようなものだ。
被験者にさまざまな菓子の入った袋をプレゼントしたり、愉快なビデオを見せたりして、ポジティブな気分を一時的に盛りあげる。
そのうえで「三〇分ほど自由な時間があったら、どんなことがしたいか?」の答えを書き出すよう指示する。
するとポジティブな気分になっていた人は、恐怖映画を見せられた別の被験者よりもずっと多くのアイディアを考えついたのだ。
恐怖のようなネガティブな感情の作用のひとつは、潜在的な脅威に注意を集中させることだ。
だから、実験の結果は非常に理に適っている。
対照的に、ポジティブな感情は関心の幅や奥行きを広げる作用をもち、概して創造性の向上につながる。
だから、もしもブレーンストーミングのセッションを
成功させたければ、最初に参加者をリラックスした楽しい気分にさせておくことだ。
そうすれば多くのアイディアが苦もなく人々の口からあふれだすはずだ。
ポジティブな感情がもたらすこの〈拡張効果〉を裏づける証拠は、わたしが自分のクラスで行った、ある単純な実験でも確認された。
わたしはまず学生たちの気分を上向きもしくは下向きにするために、コメディ映画か悲しい映画のビデオを見せた。
そのあとで学生にいくつかのパズルを渡し、それらを解くように指示した。
すると、ポジティブな気分になっていた学生は、暗い気分の学生よりもおおむね良い成績をおさめることができた。
単純にいうと、喜びや幸福などポジティブな気分でいるとき、人間の思考の幅は自然に拡大する。
そのおかげでより創造的になり、「枠にとらわれずに考える」ことができるようになるのだ。
ポジティブな感情の拡張効果は、難局を創造的な方法で打開する助けとなり、非常に有益にはたらく。
九・一一の後でニューヨーク市民のあいだで芽生えた思いやりと連帯感の中には、まさにこの作用が認められた。
フレドリクソンは事件直後に複数の人々にインタビューを行い、悲嘆に暮れる人がいるいっぽうで、生きていることへの深い感謝をあらわす人もたしかに存在することを発見した。
この時点でなにがしかポジティブな感情を表現できた人は、ネガティブな思いにのみ込まれてしまった人よりもずっと立ち直りが早く、絶望におちいる度合いもはるかに少なかったという。
ポジティブな気分にはこうした即時的な効果とは別に、困難に持続的に取り組むためのさまざまな〈資産〉をつくるはたらきもある。
その資産とは、たとえば、良き友人や趣味、気持ちの良い物理的環境などだ。
これらはどれも、困った事態が現実に起きたとき、打開のために重要な役割を果たす。
年単位で行われた複数の調査からも、楽観が心の強さや健康に影響することがわかっている。
ヘルシンキ大学のミカ・キヴィマキたちの調査はそのひとつだ(23)。
キヴィマキらは、五〇〇〇人の被験者の楽観と悲観の度合いを測定し、その後約三年にわたって彼らの動向を追いかけた。
一部の人々はこの間に、家族が重い病にかかったり亡くなったりするなどの大きなトラウマを経験していた。
だが調査結果をまとめると、こうした深刻な出来事に遭遇したあとでも、もともと楽観の度合いが高い人はそうでない人に比べ、健康度も幸福度も高かった。
人々は楽観的であればあるほど、健康だったのだ。
エジソンも不屈の楽観主義者だったこの考え方を支持する逸話的な証拠もある。
たとえば、トーマス・エジソンにまつわる次のエピソードだ。
エジソンはある朝早く電話で起こされ、自分の工場で火事がおきたことを知らされた。
一億二〇〇〇万ドルを費やした設備や建物にもすでに火の手が回っていた。
悪いことは重なるもので、保険会社は損失額のほんの一部しか保険ではカバーできないことをにべもなく通告してきた。
ところがエジソンは取り乱すどころか、友人や家族を呼び、彼の愛した工場や実験室が炎につつまれるのを一緒に見物させた。
燃え広がる炎を前に、エジソンが落ち着いたようすでいるのを友人らはけげんに思ったという。
怪我人がひとりもおらず、生命の危険もないと確認できると、彼はこの光景を楽しんでいるようですらあった。
