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第一章◉パフォーマンスの人望術

はじめに「雑炊をつくるんは、わしの役目や」 と言って、私を驚かせた親分がいる。月に一、二度、若い衆たちと鍋を囲むそうだが、シメの雑炊は親分がみずからつくり、一人ひとり茶碗によそってやる。〝絶対権力者〟のこのやさしさに、「うちの親分は情がありまっせ」 と若い衆は自慢する。 あるいは某組長は、取材に来た若いフリーライターを近所のラーメン屋に誘い、「このところ、ちょいと物入りでよ。こんな店で申しわけないが、勘弁だぜ」 と、あえて〝台所事情〟を明かすことで、「いい親分ですよ。ミエを張らず、誠意があってね」 と感激させている。「バカ野郎!」 怒声と同時に灰皿を飛ばす暴君でありながら、若い衆に慕われる親分もいる。「兄貴のためなら、身体だって張れるっスよ」と、〝駆け出し〟から畏敬されている幹部もいる。社会的存在としては認められていなくとも、そこに棲息する人間の魅力――すなわち人望は別の価値観と言ってもよいのではないか。 これが、本書を執筆した動機である。 暴対法や暴力団排除条例を持ち出すまでもなく、ヤクザは社会の敵とされる。実際、市民を食いものにする蛇蝎のようなヤクザはいくらでもいる。だが、その一方で、魅力的な親分や幹部もまた、少なからず存在しているのだ。組員に心酔されるだけでなく、市民からも「いい親分さんだ」「ヤクザも大物になると腰が低いんだねぇ」「カタギには絶対に手を出さないんだってさ」と、そんな評判の親分もいる。「社会の敵」であることと「人望」。 矛盾である。 だが視点を変えるならば、矛盾に満ちたヤクザ社会だからこそ、「人望術」という特殊なノウハウが凝縮された世界だと言っても過言ではあるまい。素の人格ではない、見せたい自分を演出するスキルである。若い衆に夢を語って聞かせる親分もいれば、稚気を見せる親分もいる。確かめようのない武勇伝を得々と披露する幹部もいる。褒め方、叱り方、目のかけ方、厳しさの演出、そして冷酷な計算と人間観察眼……。まさに、生き馬の目を抜く世界で培われたノウハウである。 ならば、これを拝借しない手はあるまい。 人間社会を生き抜いていくには、よくも悪くも自己演出は必要だ。《玉磨かざれば光なし》と譬えに言うがごとく、どんなに素晴らしい人格も、それだけでは人望にはつながっていかない。人格は、対人関係において評価されてこそ人望に昇華していくのである。ヤクザのノウハウを実社会でそのまま使うことは不可能だが、ある意味、人間関係のプロである彼らの人望術を咀嚼し、自分流に置き換え、それぞれの立場で活かしていただければ幸いである。 なお本書の執筆に当たり、若手フリーライターとして多方面で活躍中の上野友行氏はじめ、コーエン企画の江渕真人氏、フリー編集者の小松卓郎氏、そして光文社新書編集部・古川遊也の諸氏に謝意を表する。向谷匡史

目 次はじめに第一章 ◉パフォーマンスの人望術「おまえだけに」と内ヅラを見せる部下の心をつかむ〝プレゼント術〟使い方次第で領収書が「人望」に大化け自分の「武勇伝」は創ってでも語るべし「いい人」と思われたら終わり大義名分を掲げ、部下のプライドを喚起せよ「あの人のためなら」と思わせるパフォーマンス夢は実現しなくても語ることに意義があるまずは服装から――低予算でできる自己演出術名刺には携帯電話の番号を刷り込むな高くても「安いな」と余裕をカマす若手の前では、明るくカラリと俗っぽい話を

第二章 ◉言葉の人望術

「キミにまかせるよ」のひと言で部下の目は輝く「ワイはええねん」と常に〝第三者〟のスタンス他人の自慢話を我田引水する「ムニャムニャ話法」〝若い衆〟も感激! 仏教名句が心に響く会話に「社長が」「専務が」とはさんでみる叱ったあとに効く〝あとづけ〟のひと言「優秀な部下をお持ちですね」とサラリ説教には「人生体験」を付け加える

第三章 ◉実戦心理の人望術

褒めるときは二人きり、叱るときはみんなの前デキない部下、使えない部下はこう褒める肩書きが上がったときが人望 U Pのチャンス親への気づかいについホロリ借金を申し込まれたときの人心掌握術孤立した部下を活かす裏技「ホメる」効果を倍加させる人間関係術〝昔の苦労話〟を人望力に転化させる叱って人望を得るただ一つの方法「彼、いいねえ」と思わせる口コミ演出術周囲がモミ手ですり寄る「ヤクザ流」禁じ手

第四章 ◉部下の人望術

上司をヨイショするなら「客の前で」〝人脈のダボハゼ〟は一生雑魚ひたむきな「若い衆」が信頼される見えない努力「アヒルの水かき」のススメ「場面」を読んで上司をフォロー悪い知らせは、「次善の策」とセットで知らせよ上司の服装のマネをするのも一手「将」を落とすには「馬」にゴマスリの矢を射よ「大変だったスよ」――手柄のアピールは逆効果「どうしましょうか?」という問いかけの賢い使い方

