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それ、パワハラです~何がアウトで、何がセーフか~【オリジナル】

はじめに拙著『人が壊れてゆく職場――自分を守るために何が必要か』(光文社新書、平成20年)を刊行してから、丸4年が経過した。刊行当時と同様、私は労働者の代理人を務める弁護士として、労働事件を取り扱う毎日を過ごしている。前作を世に問うたとき、私は、働く者が「労働法を上手に使って」自分の生活と権利を守り、よりよい社会が実現されることを願っていた。しかし、それから4年の歳月が経過してみると、事態は残念ながら悪化の方向に動いているように感じられる。それどころか、4年前に比べると、職場における労働者の〝無権利状態〟はむしろ広がっているというのが実感だ。事実、平成20年末には「派遣切り」が社会問題化し、従業員に対して劣悪な環境での労働を強いる「ブラック企業」という言葉も流行した。こうした社会状況の中で、私のもとには人を人とも思わぬ扱いを受け、精神疾患を発症して相談に訪れる労働者が急増した。いわゆる、「パワーハラスメント事例」の増加である。日本には、厚生労働省が所管する労働局という役所が全国に設置されている。そこには日々、労働問題に関する様々な相談が寄せられる。その中で、「職場のいじめ・嫌がらせ」と分類される問題の相談件数は、平成20年度に3万件を超え、平成23年度には約4万6000件に達した。この数は、解雇に関する相談に次いで2番目に多い相談件数となっている。このように、パワーハラスメント事例の増加は、現在、労働問題におけるメインテーマの一つとなっている。これは、労働問題に取り組む弁護士にとっても喫緊の課題だ。そこで私は「パワーハラスメント問題」に的を絞り、これまで取り組んできた事例をもとに、その実態、法律の状況、対抗手段とその限界といったことについて具体的に提起してみたいと考えた。本書は、そうした考えを形にしたものである。私は、「労働法を上手に使う」ことが解決のための一つの方法であると確信している。これは、前作を書いたときの意識と変わらない。「派遣切り」も、「ブラック企業」も、そして「パワーハラスメント」も、経営者が労働法を守らず、正当に使用せず、正当に活用しないということが問題の原因の一つとなっている。であるならば、労働法を上手に活用することこそが、解決の一つの方策となるはずだ。各章は、事例の紹介が中心となっている。その意味では、私の経験をもとにした「パワーハラスメントの事件簿」といった色合いが濃いかもしれない。しかし、パワーハラスメント問題の基本的な視点や考え方については第4章で整理した。第5章以降では、事例の紹介のほか、関連する法的知識についても、若干ではあるが言及しているので参考にしていただきたい。そして第9章では、パワーハラスメントに取り組む際の視点、方法、具体

的なノウハウをまとめている。最後の第10章では、第9章を補足する形で、精神疾患を発症した場合の労働災害の認定に関する近年の実務の動向や注意点について述べた。なお、本文中に記した法令は、いずれも平成24年6月末日現在のものである。本書ではプライヴァシー等に配慮し、当事者名は仮称とし、話をわかりやすくするために事実を多少加工している。その点はあらかじめお断りしておきたい。ただ、前著と同様、日頃の活動に敬意を表する意味を込めて、弁護士名と、労働組合及びその活動家については実名で紹介している。また、事例が和解で解決した場合の金額については一切公表していない。これは、パワーハラスメント事件が被害者にとっても加害者にとってもあまり公にしたくない類の性質を帯びているため、和解での解決内容については「公開しない」という条項が設けられていることが多いからである。『人が壊れてゆく職場』を著した後、編集部を通じてある手紙を受け取ったことがある。それは、本を参考にして、自分の子どもが抱えていた労働問題を行政の場で解決することができたという内容だった。一冊の本が、問題を抱えていた親子の役に立った――それだけで、本を書いた意味があったと本当に嬉しく思ったのを今でも鮮明に覚えている。本書も、そんなふうに人の役に立ってくれることを心から願っている。パワーハラスメント問題に悩む人にとっての一助になれば、そして、労働法を使って働く者の権利の実現や生活改善につなげていくことに少しでも役に立てれば、著者としてこれ以上の喜びはない。

目次はじめに第1章言葉の暴力――パワハラの典型例

第2章パワハラ判定の難しさ――「証拠」はどこにある?