エジソンの目には燃え盛る炎が、もっと良い工場の再建に乗り出す絶好のチャンスとして映っていたのだ。
火事のあとエジソンはすぐにチームを集め、新しい工場と実験室の再設計にさっそくのりだした。
火事から数週間後にはもう再建工事が始まり、一年もしないうちに新しい工場は完成し、利益を生むようになった。
エジソンは後述するチャーチルの格言そのままに、被害よりもむしろチャンスに目を向けた。
災いに出会っても折れない心と前に進み続ける力は、楽観主義のいわばトレードマークだ。
それを直接生みだしているのがサニーブレイン型の思考スタイルだ。
もうひとつの例はC・J・ウォーカー夫人だ(24)。
一八六七年にルイジアナ州のプランテーションで生まれた彼女は、解放奴隷だった両親を七歳のときに亡くして孤児となり、一四歳で結婚し、二〇歳になる前に夫と死別した。
こうした逆境にもかかわらず彼女はヘアケア商品の製造会社を設立して事業を成功させ、現代の化粧品業界のパイオニアとしてさまざまな方面で活躍した。
そしてアメリカで女性として初めて、ゼロから財を築いた億万長者になると、社会活動家として人々を鼓舞し、女性と黒人の地位を向上させるために力を尽くしたのだ。
彼女の孫の娘がいみじくも語ったように、赤貧から億万長者になったウォーカー夫人の原動力は、何よりまず「やれば、できる」という不屈の精神だった。
夫人はたゆまぬエネルギーで苦難に正面から取り組んだ。
いたるところで根深い人種差別や性差別に出会っても、そんなことは気にしなかったと友人や同僚は語る。
ウォーカー夫人が歩んだ道は、彼女の心の奥深くに根差す、人間の善良さと未来への希望を信じる思いで踏み固められていた。
彼女の人生はわたしたちに、楽観主義とは単にハッピーな気持ちでいることでも、「すべてはうまくいく」とひたすら信じることでもないと教えている。
問題は、逆境が訪れたときにどう反応するかだ。
たとえ全世界から拒絶されているように感じても、それでもなお前に進もうとするのが楽観主義者なのだ。
楽観主義は粘り強さにも関係があるこの種の粘り強さを実験室で計測するのはなかなかむずかしいが、ケンタッキー大学の心理学者スーザン・セガストロームは、リーズ・ソルベーグという大学院生とともに巧妙な実験方法を考えた(25)。
前述のLOT‐Rテストを使って彼女らは五四人の学生の楽観度を計測した。
そのあとで各自に一一のアナグラム(字なぞ)を提示し、二〇分間でそれを解くように指示した。
けれどそこには、一問目のアナグラムが解決不能だというトリックが隠されていた。
解決不能の最初のアナグラムの後には、やさしいのから非常に難しいのまでさまざまな難易度の一〇のアナグラムが並べられている。
いちばん最初に解決不能のアナグラムを置いたことで、被験者が問題を見て「むずかしい」と感じる気持ちは増幅される。
楽観が人間の粘り強さにどう作用するかを観察するには、うってつけの状況だ。
実験の結果は目を見張るものだった。
悲観的な人は最初のアナグラムを一分間ほど考えると、もうあきらめて次の問題に移ったが、楽観主義者は倍にあたる二分以上もの時間をかけて、解決不能のアナグラムに根気よく取り組んだのだ。
研究チームが発見したもうひとつの興味深い事実は、課題に粘り強く取り組める人はストレスホルモンの値が高く、生理学的覚醒が過剰になりがちなことだ。
「楽観は健康をもたらす」という仮説とこれは合致しない。
これについては、いったいどう考えればよいのだろう?セガストロームは次の調査で、この謎を解くヒントを見つけた。
法学部に入学したての第一学年の学生多数について調べたところ、楽観的な学生は概して生理学的なストレス値が高く、免疫系の機能は低いことがあきらかになった(26)。
その原因はおそらく、楽観的な学生が複数の目標に同時に取り組もうとすることにあった。