第五章 ◉自分磨きの人望術「子供っぽい」人は「人望」がある人「白か黒、灰色は無し」とハラをくくる迷わない、ブレない上司に人望が集まる部下の〝持ち物〟を奪うなかれ

人望の基本は一に健康、二に健康「お金」でヘタなミエを張るのは N Gあるインテリヤクザの本音リタイアしてから分かるのが本当の人望

第一章 パフォーマンスの人望術

「おまえだけに」と内ヅラを見せる ヤクザはカラオケが大好きである。 理由は定かではない。「自己顕示欲のあらわれですよ」 とバッサリ斬ってしまうヤクザ雑誌編集者もいるが、いずれにせよ彼らはマイクを握ったら離さない。 ♪ 親のォォォ血を引くゥゥゥゥ……。 某夜――。 関西系ヤクザの Q親分が、恐い顔をゆがめて陶酔の境地である。しかも、うまいのだ。夜ごと歌いこんだ渋いノドは、聴いていて思わずうなるほどである。「やっぱり、ヤクザはド演歌だね」 と感心したら、「なに言うてまんねん。ウチの親分は福山雅治を歌わせたら天下一品でっせ」 と同席する幹部氏が口をとがらせた。「鳥羽一郎の間違いじゃないの?」「違う違う、フクヤマや。『桜坂』なんか、本人よりうまいでぇ」「でも、さっきから北島三郎のメドレーだけど」「お宅が取材しとるからや。身内と飲むときはエグザイルかて歌うんやから」「郷ひろみも歌いはります」 そばに控える若い衆が、笑みを浮かべて補足すると、「せやったな」 幹部氏が鷹揚にうなずき、「親分は郷ひろみと同世代やそうや。このあいだなんか、アッチチ、アッチいうて息切らせながら踊っとった」「信じられない」「当然や。お宅らにはわからんやろ」 幹部氏は得意顔で鼻をうごめかせた。 今夜は他人が同席しているので、親分はヤクザにとってオフィシャルなド演歌を歌っているが、身内と飲むときは流行歌も歌う――ということで、そのココロは「ウチの親分は、わしらにだけは素顔を見せてくれはるんや」と鼻高々で自慢しているのである。 このとき、口うるさいはずの Q親分がなぜ若い衆から慕われているのか、理由の一端がわかるような気がした。親分という立場を「外ヅラ」とするなら、立場を離れた素の自分が「内ヅラ」。ビジネスマンも同じで、男が内ヅラを見せるのは身内に対してだけだ。すなわち、武闘派で恐れられる Q親分があえて内ヅラを見せることによって、「親分は、わしらのことを家族や思うてくれとるんや」 と若い衆はうれしくなり、これが人望へと転じていくわけである。 私が知るリフォーム会社に〝鬼の営業部長〝がいる。頭にきて部下に携帯電話を投げつけたというパワハラ伝説の持ち主だが、〝身内〝の飲み会では女性アイドルグループの歌を熱唱する。 AKB 48はもちろん、腰をフリフリしながら韓流グループ KARAの歌まで披露する。ヘタだが、ヘタの熱唱ゆえに部下たちはヤンヤの喝采を送る。 面白いから笑っているのではない。「面白い」は「宴会芸」であって人望とは無縁のもの。部下たちは、社の内外で鬼と呼ばれる部長が、自分たちだけに内ヅラを見せてくれていることが「信頼の証」としてうれしいのである。 後日、 Q親分に会ったとき、「郷ひろみのアチチを歌って踊ることがあるんですってね」 と水を向けてみると、「座興だ」 ニヤリと笑った。 ヤクザもビジネスマンも、人望を集める人間は必ず、下の連中に内ヅラを見せている。「おまえだけに」「おまえたちだけに」「おまえたちだからこそ」――という言外のメッセージに、下の人間の気持ちはグラリとかたむくのだ。

部下の心をつかむ〝プレゼント術〟 誰に、それをプレゼントされたか。 値打ちは、ここで決まる。 たとえば、金ムクのロレックス。「おっ、いい時計してるじゃん」「宝くじに当たってさ。それで買ったんだ」「何だ、そうなのか」 ホメた友人は、宝くじに当選したことをうらやましく思いはしても、醒めたリアクションをするだろう。 ところが、「社長にもらったんだ」 と言えば、「エエーッ! 社長に!」 目を剝くに違いない。 しかも、買ってもらったのではなく、「これ、社長が愛用していたものなんだ」となれば、相手は唸るほどに驚くことだろう。 これが部下の心をつかむ〝プレゼント術〟なのだ。 ヤクザの親分は、この心理を熟知しているがゆえに、若い衆にモノをくれてやるときは新品を買い与えるのではなく、自分が身につけているモノを渡す。若い衆に自慢のタネもいっしょにくれてやるのだ。 私にこんな経験がある。若い衆と麻雀を打っているときのことだ。やたら彼の腕時計が目につく。右手に嵌めているため、牌に手を伸ばすたびにダイヤをあしらった金ムクのカルティエがキンキラ光るのだ。これみよがし――のように感じたので、「いい時計だね」 と水を向けると、「親分にもらったんですよ」 得意顔で言ったのだった。「親分にもらった」「兄貴にもらった」――という付加価値こそ、若い衆がもっとも喜ぶことなのである。 ただし、ここがポイントだが、人望家の親分と、そうでない二流の親分とは、渡すときのセリフに決定的な差がある。二流の親分は、こんな言い方をする。「おう、この時計をやるぜ。百や二百万じゃ買えねぇんだから大事にしろよ」 このセリフは「俺はこんな高い時計をくれてやるんだ。太っ腹だろう」――という親分の自慢でもある。だから若い衆は喜びはしても感動は少ない。何となく恩着せがましさを感じてしまうのだ。 人望家の親分は違う。これはヤクザのカラオケ大会で目にしたことだが、親分が腕に嵌めていた高級時計をはずと、「おれの使い古しで悪いな」 そう言って優勝した若い衆にプレゼントしたのである。 親分が「使い古しで悪いな」とへりくだっているのだ。このときの若い衆の感激がどれほどのものか、想像がつくだろうか。この親分は、時計をプレゼントすることによって、人望という金銭では購うことのできない価値を得たのである。