第3章長時間労働はパワハラか?――「名ばかり管理職」事件

第4章そもそも、「パワハラ」「いじめ」とは何か――法の視点で考える

第5章パワハラのパターンI――労働契約を結ぶ際の嫌がらせ

第6章パワハラのパターンII――再び、言葉の暴力を考える

第7章パワハラのパターン――仕事の取り上げ、本人にふさわしくない仕事の強要と退職強要

第8章「退職強要」をどう考えるか――「見極め」が肝心

第9章では、どうするか――問題を二つに分けて考える

第10章精神疾患を発症した場合の労災認定――文字に残すことの重要性おわりに

労働相談窓口一覧

第1章言葉の暴力――パワハラの典型例

「問題の言葉」が生まれるときパワーハラスメント(以下、「パワハラ」と表記)事件の相談で圧倒的に多いのは、「言葉の暴力を受けた。こんなときはどうすればいいのか」というものだ。上司や、その職場で発言力を持っている人から、「そんなことまで言われる筋合いはないよ!」といったような言葉を投げつけられて傷ついたとか、そうした言動が原因で、うつ病などの疾病を発症した、だから、その解決方法を探りたいという内容である。相談者たちからの内容をよく聞いてみると、「問題の言葉」は、仕事と何の関係もなく発言されている場合は少なく、業務内容の指示や、過去に行われた業務についての叱責といった形をとって発言されている場合が多い。つまり、「問題の言葉」は、形の上では「仕事の上で必要だったから」という装いをまとっているだけに厄介な問題をはらんでいる。〝言葉の暴力〟を受けた人が、「そこまで言うのはひどいんじゃないですか」と言っても、「仕事だから仕方ないだろ」と言われてしまえば、話はそれで済んでしまいかねない。だが、たとえ仕事上の発言であったとしても、人を傷つけるような発言は本当に「仕方のないこと」なのだろうか。本章では、それを考えるためにI社事件を見てみよう。仕事中、上司が部下に対して「山に籠もって陶器でも焼いてろ」という言葉を投げつけた事件である。

I社事件:「おまえとは関わり合いを持ちたくない」I社は、情報システムのコンサルティング、設計・開発、運用のサポートなどを行う中堅の会社である。Mさんは、事件当時、20代半ばの女性。仕事内容は、情報システムの設計・開発といったI社の主力業務ではなく、間接部門だった。Mさんは、この業務に専従する契約で平成18年9月1日に入社した。入社後、Mさんは直属の上司から理不尽なことで叱責されたり、批判されたりすることがたびたびあった。平成19年4月には上司が交代したが、その上司も、Mさんに対して唐突に怒鳴ったり、些細なことで叱責することが頻繁にあった。さらに同年5月以降、Mさんは上司からときどき呼び出され、「おまえとは一緒に仕事をしたくない」「おまえとは関わり合いを持ちたくない」といった発言を繰り返されるようになった。Mさんは、おまえとは関わり合いを持ちたくないといった、仕事とは直接関係のないことまで言われ、徐々に精神的に追い込まれていった。同年8月2日、上司はMさんに対し、「みんな、おまえとは一緒に仕事をしたくないと言っている。取引先に派遣の形で常駐して働くように」と、配置転換の指示をした。しかし、Mさんはもともと、その部門の専従として採用されている。突然の配転話に納得のいかなかったMさんは、個人で加盟できる労働組合に相談・加入し、対応を依頼した。労働組合はI社に団体交渉を要求。8月10日、団体交渉が行われた。組合はI社に対して、当初の契約内容と違うではないかと強く抗議し続けた。その結果、最初は抵抗していたI社は最終的に配転を撤回せざるを得なくなった。

「おまえは、頭がおかしい」「山に籠もって陶器でも焼いてろ」これで一件落着となるはずが、話はここで終わらなかった。I社は配転を撤回させられたことが悔しかったのだろう。団体交渉が終わると、今度は上司だけでなく、ほかの社員もMさんに次々と暴言を浴びせた。以下は、その一部である。「事の発端をただせば、おまえの立ち居振る舞いや言動が社会人として欠落しているのが原因だ。おまえ自身の問題なのに、何でわざわざ組合に相談したんだ」「他人のせいにするな」「今度組合に言ったら、そのときは徹底抗戦するからな」「団体交渉に参加する暇があったら、自分のことを考えろ」「組合に相談するんじゃなくて、相談は社内の人間にしろ」「組合に入ったんだから、四面楚歌になることは覚悟しているよね」こうした言葉は、職務上、必要な注意を与えるという名目のもとに行われた。しかも、職場からMさんをわざわざ別の場所に呼び出して浴びせたものだった。呼び出しのペースは、当初は週に1回程度だったが、やがて週2回、週3回と、だんだん頻繁になっていった。最初の頃は短かった叱責時間も、次第に、30分、1時間、ひどいときには1時間以上にもわたった。挙句の果てに言われたのが、次の台詞だった。「おまえは、頭がおかしい」「多くの人が、おまえとのコミュニケーションを拒否している」「人との付き合い方がわからないなら、山に籠もって陶器でも焼いてろ」暴言を浴びせられただけではない。団体交渉の後、上司はMさんに仕事の指示をしなくなっていた。Mさんは、やむなく自分で仕事を探したり、ほかの部署から仕事をもらって仕事をするしかなかった。平成20年5月29日には、Mさんは自分の状況を社長に直訴しようとパソコンで文書にまとめていたところ、これに気がついた上司がMさんのパソコンを取り上げ、そんな行為は許さないと、反省文を書くように指示した。Mさんは前年末頃から体調に変調をきたし、平成20年5月初め頃には不眠、食欲減退、吐き気などに悩まされるようになっていた。パソコンを取り上げられた後は、仕事のことを考えるだけで吐き気がし、会社に行けなくなってしまい、6月から休職せざるを得なくなった。心療内科で診察を受けた結果、うつ病と診断された。

