利他
「情けは人のためならず」と言われるように、 優しい思いやりに満ちた心、行動は、 相手に善きことをもたらすのみならず、 必ず自分に返ってくるものです。
人間社会をよりよい方向に導く「利他の心」
人生とは他の誰が決めるものでもなく、自分自身が決めるものです。日々生きてい くなかで、どのようなことを思い、どのような行いをするのかによって、すべてが決 まっていきます。このことを、ぜひ若い人たちにも理解してほしいと思います。 不平不満を言わず、常に謙虚にして騎らず、生きていることに感謝する。誰にも負 けない努力を重ね、自分が犠牲を払ってでも世のため人のために尽くそうとする。そ うした「他に善かれかし」という優しい思いやりに満ちた、美しい「利他の心」が、 じつは自分自身の人生をもよくしていきます。 そんな利他行を積んでいくことは一見、回り道のように見えます。ですが、「情け は人のためならず」と言われるように、優しい思いやりに満ちた心、行動は、相手に 善きことをもたらすのみならず、必ず自分に返ってくるものです。 それは、水の流れに讐えて考えるとわかりやすいと思います。たとえば、相手と自分の間にたらいがあって、水が張つてあるとします。そのたらいの水を相手のほうヘ 押しやれば、たらいのなかで大きく波打って、結局は自分のほうへ戻ってきます。そ れと同じで、人を大事にして、人を喜ばせることをしていれば、おのずと自分のほう へ戻ってくる。世の中とはそういうものではないでしょうか。 それは、「自分がしてあげたのだから、相手にも自分に何かしてほしい」というょ うな話ではありません。相手に何かをしてあげて、それで相手が喜んでくれた。それ 自体で清々しい気持ちになるでしょうし、あなたの誇りにもなるはずです。 「相手が喜んでくれた」「相手の役に立つことができた」ということを、自分の最上 の喜びとする。そういう精神の水準に到達できたとき、人間としての本当の幸せを感 じることができるはずです。また天の助けも得て、自分も成功を収めることができる はずです。それこそが、まさに仏教でいう「自利利他」の精神です。 そのことをわかりやすく説明した、たとえ話があります。 あるお寺で修行僧の雲水が「地獄と極楽というのはどう違うのですか」と聞くと、 老師は「地獄も極楽も外見上は全く同じような場所だ」と答えます。どちらにも大き
い釜があって、そこにおいしそうなうどんがぐつぐつ煮えている。ただし、うどんを 食べるには、物干し竿のような長い箸を使うことになっています。 地獄界に落ちてきた人たちの場合には、みな利己的な心の持ち主ですから、「オレ がオレが」と、我先に食べようと、釜のなかにいっせいに物干し竿のような箸を入れ て、うどんをすくい上げようとしますが、あまりに箸が長く、うまくつかめません。 そのうちに、互いに相手がつかもうとしたうどんを奪おうと争いになり、うどんは飛 び散るばかりで、 一向に口に入りません。運よくうどんをうまくつかめたとしても、 とても自分の日まで運ぶことはできません。結局、誰もうどんを食べることができま せん。それが地獄の光景です。 一方、極楽では、条件は同じですが、非常になごやかです。みんな優しい思いやり の心の持ち主ばかりですから、自分のことを先に考えるのではなく、自分の長い箸で うどんをつかむと、「お先にどうぞ」と言って、釜の向こう側にいる人に先に食べさ せてあげる。すると、向こう側の人も「ありがとう。今度はあなたの番です」と言い、 同じように食べさせてくれます。だから、物干し竿のような箸を使っても、お互いに 感謝を述べあいながら、和気あいあいと食べることができます。阿鼻叫喚のちまたと化している地獄と同じ環境、同じ条件、同じ道具立てなのに、極楽では全く違う様相 を呈しています。それはまさに、そこにいる人の心の状態の差だけと言ってもいいと 思います。 環境も物理的条件も何も違わないのに、 一方では修羅場のような怒号が響きわたり、 奪いあいをしている。そして、結局誰も自分がほしいものを手に入れることができず に苦しみあえいでいる。それに対し、もう一方では、素晴らしい愛に満ち、お互いの ために、相手のために尽くしてあげようとしている。そうすることでまた、相手から 返ってくるという平和で幸福な環境で生きている。つまり、心の持ち方ひとつで、地 獄は極楽に変わります。 それは現実世界でも同じです。「自分さえよければいい」という利己の心をむき出 しにして世間を渡っていけば、必ず軋礫が生じ、さらに悪い方向へと自分を追いやっ てしまいます。そうした利己の心を離れ、まず自分から思いやりの心で周囲に接する ようにする。 一人ひとりがそうした「利他の心」を持つことで、潤いのある平和で幸 福な社会が築かれていくはずですし、 一人ひとりの運命も好転していくはずです。
貢献
人の行いのなかで最も尊いものは、 人のために何かをしてあげるという行為です。 人はふつう、まず自分のことを第一に考えがちですが、 実は誰でも人の役に立ち、喜ばれることを、 最高の幸せとする心を持っています。 人間の本性とはそれほど美しいものです。