使い方次第で領収書が「人望」に大化け「おう、これでお茶でも飲んでくれ」 と言って、ヤクザの親分がクロコの分厚い財布から五千円を抜き出したとしたら、あなたはどう感じるだろうか。(ヨッ! 太っ腹!) ということは、もちろんないだろう。(威張ってるわりには、けっこうしみったれてるじゃん) そう思うのではないか。 ならば、おなじ五千円でも、次のような渡し方だったらどうか。 ヤクザ雑誌を舞台に活躍する友人ライターが、某親分をホテルのラウンジで取材したときのことだ。生ビールを飲みながら三十分ほど取材して、親分が伝票をつかんだのでライター氏があわてた。「あッ、ここは私が!」「いいから」 鷹揚に笑って四千数百円の支払いをすませると、「これ、使ってよ。俺が領収書もらったってしょうがないからさ」 そう言って、親分は受け取った領収書をライター氏に差し出したのである。「これはどうも」 思いもかけない気づかいにすっかり感激。「あの親分、いい人だよ」――とライター氏はホメちぎるのである。「いい人」かどうかはともかく、彼の気持ちはよくわかる。私も駆け出し当時、似たような経験があるからだ。地方のヤクザ親分を取材し、辞去しようとしたときのことだ。「ちょっと待って。いまタクシーを呼ぶから」 と親分が言ったので、(何だ、気がきかねぇな) と、私は思った。 訪ねたときは、若い衆がベンツで新幹線の駅まで迎えに来てくれたのだ。だったら帰りも送ってくれよな――と腹のなかでブツブツ言いながらタクシーに乗り込んだのである。 そして、駅まで料金は数千円だったろうか。払おうとすると、「いやいや、親分さんからもらってますので」 と運転手が手を横に振ってから、「はい、これ。お客さんにお渡しするように言われていますので」 と領収書を差し出した。「経費で落とせ」――という親分のメッセージなのである。(へぇ、垢抜けているな) と感心しつつ、組員や商店街の旦那衆から信頼が篤いという評判はまんざらでもないと納得したのだった。 気づかいは、「ちょっとした」というところがポイントなのだ。たかが数千円――。いや、数千円であるがゆえに、人間心理に通じた親分はちょっとした気づかいを絡ませることによって、人望に大化けさせてしまうのである。

自分の「武勇伝」は創ってでも語るべし「人斬りの × ×」といった異名は、全国津々浦々に存在する。 組のために一人で殴り込んだ――という武勇伝なら、掃いて捨てるほどある。真偽の程はわからない。実際、抗争事件で長い懲役に行った者もいるし、本人がそう語るだけで確かめようのない〝昔の武勇伝〟もある。「命知らず」「怒らせたら何をするかわからない」――といった評判がシノギに大きく影響する以上、真偽を超えてヤクザに「伝説」はつきものというわけである。 ことに親分ともなれば、武勇伝は不可欠だ。 理由は三つ。 一つは前述のように、ヤクザ社会は腕力勝負なので、イケイケがシノギに直結するということ。「温厚な、いい親分さん」と旦那衆から評判でも、衣の下の鎧を見せておかなければナメられてしまう。だから「あの人は、本当は恐い人なんだ」という武勇伝は必須となる。 二つ目は、若い衆へのアピール。「ウチの組長はすげぇな」と畏怖させるためだ。この場合、若い時分にジギリをかけた(組のために身体を張った)話が多く、言外に「おめぇらも、ジギリをかけてこそ一人前のヤクザだ」という意味がこめられている。 さて、三つ目。実は、これこそが武勇伝の真の狙いとなる。それは、若い衆が周囲に対して、〝親分自慢〟をする材料としての武勇伝だ。この場合、武勇伝の背景や親分の言動などディテールをつけ加え、若い衆が見てきたかのように話せるようにしてやる。「凸凹会がウチの縄張に事務所の看板を上げたと聞いて、親分が激怒してさ。ちょうど料亭で飲んでたんだけど、ビール瓶を逆さに持って床の間にブン投げたんだ。ナントカって有名な人が書いた掛け軸が破れてさ。ン百万の掛け軸だぜ。親分はそれを承知でビール瓶を……」 そして、その夜のうちに拳銃を握って殴り込み――という武勇伝につながり、「ウチの親分は、ヤクザの鑑だぜ」 という自慢になる。人望家として評判の親分は――そうと意識するかしないかは別として――若い衆が自慢できるような武勇伝があってこそ、人望を得て組織が強化されることを熟知しているのである。 武勇伝だけではない。 先日、一家違いの駆け出しの若い衆同士が、こんな会話をしていた。「ウチの親分、またクルマを換えたんだぜ」「このあいだ買い換えたばっかりじゃないか」「今度のやつは特注ベンツで五千万」「すげぇ」「ああ、ウチの親分は凝り性だからよ」 親分自慢は自分自慢――となれば、必然的に親分にとって人望につながっていくというわけである。 私たちも同じだ。人間は〝自慢したがり〟で、自分のことが自慢できればベスト。自分自慢ができなければ上司や先輩自慢をしたりするものだ。たとえ〝上げ底自慢〟であろうとも、「自慢される上司」は、部下の心中において人望につながっていくのである。 某出版社の編集者たちに会うと、必ず編集長の話題を彼らは口にする。「企画書を出そうとしたら、編集長が〝そんなものはいらん。売れるなら GOだ〟って。大ざっぱというのか、度胸があるというのか」 と、こんな話を自慢そうに語るのである。 だから、部下や後輩を持ったら、彼らにとって自慢のタネになるような武勇伝やエピソードを披露することだ。披露する経験談がなければ創ればよい。「入社早々、経営方針が間違っているんじゃないかって、社長室に乗り込んで直談判してさ。クビを覚悟していたら、〝キミは見どころがある〟とホメられちゃった」「接待の席で、クライアントがあまりに尊大な態度を取ったんで、コップのビールを顔にぶっかけてやったんだ。商談? もちろんパーさ、アッハハハ」 一杯やりながら面白おかしく語れば、部下や後輩は他社の友人に、「ウチの課長は豪傑なんだぜ」 と、これまた面白おかしく自慢するだろう。「人斬りの × ×」が全国津々浦々にいるごとく、「伝説」は創ればいいのだ。

