5.視床の「外側膝状体」第二部九五歳の医学者が明かす生き方の極意
1.文化情報伝達機構で生きる危険な生物=人間
巨大脳を賦与されたヒトは、新しい脳(大脳新皮質系)を持つことになり、それまでにはまったくなかった新しい認知能力を発揮するようになりました。
ある人が弓矢を発明すると、それは彼の家族、その部族に広まり、やがて全人類がそれを手にすることになったのです。こうして人間の画期的な文化の進歩が始まりました。
それはこれまでの生物が、短くても百万年単位で進んだ遺伝的進化とは比べものにならない速さで行われたので、人間においては生物の系統発生的進化は停止したも同然となりました。
これは巨大脳がもたらした概念的思考と言語が文化情報伝達機構をつくり、それが実現した成果なのです。
悠久の進化の歴史の結果到達した類人猿の脳は、その巨大化によって、地球上で初めて、文化情報伝達機構で生きることになり、人間はこの機能によって、瞬時にして環境を改変しました。
こうして人間は、自然現象について考察し、社会関係について思いめぐらし、発明や発見をし、哲学や自然科学を構築し、現在のような文明をつくり上げました。
このような文明はとてもすばらしく誇らしいものですが、これは人類が生存上有利だったからそうなったのでしょうか。
他の動物たちはこのようなすぐれた認知能力を持たなくても充分にうまく生存し、繁殖を続けているのです。
一方、巨大脳がもたらした自意識は、これまで述べてきたように、両刃の剣で、自我が種同士の殺し合いをするような危険性を持ち合わせています。
自意識を持つ以前の他の動物は、永く生存を続けられる保証のもとに生きています。自意識を持った人間は、刹那的に生きるスベは持ちましたが、殺戮を繰り返して反省の色がありません。しかし、永く生きる保証はないのです。
理解できない凶悪殺人事件が多発する昨今の世相は、人類の未来に向かっての繁栄を否定する兆しではないでしょうか。
わたしたち人間は、この矛盾をどのように考えたらよいのでしょうか。
2.道徳は人類が永く生き続けるための必須条件
創造主はどうして、永く生存できる保証のない生物としての人間をおつくりになったのでしょうか。
人間は、自意識で、つまり自分の判断で、生き方を決めて進まなければならない生物になったのです。
そして、「道徳」という生活規範を守って自己抑制ができる人間になれば、どんな困難でもやり通すことができることを伝統から学んだのです。
しかし人間は、その「道徳」自体の生物学的意義を支えている人間教育の基盤を放棄するような享楽的価値観に堕した世相をつくり出したのですから、何をかいわんやです。
「道徳」という「倫理観念」の押しつけは、戦後日本社会には馴染まない風潮があり、公教育にもそれが感じられます。
「道徳」を、市民を育てる公教育の一環と位置づけたらどうか、という趣旨の本を書店で見かけたことがありますが、まったく話がずれているという気がします。
「道徳」とは、ヒトが人間になれるかなれないかの瀬戸際の人間学の大問題であるとの認識でなければならないと信じます。
創造主は、人類に対して、道徳・教育を守れば永く生存できる生物になれるという条件をつけられたのです。
道徳・教育を守るか、守らないかの決定権は人間に任されています。人間自身が賢くその選択をしなければなりません。
創造主の本来のお考えは、巨大脳それ自体を全体として調和よく機能させよ、ということでしょう。
天賦の大脳を、感性・知性と調和よく機能させることは、「自我を捨てること」、「自分を抑えること」、究極は「道徳を守ること」になるのでしょう。
道徳を大切に考える人類種(homosapiensethica)は生き延びて、そうでない種=ホモ・サピエンス・ヴルガリス(homosapiensvulgaris)は滅びるでしょう。
人類の運命は、天賦の巨大脳の育て方・使い方に懸かっています。ホモ・サピエンス・エチカを目指しましょう。
3.「おばあさん仮説」の訴えるもの
女性はなぜ閉経期が過ぎても長く生きられるのでしょうか?繁殖期が過ぎても長く生き続けることは、文化人類学の謎となっています。
人間以外の動物では、生存期間と繁殖期間とは一致しています。つまり、繁殖能力がなくなった閉経期には死ぬことになっています。
この問題に対して一九九八年に、クリスチャン・ホークスらの人類学者は「おばあさん仮説」という考えを発表しました。