法学部の授業は要求度が非常に高く、社交をしたり新しい友人をつくったりすることと、勉強のために長い時間を図書館で過ごすことはなかなか両立しない。
楽天家はそのどちらも手を抜かない傾向が非常に強く、そのために消耗しきり、健康上マイナスの結果を招いてしまうのだ。
だが、弱まった免疫機能は第二学年になるころには回復し、最初に支払った短期的な代価は相殺される。
前の年に多くのことに取り組み、いちばんハードな生活を送った学生は、第二学年になると試験の成績だけでなく、友人や仲間との互助的なネットワークなどでも、いちばん多くの成果を得るようになるのだ。
短期的な代価は長期的な利益によって埋めあわされ、楽観と健康との一見矛盾した関係も解消される。
二〇〇九年に行われたメタ分析──いわば分析の分析──でもやはり、楽観が長期的には肉体的な健康を高めるという強力な結果が得られた(27)。
楽観主義と成功──チャーチルとエジソンとベゾス
楽天家が何ごとにもめげない不屈の精神をもっていることを考えると、楽観主義が成功にもかかわるという事実は驚くにはあたらないだろう。
失敗に対処する能力をしばしば求められるビジネスの世界では、楽観は有利な資質としてはたらく。
楽観と失敗を結びつけるのは奇妙に見えるかもしれないが、楽観なくしては、新興の企業家が自分の計画を実行に移すのはほとんど不可能だ。
事業をおこすためには、乗り越えるべきハードルや障害がどれだけ多くても、ものごとはかならずうまくいくと信じる思いがなくてはならない。
生涯で幾度も逆境におちいったイギリスの元首相ウィンストン・チャーチルは、「成功とは、失敗に次ぐ失敗を重ねてもけっして熱意を失わない能力のことだ」と語った。
そして、類まれな楽観でまわりの人々を引きつけたトーマス・エジソンは、自分のもとではたらく人間をいつも「絶対にあきらめるな」と励ましつづけた。
電球を開発するために作った試作が一万個を超えていたことを知って、エジソンは次の有名な言葉を高らかに口にした。
「失敗したのではない。
うまくいかない方法を一万通り見つけただけのことだ」こうした特質の多くは、アマゾン・ドットコムの創設者ジェフ・ベゾスの逸話にも見出すことができる。
一九九四年にベゾスは「ウェブの利用は今後、年間二〇〇〇パーセント以上の急成長を遂げる」という話をウェブサイトで偶然見つけ、突然のひらめきを得た。
それほどの急成長が見込まれるのなら、そこからカネを作りだす方法が必ず存在するはずだ──。
そうしてさまざまな選択肢を検証するうち、ベゾスの頭に浮かんだのが「オンライン上で本屋を開けば、ぜったいに当たる」というアイディアだった。
ふつうの本屋や倉庫は収容できる本の数に物理的制限があるが、オンライン上の本屋にはその制限がない。
本の写真と抜粋情報を掲載するだけで、オンライン上で何百万冊もの本が即座に購入可能になるのだ。
こうしてアマゾン・ドットコムは誕生した。
初期投資には莫大な費用がかかった。
そしてまもなく、ベゾスの事業を冷笑的に見る人々がつぎつぎあらわれた。
アマゾンのオンライン書店はすぐに人気を集めたが、利益をあげるまでには数年の月日がかかった。
批評家たちはベゾスに、アマゾンは早晩失敗に終わるだろうと警告した。
数年後、バーンズ・アンド・ノーブルが同じ市場に参入してきたときには、ほとんどの人がアマゾンはもう終わりだと考えた。
ある著名な投資分析会社は、アマゾンはもう死に体だと宣言しさえした。
だが、ベゾスは怖気づかなかった。
彼はアマゾンを、利用しやすく完全に顧客本位のウェブサイトに発展させるためにひたすら邁進し、会社は右肩上がりに業績を伸ばしていった。
ベゾス本人の話によれば、彼にとって最良の資産であり成功の鍵となったのは、自分の楽観的な性格だという。
「楽観主義は、困難な何かを行うときには欠かせない要素だ」と彼は言う(28)。
だからこそ楽観主義者は、失敗が起きてもそれをうまく取り扱い、結果的に最大の成功をおさめる例が多いのだ。