「いい人」と思われたら終わり「人望家」と「いい人」は似て非なるものだ。 温厚、紳士、頼めばイヤとは言わない――。こんな人は「部下にとって都合のいい上司」であって、「人望家」とは呼ばない。ところが部下から「いい人」とヨイショされて、悦に入る上司の何と多いことか。「人望」とは「畏敬」のことだ。畏れ敬う心なくして人望はあり得ないのだ。だからナメられてはならない。ナメられたら最後、たちまち「いい人」に成り下がってしまうのである。 このことを嗅覚的に知っているのがヤクザだ。コワモテで世間を渡っていく彼らだが、いつも肩を怒らせているわけではない。一般市民と知り合いになっておけば、シノギもしやすくなるかもしれない。一般市民に好かれることは、ヤクザにとってメリットがあるのだ。 ところが一般市民は、そこが見抜けない。 馴染みの飲み屋で顔を合わせているうちに、(結構、いい人じゃん) と親近感をいだくようになる。 ヤクザも計算ずくで、気さくな調子で会話する。武勇伝などヤクザの座談はたいてい面白いもので、腹をかかえて笑っているうちに、「ヘーッ、たいしたもんだねぇ」 と、ついタメ口をきいたりする。 ヤクザが豹変するのは、そんなときだ。「テメエ、この野郎!」 「!?――」「調子こいてんじゃねぇ! 何だ、この野郎、さっきから聞いてりゃ、とぼけたことばかり言いやがって!」「わ、私は何にも……」 なぜ怒りだしたのかわからず、顔を青くすることになる。 そして、ヤクザは頃合いをみて、「知らない仲じゃなし、俺も四の五の言いたくねぇけど、口には気をつけてくれよな」 とトーンダウンさせ、「すみませんでした」「わかってくれりゃ、いいんだ。ま、一杯やんなよ」 とビールの一杯も注いでやって一件落着となる。 このとき「結構、いい人じゃん」というこれまでの評価は、「いい人だけど、ヤバイじゃん」に修正されるのだ。恐いだけのヤクザは蛇蝎のごとく嫌われるし、いい人ではナメられてしまう。「いい人 +恐い人」であるからこそ、親しみやすくて頼りになる――という気にさせるのだ。これもまた広い意味で人望の一つなのである。 畏敬のポイントは「畏れ」にある。「畏れ」は「恐れ」であり、相手を恐れる気持ちが屈折して「敬い」に転化していく。難しく考えることはない。のんびりと草を食む牛が無造作にシッポでハエを叩くがごとく、たまには不意をつき、厳しい口調で部下を叱責すればいいのだ。

大義名分を掲げ、部下のプライドを喚起せよ「こらッ! わしがタバコくわえとんのが見えへんのか!」「ボケ! 若頭が出かけんのやで。早ようクルマのドア開けんかい!」 見送るときは腰を〝く〟の字に曲げる、来客には立ち上がって挨拶する、コーヒーを出したときのスプーンの位置、お茶を淹れたときの量、クルマのドアの開け閉め、事務所の電話はコール一回で取る、組名は大声でハッキリ告げる……。駆け出しは、これらの礼儀作法を一つひとつ身体で学習していく。 どの組も、正規の組員になるには、半年から長くて三年程度の修業期間がもうけてある。その間、準構(準構成員)として、事務所や親分宅に寝泊まりし、便所掃除から洗濯まで一切の雑用をこなす。これが〝部屋住み〟と呼ばれるヤクザ社会の人材育成法だ。 だから楽じゃない。 十人いて、残るのは一人いるかいないかで、たいていケツを割って逃げて行く。 では、なぜそうまで厳しくするのか。「そら、あんた、若い衆がだらしないと組が笑われるがな」 とヤクザの誰もが口をそろえるが、私はちょっと違った見方をしている。 それは、プライドの植え付けである。「ウチの組は礼儀にうるさい」 というボヤキは、(ウチは他組織のようにダラダラした組とは違うぜ) という自負の裏返しなのだ。「ウチの組長は厳格でまいっちゃうよ」 という溜め息は、(そういう厳格な親分にオレは仕込まれているんだぜ) と胸を張っているのだ。 これが「カネに細かい」「酒グセが悪い」――といったネガティブなものなら本当のボヤキになるが、「礼儀」とか「厳格」など、誰が聞いても素晴らしいと評価することは大いなる〝親分自慢〟であり、「俺は × ×親分の若い衆だ」というプライドが植え付けられることになる。 同じような意味で、元読売新聞社社主・正力松太郎が遺した「巨人軍憲章」も、狙いはそこにあるのではないかと思っている。 遺訓は、 一、巨人軍は常に紳士たれ 二、巨人軍は常に強くあれ 三、巨人軍はアメリカ野球に追いつき、そして追い越せ 二と三はともかくとして、眼目は「紳士たれ」にある。「アホらしい。野球と紳士と何の関係があるんだ」 などと選手は反発しない。「紳士でいろなんて、冗談じゃねぇよ」 とボヤいてみせたとしても、それは「オレは、紳士であることを求められる巨人の選手なんだ」という誇らしい気持ちの表れなのである。たとえ紳士とはほど遠い選手であろうとも、紳士たることを求められるということにおいて、球団を誇らしく思っている。この誇らしいという感情が、プライドの正体なのである。 だから部下の人望を得たければ、大義名分を掲げ、これに対しては徹底してうるさく言えばよい。「志なき者は去れ!」「数字が勝負だ!」「私の部下に無能な者は一人としていない!」 うるさく言ってプライドが喚起されればよし。部下が〝ドン引き〟しそうなら、「私の部下は紳士たれ!」とでも活を入れればいいのだ。

