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シャーロック・ホームズの目と行動力を持て!―異常点に着眼し、原因を究明する

新橋のふぐ屋以前、詐欺を働いた社長が逮捕された。

大量のハンナ製品が大田区の営業倉庫で見つかった、と警察から連絡が入った。

被害は最小限にとどまりそうだ。

幹部会では、大森生産管理部長の提案はすべて却下された。

この決定は、特に工場で働く作業者の士気を向上させた。

残業時間は、当初大森が予想した半分に過ぎなかった。

作業者たちは自主的に生産性を上げる工夫を始めたようだ。

由紀は、すべての従業員に臨時ボーナスを出すことを決めた。

大した額ではないが、胸突き八丁の今、全員に頑張ってもらいたいと心から思ったからだ。

幹部会の席上、斉藤と大森はこの臨時ボーナスに猛反対した。

2人は1円でも多く借金を減らすべきだ、と由紀に迫った。

しかし、由紀は一歩も譲らなかった。

会議では、別の大きな問題が持ち上がった。

月次決算が赤字に転落したのだ。

斉藤経理部長は、その理由を売上返品が増えたからだと説明した。

しかも返品された中には、発表したばかりの女性用ビジネススーツが混じっているというのだ。

それは由紀が企画した自信作だった。

残された時間はあと1カ月。

由紀は不安になった。

大皿に盛られたふぐ刺をじっと見つめて、安曇はうれしそうに笑みを浮かべた。

箸で刺身を数切れつまみ、紅葉おろしをたっぷり溶かしたポン酢に浸して口に運んだ。

「この店で出す天然物のとらふぐにかなう味はないね」安曇はグラスに注がれた透明の泡だった酒を美味しそうに飲み干した。

「ふぐには辛口のシャンパンがよく合う」今日の由紀は元気がない。

今月に入ってから斉藤と大森からのプレッシャーを感じない日はなかった。

会議では、あからさまに反対意見をぶつけてくる。

しかも、斉藤と高田支店長は、由紀の知らないうちに頻繁に連絡を取り合っているようなのだ。

由紀の疲れはピークに達していた。

「斉藤に返品の理由を質問したのですが、経理の仕事ではない、と拒否されてしまいました」由紀はうつろな目で言った。

「それは社長に対して失礼な話だ。

斉藤さんには経理部長として答える義務がある。

だが、それを彼に求めるのは酷かもしれない」「私に意地悪しているのではなくて、彼の能力の問題とおっしゃっているのですか?」「株主総会用の決算書と税務申告書の作成だけが彼のすべてなのだ。

しかし、会計は経営情報そのものだから、会計の責任者は経営者の視点を持たなくてはならない。

なのに、彼にはその視点がない!」安曇はひときわ大きな声で言った。

「君は、前月の返品が多かった理由は何だと思うかね?」由紀は懸命に考えた。

しかし、わからない。

「あの製品は私が絶対の自信を持って企画したもので、予約で売り切れになったほどです」「しかし、現実は違った」「そうなのです」「君は決算書の数字を見てうろたえてしまった。

真の経営者は、決算書の裏側にこそ真実が隠されていることを知らなくてはならない」と言って、安曇は由紀の肩をポンとたたいた。

「損益計算書を見れば、売上返品が増えて利益が減ったということはわかる。

しかし、発生原因まで遡って、その詳細を解明することはできない。

例えば、どの製品が戻ってきたのか、どのような理由で戻ったのかわからない。

返品の原因が顧客にあるのか、会社にあるのかもわからない。

会社にあるとしたら、デザインにあるのか品質にあるのかわからない。

ここが会計の限界なのだ」「でも、社内では赤字の原因は新製品ということになっています。

斉藤と大森が私の責任にしようと企んでいるのでしょうね」由紀は、冷えたシャンパンを一気に飲み干した。

「どうすればいいのでしょうか?」「真の原因を突き止めるのだ」助っ人登場「製造部で、君が一番信頼している部下をすぐここに呼びなさい」由紀は躊躇なく製造部長の林田に電話をかけた。