「労働審判」とは?労働組合からの依頼によって、私はMさんの事件を引き受けることになった。Mさんが女性であり、しかも事件が繊細な要素を含んでいるため、同性の弁護士によるフォローの必要性を感じた私は、大久保佐和子弁護士に協力を依頼、事件を一緒に担当してもらうことになった。この事件では、平成20年10月1日に労働審判を申し立てた。労働審判は、平成18年4月から開始された、いわば「裁判の簡易迅速版」と思ってもらえればいい制度である。今や東京地方裁判所では、申し立てられる労働事件のうち、その半数以上が労働審判といわれるほど活用されている。労働審判については、拙著『人が壊れてゆく職場』でも解説したが、ここで改めて説明しておこう。現在、個別の労働者と使用者との間で生じる個別労使紛争は増加の一途を辿っている。しかし、これまでこうした問題は、たとえ双方が解決したいと思っていても、裁判にまで訴えて解決するという方法がなかなか取られてこなかった。そこには、従来、裁判は解決までに時間がかかること、また、弁護士への依頼費用が多額に上ることが指摘されてきた。このため、個別労使紛争を、簡易、迅速、柔軟に解決する方法として、「労働審判」という特別な制度が設定されるに至ったのである。労働審判の特徴は、まず、迅速性を確保するため、原則として審理が3回しか開かれないという点にある。通常の裁判は、「審理は○回以内に終えなければならない」というルールがないため、長期化するケースが多い。一方、「3回の審理」という制限のある労働審判では、通常、申し立てから3ヶ月程度で事件が解決する。次に、事案に即した柔軟な解決を行うため、労働審判では裁定を下す前に、話し合いによる調停を必ず試みなければならないとしている点である。労働審判では、両者の話し合いが折り合わないときは、最終的に労働審判委員会が、「労働審判」という裁定(通常の裁判で言うところの「判決」)を下す。その前に、双方の当事者から話を聞いて解決の方向性を探り、両者が納得できる着地点を探し、そこで折り合うことを目指すのである。もしうまく折り合うことができれば「調停」が成立し、そこで事件は終了となる。最後に、裁判官ではない専門家による裁定を仰ぐ点である。通常の裁判では、裁判所を構成するのは一人ないし三人の裁判官となる。一方、労働審判の場合、労働審判委員会を構成するのは、一人の裁判官と、民間から選ばれた二人の労働審判員となる。後者は、一人が経営者側からの推薦によって参加する使用者側の委員、もう一人は、労働組合からの推薦によって参加する労働者側の委員となる。これらの二人がそれぞれの立場から、より現場感覚に近い妥当な解決策を提言し、労働審判官である裁判官とともに解決にあたるとされているのである。このように、労働審判は、簡易、迅速、柔軟に事件を解決することを目標に設定された制度だ。

通常の裁判では行えない要求I社事件に話を戻そう。Mさんの不満の根源は、仕事をこんな形で妨害されるのは理不尽極まりなく、人は、もっと働きやすい職場で働くのが本来の姿ではないかというものだった。Mさんの話を聞いた私たちは、労働審判の申し立てで、職場でのいじめによるうつ病罹患の損害賠償請求だけでなく、次のような職場の環境改善の要求を掲げた。「I社は、Mさんに対し、I社職員が別紙目録の行為を行ったことを謝罪し、今後、これらの行為が繰り返されることのないよう、研修実施、社内体制の確立など、必要な措置を行う」謝罪や職場環境の改善といった申し立ては、通常の裁判では行うことはできない。しかし、労働審判では柔軟な対応が可能であるため、あえてこのような申し立てにした。

全面的に争う言葉の暴力によるいじめについて、I社は全面的に争ってきた。曰く、「いじめなどは行っていない。問題とされている個々の発言は、根本的なビジネスマナー、仕事の進め方、ほかの従業員とのコミュニケーションの取り方といった文脈の中で語られたものであって、申し立て内容は表現を歪曲または誇張し、意図的に編集されたものである」これに加えて、I社は「Mさんには業務上における多大な問題が存在する」と主張した。例えば、電子メールの私的利用、業務とは無関係なWEBサイトの閲覧、業務命令違反、ほかの社員との意思疎通の不具合、ビジネスマナー違反、といった事実を挙げた。さらにI社は、第1回審判期日の直前になって膨大な量の証拠を提出してきた。