「あの人のためなら」と思わせるパフォーマンス 親分のために命を賭けられるか。 フリーライターとして駆け出し当時、現役ヤクザに取材する機会があると、よくそんな質問をぶつけた。親分のために本当に死ねるのか、気の遠くなるような懲役に喜んで行けるのか――ということに興味があったからだ。「タテマエや」 と答えたヤクザは当然ながら、一人もいない。「子が親のために死ぬんや。本望やないけ」 と関西ヤクザがギョロリと目を剝いて言えば、関東ヤクザはちょっと気取って、「それが渡世ってもんさ」 鼻でフフッと笑ってみせたりする。 予期した返答であっても、言葉の微妙なニュアンスで本音か建前かがわかり、ヤクザという人種――いや、人間を知る上で大いに参考になったものだ。 そんな問答のなかで、(えッ、マジ!) と驚いたことがある。 その若い衆――関西 V会の M組員は、こう言ったのだ。「組長のためなら死んでもかまへんよ。喜んで言うたらウソになるかもしらんけど、死んでもええ思うとる。組長に拾うてもらわれへんかったら、わし、いまごろ刑務所におるか野垂れ死にやろな」 日雇い労働者だった父親は酒乱で、飲むとみさかいなく暴力を振るったそうだ。母親が家を飛び出して一家離散。当時、十六歳だった M少年は、傷害事件を起こして少年院に収容。退院後は自宅に帰らず、公園を野宿して転々とするうち、 V会の息がかかった不良少年グループとケンカしたことが縁で、 V会に入門する。「部屋住みやからね。寝るところとメシだけは安心や。小遣いかて、組長や兄貴がくれる。それに、ここは仲間もおる。ホンマ、天国や」 と真顔で言ってから、「月に一、二度、組長がわしらに雑炊をつくってくれはるんや。そら、うれしいがな。お宅らになんぼ話したかて、この気持ちはわからんかもしらんけど、正直、〝組長のためなら死んでもええ〟と思うんや」 タテマエでなく、本気であることがひしひしと伝わってきたものだ。 部屋住みを置いている組では、若い衆が自炊したメシを一緒に食う親分はめずらしくない。部屋住みというのは、親分の自宅や組事務所に起居し、便所掃除から電話当番、客の応対まで、鉄拳と怒声でヤクザのイロハを覚えていく修業をいう。その部屋住みも、当世若者気質と住宅事情などから、都会の組織では少なくなってきたが、その効用を人心掌握術の視点から見る親分もいる。「たまには若いもんがつくったメシを一緒に食ってさ。何だかんだバカ話をするんだ。同じ釜のメシを食うって言葉があるけど、人間、やっぱり情だからね。でなくちゃ、若いもんだって〝親分のために〟とはならんでしょう」 とは中堅組織の組長だ。 親分が白と言えば、黒いものも白くなる――というヤクザ社会も、若い衆の心をつかむには、情にまさるものはないということか。 後日、関西 V会の組長に雑炊のことを問うと、「そんなたいそうなもんやあらへん。鍋をやったあと、メシをブチ込むだけや」 謙遜しながらも、「わしが、一人ひとり茶碗によそってやるんやけど、みんな大感激しよる」 安いもんやで――と本音をポロリ。 この〝人望術〟はサラリーマン社会でも使える。部下たちと鍋を突っついたあとでご飯を注文して、「よし、今夜はオレが特製の雑炊をつくろうじゃないか」 とでも言って、ワイシャツを腕まくりし、一人ひとりによそってやるのだ。 大感激はせずとも、部下はうれしくなるだろう。「部長が腕まくりしてさ」 と、少なくとも翌日以降、心あたたまるエピソードとして語られる。人望につながらないわけがないのだ。