彼らは、タンザニアの採集民族について、そのおばあさんたちが、採集の難しい根茎などの食物を採り、赤ん坊の世話をして母親の子育ての労力を軽減しているといいます。
おばあさんの助けは、この他にも人間関係の調和や葛藤の解決にも絶大です。
おばあさんの存在は、孫の子育てに協力することによって母親を助けることにもなり、間接的ではありますが、母親の繁殖力を質・量ともに高めることになるのです。
こうしたことを考えれば、女性が閉経期を過ぎてからも長く生きることは、生物学的にうなずけることだといいます。
チンパンジーの授乳期間は、五年という長い期間を要しますが、その後で子どもが独立するまでは一年程度という短い期間です。
人間の赤ん坊では、授乳期間は一年程度ですが、それから独り立ちするまでは、数年から十数年と、とても長い時間がかかります。
人間になるまでの子育ての仕事が大変なのです。とても一人の母親に任せておける問題ではありません。
創造主は人間という生物を特別のものとして、寿命を決める遺伝機構を変えて、女性が閉経期を過ぎても長生きするようにしてくださったのではないでしょうか。
おばあさんのおかげで娘と孫は大助かりで、人類の生存のために大いに役立っています。
創造主のこのご配慮に感謝せず、子育て・教育・道徳を蔑ろにする世相は、まったく「親の心、子知らず」といえるでしょう。
この「おばあさん仮説」は、子育てを一人の母親に任せている現代の矛盾を解消して、昔の大家族、地域の中での子育てというおおらかな環境を呼び戻すのに格好の考えではないでしょうか。
常識とは英語でcommonsenseですが、ドイツ語ではMutterwitzといいます。Mutterは母、witzは智慧、つまり母の智慧です。
人の子が偉そうに一人前になっても、素朴に生きてきた老女の智慧には敵いません。
例えば、田中角栄元総理が、田舎の生家に帰って、囲炉裏端の老女に「日本列島改造論」を誇らしげに喋っても、老女は「何のことかようわからん、一寸ちごとるんじゃなかろうか」とつぶやいたとしましょう。
それは、常識とはそういうものだという、含蓄の深い言葉なのです。これも「おばあさん仮説」と類を同じくするものでしょう。
4.集中力という人間の脳の特技
人間は、極めて高度な思考を展開することができますが、そのためには、一つの事柄について、かなり長い間にわたって注意を集中させなければなりません。
しかし、動物を見ると、一つの事柄について注意を集中するということはありません。もしそういうことをすれば、捕食者をはじめとするさまざまな危険のために、命が危なくなります。
鳥でも獣でも、採食中の様子を見ると、絶えず頭を上げて、周囲を見回しています。このように、普通の動物では、一定時間、何かに集中していることは不可能なのです。
ですから、稽古に熱中することができるのは、人間だけにできる特技と考えて、それを生かすように努めるのが望ましいのです。
趣味を多く持つことも悪いことではありませんが、限られた人生ですから、一つのことに集中するほうが得るものが多いと私は考えます。
稽古三昧に徹しているときは自意識から解放されています。
5.視床の「外側膝状体」
外界刺激を大脳皮質に伝える神経回路は大脳深くにある「視床」を通ります。
網膜から第一次視野に通じる神経回路の途中に外側膝状体という神経核があります。
これは網膜から脳に至る神経経路の中継点に過ぎないと考えられていましたが、網膜からの視覚情報はこの「外側膝状体」において、脳の意識との連絡網からの情報を受けて第一次視覚野に入ります。
網膜からの視覚情報は視覚野に入る前に脳の意識情報とともに内的処理を受けて視覚野において認識されるのです。
稽古を重ねたプロ野球のバッターは高速で飛来するボールが静止しているように見えるといいます。意識を集中すると、意識は別の感覚次元に転位します。
稽古三昧になると意識は「無の境地」に入り、感覚化され、一瞬、心は自我から解放されるようになります。「意識の集中」は人間の特技といいました。
その集中した意識は稽古三昧の反複実践によって意識下に入って「無の境地」となり、「迷い」から「悟り」になる道筋を大脳は用意しているのかもしれません。
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