林田は一瞬とまどったようだが、すぐに新橋に向かいます、と答えた。

林田はもともとデザイン部で由紀の同僚だったのだが、由紀が社長に就任する際に製造部長に抜擢したのだった。

そのような事情もあって、古参の幹部から警戒されていた。

「林田君がくるまで待てないな」安曇はふぐちりを始めて欲しいと、仲居に伝えた。

1時間も経たないうちに、林田が到着した。

工場勤務にしてはおしゃれな青年だ。

林田は礼儀正しく一礼して由紀の隣に腰を下ろした。

「ここに呼んだ理由はね」由紀はこれまでの事情を説明した。

最後に「あなたの協力がなくてはハンナの再生は難しいの」と付け加えた。

林田は、わかりました、と体育会部員のような大きな声で答えた。

「由紀さんから返品の話は聞いた。

どの製品が、どこから、どのような理由で返ってきたか、君がつかんでいる事実を教えてくれないか?」林田は要領良く答えた。

返品のほとんどは有名デパート「シエナ」からのものだった。

その約半分は、3カ月以上貯まり続けた売れ残り品だった。

ハンナと「シエナ」とは、委託販売(返品自由)である。

だから、季節の変わり目にまとめて戻されることがある。

残りの半分は新製品だった。

問題はこの返品の原因である。

「なぜ戻ってきたのかしら?」「一部は誤出荷でした。

別のお客様向けの製品を、間違って『シエナ』に配送したのです」「そんなことってあるの?」「たまにありますね。

製品の箱詰めと出荷はすべて手作業ですので、うっかりすると仕向先を間違えることがあるのです」業務のコンピュータ化を怠った影響が、こんなところに出ているのだ。

「残りの原因はなに?」「それが、わからないのです」林田は出荷検査の資料を調べたが、生地も縫製にも問題点は見つからなかった。

どの製品も基準を満たしていた。

新製品は会社の命運がかかっているから、出荷検査は慎重に行っている。

ところが不良品として大量に返品されたのだ。

(なぜ戻ってきたのかしら)由紀は不思議でならなかった。

ふぐちりをひとりで食べ終わった安曇が口を開いた。

「意外なところに問題が潜んでいるんじゃないのかな」出荷検査をしているつもりでも、実際に不良品が検査をすり抜けた可能性もある。

林田は記憶の糸を懸命にたどった。

「そう言えば、あの製品には営業部にクレームが殺到していました」意外な言葉が林田の口をついて出た。

由紀はどうしても腑に落ちなかった。

新作発表会では、この女性用ビジネススーツは大評判だったのだ。

それなのに、なぜクレームが殺到したのか?由紀は、「遠慮せずにあなたの考えをすべて話して」と林田に言った。

「クレームは2つあったと記憶してます」林田はその時のことを思い出しながらゆっくりと話し始めた。

ひとつは、ビジネススーツの色だった。

注文数が予想をはるかに超えたため、生地を追加で仕入れた。

ところが、生地の色が微妙に違っていた。

2つ目は、デザインの変化だ。

縫製工程では自主的に作業方法を改善している。

この新製品はデザインが複雑で縫製ミスが多発した。

そこで、度重なる改善が行われた結果、デザインがわずかに変わってしまった、というのである。

色とデザインがカタログと異なれば、クレームが出て当然だ。

「返品の原因はそれだわ。

おしゃれな人は絶対に拒否するもの。

でもなぜ、出荷を許したのかしら?」由紀は不思議でならなかった。

林田はこの点も調べていた。

「検査部は、すぐには判断がつかず、出荷を止めていました。

でも、大森部長がやってきて『品質に問題ないのだから納期通り出荷せよ』と指示したそうです。

出荷した以上、出荷検査は問題なし、とせざる得なかったのでしょうね」「なぜ、大森さんはそんな指示をしたの?」「納期を守りたかったのだと思います」由紀は怒りを抑えることができなかった。

しかし、すぐに冷静さを取り戻した。

「次の出荷はいつ?」「2日後です」「ビジネススーツの生産を止めなくては」林田がその場から工場に問い合わせると、ほとんどは縫製作業中であることがわかった。

二度目の不良品出荷という最悪の事態は回避された。

返品は最悪の事態「返品といっても、いろんな原因から生じるのですね」「返品は経営にとって最悪な現象と言っていい。

せっかく作って顧客に渡した製品が、再び会社に戻って廃棄されるのだよ。

しかも配送費はすべて会社持ちだ。

ムダの固まりと言っていい。

返品を事前に回避するためにも、経営者はビジネスの流れや現場を熟知しなくてはならない」「会計に頼るべきではない、という意味ですか」「そうではない。

会計は非常に重要だ。

しかし会計数値は事実ではない。

事実を把握するとっかかりと考えるべきだ。

つまり、会計数値で異常を見つけたら、そこを突破口にするのだ。

現場に行き、関係者の話を聞き、とことん原因を突き止める。

そうすれば、自ずと真実が見えてくる。

改善の手だても見えてくる」「証拠から犯人を絞り込んでいく名探偵のようですね?」

「そうだ。

頭と体を使って本質につながる証拠を拾い集め、隠れた真実を突き止めるのだ。

君たち全員がシャーロック・ホームズの目と行動力を持つことが大切なのだ」

解説数字の裏側を見抜くには会計のプロは、「会計数値をじっと見つめると数字の裏側にある事実が浮かび上がる」と言います。

本書では再三、会計は近似値であり、だまし絵だ、と繰り返してきましたから、信じがたいと思われる読者は多いと思います。

しかし、私自身、関与している会社であれば、会計数値を見ただけで、数字の裏側にある活動の情景が鮮明に目に浮かびます。

会計数値から会社の実態を的確につかむ方法は2通りあります。

ひとつは、会社内部の活動実態を可視化する管理会計システムを導入することです。

これにはバランスト・スコアカードやABC/ABMやミニプロフィットセンターなどがあります。

もうひとつは、伝統的な管理会計の限界を認識した上で、欠けている情報を自分の目と足を使って補足することです。

私は、会計に携わっている人たちは、まず後者を心がけるべきだと思っています。

先ほど、「数字の裏側にある活動の情景が目に浮かぶ」と言いましたが、会計数値から実態に迫るには「ひみつ」があります。

それは、会社のビジネスをしっかり理解することです。

そして、何度も何度も現場に足を運んで、時間が許す限り経営管理者や作業者と会話をして、営業所や倉庫や工場をくまなく見て回ることです。

さらに、新聞や経済誌には必ず目を通し、経済の動向と、その会社が属する業界が現在どのような状況に置かれているかを知ることです。

会計知識だけでは、数字の裏側は絶対に見えません。

 

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