夢は実現しなくても語ることに意義がある ヤクザが夢を語る――と言ったら笑うだろうか。ところが実際、彼らは語るのだ。 ただ、「世のため人のため」 というヤクザは、私の知る限り、まず皆無。夢のほとんどが「ゼニを稼ぐ」という一点に集約される。いいクルマに乗って、いい女を抱いて、札ビラを切って盛り場を流す――というのが、駆け出しや中堅がいだく〝夢の定番〟といっていいだろう。 だから、人望のある兄貴分は少ない。「ゼニを稼ぐ」という夢はきわめて個人的なもので、兄貴が稼ぐことと弟分がオイシイ目にあうことは必ずしも同じではないからだ。したがって「兄貴は兄貴、オレはオレ」という意識になりがちで、そこに人望が介在しにくいのは当然だろう。 そんなヤクザ社会にあって、駆け出しでありながら、不良少年たちから熱い尊敬のまなざしで見られているのが、若手の K組員だ。広域組織の四次団体――いわゆる〝枝〟と呼ばれる弱小組織の一員にすぎないが、不良少年たちが彼を慕い、集まってくるのだ。 なぜか。 K組員に会ってみて、その理由がわかった。夢を語るのだ。その夢も「ゼニを稼ぐ」ではなく、「天下を取る」なのだ。「三十代で一家を構え、四十代で〝関東に Kあり〟と言わせてみせます」 と、私の目を真っ直ぐ見ながら言い切る。(大ボラ吹いて) とはこちらも思わない。 夢は「目標」なのだ。「大志」なのだ。「頑張れよ」――と励ましはしても、笑いはしない。 K組員は、この同じセリフを不良少年たちに熱く語る。この夢に不良少年たちは惹かれ、自分の前途を託す。語る夢にグラリとくるのではない。夢を語る人間に心を揺さぶられるのだ。 すでに故人になられたが、かつて人望の厚さを謳われたヤクザ界の長老が生前、よくこんなことを言っていた。「夢だの大志だのってやつは、本当に困ったもんだ。手形といっしょで、落ちるかどうかわかりゃしないんだけど、つい気持ちが入っていくんだね。言い換えりゃ、いずれ将来はああする、こうする、こうしたいって夢は若いもんの心をつかむってことだ。誰とは言わないけど、ちょいと頭の切れる親方(親分)は、そうやって人気なんだね」 坂本龍馬が「海洋立国の夢」を熱く語り続けたごとく、人気のある歴史上の英雄たちはみな夢を高く掲げている。これを人望という視点から見れば、夢は実現するかどうかが大事なのではない。夢を掲げ、語り続けることで人間的魅力が出てくるのだ。

まずは服装から――低予算でできる自己演出術 カネがなくても、あるように見えれば、それはあるのと同じ。あるいは、力がなくとも、武闘派に見られれば、それは力があるのと同じ――。ヤクザの「処世観」をひと言でたとえれば、そういうことになる。 当局の締めつけで、最近の都会ヤクザは目立たぬよう、ビジネスマン風のファッションになってきているが、まだまだ地方へ行けば、見るからに「ザ・ヤクザ」が少なくない。パンパンにふくらませたクロコの長財布、あめ玉のようなダイヤの指輪、金縁の色つきメガネ、そして黒いフィルムを張ったベンツ――。さながらガラガラ蛇が、ガラガラという音で周囲を威嚇しながら、「こらッ、わしは恐いねんぞ!」とクネクネ地面を這っているようなものか。 だが、ガラガラはやっぱり恐く、効果は絶大で、一般市民は避けて通るし、債権取り立てなど、法律で容易に解決できない案件は彼らに頼ってきたりもした。暴対法や暴力団排除条例で、こうしたシノギはやりにくくなってはいるが、〝魚心あれば水心〟が人間社会。根絶されたわけではない。 だから、「あの組はすごい」という評判は、組のシノギに大いにかかわってくる。そのための演出は思わずうなるほどで、たとえば某組織は車種、ボディーカラー、ナンバープレートの数字まで同じにしたクルマを六 ~七台連ねて走り、どのクルマに親分が乗っているかわからないようにしている。影武者ならぬ〝影クルマ〟といったところだが、窓に黒いフィルムを張った高級外車が隊列を連ねて走る様は異様な迫力があり、「あの組はすげぇ」 という評判を得ることになる。 あるいは、親分が盛り場で飲むときは、警戒のため、耳にインカムを装着した組員が店の入り口に張りつき、要人警護の SPのごとく「いま会長が出るぞ」とやる。それを合図に、ベンツや国産高級車数台が一斉にエンジンをかけ、若い衆が路上に散らばる。そして数分後、店のドアが開いて、ボディーガード役の屈強な若い衆に取り囲まれた和服姿の会長が姿を現す――といった具合で、こうした演出もまた、「あの組はすげぇ」 ということになるのだ。 そして、この「すげぇ組」の一員であることに、若い衆は誇りをもつ。つまり、「あの組はすげぇ」という評判は、外部に対するデモンストレーションだけでなく、組織内において、親分に対する畏敬――すなわち人望にもつながっていくというわけだ。 この流儀、それにもとづく演出術は、ビジネスマンにとっても大いに参考になるのではないか。 人望を得たければ、「オレは、あの人の部下だ」 という誇らしい気持ちを部下に持たせる努力は必要だろう。 そのためには、まず服装が大事だ。「男は中身で勝負」と嘯いてみたところで、ヨレヨレのスーツに、シミがついたネクタイを締めた上司を誰も尊敬はしまい。「いい人」にはなれるだろうが、それは部下の〝上から目線〟での評価なのだ。高級スーツでなくてもいい。どの程度の給料を取っているかは部下もわかっていることだから、一着買えば二着目はン千円――といったスーツでかまわない。何着かそろえて日替わりで着ていく。ネクタイだって同じだ。要は、服装に気を配っているという、その意識が、部下に通じればよい。ダンディズムとは高級スーツを着ることではなく、「美意識」を言うのだ。 財布の中身は、ヤクザ式に有り金を全部入れておくこと。部下の前で、お茶代を払うときの光景を思い浮かべれば、その理由はわかるはずだ。「だけど、お金を持ち歩いているとつかっちゃうからな」 と、子供のようなことを言うようでは、人望とはほど遠いと知るべし。演出には、強い自制心がいるのだ。 そして、部下と話すときは、決してビンボーたらしい話をしてはいけない。「住宅ローンが大変なんだ」 とこぼす上司にあこがれる部下など、いるわけがなかろう。 いつも余裕の態度でいること。内心はあせっていても、泰然自若でいること。ヤクザの親分だって、高いコストをかけて自己演出をしているのだ。努力せずして人望が得られるほど、人間関係は甘くはないのだ。