世のため人のために積極的に尽くす
京セラを創業して以来、私はフアインセラミックスの開発と、会社の経営に心血を 注いできました。その結果、幸いにも会社が順調に成長を遂げたことから、いろいろ な賞をいただく機会がありました。 最初は褒めていただけるものですから、喜んでただ頂戴していたのですが、 一九八一年に、東京理科大学の故・伴五紀教授から「伴記念賞」をくださるというお 話をいただきました。 これは、伴先生ご自身の特許のロイヤリティ収入を資金に、技術開発で貢献のあっ た人を顕彰するという賞です。私は単純に喜んで授賞式に臨んだのですが、先生にお 目にかかり、自分が本当に恥ずかしく思えました。 先生はご自身の特許から得られる限られた資金で顕彰事業を運営しておられる。 一 方、企業を経営してそれなりに成功を収め、結果、幸いなことにある程度の私財も持つことになった私が、嬉々としてもらう側にいる。「これで良いのだろうか。本当は 私が差し上げるほうに回らなければいけないのではないのか」と強く感じました。 そのときから、自分が得たものを何らかの形で世の中にお返ししなければいけない、 と考え始めました。 そして、 一九八四年四月、私の株と現金を合わせた約二百億円相当を基本財産とし て、稲盛財団を設立し、「京都賞」を創設しました。 京都賞創設の発表を行って間もなく、ノーベル財団に表敬訪間に行きました。その ときに「ノーベル賞のような国際的な顕彰をするうえで重要なことは何か」とお聞き しましたら、「国際的な視点から見て、審査が公平で厳正であること。そして継続す ることによる権威です」と教えていただきました。 そして、ノーベル賞にも財団理念としての「ノーベルの遺言」があるように、私も、 京都賞という顕彰事業を行うにあたつて、「京都賞の理念」をつくり、今後、京都賞 の審査、運営は必ずこの「京都賞の理念」に沿って行うこととしました。 この理念のなかで、私は、かねてからの自分の人生観である「人のため、世のために役立つことをなすことが、人間として最高の行為である」ということを第一に掲げ ました。 私は以前より、自分を育んでくれた人類および世界のために恩返しをしたいと考え、 その思いをどのような形で実践すべきか、いろいろと思案していました。また常々、 世の中には人知れず努力している研究者が多くおられるのに、そうした人たちが心か ら喜べる賞があまりにも少ないと感じていましたので、それらの思いを京都賞の創設 の理由として述べさせていただきました。 また現在、科学文明の発展に比べ、人類の精神面における探求は大きく後れをとつ ています。しかし、この科学技術と精神は決して対立するものではなく、両者がバラ ンスよく発展を遂げなければ、人類の不幸を招きかねないと私は考えています。京都 賞が科学文明と精神文化のバランスの良い発展に寄与し、ひいては人類の幸福に貢献 することを強く願いつつ、それも理念にまとめさせていただきました。 こうしてできあがった京都賞の理念は、京都賞の審査を行う際、審議が行き詰まっ てくると、委員の先生方が「それではここでもう一度『京都賞の理念』に立ち返っ て、審議しなおしてみましょう」と、常に念頭においていただくなど、生きた理念となつています。 そのような理念にしたがつて、今日まで顕彰事業を行ってきたわけですが、京都賞 を通じて、本当に素晴らしい方々との出会いがあったことも、私の喜びの一つです。 京都賞の理念のなかに「この京都賞を受賞される資格者は、京セラの我々が今まで にやってきたと同じように、謙虚にして人一倍の努力を払い、道を究める努力をし、 己を知り、そのため偉大なものに対し敬虔なる心を持ちあわせる人でなければなりま せん」とありますが、受賞者の審査では、業績を評価することはできても、その人柄 まで詳細に知ることはできません。 しかし不思議なことに、これまでお目にかかった京都賞受賞者の皆さんは、本当に 素晴らしい方々ばかりでした。半生をかけて、ただひたすら一つのことに打ち込んで こられたその真摯な姿勢が、風格のある、素晴らしい人柄をつくるのだと思わずには いられません。 京都賞の賞金は、当初ノーベル賞の賞金五千万円に敬意を表し、四千五百万円でス タートしましたが、その後ノーベル賞が賞金を増額されたこともあって、第十回京都賞より三部門で各五千万円に増額し、以来ずっとその金額をお贈りしています。 この賞金の使いみちについては、京都賞授賞式終了後に行われる共同記者会見の席 でも、よくいただく質問のようです。おそらくはご自身の研究資金として使われるの だろうと考えていましたが、実際には、社会へ還元しようとされる方が多いことに驚 くのです。 たとえば、第三回精神科学・表現芸術部門(現在は思想・芸術部門)の受賞者であ るポーランドの映画監督、故アンジェイ・ワイダ氏は、賞金を基に「京都―クラクフ 基金」を設け、ポーランドに日本美術を紹介するセンターをつくられました。 その他にも、数多くの受賞者が寄付をしたり、賞を設けたりと、世のため人のため に賞金を使われています。 京都賞は、研究一筋の人生を送ってこられた方々を慰労するために始めた賞ですか ら、私は賞金はご自身のためにお使いいただければと思っていました。しかし結果と して、このような形で善の循環が行われていることに、心から喜びを感じています。 人の行いのなかで最も尊いものは、人のために何かをしてあげるという行為です。人はふつう、まず自分のことを第一に考えがちですが、実は誰でも人の役に立ち、喜 ばれることを、最高の幸せとする心を持っています。人間の本性とはそれほど美しい ものです。