社会を動かす楽観主義──マンデラとオバマとシリン・エバディ楽観的な思考形式がもたらすのは、個人的な利益だけにとどまらない。
それはまわりを広く巻き込み、変革へと社会を動かす力にもなる。
楽観的な世界観は、生まれ育った環境や家族によって敷かれた道をそのまま進むことをよしとせず、定められた境界を突き破るようにと人々を駆り立てるのだ。
たとえば二七年間を南アフリカの牢獄で過ごしたネルソン・マンデラは、それでも希望を捨てなかった(29)。
非現実的だと責められてもマンデラは気にしなかった。
加えて彼は、深い意味での楽観主義者だった。
マンデラは心の奥深くで、アパルトヘイトがいずれ崩壊することを予測し、たいていの人が打ちのめされてしまうような厳しい状況でも、「いつの日か、正義は必ずなされる」という信念をけっして捨てなかった。
彼の信念はついに現実となり、世界中の人々が見守る中、南アフリカの黒人は史上初めて選挙で投票を行い、大統領選挙に出馬したネルソン・マンデラに圧倒的な勝利をもたらした。
楽観主義を糧にしたもうひとりの型破りなワールド・リーダーは、二〇〇四年にアメリカの民主党大会で演説し、皮肉による政治ではなく希望の政治を行うことをめざして、まわりの代議員らに挑戦した。
彼は自分で自分のことを、いちばん議員らしからぬ議員と呼んだ。
父親は昔ケニアでヤギを放牧していたが、アメリカで学ぶために国を離れ、そこで油田の労働者の娘と出会い、結婚した。
その息子である彼は、「自分は盲目的な楽観主義について語っているのではない」と話した。
盲目的な楽観主義とは、「たとえば失業について口をつぐんでさえいれば、失業はいつか消え去ると思い込むような、なかば故意の無視」のことだ(30)。
彼は「暖炉を囲んで自由の歌を口ずさむ奴隷たちの希望。
遠い海辺をめざして旅立ってきた移民たちの希望。
メコンデルタを勇敢に哨戒する若き海軍中尉の希望。
困難に果敢に挑む工場労働者の息子の希望。
そしてアメリカこそが自分の居場所だと信じる、変な名前のやせっぽちの少年の希望。
なんと大胆な希望!」に思いを巡らし、もっと大きな絵を描こうとしていたのだ。
変な名前のやせっぽちの少年は、今やホワイトハウスにまで上り詰めた。
そしてその人バラク・オバマの数多くの資質の中で、たゆまぬ希望と楽観主義こそが、彼を今ある場所まで押し上げるのに重要な役目を果たしたことは疑いがない。
二〇〇八年一一月にシカゴで行われた勝利演説をその場で耳にした一人の友人は、大統領からあふれるエネルギーがあたりの隅々にまで広がるように感じられたと語る。
「興奮と希望が、手にとるように感じられた」「一体感と、ものごとは最後には良いほうに向かうという楽観が、その場にいるすべての人々を包んでいた」と彼はわたしに語った。
当時行われた国際的な調査では、この楽観の波がアメリカだけでなく世界全体を巻き込んだことが示唆されている。
楽観主義には人を巻き込む力がある。
大きな困難にもめげずに希望を抱くことは、人を強く鼓舞する精神的資質のひとつだからだ。
その好例が、シリン・エバディだ(31)。
一九五〇年代にテヘランで育ったシリンは、「やさしさと愛情に満ちた」家庭で子ども時代を過ごした。
テヘラン大学で法律を学び、イラン史上初の女性裁判官に任命された彼女は、その後一九七九年二月にイスラム革命が起きると、国中のすべての女性弁護士とともに職を解かれ、事務的な仕事を割り当てられた。
「女性は裁判官や弁護士の職には不適当だ」と革命政府が断じたためだ。
そうして職を追われて長い月日が過ぎても、シリンは決してあきらめなかった。
一九九二年に彼女は弁護士の免許を再取得し、議論の的となった多くの事件を手がけ、イランの女性と子どものために社会的正義をたゆまず追い求め続けた。
二〇〇三年にはノーベル平和賞を受賞し、今では世界屈指の人権活動家に数えられる彼女はしかし、自国の政府からは未だ何の評価も賞賛も与えられずにいる。