名刺には携帯電話の番号を刷り込むな 電話番号ひとつで、相手の心をわしづかみにする方法がある。「あんただけに教えておこう」 というひと言だ。 実際、このひと言で、私はグラリときた経験がある。 いまから三十余年前、週刊誌記者時代の話だ。大相撲の八百長疑惑キャンペーンの取材を担当していた私は、関西ヤクザの S組長に取材を試みた。すでに故人になったが、 S組長は当時、大相撲のタニマチとして知られており、八百長疑惑についてどんな発言をするか、興味があったからである。 だが、相手は名を知られた大物組長。それまでヤクザ業界を取材した経験がなかった私は、どういうふうにコンタクトを取っていいかわからず、ヤクザ専門雑誌の知人に組事務所の電話番号を教えてもらい、電話をかけた。 「○ ○組本部!」 コール二回で威勢のいい声が受話器を取った。 週刊誌名と名前を告げ、相撲界について話を聞きたい――と伝えると、「組長に聞いて、あとで電話しますさかい、そちらさんの電話番号を教えてもらえまっか」 ということで、ものの五分ほどして折り返し電話がかかってきて、「明日の午後一時やったら、事務所におられるそうです」「うかがいます!」 で、翌日、カメラマンと一緒に新幹線に飛び乗った。 八百長については意図したコメントは取れず、取材は空振りに終わったが、強烈な印象としていまも忘れられないひと言が、「何か聞きたいことがあったら、事務所やのうて、家のほうに電話してくれたらええ」 自宅の電話番号を教えてくれたのである。 若かった私は、大物親分に信頼されたような気がして感激。いっぺんに好感を抱いたのだった。それからは、大相撲以外のことで何度か S組長宅を訪ねて取材することになるのだが、この気持ちは変わらなかった。 以後、記者として修羅場をくぐるうち、 S組長の「家のほうに電話してくれたらええ」というひと言はパフォーマンスではなかったかという思いがよぎることになる。「オレの専用電話を教えておくからさ」「次から、携帯に直接かけてくれるかな」 そんなセリフを口にしながら、名刺の裏に電話番号を書いて渡してくれる親分や幹部が少なからずいたのである。これはきっと人心掌握術なんだ――そう合点したものだ。 ヤクザに限らず、好感をもって迎えられる人間は、このように携帯電話の番号を実に効果的に用いている。 ある芸能人とは取材で意気投合。「事務所を通さなくていいから、携帯にくださいよ」 と言って私をうれしくさせたし、 IT関連のオーナー社長を取材したときは話が弾み、「会社の広報にはあとで私から言っとくから、コメントが欲しいときは、携帯にかけてください」 と言って、これまた私をいい気持ちにさせた。 それらが、計算されたパフォーマンスであったかどうかはわからない。だが「あんただけに教えておこう」というひと言が、相手の心をわしづかみにすることは確かなのである。 このことから、名刺に携帯電話の番号を刷り込むのは、人間関係を濃密にするチャンスをみすみす逃しているということになる。営業マンはたいてい名刺に携帯電話の番号を刷り込んでいるものだが、人間心理に通じた営業マンはそうはせず、「何かありましたら、携帯にお電話ください」 と言って、客や取り引き相手に渡した名刺に、わざわざ番号を書いてみせるのだ。 口に出さずとも、それを受け取った相手は、「あんただけ」というニュアンスを勝手に感じてうれしくなるのだ。