調和
人間が心のなかで思い、実行することが、 すべてをよい方向に進めようとする、 宇宙が持つ波長とピタリと合ったときには、 人生は好転していく。 宇宙が持つ考え方と反する利己的な思いを持てば、 宇宙の流れに逆らうことになり、 善き結果は得られません。
愛に満ちた心は宇宙の意志にも適う
この世には、すべてのものを進化発展させていく流れがあります。これは「宇宙の 意志」とでもいうべきものではないかと私は考えています。 この「宇宙の意志」は、愛と誠と調和に満ち満ちており、私たち一人ひとりの思い が発するエネルギーがそれに同調するのか、反発しあうのかによってその人の運命が 決まってきます。 宇宙は最初、ひと握りの超高温・超高圧の素粒子の塊でした。それが大爆発を起こ し、膨張をしながら現在の壮大な宇宙をつくってきたと言われています。これは現在 の字宙物理学ですでに証明されていることです。 宇宙を形成する物質世界は、すべて原子からできています。周期表にあるように、 最も質量が小さいものは水素原子です。水素原子には原子核が一つあり、その原子核は、陽子と中性子で構成され、そのまわりを電子が回っています。 原子核を構成している陽子や中性子を粒子加速器を使って壊してみると、そこから 数種類の素粒子が出てきます。つまり、複数の素粒子が結合して陽子や中性子をつ くっているわけです。 宇宙開闘のとき、最初は素粒子であったものが結合して陽子や中性子がつくられま した。その陽子と中性子が原子核をつくり、そこにひとつの電子がとりこまれて最初 に水素原子が生まれました。その水素原子同士が融合し、より重いヘリウム原子がで きました。 さらに今度は、原子同士が結合して分子をつくります。分子はさらに高分子を形成 し、やがてDNAという遺伝子が加わることによって生命体に変わっていきます。 地球上に生まれた最初の生命体は非常に原始的な生物であったわけですが、その原 始的な生物が進化を繰り返し、我々人間が生まれてきました。 もともと、この宇宙は一握りの素粒子から始まりました。しかし、それは一瞬たり とも現状のままとどまらず、進化を繰り返し、現在の宇宙を形づくってきたのです。
このような今日の宇宙ができあがった過程を振り返ると、宇宙には森羅万象あらゆ るものを進化発展する方向へと導こうとする流れ、もしくは、すべてのものを慈しみ 育てていく意志のようなものが存在しているのではないかと思います。 そのような宇宙に我々が住んでいるとすれば、我々がどのようなことを思い、どの ような想念を抱き、どのようなことを実行するのか、ということが大切になつてきま す。 つまり、人間が心のなかで思い、実行することが、すべてをよい方向に進めようと する、宇宙が持つ波長とピタリと合ったときには、人生は好転していく。逆に、自分 だけがよくなればいい、自分以外は悪くなってもかまわない、というような、宇宙が 持つ考え方と反する利己的な思いを持てば、宇宙の流れに逆らうことになり、善き結 果は得られません。 そうであれば、私たちは、森羅万象あらゆるものをよくしてあげたいという宇宙に 存在する愛の流れと同調する、「他に善かれかし」という利他の心を持つように努め なければなりません。「他人の喜びを自分の喜びとする」「世のため人のためになるこ とを思う」「自分だけでなく周りの人々皆が常に幸せに生きることを願う」といった、美しく、ピュアで正しい心で人生を生きていけば、必ず神の助け、いわゆる天佑があ ります。そのことを、京セラの成長発展、第二電電の創業、日本航空の再生が示して いますし、私の人生そのものが証明しているように思います。 つまり、利他の心で人様を助けてあげる、人様に親切にしてあげる。そういう美し い思いやりの心を持つことは、宇宙の意志に沿う行為であり、それによって人間は必 然的に成長発展の方向に導かれ、運命も好転していくのです。 このことは強調しても、強調しすぎることはないと思います。利己的な欲望を抑え、 謙虚な心を常に忘れず、自分のことだけを考えるのではなく、周りの人のことを考え て行動する。そうした愛は相手に与えた度合いに応じて、自分に返ってきます。そし て自分を幸せにしてくれるのです。
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