シリン・エバディとネルソン・マンデラ、ジェフ・ベゾスとトーマス・エジソン、そしてマイケル・J・フォックスら、異なる人々を結びつけるこの種の楽観的な心の傾向、そして行動する能力こそが、人類を前へと駆り立てる原動力だ。
希望への思いと心の強さこそがおそらく、今から数十万年前の昔、人類がアフリカ大陸の外へと踏み出し、地球のあちこちへと広がるのを助け、人間をほぼどんな気候のもとでも生き栄えていける唯一の種にした。
この、何かをあくまでやり遂げる力がもしもなかったら、人間の社会は恐ろしい災害からいったいどうやって立ち直ることができるだろう?日本を襲った津波とそれに続く災害や、ニューオリンズを襲った大洪水、そして第二次世界大戦中に爆撃を受け、廃墟のような姿をさらしていたヨーロッパの数々の町を思い浮かべてみてほしい。
こうした大災害のあとで再建の努力を支えるのは、希望と楽観主義の精神に従って、ひとつになってはたらく人々だ。
この精神こそが人間社会をここまで繁栄させてきたのだ。
■「刺激追求度尺度」の採点方法表の質問にすべて回答し、次の要領に従って合計点数を計算する。
各質問への答えは、「まったくあてはまらない」が1点~「非常にあてはまる」が5点で採点する。
自分の回答の合計点を出し、それを8で割ると全体的な刺激追求度がわかる。
すべての質問に5点の回答を選んだ場合、合計点数は40点で、それを8で割った結果、刺激追求度は5ということになる。
刺激追求の四つの要素のそれぞれについても点数を調べることができる。
やり方は単純。
該当するふたつの質問のスコアを合計して2で割るだけだ。
〝経験の追求〟については質問1と5、〝繰り返しへの嫌悪〟については質問2と6、〝スリルと冒険の追求〟については質問3と7、〝脱抑制〟については質問4と8の回答を合計し、2で割る。
調査によれば、思春期の男性の全項目についてのスコアは3・07から3.14で、平均すると3・1。
同年代の女性のスコアはそれより若干低く、2・95から3・02で平均は2・98だった。
民族によっても平均的なスコアは変わり、また年齢が上がるにつれて一般的にスコアは低くなる傾向がある。
さらなる情報は、次の文献を参照。
D.Valloneetal.,’HowReliableandValidIstheBriefSensationSeekingScaleforYouthofVariousRacial/EthnicGroups?’Addiction102,supp.2(2007):7178.
■「人生に対する満足尺度」の採点方法とその評価五つの質問に対するスコアを合計すると、合計は5点から35点のあいだになる。
ディーナーの説明によれば、合計が30~35点の人は〝非常に満足度が高い〟と分類され、生きることをあきらかに愛し、ものごとはおしなべてうまくいっているように感じている。
彼らは人生を楽しんでおり、仕事や余暇や家族などの主だった分野はみな順調なはずだ。
合計が25~29点の人も満足度はかなり高く、生活の主な分野はおおかたが順調に運んでいる。
20~24点は先進国の平均的スコアで、合計点がこの範囲に位置する人は人生にだいたい満足しているが、何かの分野については「もっと良くできるはず」と感じている。
15~19点の人は平均を若干下回っている。
もし合計点がこの領域にあったら、人生のいくつかの領域に小さな、しかし重要な問題を抱えている可能性が高い。
点数が10~14点の人は「不満足」と分類され、人生の多くの領域が思うように運んでいない可能性がある。
5~9点の人は「極度に不満足」と分類される。
このレベルの不満足はディーナーによれば、人生の多様な領域の問題に起因することが多く、他者の助けが必要な可能性が高い。
これらのスコア別カテゴリーに関するさらなる情報と説明は、internal.psychology.illinois.edu/~ediener/を参照。
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