高くても「安いな」と余裕をカマす 思わず口にするひと言で、人間の器量は推し量られる。 ある親分が、一流ホテルのショップで、ウインドーに飾られたコートに目を留め、店内に入ったときのことだ。「これ、いくらだい?」「百五十万円で提供させていただいています」「安いな」 こともなげに言うと、コートに手を伸ばし、指先で生地の感触を確かめた。この口調と仕草に、女性店員の顔つきがあきらかに変わった。(買ってくれるかも!) と思ったに違いない。「ビキューナのなかでも、最高級の素材を使用しておりまして」 説明に熱がこもるのだ。 私は、親分のパフォーマンスに舌を巻いた。親分といっても、関東近県に棲息する零細組織。不景気のご時世に暴力団排除条例が追い打ちをかけて、シノギは苦しく、年がら年中ピーピーしている。このことを知っているので、「安いな」と、こともなげに言ったパフォーマンスに驚き感心し、(この親分の人望は、ここなんだな) と合点したのである。 シノギが苦しくても、零細組織で武闘力に劣っていても、泰然自若としている親分に組員たちは安心感を覚えるのだろう。債権取り立てをめぐって関西大手組織の三次団体の名前が出たとき、この親分は、「ああ、そうか」 と意にも介さず、麻雀を続けていたという。 あとで番頭役の本部長が、「組長、関西とモメるとヤバイですぜ。よく麻雀なんか打ってられますね」 揶揄するように言うと、「心配したってしょうがねぇだろう。出てくるもんは出てくるし、出てこないもんは出てこない。じたばたしたって、何にも変わりゃしねぇんだ」 そう言ったのだと、これは本部長から聞いた話だ。 ちなみに先ほどのホテルのショップでは、「コートなら何着もあるじゃないですか」 と本部長が〝呼吸〟を合わせ、「それもそうだな。また寄らせてもらうぜ」 親分が店員にニッコリ笑いかけ、悠然と店を後にした。店員は廊下まで出て、最敬礼で見送ったのである。 この親分と真反対なのが、やはり関東某県で金貸しをやっている資産家だ。 ホテルのラウンジでコーヒーを飲めば、「高いな!」 と顔をしかめる。 貸し付けた金がコゲつきそうになったら、「ヤバイよ、どうしよう」 と狼狽する。 デパートにスーツを買いに行ったときは、「六万? 高けぇ!」 と言って、女性店員に眉をつり上げて見せた。「だったら量販店へ行け、くそジジイ!」 とはもちろん言わないが、店員は曖昧な笑顔の下で、そう罵っていたことだろう。 だから、この資産家は人望がない。金持ちだから周囲の人間は相手にしているだけで、そうでなければ洟も引っかけまい。それもこれも、思わず口にするひと言がすべてネガティブなものであるからだ。 ビジネスマンも同じだ。部下を連れて飲みに行き、勘定書きを見て、「高いな」 と思わずつぶやけば、部下はどんな気持ちになるだろう。「予算オーバーなんだな」「高いものを注文しすぎたかな」「悪いことをしたな」……。それまで楽しかった雰囲気が一瞬にしてシラけてしまう。シラけるだけでなく、上司の不機嫌な顔を見れば、「来なきゃよかった」とまで思うだろう。 こんな上司は、およそ人望とは無縁なのである。「高い」と口にしたところで、勘定が安くなるわけではない。支払う金額が変わらないのであれば、「あれだけ飲み食いしたのに安いな」 とでも言えば、(太っ腹だな) と部下は感心し、気持ちいい酔い心地でいられるというわけだ。「課長、大失敗をしました」「何をやらかした」「契約を逃しました」「何だと!」 と怒ってみたところで、現実が変わらないのであれば、

「何だ、そんなことか」 と余裕をカマせばよい。 このパフォーマンスが人望につながっていくのだ。

若手の前では、明るくカラリと俗っぽい話を 実業家たち数人と銀座のクラブで飲んでいて、「 AKB 48」の話題が出た。「消費者に仕掛けていくという手法は、たとえば AKBなんか研究すべきでしょうね」 という若手経営者のひと言が引き金だった。「確かに」 もう一人の若手がうなずいて、「フツーの女の子を、ファン――つまり消費者が育てていくという手法は、ある意味、逆転の発想ですね」 とフォローしたところが、五十代の社長が、「くだらん」 と顔をしかめた。「ただの〝色仕掛け〟じゃないか。若い女を、ずらりと並べてみせただけで、すぐに厭きられるさ」 話題に冷水を浴びせ、気まずい沈黙が訪れたところで、七十代の最長老が、「ところで、あの〝総選挙〟ってのは、誰でも投票できるのかい?」 大マジメな顔で訊いたのである。 この問いにホステスたちはノリノリで、 「AKBの CDを買うと投票券がついてるのよ」「確か、じゃんけん大会とかってのもあったんじゃなかったかな」「そうそう、あれはね……」 こんな調子でテーブルが盛り上がって、最長老はモテモテ。反対に、「くだらん」と顔をしかめた五十代は総スカン――ということになった。「七十になっても AKBに興味を持つなんてステキよ」 と後日、この店のホステスのひとりが語れば、 「AKBがくだらないとか、カッコつける人はイヤよねぇ」「上から目線」「モテない典型ね」 と口々に言ったものだ。 彼女たちの人物評を聞きながら、若い衆から好かれている某親分のことを、私は思い浮かべた。 会長と呼ばれる某会のトップは、実に気さくで、二十歳過ぎの駆け出しを事務所でつかまえて、「おう、最近のスマホじゃ高画質のエロ動画が見られるんだってな」 といったようなことを平気で問いかける。「ハ、ハイ」 駆け出しは緊張で、直立不動。雲上人の会長が、まさかエロ動画のことを自分ごときに訊いてくるとは思いもしないからだ。「じゃ、ちょっと見せてみろ」「た、ただいま」 大急ぎでスマホを取り出し、「これですが」 と会長に差し出して見せたのである。 この会長は、若い衆に人望があることでよく知られているが、その秘訣は、銀座のクラブでモテモテだった最長老がそうだったように、若い衆に対する気さくな態度にあるものと私はニラんでいる。 会社も同じだ。「安くて面白いキャバクラはないかねぇ」 天気予報の話でもするかのように、明るくサラッと俗っぽい会話が抵抗なくできる上司になってこそ、部下に好かれるのだ。 人望の大敵は、プライド。「フン、くだらない話ができるか」 という上から目線でいる限り、部下の心をとらえることはできないのである。

 

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