正式裁判へ?労働審判法第24条では、事件が労働審判での解決に馴染まないときは、裁判所の判断で労働審判での解決を断念し、事件を正式裁判でやり直すように決めることができると定められている。繰り返すが、労働審判は3回しか審理を開くことができない。確かに、事件に関する事実関係が複雑多岐にわたり、しかも争点が入り組んでいた場合、事件をたった3回で解明することは現実的に難しい。こうした場合は本裁判でじっくりと審議してください、ということになるわけだ。実際、I社事件に限らず、パワハラ事件は事実関係が複雑で、かつ、長期にわたっているケースが多い。さらに、訴えられた側は、訴えられた内容を一つ一つ否認する傾向が強い。その一つ一つの事実を確認していこうとしたら、いくら時間があっても足りなくなる。I社事件も同様だった。したがって、この事件では第24条の適用が大いに予想された。I社は、Mさんの勤務態度そのものを問題視する主張もしている。これでは争点の複雑化は避けられない。第1回の審理はこうした状況で開催された。先にI社側と話していた裁判官は、次に私と大久保弁護士を呼んで審判廷に入れた。裁判官は、「申し立ての趣旨がなかなかユニークですね」と、職場の環境改善の要求に触れた上で本題に入った。「この事件は、第24条適用事案だと思います」第24条が適用されれば、労働審判はここで終わってしまう。しかし、と裁判官は続けた。「こういう複雑な事案、事実関係の確定に時間がかかる事案だとおわかりでしょうに、あえて労働審判の申し立てを行ったということは、何か理由があると思うのですが……」

Mさんの本音Mさんは実際のところ、I社に戻って働くという気持ちを持っていなかった。「あの仕事は好きです。でも、あの職場には、あの人たちがいる、あの職場には、もう戻れません」これが、Mさんの本音であった。私と大久保弁護士が考えたのは、次のことだった。Mさんには、職場に復帰する考えはない。だが、退職という形だけではMさんが報われない。Mさんの今後のために、生活再建のための資金を手に入れさせてあげたい。とはいえ、Mさんの病状を考えると、長期的に争うことは避けなければならない――。以上の理由から私たちは、労働審判による、早期で内容のある解決を目指したのだ。私は裁判官にこの事情を説明し、Mさんは、金銭的な提供を受けて退職することを考えていると率直に伝えた。なるほど、と大きく頷いた裁判官は、「では、会社と話し合いで解決することができるか、率直に話し合ってみましょう」と言った。私たちに代わって審判廷に入ったI社側は、かなりの時間、裁判官と話をしていた。

調停成立結局、第1回審判はMさんの退職を前提とした解決を図ることで方向性が一致した。そして平成20年12月9日、第2回審判で調停が成立した。Mさんの退職にともない、I社は、Mさんに解決金として一定の金銭を支払うことになった。本書の冒頭でも述べたように、ここで解決金額を公表することはできない。しかし、その金額は、裁判所がI社職員の言動のすべてがいじめであると認定し、それが不法行為にあたると判断した場合の損害賠償額より、はるかに高いものとなった。パワハラの典型である「言葉の暴力」によって引き起こされる事件は、「慰謝料」という形で解決に至るケースが多く、その金額はびっくりするくらい安いのが現実だ。だが、I社事件では、解雇事件と同様の扱いで解決金が算定された。この背景には、I社側の、特に団体交渉以降の言動が「客観的に見て、これはひどい」という印象を裁判官に与えることができたことがある、と私は考えている。前述した上司たちの言動は、録音テープやメモといった形で残されていた。いじめの事実の立証が、裁判で重要な決め手になったのは言うまでもない。同時に、こうした言動を裁判官に効果的に知らせることができたのもまた大きい。これは、大久保弁護士の苦労の賜物である。I社事件からわかるのは、「仕事の上で必要だった」という理由ですべてが許されるわけではないということだ。一見、正当性があるように見える「業務指導による注意」も、度が過ぎれば「言葉の暴力」に変わり、被害者を追い詰めることになる。最後に、労働審判は、裁判所の許可がなければ傍聴することはできないにもかかわらず、Mさんが加入した労働組合の人たちが、二度にわたって多数、応援に駆けつけてくれたことを記しておきたい。パワハラの被害は、職場からの孤立の一現象である。最後はI社を去ることになったMさんだが、多くの仲間に支えられて孤立を防ぐことができた。それは、この事件の救いであった。

 

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